日記に戻る | 2015年6月の日記に戻る

=2015-06-24=

認識をパソコンにして分かっていた。

環境を網羅して分かっていた。

自由に全て分かった。

判断基準や想像力など、まともな人間の人格を書いていた。

普通、数学しか考えない。

ものは考えない。普通、数学を考えて分かる。

数学を分かれば、書ける。

昔は、数学的なことや相対的なことを書いていた。

ものは、方法と結果だ。

ものは、関係と作用だ。

社会は、自由と多様性だ。

自由な可能性は、手段、結果、法則の分析と、考え方の変化による構築から生まれる。

方法から理性を導くこと。

平和な世界は、集団と個人による、多様性と関係性の分析から生まれる。

本質とは、創造性、多様性、真、善、美のイデアである。

モデルと関係性から、方法の積み重ねと、数学以降の関係性の積み重ねが分かる。

数学を知って以降、人間は方法、認識、体験の経験から、可能性を知ることが出来る。

全ては、決まり、方法、記憶である。

存在は、記憶の形態であり、人間との関係性における、保存と維持の形態である。

全ては、関数と機械化の中における、人間性と合理性の追究である。

あとは、心理学や社会学のようなものを、ゼロから相対的に作っていた。

文章を書いて、意識と心の心理学を作った。

昔から、科学をゼロから作る。

最近は、散文や単純な命題のようなものを書いて、文章科学のようなものを作っていた。

これくらいで、賢い人間になる。

普通、数式を見ても何も分からない人間が多い。全く世界への理解と認識を消して、数学的な理解から世界を捉えることへと出発すれば良い。

難しく言うとそうなる。

ただ、関係や方法や結果のようなことから、世界を捉えれば良い。

数学的に世界が分かる。その上で、認識の変化と自然な体験から知れば分かる。

人間的に、視点と場から考えることで、色んな存在を吸収出来る。

とにかく、数学的に考えること。相対的に捉えること。

それは、難しいことではない。むしろ、子供でも出来る簡単なことだ。その上で、経験を積み重ねて分かれば良い。そういうわけで、むしろ、子供の方が賢い。

あとは、普通に色んなことを言っていた。

文化とは、創造性の共有だ。

社会における変化とは、戦争や革命による武力行使と、組織の構築だ。

取り組みとは、決定者による支配だ。

そういう、世界観のようなことを言っていた。

あとは、自由と体験から分かるのが良いだろう。

取り組みと自由な状況の把握の中で、可能性と状況判断を考えることが出来る。

そして、それぞれのことを思いやり、創造的に理解することが出来る。

また、システムの構築方法を理解することで、実感から世界の構造を知ることが出来る。

そのシステムは、UNIXであると良い。

そして、言語的な分析から、経験、科学、宗教、理性、道徳を知ることが出来る。

それ以上は、自由に生きて欲しい。ただ、沢山の経験をして、考えて生きて欲しい。

重要なのは、信じることと思考することと感じることだ。

自発的に考えることから、価値の多元性を考えることが出来る。

それ以上は、考え方と世界観やモデルを知ることから、いくらでも分かることが出来る。

応用性と変化可能性から、実現の全ての考え方を知ることが出来る。

自由な議論をして、色んな相対的な科学の考え方を知ることが出来る。

日本語によって、平和な社会の構築方法と、問題の解決方法が理解出来る。

そろそろ大人になった。大人は、馬鹿も多いが、そういう賢い大人も多い。こういう大人が、普通に多い。むしろ、最近の方が子供にしか見えない。子供に戻る大人がこうなる。

昔は、実感、分析、考え方、経験、環境、人格、記憶、思考のようなものから分かった。

理想は、ヴィトゲンシュタインだ。言語的な分析から、あらゆることを論理的に分かる。

そういうわけで、そろそろ論理的に分かれば分かる。

議論と魂の安らぎから、ソクラテスのように考えれば分かる。

それ以上のことは、既にリリとマリに書いてある。誰でも出来るようになった。

もっと自由に生きるべきに見えて、1人では分からないものだ。

皆と関わって、UNIXだけではない、沢山の仕事の経験から分かると良いだろう。

実感とは、自分の人生を本当に良い、正しいと思って、悪い点は受け入れることだ。

そろそろもう分かる。数学の考え方を分かると、誰でもきちんと分かるようになる。

思考も、言語表現の1つだ。思考と行動の関係を考えると良く分かる。

神との対話、と言う本を読むと良い。きちんと全てのことが正しく書いてある。

だが、僕は、ヘーゲルやヴィトゲンシュタインとUNIXをやることを薦めたい。

自由はあるべきだが、助言は必要だ。

一度全部のことを経験すると良い。経験から、自由な行動が全て分かるようになる。

また、価値観や歴史のことを考えて、森羅万象の変化を予測すると良い。

パターンと思考から分かることが出来る。

そして、神を信じること。そこから、未来と希望の道、いのちの道が開ける。

キリストを信じて、狭い門から入るのが一番良い。オープンソースが一番狭い。

あとは、もう終わった。もう書かなくて良い。

数学は、考え方を分かってしまうと、終わりだ。あとは、フランス史を読んでいるから、それを続ければ良い。

神なんか信じない方が良いことも多い。未来は自由だ。その方が賢くなる。

自然な考え方をして、知性のある部分を捉えれば、誰でもきちんと分かる。

それ以上は、哲学者が全て書いている。哲学者はきちんとそれぞれ違う。

同じ部分があるのは、おそらく、自由に吸収して考えれば、全部出来るからだ。

きちんと分析哲学のように分析すれば、何でも分かる。全部の哲学が出来る。

最近の、神との戦いは、普通狂うとそうなる。あまり狂わない方が良いだろう。

数学を信じること。それによってのみ、未来への道が開けるだろう。

あとは、社会経験のようなことを言っていた。

自分は、本当に何でも出来るのだと、やりたいなら出来るのだと、信じること。

自分は、神の1つの現れであると信じること。

世界は、1つの可能性に過ぎない。いくらでも変えられるのだと、信じること。

自分のやっていることは、未来の自分のためになる。

そうなるように生きて行けとB'zが言っているが、それも正しいと言える。

自分の過去の反省は、全て残っている。記憶の中に全ての自分が居る。それを愛すること。

そろそろ終わりだ。もう分かって良かった。そういう人間が、いつもの自分だ。

色んな会話をしながら、経験を考えて、人間を観察して、真似をして分かった。

経験的な方法を考えた。演繹的、または、帰納的に分かった。

もっと、それぞれの出来ることや能力に応じて分かることを考えれば分かる。

パソコンの知識が多かった。PerlからJavaまで、色んな言語と技術の歴史を知った。

パソコンの世界を知ると良く分かるだろう。

皆の人生を考えると良く分かる。

それ以上は、言語的に考え、感情を正しく把握して、経験的に感情を考えれば良い。

賢くなった。あとは、もう全部書いてある。

コミュニケーションと自然な体験は必要だが、一通り全部やってしまうと、もうやる必要はない。記憶の中に残っている。

もうそろそろ、自由は終わりだ。もう、自由を止めて、賢くなれば良い。

自分だけではなく、皆も同じだ。自由を止めて、賢くなれば良い。

何がどうなればどうなるかを、良く考えていた。

自由になればどうなるか、不自由になればどうなるか、など。

自由な関係から、全てのことが正しく、理性的に、かつ、経験的に分かった。

それが自由ならどうなるか、束縛されるとどうなるか、から考えると良く分かる。

いつ何が出来るかが良く分かる。それ以上は、何をするとどうなるか、何になるとどうなるか、のようなことを考えれば良い。

あとは、全部経験して、学習して分かっただけだ。

体験的に、学習と経験を考えて分かった。人生の体験を良く考えた。

何をどうすればどうなるか、きちんと全部分かっていた。神のように行動が分かった。

つまり、行動と感情を良く考えれば、昔と同じように、全てのことが全部分かる。

よって、自由と言うよりは、数学的な感情論、人生論を分かったと言うのが正しい。

社会に関しても同じことだ。社会がいつどうなるかを考えることで、その社会がどうなって、どんな可能性があって、自由な中でどのような社会を作ることが出来るか、生むことが出来るかを考えれば良い。

そして、人間がどのようになるのかの可能性のようなことを、サルトルのように分かる。

自由とは言うが、変化を捉えて考えただけだ。

そういう風に、全てのことを知っていくと、自ずと、仮想世界を創造するようになる。

そして、人間の本性を考えるようになる。

そういう、何がどうなるかの考え方は、UNIXをしていると良く分かるだろう。

昔は、そういう、自由になると、自由で無くなると、で分かっているだけだ。

あとは、経験で分かっただけだ。

良く考えて、当たり前に推測していけば良い。きちんと全部正しく分かる。

視野を広げて、この世界を見ながら、必然的かつ潜在的に考え、先を予測すること。

きちんと経験を考えれば、分からないことは無い。デカルト的に知を増やすことで、知性がつく。そのようにしていけば良い。

一度分からなくなっても、希望を見失わず、時に慎重に、時に力業で分かっていくと良い。

全て、きちんと分かるためには、皆の言っていることを聞くのが良い。

自発的に行動して、調べたり見聞きしたりする中で、色んなことが体得的に分かる。

あとは、自分の経験から、この社会を良くする発想や解決策が全部分かる。

世界の歴史を知ること。色んなものの歴史と経緯を知ることから、知恵が分かって来る。

真理を知ることで、相対的な知性がつく。

そして、経験することで、マスターのような存在に近づく。それはそのまま、神になる。

神は居ないようで、神は宇宙だ。宇宙の通り、宇宙が動く。それが神だ。

どうでも良いから、神なんか信じなくて良い。

完全な自由な社会では、滅びるようで、全てが栄える。道徳的な理解を全員が持ち、可能性と人格性を知ることで、全員の自由な社会は、自由なまま平和になることが出来る。

あとは、自由を捉えて、自由な経験をモデルにして、積み重ねれば分かる。

この文章は、そろそろ書けたのがありえない。いつもアンテナの感度を敏感にして、分かったことの中で、書いた方が良いことを、いつも書いているだけだ。

そういうわけで、自由なモデルから分かる。これくらいで、誰でも分かると思う。

人間だけではなく、国家のことも、可能性と決定から理解出来る。

それぞれが何をするか、何を出来るかから、自由な許可と合意の概念を考えて、社会をモデルに出来る。

そういう風にすれば、人間が全て分かる。それで、哲学も全て出来る。

この文章は、哲学と言うよりは、詩文学による、独自の宗教の思想だ。

皆を自分にするのが、まさに宗教だ。昔考えたとは言うが、最近は何も考えていない。信じて思い出すだけだ。信じて全て書いて分かる。ただ、結構考えたように見える。

論理的に考えて、自由が平和な社会になると思っていた。

おかしい。自由は、戦争したいだけだ。普通、右翼は自由だ。

だが、自由な民主的な社会では、平和な社会になる。それは、限りのある、一時的な自由だから平和になるだけで、恒久的に平和にすると、すぐに滅びて戦争になる。

だが、自由は結構、リベラルだ。左翼が自由な社会を目指す。そういう自由を考えて、右翼も左翼も同じで、自由だと考える。そして、右翼は嫌いだった。ただの左翼だ。

しかし、自由が好きだった。自由は、本当に全てのものを許し、それぞれにふさわしい許可を与えるはずだと思っていた。ただ、ネットが好きだっただけだ。

自由、不自由を考えて分かっただけだ。あとは、色んなことを推測して、想定して分かっていた。それをいつどうなるかと言っている。どうなればどうなるかと言っている。

そろそろ繋がった。皆も、自由と不自由を考えれば良い。

本当の自由は悪い。皆馬鹿だから、未来の可能性を捨てて、何もしなくなる。もっと自由で無くなった方が賢いこともある。そういう大学生や教授が多い。自由は悪い。

自由が平和に見えるのは、おかしくは無い。権力者や独裁者を皆で倒す自由が、平和に見える。そういう、戦う平和、多数決が勝つ平和が好きだっただけだ。僕は、自由主義者の平和主義者だ。あとは、反省すれば良い。社会主義やファシズムは嫌いだ。

そろそろ全部融和した。もう一度、バラバラにして、ゼロに戻した方が良い。

ネットが好きだっただけだが、最近嫌いになった。誰もが馬鹿だ。こんなキリストのような体験をしないから、誰でも馬鹿が賢く見える。馬鹿は賢くない。キリストを信じるのだけが賢い。仏教にもそういう人間が多い。宗教には賢い人間が多い。

だが、宗教が一番悪い。宗教に勧誘するのは、止めた方が良い。

そういうわけで、この文章を書くのが、何故か好きになった。

世界を倒す戦いが辛いから、もう神との対話も含めて、永遠の戦争を止めた方が良い。

狂ったのは、馬鹿に見えて賢い。一年の毎日の時間と日付をロボットにしたせいで、何もしなくても分かるようになった。スケジュールに見えて良い。

哲学は、全部経験して、関係を論理的に考えれば、誰でも出来る。

オープンソースは本当に良かった。むしろ、どこでも賢く見えるのがオープンソースだ。

Windowsも無料になる、と言う噂があるらしいが、それなら、オープンソースもある程度勝ったのかもしれない。

GPLは、クズではない。汚染をキモイとは言うが、自分の作ったソフトウェアは、オープンソースのまま、いつまでもフリーであってほしいと思うのが普通だ。

自分が一番良い。全部神のように分かっている。皆も同じように分かると良い。何でも出来るようになる。

自由は平和な世界になる。それが正しい。むしろ、普通、支配より自由な方が平和だ。それぞれが好きなように出来る、平和な理想の世界になる。

要は、安倍が悪いだけだ。安倍のせいで、自由がファシズムになった。

とにかく、全部経験すれば良い。世界のこと、専門のこと、コンピュータのことを、全部知り尽くして、経験すれば良い。それが一番宇宙のことが分かる。

知り尽くすこと。それが一番賢い。そして、社会の全体像を知れば良い。それで分かる。

自由は平和だ。皆を自由にすると、本当に平和な世界になる。

皆、平和になって、自由になれ。

それで治る。最近、自由が戦争のようになっているから、ありえない。

自由に殺す意味が無い。自由な戦争は一番悪い。戦争は出来なくするべきだ。

抑止力で外交するのは、おかしくはない。中国や韓国が言うことを聞くようになる。安倍は、それを目指しているだけだ。

安倍はおかしくない。本当に、一国だけでは日本は守れない。中国、韓国、北朝鮮、ロシアは、強くなっている。アメリカと協力しないと、すぐに負ける。

アメリカから見て、日本は東アジアの最前線だ。アメリカから見て、潜水艦から核兵器を発射するのに、都合が良い。

軍事のことは分かっていないから、間違っているかもしれないが、原子力潜水艦が潜るのに、深い海もあるし、何より、中国と立地的に近い。日本と言う戦場は、欲しい。

精神は、動き回るのを止めれば治る。

自由は平和だ。自由の無い発想は、戦争に繋がる。自由にした方が良い。

安倍の悪い点は、選挙で支持されたのは、明らかに、消費税の増税先送りの選挙だったはずなのに、それで戦争の関連法案を決める。皆、反対しているのに、本人は国民の支持があると言っている。おかしい。そんなになりふり構わず、戦争に突き進むのはありえない。

人生の意味を考えて、理性批判すれば分かる。

目をつぶって、休めば治る。

明治維新でも分かれば良い。幕府と戦ったのは、薩摩と長州と土佐だったはずだ。

そろそろ、きちんと全部分かった。正しく全部分かった。

ヨーロッパを馬鹿と言っていると、一番おかしな外国人のクズに見える。言わない方が良い。そういうものをジャップと言うのがアメリカ人だ。

ドイツは弱いのに戦いたがる。何故か、兵士や騎士への、ゲルマン魂のような忠誠の精神がある。それで、考えて、従って、ものを作る。おかしく、美しく見えるが、馬鹿だ。

何故か、フランスやロシアに勝った試しが無い。いつも負けている。おかしな戦争信仰を止めた方が良い。

ドイツは、今でもおかしな自由な国だ。平和な連邦国家と言うが、あまり平和に見えない。

ロシアの方が強いのは、ロシアは悪く賢いからだ。策略的に戦う賢さのようなものがある。

ヘーゲルが言うように、「よい」「正しい」「本当」は、他者によって承認されて、始めて「よい」「正しい」「本当」になる。そういう、人生経験的な批判精神が、ヘーゲルに多い。

ユダヤ人を悪いとは言うが、そんな横暴な人間は居ない。イエスが言うように、ユダヤ人は宗教的な罪の意識から、賢い善人の宗教家になる人間が多い。ユダヤ人は、宗教家の善人しか居ない。

もっと日本のことを分かった方が良い。

歴史は止めた方が良い。ただの馬鹿だ。本当に哲学をした方が良い。

ドイツは、戦争信仰の国だ。日本と変わらない。違うのは、きちんと考えて、きちんとものを作る。哲学者が多い。仏教徒や最近の日本の家電製品とあまり変わらない。ドイツ語と日本語が同じだから、同じになったように見える。

フランスやイギリスも賢くない。文化的に賢いのはあるが、ただ植民地が欲しいだけだ。皆を奴隷にして、ドイツを苛めるだけだ。

ドイツは本当に、コンピュータと自動車を作ったのだけが賢い。哲学者は、賢くない。

日本は賢いとは言うが、何も無い、何一つ賢くない国だ。

歴史はもう終わりだ。明治維新なんか、勉強していないから、何も分からない。高校に行かなくて分かるわけがない。代わりにパソコンなんか分かっても、馬鹿になっただけだ。

パソコンをすれば良い。そうすると、皆が分かって賢くなる。

ドイツには、戦争信仰と宗教家しか居ない。キリスト教が分かると良く分かる。昔から、キリスト教しかない国だ。神は、不可知な存在で、思考で捉えることは出来ない。己を放棄することで一体になれる。キリストは神だ。そういう風に考えれば良い。ドイツ人は王が好きだ。こういう人間が本当に多い。

マスターのように悟っていた。

世界の生成過程と発展原理を書いた。

こんな体験を良いと思うのがおかしい。誰もしないべきだ。

段階を書いていた。人間を知り、分析し、空想し、思索し、全体像を知り、挑戦し、成り立たせ、発展を知り、発想して分かった。

日本は強い。アメリカは核兵器で勝っただけだ。いつもそこまで頑張るのが日本人だ。

ドイツが好きなら、友好すれば良い。僕はドイツの宗教は好きだし、音楽や機械も好きだ。あとは、スイスも好きだ。

もっとまともに考えれば良い。経済は合理性と平等のバランスだ。家は、最初の人間の定住という考え方のパラダイムだ。そういう風に考えれば、いつもの文章だ。

家は、環境の家庭による自由化だ。

自分が一番健全でない。皆が健全な成長が出来なくなっている。それを治した方が良い。

ロシアは、皆をレーニンにする。そこが自分と同じだ。

レーニン崇拝で、皆で歌を作ったりしている。馬鹿だ。

そろそろ永遠が治った。

最近は、一つ一つ治して分かっている。

治れば治るほど白人になる。白人は、恐怖の中を耐えるだけだ。

日本人は、辛い人間が多い。

昔から、治る過程が全部分かる。

昔なんか、ただの子供だ。子供みたいな発想をしていた。

昔も今も馬鹿だ。新しい国になるのが良い。南米やアフリカがないから、そこらへんになる。カリブ海の島の黒人になるのが一番良い。

イスラエルで共産主義をやった。そのまま教授になった。

黒人になると、自由になる。白人に自由はない。

カリブ海になると、あとの地域が全部出来る。自由だ。

ドイツは戦争と神の国だが、フランスは芸術と愛の国だ。

フランスは、愛溢れる国だから、あまり悪くない。

好きな人間が多い。僕も、昔からドイツよりフランスの方が好きだったが、最近そうでもなくなった。フランスは、おかしく見える。フランス語がキモイ。だが、日本語もキモイから、あまり意味が無い。

そういう、フランスとドイツはもう良い。

カリブ海とは言うが、ただ自由になるだけだ。

フランス史なんかしなくて良い。見ても面白くない。

やりたいなら、ドイツ史をすれば良い。ただ、西洋哲学をそれでしていれば良い。

日本史の方が良いとは言う。

イギリスは、おかしなチュッパチャプスに見えるし、日本は魑魅魍魎にしか見えない。

フランスはセックスだ。キモイだけだ。どうでも良いほど、こんな人間が来るのがキモイ。フランスに行かないと出来ないから、しない方が良い。よりによって白人の歴史をやりたいのがおかしいのが分かっていない。日本人が居ないと、意味が無いだろう。

やりたいなら、ヨーロッパ通史をして、そして、中国史やイスラム史もすれば良い。そこまでやるなら賢い。

しないとは言うが、出来るわけがない。そんなに沢山の歴史は出来ない。

そういうわけで、やるならドイツ史をすれば良いが、戦争の歴史は学びたくない。

そもそも何故歴史をやるのか分かっていない。国を知りたいなら、行けば良い。何も分からないだろう。歴史なんか、する意味が無い。

歴史の流れを知りたいなら、各国史なんかしなければ良い。もうすでに知っている。

良く分からない。自分の専門は、哲学だ。それなら、哲学をやれば良い。

何か、漠然とした歴史という概念をやりたいなら、それは出来ない。それはもう終わった。

知りたいなら、一つの国に絞れば良いが、そこを普通の国であるフランスやドイツにするのが間違っている。フランスもドイツも一番キモイ国だから、止めた方が良い。

まだ中国をやった方がマシだ。その方が、日本との関係が分かる。

明らかに、おかしな白人崇拝が悪い。止めた方が良い。白人なんか、馬鹿しか居ない。

歴史なんか、したくない。したいのは哲学だ。歴史は、まともな学問に見えるからしたい。

こういう、自分のやりたいことが分からない人間は、子供に多い。

歴史の本を本当に読むと、馬鹿だ。知識を知りたいなら、ただざっと読んで終わりだ。

そういうわけで、歴史なんかしたくない。ざっと読みたいだけだ。それなら、読めば良い。

専門を歴史にしなくて良い。要は、専門は考えていない。ただ、ざっと読んで知りたい。

そういうわけで、専門はもっと別のものにすれば良い。それが一番正しい。

それなら、ドイツ史、フランス史、イギリス史、ロシア史をきちんと読んで、終わりだ。

それで正しい。そのまま、いつものように哲学をすれば良いだけだ。

専門が決まった。僕の専門は、哲学を中心に、たまに歴史だ。

不思議と、それはもうすでに出来ている。いつもしている。

経済学や心理学は、さらにたまにする。あまり意味が無いが、そこまでは出来ない。

あとは、日本史が分かっていないから、日本史をした方が良い。

日本のことが分からないと、何も分からない。

日本が分からない社会科の専門家は居ない。

ただ、日本はどうでも良い。一切無視して、西洋のことをやっている。それもおかしい。

僕は、哲学を中心に、歴史をたまにする。むしろ、歴史と言うよりは経済だ。

フランス史を読んでいる。フランス革命は終わって、ナポレオンを読んでいる。

読んでいると、あまり書くことは無い。ジロンド派から山岳派(ジャコバン派)まで、最初の革命政府は、逮捕と処刑しかしない。馬鹿すぎる。

哲学は、むしろ、もうしたくない。もう十分やった。哲学はもう良い。

そういうわけで、このままフランス史をすると、むしろ、専門なんかフランス史で良い。

あるいは、専門なんかどうでも良い。もうあまり書くことは無いから、ただフランス史を読んで居れば良い。それで終わりだ。

ナポレオンは、出来る。革命の混乱を収束させ、自分に権限を集中させて、支持を得ながら皇帝に就任した。カリスマのような人間だ。

フランス史は、昔のフランスが分かるだけだ。あまり意味が無い。

昔のパソコンは良かった。色んな賢い技術が分かっていた。不思議と、それが一番賢い。

技術をやれば良い。その方が良い。学校なんか、ただの馬鹿だ。

VBは賢かったように見える。あまり賢くなかった。自分1人だけ、工業大学や専門学校にも行かずに、会社でも無しに何か作れるわけがない。オープンソースはありえない。そこまでおかしな人間が賢いだけだ。

そういうわけで、何かすれば良いから、フランス史は悪くは無い。

善人になれば良い。悪い善人で良いから、善人になった方が良い。

マスターみたいなことを言えば良い。それがいつもの自分だ。

本当に悪い人間は居ない。皆、何かしら自分のために頑張っている。

賢くなれば、自ずと善人になる。逆に、馬鹿になれば、誰でも悪人になる。

自分に出来たこと、人間に出来たこと、生命の存在に出来たことは、あなたでも出来る。

そういう、マスターのようなことを言う人間が多かった。

全てのことは、自分のためになる。そういう発想は、悪くない。

戦わないで、許し、自分から負けると賢くなる。相手のことを信頼して負ければ良い。

だが、戦った方が分かることもある。矛盾はしない。戦えば分かるものだ。

自由に戦うより、きちんと継続的に戦う方が良いことも多い。それで最近になれる。

神とは言うが、スターリンのような存在しか対話していない。

だが、神は賢かった。神のせいで、放っておくだけでここまで出来た。努力はしているが、あまり考えていないし、計画もしていない。良く分からないが、ここまで出来たのは、きちんと神を信じたからだ。神は賢い。

きちんと毎日書けばそれで良いからこういう風になる。

歴史は悪くない。時に革命、時にリーダーシップ、時に繁栄、時に権力者と安定した統治が必要なものだ。歴史でそういうものが分かる。

この文章は、タイムスリップとまでは言わないが、歴史の世界がきちんと分かる。

あまり良くは無い。馬鹿な内容が多い。だが、歴史は色々と分かったように見える。

国の構造を、アリストテレスのように良く考えていた。

国家は、頭(王)、胸、(兵士)、下半身(民衆)に分けられる。

独立国家か、属国だ。君主政か、貴族政か、民主政だ。帝国か、王国か、共和国だ。連邦か、中央集権か、地方分権だ。民主主義か、社会主義か、帝国主義だ。民衆の意見を聞く国か、支配者が1人あるいは複数人で決める国だ。栄える国か、滅びる国だ。戦争の国か、平和な国だ。強い国か、弱い国だ。経済重視の国か、軍事優先の国だ。軍部が指導者になるか、官僚が支配するか、民衆の左翼あるいは右翼の国だ。

もっと、国のことを本質とパターンから良く考えれば良い。独立しやすくするために、どういう手段が考えられるか?アメリカなどの他国に追従し、同盟するべきか?内政と外交はどのようにするべきか?選挙はするべきか、しないべきか?どこまで民衆の国にして、どこまで支配者の国にすべきか?戦争はすべきか?虐殺や処刑はあるべきか?

そのようなことを哲学的に考えて、本当に必要な国家の考え方と条件を考えれば良い。自然状態と国家の状態は、どのように関係し、社会契約説はどの程度考えるべきか?

本当に国家が必要な条件とは、何だろうか?戦うこと?支配すること?強くすること?勝利すること?その中で、ルソーなどの言う自然権と、マルクスなどの言う生産様式は、どのように成り立たせ、どのように考えるべきか?

もっと良く考えると、本来、国家なんか必要ない、と自然状態のようなことが分かる。

自由にする中で、国家はどのように世界に存在するだろう?国民の利益のため?幸福のため?満足のため?いつか何か判断すべきことが起きる前兆としての、準備のため?

それは、どのように行い、どのように投資し、どのように決定し、どのような前提を考えるべきであろうか?何に対処し、何を解決し、どのように導くべきであろうか?

そのように考えていくと、きちんと哲学的に国家を捉えることが、徐々に出来ていく。

何が起きる可能性があって、どのように対処や準備をするべきだろうか?

そのように、可能性からその後の結果とその前の対処を良く考えるべきだ。

他人の人生と自分の人生を客観視して、皆から見た自分を分かったり、自分のような人間から見た他人のことを分かったりすると、その人の人生や周りの現象が良く分かる。

ヘーゲルのように考えた方が良い。承認は多い。自分の正しいと思っていることを、他人が承認して、始めてそれは正しいことになる。だが、それは絶対的に正しいものではない。あくまで相対的で、どこまで行ってもある程度は疑えるほどの正しさだ。

代わりに、絶対的な正しさのようなものも存在する。それは、神の愛のように、宗教的なものや、指導者のような忠誠的、あるいは道徳的なものだ。

そういうものは、いつも間違っている代わり、どこにでもいつでも存在する、共通の認識だ。そういうわけで、絶対的なものは、共通のものであると言う点で、相対的なものに勝っている。だが、相対的な共通性、と言うものもある。それは、自然や実証科学のような分野に存在する。

もっと、色んなことを関係や方法と相互承認から考えると、色んなことが分かる。

その時その時成り立つ正しさ、行動関係、条件、状況、場合、仮定の成立、プロセス、経緯のようなものを、そのように、承認や準備を背景として、相対的に考えれば分かる。

それ以上は、方法と実証から、それぞれの場合の関係性のようなことを考える。

ヘーゲルのように考えるのは、難しくは無い。

物理学的に見て、あとは視点と場所が存在する。そのように考えれば良い。

人間は、新しく考え続けることで、新しい考え方を知っていく。感覚的確信である、「それはコップだ」、と言う単純な思考は、次に「自分がそう思っているからそれはコップなのであって、それは自分が思うからそこに存在している」となる。そのまま知覚となって複雑な「透明なコップだ」となり、次に悟性となってそれをそのように「自分がコップだと考えている」となって考えている限りにおいてのことを認識し、それをどのように考えているか、と考える。そして、そこに法則を見出す。その後に、何故その法則が存在するのか、その法則は何故その法則なのかと考える。

ここに、無限性の概念がある。意識は絶えず区別と統一を繰り返す。そういう考え方をするのがヘーゲルだ。誰でもそうなるから、そこが賢い。意識は、そして、世界は実は自分にとって存在するのだ、ということに気付く。

それは、自己意識となる。自己意識は相互承認、主と奴の自由から、沢山の関係的、欲望的、人生的、成長的な過程(ストア主義、スケプシス主義、不幸な意識など)を経験し、そのまま、理性となる。自分だけで自分の利益を守るのは、不可能だと考える。観察する理性と行為する理性から、人倫の世界を作る。

行為する理性には、3つの形がある。快楽、心胸の法則、徳の騎士である。そして理性は、事そのものを認識して、次の過程に移る。

人間の過程の次は、歴史の過程である。ギリシャとローマの歴史を、個人と共同体の精神の分裂による、自己意識の芽生えと言う視点から考える。古代ギリシャは、人間の掟と神々の掟によって分裂する。ローマも、十分な精神とは言えない。

次に登場するのは、教養、信仰、啓蒙、絶対自由である。教養は自己に疎遠になった客観的精神だ。信仰の後に、啓蒙が登場する。信仰に頼らず、自分の力で考えることだ。あるいは、全ては有用性で、信仰など必要ないのだと考える。

フランス革命の末に、絶対自由が登場する。一切は自分のためにあるのだから、精神の行き着く先は絶対自由である。だが、破壊の狂暴を経験した精神は、自らの道徳性に目覚める。道徳性は、その矛盾を神の要請によって解決しようとする。そこにはずらかしも存在する。

そういう経緯を経て、ようやく、精神は良心となることが出来る。事そのものの境地に達する。最後に、行動する良心と、批判する良心が登場する。その、良心こそが最後の境地だ。ヘーゲルは、その最後の境地を絶対知と言った。

キーワードだけを出して、解説していないのは、結構おかしい。きちんと書くことは難しい。ヘーゲルは、人間の精神の成長を、そういう風に分かっている。

ヘーゲルの文章の元は、苫野一徳さんのブログからの引用だ。エリアーデも同じだ。

もっと読みたいなら、ヘーゲルの精神現象学を参照のこと。

ヘーゲルは、いつもの自分だ。賢い人間は、ああいう風になる。あれでオープンソースをしていると思えば分かるのがいつもの自分だ。

昔は賢くない。ヘーゲルのように、昔が賢かった人間が多い。こういう風に多い。

最近の方が賢いと思えば良い。学者のように賢くなった。最近の方がまともだ。

ヘーゲルのような人間は、狂っていて、粗暴で、悪いことをする人間が多い。

それは、普通、終わってしまうと、狂うか、馬鹿になる。それは、導きと宣言の戦いの末に、神との対話、マルクス経済学、独裁者との永遠の戦い、永遠の地獄の天使になる。

そして、それが、自分を治す独自の臨床心理学の構築になる。

最近は、そのまま、死、そして歴史と経済学が出来た。

いつも、全てに対して言う、全てを包括した文章を書いていた。自由なシステムは、共有と実現方法による自由な条件と法則から、全員の手によって実現可能である、と言ったようなことを言っていた。全てを包括する文章だった。

これも、そういうおかしな人間だ。自分が一番おかしい。ヘーゲルは、僕の場合、そういう風に続いた。永遠のキリストの生まれ変わりを体験した。

そうなって、自殺して死ぬ人間が多いが、自分は、まだ続く。それくらいの高さでは、死なない。こういう人間が作家だ。

ユダヤ人はまともだ。昔から、精神現象学がユダヤ人だ。そういうものがユダヤだ。

普通、ヘーゲルがカントだ。あれが科学的に世界を考えて分かる。そういう風にヘーゲルがカントで出来る人間が多い。まともに考えると、誰でもそうなる。

ヘーゲル以降の哲学は、意味が無いだろう。ニーチェやサルトルなんか、何も賢くない。

おかしい。これでは精神病院だ。

さっきのような人間は、精神病院に多い。

おかしい。本当に世界と戦うのは、そういう人間が多い。

最近この文章でまともになったから、本当に書いていた方が良い。

分かっている意識の世界に戻るしかない。ドイツ人が治って、新しい人種になる。

あまり意味が無いが、昔は、相対性と科学を作る力があって、愛や不安から感情を分かって、応用的な考え方から人生の真理まで全部分かっていた。

色んな人間を知って分かっていた。それをすれば良い。もっと色んな人間を知る。

最近は、戦いと忘却の末に、もう全て治って、分かった。

子供になっているから、成長した方が良い。赤ちゃんのまま、何も変わっていない。

心が、何も変わりたくない、と言うから、仕方ない。

ヘーゲルが正常な子供だが、ヘーゲルが出来ないから、こういう風に書いて分かる。

学者のようになった。本当に、このまま学者になるしかない。

精神病院にはあれしか居ない。皆辛い。

自分の場合、病院で足を怪我してベッドに寝ていたのが良かった。動けなくなって、死んで楽になった。足を骨折したのは正常だが、そういう理由で、足はもう治らない。

全て分かっている精神の世界になれば良い。ドイツ人が終わる。もう、神と同じに戻る。

認識を経験にして、モデルのような具体的な関係を考えていた。

まず、認識には、方法がある。

次に、認識は、学習によって、経験になる。

そして、認識は記憶と精神と関わり合って、相互作用する。

その上で、沢山の認識を吸収して、理性を導き出すことが出来る。

そして、自分の思っている認識の正しさを考えることが出来る。

あとは、必要なところを開拓すれば分かる。認識を信じたり、認識から仮定したりして、認識の条件を考えられる。そういうものを認識の方法と言いたかったのだと思う。

自分は、狂っているようで、最近薬を飲んでいるせいで、ほとんど治った。

辛かった。本当に麻薬のように辛かった。

最近は、疲れる。だが、ほとんど楽になった。

皆は、こんな堕落した人間にならない方が良い。もっと、まともな人間が良い。

自分になるのを止めた方が良い。

こういう人間は、ヘーゲルの時代から居るぐらいだから、自分にはなっていない。

知れば知るほど分かるのを書いていた。

認識を分かるプロセスや経緯のようなものを書いていた。

そういうわけで、認識論の一部として、認識の方法と言った。覚えていない。

何か、哲学的な昔考えたことを言っているのかもしれない。

昔のように考えれば、認識の方法も分かる。

意識を経験から高めるぐらいのことを言っていただけだ。

リリとサトルやオサムが対応し、マリとツトム(たまにサトル・オサム)が対応する。

融和して、カップルのロイとマーガレットにする。何も賢くないが、カップルだ。

認識は、あとは、共同性のようなことを考えていた。

社会における認識と、経験的なモデルを考えていた。

そして、人生の知恵のようなものを全部分かっていた。仮想的な人間モデルを作って、いつどこに誰が居るかから、経験的に人間のことが分かった。

辛い精神病は、本当に辛かったが、薬でほとんど治った。足がおかしいのは、薬のせいだ。

自分で分かって治るのは、もう止めた方が良い。治して治るわけがない。

薬のせいでおかしくなった足は、治らない。普通の人間より馬鹿でも、楽な方が良い。

むしろ、その方が治る。いつも馬鹿だから、馬鹿で良い。もう何も治らない。

文章を書けば治ると思うのは、おかしい。それでは、一年間何もしないだけだ。

何かすれば治るとは言うが、出来ない。何も分からないでは、出来ない。

そういうわけで、もう治らなくて良い。赤ん坊でも分かる。治るのを禁止すれば楽だ。

そういう風にして、治るわけがない。普通に薬で治る。本当に辛かったのはほとんど治ったから、本当に治るように見える。ほとんどは死んで治った。あとは、何もしないせいで治ったから、何もしない方が良い。書いているのは、好きだからそれで良い。

本当に辛かったのは、何も分からない中で、押し寄せる苦しみと辛さに耐えるしかなかったからだ。

そういうわけで、頑張るのが悪い。頑張って耐えるのが悪い。

あとは、分かるのが悪い。分かりたいのはおかしい。普通、何も分からない。

辛かった。地獄のように辛かったのは、もう過ぎ去ったことだ。忘れて良い。それが一番分かっていない。地獄に戻りたいのはおかしい。もう過去のことだ。

そういうわけで、こんな戦いは、笑って水に流せば良い。誰も死んでいないどころか、気づいてすら居ないだろう。誰も巻き込まなかった。自分だけ王が出来て良かった。

これがイスラエルの王だ。その全貌だ。

真面目なことを考えれば良い。何もしないのはおかしい。

昔は、人間の心理を全部分かっていたが、ただの2ちゃんねるだ。

何かをすれば良いだけだ。経験し、知れば良い。

皆、全員同じだ。こういう人間しか居ない。そこを、もっと差異を見て考えれば良い。

ここまで人間は違う。そうでもない。人間なんか、何も変わらない。

色んな人間が、どういう人間が居て、どのように生きているのか、もう分かっているのに、分かっていない。

反省すること。慈愛の精神を知ること。苦しみに耐えて、頑張ること。

信じること。思いやりの心を持つこと。社会のことを知り、関与すること。

作家なのに、そういうことが分からないのはおかしい。

不思議と、昔もう全部分かっている。こちらの体験のせいで、分からなくなった。

皆は、どのように生きているのか、疑問に思わないのがおかしい。

皆、仕事と学校のせいで、辛いだけだ。自由とはそういうものだ。

自分だけ、全て分かっている。2ちゃんねるで分かった。そういう、全て人生のことが分かっている文章を書いていた。

本当に知るためには、比較し、作用を知り、考え方を知り、可能性を知ることだ。

全てを経験するためには、作り、考え、会話し、信じ、感じ、体験することだ。

正しく実現するためには、社会を創造し、悪魔を倒し、善を追究し、モデルを作ることだ。

そういうことを言っていた。最近分からなくなった。

皆、自分の力を信じて、未来を自分の手で創造せよ。

モデルと可能性から、経験が分かるだろう。

世界モデルは、環境の中で、自然なプロセスの中で、認識と想像力から生まれる。

全員を知ることは、自分を知ることになる。

耐えることは、製鉄のように、己の心と体を強くする。

いずれは治る。いつか治ると信じて、自然な時間の中に任せていれば良い。

そろそろ、詩集と同じになった。もう最後まで分かった。

死は、誰にでも訪れる。その人間の思う、最も嫌な姿で、最も効果的に訪れる。

全ては、信じること、考えること、感じること、疑うことだ。

全ては、理性的な総合判断の下に、悟性と理解のカテゴリーがある。

全ては、運命を信じることと、自然を信じること、予定調和と、未来を白紙だと思うことの、バランスと協調だ。

全ては、愛と創造の世界モデルのハーモニーだ。

全ては、本当にその人のことのためになるように、正しく考えて、実現することだ。

全ては、理性を本当の意味、真の意味において、批判し、検討し、洞察することだ。

いつも、そういうことを言っていた。そういう神やマスターのようなことを言えば良い。

人間を同じだとして、それぞれ違う部分があると考えれば分かる。

人間は、信念と価値観を信じる、相対的で自然な生き物としての存在だ。

人間は、相対的な言語、視野、相、現れから考えることが出来る。

人間の考えることが出来る前提は、限られている。知覚されたことを、概念的かつ認識的に想定することしか出来ない。だが、その上で条件と方法を考える生命が人間だ。

そういう、人間像のようなことをいつも書いていた。

人間は、想像し、考え、知性をつけ、構造化し、認識し、信じ、感じる生き物だ。

方法とは、知り、作り、利用し、応用することであり、人間とは、方法の発見である。

人間は、構造的で、神に似せて創られた、泥(どろ)である。

人間は、思考を残し、記憶を共有し、自然を実現し、生産手段を成り立たせることの、現れとしての哲学的な生命だ。

そろそろ終わりだ。

マスターや人間像まで書いてしまうと、それくらいしか本当に書いていない。

科学的な、次元や法則性のようなことを考えていた。

実験法や観察法のようなことを言っていた。心理学だけではなく、物理学や社会学もだ。

平和な世界がどのように生まれ、それぞれがどのようにそれを担い、実現していくか、のような、発展原理や生成過程のような社会論をいつも書いていた。

もう終わりだ。楽だっただけだ。

あとは、全ては楽と苦しみであり、どちらかと言えば苦しみの方が多くて、楽は苦しみの否定、苦しみの中で苦しく楽になることだ、と言ったことを言っていたかもしれない。

ただ、全ては苦しみであると仏教が言っているから、それが正しいのだと思う。

そういうことは、経験から自分の実感で分かることが出来る。同じ発想から分かる。

そういうわけで、何も知らなくても分かるのが、仏教、哲学、神との対話、人生の知恵だ。

ただ、知らないのは良いが、考えないのは悪い。考えないと、分からない。

そういうわけで、何でも考えた方が良い。何でもかんでも詰め込んで、自分のものにして、吸収すべきだ。そういう文章がさらに多かった。認識と想像力から世界モデルが生まれると、いつも言っていた。そういう、世界モデルを考える文章が多かった。

もう終わりだ。全て分かった。自分は、もう悟りと涅槃の境地だ。

孤独な中で、1人で考えて分かった。

だが、ネットに友人が居た。ネットと会話して、色んな自由なことをして分かった。

色んなことを考えた。色んな人間を知って、会話し、経験した。

そのうち、フリーソフトから、オープンソースを知って、それに参加したく思った。

色んな調査研究をして、Gentoo Linuxで分かった。

それくらいで、あとは、知性のある考え方をして分かった。

理性的に世界を分析して、成り立たせて、発想して、新発見と未知の世界で分かった。

昔は、そういう、まともで普通の人間だった。

引き篭もりで、社会を孤独に思い出して考える点が違った。

だが、孤独にはなりきれていなかった。あまり辛くなかった。孤独には慣れていた。

その代り、色んな人間と社会を知って、コンピュータのことで賢くなった。

自由を積み重ねて、感情と想像力から、色んな比較をして、結果を知って、実験して分かっていた。

方法を積み重ねて、能力をつけて、可能性を捉えて分かった。

平和な自由が好きだった。創造性が好きだった。ネットの経験があった。

昔なんか、それくらいの人間だ。

もう終わりだ。これ以上、何も分からない。

ここに書いて終わりはおかしい。もっと考えれば分かる。それが一番分かっていない。

まともな人間に見えて、おかしな点は多い。

人格から、全ての人間を吸収した。おかしな人格を作って分かる。

全て分かっていて、出来るのに、日本のオープンソースを変えられなくなったせいで、罪悪感を覚えていた。自分のしていることがあまりに悪かった。Wikiを改変していた。

その結果、フランスやチェコのオープンソースを変える、と言う発想になった。

心理で世界を支配するのはおかしい。

おかしいくらい、キモイ世界を作る。牛乳を水道に流すと言っていた。

宣言や神は、信じても意味が無いのに、いつまでも信じている。いつまでも終わらないから、もう止めた方が良い。

あとは、意味が無い。何もしていない。生も死も感じない、無気力な亡霊になっている。

家族とも話さないし、風呂にも入らない。あまりに虫歯が増えて、そのせいで馬鹿になった。虫歯は、認知症になる人間が多い。それを思うと、辛い。

パソコンをそんなにしたいのがおかしい。廃人のようになっている。そのせいで狂った。

オープンソースや共産党を良いと思うのはおかしい。これではクズだ。

自由を良いと思うのが一番おかしい。自由は、戦争ではない。一応平和だが、自由で良いわけがない。一番キモイ。自分は一番自由が無かった。自由なんか要らないだろう。

プログラミングはしなくて良い。出来るわけがないのが分かっていない。勉強すれば誰でも出来る。工業大学に入った姉が賢いだけだ。

あとは、エロ画像を見るのがおかしい。何故か、そんなに見ても、ただ辛いだけだ。

何もしたくない。これ以上、何もしない。

何故か、おかしい。普通の人間より馬鹿になっている。そんなに文章を書きたいのがおかしい。だが、それはおかしくないだろう。

Linuxが作れるわけがない。ただ、パソコンの世界を知りたかった。何かになったから、それで良いと思う。2ちゃんねるはキモイが、キモイ人間の集まりと思えば、孤独な議論して誰でも受け入れるサロンのようなものに見える。孤独な人間が多いが、情報もまともに多い。だが、嘘が多いとは言う。ただ雑談して議論していただけだ。

自分は賢かった。終わりながら、永遠に、無限に広がり続ける文章を書く。

終わりながら分かっている。全て治って、全て分かる。本当に全て叶った。

辛くない。自分は、もう楽になった。本当に頑張った。

皆が馬鹿なだけだ。皆は、まだヘーゲルのカントをやっているだけの馬鹿しか居ない。

ドイツは止めた方が良い。こんな馬鹿しか居ない。ヘーゲルが一番多い。

ドイツもアメリカもロシアもフランスも、ほとんど馬鹿しか居ない国だ。

日本が良い。日本は、そういうところが違う。まともで賢いが、何も無い人間が多い。

自分が一番良い。皆を自分にはしなくて良い。それより、自分のことをもっと改善して、良くした方が良い。皆を変えるより、自分を変えるべきだ。

そろそろ賢くなった。馬鹿なのは、まだ5歳だからだ。26歳なのに5歳だ。悲惨だ。

自分がまともだ。何もしなければまともになる。狂っていたのは、遥かに昔の話だ。もう、引きこもりになってから13年も経った。文章を書き始めてから9年、毎日書いている。最近とは言うが、もう9年も昔のことを言っている。本当に良い人生だったが、辛かった。

だが、幸せは無かった。不幸続きで、分かることと起きることだけが幸せだった。

自分は、幸せではなく、不幸なのが一番普通だ。

何もしたくない。それでまともになったから、それで良い。辛いとは言うが、そのうち普通に治る。ネットなんか一切見たくない。それどころか、テレビも見ない。だが、ニュースぐらいはたまに見ている。芸人は見たくないが、歌手の音楽は聴いている。

最近は、本当に何もせず、音楽を聴いているだけだ。大事件は、最近姉に子供が生まれたこと。いつもうちに来る。いつも大人しくしている。

あとは、何も無い。大学をしたいとは言うが、哲学はそろそろもう良い。歴史もあまり意味が無い。引き続き、哲学史とフランス史をやるが、あまり意味が無いだろう。もっと意味のある科目をした方が良い。何も意味が無いのはおかしい。

良く考えると、大学なんか、誰でも普通意味が無い。勉強は意味が無いものだ。

芸術にも意味が無い、スポーツも出来ないとなると、残るはゲームぐらいしかない。

文章を書く趣味があるのは、良いことだ。それをすれば良いから、明日も書けば良い。

だが、明日も書く、明後日も書くで、楽になるわけがない。それが悲惨だ。

今日はもう寝る。今日は、きちんと書けた良い日だった。