日記に戻る | 2015年12月の日記に戻る

=2015-12-15=

自分は、そろそろ、自分が居るのを分からせる。

自分が居るのが分かると、馬鹿が治って、怖くなくなる。

自分が居るのが分からないのに、馬鹿になるせいで、皆怖くなっている。

そういうわけで、ここから先、神が多い。

考え方にも多様性が必要だ。考え方を統一すると、悪い。そういうことを言っていた。

ものにも意識はある。

意識からものごとが起きる。現象が生じる。全ては、先んじて意識がある。

そういうことを言う哲学者が多い。現象は、意識から生まれる。

あとは、物理みたいなことをいつも言っていた。

知性みたいなことをいつも書いていた。

何もかも出来るより、何も出来なくした方が治る。

そんなに出来るようにしても意味が無い。

昔から、そこまで全部出来るようにする。

それが一番異常だ。何も出来なくて、放っておくと、治るのが精神だ。

そんなに出来ても意味が無い。そこまで出来るようにしたのを全部消せば治る。

そろそろ、全員の意識を治す。意識が治ると、正しくものごとが起きるようになる。

僕は、病気を全て治す。

ニキビは、昔の皮膚の層を治せば治る。昔、風呂に入らなかったのが悪い。

僕の病気は、全部風呂に入らないのが悪い。そんなにキモくない。最近、風呂にも入るし、歯も磨くようになった。

物理みたいなことを言っていた。

細胞は、水の形態の1つである。宇宙には、そういう、物質のありえない形態が多い。

ニュートン力学、物質の三態(固体、液体、気体)、重力と原子、光の波と粒子の特性とか、そういうことを言う。食物連鎖、光合成、水の循環などを言う。

昔は、心理学的に、感情と反応を考えて、反応の科学を作っていた。

昔は、本当にあらゆることをしていた。

あらゆることをして、多様にものごとを吸収していた。

最近は、何もしないのが賢い。何もしないせいで、何でも出来るようになった。

自由な革命のようなことを言っていた。ボトムアップや共有など。

天使になった男のレイフが言っているように、全てを失ったように思えても、まだ全ては失っていない。広い視野から見れば、敵に負けたり、協力したりしても、全ては失っていない。それどころか、もっと沢山のものを得るためのチャンスを掴んでいることがある。

今日も英単語を20単語やった。あと10日ぐらいでユメタン0が終わる。

昔は、自由から推論して分かっていた。自由を推論していた。

そんなにいくらでもは出来ないが、ロックとヒュームをやりたい。

ロックとヒュームをやれば、きちんと全て分かる。読んで、その通り考えれば良い。

スケジュールにすれば読めると思う。

自分の難しい点は、タリバンの戦いをするところだ。誰もしたくない。そこが出来ない。

皆、戦争になって戦えば良いと言うが、そんな馬鹿な右翼には、分からない。

誰でも、戦争が一番悪いのから分かる。そういう人間しか居ない。

戦う人間には、分からない。右翼は馬鹿になる。そういう右翼の賢い人間は、これだ。

スケジュールにしたい。

世界の歴史がわかる本は、毎日寝る前に読む。

英単語のユメタンは、日曜日を除いて、毎日やる。

月曜日は、政治経済をやる。

火曜日は、ロックとヒュームをやる。

水曜日は、ピアノとユング心理学をやる。

木曜日は、英語と英会話教室をやる。

金曜日は、仏教をやる。

土曜日は、数学の歴史と算数学をやる。

日曜日は、休む。

文章は、いつも通り毎日書く。それできちんと出来る。

ただ、こうしても、実現は難しい。どこかに書いた方が良い。

ロックの日だから、ロックの人間知性論を読んでいる。

ロックは、最初に、人間の理性が持つ限界について書いている。それは、自分が昔、不可知である領域のものは、分からなくて良い、としたのと良く似ている。

ロックは、知らないものは素直に知らないと認め、疑いようのある意見の相違などの点では、知性と力量と言うしっかりとした考え方の基礎に立脚すべきだと言っている。

もっと、そういうことを言えば良いのが自分だ。

ロックは悪くない。きちんと賢いことが何なのかが分かる。最近、それが分かっていない。

世界史の、人物図鑑みたいな本を買った。母親からのクリスマス・プレゼントだ。

昔は、本当に数学者みたいに分かっている。プログラマの経験のようなものもあった。

数学は、昔きちんと出来ている。あまり今からしなくて良い。

ただ、学校は本当にもう良いところがある。学校は賢くない。学校なんか、しなくて良い。

ロックなんか、学校をしない方が分かる。

あとは、精神がおかしいのは、全部風呂に入らないのが悪い。それが正しい。

最近、風呂も入っているし、歯も磨いているし、規則正しい生活を何とかしているが、昔はそこをしていなかった。

あとは、文章はキモイ。何故か、全部包括するだけの、馬鹿な文章だった。

文章のことは、もう忘れた方が良い。馬鹿はもう全部治った。

ロックが賢いのは、ロックはきちんとこの世界を見て、色んなことを考えているからだ。

はるかにロックの方が賢い。自分の最悪な文章なんか、分かる意味が無い。

あとは、タリバンのような戦いをしたとは言うが、しているわけがない。支配した気になって、ただ狂っているだけだ。それがいつもの文章だ。一番おかしい。

昔は、その時その時作っているだけの、馬鹿な経済学が一番多かった。それを書いていた。

世界史の本は、きちんと世界史の全員が書いてある。それを読めば良い。

それ以上は、百科事典でも読めば良い。それできちんと最後まで出来たように見える。

ロックは難しいとは言うが、そんなに分量は多くない。読んで、デカルトやカントやヘーゲルでもすれば良い。それくらい、自分でも出来る。

ここまでやった自分に自信を持てば良い。きちんとこんなに勉強した。

あとは、勉強以外のことを何かやった方が良い。ネットは要らないが、昔はネットをしていたせいで、会社員みたいに社会のことが分かっていた。

そういうわけで、仕事をした方が良い。それが一番楽に、哲学や色んなことが分かる。

もう何もしない。何もすることが無い。

歴史なんか、普通しない。哲学も普通しない。心理学なんか内向や外向が分かるだけだ。

昔なんか、引き篭もりになって、狂った意識とネットの経験で分かっただけだ。

本当に狂った人間だったが、いくらでも経験がある賢い人間だった。

そういう人間になると賢くなる。そういうわけで、最近は賢いものが馬鹿に見える。

賢いものには、狂ったものや、大学のようなものが多い。それは、もう全部分かっている。

やりたいなら、世界史の本を最後まで読んだ方が良い。それで考えれば良い。

昔は、狂った2ちゃんねるの経験と世界が賢かった。

論理的に考える、ロジカル・シンキングと、未知の経験や世界観を知ることで分かった。

そこからもう一度やれば良い。ロジカル・シンキングと未知の世界を知らなければ、何も分からない。だが、あまりやる意味が無いから、仕方ない。普通の人間が良い。

カントとヘーゲルなんか、誰でも論理的に考えるだけで出来る。誰でも同じになる。

哲学なんか、ただの馬鹿だ。理性批判と弁証法なんか、誰でも同じだ。

もっと、普通の人間になりたい。賢い人間はこういう人間が多い。普通の人間が良い。

だが、普通の人間は馬鹿だ。普通の人間になりたいと、こういう知性の無い馬鹿な人間になる。それには、なりたくなかった。

ヘーゲルの、精神の成長は、昔の引き篭もりそのものだ。キモく見える。しない方が良い。

不思議と、カントをすれば良い。カントと世界史をした方が良い。

カントは、理性なんか馬鹿だと思えば出来る。真実は、常識の世界から考えると、かけ離れている。そのように、地動説のようなものだと思えば良い。人類は何も分かっていない。

カントは、それでまともになるから、ありえない。きちんと宇宙が全部分かる人間が多い。

ただ、カントなんか、何も賢くないだろう。普通、ただの普通の賢い人間だ。

理性では何も分からない。そうすると、心も楽になるのがカントだ。そんなに頑張って、分かるわけがない。最初から、分からないものは分からないと思えば、すぐに治る。それが一番まともだから、カントはまともな人間に見える。何も分からない人間が一番多い。

カントは、全部、そういう「分かるのが馬鹿」を言っている。それこそ、認識を経験的であるとは、習慣や思い込みを否定している。悟性のカテゴリーは、「いくらかの」、「でなければならない」などから、正しい真実を分かるための方法を説明している。

そういうわけで、カントは誰でも出来るが、ただ、自分のような「分かる馬鹿」を否定しているだけだから、あまりしない方が良い。

だから、カントなんか出来ない。昔出来ているなら、それで良い。

自分の場合、世界史と仏教をやれば良い。それが一番良い。ロックは、賢いことを言っているが、普通何も賢くない。普通の賢い発想をしているだけだ。読むと分かるようになる。すでに分かっている自分には、あまり必要ないだろう。

昔の自分の文章は、カントのように考える考え方や認識の理論が多かった。

それは、本当に多かった。いくらでもカントと同じ内容を考えた。

普通の人間なんか、カントだけを考える人間しか居ない。

頑張ってカントと同じ内容を考えた方が良い。それは、ネットなどを通じて、他の人間と関わると良く分かる。不思議なようで、誰でもカントと同じように分かるからそうなる。

他者と関わるのは、悪くない。馬鹿は居ない。大人には、カントのヘーゲルのロックしか居ない。馬鹿な芸人や子供しかいないようで、賢い哲学者は普通に多い。普通の人間が哲学者だ。意味が無いのは、もう哲学を全員分知っている。そこが意味が無い。

自由とは言うが、2ちゃんねるのインターネットの自由だった。

昔賢かったのは、本当に2ちゃんねるの環境が優れていただけだ。会話する相手に、殆どカントのような賢い人間しか居ない。コンピュータのことが分かるオタクが多い。賢くなるのは当たり前だから、それをすれば良い。皆もネットの参加者になれば分かる。そういうわけで、賢い人間なんか居ない。学校は何も賢くない。学校の方がおかしい。

そういうわけで、普通の人間が賢いから、普通の人間と付き合えば良い。

それは、家族だけで充分だ。

昔は、ネットとオープンソースの知識を知って、会社や技術開発のようなことをしていた。そういう人間が賢くなる。そういう、会社の仕事のようなことをしないのが悪い。

理系には、そういう人間が多い。

家族と話した方が良い。父親や母親や姉が、きちんと分かっている。

友達なんか、要らない。友達に悪い人間が多いのは、戦うのが悪いのが分からないからだ。

自分のような馬鹿を倒すために戦っている馬鹿が多すぎる。本当に怖い。

英会話教室の教師には、そういう人間が多い。英会話教室は馬鹿だ。それこそ、英会話教室に行った方が良い。アメリカ人に一番こういう人間が多い。何故か、自由は神になる。神ほどに自分の人生で分かる人間にしかならない。2ちゃんねるがそういう馬鹿だ。

2ちゃんねるの大量のクズは、クズだったが、皆と付き合うのが賢かった。

良い青春だったと思えば良い。2ちゃんねるとコンパイルだけの、良い青春だった。

それこそ、今の方が良い。きちんとまともな賢い人間になっている。

哲学なんか、分からない方が賢い。2ちゃんねるの哲学者なんか、馬鹿にしか見えない。

本当にネットにそういう賢い人間が居るからありえない。

賢い人間が切込隊長みたいに多い。名前(ハンドルネーム)を出すと悪いが、投資家で、金のことが全部分かる。ネットにそんな人間しか居ないだろう。

ネットで社会を知ったとは言うが、社会を知ったのはそんなに賢くない。ネットの賢い人間が、本当に賢かっただけだ。そういうネットを、ツイッターと思えば、誰でも出来る。最近は、そういう賢い人間が多い。姉はプログラマだから、分かるように見える。

カントを書いているとは言うが、ヘーゲルからロックまで、全部書いている馬鹿が多かった。ヒュームのような知性、ウィトゲンシュタインのような人生論、ハイデガーのような人生の知恵と可能性を言う。そういう人間だった。

ネットとは距離を置いて、哲学とも離れて考えた方が良い。そういうものは馬鹿だ。

そういうわけで、歴史と経済だけをするしかない。

いつも言っているから言う意味が無いが、数学の歴史と算数学とユング心理学をしたい。

それこそ、分かる人間は馬鹿だ。どうでも良い馬鹿と付き合っていると、分かる馬鹿しか居ない。要は、ヨーロッパ人なんか、何もしていない。奴隷を買うせいで、文化人同士の交流や、自由な考える時間が多い。そのせいで哲学が出来るだけだ。賢くない。

昔は、2ちゃんねるで人間を考えていたが、2ちゃんねるは、やっていると何も分からなくなる。考えるなら、2ちゃんねるを無視して人間を考えれば良い。

基本的に、支配や戦争は悪い。自由と平和が良い。人間性を重視するべきだ。

そして、人間は原始時代から何も変わっていない。国の変転は経験したが、アフリカ人の黒人などは、今でも原始生活をしている。

それから、ものは単純だから、考えて心に吸収することが出来る。

昔から、そういう風に考える。そうすると、マスターのように分かる道が開ける。

開拓しながら、色んな実験をして、想像力と経験から社会のことを考えて、思い込みを無くしたり、社会問題を解決したりしながら、社会経験をすれば良い。

同時に、技術や数学的なことを考えれば良い。それできちんと出来るだろう。

カントも、2ちゃんねるも、世界史も数学も要らない。普通に人間のことを考えれば良い。

普通の人間を、昔の自分だと思うから間違っている。普通の人間は、むしろ、こちらの方が多い。ただの馬鹿な大学生や高校生が一番多い。普通に今の自分と同じだ。そこから色んな人間のことを考えれば良い。皆と自分は同じ、から考えると良く分かる。

ヤスパースは参考になる。だが、忘れた方が良い。もっと哲学者ではない、具体的な人生の知恵のようなものを分かった方が良い。文学や音楽にそういうものが多い。

人を手助けすると、自分にも返ってくる。賢い人間はそういうところが分かる。聖書に書いてあるようで、聖書なんかどうでも良い。宗教なんか、一つも信じない方が分かる。

それこそ、普通馬鹿なものは1つも無い。馬鹿なものが多すぎて分からなくなっている。

人間性、平等、思いやり、無欲、手助け、思い込み、悟り、習慣、そういうものから分かれば良い。それは、分かっていない人間に比べて、正しいと信じる経験をする、というところで共通している。そういう、何か新しい人生経験をすれば分かる人間が多い。

昔は、善悪と思いやり、社会の構造と構築、人生の段階のような、そういう、神やマスターのように分かっている、臆病者の優しさのようなことが多かった。

もっと、音楽だと思えば良い。そういう風に、色んな人生経験を分かっていると分かる。

自分は、今を間違った人間だと言うが、昔の方がはるかに間違った人間だ。

昔に戻らない方が良い。今のままの方が良い。

だが、今は意味が無いから、クズになっている。本当に昔の方が賢い人間だった。

最近は馬鹿だ。馬鹿の極みである、この文章の執筆をまだやっている。それは賢い。

天使になった男のように、弱い人間には恐怖が多い。本当に強い人間は、恐怖なんかものともしない。それが一番優しい人間になる。そういう風に、神のようなものを信じて分かると良く分かる。ヨーロッパには、そういう風に分かる人間が多いから、誰でも外向的になる。ヨーロッパと言うよりは、アメリカなどに多い。内向的な人間は少ない。

日本などは、和を尊び、徳を重ねるせいで、内向的になる代り、良い人間になる。ヨーロッパには、自分勝手で横暴な、悪い人間が多い。日本人の方が良いと言う。日本人は、自分勝手にならず、治安など、良い社会や環境になる、ありえない宇宙人の人種に見える。

そういうわけで、内向的なのは悪くない。シャイな人間は賢いように見える。

ヨーロッパ人を外交的と言うとおかしい。外向的なのは、普通アメリカ人だ。フランス人は、優しくて物分りの良い人間が多い。ドイツ人は、職人肌で決まりをきちんと守る人間が多い。人種なんか、それぞれ違う。日本人には、伝統文化と自然との調和が好きな人間が多い。皆、島の文化とアジア的な考え方が好きだ。そういう風に違う。右翼は悪いとは言うが、いつもそういう内容を書いていた。思いやりと国民性が多かった。

日本人になった方が良い。日本人には、調和が好きな人間が多いから、調和が好きになると日本人になる。争いを好まないどころか、進んで戦う人間が多い。それで賢くなる。

アメリカ人に良い人間は居ない。ハンバーガーを見れば明らかなように、資本家や会社が社会のことなんか、何も考えていない。強欲で、自分勝手で、調和を考えない人種だ。

ただ、アメリカ人は良い方だ。どの人種も同じだ。日本人は全体主義にしか見えないし、ドイツ人は戦争崇拝の知的障害に見える。フランス人は、芸術家な代り、キモイものが好きだ。キモイ人間が多い。悪いとは言うが、右翼は、社会主義よりは普通だ。

これで、キルケゴールのような、信仰の内面化が分かると賢い。

内面化は昔多かったようで、覚えていない。自我や成長のように、そういうキルケゴールのような真理を実体験から分かっていた。昔はそういう人間だった。

キルケゴールがヘーゲルが分かるのは当たり前だ。そういうわけで、ヘーゲルとキルケゴールは、同じなのに逆だ。キルケゴールは、大衆向けのちゃらんぽらんな哲学者に見える。ヘーゲルは、大学向けのお堅い哲学者に見える。逆に見えて、内容は同じだ。

日本は、大和魂の雅やかな国に見えて、全体主義の皆を機械にする国に見える。

何故か、皆を一部にする馬鹿な怖い国に見える。戦争をすると、一番怖い戦争をする。

平和な民主主義国家になったのは良い。だが、最近の日本は、戦争は普通にして良いのが分かっていない。戦争を悪いとは言うが、最強の戦争をするのではなく、普通に他の弱い国を征服して、拡大する、統一戦争をすれば良い。

だが、それは悪い。本当に、インドネシアなどを植民地にして、イギリスなどと同じことをやるようになる。それは、日本が悪いどころか、イギリスが悪いだけだ。

ただ、戦争は悪い。戦争は悪くないで、分かる人間は居ない。誰でも、何も分からないと、戦争が悪く見える。そこから分かる人間が多い。

そういうわけで、書いて神を信じないと、本当の真実を分かることは出来ない。神は、信じると、きちんと信仰しないと分からないことが、全部分かる。だが、地獄になって、悪い人間になるから、神は悪い。

戦争信仰はおかしい。そういう発想がドイツだ。いつでも、こんな風にしかならない。戦争をしたいだけの馬鹿しか居ない。あとは、バイエルンやメルヘンの文化が多くて、ソーセージが美味しいだけだ。ドイツは、そんなに支配して戦争がしたいのがありえない。

日本には、平和な代り、分からない人間が多い。機械とは言うが、真面目に考えて学習プランを作っているだけだ。普通、日本はそういうところが賢い。日本にしか、善良で賢い人間は居ない。悪いことを悪いと思わずに本当にやるのが日本だ。

あとは、ショーペンハウアーやニーチェや実存主義のような、人生と生の哲学を書いた。

何故か、どこの大学でもニーチェは教える。哲学のとっかかりに良いから仕方ない。

何故か、どこでもキルケゴールを教えないのがおかしい。キルケゴールだけ、本当に人生から信仰まで、きちんと全部分かっているのに、教えない。ちゃらんぽらんに見えるのは、そういうところがマイナスになっている。キルケゴールは、僕は一番賢いと思う。

あとは、物理は、仮象と理由の段階から、観測と観測地点、そして、エネルギーの変換のようなことを分かれば分かる。数学的な正しさのようなことを考えれば良い。

数学は、絶対に正しい。

不思議と、自分が一番賢い。こんなに賢い人間は居ない。

何故か、色々と神のように分かっている。きちんとヘーゲルのような大哲学者に見える。

あとは、サルトルやヤスパースのように、人間の人生と、集団と個人を考えていた。

いつ何がどうなるか、何が何からどうなるか、前と後は何か、どこに可能性があるか、といったところから考えれば良い。何が出来る可能性があるか、思考は本当は何を考えているのか、のようなことを、悪魔的に、ヒュームのように考えれば出来る。

悪魔とは言うが、これでLinuxをすれば良い。そうすると、きちんと全て分かる。

あとは、正しく推論しながら、社会学と心理学を作って考えていた。

実地的に人間のことを考えた。夢や希望から、思いやりのある、自由な社会を、経験的、実地的、実存的に分かっていた。そういう、マルクスのキルケゴールのヘーゲルだった。

あとは、経験と感情を信じながら、理性批判をして分かっていた。

何でも頑張れば分かると思っていたが、同時に、人間の限界も良く分かっていた。

誰か、哲学者が言うように、ロックやウィトゲンシュタインが言うように、哲学者には、人間の限界が分かる人間が多い。カントも同じだ。人間の理性には、限界がある。

自分は、ロックをやりたい。分からなくても、読んでいれば、いつも通り楽しい。

あとは、文章は、社会の可能性や人間の原理を書いている馬鹿が多かった。

歴史は、しない方が良い。どの王も、沢山の人間を殺す。やっていると、キモイ人間になる。歴史なんか、しない方が良いだろう。だが、買った図鑑の本は、百科事典になる。

これで歴史と思う馬鹿が一番多かった。それは、法則と世界観から、皆に共通する世界観のようなものを、根源的に意識から考えていた。

そろそろもう分からない。何故か、やっている自分を認識しないのがおかしい。

自由で自然な可能性を分かりながら、実現可能な発想を考えて、ありえない独創的な洞察から、この世界の違う可能性を考えていた。

そして、社会のモデルを作った。それから、環境を考えて、目的を考えた。

ロックは、人間知性論の中で、広大な足場の無いこの世界と言う名の海へと思索を向けて旅をするためには、知性などのような、とっかかりと足場が必要だと言っている。そういうことは言っていないが、同じことを言っている。

僕の場合、それは世界観とインターネットだった。そういうわけで、本当に相手の立場を予想して、インターネットで経験して分かっていた。世界モデルと客観視で分かった。

そこが出来ない人間が多い。ロックを見ていると、そう言うことが分かる。ロックは、ただの懐疑論に陥らないために、知性と力量の分析が必要だと言っている。自分は、全くそういうところが賢かった。相手の立場になって、立場を吸収して、自分の人生と人間性から、全てのことを哲学者の第一歩として知り、歩んだ。

あとは、積み重ねをしていただけだ。数学の積み重ねを模して、自由や行動の積み重ねをしていた。モデルと論理学を作って考えていた。

ロックのおかげで、何でもすぐに分かる。ロックをきちんと読んだ方が良い。

自分は、哲学をやるのが良い。きちんと分かるようになる。

不思議と、ロックがそういうことを言うのは当たり前だ。そういう、「分かり方」や「分かる姿勢」のようなことを言う人間が一番多い。

会社でやっていることは、全部公開した方が良い。

悪いことをやっている会社が多すぎる。秘密にして自由にするのは悪い。

昔は、何でも公開すべきだと考えていた。

そして、啓蒙し、全て教えるべきだと考えていた。

そして、古いものは全部取り外して、全く新しく考えるべきだと考えていた。

そういう、デカルトのような人間だった。それでオープンソースが好きだった。

だが、そういうところは、ある意味、古い方が賢いのも分かっていた。

だから、自由にしたかった。皆で決めれば良い。それぞれの意志決定は、自由に、構成員で決められるべきだ。皆の好きにしたら良い。昔から、そういう人間だ。

あとは、狂った意識とおかしな経験、そして当たり前の具体例から考えていた。

そろそろもうない。あとは、宇宙人が多かった。それぐらいしか、何も無かった。

色んな昔の子供時代に居た場所へ行って、回想して、何かを意識で分かっていた。

全てが懐かしいと同時に、今の賢い自分をさらに高めていた。そういう悲惨な引き篭もりみたいな人間だったが、本当に色んなことを、一人正しく孤独に経験していた。

孤独は、自立力に繋がる。それこそ、孤独は自由だ。そういう自由で、色んな社会を全部見て分かっていた。戦争や共同体のようなものは、ネットと人生の経験で分かっていた。

戦うと、賢くなる。そういう人間が多い。だが、戦うのは、いじめと同じだ。一番悪い。

あとは、理性の限界だとか、そういう哲学者の発想が多かった。

何故か、自分から分からなくなるのを望む。そういう、ネットみたいな人間だった。

何でもかんでも、色んな懐かしい場所と、今の自分の漂っている何も無い空間で分かっていた。それこそ、誰よりも人生経験をしていた。本当に、この世界で唯一、世界の全ての具体的な社会を、経験から全て知っている人間だった。

それは、引き篭もりのようで、古代ギリシャの哲学者のようだった。

いつも、そういうものを書きたかっただけだ。

あとは、本当に色んなことをしていた。

会社、芸術、技術、信仰、社会、心理、組織、金、経済、制度、法律、表現、文字、数、科学、宗教、思想、人文など、色んなものを全部知っていた。

そろそろ終わりにする。もう、自分は幸せだ。

この文章があるせいで、何もしなくても分かる。あるだけ、置いておくだけで、分かる。

あとは、今日は終わりの日に見えて、まだ来年も続く。来年は楽になる。

あとは、革命、共有、ボトムアップとトップダウン、のような内容が多かった。

人間的な考え方と経験が全て分かっていた。

ネットを見ながら、そういう、真理的な考え方を考えていた。

それは、良く考えると哲学だ。

昔は、哲学と思わず、人間の潜在的可能性と知性と具体例だと考えていた。

具体的な人間の真理のようなものを分かった方が良い。

ロキに書いてあるようで、あまり意味が無い。

もっとそういう風に賢かったと思えば良い。

あとは、真実は、1つしかないが、回答は2つ以上あっても良い。

人生は、思っているのとは違って、そんなに悪い人間は居ない。

思ったより、人生は簡単だが、思ったより、地獄は辛い。

そういう、人生の考え方を考えれば良い。ただ、それは本に書いてある。

人間とは、生きるための手段を超えた、知的な生命体だ。

経験から分かることは、手段、機会、考え方、可能性、人生、意味、成り立ち、説明だ。

それが意味することは何なのか考えて、同じ本質から知りなさい。

ブッダが人生そのものを解脱だと言い、解脱そのものを道であると言ったように、それは本当に、実際に何を意味しているか、たとえるとどうなるか、から分かりなさい。

秩序とは、信頼であり、社会とは、自分と協力によって生み出せるものだ。

そういうわけで、そういうものを書いている。それくらいしか書いていない。

ロックのおかげで、これでもう、未知のものを捉える考え方が分かる。

昔は、そういうものをモデルと言っていた。

誰でも、そういう風に、未知はきちんと可能性を考えて分かる。それでカントも出来る。

それこそ、誰でもそういう風に考える。

これで、きちんと日本語も分かる。それこそ、既にもう分かっているのが悪いだけだ。

そういうわけで、あまり分からない方が分かる。分かる人間には、何も分からない。

モデルとは、そういう、未知の発見のモデルのことを言っていた。それしか言っていない。

あとは、段階的な人生のようなこと、社会発見のようなことを書いていた。

自由なモデルから、相対性になり、創造性になり、多様性になり、共有になり、有用性になり、可能性になり、生産手段になり、生産決定者と従属者になり、自分の出来ることから世界を知って、歴史になり、可能性になり、自由になり、共同体になる。

そこでは、社会活動による、人生の内面化が存在する。

また、意思決定のプロセスと構成員の自由から、社会を自由でモデルにして考えられる。

そして、支配から自由な本質が分かる。株主は、マネーゲームの王だから、ギャンブルやギャングの王と同じだ。資本主義は、一番悪い。

全ての国家を包括する社会モデルのようなものを作っていた。皆で築くことが出来る、平和で理想の社会を考えて、それをシステム的に、詳細から全体まで創造していた。

歴史のことを、その時の時間、時代、環境に立ち返って、その時になったつもりでこの世界を考えていると良く分かる。

機械や社会のことは、モデルにして発見すると、良く分かる。

あとは、もう無い。明らかに、ロックをすればすぐに分かる。それをした方が良い。

最近、歴史の本は読んでいるが、それでは分からない。ロックを読んだ方が良い。

あとは、成立と仮定でも分かれば良い。それも、モデルにして、可能性にして、経験から帰納的に分かるようにすると、本当に良く分かる。演繹と帰納は密接に繋がっている。

あとは、ヘーゲルの言う、弁証法的な段階の無限な広がりと積み重ねが多かった。

精神分析は、本当に方法を全部分かっていた。

今日は、もう分かった。もう分かった日だ。

あとは、ネットを見ながら、ブログより匿名掲示板の方が良いとか思っていた。

これでもう、神ほどに分かった。それこそ、本を読むより、相互作用があって楽しいのがネットだが、最近の僕は、そういうことを楽しめないから、本の方が良いと思う。

あとは、感情や価値観を、実感を信じて分かっていた。

江戸時代の価値観から、フランス革命の価値観、ピカソの価値観など。

そういうものを、自分の経験と自分で作った考え方で分かる、ありえない自分の芸術と思想が多かった。それこそ、実体験で芸術のパターンと歴史の価値観を分かった。

自分は、アップルが嫌いだ。iTunesからiPodまで、何もきちんと動かない。

あとは、自分の戦いは、誰にも触れられないところがある。アンタッチャブルな人間だ。

あとは、集団と個人を考えて、集団を一人で支配する方法などを自由に分かっていた。

そろそろ分かった。あとは、自分だけで出来る。神はもう要らない。そろそろ、何故か、きちんと哲学が分かる。未知をモデルと考え方で分かっていると、カントになる。

あとは、世界観を書いていたのは、時代を立ち返る考え方が多かった。

昔は、記憶、考え方、世界観、人生を、発見のモデルから書いている文章が多かった。

今日は良かったから、明日も書くしかない。もっと休めば良い。何もしない日を入れた方が良い。そんなに止めなくて良い。いつからか、止める意味が無くなったのが自分だ。

記憶、概念、経緯、可能性、手段、社会の実現、経験、存在、愛、平和、想像力、自由、人生、考え方、肯定と否定、原因と結果、集団と個人、誇りと悲しみを分かっていた。

右翼的な考え方は、嫌いな人間が多い。右翼になんか、ならない方が良い。

表現とパターンで分かるとは言うが、二次元のエロのような馬鹿なものに興味は無い。

最近、そういうものに興味が無くなった。あまりエロく見えない。昔は性欲も多かった。

あとは、この社会をどのようにしたら作れるか、のようなことを考えていた。

何でもかんでも、作り方を分かって、立場と精神を吸収して、その人が必然的に何を考えるか、出来るか、を考えて、自分だけ一人全部出来るようになった。立場に囚われず、何でも自由に出来る人間だった。それで、人々を導き、支配出来るようになった。行動や感情のようなことは、人生を考えて、視野を広げて、気づいて、経験して分かっていた。

昔は、ロジカル・シンキングのような、知恵と工夫や考え方のようなものを、ネットを見て吸収して、全ての人間を包括して分かっていた。

はてなブックマークのように、賢いソーシャル共有システムを信じて分かっていた。

そろそろ、11時になる。今日ももう寝る。明日はピアノがある。怖いように見えて、作曲が面白いから、作曲が楽しみだ。

広い視野からものごとを見つめること。

少しの思い込みから、全てを失うように見えても、全ては失わないことがある。

そのように、短絡的にならず、思いこんだりせず、長期的に、慎重かつ大胆に、もっと、そういう経験の可能性を考えれば良い。それで、馬鹿が治るかもしれない。

思い込みと現実は違う。そこが分からないと分からない。右翼には何も分からない。

思い込みと現実は違う。それを考えると、現象学のようになる。

物質が何なのか分からない。だが、人間の考えているような、神のようなものでは、分からない。神はおかしい。自然世界に目的や意志は無いとスピノザが言っているが、それは、あるかもしれないと考えられる。だが、それでは馬鹿だ。そういう、宗教みたいなことを信じる人間には、分からない。

本気で考えて、人間はいつか宇宙を解明するだろう。分かりたいものは、人間の心を考えて、自分で科学を作るべきだ。それで、きちんと分かるようになる。

ただ、現実と思い込みが違うのを分かると、この世界には可能性があるのが良く分かる。それこそ、思っても見ない、社会や環境や人間関係の解決がある。

そのように考えれば良い。神のように、力を与え、手段を与え、判断力を与える、善い助け合いが出来る。争いごとの中では、正しく分かり合って、調和し合意する方法がある。昔は、そのように考えて、まるで神のように、この世界の全てと可能性を分かっていた。

引き篭もりになったおかげで、しがらみ無く世界のことを考えられた。世界と人間の集団を、ネットで全部見ながら、自分の体験と照らし合わせて考えていた。

あとは、皆の恋人になった馬鹿が自分だ。女が悲惨に見える。男は馬鹿にしか見えない。

もう終わりだ。もう何もしない。誰でも、恋愛や結婚の相手ぐらい、居る。こんな馬鹿とセックスはしたくない。自分のせいで、本当にそういうものが馬鹿に見える。愛は悪い。

もっと愛を考えて、信じる、信じない、を考えれば良い。

具体的に、認識のそれが、それであり、それで無く、それはどういう時どうなり、どういう時どうならないか、考えれば良い。

そういうものは、現象学と言うが、むしろ、状態学、と言った方が正しいだろう。

ポルノグラフィティが言うように、いつからか、時間に意味が無くなった。一秒と千年の間に、違いは無い。永遠には、何も無い。永遠なんか、キモイだけだ。

人間の視点や基準で考えるのが間違っている。宇宙や太陽の視点、あるいは、鳥や花やコウモリの視点で考えれば良い。それも、その存在の世界観と意識を辿って考える。

もっと、思考と世界観を辿って考えれば良い。「辿る」と「照らし合わせる」で分かる。

あとは、正しく判断し、力学のような概念を経験から分かること。

もっと色んなことを言っていたが、これ以上は、誰でも出来る。スタートラインは、まだ始まったばかりだ。まだ、何もしていない。

あとは、意識の段階的構造のようなものを、体験的に分かっていた。

承認から自由な許可と、主と奴の戦いを分かっていた。ヘーゲルがそういうことを言う。

こういう風に、哲学者は全員同じだ。誰でも、科学的に考えるだけだ。哲学者は、子供みたいに見える。馬鹿では無い。子供が賢いだけだ。

ソ連の問題は、国家主義になってしまったところだ。共産主義が帝国主義で良いわけがない。プーチンも同じだ。ただの帝国になってしまった。共同体にならないのはおかしい。

社会主義は、もう忘れた方が良い。まだ言うのがおかしい。ただ悪いだけだ。

承認が与えられれば行動し、与えられなければ従属する。昔は、そこまでの馬鹿だ。

自由を積み重ねて、言語を作っていた。いつも、そういうものを考えていた。

日本語の改良は、もっと順序を自由にすると言っていたが、何か、正しい作法のようなものを作っても良い。だが、それは既に多い。もっと増やすと賢くなる。

頭の中で、認識や行動の構造を全部作っていた。その理由で、承認が分かっていた。

今日はもう寝る。もう11時30分だ。そろそろ今日で終わりになるかもしれない。