日記に戻る | 2015年12月の日記に戻る

=2015-12-10=

治らなくなると治る。それでもう治っている。

おかしくはない。昔に治ると、狂う。今のまま、治らなくなれば治る。

頭では、治らなくなるのが怖いが、心では、治るのが怖い。

治らなくなると、異常が全部無くなる。治るせいで、まともに人間を生きられていない。

経験で、いつ何が分かるか、のようなことを考えていた。人生や環境や組織を考えた。

科学の網羅のようなことをいつも書いていた。

昔は、哲学、物理学、数学、情報、心理学、経済学、地学、言語学、歴史学を分かった。

最近は、経済学、語学、心理学、文学、宗教、歴史学、哲学、自然科学を分かった。

順番は違うところもあるし、もっと違った科学をやっていたところもある。

だが、おおむねはそうだった。

それくらいの科学を、考え方と想像力と読み書きと戦いでやっていた。

環境と経験から何が分かるのか、のようなことを書いている文章が多かった。

今日は英会話教室へ行った。単語帳は、むしろ、しなくて良い。普通に英会話教室で出来る。

単語帳を良いとは言うが、辛いことはしない方が良い。

カッツ 数学の歴史」と言う本を読んでいる。数学の歴史が分かると、さらに文明のことが分かるかもしれない。僕は歴史が好きだから、数学も歴史を分かって分かる。

自分は、数学は分からない。ネットでいくらか検索すると、分かるわけがない。そういうわけで、数学も歴史で分かる。歴史なら分かるかもしれない。

今日も英単語を20単語やった。

数学史の本は、面白い。面白いから、読めるかもしれない。

世界史の本も、相対性理論の本も、心理学の本も、面白い本だ。面白いから、読める。

政治経済は、つまらないとは言うが、歴史や哲学の部分が分かるせいで、面白く読める。

今日、本屋で色んな本を見たが、本屋に置いてある本はつまらない。売るための本、と言う点が、本屋を見るからに出ている。本は、アマゾンで買った方が良い。その方が良い本が揃っている。検索すると、良い本しかかからない。世界史の本もアマゾンで買った。

あとは、哲学史の本も、仏教の本も面白かった。面白い本なら読める人間が多い。

パソコンは、出来たとは言うが、何も出来ていないから、今からすれば良いところもある。

哲学史、日本史、世界史、数学史が出来ると、人間の歴史的な文明の歩みが全部分かる。

歴史、経済、文学をやるのも、哲学、心理学、宗教をやるのも悪くない。文系はそれくらいしか学ばない。そこらへんを全部やっている文系が一番多い。

自分は、不可能なことばかりやっている。英語、作文、作曲、プログラミングは、普通、難しい。普通、それくらいが出来ない。歴史、哲学、信仰も同じだ。誰も出来ない。

もっと普通に出来ることをやった方が良い。数学、物理、工学、料理、絵画などは出来る人間が多い。最初から不可能なことをやっているから、こういう風になる。馬鹿な天才にしかならない。天才は、賢くない。頭が馬鹿なのにいくらでも出来る天才がこういう風に多い。自分は芸術家の作家だから、仕方ない。

数学史は悪くない。数学史をやっていると、数学の基本的な考え方の発展の経緯が分かって、日本語が良く分かる。本当の数学は難しいから、しなくて良い。数学オリンピックを目指すのは悪くは無いが、見ていると、公式はパズルみたいに解ける人間が出来る。自分には全く向いていない。自分は、世界にあるものを全部知って、本質を見出す、と言ったことに向いているから、世界史と言うよりは、哲学に向いている。

あとは、昔きちんと自分で数学を作って、コンピュータのことを知り尽くしている。自分が一番出来たのは、そして、やりたかったのは、数学、物理、情報だ。コンピュータ科学がきちんと出来ている。それこそ、全部は書けなかった。Mozillaのようなものはあまり書いていない。だが、Perlなんか、出来ない方がおかしいのに、出来なかった。

それから、物理、化学、生物、地学のようなものがやりたい人間が多い。それは、出来なかった。だが、いつも文章にそういうものを書いていた。理科は、父親が出来る。

あとは、普通工学のような分野がある。専門分野は、そういう風に分かれる。ただ、心理学は普通、教育学と一緒にして、子供の成長を分かる。そういう専攻が多い。

医学や法律学のようなものもあるが、それは実践的な学問だと言える。

昔は、色んな悪いことをして、その悪いことを反省して分かっていた。

そういうわけで、自分を悪いと思わなければ分からない。

自分はクズだが、右翼はクズだ。右翼は、本当に死ぬべきだ。

キリストも悔い改めよといつも言っている。それに、悪い人間はこういう風に、最初に戻る時に悪いことを言う。全てきちんと分かってから、悪くなって馬鹿になる人間が多い。

悔い改めないのがおかしい。トランプもそういう馬鹿だ。右翼が悪く見えないのは、こういう風に、自分が右翼だからだ。トランプは右翼だ。

そういうわけで、右翼もクズだが、自分も馬鹿だっただけだ。気づいて良かったと思うのが普通だから、トランプもそのうち反省して良い人間になるだろう。

ドイツはきちんと反省しているから、悪くない。フランスやイギリスの方が悪い。

数学の歴史は、面白い本だから読める。だが、むしろ、世界史の本を読んだ方が良い。

昔、暗号の本(コンピュータ科学の本)や、富の未来と言う本や、リーナスの自伝や、ウェブ進化論などは、面白いだけで読めていた。ハッカーと画家も読んだ。そういう風に、本当に賢い本は、面白い本が多い。数学の歴史は、下手な数学書より面白い。

数学の歴史の本は、分厚い。たぶん、家にある本の中で、一番分厚い。

数学の歴史の本を、もう何ページか読んだ。書いてあることの意味が分からないところがあるが、読めないことは無い。分からなくても読んでいると、分かるかもしれない。

ただ、世界史の本を最後まで読んでいないから、世界史を読んだ方が良い。

天動説と地動説のように、そうなっているように見えて、本当はそうなっていない、もっと正しい真実があることが多い。それが分かると、哲学が出来る。何をどうすれば分かるかを考えることで、帰納法と演繹法、条件と仮定、理性批判と法則が分かる。

また、能動と受動のように、今まで自分が分からなかった、正しい視点から人生やものごとを見つめると、分かるところが多い。もっと正しい考え方をするために、どんな発想が出来るか、必然的に何がどうなるかを考える。そうすると、カントやデカルトやスピノザの言っていることが良く分かる。

ただ、数学の歴史の方が読みたい。ムガル帝国はつまらない。読んでもあまり新しいことは分からない。そういうわけで、数学の歴史を読みたい。

哲学は、普通、経験的にものごとが分かっているか、それとも、先天的なものもあるのか、のようなことが分かる。そこから、受動、能動のようなことも良く分かる。

また、世界には、意味や目的があるのか、無いのか、のようなことが良く分かる。

自分は、もう、哲学と歴史は終わりにする。数学や心理学や経済学のことがしたい。

本屋に行っても、欲しい歴史の本は無いし、哲学なんか本当はしたくない。

哲学なんか、読んでも分からないだろう。いつも哲学に頼って分かっていたのは、何か大切なことを忘れているからだ。それを思い出せば良い。

哲学は、ハイデガーのように、根源的なことを何か信じれば分かる。理性や経験は、そのような根源的な方法を理性的に考えて分かる。何か理性的なことを信じるだけの学問だ。

ハイデガーが典型的な哲学者だ。人生を可能性と言っている。

そういうわけで、ハイデガーで出来る哲学しかない。哲学は止めた方が良い。

本当に哲学者になると、昔みたいな馬鹿になる。哲学者は馬鹿だ。

面白い本に、ソフィーの世界を加える。あれは本当に、一番面白い哲学書だ。

数学の歴史は悪くない。それで、数学をやれば良い。きちんと全部出来たように見える。

自分をやりたいなら、ソフィーの世界、白取春彦の哲学入門、山川の日本史、そして世界の歴史がわかる本、を読んで、カッツの数学の歴史を読めば良い。そして、ネットでオープンソースのことをやって、Linuxのシステムを知れば良い。あとは、ネットを知り尽くすだけで、きちんと出来る。

子供には、英語とピアノと習字をやらせると、賢くなる。昔は、それで賢かった。学校の試験なんか、簡単に勉強して丸暗記して出来ていた。剣道部だった。ゲームも必要だ。

ネットはあった方が良い。ネットが無いと意味が無い。

昔の自分をしたいなら、コンピュータのことを知って、いじめを解決する社会の救世主になろうとすれば良い。あとは、自分の科学のようなものを作れば良い。

最近の自分は、戦いや神との対話をしなければ出来ない。だが、狂ってしまえば誰でも出来る。意味が無いから、最近はしない方が良い。適当に永遠を生きると宣言すれば良い。

自分がドイツ人の女になったのは、ドイツ人になると宣言したからだ。

そういうわけで、ドイツ人にはもうならなくて良い。もっと違った人種になりたい。

それこそ、人種なんかどうでも良い。

数学者にでもなれば良いから、数学者の心理学者になる。自分は、それで科学者になる。

昔は、人間の関係を考えて分かっていた。

最近分からなくなったのは、関係を考えないからだ。

関係を考えないで、分かるわけがない。

関係は、自分が相手だったとしたら、自分はどのように見えるか、のようなことを考えれば良い。そういう風に、客観的な関係を、実際の視点と立場で考えれば良い。

そういう風に考えないと、分からないのは当たり前だ。

自分は、数学者になって、インド人の黒人になって、仏教徒になる。それで良いと思う。

昔は、数学的で自由な知性と構造から分かっていた。数学をすると、そこが分かる。

数学は、カッツではなく、何かできちんとした方が良い。

高校はつまらないと言うが、高校をするしかない。きちんとした方が良い。それできちんと日本語が分かる。参考書は、何か賢いものをすれば良い。

ただ、高校数学は、本当につまらない。カッツの方が面白いから、カッツで良い。

世界にはほとんどつまらないものしかないから、カッツにした方が良い。

昔は、コンピュータの技術も歴史で分かっていた。もう覚えていないが、UNIXやIntelの歴史でパソコンのことを分かっていた。そういうわけで、歴史は分かる人間になる。

心理学をしたいが、心理学も昔出来ている。認知行動療法は、仏教やプラグマティズムのように考えて、人間の治る方法を全部分かっていたし、人格や欲求のことは環境と経験を良く考えて分かっていた。

だが、昔分かっていることにすると、数学から経済まで、もう既に全部分かっている。

それは、つまらない。出来ているなら、もっと先をやれば良い。それが正しい。

そういうわけで、文学や経済学や心理学は、まだ続く。永遠に最後までやる。

インド人になって、数学者になるなら、ヒンドゥー教の方が良く見える。

イスラム教徒も賢い体験が出来たから、ヒンドゥー教徒になる。

あるいは、古代人のようになって、古代神話でも信じれば良い。

黒人なら、アフリカの黒人も良く見える。それは悪い。アフリカ人には、賢い点が無い。

あとは、数学の歴史を読んでいると、きちんと日本語が分かる。

むしろ、数学漬けにするのが良い。何でもかんでも数学のようなことを分かれば良い。

子供には、文字は読めない人間が多い。分からなくても読んでいると、いつか分かる。小学校にはそれしか居ない。子供が難しい日本語なんか、分からない。

心理学は、やった方が良い。何故か、心理学はまだ読めるし、面白い。

そういうわけで、ユング心理学と数学史から分かる。それは、不思議と、全部分かる。

自分は、本なんか読めていないが、それで読んでいると、いつか読める。

数学史は昔パソコンで出来ているし、心理学は2ちゃんねるで出来ている。

そこらへんを思い出すと分かる。

数学史や心理学のようなことを思い出せば、すぐに分かる。

分からなくなるのは当たり前だ。ITはクズだから、そういう風に、分からなくなってまともになった。それが良かっただけだ。

あとは、経済学も同じだ。オープンソースと自分の経済学を思い出すと、すぐに分かる。

そういうわけで、これで三分野きちんと出来る。

歴史、経済、心理、数学が分かると、哲学がそこまで出来る。何かそういうものを一つ分かると出来る哲学が多い。心理学が多いようで、数学も多い。数学で哲学が出来る。

ソクラテス、プラトン、アリストテレスは、馬鹿だ。賢いとは言うが、馬鹿過ぎる。

そういうわけで、昔のスラムで分かった経済学や心理学を思い出すしかない。

スラムとは言うが、悪い人間は居なかった。

もっと、昔と同じように分かれば分かる。理想や信念から、社会の構造を分かった、人生と世界の構造を思い出せば良い。

もっと昔を思い出すしかない。そこが、インド人だ。黒人の心理学者の右翼とは、今からの自分のことを言っている。もう既に、全て分かっている。まだ世界を支配している。

高校数学が嫌いなら、数学検定と言う手もある。だが、それは普通おかしい。

高校数学は、数学III+Cまできちんとやれば良い。何故か、しないのがおかしい。

数学をしないで分かるわけがない。自分は、それが一番良く分かる人間のはずだ。

昔と同じことはしなくて良い。同じに見えて、違うのが分かっていない。

もう、昔のような体験はしたくない。あれに戻ると怖い。

辛くて、2ちゃんねるに統制された、地獄のような、悪魔のような人間だった。

本当に最近の方が良い。そういう、馬鹿が賢いだけだ。馬鹿は馬鹿なほど賢い。

昔は狂っていて馬鹿な、中卒だ。これでは、そういう人間に見えない。きちんと賢くなったように見える。最近は、平凡な普通の人間で、英雄だ。悪魔の地獄の逆だ。

ただ、昔は賢いから、思い出した方が良い。ネットの馬鹿な社会を全部分かっているのを思い出すと、ドイツ語やスペイン語すら出来る。すでにそういうものは分かっている。

昔、オープンソースの開発プラットフォームを作るとか、数学を数列で統合するとか言っていたが、そういう発想法をもう一度考えれば分かる。

そうすると、クラウド的なEmacsでも作れば良い。まさに、そういう発想が賢い。

あとは、リットルとグラムの関係とか、数学的なことを考えると良く分かる。

昔は、そういう、常識的で関係的な知識や構造を全部分かって、その上で文章を書いていたが、全く覚えていない。哲学や文章を思い出す中で、そういうものを忘れてしまった。

父親に聞くと、グラムとリットルの関係なんか、無い。そういうものには、比重がある。比重を発見したのは、アルキメデスだ。そういうわけで、また恥をかいた。

アルキメデスは、同じ体積での金と銅の重さを比べて、王様の王冠に使われている金や銅の違いを分かった。良く分かっていないから、間違っているかもしれない。

昔は、数学的に正しく考えて分かる人間だった。何でも、正しく考えれば分かる、そういう構造を作っていた。理性的で、経験的で、構造的で、帰納的で、演繹的な構造だった。

そろそろもう分かった。あとは、数学のことをきちんとする。

もっと、物理的なことを分かった方が良い。

姉がいつか言っていたが、物理の分かる人間が数学が出来る。姉はプログラマだから、参考になる。物理が分からないと、数学は出来ない。

あとは、書いていないものは、存在ぐらいしか残っていない。認識と気づきを良く考えて、意識で存在を吸収していた。人間性や人間の本性から、人間や社会の理想を分かっていた。ハイデガーとヒュームを足して二で割ったような知性だった。

あとは、数学的に意識や人生のことを分かっている馬鹿が多かった。

意識を思い出せば分かる。文章も、そんなものしか書いていない。

最近、意識が何なのか分かっていない。意識は、言葉になっている。普通、経験や記憶が意識になる。哲学者は、そこが分かる人間が多い。

ただ、それは、ネットで馬鹿なことをやっていると誰でも分かる。最近は、ネットのせいで、そういう人間になった馬鹿が多い。意識のようなものが、経験から分かっていた。

自分は賢くない。

意識をコンピュータのシステムのようにして、神のように分かっていた。そういう発想が、悪魔だ。悪魔は、そういう風に、知性が無くなって知性がつく。

自分は、悪魔が馬鹿なのが分かっていない。Linuxや右翼のような悪魔は馬鹿だ。誰もが、そういうものが一番悪く見える。良く見える人間は少ない。

あとは、欲求や習慣のようなことから、経験や環境を考えていた。

自由な行動を考えれば良い。昔は、自由な行動を考えていただけだ。

最近、関係性が分かっていない。普通、行動と思考の関係のようなことを考える。

いつも、そういう関係のようなことを書いていた。行動、思考、言葉、知、想像力、発想、理解、環境、経験、心、のような関係を考えれば良い。

そうすると、意識も分かって来る。だが、それはある意味、悪魔的だった。

逆に、ユダヤの神のようなところもあった。それは悪くは無いが、悪魔とユダヤは同じだ。

受動的な観念は学習から生まれるが、それは行動によって能動的に変えることが出来る。

何故か、そういうところが分かる哲学者が多い。

それは、心や理解の関係を経験的に考えているだけだ。誰でもそれで哲学者が出来る。

そういう風に考えると、ウィトゲンシュタインやハイデガーのように、像が分かる。

人間が見える、実在の像は、どんな形をしているのか。そういうところが分かれば良い。

要は、治りたい人間が狂っている。治らない人間がまともだ。

あとは、このまま、いつまでも賢いことを書いていれば、それで良い。

自分はまともだ。見ていると、8時間労働と同じぐらいやっている。何もおかしくない。

辛いのは、止めても辛い。止めると楽になるようで、何もする気が起きなくなる。やろうとする意志が無くなって、辛くなる。英単語すら出来なくなる。まだやっていた方が楽だ。辛いとは言うが、適当に耐えていれば良い。何故なら、治りたいから治っているだけだ。

あとは、経緯や習慣の違いと思えば分かる。

8時間労働と言うが、それは、国によって違う。それが習慣の違いだ。

経緯的には、産業革命以後、工場で経営者が労働者を働かせすぎるために、8時間を標準として、労働者を守る法律を作った。

だから、8時間労働も、社会主義運動の結果と言うことが出来る。そういうところがある。

そういうわけで、経緯を知って、国の違いを分かっていると、社会のことが分かる。

哲学は、そういう風に出来る人間が一番多い。カントやヘーゲルは、そういうものだ。

あとは、昔は感情で分かっていた。感情で、行動原理や経験を、マスターのように分かっていた。本当に神やブッダのように感情で分かっていた。

最近は、一転、感情が無くなった。何も感情が残っていない。この文章は、そういう風に、感情にあるものを全部消して、1つ1つ放出して書いている。それで書けただけだ。

感情を、もう一度、一から作った方が良い。行動や環境を考えるのも良いが、存在を吸収した方が良い。ポルノグラフィティや嵐を吸収すると思えば良い。それで感情豊かになる。

昔は、何かをした経験や実感から、行動原理を正しく分かっていた。

想像力や感覚から、感情で物理を分かった。感情を物理の機械にして分かっていた。

あとは、引き篭もりの人生経験から意識が分かっていた。

そして、環境から自然な体験と成長と、認識の段階で分かっていた。

何故か、引き篭もりは賢い。引き篭もりになって、一人孤独に世界を見ていると、誰でもキリストのような賢い人間になる。

自分を見ていると、そういう人間に見える。一人成長して、技術を養いながら、考えて、経験して、まっとうな人生を一人生きたように見える。

それこそ、良い人間に見えるから、ありえない。本当に、そこまで良い人間に見える。

そういう、キリストみたいな人生経験のある、マスターのような人間だった。

そういうわけで、自分が神だ。

あとは、もう無い。最近は馬鹿なのは、もう、まともな人生が終わったせいで、意味が無いからこうなる。作家になったのが良いから、これで良い。書いているだけ、楽だ。

今日は、もう11時だから、もう寝る。明日もきちんと書けば良い。