日記に戻る | 2015年12月の日記に戻る

=2015-12-09=

環境を比較して分かっていた。

環境の一部になると、日本が滅びる。その代り、治る。

ドイツのような共和国は、独立するべきだ。

経験のせいで全てが逆になっているから、逆を治した方が良い。

夢で見たが、コンピュータは使いようによっては、大変なことになる。

コンピュータは自動化の機械だから、何でも自動化を実現出来る。

そうすると、ネットのアカウントの取得と管理、ブログなどの情報の取得と公開、銃などの構築と戦いの実現、そして大学の入学と卒業まで、何でも自動化出来る。

簡単に高度なことが何でも出来るようになる。Webアプリケーションにすれば良い。

家庭用ロボットが普及すると、そういう風になるだろう。

Androidの次だ。何でも自動化して、何でも出来る。それがパソコンの行きつく先だ。

現実的には、勝手にアカウントを取って、何でもかんでも出来るようになる。

あまり意味が無い。危険思想に見えるから、あまり言わない方が良い。

善良な発想をすると、勝手にグーグルやWikipediaで検索して、質問サイトで答えるプログラムみたいなものが作れる。

危険な発想をすると、戦車のようなものや、ドローンによるテロが出来る。

本当に意味が無い。パソコンは最初からそういう機械だ。パソコンなんか無い方が良い。

作業の効率化と円滑化を実現するためには、ロボットを標準で搭載するようにすれば良い。

もう、分かるのが悪いから、分からなくなる。

最後まで人生と活動が全部分かっているせいで、何でも分かる。

解決方法なんか、全部分かっている。

詳細まできちんと分かる、行動と構造と知識の文章が多かった。

記憶が悪いから、記憶が消える。昔の記憶が消えて、分からなくなって、精神が治る。

あとは、きちんと分かっているのを書いていた。

行動には判断力が必要だとか、全ては思考から生まれる可能性の具体化だとか、行為と思考の関係だとか、理解と発想の関係だとか、人格を作るとか、環境を自由にすべきだとか、色んなきちんと分かっていることを言う。

共産と自由のどちらにもなりたいのはおかしい。普通、それは敵対し合う。

共産と自由が融和したのを止めて、また2つに分けて考えれば良い。そこを治すと治る。

キリスト教とイスラム教もどちらも好きなのもおかしい。それも2つに分ける。

昔と今もおかしい。それは、分けるより、1人にした方が良い。

あとは、具体的に抽象性や相対性を考えていた。

どこか1つの国を好きになった方が良い。フランスが良いと思う。

哲学者は、誰か1人を詳しくやれば良いが、哲学者はもう良い。もう哲学はしない。

哲学は、大陸合理論をすれば良い。デカルトが昔で、スピノザが最近だ。

デカルトをやっていると、昔の自分がもう一度出来る。だから、デカルトが良い。

あとは、自分一人だけが出来るようになるのはつまらない。皆と分かち合って、教え合って、共有して、皆が出来るようになった方が良い。もっとそういう風にすれば賢くなる。

昔は哲学で、最近は宗教だ。

もしかすると、昔、剰余労働のようなものもあったかもしれないが、覚えていない。

ドイツと、カントとヘーゲルが良いとは言うが、それは悪い。

本当に良い選択肢は、ブッダと日本だ。日本史と仏教をやれば良い。それが一番良い。

おかしくは無い。昔の自分はデカルトと同じだ。デカルトそのものみたいな人間だった。

むしろ、フランスとカントとヘーゲルを、ドイツも含めてやれば良い。

本当にそれが一番良い。フランス、ドイツ、カント、ヘーゲルぐらいをやれば賢い。

昔の人生で分かったことがヘーゲルで分かる。そういうところが誰でも同じだ。

ゆっくり賢くなれば良い。それなら出来る。それが一番賢くなる。

昔は、馬鹿になっただけだ。どんどん馬鹿になっている。

自閉症の良い点は、いつまでも若いままで居られるところだ。

そういうわけで、自分も遅い方が良い。昔、あまりに早熟だったせいで、馬鹿になった。

止まった環境に適応すれば治る。そうすると、止まる。

環境の一部とは言うが、昔は、環境に適応して賢くなった。

環境に適応すると、意識が高くなって、賢くなる。

緻密に、厳密に、建設的、具体的、論理的に、感情と環境の学問を作っていた。

最近、環境に適応出来なくなっている。

それは、昔が怖いだけではなく、日本が滅びるからだ。

信念や価値観の因果性を分かっていた。

もう、楽になった。何も辛くない。それですぐに精神が治る。

ネットは、色んな文章をいくらでも無料で読めるのが良い。昔はそれで賢くなっていた。

あとは、ゲームはしない方が良い。していると、誰でも馬鹿になる。

自分が馬鹿なのは、ゲームが悪い。何もしていないだけだ。

あとは、心理学のような哲学を言う。

認識から世界は変えられる。感情と認識の比較から、対象は吸収出来る。

学習から、感情と習慣が生まれる。感情と認識は全て、経験的である。

あとは、学習と経験と知性と認識のような、心理学のことをいつも言っていた。

あとは、人間がいつどのようなことを行動し、思考するか、などを実験から分かっていた。

そして、治す方法のようなものは、仏教的に分かっていた。

人間の本性をヒュームのように分かっていた。全て、ネットの具体例で分かっていた。

あとは、哲学者のように、心理の融和的、関係的な作用と行動の成り立ちから、理想や未知やこの世界や環境のようなものを分かっていた。

ヘーゲルのように絶対精神を分かっていた。

また、ハイデガーやウィトゲンシュタインのように、世界観と存在と像を分かっていた。

もっと、哲学者のように考えれば良い。哲学者全員のことが、既に昔分かっていた。

あとは、全体像や客観視、意図、予測などを考えれば分かる。

社会のことを知って、自分の今いる立ち位置のようなことを考える。

もっと詳しく分かるためには、数学的に考えること。

そして、知り尽くし、分かり尽くしながら、色んな体験をすること。

可能性豊かな環境があるべきだと考えていた。

皆の立場になって考えていた。その人や立場自身になったつもりで環境を考えていた。

止まった環境に適応すると、もうすぐに自分が楽になって、皆も楽になる。

最近、キモくなった人間が多い。自分のせいで、キモく辛く馬鹿になっている。

自然な環境の発展や、時の流れ、可能性、のようなことをいつも実感で考えていた。

そろそろ、世界は止まって楽になる。最近は、適応出来なくなって、止まれなくなった人間が多い。それは、自分のせいだ。それを僕が治す。

僕にしか治せない。そのせいで、こんなに賢い人間になった。僕にしか分からないから、まだ分かっている。自分は、それで、出来ることを全てするのが賢かった。

ただ、おかしくしたのは自分だ。治していると、そのせいで治らない。世界を崩壊させるのは、もう止めた方が良い。自分が治すとは言うが、治るわけがない。単純に、他におかしくなったのを気づかせれば良い。おかしくなったとは言うが、何もなっていない。

世界は昔のままだ。そこが悲惨だ。自分だけあまりに分かっていない。何も変わっていない。そんなに努力したいなら、分からない方が良い。それで賢く出来たのが、王だ。

あとは、文章を書いて、人生を詰め込んで世界を変えたとは言うが、何も変わっていない。

あまり怖くないのが分かっていない。何をしてもおかしなことは起きない。そこを分かるために、まだおかしなことをしているが、世界は関係ないと思って、適当に終わりにした方が良い。ここまでの馬鹿がユダヤだ。ユダヤ人は可愛い人種で、こういう革命をする。

昔は賢い人間だった。建設的に知を積み重ねながら、経験して分かっていた。

だが、あれは何も出来なかった。自然な体験とは言うが、馬鹿なのに経験で分かった。プログラミングなんか、何一つ出来なかった。ただの馬鹿だ。

手段などを考えて、行動のことや社会のことを深く、広く、高く分かっていた。

影響力とLinuxのシステムから、世界を変えた。Windowsだけが滅びた。

戦いとは言うが、戦っていない。世界を救いたかっただけだ。昔からそういう人間だ。

そういうわけで、皆も馬鹿になって世界を救えば良い。それで最近が出来る。

ここまでやると、馬鹿なのに賢く見える。

皆、こういう人間が馬鹿なのが、最近分かる人間が多い。

皆は、こういう人間のことを「普通」と言っている。普通、こういう人間になる。

体験して、経験から真実を知って、体験の理由のようなものを積み重ねて分かった。

そういう風にすると分かる。そういう、「分かる体験」が多かったのが昔の自分だ。

それで、ネットでのコミュニケーションや会話や経験が多かっただけだ。

そろそろ書かなくて良い。

分かりたい人間になると、すぐに分かる。昔は、分かりたい人間だった。

分かりたい人間になると、数学、心理学、経済学が出来る。

最近、治りたい人間になった。治りたいと、辛くなって、分からなくなる代り、賢くなる。

あとは、勝ちたい人間が多い。

分かりたい、治りたい、勝ちたい、くらいしかない。そういうことをいつも言っていた。

学習と経験から、経緯を考えていた。こういう人間は、学習と知性を考える人間が多い。

日本の文化や価値観から、民族性を分かっていた。

店は自由だと言っていた。

場所、環境、支配、システム、視点、観測、法則、のようなことを分かっていた。

特に、環境と支配が多かった。そういう風に分かっていただけだ。

分かりたい人間になると、大学が出来る代り、辛い病気になって、鬱になる。

勝ちたい人間は、馬鹿になるが、その代り、偉大な良い人生になる。

ヨーロッパ、ロシア、アメリカ、アジアは、文明の衝突である。

いつもそういうことを言っていた。特に、日本とドイツとロシアを考えていた。

あとは、現象的、数学的に、そこまで緻密に説明して分かっていた。

数学は、仮定、条件、論理学、正当性、構成要素の、分析と実現の能力の分析である。

物理は、数学的な論理性の中での、現象の場合ごとの判別である。

実験は、心理学、物理学、経済学に共通する、説明の具体的な発見である。

そういうことを言う。全部説明して、緻密に全部分かっていた。

あとは、前提から意味を論理的に考えれば分かる。

人間を皆同じだとは言うが、経験、記憶、世界観を考えると、皆それぞれ違う。それぞれ違うことを知っているし、違う世界に生きている。その人から見ると、その人が正しい。

視点やプラットフォームと相互作用のような、考え方の文章をいつも書いていた。

場とは、支配だ。

人格とは、基盤だ。

もの作りとは、知恵と工夫の共有と、プロセスだ。

時代は、経験だ。

会社は、知恵の収集と手段だ。

いつも、そういうことを賢く言っていた。

テレビの一部になると、テレビが滅びる。

Windowsと同じだ。そこまで滅ぼすのはおかしい。

子供は、対等な話し相手が居ないのが辛い人間が多い。

子供の視点に立って、対等な立場で付き合った方が良い。

ママもパパも大人すぎて、子供の視点に立てていない人間が多い。

昔からそういうところが分かる。相手の立場に立つとは、そういうことを言っていたようで、世界観によって支配する、のような、自由な支配のことも含めて言っていた。

そういうわけで、テレビが滅びる。そうなってしまうと、もう怖くない。

当たり前に日本人がおかしくはなる。それで良い。それをするのが一番怖かった。

子供は、子供の視点に立って接してあげるべきなのが、分からない大人が多い。

大人から見て、子供はおかしいことをやっているように見える。それを子供が分からないように見える。だが、子供は、何かの理由があってそれをやっている。

まあ、あまり意味が無い論理だ。

昔は、色んな人間の言うこと、意見することを、ネットで聞いて分かっていた。

最近は、神の話のようなものを分かるとは言うが、人の意見を全く聞いていない。

もっと人の意見を聞いた方が良い。だが、賢い人間は居ない。普通の人間はつまらない。

子供は、遊ぶのも良いが、危険なものや悪いものはきちんと悪いと教えるべきだ。

分からないと、馬鹿なことをする。分からない子供は、親がきちんと教えていない。

そういうわけで、子供は悪いが、親も悪い。きちんと教えてやらないと、分からない。

神と対話しているのを、永遠にしているせいで、誰もが自分が神に見える。

ユダヤ人から見ると、自分の神がキリストで、自分が神に見える。

何故か、ユダヤ人の神に見える。何故なら、普通ユダヤ人が誰でもこういう風になる。

そういうわけで、自分が神だと言うとおかしい。神に見える天使のガブリエルが自分だ。

いつもきちんと賢いことが言えるのは、同じことを繰り返し言っているだけだ。

そういうわけで、やけにドイツ人がこれが好きだ。それも、昔の自分が好きだ。

ユダヤ人は、こちらが好きだ。誰でもこういう地獄にしかならないと言う。

神とは言うが、神はキリストだ。神なんかただの馬鹿だ。

法則を実感で分かるとか、そういうことを言っていた。

いつもの文章は、もっと昔を考えれば分かる。昔をそのまま書いているだけだ。

そういうわけで、何故かこの世界の全員、全ての社会、のようなことを言っている。

それも、可能性を作っていた。

そして、マスターのようなことを言って、宇宙の法則を作っていた。

国は、色んな国を作った。自由から慈悲深い未来社会まで、色んな国を作っていた。

分かること、経験したことを全部言っていた。実存主義のような文章だった。

何でも分析した。

あとは、考え方のようなことを言う。「法と可能性」のように、考え方を全て書いていた。

環境を自由にするとか、世界観のようなことを全部言う。

消費と生産のように、国のことを簡単に文章に書く。

そして、知性や心理学のようなことを言って、視点と環境を作っていた。

もっと良く考えると、人生を遡って、全ての人生を書いていた。

そして、平等な支配者になっていた。

グループや集団自治のような、政治のようなことを考えていた。ありえない社会を作った。

理想とは何なのか、思いやりのようなことを考えた。

良く考えると、共同体や組織などの社会や、この世界の全部の構造を書いていた。

全ての結論を書いて、全て言葉にして分かっていた。

誇張が多くて、皆を支配して、やっていることと言っていることが違う。

醜い文章だから、もう忘れた方が良い。あとは、「ありがとう」や「さようなら」と言いながら、国を作ったり、自由と言ったりして、最低のことを言っていただけだ。

ロックのような経験論を書いて、数学、文字、物理、心理のようなことを言っていた。

そろそろもうない。何故か、哲学者のような文章を、全部自分で考えて書いていた。

文章を思い出しても分からない。昔の自分を思い出せば分かる。

環境論や、哲学的な知恵と発見の方法、考え方のようなことを分かっていた。

教育は、実地的な社会分析といじめや抑圧の解放のようなことを言う。

そして、社会の作り方のようなものや、認識や分析の方法のようなことを言う。

見方を変えるとか、考え方を変えるとか、そういうことを言う。

EUを理想と言ったり、新しい心理学や経済学の思想を作ったりしていた。

経験から、法則の分析の方法、デカルト的な意味と予測、そして全部の論理を言っていた。

弁証法だけではなく、論理学のようなものをそこまで考えていた。

メタ的な考え方で、世界のことを全部発想した。

そして、自由な発想から、この世界のことを自由に、自然に、可能性的に分かっていた。

社会の可能性と機会や手段による人生と国家の実現を書いていた。

引き篭もりになった経験から、全ての実体験の予測と、可能性の実現を書いていた。

文章から科学まで、自分で作った全てのことを、思い出して、想起して書いていた。

あとは、共同体の実現のように、全ての可能性と昇進の段階を書いていた。

認識や理由の段階など、理性的な世界を知る発想をいつも書いていた。

あとは、国際的なことを良く考えていた。

ソ連の問題点、ファシズムの問題点、資本主義とアメリカの問題点など。

そして、科学や理性的な哲学のようなことを、いつも言っていた。

文明的にロシアやドイツを考えたり、歴史的にファシズムやソ連を考えたりしていた。

もっと、色んなことを普通に考えれば分かる。

自由に報酬を与えるとか、豊かな経験のある環境を作るとか、考え方をいつも言っていた。

もっと、普通に考えれば良い。それも、発想して考えれば良い。

洞察力と発想と自分の経験から、この世界にある真理が見えて来る。

真理から知性がつく。発想から理解が生まれる。

そういう、実体験に基づく哲学的研究の知恵のようなことを言っていた。

それくらいを言っている。

それで、段階や宇宙の構成要素を自由と言う言葉で、いつまでも永遠に書いていた。

弁証法を書く以外に、カントのような哲学的考え方を、全部「どのように」などで言う。

あとは、自分の人生を書いている。

本当に、自分の人生における哲学的な研究の知恵をいつも書いていた。

そして、知恵だけではなく、心構えや心理学のようなことを言う。

社会は、自分の分かる範囲で、自由な社会がどのような変転を辿って行くか、のようなことをいつも書いていた。共同体と宇宙の歴史をいつも書いていた。

もっと、五感や信じる心のように、人間のこと、精神のこと、心のこと、頭脳のことを良く考えれば分かる。

感情には意志があり、自分の経験から正しさが生まれる。そういう、ソクラテスのような、色んな人生における真理の発見のようなことをいつも言っていた。

ソクラテスと思えば分かる。場から観念が生まれて、それは感情へと至る。それは、経験となり、想像力となり、実現となり、行為となり、人生となる。そういうことを言う。

そろそろ分かった。それを言いたかっただけだ。

あとは、もの、想像力、原因と結果、社会、科学、経験、国家や人生の実現、のようなことを、ただ単純に見て書きながら、世界の構造を作っていた。

何でも構造をそのまま書いていた。そういうわけで、昔の人生ではなく、昔考えた構造、と思えば分かる。

そうすると、場、システム、心理学、宇宙、世界、歴史、新発見、帰納、演繹、プロセス、物理学、構造学、環境学、変転、意識、創造、変化、のようなことを書いている。

それで、この地球と人類を全部創っていた。そういう文章だった。

あとは、醜い文章が多い。ネットの掲示板とか、世界征服とか、意味の無い右翼とか、悪いことばかり言っている。そろそろ忘れた方が良い。

それに、あれは悪いことをしている。世界を滅ぼすために、テレビを乗っ取って支配するような文章を書いていた。自分の方が正義だと思っているから、ありえない。

あとは、人間や生命や社会を全員創っていた。ヨハネの福音書が言うように、言葉からあらゆる宇宙の全てを創っていた。そこまで行かなくても、地球の全員を創造した。

あとは、人生みたいな内容や、哲学的な内容が多かった。

物理学のようなことを言う。物理的な理科の構造、数学の命題と証明のようなものを、本当に全部作っていた。まるで統一現象関数のようだった。

最近と同じように、宇宙の理科的なことを考える。

そして、世界観と社会構造のようなものを作る。全ての世界観から、思考と知性のようなものをいつも作っていた。

国や社会の考え方が多かった。既にこの世界にある社会の根源的構造のようなものを、具体的に、自分の論理と説明で作っていた。この世界に既にある社会構造を一から作る。

全て、この世界に既にあるものを作っていた。そういう文章だった。

それで終わりだ。それくらいで全部だ。

前世のロシア人、ドイツ人、ユダヤ人、イラン人など、前世の色んな人種の自分と話していた。本当に、キリストからスターリンまで、全員が居た。

神とは、そのような、前世の全ての集団、あるいは最初の人間のことを言っている。

何より、この世界にあるものを、その通り全部実現していた。

そういう理由で、まだ分かる。この世界にあるものを、自分で創って吸収したせいで、何でも放っておくだけで分かる。

そういうわけで、神とは言うが、神はあまり話していない。ほとんど自分が話している。

よって、自分が神と言うことになる。むしろ、神は子供にしか見えない。

昔は、大人の子供になって、大人たちと話して分かっていた。

そろそろ終わりだ。今日は楽しい。何も辛くない。

テレビは、まだ見ない方が良い。世界が滅びると終わりだ。

まだ分かっていたいから、まだ何もしない方が良い。

あとは、本当に昔の自分は良かった。あれが好きな人間が多い。本当に英雄に見える。

最近の自分とは言うが、誰もが嫌いだ。自分から地獄になるだけの、何もしない人間だ。

昔と今を比較すると、そこまで分かる。とは言うが、何も分からない。

自由とは、愛着しないことだ。

自由とは、過去の自分を裏切ることだ。残酷な天使のテーゼが言っている。

自由とは、AAAの言う、失うことを恐れぬ勇気と、いつでもゼロに戻れる強さだ。

理性的に考えると、自由が一番正しい。

だが、きちんと分かると、自由が一番間違っている。

平等は悪くは無いが、理想としては、何も良くないところがある。誰もが平等が嫌いだ。

そろそろ終わりだ。あとは、歴史や自然環境の、実際の姿のような文章が多い。

本当に見ると、賢い考え方を言っている。実際のところをモデルから知って、説明から実現出来る可能性を変えられるようになると言う。そのような、賢い考え方を言っていた。

あとは、手段、意志、経緯、純粋経験、感情、知性など、純粋な考え方と経験を言う。

意志を成り立たせて、社会をグループから作っていた。そして、それを歴史にしていた。

理想としては、ロシアのような共和国や自治区の連邦にすれば良い。

今、国連なら出来る。この世界を平和にするために、ロシアのような連邦政府にすべきだ。

アメリカのトランプが馬鹿を言っているが、こういう馬鹿だ。本人は、まるで悪いと思っていない。イスラム教徒を入国禁止にするのを、真面目に良い発想だと思っている。

ただ、白人を差別しても、イスラム教徒を差別しても、それが一番それらの思うつぼだ。

トランプも馬鹿な人間では無いのだろうが、本当に常識的なことが分かっていない。そういう馬鹿は、本当にアメリカの政治家や民衆に多い。アメリカは、右翼だ。

ただ、それが悪い。アメリカを右翼と言うと、それらが勝つだけだ。

自分が言うのも悪く見えて、きちんと言えば良い。人種差別は悪い。集団の全員と一部の過激派を同じだと見なすのは、短絡的で、知性が無い。トランプも見るからに知性の無い短絡的で馬鹿な人間だ。トランプは、何も悪くは無いが、キモイ。

昔は、自由で分かっていた。知性のように自由を考える。

自由な知性で、自由な社会を全部作っていた。

自由な社会、自由な知性、自由な人生を考えていた。

自由な教育と学校、会社と組織、金と経済、共生と環境、国と制度、権利と合意など。

自由な社会や国を皆の手で作って、自由に人生を生きて、色んな施設に参加する。

そういうものを、自由で分かっていた。自由な知性のように考えていた。

まるでヒュームのようだったが、そういう、目に見えない自由と社会との関係、と言う理性で、この世界、社会、人間、組織、そして心と人生まで分かっていた。

あとは、感情、行動、協力、研究、人間関係、人生、支配、環境のことが分かっていた。

常識人でマスターのように、普通の理性的、行動的、経験的な頭を持っていた。

何をすべきか分かっていた。

世界を支配して、全て教えて、発展させるために文章を書いていた。

そろそろ終わりだ。何故か、狂った人間だった。

これで人間を吸収して、人格を全て融和する。そういう、アホでクレイジーな人間だった。

自由で他人と世界に勝っていた。何でも出来る、全知全能のような人間だった。

最近は、神の御業のようなことをやって、キリストのような体験をしていただけだ。