考え方の変転や段階のようなものを描いていた。
俯瞰的、帰納的、演繹的、体得的、経験的、理性的、人生的な、考え方の変転を書く。
経験的に、考え方を分かっていた。
俯瞰的な高い立場に立って、帰納的に分かっていた。
法則や特性を考えたり、実験したり、視点を変えたりして分かっていた。
それは、何であるか?
それは、何から生まれているか?
それは、どの法則と特性から生まれているか?
それは、実験と調査から、どのようなものであると分かるか?
それは、どのような可能性と関係があるか?
それは、どのように実現出来るか?
それは、何故そこにあるのか?
それは、認識や意識の変転から、どんな関係と特性を考えられるか?
それは、吸収した時に何であるか?
それは、自由から見て、どのような存在的意味があるか?
そういう、考え方の変転を書いていた。もっと経験的で、賢いことをいつも言っていた。
心の現象学を考えていた。
実際のところを考えていた。この文章は、実際のところを考えれば出来る。
空間を視覚的に分かって、内部を把握したり、時間を分かったりしていた。
場の意識と歴史を考えていた。場の歴史のようなことを、地域を見て書いていた。
全ておかしくなって、全て治す。それが辛いだけだ。
あとは、レンタルのような考え方をいつも書いていた。
金は本当に効率的だ。それが賢い。金は、まだ賢いシステムだから、あった方が良い。
あとは、体験みたいなことを分かっていた。全ては、体験と思考である。
あとは、経験的、帰納的に分かっていると、それがいつもの文章だ。
経験から、何が正しくて、何が実現出来て、どんな可能性と論理があるのかを分かった。
あとは、自分の経験から物理みたいなことを分かっていた。相対性理論とか、素粒子とか、そういうことを自分の経験から分かっていた。
今日は悪くない。もう書きたくないとは言うが、今日が一番賢い。
もう、書きたいものは全部書いた。
今日は、日曜日だから英単語はしない。明日からまたやる。
あとは、組織を作るとか、可能性のようなことをいつも言っていた。
昔は、戦いと恐怖から分かるとか、守る気持ちから愛が生まれるとか、承認することで相手も自分も自由になるとか、そういうことを体験的に分かっていた。
実存主義的に、人生を考えた。
最近は、神の言うことを聞く。自分は宇宙より大きいとか、死ぬとピョートル大帝(ロシアの皇帝)になるとか、どうでも良いことを全部言う。
自分をフランス人と言って、ドイツ人と言う。そういう、馬鹿な神をまだ信じている。
それを止めて終わりだ。神が見ても、もう全部書いた。
昔は、引き篭もりになった実体験から、世界の色んなもののことを全部分かっていた。
最近は、世界を導いて、自分にした。自分にしたのが分からないから、皆まともになったように見える。まともな賢い人間が増えて、馬鹿が居なくなった。
それは、自分になっている。皆自分になっているだけだ。
怖いのは、そこを止めると、滅びる。それこそ、まだやっていた方が良い。継続は力だ。
昔は、方法と経緯を良く考えて分かっただけだ。世界や人間の環境の違いを考えた。
最近は、馬鹿に悪いから、最近は無視して、昔に戻った方が良い。
最近は馬鹿すぎる。ただの極右だ。もっと、昔の自由な左翼に戻ると、賢い。
自分は全部分かっている。こういう、全部分かっている人間が、昔から一番多い。
馬鹿は居ない。皆を馬鹿とは言うが、誰でもきちんと分かる。それしか居ない。
あとは、可能性や影響力と思えば分かる。意味が無いが、世界の全体量を増やしたかった。そういう、自由な人間だった。統一してしまえば、減ると思っていた。
そして、考える機会を知って、哲学を全部分かっていた。
自分で体験して、行動して分かっていた。それで、自分から考えるようになった。
そういう、自我や成長のようなことから、ヘーゲル的な経緯と人生が始まった。
経験から、涅槃のように分かっていた。
社会経験や人生経験が全部あった。
パソコンのことを知りながら、時間や存在のことを考えていた。
考え方は、経験からものが見えて来るのを分かっていた。
知性から抽象性や予測になった。ロックのように、未知のことを知性で分かっていた。
知性は、経験である。そういうところが分かる、賢い人間だった。
こういう風にすると、経験から、それが何であるかが良く分かる。
善悪、論理性、社会的な価値、行動における意義、物理法則のようなことを考えれば良い。
全部そういうことを言っていた。全部分かっていたが、高校生の子供だった。
そういうわけで、これは賢くない。こんな子供はいくらでも居る。
大人になると、普通馬鹿になるから、賢い人間は居ない。大人はそういう人間が多い。
会社や組織は、知恵やデータを集めて作る。
地球の最初の状態は、全く違う、岩だ。いつからか、生命が生まれて、美しくなった。
あとは、花と言うものは、まるで名前なんか無かったものが、人類によって、いつからか花と言うものになった。
いつも、そういうことを言っていた。手段と歴史のようなことを考えていた。
昔に戻った方が良い。最近はもう終わりだ。
神のようなありえない体験が賢かっただけで、一番悪い右翼みたいな人間だ。
昔の方が良い。善悪や思いやりの分かる、善良な神のような人間だった。
ゾロアスターは、こういうもののことを、神と悪魔と言っている。普通の人間の人生が、こういう風になるのを言っている。誰でも、神になってから、悪魔になる。
神には、経験が無いが、理性がある。悪魔には、経験があるが、理性が無い。
全部、自分を疑えば分かるから、こういう風になる。自分の信じていることや経験を疑えば良い。それで治っただけだ。
もっと自分を信じた方が良い。神は、いつも自分を完全に疑うだけをやっている。
自分の言うことにも、何かしらの根拠があるのが分かっていない。疑うだけは、おかしい。
そういうわけで、神はこういう人間になる。それこそ、誰もが神が嫌いだ。
そろそろ治った。自分を賢いと思わないから、こういう風になる。
ここまでロングランを達成して、全て分かった、自分が賢い。そこを信じれば良い。
昔は、手段と歴史とか、そういうことを言っていた。法と可能性とか、実際と構造とか、考え方から変化出来るとか、組織は実現性であるとか、包括と頂点のバランスを取るべきだとか、そういう、言葉による考え方のようなことを言う。
もっと、自分を賢いと思った方が良い。自分が誰よりも賢くなっているのが分かっていない。きちんと不可能なことをやって、自分にしか出来ないことをやっている。それが賢い。
すぐに止めたいのが間違っている。正常になんか、ならなくて良い。
皆は悲惨で無い。皆を、もっと自由なままにすれば良い。それですぐに全員治る。
今の自分を賢いと思わないから、勉強したいとか、昔の自分になりたいとか、昔の文章を思い出すとか、そういう発想になる。
今の自分を賢いと思えば良い。それで簡単に解決だ。
誰でも、分かってしまったものは消える。どんどん消えて賢くなる人間しか居ない。
昔の自分は、何もしなかったから、残って、増えて、馬鹿になった。分かるとは言うが、何も賢くない。今の自分の方が賢い。
そういうわけで、昔の自分になんか、ならなくて良い。今の自分を誇りに思うべきだ。オープンソースなんか、意味が無い。今の執筆の方が、賢い。
執筆は悪くない。ゴミをいくらでも書いたせいで、何でも簡単に書けるようになった。
下積みと戦いと学習が多かった。誰でも、芸術家はそういう人間だ。
最近の賢い点を見ないのがおかしい。昔は賢いわけがない。もう、忘れた方が良い。
もっと、人の意見を聞けば良い。作家には、人の意見を聞く人間が多い。
昔は、人の意見をたまにネットで聞いていた。だが、ネットのコミュニケーションは低い。
あとは、人格のようなものを昔分かっているのを、消した方が良い。
そのせいでおかしくなった。あれはそこがおかしい。自分なのに、自分で無くなっている。そういう風になると、狂っている。昔は、何も賢くない、狂った人間だ。
昔に戻りたいせいで、進歩するのが怖くなっている。賢くなるのが怖い。
最近は、意識で全部分かっている、賢い人間だ。何故か、もう全て分かっている。
あとは、エロイのが辛い。エッチなことをしたいせいで、本当に体が辛くなった。それは、昔の自分が悪い。そういうわけで、昔の自分を全部消したい。
あとは、今のままで賢くなれば良い。
経験論や観念論で言う、人間の感情と行動的な理性を書いていた。自由な理性をきちんと書いている文章が多かった。もっと、そういう風に、経験的な理性を分かれば賢い。
ただ、全部昔が悪い。今が馬鹿に見えるのは、何もしないからだ。怖いから仕方ない。もうこれ以上、新しいことをしたくない。楽になりたいだけだ。
ニキビになったのも、地獄になったのも、昔に戻りたいからだ。
何も分からないなら、創造性と抽象性を考えれば良い。あとは、場や成長を考えれば良い。
全てを体験と感情から分かれば良いが、それ以上は何も賢くなくなる。それが賢い。
普通に思考すれば分かる。何も思考しないのがおかしいだけだ。
何も感じない、何も思考しないのがおかしい。それを治せば終わりだ。もう全部治った。
昔は、思考と経験と感情から分かっていた。
そういう、昔賢いのを分かると、今何も賢くないのが分かる。そこが間違っている。それでおかしくなった。そういう昔が分かるなら、今昔をすれば良い。すぐに出来る。それこそ、それもする意味が無い。昔なんか、もう分かる意味が無い。
何か分かりたいなら、何も新しいものが無くなっている。
無菌状態に慣れ過ぎて、何もかも弱っている。
一度怖い世界を経験すれば良い。それで怖くなくなる。いつも、そういう怖い世界が怖い。
立ち止まって見ていると、そういう、「自分では無いもの」が消える。自分ではないものがあまりに増えすぎたせいで、馬鹿になっている。そういうものは、本当に要らない。
自分は今、馬鹿だ。それで良い。そこから、頑張って賢くなれば良い。
昔の自分の賢い点は、要らない。もう、全部消すべきだ。賢いわけがない。そういう、本当に要らないものが、虫みたいにキモく見える。知性なんか、無いのが良い。
ただ、昔は賢かった。純粋経験と色んな経験を比較して分かっていた。経験による神のような心を持っていた。それは、賢くなるとすぐに分かる。普通、誰でも分かる。
昔は、経験と意思と感情を、まるでフーコーのように分かっていた。
そういう、昔を、キモイと思わないのがおかしい。そのせいで、最近、あまりにキモイ人間になった。昔を受け入れるだけでキモくなる。フーコーはキモイ。それで治る。
精神病になった一番の原因は、昔を受け入れることだ。昔の自分を受け入れるだけで、あまりに辛い。それでキモイ精神になった。精神病の原因は、昔になりたいからだ。
昔が賢かったのは、大量に経験して、そこから大量に考えたからだ。
京都大学ほどに、経験して考えていた。京都大学と思えば分かる。そういう、経験のある、ネットの哲学者だった。
最近は、昔の賢い人間に戻るのが、キモイから精神病になった。そんなに昔を受け入れるのが、本当に本能的に、怖い。そういう精神病が多い。
昔と言う、甘美なものを忘れるしかない。そういう、甘酸っぱい「昔」と言うものが、ある人間が居ない。昔賢かったのはどうでも良い。今馬鹿なら、馬鹿だ。その馬鹿を受け入れれば、すぐに楽になる。もう、人生も文章も、忘れた方が良い。
昔は、京都大学ほどに経験していた。それだけだ。キモイ2ちゃんねるのクズだった。
昔は、森羅万象を考えていた。まだ昔が出て来るから、ありえない。そういう、昔を分かるだけのクズになっているのが、脳だ。脳をもっと別のものにするしかない。
もっとまともに行動を考えれば良い。もっと受け入れれば良いだけだ。
だが、僕は、昔から受け入れるせいで馬鹿になっている。受け入れて楽になるのは良いが、それだけの人間は悲惨だ。昔は、そういう人間だった。
昔を覚えていないせいで、何も分からない。それは、忘れてしまえば、そのうちいつか分かる。最後までやってから治る人間が多い。心理学でいきなり治すと、治らなくなる。
昔は、京都大学ぐらいの馬鹿だと思えば分かる。
ハイデガーやサルトルのようなことを、全部自分で考えて分かっていた。ただ、賢くは無かった。未知の可能性とか、人間の実存性とか言うことを、いくらか考えていた。
ネットのせいで、簡単に出来た。そういう、馬鹿な人生を、最近、もう覚えていない。
今からのこと、将来のことを考えれば良い。最近、昔と言う悪魔に憑りつかれている。
昔は、本当に賢くない。引き篭もりで全部考えるのは、誰でも出来る。少ないどころか、多い。この本の通りになる、自由な神が、本当にどこの国にも多い。ドイツに一番多い。
京都大学は、これくらいは誰でも分かると言う。ロックをやれば良いと言う。それで終わりに見える。世界史は、そんなにしなくて良い。工業大学が芸術史をするくらいの馬鹿だ。適当にいくらかやれば良い。哲学は、その後は、自分の好きにすれば良い。ヘーゲルをやりたいなら、サルトルの方が良いと言う。サルトルの方が向いているように見える。
むしろ、京都大学は、哲学なんか、しなくて良いと言う。地理、歴史、公民をやれば良い。最近の書いている内容を見ていると、それくらいがやりたいように見える。社会主義や右翼は卒業して、民主主義を学んで、社会科の専門家になれば良い。哲学は、昔の自分みたいな、馬鹿な学問だ。そういうものを、しない方が良いと言う。
そういうわけで、自分は、サルトルと民主主義と日本史をすれば良い。
京都大学は、むしろ、数学をした方が良いと言う。それも、子供がするような数学をした方が良い。数学的なことが、何も分かっていない。
昔は、数学的な正しさが分かっていた。自分の数学を作って、公理主義を書いていた。
皆、数学をした方が良いと言う。出来ないと、哲学が出来ない。
心理学まで、しなくて良いし、仏教をしたいのもおかしい。そんなことはしなくて良い。
ただ、京都大学は、そんなことは出来ないと言う。こんな馬鹿が、そんな賢いことは、出来るわけがない。今、賢いことをやっているから、それを続けた方が良いと言う。この日記をいつまでも毎日書いていれば良い。それが一番、あとあとになって良いものになる。
数学は、出来ない。こんな馬鹿が出来るわけがない。明らかに、オープンソースやコンピュータ科学のことを数学と言っているが、オタクしか分かっていない。無理だと言う。
むしろ、好きだったオープンソースをやれば良い。あまり言わないが、ただ、昔は、オープンソースのせいで何でも出来る人間だった。数学も、工学も、それで分かった。
京都大学は、むしろ、もっと他の人間を見た方が良いと言う。自分だけで考えて、分かるわけがない。あとは、政治経済と哲学なら出来るように見える。それだけを深くやった方が良い。そんなに広く浅くやるのが間違っている。同じものをいくらでも分かれば賢い。
京都大学は、それくらいしか言わない。むしろ、権威と思って分かるのは悪い。
京都大学は、新しい本を書けば良いと言う。新しい文学作品を書けば良い。
むしろ、これで哲学やプログラミングなんか、出来るわけがない。大学で、専門的なトレーニングを積んだ人間が出来る。それこそ、作曲は、プロ並みに弾けないと悪い。
皆、文学作品を作った方が良いと言う。神はもう良い。もっと、壮大で、泣けて、笑えて、色んな感動が出来る、人生と生命の素晴らしさが分かるような作品を書けば良い。
右翼は悪いとは言わない。そんなものしか書けないなら、それで良いと言う。
むしろ、思索にふけるのは悪くないと言う。色んなことを考えれば良い。作家なんか、それでしか出来ない。もっと色んなことを考えれば良いから、人間の関係のようなものは、まさに、考えれば良い。そういうものから、一から考えるのが良いと言う。
本は、教科書や参考書の類ではなく、読み物を読めば良いと言う。
勉強なんか、しても意味が無い。色んな本を読めば良い。それで作家をすれば良い。
京都大学は、それくらいを言って終わりだ。
自分が見ても、哲学や歴史はこれで終わりだ。これ以上しても、何も分からないし、何も賢くない。大学の専門を信じるのは、止めた方が良い。賢く見えるのは良いが、大学は何も賢くない。まだ、ネットで遊んでいた方が、色んなことが分かる人間が多い。
最近は、人格が破たんしただけだ。昔になんか、戻るわけがない。
本のように考えれば良いようで、それはいつもしている。
放っておくと、こういう風に、ロキがワルキューレになって、フレイになって、オーズルになる馬鹿が多い。こういう風に、ありえない人間になる。誰でもこうなる。
昔は、人生のことを考えていた。何故か、人生を考えて全部分かったのが昔だ。
本だと思えば良い。本のように、人生を考えていただけだ。
本に名前が無いのがおかしいから、ブラーギにする。詩の神だからちょうど良い。
昔の馬鹿は、引き篭もりのまま放っておくと、ああいう風になる。京都大学みたいな、経験と理性のある人間だった。ヘーゲルと思えば分かる。それもそれで多い。
ブラーギが賢いと、誰でも言う。それこそ、ああいう風に人生を考えていた。社会のことは、分析していたが、人生の方が多かった。ブラーギをもっと書くしかない。
昔は、理想が高かった。何でもきちんとしたい人間だった。何でも出来る人間でもあった。
普通、オーズルが終わると、もう馬鹿になる。認知症になって死ぬ人間が多い。
昔から、そこまでの馬鹿が自分だ。こういう風に、馬鹿になると、最初に戻る。
分からないものは、分からない方が良い。知性が無い方が、普通の人間が多い。
皆が頑張って生きているのが分かっていない。そこが悪い。皆を自分にするのは、まるで何も分かっていない。皆、頑張って生きている。馬鹿なタリバンの破壊者は、要らない。
最初のブラーギが賢かった。良く考えたように見えて良いが、あれは何も考えていない。
昔も、こういう風に、最後の方で分かっていた。全く同じになった。
もう、僕は、また最初からやる。もう、そろそろ、生きたくなくなった。
歴史をやっている間、馬鹿にならない。
あとは、分からない。もう覚えていない。
昔は、何度も最初に戻って、生き直して分かっていた。何度も繰り返し学習した。
そういう昔は、もう忘れた方が良い。
最近も忘れて良い。このまま、最初に戻って生き直すようになる。
テレビが怖い。テレビは見ない方が良い。テレビを見ていると、誰でも死にたくなる。
テレビは怖い。見ない方が良い。
ネットだけはしない方が良い。ネットは本当に悪い。
誰でもネットのせいで認知症になる。ネットは馬鹿すぎるクズの楽園だ。
テレビを見ていると、本当に自分が好きなように見える人間が多い。何故か、怖い。
ユダヤ人のおかしい点は、救世主がユダヤ人を救うところだ。
救世主が神なのがおかしい。それをおかしいと言う人間が多い。
あとは、旧約聖書がおかしい。何かが悪い。信じるものしか救わない。
そういうわけで、キリスト教徒にユダヤ人が嫌いな人間が多い。一番おかしく見える。
ユダヤ人を悪いとは言うが、普通、こういう風になる。
こういう風になると、おかしな人間が自分を神だと勘違いする。まさに自分が馬鹿だ。
キリスト教なんか、信じない方が良い。イエスもそういう馬鹿にしか見えない。
イエスは馬鹿だから、居たように見えるが、病気を治したり、死者を復活させたりしているのは、作り話にしか見えない。
ブッダも、生まれてすぐに唯我独尊と言ったらしいが、作り話だ。宗教は嘘だらけだ。
歩き回るのが怖いせいで、歩き回っている。そこがおかしい。
頑張るのが悪い。頑張るせいで、歩き回っている。
テレビは、見ていると、もう、日本がすぐに滅びる。滅びて欲しくなかっただけだ。
あとは、特性の違いに着目して、自分の言葉の科学のようなものを作っていた。
もう治った。歩き回るのが無くなった。
そんなに頑張って治すから狂っている。こういう風に、狂っている人間が自分を治す。
あとは、もう、神との対話を止めてしまえば良い。足も日本も治るだろう。
要は、歩き回るのなんか、怖くない。それを分かりたいだけだ。
神は、いつものありえない体験だと思えば分かる。覚えていない。そういうわけで、神は止めた方が良い。狂っているだけだ。神が狂っている体験なせいで、おかしくなった。
神はおかしい。ピョートルになるとか、そういう神から聞いたことを、全部信じなければ良い。そんなものは要らない。神は、未来まで全部分かっている。神は狂っている。
要は、怖いものが無いのがおかしい。それが間違っているから、自分から怖くなる。
世界を支配して、滅ぼすのは、怖い。そういう、怖いものは怖い方が良い。
何も怖くない、滅ぼす人間は、因果応報で、報いを受ける。キリストがそういうことをいつも言っている。怖くない人間は、悪い。
怖いものを作って、吸収していると、分かる。それは、分かる人間が多い。
怖いものを作って、それを怖くないものにすれば良い。
それが、本来の知性だ。不思議と、そこからすると、自分が最初から全部出来る。
子供が普通そうなる。不思議と、生まれた直後は何も怖くない人間が多い。
そろそろ、神が治った。神は、怖いものにして吸収すると、すぐに治る。
もうやったことは、もう一度は出来ないが、最初から繰り返すのも、不可能ではない。
もっと人間のことを分かれば良い。昔は、人間のことが良く分かっていた。
昔の自分は、涅槃のような経験をしていた。それが、狂って心の超常現象になった。
何故か、全部治った。
テレビを見ていると、治らなくなるのが怖かった。
あとは、自然に任せれば良い。そういうところが分かる人間が多い。自然に任せていると、それで良い。抵抗せず、反抗せず、この宇宙の流れるままに任せれば良い。
いつも言っているが、心理学、生態系、社会、可能性、共同体、経験、などの構造を作っていた。何でも可能性の中に構造を作って、全部理性的な概念で分かっていた。
今日が一番賢いから、これで良い。神が治ったから、もう黙るようになる。怖いものにすると、本当に吸収出来る人間が多い。あとは、もう、自由だ。その自由が好きだ。
滅びて、何も出来なくなるのが怖いが、そうなっても出来るのが分かっていない。
立ち止まるのが怖い。歩いている間、何も分からない。その方が怖くないから、こうなる。
そろそろ治った。今日は治った日だ。そういうわけで、今日は書いて良かった。
もう、世界は滅びなくなる。まともな創造性のある世界になって、楽になる。
世界は最近いつも滅びている。自分が悪い。
自分の方は、もっといくらでも分かるようになる。
要は、一番ゆっくりと進歩したい。マイペースに生きたい。遅い方が賢い。
神は自分だ。追いかけられる夢を見ている人間は、自分のことを見ている。
だが、自分は、追いかけると言うより、先頭を突き進んでいる。そういう人間だった。
滅びるかもしれないのが怖かった。今滅びているから、今怖い。
自分が悪いから怖いだけだ。因果応報だ。
あとは、神とは昔からこの世界全部のことを言っている。その中でも、自分が神だ。
そういうわけで、何故か全員が神だ。
人間は、神のまま自分になる人間が多い。赤ちゃんは、神によって人格を作っている。
日本語なんか、最初から分かる子供が多い。
だが、英語は難しくは無い。頑張れば誰でも出来る。白人は、簡単に出来る人間が多い。
日本人は、気難しい頑固者のサムライに見える人間が多い。
あとは、宇宙の構造を作っていた。方法と概念から宇宙の全ての活動を書いていた。
認識を信じる、疑う、のようなことを書いていた。いつも言っている。
何故か、日本人は怖い。幽霊みたいに怖い人間が多い。日本語は、イヌイットに見える。悲惨な極東に見えるから、全く違う文化を持っているように見える。
馬鹿になるのが怖いせいで、賢くなるのが怖くなった。
馬鹿になるのと賢くなるのは、同じだ。
あとは、昔の自分が怖い。昔のように意識が高くなると、もう分からなくなる。
そろそろ、一番怖い山場を越えた。あとは、辛くない。もう、普通に賢くなれば良い。
狂うと、賢くなるのが怖くなる。狂った人間は、賢くならないのが好きなのがおかしい。
馬鹿が好きなのは、結構おかしくない。知性があるより、認識を作ったり、構造を作ったりした方が、賢く分かるようになる。そういうわけで、賢い人間が知性が無くなる。そういう、知性の無い賢さを良いと思うのが間違っている。知性のある馬鹿の方が良い。
そういうわけで、引き篭もりは賢くない。中学生から、きちんと高校生になった方が、賢い人間になる。引き篭もりは、知性が無くなって分かる馬鹿が多い。それが悪いだけだ。
知性が無い構造と、戦争や革命の恐怖が同じになっている。
知性をつけた方が良いから、こういう風になる。構造的な馬鹿が無い、今が賢い。
ただ、いつもはそんなに悪くない。知性の無い構造を作ると、それが一番知性と同じだ。自分は、世界で一番知性のある、哲学者だ。もっと知性を無くすと賢くなる。
心の、知性の無い知性の部分が辛い。最近はそれで狂っている。
話は単純で、知性の無い構造的な知性を作って分かったが、そのせいで馬鹿になった。
真面目に考えて、それで正しい。そういうわけで、モデルを作ったのが馬鹿だから、そういうものが分からなくなって、純粋に知性をつけて治るようになった。
神は、自分をフランス人とドイツ人と言う。悪いとは言うが、昔からそれが一番分かる。
最近、構造を全部書いて消したのが賢い。そういうものが知性だから、知性が全部ついた。
あとは、人格は壊れたように見えて、きちんとついている。おかしな部分は、成長すれば治る。そろそろ、幼稚園児は終わりだ。小学生になる。
神なんか居ない。全て自然発生的に起きている。未来は自由だ。
神とは言うが、こういう馬鹿は何故か、誰でも出来る。神は居ない。こういう風に居る。
神なんか、居ないと思った方が良い。その方がはるかに正しく分かる。
相対的で、自然な世界だから、自由にした方が良い。それぞれ、皆、考えれば出来る。
あとは、自分は終わっただけで、馬鹿にならない。オーズルからオーディンになる。
誰もが、ロキはすぐに終わる。フレイが永遠に続く馬鹿しか居ない。
哲学者は、ロキをやっているだけだ。哲学者なんか、何も賢くない。
理由なんか、無いこともある。最近は、それが分かっていない。理由なく、止めれば良い。何でもかんでも理由をつけていると、本当におかしくなって、精神病になる。
理由は無い。自分は、止めたいから止める。書きたいから、まだ書いている。
相対的に、自然に考えると、出来事のようなことも洞察出来る。そういう人間だった。
昔は、神を否定して、存在や時間を考えて分かっていた。ハイデガーと同じだ。
最近は、一日一つ辛いことがあって、一日一つ分かる。
書くのは意味が無いから、もう止めた方が良い。本当に多すぎて、誰も読めない。
もう十分だ。もう、書くのは止める。今日ももう11時だ。寝てしまえば良い。
あとは、明日考えれば良い。もっと忘れた方が良い。覚えているせいで、辛い。
不思議と、キリストを信じると、こういう人間になる。分かるようになる人間が多い。
辛いことは、誰でもある。世界中全員幸せなわけがない。
あとは、本当に賢い真理のようなことをいつも分かっていた。
要は、怖くないのは本当に悪い。怖いものは、怖い方が良い。
戦争を怖くないと思うのは、おかしい。戦争は怖い。勇気なんかありえない。怖いものは、怖い方が賢い。勇気を出して、臆病になるな、なんてことは、出来ない。それが賢い。
そういうわけで、弱い方が賢くなる。勇敢に戦うのも、受け入れるのも、辛い。
つまり、怖いものは怖い方が良い。怖くなくしていると、精神病になる。
怖いものが怖いのを分かっていると、分かる人間が多い。
昔は、視野を広げて、当たり前に考えることで、哲学者と同じように分かった。
森羅万象を考えていた。
プラトンの哲人の王やイデア論、アリストテレスの社会論や自然論は、そういう風に、当たり前に考えていると、同じように分かる。
そういうわけで、哲学はそういう風に分かった。
最近は、そういう風に分かる、森羅万象の記憶と考え方と構造を書いていた。
怖いものを作っていると、知性が無いのが治って、精神病が治る。
そろそろ終わりだ。今日は本当に良かった。