何をどうすればどうなるか、を考えた。
世界を全部考えても良い。
あらゆる全てを考えても良い。
構築と変化が全てだ。
感じて、見つめなおせば、分かる。
分からないときは、最悪の場合を想定する。
関連付けと連想から分かりなさい。
計画性は、事前に想定して、計画を達成すること。
根源性は、根源的な理由を考えると同時に、数学や哲学などの基本となる分野から取り組み、風上へ立つこと。
起源性は、最初の状態と、そこから今に至る経緯を考えること。
いつも同じことを、同じように分かりなさい。
道具は道具で、金は金で、感情は感情だ。
その上で、共通性と違いがある。
あるものは、道具、人間、覚えるだけだ。
あとは、経験だ。
皆を守りながら変えなさい。
自分の言ったことを言いなおしながら、自分を与えて、思い出すことだ。
支配し、解放し、革命し、神を信じること。
人間の変化を、言葉にならない感情で、体験や経験から考えなさい。
色んなところにある「良い」を信じなさい。
それは、時に自由で、時に平等だ。
世界を空想し、認識を積み重ね、過去を想定しながら、あらゆる環境に共通することと、具体的な違いを捉えなさい。
想像力で把握しながら、心理学と社会学を作りなさい。
イメージと概念は、無数の認識の積み重ねとなって、集積された言葉のデータベースとなる。
夢を信じなさい。
あらゆる全ての文章をネットで読み、Wikiを編集しなさい。
言葉づかいで分かりなさい。
全てのやることを想定した。
全ての場所と経験を想定した。
段階的な変化を辿った。
芸術や環境、社会を科学的に捉えて考えた。
考えるためには、説明として、それを別の言葉で考えることだ。
社会の裏の理由を全て分かり、自分の世界を全て与えなさい。
Linuxを中心に分かって、そこから科学の世界を分かりなさい。
常に冷静で、理性的でありなさい。
むしろ、日本の方が良い。他の地域は全部悲惨だ。
キリスト教とイスラム教が戦っている。宗教戦争だ。
社会主義と自由主義が戦っている。冷戦だ。
あとは、タリバンやギャングが多い。
何もない世界が多い。
アフリカやアジアは、自由のせいで、小学校すらない。
キリスト教地域は、悲惨だ。
日本の方が良い。日本には、漫画やアニメしかないが、良い人間が多い。
誰も悪いことをしない。革命や戦争は起きない、平和な国だ。
東京は賢い。本当にあらゆる面から全てある。
それに、儲かっている。金がある。
広島は楽な地域になった。自由は無いが、その点、良い世界だ。
最近は、歩き回る人間が、恐怖と世界と戦っているだけだ。
人種差別、社会主義、神が嫌いなのに、そういうものになって辛いだけだ。
日本には、海もあり、山もある。
周りが海に囲まれているために、独自の大和民族が生まれ、独自の文化を作った。
周りが海に囲まれているために、領土問題が起きず、平和な国になった。
鎖国したり、開国したりした。
春夏秋冬という四季がある。
最近は、あまり他の国を攻めて、領土にしようとは思っていない。
日本には、軍隊が無い。戦争をしない約束をしている。
若者は兵隊に徴兵されない。
だから、無駄死にをすることが無い。
また、自分の意思に反して人を殺すことも無い。
勤勉で、粘り強い国民性がある。一所懸命やるべきことをする。
そういうところから、日本人は、技術力を高くすることが出来た。
手を抜かないで、優秀な製品を作って、世界から信頼されている。
何かをする時に必要になる、考え方の基礎が分かっていない。
あるところを、全部分かれば良い。
英語をするために、何をする必要があるか?
試験を受かるために、何をする必要があるか?
英語は、英会話教室で話すと同時に、単語を覚えることだ。
試験は、計画的に教科書を覚えることだ。
人間は、楽しみながら、こういう風にやるのだなあと思ってやると良い。
人間は、馬鹿の方が賢い。馬鹿はきちんと賢い。賢い人間は、賢くない。
賢くなるのは、同時に馬鹿になっている。
また、楽しむだけではなく、人に教えることだ。
それに、覚えたことを忘れるのはもったいない。習った後に、復習すると良い。
英会話教室の賢い点は、基本の言い回しやフレーズも多いが、具体的な例と単語が多い。
何故、地球はこんなにも生命が多いのだろうか?
本当は、生命は全部繋がっていて、全員で生きているのかもしれない。
地球は、何を考えているのだろうか?
しかし、科学は、それぞれを自由、ということにして、競争原理の弱肉強食としている。
本当にそうだろうか?
例えば、遺伝子や食物連鎖は、環境とともに生きていて、皆で1つなのではないだろうか?
科学的な考え方と方法に、限界があるだろうか?
おそらく、無くは無い。科学にも、限界があるだろう。
しかし、本当にそう言えるだろうか?
それは、本当の大学の物理学を知らなければ、分からない。
物理学は、きちんと考える。
おそらく、その理論と仮説に、限界は無いし、考え方も正しい。
しかし、科学で分からない、とすることで、自分で分かることは出来るかもしれない。
沢山の考え方や積み重ねを、専門の領域を横断して作り上げることで、哲学的に分かることは、出来るかもしれないのだ。
物理学は、諸悪の根源だ。
しかし、物理学は、人間の魂の結晶だ。
宗教は、全てを腐らせる麻薬だ。
だが、宗教はあまりおかしくは無い。
イエスやマホメットを神にすることで、皆が統一されるのだ。
全ては、肯定と否定だ。
全ては、認識と記憶だ。
全ては、自由と平等だ。
全ては、支配と解放だ。
全ては、融和と分裂だ。
あまり、否定しすぎるのもおかしい。
時に、肯定しなければ、分からないこともある。
それは、普通、全ての悪いものを否定したところを開始地点として、徐々に1つ1つ知性をつけるために、1つ1つ肯定していく。
その上で、また全てを否定して、そこから、また違う方法で1つ1つ肯定していく。
そのように生きているのが、人間だ。
運命とは、時に宗教だが、時に自然であり、論理的である。
運命とは、全てを矛盾なく論理的に考える手段だ。
しかし、時にそういう「論理的に」分かる方法は、間違っている。
論理なく、絶対的に単純に分かることでしか、分からないこともある。
創造性は、時に自由だが、自由とは、時に模倣をするだけだ。
理性と高度な能力が無ければ、創造性はただのパクリ合戦によって、消滅してしまう。
人間の自由な理性を守ることによってのみ、創造性のある環境が存在できる。
本当の正しさとは何だろうか?
宗教による絶対性も、科学による再現性も、本当の正しさとは言い難い。
本当の正しさとは、感情でも理性でも、分かることが出来ない、究極的な論理性だ。
それは、おそらく、数では分からない。
文章でも分からない。人間は、正しさを知ることが出来ないのだろうか?
しかしながら、ある程度の正しさで、正しいと思うことは出来る。
例えば、人間は皆同じか?
それは、人間は、ある程度皆同じだ。
そうすると、違うとも同じとも言うことが出来る。
そのように、相対的な「基準」として、正しさをある一定に保つことが出来る。
想像力は、理性だけでつくものではない。
経験や体験、感情と具体的な理性によって培われるものだ。
しかし、想像力では、何も分からない。
論理的な考え方とともに使うことで、おそらく色んな事が分かるのが、想像力だ。
認識は、記憶からつくものだ。
何かを何かと思い、覚えることで、人間は賢くなる。
一度その認識を、社会や工学を知ることで、ある程度分かってしまえば、過去の認識はそこで終わる。
また、新しい認識を作ることによって、あるいは作り直すことによって、人間は世界をまた知ることが出来る。
楽しさは、それぞれの友人などと共有されながら培われるものだ。
しかし、時に、何もかもつまらなくなることもある。
それはそれで良い。それは、何もかも、全て間違っていて、全てが違う、それが分かったということなのだ。
何故か、という疑問は大切にすべきだ。
無数の問題はあっても、人間は、自分が分かるならば、それで良い。
ありのままである自分を受け入れることだ。
その自分は、全てを創ることで、世界の全てを分かる。
その時その時に思う、疑問こそ、その世界を知るための鍵となる。
受け入れることは、自分を納得させ、満足させ、自分に対する赦しを与える。
皆を許すことによって、皆を好きになることが出来る。
問題の答えは、皆を尊重し、好きになることだ。
皆、きちんと頑張っている。自分よりも、幾らでも偉いし、賢いだろう。
皆、何も分からないどころか、自分よりも分かっている。
喜びのある世界では、人は許しあいを行う。
そのため、喜びのある世界では、生産物が幾らでも生まれる。
なぜなら、人を助けるものを作り、共有することは、自分を助けるからだ。
そのように、相手を自分と同じと思うことで、世界は発展するのだ。
科学的な世界は、1つ1つの知性を構造的に作る。
しかしながら、理由と説明の方法によって、科学はあらゆる現象を、フィルターを通して知ることが出来る。
そのフィルターは、全ての仮説と、その仮説に基づく理論や考え方の体系によって、新しい常識と説明を作る。
科学は、自由であり、そして平等だ。
科学と運命は、果たして矛盾するのだろうか?
神から与えられる運命などなくても、日常に運命的な現象は多い。
しかし、科学は、そういうものは、起きないとする。
科学は間違っていない。
愛情と自然のある世界では、人は恋愛しながら、自分を相手に与えると同時に、相手を所有する。
それは、自然な欲求を満たしながら、同時に、その人間を心から許すことが出来る。
それは、恋愛だけに見られる現象だろうか?
そうではない。
友情や一般的な関わり合いなど、全てに見られる、「自分を与えたい」欲求だ。
自由のある世界観の元においては、全ては理由づけて説明出来る。
なぜなら、悪いことをするのは自由の無いせいだ、ということになる。
しかし、それはおかしい。
誰が見ても、自由が悪いために、悪いことが起きる。
それを禁止して、良いことが起きるのだ。
しかし、その論理では、人間は、自由を欲するために、悪いことを起こす。
それは、当然だろう。
そうすると、自由を与えれば、何もしない。それは当たり前だ。
だが、それは、両者同じことを言っている。
神は絶対的なものなのだろうか?
イエスの唱える教えは、本当に正しいのだろうか?
おそらく、神は、居なくても居ても変わらない。
そこに神が現れても、ただ、それで死ぬならば、現れずに死んでも同じことだ。
理性のある世界では、人間は本当にその人間を知ることが出来る。
それは、会話によってだけではなく、自分と相手を同じだと思うことから始まる。
しかし、それは、時に間違っている。
皆、本当に、そこまで違う。
賢い人間は、全く違う人間なのだ。
理性とは、時に、自分の境遇から連想し、回想して分かることだ。
自分が自由になって良くなったならば、人を自由にすべきに思えるものだ。
しかし、単純にそうはいかない。
子供が皆同じだからといって、同じように大人も同じとは限らない。
そのまま、世界を全て知ったとしても、それは、全て間違った、自分の虚像に過ぎないのだ。
創造性は、世界を自分が変え、作る、という爆発的な欲求から始まる。
そして、世界とともに生きる中で、芽生える情熱が己を高めるのだ。
その上で、きちんと分かるのが人間だ。
そのため、若い人間と共同作業すれば、きちんと良いものが出来る。
創造性とは、それ自身、挑戦だ。
自由は、独りで考える環境を与えられた上で、創造性のある対象と向き合いながら、社会と人間を知ることによってのみ、己を高める。
自由な人生を作りなさい。
皆を自由にするのも良いが、自分を自由にするのが一番良い。
能力をつけて、出来るようになると良いだろう。
自分を言わず、世界を言えば良い。
一度、世界と思った方が良い。
世界が何なのか、分かっていないだけだ。
芸術は、自由な発想によってのみ生まれる。
芸術とは、そもそも何だろうか?
自分を与えたい欲求に入るものだろうか?
それとも、個性だろうか?
あるいは、美しさだろうか?
芸術は、愛情かもしれないし、運命かもしれない。
ただ、人よりも秀でた芸術家になりたいのであれば、それなりの基礎が必要だ。
知識は、全員に平等に与えられるべきだ。
しかし、それは、自由なインターネットによって、見られる、自由な環境で与えられる。
しかし、本の方が良い。
なぜなら、本はきちんと、どの本も良く出来ている。
インターネットの無い自由があっても良いだろう。
それならば、ネットを使わなければ良い。
そういうわけで、ネットは要らない。無い方が良い。
自分、と言う発想がおかしい。
何も考えていない。
書いた文章は、自分の世界にあった、自分が分かるために築いた積み重ねを、全部書いただけだ。
科学は、全員のために知を作る。
しかし、科学は、全員を縦割りの専門分野に分ける。
それ以上考えたかった。そのために、哲学者のように自由を考えていた。
まず、無条件の愛がある。
あとは、そのまま、1つ1つ馬鹿になるだけだ。
無条件の愛を、「自由」と言って思い出す。
その上で、世界を1つ1つ自分の中に創りながら、知るだけだ。
論理性は、世界を正しく捉えられるだろうか?
「理解」や「感情」などの言葉を正しく使うことで、世界を全て捉えることは、おそらく出来るだろう。
しかし、論理で全て分かってしまえば、分からないところは、すぐに分かる。
それは、おそらく、偉大な革命家のような人間になるだろう。
あるものは、数、設計、概念だ。
あとは、その具体化に過ぎない。
認識は、作るものではなく、壊して治すものだ。
無条件の愛になってしまえば、戦い、築くことで、全て分かるようになる。
全ては、愛することだ。
その上で、全ては、戦いながら、守ることだ。
そして、そのために、全てを考えながら、1つ1つの文章を書くのだ。
教えながら人を変え、その上で、全員をそのままで良いと保ち、許すことで、世界を発展させられる。
全てを2つにして、肯定と否定とし、宣言として、全て書いたのが自分だ。
それは、おそらくツリー構造になった。
皆、恋人に愛を与えなさい。
そして、恋人の居ないものは、人を好きになりなさい。
あるものは、数字だけだ。
ランダムに4つ書いていただけだ。
見つめなおすことだ。
その上で、視野を広げて、全体を捉えれば良い。
この世界には、支配が無ければならない。
支配が無ければ、治安は無い。
支配が無ければ、強さも、豊かさもない。
2つ書くことで、分かるはずだ。
それは、既に書いたそれぞれの2つを忘れてしまえば、書ける。
世界は、昼と夜だ。
世界は、運命と自然だ。
そして、世界は、単なる自由だ。
昼とは、自由の存在する、照らされた時間だ。
夜とは、愛の存在する、暗闇に溶け込む時間だ。
運命とは、神や絶対者による支配であると同時に、段階や経緯を分け隔てるものだ。
自然とは、自由放任に任せると同時に、かけがえのない全てを構築できるものだ。
そして、単なる自由とは、愛と戦いに明け暮れることもあれば、単なる平安になることも出来る、自然と運命に任された共有世界だ。
力とは、人間に存在する、能力を全て、一言で言い表すキーワードだ。
力がある時、人は自由になり、相対的に世界を知ることが出来る。
力が無い時、人は孤独となり、後悔と反省の日々を急ぐことになる。
しかし、時に、力の無い方が、力があるものだ。
希望は、世界を見ながら、理想を目指して活動することだ。
世界の中で、沢山の経験をすることで、人は善悪を知り、理想を目指すようになる。
戦いは、それぞれの理想の戦う、争い合いだ。
それぞれ正しいようで、きちんと適所適材があると同時に、悪いだけの人間が居る。
そうしたものは、おそらく、何も出来ないだけで悪いのだ。
そうしたものは、出来るものから見れば、一番の敵だ。
世界を、広い視野で見て、悪いものを取り除くことだ。
大学は、世界を分からせている。
単純に、僕のような文章で分からせているだけだ。
こんな人間になりたくないが。
信念を全部網羅した。
自由以外に、出来るだとか、分かるだとか、いろいろあった。
それらを網羅した。
また、別に僕が支配しなければいけない理由が無い。
そういう理由で、皆に冷たく振る舞ったことが多かった。
経緯を知ることと、世界を変えることは同じだ。
それは、愛情を知ることであり、善悪を経験と方法で分かることだ。
世界には、出来る人間と、出来ない人間が居る。
出来る人間を知りながら、出来ない人間を吸収することで、全ての人間を創ることが出来る。
自由は、発想法だ。
まず、世界と関わりあいながら、トピックを知ることで、自由を知ることが出来る。
その上で、自由とは、経験だ。
経験は、可能性を生み、感情で全て知ることが出来る。
そして、自由とは、世界を変えることだ。
世界をさらにデカルト的に考えて変えることで、参加や意見、情報共有のある、多様性のある世界を創ることが出来る。
ソ連は間違っていない。
僕ほどに賢い人間が多い。
しかし、ソ連につけば悪い人間だ。
皇帝につけば、良い人間だ。
皇帝は、世界に全てを与え、実現力と統一された全員の自由を与える、ヒトラーだ。
自分の分かったことを、ヒトラーに与えるべきである。
神は、分かること、分からないこと、何でもかんでも自分に教える。
ドイツに話す僕に対して、神が色んなものになって話す。
それこそ、簡単なことを言っているのに分からない。
そういう色んなものが怖かった。
ソ連やヒトラーに見える。
想像力が怖いものに変わるのが多かった。
「分かる力」だけを残して、その力だけで全て分かっている。
責任を持って統治するのが出来るか不安なために、数字を信じたりした。
意見は、全て世界の全員に話している。
想像力で全て分かっている。
一度、全部思い出した。
心の声に変わって、全て神になった。
恐怖の中、世界に全てを教え、宣言し、世界と宇宙を決めて、神として世界を創造した。
ユダヤ人や宇宙人、ドイツ人や黒人と話した。
その上で、1人1人の個人が色んなことを分かった。
その中で、僕は世界を解放し、宣言で全てを成り立たせて、三行の文章から国家を作った。
社会主義や自由の国家を無数に作った。
完全な「自由」を全てのパターンで創りたかった。
永遠の戦いがそこにあった。
あるものが分かっていない。
ただ、この現実世界があるだけだ。
あるものは、日本語だけだ。
ツリー構造や肯定と否定だけで分かる。
概念と本質で全て分かる。
昔、デカルト的に分かるように分かっただけだ。
2つにしたのは、世界を全ての側面から、次元的に分かったからだ。
あるものは、個性と概念だ。
個性とは、それぞれの具体性だ。
概念とは、それぞれの抽象性だ。
個別と一般だ。他に何もない。
同時に言えることは、そういうものが多い。
普遍と場合、など。
知と理解が全てだ。
構築と破壊が全てだ。
皆が良く暮らせることが重要だ。
理解は、共有可能だ。
全ての知は、共有可能であるべきだ。
その上で、再利用可能で、集積可能であるべきだ。
あるべき考え方は、まず、互いに同じであることと、互いに違うものであることだ。
また、その上で、集団と個人があるだろう。
その上で、世界観と経験と記憶がある。
その言葉だけで分かっても良い。
運命は、自分を2つに分けることから生まれた。
それは、男と女になって、カップルとなった。
知恵は、皆の全てだ。
それぞれの人間が持つ知恵は、全て包括して知ることが出来る。
永遠は、また同じように訪れてしまえばいい。
ただ、記憶だけが無くなった。
思い出しながら永遠を生きるだけで、全て説明できる。
物理学は、世界の全てだ。
工学は、応用の全てだ。
世界史と政治経済は、あらゆる知と考え方だ。
数学は、理性の全てだ。
地球には、場所がある。
それぞれの場所が自然に実現可能であると同時に、それぞれの生活がネットで繋がることで、自然な自由が実現する。
しかし、ネットは悪い。それぞれの自然な世界を、悪いものが支配し、統制され、自由と自然が自由と自然によって無くなってしまう。
自然は、自由であるとともに、破壊だ。
しかし、創造性を使った考え方は出来る。
それぞれの世界を知りながら、1つの情報をページにまとめることで、その世界を全て分かることが出来る。
Wikiなどで実現できる。
つまり、ものには、良い面と悪い面がある。
それを正しく理解して使うことが必要だ。
独立と反併合を自由で平和だと言うが、自由はいつ戦争になるか分からない。
併合する大帝国が、平和を生むかもしれないのである。
ただ、それは、ただ戦争がしたいだけの人間が言う。
あなたは、自由でなく、普通であってほしい。
自由などになっても、ただLinuxのようになるだけだ。
そして、あなたには、新しいことを最初からやってほしい。
しかしながら、そこには、困難が多いはずだ。
その困難は、戦いながら努力することで克服できる。
必ず、何かになるだろう。
考えるべき点を全部考えただけだ。
あるものは、明らかに、設計と概念だ。
時に、自然に遺伝子がある。
設計は、単純に、機械の全てを決めている。
ただ、概念的に考えれば良く分かる。
音を出す機械や、映像を映す機械、言葉を読ませる機械、などしかない。
概念とは、それぞれの分野であると同時に、最も基本的な分類である。
それは、体験しながら考えることで、きちんと考えられるだろう。
時計とは、ただ書く時間を良い時間だけに絞り込んだだけだ。
別の時間に書けば治る。
後は、良い時間を良い時間と思っただけだ。
売られるものは、機械や食事以外に、医療品や本、衣服などがある。
基本的にあるものは、自由、概念、言語、物理法則だ。
基本的にあるものは、数値と言葉と意味だ。
数値とは、全てのその状態を保持し、その上で、全てのその法則を決めるものだ。
言葉とは、人間の理性の全てであり、認識だ。
意味とは、自然な認識の下で、考えられる全てだ。
あとは、相手に教えながら、その相手を元に戻すだけだ。
それで書けただけだ。
意味とは、愛だ。
しかし、意味とは、戦いと勝利だ。
愛とは、自然な欲求を許す、本能だ。
戦いとは、自分を自己的に決める、理性だ。
それは、時に逆だ。
愛が理性となり、戦いが本能となることもある。
自由とは、自然な支配だ。
しかし、自由とは、本質的に、平等な解放だ。
皆の自由を信じて、独りだけの支配を否定する、皆の平等な自由が自由だ。
自由では、人間は、皆同じと考える。
しかし、時に、自由は戦う。
その中で、自由な国家の競争は、差別を生む。
そうしたものは、平等な自由が否定する。
全ての可能性を包括しても、馬鹿にしかならないのが、自由だ。
アメリカは、自由で賢いのは、当たり前に勝者だからだ。
格差は、人間を支配させる、統率であり、悪である。
階級社会は、強くなる。しかしながら、同時に、スラムを生む。
自由は、ネットでスラムが多く見られるように、最悪だ。
しかしながら、日本は自由で勝利し、皆が豊かになった国だ。
どこにもスラムは無いし、タリバンのような武装組織は居ない。
自由で良い国になったために、自由が良く見える。
しかし、自由だけで栄えたりはしないのだ。
この世界にある正しさは、人間に依存するものであってはならない。
人間がどう変わっても、普遍的に正しいものでなければならない。
また、宇宙や物理世界に依存しても間違っている。
宇宙など、いつ変わるか分からないからだ。
知恵とは、全ての文章だ。
スクールカーストや人種差別を真面目に考えることで、世界は分かる。
しかし、あまりに悪いものが好きになると、クズになる。
それは、完全な統率によって治る。
全部認識で覚えていただけだ。
それを書いただけだ。
すぐに分かるようになった。
あとは、運命を作ったのが間違っている。
運命を消した方が良い。
あとは、悪いだけだ。
全世界の支配者となって、全てを創っていた。
ロボットが嫌いになった。
そういうものが一番怖いから、それが怖いだけで分かる。
また、言うことが、最初から正しい。
知恵の交換が良かっただけだ。
抽象的かつメタ的に、モデルを作って考えると分かる。
それで、それぞれを自由と思っただけだ。
そういう自由を書いている。
それは、時に目線である。
世界を支配して、変えながら、皆に知性を与えていた。
ただ、同時に、皆の知性を奪っていた。
あらゆる可能性を、その時その時考えて、最後に元に戻す。
知性は、消え去っても作ろうと思えば作れるものだ。
自分を見つめ直す努力を行うことだ。
自由な世界では、愛情と意識の高まりがある。
しかし、同時にそこでは、死が存在する。
そのような考え方は、やめた方が良い。
また、宗教のある世界では、何も分からない。
運命的なことが起こるわけないのに、そういう風になるのは、何故だろうか?
それは、おそらく、その先に全てが待っているのが、分かるからだ。
知性を失ったようで、知性は全て残っている。
馬鹿になって行うのは、それが一番出来るからだ。
忘れなさい。
分かるためには、全てを忘れた上で、認識で自由に考えるしかない。
そして、変化を全て辿って書くことで、自然に次の1つが分かるようになった。
そして、あらゆる面から自由を考えただけだ。
まず、理想があり、その上で、経緯を知り、社会を空想しながら、世界と関わり、社会への影響力を持って、自由を信じることになった。
全て、虚構のようなものだ。
何故馬鹿なのだろうか?
後は、昔を全て経緯として残しただけだ。
何故知るのだろうか?
それは、自分で全て創るためだ。
何故愛と自由なのだろうか?
それは、運命を愛するためだ。
自然な地球では、あらゆる本来の精神が存在する。
本来の精神では、神が居て、全ての前世がある。
自分は、日本人の自分であると同時に、アメリカ人やフランス人の自分なのだ。
それは、思考となって、知性に残る。
思うことを全部書いていただけだ。
何故、自由とは、愛なのだろうか?
何故、自由とは、死なのだろうか?
そして、何故、自由とは、勝ち負けなのだろうか?
それは、単純に、人間が動物と同じだからだ。
精神を記録していただけだ。
精神とは、自分を全てのものにしながら、全てを治していただけだ。
その上で、全ての精神を作った。
後は、下がりながら助言した。
助言は、全員を救い、全員を解決した。
後は、間違った終わり方をした。
数字に適応することで、間違った人間になった。
全部正しい推論をすれば分かる。
例えば、自由とは本来誰のものか?
国民のものであると同時に、支配者のものである。
それこそ、全員のものだ。
それから、愛とは何を持って愛か?
それはおそらく、愛されたいと願うことだ。
こちらが要らないから、こちらが消える。
昔に戻れば分かる。あちらだけにすれば良い。
内容は昔だが、書き方は最近だ。
最近は、全てを書く、支配者の革命家だ。