この文章を止めると、完全に楽になる代わり、世界がおかしくなって、皆が死んで行く。
皆も楽になるが、そこまで楽になると、誰でも狂う。それで死ぬ。
皆、臆病になっている。ビクビクしているだけだ。
自分は、止まった世界が怖い。皆が自由になるのが怖い。何も怖くない。
批判して、批判を許さないのが悪かった。もっと皆のことを信用した方が良い。
構造を沢山作って、それで分かっていた。
構造を全パターン、全員分作った。全部の人格の文章のようなものを作って、箱に詰め込んだ。今でも、その箱で分かっている。
科学を作り直して、構造を作り直してデリダのように分かっていた。デリダではないかもしれない。
認識、経験、システム、環境、権利、価値観、社会構造のような、文章の構造が多かった。
経験から、皆を良くする方法を考えた。
楽しさや辛さを共有出来る場所を作って、環境を参加しやすいものにすれば良い。
思いやりと可能性から、良い世界が生まれる。
可能性から、色んな社会が生まれると言っていた。
ものは、ものから生まれる。それを応用と言う。そのような考え方を分かっていた。
関係から心理学の構造を作った。学習から意識と経験が分かると言っていた。
全てを想像力で把握した。あらゆる全経験を把握していた。
悲惨な社会や環境を全て経験した。
最近は、意識を高めたり、低めたりする文章を書いていた。
基礎と応用を全部創った。全ての応用から、全ての基礎を書いた。
行動から関係まで、全部分かっていた。
関係を組み合わせて、成り立たせて、視点と法則を考えていた。
もう止める。もう、完全に楽になる。
皆、死なないでほしい。皆が死んで、僕だけが生きられるわけがない。
だが、そういう考え方は、狂っている。あまり、そういう風に考えない方が良い。
予言や予知の類は、当たらないと思った方が良い。
皆、中学生になっているのかもしれない。15歳ぐらいではないか。このまま、僕の引きこもり時代になるのかもしれない。
あるいは、引きこもり時代が終わって、こちらの戦争の地獄になるのかもしれない。
自分にはならないかもしれない。誰でも、一番辛いのが終わって、楽になると、死ぬ。
自殺で死ぬ人間が多い。僕の昔も、そうだった。
僕は、そろそろ、最後まで終わった。もう一度、昔と同じことを繰り返した。
もう終わりだ。僕は文章を書くのを止める。
昔は、皆と同じことを経験して分かっていた。そういう想像力で、人間を吸収した。
最近の文章は、考え方のようなことを書いている。参加、実験、共有のような考え方が多かった。良く考えて、良く実験すること。会社は、参加と共有だ。そういうことを言う。
もう心が治った。もう怖くない。治ってしまえば死ぬように見える。
まだ生きている。そろそろ、もう一度したいのが終わった。辛いようで、辛くないバージョンだった。
成虫になって、すぐに死んだのが、自分のアゲハ蝶だ。
アリストテレスの言うような、可能性と現実化のようなことや、再利用や協力、主体性のような、経験の考え方のようなこと、経験論のようなことをいつも言っていた。
もう覚えていない。もう楽だ。そろそろ本当に止めた方が良い。
いつも辛い。めまいがするし、疲れる。脳もおかしくなっている。もう止めた方が良い。
戦いは、全てを犠牲にし、全てを滅ぼし消し去る、一番悪い右翼の戦いだった。
それをもう止めた方が良い。それでイスラムの神を信じていると、ただのテロに見える。
自分は悪かったが、きちんと頑張った。きちんと皆の上になるのを頑張った、賢い作家の兵士のキリスト教徒のプログラマが、自分だ。
あとは、物理的な当たる当たらないから、予測と作用を考えていた。
可能性を全て当てて、掌握して分かっていた。
そろそろ、辛い部分が全部死んだ。終わった。精神も昔になって、対話も終わる。
セックスが死んだように見える。もう楽だ。昔に戻る。
自分が今居る状況、それがそれである状態から、条件と成り立ちを知って、可能性を知った。昔は、それを積み重ねて、出来るのや変えられるのを分かった。
精神は、何も無いのが終わって、辛いのや楽しいのを感知するようになる。
昔は、そういう人間が多かった。最近居ない。最近は、そういうところが辛い。
昔は、それで楽しい経験があった。仲間と一緒に苦楽を楽しんで、ネットを変えて、色んなことを検索したり、会話したり、Wikiを書いたりして分かっていた。
僕は、全てが良かった。最近も悪くは無いが、昔の方が楽で、色んなことがあって、楽しかった。最近は、賢くなった。哲学者を全部知って、国を作って、文章を思い出して、治して、最後まで考えて、頑張った。
そろそろ終わりだ。僕は、幸福で、毎日が充実した、賢くて、成功した人間だ。
あとは、考え方のような馬鹿な内容が多かった。
植物や太陽にも意志はあるか、とか、時間が存在しないか、止まるなら、とか、意識しなくても存在は存在するが、他者から認識された存在が自分である、とかだ。
そろそろ自由だ。自由な中で、色んな抽象的なこと、経験的なこと、関係や構造を考えて、宇宙と意識と実地的な社会を知った。
社会の変化が分かっていた。
そろそろ、この世界は昔になるべきだ。楽しさや悲しさを考えれば良い。
デカルトも部分に分割すると言っているが、実直に、1つ1つ小さな部分から考えて、解決すれば、そのうち、全体を全て理解することが出来る。
兵隊は何も賢くない。軍隊なんか、入らない方が良い。今の自分の方が賢い。
皆、楽しさや辛さ、悲しさを考えなさい。良く喜び、たまに怒りなさい。そういう風にした方が良い。何も無い、永遠の無は、本当に辛い。
そういう風に、皆を導く人間が多かった。革命家のような人間だった。
皆、考えなくて良いし、頑張らなくて良い。ただ、今のまま、ありのままを信じなさい。
疑うのも悪くは無いが、ほどほどにして、むしろ、信じるようになりなさい。
昔に戻りなさい。色んな感受性を発揮して、世界のことを好きになりなさい。
この世界とは関係なく、何かをしなさい。
そういう風に、教えて諭す、キリストのような人間だった。
あとは、希望のようなことを言っていた。
皆のことを信じながら、自分の努力を続け、責任に押しつぶされないように、楽にやりなさい。
思いやりが希望だ。思いやる気持ちから、本当の真実が分かる。
続けることが大切だ。
挑戦し続けることを忘れないで、諦めない気持ちで頑張れ。
幸せになるためには、結婚した二人が支え合うことだ。
自分の子供だけを愛するのも良いが、同時に、本当に憧れるものへと向かって、夢を大切にしなさい。
多様性とボトムアップを信じるか、まともな世界を信じるかだ。
まともな世界の方が、自由になる人間は多い。
関係から心理学を知ること。きちんと正しく疑って、科学的に考えれば、哲学者のように心理学が分かる。
平和は、自由と歴史の出来事の把握と解決から生まれる。
きちんと1つ1つ、順を追って、元を辿って、考えて解決すれば良い。
経緯を分かって、変化を捉えれば、全ては自分の手で実現出来る。
自分で出来ることから、全ての能力と可能性を把握出来る。
本当に自分で出来るようになるためには、ネットを見るのが一番良い。
最近、2ちゃんねるは出来なくなった。怖いものになった。見ていると、この文章のようになる。それが一番悪いから、出来ない。その理由で、皆何も出来なくなった。
自分になりたいなら、何もしない方が出来る。勘違いをすれば良い。誰も支配なんかされていないのに、まだ宣言で戦っている。まだやっているのはおかしい。
だが、普通、昔なんかすぐに全部分かって終わる。すぐにこちらになって、いつまでも地獄が続くようになる。それがキリスト教の信仰だ。
僕は、豚肉を食べるのが悪い。イスラム教徒が豚肉を食べるのはおかしい。どうでも良い。
昔は、自由に色んな社会が生まれるのを良く分かっていた。
自然発生的に、社会は、支配と可能性の自由から生まれる。
あとは、神を信じていた。
神は、色んなことを言う。宇宙には神は200人居て、僕のことを見守っている。死ぬと、次のドイツ人になる。それが、ピョートル大帝のような人間になる。
そういうことを全部言っていた。いくらか覚えているが、殆どもう忘れた。
自由は、助け合いになって、可能性になる。何故なら、平和になるからだ。
認識の方法から、発想し、証明することが出来る。
そういう、当たり前のことを推論する文章が、多かった。
それを弁証法にして、永遠の思考をしていた。
あとは、決まりと結果、法と可能性、ルールと制度、基盤と環境のようなことを言う。
自由とは、存在することだ。
自由とは、神を信じることだ。
自由とは、1人世界から離脱して、全ての世界を見ることだ。
自由とは、認識すること、仮定すること、信じること、対話すること、導くことだ。
自由とは、愛を知り、客観性と論理性の法則を知り、相対性を知ることだ。
1つ1つのことを場合と部分に分けて、統合して積み重ねて理解すれば良い。
積み重ねは、単純なことから、抽象的なことをまず積み重ねて、応用的なことを、統一された公理のようなものから分かれば良い。
実感し、実験し、行動し、考えること。
思考を沢山すれば分かる。昔に戻るとすぐに出来るが、コンピュータが必要だ。
皆、昔に戻れ。
皆、哲学者になれ。
皆、ネットを卒業せよ。
皆、文章を研究せよ。
皆、思考し、変化から論理的に考えること。
皆、文章をいつまでも書くような、賢いことをすること。
それで、皆も賢くなる。
新しい人間は、ロイとマーガレットだ。それらのカップルだ。何をするか分からない。
あとは、引きこもりなのが悪い。
知り合いや友達もいないし、恋愛もしていない。
何より、セックスをしたことが無い。26でそれはおかしい。
あとは、勉強もしていないし、仕事もしていない。
そして、自動車にも乗れないし、怪我や病気が多い。
おかしいのが引きこもりだ。昔は、風呂に入らないとか、歩き回るとか、昼夜逆転とか、おかしな生活をしていた。意味が無いが、その経験で分かった。なぜか自立していた。
社会のことは、仮定して考えれば良い。
幸せで平和な環境なら、何をするか?
自分がそこに居たら、何を思うか?
そのように考えて、心で実験すると、昔のように社会のことが全部分かる。
セックスを永遠にしないから、こういう風になる。自分でカップル、自分でセックスだ。つまらないから、しない方が良い。何も良くない。辛いだけだ。
それくらいが分かると、昔の文章が書ける。
自由とは、多様性を連邦制によって実現し、変化を民主主義によって実現する、変化可能でそれぞれが好きに決められる、皆で決める思想だ。
自由な共同体は、合意によって生まれ、それぞれが出来ることを分担し、組織化して行われる。それぞれの自由な共有によって、システムが生まれ、可能性が高まる。
そういうことを言っていた。社会を仮定しているだけだ。
色んな社会を、条件と結果から、変転を考えたり、環境の視点を考えたりした。
また、色んな社会の可能性を、証明と正しい考え方による発想で考えていた。
実現可能性から、発想と手段を全て考えていた。
自分は、今、ロイ、マーガレット、そしてアリスだ。そのどれかが賢い。
あとは、社会的な問題をどのようにすれば解決するか、思い込みはどのようにすれば分かるか、などを、引きこもりの自分の部屋で、仮定と想定と心の分析によって分かっていた。
ロイとマーガレットは、そろそろ、自由に2人に分かれる。そのまま、楽な多重人格になる。そろそろ、対話をしない方が良い。あまり替わりすぎないと、きちんと普通の人間になる。多重人格になりたいのはおかしいが、治らないから仕方ない。
感情、人格、環境、心、意識、などが、どんな関係にあるか、何がいつどうなって、どのようにすればそうなるか、どう出来るか、から考えれば良い。
社会に関しても同じだ。何がいつどんな社会になって、どのように社会が変わっていくか、何が出来るか、などを考えれば良い。
平和や戦争は悪い。それは、自由を理性的に考えることで、平和の大切さと戦争の悲惨さを、自由と民主主義としての視点から、正しく考えることが出来る。
自由だ。それは、環境と段階と法則を作り、書き、発見し、理解することだ。
平和だ。その平和を守るために、犠牲になる人間も居る。平和なまま、戦わず放っておくと、悪い国が強くなって、滅ぼされてしまう。弱いうちに戦争で倒す、と言う、ブッシュのような発想もおかしくはない。だが、平和では、何も出来ない代わり、戦争せず、話し合いで解決すれば良い。
スイスを好きとはいうが、スイスはそんなに平和な国ではない。おかしな思想の悪い人間が多いし、何もしないだけ、自由も嫌いだ。平等もあまり好きではない。そういう発想はスイス的でない。どこともつるまない。日本とつるむ、という発想は無い。
そのせいで、小さな弱小国になったのがスイスだ。色々と強い日本の方が正しい。
あとは、自由な社会構造から、実現可能な社会の発想を考えていた。
三か月政治とか、品質保証とか、介護保険とか、自由選択ノルマのようなことを考えた。
社会主義の全員雇用や計画経済、管理所有や同じものの配給などを考えた。
そういう風に馬鹿だった。何より馬鹿だったのは、牛乳の水道とか、地下フロアのレンタルだ。インフラのようなことを考える。それが多かった。