この世界の可能性を全部考えていた。
経験と社会の可能性を考えて、作っていた。
実現出来る可能性を分かった。手段を考えて、対象が変えられるのを分かっていた。
色んな人間の立場になれば分かる。
一体になって共有するとか、独立して自由に活動するとか、社会の考え方を作っていた。
原因と結果とか、宇宙の因果性や縁起とか、本当の理由とかを考えていた。
もう、この文章はそろそろ書かない。書かなければ賢くなる。
自分は作家だから書いて辛いのは仕方ない。それに、書くと元気になる。
もう止める、と思わない方が良い。それが一番辛い。今のままで楽をすると思えば良い。
英単語は、ユニット5まで終わった。500単語と、プラス、最初の数百単語(基礎のユニット0の単語)を覚えた。
英会話教室でやらないと覚えないところもあるが、頑張ればもう話せるかもしれない。
だが、そうでもない。ほとんど既に知っている単語しかやっていない。まだ話せない。
あとは、色んなことに気づけば分かる。
応用と所有の可能性、買って得られる可能性から、社会の共有の可能性が分かる。
昔なんか、実現と応用しか分かっていない。
毎日一つは書いて良い。それで分かる。それで分かる内容を書かなければ賢くなる。
革命のような戦いが多かったが、それは書くと悪い。
僕は、欲しいものは本しかない。もっと色んなことを知りたいから、本を買えば良い。
あとは、基礎と応用における、応用的なことを考えていた。
普通のこと、行動や感情のことを良く分かっていた。
哲学者のように考えて、正しく分かっていた。
全ての哲学者を包括するように、自由と存在と人生を考えて分かっていた。
これくらいで、哲学がどんな学問なのか分かる。
頭脳と人生と社会と関係における真理を考える学問だ。
あとは、理性を考えれば良い。
理性は、皆同じだ。理性は、平等に全員に備わっている。
心と言うものに、遺伝子的な違いはあまりない。経験と人生が違う。
だが、感性では分からないことが、理性で分かる。
理性で分からないことは、法則で分かる。
そのように、感性とその先にある心としての理性、そして法則を考えられる。
経験的に変わるところもあるが、普遍的で変わらないもの、当たり前の前提から、法則を考えられる。カントのように、前提条件を考えられる。理性には認識と経験と方法がある。
そういう、理性のようなことを考える文章が、いつも多かった。
当たり前の前提は、理性より上の、理性批判の段階にある。そこが分かる哲学者が多い。
あとは、経験しながら、世界にあるものを比較して、いくらでも具体的に、理性的に考えれば分かる。人間関係のことや、コミュニケーションのことから、社会における自分自身の存在の立ち位置のようなものを分かる。
当たり前のことを考えながら、覚えて比較したりして、可能性と現実解を出しながら、いくらでも出来るようになって、社会における「出来る」の可能性を分かる。
そこから、ハイデガーのような人生経験の発想になる。そういう風にすれば分かる。
何故か、こういう馬鹿はドイツに多い。そうでもない。日本に普通に多い。
あとは、謙虚で反省する心を持てとか、自由を尊重せよとか、秩序を皆の力で作るために協力せよとか、そういう、心構えみたいな文章が多かった。
自分はおかしくない。これくらいを書きたかっただけだ。
世界史の本をまだ読んでいる。
むしろ、永遠にそのままで良い。このままで良い。
楽にはなりたいが、違うことはしたくない。同じことをする楽が一番良い。
本当に違うことを何もしたくない。料理も仕事も出来ない。出来るわけがない。
あとは、世界を知って、実体験で分かっていた。
もっと理性的に考えれば分かる。そこが分からない人間が多い。理性的に考えれば良い。
テレビやネットを見て分かるわけがない。何もせず、書いて読んでいれば分かる。
皆もそうなった方が良い。ネットなんか要らないようで、昔の人生に必要だ。
昔のこういう人間は、ネットに同じ人間が多いから、ネットでの経験で賢くなる。
これくらいになると、ネットはもう要らない。もっといくらでも本を読めば良い。
これ以上、英語をいつまでもやりたい。英語は、こういう人間が出来る。賢い人間にも、馬鹿な人間にも出来ない。何もしないだけの悲惨な人間にしか出来ない。
自分は、哲学、歴史、英語をやって、出来れば経済学、心理学、そして物理学、宗教、文学などもやりたい。文系を全部やりたいが、それは出来るわけがない。
そういうわけで、哲学と歴史だけを深くやれば良い。
むしろ、哲学はそんなにしない方が良い。哲学と情報は、もうきちんと出来たのが自分だ。
ヘーゲルもハイデガーも狂っているから、しない方が良い。
歴史をやりたい。もっと歴史のことをたくさんやりたい。
経済学もしたいが、それは出来ない。専門とは、それだけをやる賢い人間のことを言う。
そんなにやっていると、覚えない。一つなら覚える人間しか居ない。
それこそ、覚えるなら出来る。政治経済まで覚えようとすると、おかしくは無いが。
昔は、自分で考え方と科学を作って、万能人みたいに分かっていた。
おかしくは無い。中学生が自分で科学を作っているだけだ。
馬鹿にそれが賢かったが、そんな人間は居ない。科学とは言うが、普通知識が多い。
そういう全部やりたいのは、今も昔も多いが、普通は高校がそういう学校だ。
あとは、良く考えて社会経験をした。社会と言うよりは、全部の経験をしていた。
自分は、歴史に向いている。それは、良く分からないが、向いているように見える。
哲学に向いていないどころか、昔のように考えれば、もう出来ているのが哲学だ。
そういうわけで、歴史と哲学の知識を吸収すれば良い。それできちんと分かる。
物理なんか、昔出来ている。心理学も経済学も情報も、昔出来ていた。
何でも出来るのが自分だ。そういうわけで、何でも出来ると思えば良い。
今馬鹿なのは、弱っていて、疲れているだけだ。
健康になって本気になれば、すぐに出来る。大学なんか、簡単に出来るだろう。
もう一度、人生を生きれば良い。自分や世界のことをしっかりと認識して、確かめて、正気になれば良い。それで哲学が分かる。
分からないのは、何も試さず、頭の中だけでしているからだ。こういう人間が馬鹿だ。
本当に学者みたいな馬鹿になった。頭の中の活動をきちんと認識して、試せば治る。
行動しないのがおかしいが、しなくて良い。馬鹿なことをしても、それは意味が無い。
あとは、理性的に考えれば良い。
昔は集合知のようなものを分かっていたが、新しく今から考えれば良い。
抽象的な同じと違う、予測、学習、論理学のようなものを考える。
具体例と法則のようなことを考える。
社会的には、秩序、調和、協力のように考えれば良い。
生命は本当は何なのか分からない。太陽と海から生まれたように見える。
おかしい。太陽にそれだけの能力があるように見える。
そういう風に、普通に考えれば良い。
生きているとは言うが、人間の命とハエの命なんか、同じだ。死ねば良いところもある。
冷徹に考えた方が正しいこともあるが、それはつまらない。命は大切だと思う。
ソ連や弱者救済と思うから、おかしく分からなくなる。自由にした方が良い。昔から、弱者で何も出来ない人間は、死ぬか、国が強制的に奴隷にするしかない。それで良い。
自由の方が、本当に賢くなる。それはおかしくない。精神がすぐに死んで楽になる。
あとは、論理的に社会や人間のことを考えること。解決や実現と思えば分かる。いつどうなるかから、環境と人間のことを、どのように作れて、変えられるか、そして、そのためにどうする必要があるか、手段やシステムはどうあるべきか、を考えれば良い。
今日は賢い。頭が冴えている。今日は何も馬鹿で無いから、まだ書いていれば良い。
協力することによって何が出来るのかを考える。
あとは、場の意識から歴史を考えていた。それくらいしか考えていない。
どのように考えるべきか、信じるべきか、協力するべきか、どんな社会を作るべきか、何をするべきか、自由な中でどうすべきか、のようなことをいつも自由に考えていた。
昔は、可能性を肯定的に考えていた。勝者になる自由も、あった方が良い。勝者は、何も悪くない。弱者を救うなら、社会を賢くするか、救いたい人間だけが救えば良い。
ただ、社会の矛盾と勝ち負けの中で、どうしても弱者や負けてしまった人間は発生する。
安心して生きられるようにするために、セーフティネットはあった方が良い。
それに、税金でしか出来ないこともある。会社にすると、どうしても金持ちだけを優遇するようになる。都心部でしか電車が走らないなどの問題がある。
だが、社会全体を賢くして、豊かにすると言う解決方法はある。
娯楽のようなものはあった方が良いと言うが、要らない。だが、皆が何もしない世界になると、意味が無い。娯楽はあった方が良いとは言うが、そういうものとは無縁な人間も多い。そういう人間に賢い人間が多いから、娯楽なんか要らない。
あとは、多様性とは言うが、多様性があるべきところでは多様性があって、要らないところでは同じにした方が良い。賢いものだけに統一すると、普通良い。
平等は、そういうところは正しい。だが、平等はおかしいところが多い。
自由で統一は悪くは無い。
平等は滅びるとは言うが、本当に廃墟みたいになるから、平等は悪い。平等は悪だ。平等は、悪だと思った方が良い。
もっと民主的にした方が、平和になる。
平等は悪くは無い。解放して、支配しないのは悪くは無い。だが、解放されるより、従いたい人間の方が多い。悪いとは言うが、ブラック企業なんか、きちんと働いているだけだ。平等の方がおかしい。ノルマ生産では、誰も働かない。
それに、戦いをそんなに悪いと思うのはおかしい。戦って強いものが勝てば、優れたものが残る。その積み重ねで、社会は改善されていく。負けたものは要らない。そうするしか、きちんと社会を改善する方法は無い。計画経済は、税金の無駄になるし、何も出来ない。
ただ、自由なんか意味が無い。会社以外の場所で何かやりたい人間はあまり居ないが、昔の自分はそういう人間だった。その理由で哲学者みたいに分かっていた。
あとは、計画経済もそんなに悪いものではない。国がきちんと考えて社会のことをするようになる。資本主義は、金儲けしか考えない。社会主義は、きちんと社会のことを考える。
ただ、社長は多い方が良い。独裁者は、権力のことしか考えていない。自由で組織を増やせば良い。多様で色んな社会と組織を作れば良い。法律も、決め過ぎず、自由な部分を増やした方が良い。色んな多様な組織が生まれた方が良いところもある。
そういうわけで、資本主義も社会主義も、悪い。もっと正しい、きちんと考えて平等で同時に多様にする主義があった方が良い。そういう理想の思想が無いのは、まだ地球が進歩していないからだ。進歩した社会では、皆きちんと分かっていて、国がきちんと考えて、無政府主義のような自由を達成する。それは悪くは無いが、言うと宗教に見える。
そろそろきちんと分かった。もっと色んな社会のことを考えた方が良い。
教育は悲惨に見えて、平等なんかしない方が良い。平等を教えるせいで、反抗的な人間になっている。権力と戦いたい人間が多い。そこが間違っている。子供は、そういう理由で、議論出来ない馬鹿な人間になる。左翼教育では、人間は分からない。
最近、あまりに社会が均一的、画一的になっているから、多様性と自由のある社会になった方が良い。多様な環境から、賢い人間が育つ。
昔は、そういう多様性と共有が好きだった。世界を救いたいから、自由と言っていた。
だが、何もしない自由では、馬鹿になる。きちんと統治して、良い世界にした方が良い。
あまり意味が無いが、自由はそういうところを賢く作るように見える。自分がそういうところを出来る人間だったから、自由と言っていた。自分が何でも出来るせいで、自由が良く見えた。それも、誰でもそういう風に出来るのが分かっていた。
そういう、ネットの自由だった。そんな賢い人間は居ない。それは、平等の方が良い。平等が一番、そういう賢い人間がやるのを考えている。独裁は、革命家なら、きちんと救えるように見えるから、そういう風にする。失敗するならすれば良いが、本当に失敗した。
皆に教えて、分からせて変えれば良い。それは、自由にこの世界を支配して行えば良い。出来なくはない。こういう風にすれば良い。きちんと書けば、皆も分かる。そういう風に、正しく自由に変えるなら、善人だ。昔は、そういうものを、環境を自由にする、メタ的に考える、と言っていた。
皆に教えて、環境を変えて、この世界を1つ1つ変える。きちんと教えれば、皆もきちんと分かる。そういう、平等な自由が正しい。
だが、それでは何も出来ない。自由に出来るわけがない。ドイツで良い。あれにやらせれば、何か出来るように見える。オバマは間違っていない。オバマは希望だっただけだ。今から見ると馬鹿には見えるが、何かやってくれるように見えた。普通、それが悪い右翼なら、出来るから仕方ない。左翼の黒人だから出来なかっただけだ。右翼の方が良い。
あとは、変える方法も、強制的ではなく、自由な合意によって変えた方が良い。
昔は、そこを良く考えていた。
良く考えると、他にあまり書いていない。そういう、自分の独自の自由な思想を書いていた。そのせいで、多様性や手段と言っていた。実現可能性を考えていた。
そろそろもうない。本当にそれくらいしか書いていない。
ソ連の間違いは、強制的に平等にしようとしたところだ。トップダウンで平等にすると、帝国主義と何も変わらない。もっとボトムアップで、自由に平等にした方が良い。そうすると、宗教は普通そういう風にする。それこそ、それも悪い。おかしく監視社会になって、殺して処刑するようになる。キリスト教と共産主義なんか、何も変わらない。
もっと色んな人間が集まって考えた方が良い。それが一番賢い。
色んな人間の社会を見聞きして、自由に経験する。最近の日本はそうなった。それは、インターネットというものが生まれたからだ。インターネットは賢いから、あった方が良い。
自分は、こういう風に書いていると、何でも書ける。すでに全て分かっている。
ソ連を悪いとは言うが、たまに社会主義から発想を取り入れると良く分かる。
基本的に人間は馬鹿で、何も分からないが、そこでやりたいことや能力は誰でもあるから、自由にした方が良い。何も分からないから、自由にすべきだ。当たり前なのに、分からない左翼が多い。良い国なんか作るよりも、賢く行動し、実現すべきだ。それぞれの状況や場合を考える、と言うよりは、誰もが馬鹿だ、と言った方が正しい。
昔は、あとは、独創的な発想が多かった。MozillaのXULをデスクトップ環境にするなどと考えていた。芸術も、視点や意味を生かして表現する、としていた。オープンソースのせいで、そういう発想が多かった。
今は、普通の発想が多い。大量に普通の発想を書くせいで、何もしなくても分かる。
今考えると、平等の方が良く見える。理性とは言うが、自由は殺すだけだ。理性なんか無くても、正しく考えて、善の発想をすれば良い。そうすると、平等の方が良い。
むしろ、教育なんか、自由が悪いだけに見える。平等にして、思いやりを豊かにすれば良い。そういう風に考える人間の方が多い。
不良と優等生が平等なのはおかしいとは言うが、もっと平等にして、全員を優等生にすれば良い。不良が生まれるのは、自由な格差があるからだ。全員を善良にした方が良い。
自分が英語などが出来るのは、やっていると楽だからだ。
賢い人間は、こういう人間が多い。やっていると楽だ。
そういうわけで、出版社か新聞社にでも入れば良い。会社に入ると、楽になる。何でも楽に出来るようになる。大人には、そういう、楽に出来る人間が多い。
引き篭もりは、文章を書くしかない。あとは、パソコンぐらいしか出来ない。真面目に考えて、オープンソースなら自分でも出来る。そういう、馬鹿な引き篭もりが自分だ。
だが、プログラマになるのは結構悪くない。難しいことが簡単に分かる。昔は、そういう人間だった。賢い人間は、仕事で分かる人間が多い。
プログラマに物理が分かるのは当たり前だから、昔はそういう風に物理を分かっていた。
そういうわけで、会社に入るのが楽だ。だが、誰でも仕事は辛いから、止めた方が良い。
昔は、仕事のことを具体的な知と想像力と経験から分かっていた。自分は、仕事を考えないのがおかしい。大学はおかしくは無いが、誰でも仕事を考えれば分かる。
仕事のことを考えた方が良い。何故か、何も考えていない。文章を書くのが好きなら、それを仕事にすれば良いようで、それはしたくない。永遠に書いているのは、辛い。
もっと、製造業のような仕事になるのは良いが、それは悪い。ただ辛いだけの機械になる。
むしろ、辛いだけの仕事や、機械のような仕事しかない。
賢い人間は、責任のある仕事が多い。その方が辛い人間が多い。学者は勉強が辛い。
馬鹿は楽だ。何故か、そういう仕事を考えないで、社会のことが分かるはずがない。
社会のことを知りたいなら、仕事を考えた方が良い。
昔は職業のことや人間関係のことや時代のことを分かっていた。未来学者のように考えた。
そういう風にならないのがおかしい。もっと実地的に考えれば、人間のことが分かる。
昔は、そういう風に社会や職業のことをネットで分かっていた。
この世界には馬鹿しか居ないが、馬鹿にも良い点はある。馬鹿は普通だから、誰でも皆と同じ馬鹿になれば分かる。それに、馬鹿と議論をしていると、賢いことを言う人間が多い。昔は、そういう風に、馬鹿な大人と会話して分かる子供だった。そこが賢かった。
それこそ、皆と付き合えば分かるのが分かっていない。誰でも何でも教える。ネットは悪くは無い。そういうツールだと思って、会話や情報を吸収すれば良い。
製造業や知的産業を吸収していると分かる。そういう、職業を吸収する、と言う発想が無いのがおかしい。普通、大学なんか何もしないだけだ。職業を考えると良く分かる。
昔は、機械の仕組みや責任ある仕事の立場を吸収して、それぞれが何が出来るのか、何をしているのか、どうすれば出来るのか、自分は何をするべきか、考えて分かっていた。
昔は賢かった。社会のことを知った方が良い。それで、自分の今いる立ち位置が分かる。
専門知識が無いと出来ない仕事は多いが、それは方法と特性を分かれば良い。
マネジメントのような、組織と管理の考え方は多い。
何故か、そういうことを言っている文章が多かった。昔は、仕事のことも分かっていた。
昔分かっているから、分からなくて良いのが仕事だ。それをもう一度考えれば、出来る。
そういうわけで、あまり賢くない方が賢くなる。それは、賢くない。
あとは、工場のプロセスとか、創造的な店とか、作っていた。
それから、宇宙を全部作っている文章が多かった。宇宙とは、場、観測、法則の共有であり、手段とは、それぞれの意志の実現であり、生命の肉体は手段である。そういう、馬鹿に宇宙を全部創造して、可能性や変化を創っている文章が一番多かった。
生命は、自由へと向かう、川である。自由とは、絶対精神へと至る、宇宙の信念である。
そういう、どうでも良い宇宙の神のようなことをいつも書いていた。
あとは、アラビア語とか、色んな人生にあったものや世界観をいつも言っていた。
何故か、きちんと分かっている、アリストテレスのような、大人の子供の文章だった。
あとは、反体制派のようなことを言っていた。
社会は、自然に積み重なって変わるとか、ボトムアップ的に市民のための社会を作るべきだとか、そういう、革命家の自由のようなことを言う。
それが、共同体の歴史や、一体と独立のようなことを言う。分散した共同体と言う。オーウェンのような、社会的な実現と手段のようなことを言う。生産手段を言う。自分の経験を全部言う。昔は、そういう、左翼の革命家だったのが自分だ。
あとは、成長とか、自立とか、自分の経験や実存主義のようなことを言って、そこから社会を作っている、馬鹿な哲学者の思想家のような文章が多かった。ヤスパースやサルトルのような、実存主義のマスターだった。本当にキリストのようだった。
今日は、社会的な経験の日かもしれない。そろそろ書くのを止める。もう全部、最後まで書いた日が今日だ。今日も本当に良い日だった。辛くない。
意志、手段、目的、環境、共有など、馬鹿な社会を自由に作っている馬鹿が多かった。
今日は楽しい。本当にもう辛くないのは、ほとんどもう既に全部治っているからだ。
治りたいなら、これで良い。書いていると、治る人間が多い。
あとは、心理学が多かった。実験心理学や臨床心理学のようなものを、昔から作っていた。
昔は、仕事のことを考えて分かっていた。2ちゃんねるだったが、アニメの仕事やプログラマのことを考えて良く分かっていた。そういうわけで、昔の方が賢かった。
ネットは見ない方が良いが、本でも読めば良い。仕事のことが全て分かるせいで、きちんと高度なことが経験から分かるようになったのが昔だ。そういう風に、自由な職業の経験から、高度な哲学のことが分かっていた。それを、オープンソース社会などと言っていた。
本当に、仕事のことを考えれば良い。自動車から飲食店でも考えると、馬鹿なものは馬鹿で、賢いものは純粋にそれだけがあるのが分かって来る。普通、そう言うことが分かる。
ブッダは、きちんと仕事のことも分かる。仏教をするのは悪くない。
昔は、仕事の経験をネットで全部して分かっていた。
色んな仕事をしながら、パソコン業界の知識で分かった。そういうものが、全部自由で、全部融和して分かっていた。自由に仕事と同じことをして分かった人間だった。
そろそろ、皆を自分にするのを止めた方が良い。そこがイモムシに見える。皆は、そろそろ、自分の大学を卒業して、すぐに普通の人間になる。著しく馬鹿になるのが治る。
自分になると、廃人みたいな馬鹿になって、キモイことを言うようになる。それが治る。そろそろ、皆、自分では無くて、まともな社会的能力のある大人になれば良い。
自分は、皆のことを自分の子供のように育てて、愛しているが、それがイモムシだ。
イモムシはもう終わりだ。本当にキモイ。大量のミミズを育てているように見える。
科学は全部したかったし、人種は全員になりたかった。国民性を吸収すると言っていた。
そろそろもう終わりだ。もう、本当に、これ以上頑張りたくない。もう何もしたくない。
それはおかしい。まだ始まったばかりだ。疲れるなら、休めば良い。
何か、癒しのようなものがあれば良いのにと思う。それから、思い通りに生きられたら良いな、とも思う。今の社会には、そういう、憩いの場が少ない。それを作った方が良い。
昔は、あとは、コミュニティのようなものを作って、それに自由かつ平等に参加出来るべきだ、と言ったことを考えていた。
社会学は、同時に環境学だった。環境の一部になって分かっていた。
もう怖くない。皆は、支配の対象ではなく、恋愛の対象になる。そのまま、皆と家族のようになるようで、それはもう終わる。そういうキモイ支配者の家族のソ連が要らない。
昔は、社会を経験して、社会的な自分の居る立ち位置のようなものを分かっていた。
自分が賢いのは、馬鹿な戦いのようなことを経験したからだ。
皆も、戦いを経験すると良いだろう。それで、自分が最近まで全部出来る。
社会経験は、もう終わった人間が多い。自分のような、王になって戦えば良い。
そういうわけで、皆、もう狂った地獄になる。何故か、自分が自分にするのを止めると、地獄になるだけだ。まだ止めなくて良い。国民全員地獄はおかしい。
何故か、認知症は、そういう風になる病気で、自閉症は、最初からそういう人間だ。
いつもの文章はもう分かる。そろそろもう分かって良い。
いつもの文章は、相対的な場やプラットフォームから、方法論と経験論を作っている。
経験から、この社会をどうすれば良いか、のようなことを言っていた。
王になって、環境や秩序のパターンを全部作っていた。全部の国を作っていた。
そして、数学のような抽象的なことを言う。
人間は、人格から心理の現象を分かっていた。それくらいの馬鹿だった。
実感や具体例と言っていたが、記憶と照らし合わせて、賢い人生論の真理にしていた。
あとは、普通のことを言う。世界観や実存主義や行動の本質のようなことを言っていた。
認識や活動や知覚のようなことを全部捉えて考えていた。
絶望していた。自分の意図に反して社会を滅ぼす。それもおかしくは無い。世界を一度支配するために、皆を革命的な言動で怖がらせていた。今見ると、虫みたいにキモイ。
あとは、秩序や環境を作っていた。
環境は、価値ある社会、正しい社会、善良な社会、成長する社会、協力する社会だ。
そういう風に作るだけではなく、秩序やルールをシステムにして、決まりから環境を作っていた。何もかも、全部自動的なシステムにして、手段をプラットフォームにしていた。
もっと、精神を良くすれば良い。精神を良くすると、きちんと言葉が分かる。
精神は、怖いことをしていると良くなる。そういうわけで、怖いことをしていると、知性が無くなったのが治る。
馬鹿なのは、怖いことを拒否するからだ。怖い環境に変えた方が良い。それで賢くなる。
怖いものを悪いとは言うが、怖いものは、怖くない人間から見ると、良いものに見えることが多い。怖いものは悪くない。怖い日本が一番良い国になっている。
良い精神になるためには、戦って勝つことだ。不思議と、勝つと分かる人間が多い。賢い人間には、戦って勝つと分かる人間が多い。だから、馬鹿の方が分かるようになる。
あとは、自宅で仕事をするとか、色んな仕事が出来るようにするとか、馬鹿な自由な社会の発想が多かった。普通は無い。自分が一番馬鹿だ。
最近、僕はスヌーピーが好きだから、全部スヌーピーだ。筆箱からシャーペンまで、全部スヌーピーを買う。ただ、スヌーピーなんか、翻訳の付いている漫画を3冊読んだだけだ。もっと賢い文学作品がたくさんあるから、それを読んだ方が良い。あとは、北欧神話が好きだ。それこそ、馬鹿な神話なのに好きになったのがありえない。
昔は、ドラえもんの映画が好きだった。物語が馬鹿なのは分からない。誰もが、一番賢い物語に見えるのが、映画のドラえもんだ。大長編を漫画でいくらか持っているが、最近はドラえもんが好きだった世代が大人になっている。自分と同世代には、真面目な良い人間が多い。自分は、前田健太と同い年だ。本当にこの世代に良い人間が多い。
あとは、環境、社会、人間関係を、成り立たせて、仮定して、比較して、何がどうなるか考えて分かっていた。
相手の環境を支配して、変えていた。
環境を変える、自由にするとは、そういうことを言っていた。
ロックのような、経験論的で心理的で社会的な観念のようなことをいつも言っていた。
環境の一部になると、皆が最近になって、神が居なくなる。もう、自分で考えれば良い。
環境の一部になるのが怖い。昔が分かる。そこを受け入れると、すぐに精神が治る。