作業所でやっている馬の世話と牧場の入門です。農業入門や料理・家事も参照してください。
理科に詳しい父親の話を参考にしています。
昔の日本では、畑を耕したり、ものをたくさん車に積んで運ぶためには、農業機械や自動車のような機械はありませんでした。
そういう場合、活躍するのは決まって動物です。牛や馬などの動物が、農家や社会にとって大切な「動力源」だったのです。
牛は、農地で畑を耕すための動力源として使いました。
馬は、馬車にものをたくさん積んだり、人が乗ったりして、たくさんのものを乗せて移動したり、あるいは時間的に速く移動するために使いました。
騎馬民族などは、馬に乗って集団で移動したり、素早い動きで敵の軍勢と戦ったりしました。
農家や百姓は、農業をするための畑を持つ(あるいは地主などから小作人として借りる)ことで畑を耕しながら、馬小屋や牛小屋を必ず持っていて、馬や牛と一緒に人間が生活していました。
水田を耕すのは、普通の畑に比べて大変です。
普通の畑は、クワやスキを使って少し土を掘りあげれば耕すことができますが、水田はそうはいきません。
水田は、水を溜めるために水の底に水はけの悪い粘土質の土があり、これを耕すためにはとても多くの力が必要となります。
なので、農家は、牛や馬を使います。牛や馬が居なければ、田んぼを耕すことは困難を極めます。
農家は、牛や馬を大切にします。自分たちの食料が少なくとも、牛や馬にきちんと食べさせます。牛や馬が動かなければ、水田を耕すことができなくなってしまうのです。
牛や馬に食べさせる家畜の餌として、牛には稲わらを食べさせ、馬には牧草を食べさせました。
最近の酪農家では、牛は牛乳や牛肉の味をよくするために、稲わらだけではなく専用の臭みのない牧草も与えます。餌を変えることで、牛の味が変わります。牧草を丸めてロールのようにして与えます。
また、牛や馬がうんちをした場合は、それを捨てるのではなく、大切にとっておいて、集めて畑の肥料にしました。
牛の糞(牛糞)や馬の糞(馬糞)は、畑の作物の育ちや量や大きさをよくするための、農家の大切な「宝物」だったのです。
また、江戸時代の水運業者などは、農家から野菜や果物を買って帆掛け船に積んだのち、市場に野菜や果物を届けて売ります。江戸時代の城下町では、決まって市場が開かれており、5日に市を行うのを五日市、10日に市を行うのを十日市と言いました(他にも20日に行ったりする場合もある)。市場で野菜を買うのは、一般の市民ではなく、城下町で八百屋などを開いている店主でした。
そして、水運業者は何も持たずに帰るわけではありません。行きに野菜を運んだら、帰りはあらかじめ決められている肥溜めの肥桶を担いで船に乗せ、肥を持って帰るのです。肥とは、要するに糞尿のことです。人間の糞尿は畑の肥料になります。当時のトイレは水洗式ではなく、人間の出した糞尿は便所に溜まって肥溜めに溜められていました。
このように、牛や馬や人間の糞は畑にとって肥料になります。「完全なリサイクル社会」を昔の農家は行っていたのです。
注意すべき点として、江戸時代以前の農家は、年貢としてコメを武士などに徴収されるため、白いご飯を食べることはあまりなく、市に出されるのもコメではなく野菜が中心でした。
交通も参照のこと。
僕がデザインの仕事をしている作業所は福祉施設であり、主に軽作業、デザイン、そして牧場の仕事があります。
牧場とは、馬の世話の仕事です。
僕の作業所には、2匹のポニーを飼っています。このポニーに餌となる干し草をやり、ブラッシングし、糞を掃除し、散歩に連れていくのが主な仕事です。
僕も、デザインの仕事とは別に、馬の世話をしたり、一緒に散歩に行った経験があります。馬は温厚で、時々噛んだりすることもありますが、人間には基本的に危害を加えません。とても人間好きで、とても可愛いです。
2017-10-09より。
作業所では、ポニーを2頭飼っています。
一方は白くて大人しい大きな馬、もう一方は茶色くて活発な小さな馬です。
馬小屋には、2頭がいくらか自由に動けるスペースがあります。
まず、餌やりです。ほぐした草をたらいに入れて与えます。
餌を馬が食べている間に、糞を始末します。
そして、馬の毛をブラッシングします。ブラッシングしている間に、馬小屋をホースの水で綺麗にします。
午後は、馬を繋いで散歩に連れて行きます。
子供たちを馬に乗せたりするホースセラピーもやっています。
馬の世話は大変なようで、本当は毎日やることが全く同じで、楽です。
餌やり、糞取り、水やり、掃除、ブラッシング、散歩、毎日同じことを繰り返し、繰り返し行います。
残念ながら、僕の通っている作業所から、馬が居なくなりました。
具体的な理由は知りませんが、僕の通っている二頭のポニーは、別の牧場に引っ越しすることになりました。
残念ですが、居なくなる時にはニンジンをみんなであげてお別れ会をしました。また、後日、みんなで新しい牧場にレクとして赴き、みんなで新しい牧場の様子も確認しました。
僕は、何度かこの二頭のポニーの世話をしたことがあります。散歩に行ったことも何度かあります。なので、少しばかりしんみりした気分になりました。
ロバとポニーは耳の向きが違う。
ロバは砂漠を横断するために作られたラクダと同様の馬で、ポニーは炭鉱のトンネルの中で荷物を運ぶために作られた足の短い馬。
(作業所のスタッフに教えてもらいました。)
ラクダについては中東のページを参照のこと。
馬や猫を見ていて分かることは、「動物にも人間と同じような心がある」ということです。
人間と全く同じではありませんが、動物にも優しさや慈愛を感じる「心」があることが分かります。
また、人間は動物の形態の1つにすぎません。人間はただの動物です。動物であるからこそ、自分勝手にもなるし、全てのことを考えて行動することはできません。
人間は、不出来で出来損ないの、動物の1つに過ぎないのです。神のような完璧な動物は存在せず、生物には永遠の存在も存在しません。全てが間違いで、その間違いをその都度正して生きるしかないのです。
動物学も参照のこと。
料理・家事も参照のこと。
農業入門も参照のこと。
動物園も参照のこと。