あとは、色んなものを信じたり、好きになったりしながら、成長と人生の中で、色んなものを吸収して分かっていた。それが分かると出来る。
デカルトのような懐疑論は、僕はあまり好きではない。全てを疑うのはつまらない。
普遍的で実地的な皆の思考を考えて分かっていた。
思考から科学を作っていた。経験的で、帰納的で、演繹的だった。
もう、書かなくて良い。今日はピアノとユング心理学の日だ。それをやる。
少し拾い読みしたが、現実のものではなく、可能性を求めて行動する、外向的直観型、のような、タイプのようなものがある。
少ししか読んでいないし、間違っているかもしれない。ちょっと分からない。
心理学は、そういう風に分かる学問だから、あまり意味が無いところがある。
人間が何かをするのを考えれば分かる。
昔は、行動的で社会構築的な世界観と、賢い人間像を書いていた。
思考、認識、考えていることと、行動や活動の関係を考えていた。
世界を変革する認識と意識と活動の関係を考えていた。
可能性を重視して考えていた。
ロックの言うことは間違っていない。未知のものは、知性で考えるべきだ。
理由なんか無くて、ただ起きるだけのこともある。
意図して起きることもあれば、意図しないで起きるものもある。
昔は、思いやる気持ちと自分で考える力があった。その後は、勇敢に戦う気持ちと、決断力がついた。最近は、いつまでも諦めず、継続する気持ちが生まれた。
社会を滅ぼしたいのが悪い。
いつまでも同じまま、このままで良いのが分かっていない。
皆をいじめたいのが悪い。皆をいじめたいから、自分をいじめるようになった。
もっと、皆を許すこと。もっと皆のことを好きになれば良い。皆は賢い。
もっと、皆分かり合って、仲良く社会のことを決めて、生きられれば良い。右翼はそこが分かっていない。戦っても意味が無い。仲良く調和すべきだ。
宇宙とは、今居るこの場所のことで、ただの暗闇のことだ。
あとは、体験や人生のことを考えれば良い。
意図は、意図して起きることや、意図しないで起きること、何かをする際における、目的のような意識や、行為の意図、のようなことを考えていた。
ものごとが作られる時に対する、そのものへの意図を考えていた。
人生の意図のようなものをいつも考えていた。
思考と行動の関係は、いつも考えていた。思考から行動が生まれ、行動から思考が生まれる。それこそ、認識と言っても同じだ。そういう認識を書いていただけだ。
あとは、もっと色んな普通のことをすれば良い。何か、悪いことを思わないのがおかしい。悪いことや、困ったことを思っていると、それ以降は、サルトルのように考える。それで哲学者が出来る人間が多い。何も思わない人間は、馬鹿だ。何か辛いと思えば良い。
ただ、あまり辛いと思うと、その方が辛いことが多い。
それを拒否していると、馬鹿になる。もっと馬鹿なことを思った方が賢い。
サルトルとは言うが、普通に思弁哲学や環境哲学をすれば良い。人間とは言うが、可能性と思い込みを考えただけで、欲求や欲が経験から分かっていた、ぐらいの人間だった。
そういうわけで、馬鹿なことを思わないのが悪い。神との対話が悪いように見える。
昔は要らない。昔は、思考を論理的なモデルにして、経験と比較しただけで、何も思わない人間だ。だが、そんなに即決するのがおかしい。もっと良く考えて決めないのが悪い。
良く考えて思考すること。そういう風にすると、哲学者なんか誰でも出来る。
良く考えて行動し、事前に考え方を作り、基礎を作り、人の話を聞き、判断する。
そういう、良く考えて行動し、建設的に考えることを、いつも言っていた。
カントは、正しく考え、分かる方法を考えている。
もっと色んな意見を知って、会話すること。
知ったかぶりをせず、一面的にならずに、多面的な見方から考えて、色んな意見や情報を知り、色んな視点を分かること。
昔はそういうことを言っていたが、最近分かっていない。自分なんか、何も知らないし、何も分かっていない。ソクラテスの言う、無知の知だ。
最近は、病気で分かっている。こういう、病気が何になるか、決まっている人間が多い。
2ちゃんねるが治っただけだ。普通何も無いから、何も分からなくて良い。
導いて分からせるのは良いが、それが一番分からなくなる。
自由な革命で、強烈に分からせると、皆も分かる。そういうことをする人間が、自分しか居ない。神の御業とは、支配して、少しずつ分からせる、自分のことを言っている。
病気は、遺伝子だから、こういう風になる。
自分は虫から天使になる、神と悪魔の遺伝子だ。
ソクラテスも、生きることと知ることに真面目に向き合った、人生を考える偉人だ。
自分の昔とあまり変わらない。自分も、全く同じように、色んな人と話して、議論して、ソクラテスのように人生と生きることを考えて分かっていた。
最近、父親が自分と同じように分かっているから、父親の話を聞くと分かる。
これなら、昔の自分のコピーになる。クローンになりたい人間なんか居ないから、そろそろ止めた方が良い。コピー人間はキモイ。もっと、自由で、人間的な世界になってほしい。
悪いのは、ほとんど自分だが、テレビ、パソコン、学校が悪い。自分もただの神だ。
相対性理論の本を忘れていたから、英語の日、木曜日に読むことにする。
カントと類似した、同じ内容をいつも書いていた。認識を経験と言ったり、どのような、何故、のような考え方を言ったり、理性的な前提条件を考えたりしていた。
もう疲れたから、この文章は書かなくて良い。書いていると、本当に疲れる。もう止める。
見ていると、心理学は、分からない学問だ。愛人が死んだ患者の「死とは何か」と言う問いそのものには着目しないで、その問いが現れる情緒的な心の働きを考える。
そういうわけで、心理学には、分からない。死とは何か、真面目に考えようとせず、心や認識をしている、人間の思考や行動の理由を考える。そうすると、哲学が出来る。
心理学は、しないなら、しなくて良い。馬鹿になる。すると、哲学が出来るようになる。
心理学と哲学は、本当に同じだ。哲学は、普通、考えている自分の心や意志から、脳とは何か、自分は何故この問いを思うのか、それは分かり得るものか、分かり得ないものか、などと言ったことを考える。
心理学と変わらない。心理学は、それを行動や心の治療(臨床)に当てはめただけだ。
あとは、哲学的な思考をすれば良い。
意志とは何か、社会とは何か、社会には何が出来るのか、自由とは何か、どうすれば自由になるのか、平等とは何か、社会の最初には何があったのか、理想とは何か、真実はどのようにすれば分かるのか、経験とは何か、経験の先には何があるのか、意識とは何か、意識の発展はどのような経緯を辿るのか、のようなことを考える。
良く考えていると、ヘーゲルやキルケゴールのようになる。
自分の問題は、具体的なものが無い。書くせいで何も無くなった。もっと、読んだ方が良い。それも、難しい本ではなく、簡単で面白い本を読んだ方が良い。
社会には何が出来るのかは、社会に対して何が出来るのかもあるが、社会が市民に対してどのような能力を持っているか、と言ったこともある。心理学的な能力も考えられる。
社会にはどのような意味があるか、具体的にどんな社会が考えられるか、そこで考えられる普遍性とは何があるか、心や学習にはどんな意味があるか、人生的にどんな人生が考えられるか、人生の中で正しい視点と考え方を持つために何が出来るか、などが哲学だ。
もっと、そういう、哲学を考えれば良い。それできちんと分かる。
人間とは何なのか。それは、もっと色んなことを考えられる。人間は、能力だ。存在だ。可能性だ。社会の一部であり、同時に、社会を変えるものだ。合意だ。協力だ。人間は、一人では生きられない。参加し、手段を得て、実現と合意の中で、社会的に生きる。
あとは、人生を考えれば良い。何が経験で、知覚はどこから来るのか。絶望とは、意識とは、何か。経験的に見て、共同性の自覚とは何か。喪失から何が分かるのか。そういうことを、ヘーゲルのように考えれば良い。ヘーゲルには、哲学的な問いが全て含まれている。
理性をどのように活用するべきか、人間の能力の限界はどこにあるのか、など、カントのような考え方にも哲学的な思想が含まれている。カントは実践的で、ヘーゲルは経験的である。そして、ニーチェは攻撃的で、サルトルは情熱的なところがある。
また、経験論的に考えると、人間の知と研究の活動が、経験的、習得的に分かって来る。経験論は、真面目に、自由な能力を考える、正しい哲学だ。普通、カント、ヘーゲル、経験論を哲学と言う。それくらいをきちんとやれば良いが、それは、本を読むだけでは出来ない。自分で考える能力が無ければならない。それは、社会経験を積んだ方がつく。
考えること、行動すること、人と関わること、社会的な実践活動の全てにおいて、「何故」や「どうしたら」と考えて、根拠と目的をはっきりさせる。昔はそういう人間だった。全ての原因と理由を思考から考えて、それは本当は何なのか、何を考えているのか、根拠や動機はどこにあるのか考える。また、ネットの認識と経験を吸収する。
あとは、人生や実存主義のようなことを考えて、人間の真理を考えていた。知恵と工夫の共有とは言うが、何も分からない中で、良く考えていた。するためには、ネットが必要だ。
ネットはあった方が良い。色んな人間と人生経験をしなければ、分からない。昔の自分は、そういう風に、青春のように、色んな人間と実体験をして分かっていた。
良く考えれば良い。哲学は難しくない。サルトルは、人間的な哲学者だ。これなら、サルトルが参考になるだろうと思う。
最近、僕は知ったかぶりが多い。サルトルなんか、何も知らないのに分かったふりをしている。それもおかしくは無い。これくらいで分かっている、と思った方が分かる。
ただ、哲学者になるための基本は、無知の知だ。知ったかぶりは、一番悪い。
もっと、社会や人間の決まりと能力を考えて、経験的、能力的に、社会全体を発展させることでも考えれば良い。そして、人間の問題をどのように解決するか、考える。
1つ1つのことを捉えて、正しく考えること。問題の所在をはっきりさせて、その目的が何で、その時は何が出来て、何が分かっていて、何が分かっていないのか、考える。
無限に出来ることがある代り、問題が誰のせいかは複雑だが、それを全部吸収して、正しく解決出来る。誰かが作った問題は、誰かが解決する必要がある。1つ1つ解決すること。
あとは、実存主義的に人間の経験と人生を考えれば良い。ハイデガーやヤスパースのようになる。ウィトゲンシュタインのような、分析哲学をしても良い。色んなことを分析していると、沢山の問題の解決方法と、実存的な存在のあり方が分かる。認識、経緯、人生を考えれば良い。想像力で考えても良いが、文章を書くと良く分かる。
あとは、人生論のような内容が多かった。
キリストが参考になる。敵のために奉仕し、つくすこと。それが、自分とテレビとの戦いだ。敵であるテレビのために全てを教え、全てを与えた。その上で、自分が支配した。そして、導くことで、世界を自分のものにした。悪は多かったようで、何も無かった。
ただ、戦いはどうでも良い。神のような人生論が多かった。実体験から人生論が全部分かる人間だった。ありのままの自然体で、自分を許し、相手を信じて任せること。それが、自分を自由にして、恐怖を楽にして、相手を賢くさせる唯一の方法だ。信じることだ。
あとは、宇宙精神のようなものを自分の経験と理性から分かっていた。
恐怖は警告だが、痛みはチャンスやきっかけになることもあるし、上手くコントロールすれば、何かを知る手助けになる。最近、そういうことが分かる人間が多い。
昔は、そういうものは哲学者や宗教家にしか分からなかった。最近は、誰でも分かる。ネットが賢いだけではなく、自分が賢いところがある。
頭の中で考えるだけではなく、経験し、実験すること。
精神から脱出して、神になること。
秩序とは、自分でも作れるものである、と知ること。この社会は、自分でも変えられる。
AAAが言っているように、限界は自分が作るものだ。そういうことが分かっていた。
世界の歴史は、地域を見ていると良く分かる。地域の歴史、意識の歴史がある。
そういうことを言いたかった。あとは、客観視していると、本当に良く分かると思う。
本質的に、同一性や変化の可能性を、実際の姿と真実の理性から分かっていた。
そろそろもう全部書いた。今日が一番良い内容だ。哲学者になっている。
哲学者は、もっと経験から分かると良く分かる。何も分からない中で、信じること。信じないと、何も分からない。信じて考える人間が多い。
だが、むしろ、疑うこともあった方が良い。疑いながら信じていると、真理のモデルが分かる。それでイデアと言っていたのがプラトンだ。モナドと言ったのがライプニッツだ。
宇宙には、真実のモデルがあって、それは自分の心から生まれてくる。
もっと理性的に考えれば分かる。心のことや、疑うこと、理性的な方法のようなこと、原因のようなこと、条件や変化のようなことは、全部理性的に考えて、経験し、感じることで分かって来る。もっと理性を使うこと。それも、正しい方法で理性を使うことだ。
良く分からないなら、デカルトが良い。デカルトのように、正しい方法で理性を使うと、分かることが多い。ベーコンの帰納法や、カントの理性批判も参考にはなるが、一番賢く分かっているのは、デカルトだ。デカルトは、疑う方法と人生の格率が賢い。全てを疑うのは好きではないが、自己を疑って考えるのは、こういう人間なら誰でも賢いと分かる。
昔は、自由と経験から分かる安倍首相のような人間だった。
また、思考と科学から分かる、アリストテレスやヘーゲルのような人間だった。
実存主義的に分かる、キルケゴールのような人間だった。
経済学を作り、全ての社会を知っている、マルクスやレーニンのような人間だった。
精神分析が神のように分かる、フロイトやユングのような人間だった。
それで終わりだ。それくらいが自分だ。誰でも出来る。
知性を使って真実を考えれば良い。
あとは、ストールマンやジョブズのようにコンピュータが分かっていた。
ライプニッツをやるのも悪くない。宇宙の真理がモナドと予定調和なのが分かる人間が多い。それこそ、神には見えない。モナドに見える。
だが、知ったかぶりは良くない。そのせいで分かっていない。モナドなんか、何も読まずに言っている。ただ、自分の経験から分かるなら、それで良くは見える。
昔は、社会のことを良く知っていた。人生は全員分かっていた。
経験や世界観をモデルにしていた。そこらへんを最近書いていない。いつも、そういう、経験と世界観を書いていた。時代のようなことや移り変わる諸行無常の時の流れのようなことを書いて、サルトルやロックのように、経験のようなことをいつも書いていた。
1人の大人として、自分の分かることを全部書いていた。経験、認識、国、教育など、色んなことを自分の人生から考えていた。正当性のようなものを経験から分かっていた。
本当に、数学者や物理学者のように分かっている、天使のような人間が多かった。
清純で、可憐で、聡明で、純粋で、賢い少年と少女だった。そういうカップルだ。
純朴な精神と、野心や志を同時に持った人間だった。純粋だったが、大志があった。
世界を変えたかった。それも、強引にではなく、皆とともに協力して変えたかった。そのために、あらゆる経験をしていた。そういう、レーニンのような人間だった。
自分は、歴史学者に向いている。哲学者、革命家、宗教家、政治家、経済学者、心理学者には、向いていないようで、向いている。最も向いているのは、作家だ。
今日はピアノの日だ。もう2時40分になる。ピアノは3時30分からだ。
練習はあまりしていない。すれば良いのにしない。何故かしたくない。作曲はいつも楽しい。何もしないようで、色んなことを既にしている。それを継続すれば良いだけだ。
もっと色んなことをしたいとは言うが、したいように見えない。何もせず、同じことを続けたいように見える。それが一番楽だ。そういうわけで、何もしなくて良い。
昔は、思弁哲学が多かった。学習と結果、実験と法則性、普遍性と個別性、仮定と結論、因果性における問題、などが分かっていた。特に、因果性は、神をも包括する物理学を考えていた。神や宗教も、科学的に考えられる。それ以上は、ヒュームのように考えていた。
もっと思弁哲学をすれば良い。本当は何なのか、きちんと具体例から実際のところを考えれば良い。何でも見て分かる、視覚的な人間だった。最近は、聞いて分かる、言語的な人間になった。それこそ、何も変わっていない。
抽象性は、言葉を作って、パソコンのようにして考えていた。
全ての心と認識を数学的な機械にして、操り人形のように分かっていた。
世界を支配するために、世界に教え、導いた。社会を作る方法と言って、ボトムアップ的に、この世界を変えていた。
そろそろもうない。もう2時50分になる。ピアノに行かないと間に合わない。
あとは、現実の馬鹿を考えれば良い。環境を思い出して、認識と空想を考えながら、現実と理想を考えて、ボトムアップ的に社会のことを考える、実存主義者だった。
何でも社会が変えられるのが分かった。そして、人生のことや協力的なことが分かった。
ネットで人間と社会を知った。
意識と思考の段階を考えて、キルケゴールのように分かっていた。
正しく経験と理性で分かる方法から、理想の社会を分かる方法まで、全部分かった。
社会のことは、具体的に全部分かっていた。アリストテレスのようだった。
あとは、精神分析から、仏教のように真理を分かっていた。
もう、行かないといけない。もう2時55分になる。この文章はどうでも良い。
あとは、戦いで分かっていた。
最近は、実況中継の文章が、そのまま神になった。永遠に神が続いた。
僕は、宣言するなら、ピアニストになることにする。それは、練習すればもう出来る。
ピアノから帰って来た。
僕は、言葉を書くせいで、言葉が賢くなった。言語がここまで賢くなった。
積み重ねることで出来た。そこが一番、誰にも出来ない。
あとは、神と対話して、戦うのも出来ない。
そういうわけで、昔なら出来る。きちんと自由に考えて、正しく問題を考えれば良い。
昔は、責任感のある、王のような人間だったが、これでは無責任に見える。
ピアノは、パソコンのキーボードと同じだと思えば出来る。
色んなことを試せば良い。音符をきちんと読んでいると、出来ない。反射的に弾けば良い。
練習しない代り、初見で弾けるようになってきた。
作曲は楽しい。単純で簡単な曲を作っている。あまり難しくないのは、先生が居るからだ。
自分の文章は、マルクス主義を構造主義にしただけだ。
そういう、ヘーゲル右派を作っている。
ヘーゲルはそういう風に、右と左に分かれる。そういう発想がヘーゲルだ。
社会は、実験によって改善出来る。そして、積み重ねられる。
昔から、そういうことを言う。実験を社会の経験だといつも言っていた。
あとは、ドイツは馬鹿だ。ドイツは、楽だからこういう風になる。
日本は辛い。そういうわけで、辛い日本になると治る。
皆をいじめる馬鹿な国が日本だ。ドイツは、馬鹿な代り、そういう性悪な人間が居ない。
ドイツに心理学が多いのは、こういう理由だ。アウディみたいなクズがこういう風に多い。
あとは、これで実存主義のように考えれば良い。それで哲学者が出来る。
昔は、これで全員の人間を吸収していた。全員になって、全部の国や経験を分かっていた。
今日はピアノが楽しい良い日だった。英単語もやった。明日は英会話教室がある。英会話教室は楽しいとは言うが、怖いから嫌いなところがある。何故か、僕は外国人が怖い。右翼だから怖いのだけではなく、本当にアメリカが悪いのが分かる。だが、ここまで英語をやったのを無駄にしないためにも、英会話教室には行った方が良い。無駄になるのは、悲しい。
これで自由に考えること。そこを考えると、サルトルのように、本当に分かる。きちんと分かって、ブッダのような神になる。そういうわけで、自由は馬鹿では無い。
自由に考えるとは、自由な中で考えるだけではなく、自由なことを正しく考えることだ。
だが、自由はどうでも良い。人間の行動や活動を、経験と理性から真剣に考えれば良い。
皆、誰もが同じだ。違う人間は居ない。今日はそれを言いたかった。誰もが同じだ。
同じ条件を与えれば、同じ結果が返る。だが、パソコンとは違う。人間は、人間だ。
哲学は、経験、関係、思考を考えれば出来る。何故か、それだけで出来る。
信じるのではなく、疑う気持ちを持てば良いが、僕はそれは出来ない。
もう、考え方や方法はもう良い。目的や、具体的なものを知った方が良い。
具体的なものを知りたいなら、歴史が良い。だが、歴史は、ただの記録に過ぎない。
きちんと数学をしたいなら、悪い。数学なんか、何も賢くない。数学史なんか、頭がおかしいように見える。数学史なんかしたい人間は居ない。それは、数学でも歴史でもない。
今日は心理学の日だから、心理学をすれば良いが、心理学は結構悪くない。
そういう、学問や専攻の羅列はもう良い。哲学や昔の文章ももう良い。そういう内容は、もう止めた方が良い。小説を書きたいなら、普通小学生でも書ける。書かなくて良い。本当に、この文章のせいで、簡単な小説なんか、書かなくなった。
僕は、自由といつも言っているが、指導者と言う発想も多かった。支配者は嫌いだったが、皆の力で賢い指導者を生んで、皆で選ぶのをいつも考えていた。
そういう発想が自由だ。いつからか、誰かを選ぶのではなく、賢い自分が指導者になるようになった。最近なったように見えて、昔からそういう人間だ。
右翼は、そこが悪くない。きちんと賢い人間につきたい馬鹿が多い。
左翼は悪い。悪いだけで、本当に賢い人間になる人間が多い。
左翼が右翼が、こういう風に多い。左翼で経験していると、スラムから数学者になって、本当にこういう哲学者の救世主になる。
だが、自分は右翼だ。オランドもメルケルも右翼だから、それで良いだろう。オランドが右翼なのか左翼なのかは、良く知らない。
最近は、安倍や2ちゃんねるのように、どこでも右翼が勝っている。そろそろ、きちんと地球を救いたい。滅ぼす平等の平和は馬鹿に見える。
救いたいどころか、最近は何も悪くない。このままで良く見える。解決する問題も無いから、何も考えない。同じことを頑張れば良い。解決なんか安倍が全部一人でやっている。
平等は失敗した。社会主義は大失敗だ。ソ連は無くなって、中国は資本主義をやっている。
ありえない。プーチンがまだ独裁者をやっているのは、皆が見て馬鹿にしか見えない。
最近は、リベラルと保守しか居ない。それぞれの自由にするか、強い自由にするかだ。
それこそ、自由が馬鹿なのが分からない人間が多い。だが、どこでも平等は馬鹿だ。
良く分からない。日本はそういう風に滅びた。常識からして、全部馬鹿になっている。
ソ連が悪い。
あとは、どうでも良い。適当に保守とリベラルが戦っていると、中世や近代と同じだ。そういうわけで、このまま昔に戻る。そんなものは、どうでも良い。
昔は、自由な良い人間だった。それぞれの自由を大切にして、経験、関係、システムを考えていた。正しい経済学を作って、ネットの心理学を作っていた。
本当に、リベラルで自由な良い人間だった。だが、そのせいで悪い人間になっている。
最近は、戦いながら希望を言う。すぐに滅びるのが怖いとは言うが、滅ぼして良いのが分かっていない。分かっているようで、分かっていない。日本は、昔のように滅びれば良い。
そういうわけで、滅びた世界が自由な日本だ。自由が悪くしか見えない。
自由を馬鹿だと言っていると、昔が悲惨だ。昔は、本当に自由だけで分かっている。経験から存在まで、自由で理性的、経験的に分かる人間だった。
そういう理由で、実験で社会を改善出来ると言う。
最近は、治したいからこういう風になる。時計なんか、治さなければ楽になる。もう、死んだりしなくて良い。治さなくて良い。もっと生きて、皆と関われば、すぐに賢くなる。
自分は、何も分かっていない。滅びるならすぐに滅びて欲しいのはおかしい。それでは、王は出来ない。王は、いつまでも滅ぼさず、好き勝手なことを言っていればそれで良い。
自分のせいで、本当に日本が良くなっている。自由なのに賢くなっている。
ビルゲイツの方が悪い。ビルゲイツのせいで、本当に悪いものばかりになっている。
一度、この世界をリセットするしかない。それが出来ないのは、ドイツのせいだ。
ただ、自由を積み重ねて、気づいて分かっただけで、自由には見えない。自由から社会のこと、皆の経験や心や全員のことが全部分かった、神のような自由な人間だった。
いつも言っているが、全ての科学を作っていた。
パソコンと手段と自然と自動化を分かっていた。自然な考え方と可能性が多かっただけだ。
昔は、引き篭もりの実体験で分かっていた。
ヘーゲルの精神現象学の、トピックと同じだと思えば分かる。
悲惨に、同じには見えない。だが、書かれている内容が同じだ。
自由になって分かるせいで、何がどうなって環境が変わるかが、全部分かっていた。
環境の変化や基盤の変化を全部分かっていた。同時に、それを支配していた。
それがこうなった。この世界を変えるようになった。
皆、一度一番キモイ人間になれば良い。それで、こういう自分が出来る。
皆、キモくなって、馬鹿になれ。それで、自分になって、治るようになれ。
最近、既になっている。そういうわけで、あとは、キモイを永遠に治していれば良い。それですぐに、こちらも含めて全部出来る。そして、ヘーゲルになれば良い。
あとは、社会に対する提案をしているだけだ。
教育は、本当にそれぞれが好きなことが出来て、自分のことも、他人のことも、好きになることが出来て、先生と社会を尊敬することが出来て、世界の法則性や立場、意志や背景などをきちんと分かることが出来て、世界を自由に把握することが出来るようにすべきだ。
自由な中で、行動するためには、判断力と理性が必要だ。それは、経験と価値観を知ること、関係を知ること、システムを知ること、文化を知ることから、行うことが出来る。
数学は、正しいだけではなく、有用性のある技術のようなものを作るべきだ。
そういう風に書く。そういう、提案のような文章だけが多かった。
教育は、自分の経験から全ての科学が分かるようにすべきだ。
普通、軍事や経済を保守と言って、社会保障や福祉や教育をリベラルと言う。
そういうわけで、何故か、リベラルの方が良く見えて、保守の方が良い。
全体が豊かになれば、全員豊かになる。それこそ、それは間違っていない。
ゲームなんか、しない方が良い。テレビもネットも悪い。
そういうものには、人生が無い。馬鹿が賢い。こういう、日記を書くとか、他のことをすれば賢くなる。漫画も見ない方が良いし、音楽も聴かない方が良い。勉強もしなくて良い。そういうものをするせいで、誰でも馬鹿になる。文章を書いて読むのが一番良い。
ピアノは、練習すると上手くなる。楽譜を見なくても弾けるようになる。だが、誰でも普通、初見で弾ける。自分は、昔から練習して覚えて弾いているが、それは馬鹿だ。
それこそ、今日はほとんど初見で弾けた。間違いは多かったが、それはそのうち無くなる。
あとは、英語みたいな、全方位分かる文章が多かった。全部のものに対して言う。
見ていると、弁証法が多い。いつまでも、永遠に、元に戻るだけの文章を書いた。
逆に、元に戻らないだけの文章を書いている。
こういう風に全部書いただけだ。本当にこういう風に書いていた。キモイ虫に見えるが、それでも、きちんと賢かった。
社会は、独立性を考えたり、グループによる共同体の共有を考えたり、消費と生産、個人と全体のように、モデルを作って考えることが多かった。
あとは、知性のようなことを言う。馬鹿になりながら、知性と世界観を言っていた。
それから、抽象性や心の変動のようなことをいつも言っていた。
本当に見ても、キモイ文章だ。何故か、一番悪い馬鹿な文章を書いている。
最近が賢いなら、もっと文章に囚われない、自由な文章を書けば良い。
太陽、月、地球、人間、生命、神、海、大陸、大空、ジャングル、砂漠、草原がある。
人間には、強い人間、賢い人間、友好的な人間、攻撃的な人間がある。
理性には、方法、モデル、理論、宗教、考え方、運命、自然、知、心、論述、記録がある。
そういう風に書いていただけだ。もっと、自由に色んなことを言えば良い。
あとは、会社を作る自由のようなことを言う。組織を作って、世界を変えると言っていた。
最近、会社なんか、悪いだけだ。グーグルとソフトバンクだ。会社、と言う発想が悪いように見える。金儲けは悪い。ロック、ヴォルテール、モンテスキューなどが唱えた三権分立のような、新しい発想が必要なのかもしれない。もっと良く考えるべきだ。
昔は、資本論のような、賢い論文のようなものを、適当に作っていたりしていた。
あとは、人生から分かる、経験的な知恵や、その発見の方法のようなことを言う。
文章では分からない。きちんとそういうものを考えれば分かる。
書いても意味が無い。考えて、分からないと意味が無い。
昔は、覚えることや比較することから、考え方や知や論述のような、段階的な関係、体得、知、発見のようなことをいつも書いていた。デカルト的な知恵を増やしていた。
あとは、人生を書いて、皆を馬鹿にしていた。それが、共産主義だと言っていた。
あとは、書いて分かって、それで治すのが多かった。
昔の人生の経緯を全部書いていた。全ての人生の経緯を分かっていた。
だが、それは馬鹿だ。何故か、人生の経緯の文章が、虫みたいにキモく見える。
本当に悪いだけの人間だから、仕方ない。もっと何か、別のものを書けば良い。
地球とは、自然、価値、生産、消費、社会変化、時代、そして物理法則、認識、実証、時間、空間、歴史、記憶、細胞、原子、海、水、物質、式から成り立つ、生命の星だ。
歴史とは、絶対的で自由な展開の中での、人間と人間の争いと、主と奴の関係である。
それ以上は、マルクスが分かっている。ヘーゲルの立場を超えて、歴史を階級闘争の結果であるとした。だが、それは分かっていない。主と奴の関係と言った方が正しい。
もう分からない。人生や人間の知恵を書いていたのは、覚えていたからだ。もう覚えていない。書けるわけがないから、もう止めた方が良い。
もっと、文章以外のことを書けば良い。
思いやりとは、希望を持ち、人間的な生活をさせ、必要なら手助けが出来るようにして、機械や道具にならないように、思いやってサポートすることだ。
政党とは、自由で、争いごとが起きることに対する、対処法だ。
科学とは、考えられる全ての真実を、発見して教えることだ。
社会とは、実現であり、考えられるあらゆる可能性を実現出来るように構築することだ。
可能性とは、人生と存在の真理だ。
そういう風に、定義と説明で全ての提案のようなことを書いていた。
環境から世界を知った。
手段と自由から、何が実現出来るかを考えた。
システムを具体的に知った。
理想の社会を作る方法を分かった。
人間性を知った。
そういう風に、人生を分かっていた。逆から遡る文章が多かった。
文章とは言うが、あれは、脳みたいなものを全部分かっていた。
脳のようなことを、全部書いていた。
原因と結果や、経験と自由のようなものを考える。
忘れた方が良い。イスラム教のタリバンみたいな文章だった。
最近の方が賢い。最近は、きちんと哲学や歴史が分かっている。
知性もきちんとある。最近が一番賢い。
構造や世界観を全部書いていたが、それは皆を騙しているだけだ。
昔をもう一度した方が良い。賢かったのは、昔が賢かっただけだ。
2ちゃんねるはしたくない。馬鹿に見えて、ネットは賢い。フェイスブックには、カントのような賢い人間が多い。そういうわけで、フェイスブックをすれば良い。
それは、本当にしたくない。狂っているだけだ。本当に哲学をすれば良いように見える。
あとは、宇宙の永遠の歴史を記録したりしていた。
支配者になって、宇宙の永遠を記録する。国のようなものも組織的に作っていた。
ネットは、怖くても見ていれば良い。
そうすると、本当に賢いことを言っている人間が多い。見ていると、ネットは賢い。
何とか、ネットを見た方が良い。ニュースでも見れば良い。
書くだけ、言うだけの人間は、明らかに馬鹿だ。聞いて、読む人間が賢い。
昔は、全員に共通する理性構造のようなものを作っていた。それが賢かっただけだ。
仮想世界のようなものを作って分かっていた。
ネットは、本当にしなくて良い。哲学者で充分だ。だが、それでは何もしないだけだ。
本当に、それぞれの自由にした方が良い。今の社会を見ていると、そう見える。
もっと新しくなって、保守的な決まりや伝統に縛られない、自由な社会を作れば良い。
自由と言う発想から、社会モデルのようなものを作っていた。
自由な国を作っていた。それくらいの社会科学が一番多かった。
ネットは見ない。そのうち、いつか見ると思う。しばらく、本を読みたい。
2ちゃんねるは見ない方が良い。もっとまともなサイトを見れば良い。
ウィルスにかかるのが怖いなら、止めた方が良い。ネットには、そういうことばかり多い。
はてなブックマークやブログを昔見ていたようで、最初のうちは、イラストのサイトやフラッシュアニメのようなものを見ていた。そういうものを見れば良い。
自由と日本と民主主義を信じた方が良い。
自由と民主主義の平和が良い。自由は、きちんとものごとを考える。
社会主義は、何も考えない。ロボットの帝国になって、自由なく皆を殺す。
民主主義で、民主的が良い。
だが、社会主義もそんなに悪くは無い。社会主義的にきちんと考える、民主的な共同体を作るように見える。自由は無いが、平等だ。
ただ、日本を信じた方が良い。自由が一番きちんと考える。悪いのはファシズムだ。
昔は、新世界の発見や、人生の成長、記憶や像や経験などの存在の関係から分かっていた。
自由には、馬鹿は居ない。自由には、きちんと賢く分かる人間しか居ない。
日本が一番賢い。
だが、アメリカの方が賢い。色々と、賢いものが多い。日本には何も無い。
日本は、頑張ってアメリカ以上のことをすれば良い。そういう発想が賢く見える。
日本はまだ良い方だ。韓国や中国なんか、ただのクズだ。ヨーロッパは、悪いだけで、最近日本より弱い。賢いのはアメリカだ。馬鹿すぎる悪いだけの妖怪のロボットがソ連だ。
日本が良い。民主的な国にして、平和にするのが良い。
共産主義は悪い。理論的にも、実践的にも、思想的にもおかしい。
もっと、平和で自由な国にした方が良い。経済成長も良いが、スウェーデンのような福祉国家になっても良い。それは、自由に国民の意見から、民主的に決めるべきだ。
独裁者は要らない。独裁のような発想が一番悪い。皆を抑圧して、辛い国にする。悪くても、批判出来なくなる。独裁は一番悪い。
ただ、戦争は悪い。戦争は、本当に最後の手段にするべきだ。
人間を皆で殺すようなものは、一番悪い。
戦争するよりも、もっと他に取れる手段はいくらでもある。他の方法で解決するべきだ。
それから、差別は悪い。1つの集団の中の誰かが悪いからと言って、集団全体を決め付けるのは、短絡的だ。
そういうわけで、差別と戦争が悪くて、自由と民主主義が良い。
社会主義は、そんなに悪くない。自由が無いのは悲惨に見えるが、色々と平等なように見える。あまり悪く見えない。平等も民主主義に見える。
ファシズムも仕方ないところがある。1つの敵を全員で共有して、団結するのは、社会主義でも同じだ。独裁者を悪いとは言うが、世界史を見ていると、虐殺する王が一番多い。王は、殺して良いように見える。悪いとは言うが、王には従わないと悪い。
そういうわけで、思想信条の自由はあった方が良い。そういう自由が無いと、すぐに皆が死んで行くようになる。争い合って、滅びるようになる。それが右翼だ。
議会制民主主義を良いとは言うが、議論なんかキモく見える。
最近、平和が嫌いな人間が多い。何故か、戦争がしたくなったありえない人間が、本当に多い。人間は本来、戦うからそうなる。平和ボケと言って、平和主義者を馬鹿にする。そういう人間が馬鹿だ。人間は、そういう右翼の軍事主義者と戦わなければならない。
あとは、物理でも考えれば良い。自然の法則から自由になることは出来ないが、社会の環境は変えられる。誰でも、そういう風に、物理法則から分かる。
これでは共産主義者には見えるが、僕はソ連より自由の方が本当に好きだ。平和で、誰も殺さず、民主的で、理性のある、おかしくない国が良い。マルクスは好きだが、資本論は嫌いだ。理論とは言うが、自由や発展を考えていない。マルクスの言うことは好きだ。
あとは、人生における意識の段階や変転のようなものを書いていた。いつも言っている。
これでは、まるで何百冊も読んだように見えるが、本当は数冊しか読んでいない。
その数冊にここまで書いてあったかと言うと、書いていない。
むしろ、自分の経験と併せることで、本当にここまで分かった、と言うのが正しい。
そういうわけで、哲学はまだ始まったばかりに過ぎない。スタートラインに見える。
昔、パソコンで色んな文章を読んだ。それを何百冊と思えば良い。いくらかネットで読んでいる内容で、全部分かった。色んな文章を端から端までいくらでも読んでいた。
今でも、寝る時の夢の世界で、色んな本が見える。そこまで読んだように見える。
あとは、ネットで楽しい体験をしていた。それは多かった。自分の本を読めば良く分かる。楽しい体験を全部して、自由を知って、辛さを分かち合った。馬鹿とは言うが、そういう体験の方が楽しい。そういうことを言った方が良い。
感謝から会社の経営まで、色々と分かっていた。全ての人生経験がある人間だった。
あとは、人間の分かる理屈や理性のようなものを、心理学的、哲学的に分かっていた。
経験論のようなものが多かった。いつも言っているが、頭を大掃除して分かっていた。
社会を知りながら、社会的な人間関係を分かっていた。それが、競争のような、社会の活動と経験をして、行動的に自由を分かっていた。
昔は競争も好きだったが、オープンソースが好きだった。おかしくは無い。オープンソースも競争の1つだと言える。それこそ、マイクロソフトは悲惨に見えただけだ。
最近は、意識の深層を考えて、病気の治し方のようなものを分かっている。
もっと本を読んで、大学をやりたい。もっと沢山本を読みたい。これなら当たり前だ。
だが、もう、やる気が起きないところがある。もう全部やったから、何もしたくない。
あとは、金や市場を自由な手段として分かっていた。
引き篭もりになったせいで、自由を信じるようになった。誰も、社会の皆は、こんな人間は分からない。把握出来ない。そういうものとして、状況の自然な多様性としての自由を考えていた。それ以上は、実体験で分かっていた。
最近、自由があまりに馬鹿に見える。皆、自由なもののせいで分かっていない。こういう右翼は、大学に多い。自由では分からない。賢い人間に支配させた方が良い。
そういうわけで、自分は自由な王になった。それは、おかしくは無い。
大学の良い点は、授業できちんと分かるだけではなく、研究をして、自分でやっていることから、体得的に研究を身に着けることだ。
昔の自分は、家に居ながらにして、ネットを見ること、参加すること、情報共有することで、そこが出来ていた。自分の研究から、知を経験と行動から実地的に身に着けて分かっていた。それこそ、経験論のように、その上で色んな人間のことを考えていた。
反省し、仏教のように考えることで、悟り、精神分析し、哲学的な方法を経験から分かっていた。こういう人間は少ないが、哲学者や有名大学の研究生にこういう人間が多い。
自分はMITのようになって、一人コンピュータと人生のことを分かっていた。積み重ねと体得から、自分の数学を作って、心を機械にして経験と精神を分かっていた。
自由な経験で分かると思っていた。その通り、2ちゃんねるで分かると思っていた。
国なんか、関係なく、皆で共同体を作れば、賢い国になると思っていた。
いつも、そういうことを言っていた。無政府主義のような共同体をいつも作っていた。
何故か、狂っていた。宇宙人と対話したりしている。
あまり意味が無いが、世界を相手に戦っていた。ただの馬鹿だっただけだ。
あとは、経験論的に、色んな人生と行動と経験のことを正しく分かっていた。
最近の方が良い。そういう狂った人間はキモイ。自分は、最近の哲学が賢い。
昔は、その人自身の立場に立って、その人の経験から分かっていた。
恥をかいたり、客観視をしたり、FLOWの言うように世界に映った自分の姿を見て、分かっていた。そういうものが、2ちゃんねるの青春だった。
経験、感情、行動をきちんと考えれば良い。経験しなければ、何も分からない。
もっと、そういう、行動を考えれば分かる。昔は、現象学的に考えることが多かった。精神の現象から、行動を考える。世界モデルを作って、常識的な理解を全部分かっていた。
文章は、構造と変化と行動を全部辿って、全体の構造の世界観を作っていた。
1つ1つ構造を積み重ねて、この世の全てを構造的にきちんと正しく分かっていた。
昔は賢かった。それより前は、まるでニーチェやゾロアスターのように、真理を完全に見通す、神のような人間だった。本当に、神のように全部分かっていた。
昔に戻れば戻るほど賢い。それこそ、昔の引き篭もりは、本当に馬鹿になっているだけだ。その前の中学生の方がはるかに賢かった。だが、あれは悲惨だ。小学生時代は、活発で、良い思い出があった。良い思い出が小学生時代にしかない。
夢では、小学生時代や中学生時代が見える。たまにLinuxも良く見える。あとは、未来の文明みたいなものが見える。ただ、キモイものが多い。寝ている間、旅をしている。
中学生時代、いつも小学生に戻りたかった。現実のこの世界と学校が嫌いになって、引き篭もりになった。ネットで色んなことを経験するうちに、オープンソースに傾倒した。あまりおかしくは無い。経験と発見から自由が分かった人間だった。あとは、こうなった。
ドイツは悪い。だが、あれは自分に従っているだけだ。
2ちゃんねるの、世界に映った自分の姿から分かっていた。おかしな人間だった。
オープンソースは、自分の大学で、自分の仕事だった。会社のように分かっていた。
自分は、仕事は出来ない。出来ない代り、オープンソースでしたかった。
思う存分作家をやったから、満足している。
今日ももう寝る時間だ。あとは、明日書けば良いが、もう書きたくない。
あとは、自由な構造で分かっていた。行動、関係、手段、組織、感情、経験、などを、自由な構造にして、行動と自由な社会の構造で分かっていた。世界観を作っていた。
あとは、科学的な発見のようなことをいつも言っていた。