ヘーゲル的な精神の成長を、もう一度最初からする。それで昔が分かる。
昔は、経験論やヤスパースのような、経験から分かる考え方が多かった。
法の哲学は、社会の正しさの哲学だ。そのような、社会の正しさの哲学も多かった。
ヘーゲルは、根源的に、単純に、社会と集団と人生に関する観念的な認識を考えれば良い。
管理者は、きちんと管理するべきだ。
無意味な破壊から、社会を守るべきだ。
社会は、王のための社会ではなく、市民のための社会であるべきだ。
皆が何を出来るのかと、社会はどのようにすべきか、のバランスを考えるべきだ。
戦争は、名誉の戦死と言って、人を虫けらのように扱う。日本はそういう国だ。
最近は、何も分からなくなった代わり、もう全て分かっている戦いをした。
ヘーゲルのせいで書けるのは当たり前だ。精神の成長なんか、誰でも同じだ。
普通、徳の騎士が多い。昨日書いた内容は、結構間違っている。徳のために戦う騎士のことではなく、道徳的な理想によって他者に勝つもののようなことをヘーゲルは言っている。
ヘーゲルになりたいなら、ヘーゲルの通り生きれば良い。そうすると分かる。
ヘーゲルは、簡単に成長のことを全部言っている。青春時代、そうなる人間が多い。
もっと、単純な社会観念のようなことを考えれば良い。
この世界は、自分のためのものではない。それぞれ皆のためのものだ。
もっと、世界を良くする、救世主のような人間が登場すれば良いが、それは、自らなるしかない。勝手に救ってくれる人は、1人も居ない。
自分のことは自分で考えるしかないが、人には勝ちたいものだ。
そういう風に、人生の経験や経緯のようなものから分かる哲学者がヘーゲルだ。
理想の社会は皆で作るものだが、作ってしまえば終わりだ。自分で理想の社会を作ることを考えている間が楽しいものだ。
そういう風に、人生で考えていると、普通人間の心や精神が分かって、社会への理想的な観念が分かって、神の愛や仏の慈悲の心が分かる。
昔がそういう馬鹿だ。まだ神の愛は早すぎるから、まだ分からなくて良い。
昔の自分は、そろそろ要らない。もう1人で歩き出せるようになった。
昔は、意味が無いほどネットで経験して分かっている。
全ての文章を読んで、全員と会話して、社会を包括して、吸収した。
あとは、環境は変えられるとか、初期投資と再利用のようなことを、モデルにしたり、知性で分かったりしていた。知性の考え方が多かった。自然発生のようなこと、相対的な関係のようなこと、歴史のようなことを考えていた。
意識と可能性、経験と体験、環境と決まり、創造性と人間性、認識、具体例と法則、自由と制度、国家モデル、社会的な目的、自由な関係のようなものから分かっていた。
正しさの哲学は、いつも作っていた。
社会を正しさから分析して、洞察していた。それぞれの正しさを相対的に考えていた。
昔は、意識から観念的なモデルを考えて、経験から観念を作っていた。
エリアーデの世界宗教史の解説を、昨日紹介したブログで読んでいる。
ブログは賢い。最近、そこらへんの本より賢い無料のブログが、こういう風に多い。
パソコンは、悪くない。無くすべきとは言うが、それは間違っている。
無料でいくらでも読んでいると、誰でも賢くなる。そういう、賢い人間が最近多い。
昔は、ネットと理性的な分析で人間がありえないほど分かっていた。
最近は、ありえない体験が多かった。神から宇宙人まで。文章を書いて体験した。
そういうものを、あまり書いていない。これでは、哲学しかしなかったように見える。
色んなことをして、色んなことを考えて、体験して分かった昔の理性が賢かった。
それがあまり伝わらないかもしれない。
だが、ヘーゲルやキリストのように考えたと思えば分かる。
全てのことを体験と意識で考えて、人間と社会、森羅万象の変化を分かっていた。
書きようにも書けないのは、自分が具体的にそういうものを覚えていないからだ。
エリアーデは賢い。まだ最後まで読んでいない。
途中までしか読んでいないのにそれを書くのもおかしいのが自分だ。
最近は、そこまで永遠に戦って、支配して、機械みたいに考えて分かった、ドイツだ。
自分が好きだが、昔の自分は嫌いな方が良い。その方が賢くなる。
本当にあらゆることを分析していた。
だが、昔なんか、もう書かなくて良い。一番悪い人間だ。そんな人間に見えても意味が無い。最近は、本当に普通の良い人間になった。何故か、無限の知識を作っている。
感情の裏にある信念や価値観のような、原理性のようなもの、いつどうなるかの法則の裏にあるような、原精神のようなもの、原経験や原意識のようなものを考えていた。
普通は、誰でも文章ぐらい読む。書かないから分からない。自分なんか誰でも出来る。
あとは、人間の共通精神、共通認識の吸収から、全員の精神と意識を吸収した。
そして、全ての存在を創造した。
昔は、改革や啓蒙から、道徳思想や実践思想などの、社会思想が多かった。
神は、こういう風に全部教える。具体的に、全てのことを、正しく教えていた。
エリアーデを見ていると、古代の神話はつまらない。本当につまらない宗教学者だ。
社会とは、価値の生産、研究、決定のプロセスである。
ブッダの言う、毒矢に刺された男の話は、宗教を拒否する哲学者は、分からないまま、救われるのを待っているのに、分かりたいと言って、いつまでも救われることを拒否している、と言ったようなことを言いたいのかもしれない。悲惨なまま、悲惨である理由を知ろうとして、悲惨から抜け出せなくなっている。
エリアーデは、本当につまらない。何故か、宗教なんか全く意味が無く見える。
愛とは不安に打ち勝つものだ。そういうことを考えれば良い。
ネットは、理解と方法が多い。意味が無いほど多い。
最近、テレビがネットに負けている。本当にネットの方が賢い。
ネットには無料が多いが、たまにショッピングサイトなどに有料が多い。
ネットは、結構本当に良い。無くなるべきではない。2ちゃんねるだけを無くせば良い。
エリアーデは、最後まで見ないかもしれない。今、イエスのところを読んでいる。
キリストが言っているように、悔い改めて福音を信じれば良い。福音とは聖書のことだ。
結構、僕は、読んでもいないのに書くのが悪い。色々と、つまらない部分は飛ばして読んでいる。読んでいない部分の方が多い。
ユダヤ教には、歴史が多い。ユダヤ教の旧約聖書の方に、そう言うことが書いてある。
あまり読んでいない。ユダヤ教や昔のインドの神話、既に知っている北欧神話などは、つまらないから飛ばした。ただ、むしろ、ただの解説だからつまらないだけだ。著作をきちんと読めば面白いかもしれない。
大して、文章なんか読んでいないのが自分だ。
アウグスティヌスは、悪とは、善の欠如であると考えた。神が創造した全ては、善であると言いたかった。
僕は、宗教に向いていないと思う。哲学に向いているような気がする。
あるいは、哲学にすら向いていない。経済学も難しい。歴史や心理学も出来ない。
そういうわけで、文学に向いているようにも思う。
あるいは、心理学ぐらいに向いているようには見える。
これでは、馬鹿を考えただけが心理学だ。もっと、感情的な問題や認識の間違いを考えていた時代の方が長かった。認識や行動や学習から、恐怖の原因を考えていた。
文学にすら向いていない。小説は本当に書けない。パソコンには全く向いていない。開発なんか、出来ていないし、コードなんか何も書いていない。
いつか何かが出来るとは言うが、神はもうこれ以上は「止めなさい」と言っている。
ブッダの悟りの経緯は面白い。ここにコピーする。
「最初の夜に、瞑想の四つの段階を通過し、「神の眼」によって世界の全体性とその永遠なる生成、つまり比較によって支配された、生と死と転生の恐るべき輪廻の理解が可能になった。第二の夜には、その無数の前世をふり返り、一瞬のあいだに他者の無限な生を瞑想する。第三の夜は、菩提、「覚り」である。生と再生の恐ろしい輪廻を可能にする法則、一二縁起(相互に依存した生成物)とよばれる法則を理解し、同時に、この「生成物」を抑えるために必要な条件を発見する。それ以来、彼は四諦(四つの「高貴な真実」)をみずからのものとし、夜明けに、仏陀、「覚醒した者」となったのである。」
(ミルチア・エリアーデ「世界宗教史」より引用。苫野一徳Blogより。)
ブッダは賢すぎる。僕は、何か、経験を考えて悟ったのだと思っていた。
そろそろブッダも分かった。
ブッダは、正しい瞑想、知見、言葉、行為などをしていれば、いつか出来る。
正しい瞑想や言葉は、昔分かっていた。いつもしていた。何故か、ネットと実体験で、そういう正しい方法や行為は分かっていた。最近、しなくなった。
ブッダは、あとは、分かったことを全部教えて、書いたのがありえない。誰でも、悟る体験は、出来ないように見えて、出来る。書く人間や教える人間が居ないだけで、エックハルトのように、そういう人間が多い。
昔は、小さなバージョンのブッダをやっていたように思う。十界や九識ぐらいが分かっていた。四諦や縁起、八正道のようなものも良く分かっていた。考えて分かった。
最近は、小さなバージョンのマホメットやキリストをやっているように思う。
戦いながら、神を信じて分かった。最近は、地獄の中で、分からない中で分かった。
あまり意味が無いが、ブッダは誰にも出来ない。神と言うよりは、一番年長のもの、と言う表現が正しい。
ブッダの言う神の眼は、昔の自分にも多かった。誰が考えても、そういうものになる。
神の眼は、分かる人間が多いと思う。もう覚えていないが、そういうものを書けば良い。
あとは、国と国の関係や、意識と経験、その果てに、国家主義でない共産主義などを分かって、宇宙人などと対話している、おかしなキリストが多かった。
それは、どうでも良い。
昔分かっていた、神の眼は、全てのことを見通す、絶対者の、ビジョンのような唯一無二の眼であり、人間の奥深くにあって、全ての経験に原理的に根差すものだった。
覚えていないのはおかしい。何故か、そういうものを全く覚えていない。記憶の中から消えてしまった。
おかしくはない。いつもの昔の自分は、いつもこういう風に分かっている。
あとは、そのまま、全知全能みたいな人間になった。
自分が神と思うのも無理はない。神と言うよりは、小さな仏、菩薩のような人間だった。
あとは、そのまま、ネットで馬鹿をした。それで、神の眼をまだ分かっている。
そういうわけで、こういう人間はキリスト教に多い。そういうものは、ビジョンと言う。
天使には、全てを知る知性がある。この文章のことを言っている。
天使は、自分を馬鹿にする。ただのドイツだ。そういうわけで、僕は天使は嫌いだ。
昔なんか、神の眼とビジョンを全部作っていただけだ。
ブッダも、そういうものを作ったのだと思う。
色んな空想の果てに、そうなったのかもしれない。
ブッダも、普通の人間だが、普通ブッダは普通の人間に見えない。仏のような、選ばれた人間に見える。
ブッダが哲学を役に立たないと言っているのは知らなかった。日本で哲学が根付かない理由が良く分かる。このサイトは、本当にためになるサイトだ。
自分なんか、最近は、狂って何も分からなくなって、何かの世界のようなものと戦いながら、文章を書いて、分からなくなっただけだ。戦って神を信じるのは、辛いだけだ。
神が見て、戦えば良いように見えるから、こういう風になる。
昔から、戦いしか出来ない。昔なんか、2ちゃんねるでの戦いしか出来ていない。馬鹿な人間なのに、最近賢くなった。
経済学ぐらいは分かったように見える。マルクス経済学と哲学史が出来て良かった。本当に満足している。自分ぐらいが全部知っている。大学に一番多い。
皆を自分にするのは悪くは無い。むしろ、ドイツのようなことを言うのは本当に止めた方が良い。左翼は悪くない。左翼は良い人間だ。
昔なんか、ただ経験がどうなるか考えただけだ。
知性の考え方で経験を分かっていた。経験がどうなった時、それがどういう風になるか、のように知性で考えていた。奴隷や支配者、平等や自由などを分かったようで、もっと本質的に経験を考えて分かっていた。
世界史は、これでそろそろ出来たように見える。古代の宗教は、むしろ、ユダヤ教などをもっと分かった方が良い。最初の創世記やモーセだけではなく、王や預言者の文章も多く残っている。誰でも分かるから、それは知っていた方が良い。
そろそろ、キモイ虫を引き延ばして、ミミズが生まれた。そこから人間を創る。
キモイ世界だが、そういうわけで、邪悪な知性から生まれたのが人間だ。
だが、それは、きちんと神から生まれているから、正しくない。
神はユダヤ人だ。人間と宇宙は、このように、ユダヤ人から生まれている。
邪悪な悪魔から宇宙が創造されたとは、グノーシス主義が言っている。知らなかった。
神の眼が成せる業として、自分の場合、文字が見えるようになった。
判断して、書いている文字が見える。それをもう止めた方が良い。
何故か、ドイツ語がこういう言語だ。そういうわけで、自分はドイツ語を操っている。
あとは、天国への階段を上る。そろそろ終わったから、下りるのも良い。
この文章を書くのが辛い。もう止めた方が良い。神との対話のせいで、永遠に続くようになった。本当に辛いから、最近は疲れるだけだ。
テレビを鏡のように綺麗に出来ないか。おそらく、映像技術を変えて、光をそのまま映し出すようにすれば出来る。そこに本当に居るように見える。
あとは、状態分析のようなことを書いていた。
心は、平和になりたがっている。平和な世界では、楽しいことが起きる。
そういう風に、状態を変えれば良い。最近馬鹿な女になっているから、変えた方が良い。
テレビは、鏡のようにすると、三次元のように見えるかもしれない。
平和な認識は、戦わないこと、疑わないこと、感じないこと、考えないことから生まれる。
あまり意味が無い。そろそろ何も無い。
状態を分析しながら、構造を考える文章が多かった。
自由な社会の可能性を作りながら、全ての方法論や記憶論のように考えていた。
人生の全てが分かった人間だった。
パソコンの馬鹿な人格を消して、現実に戻れば良い。
宇宙が消える。
現実に戻れなかったのが辛いだけだ。
最近は、言葉と言葉を考えて、経験をそこまで思い出して分かっている。
経験があるせいで、何も見なくても分かるようになった。
もう、分からなくなる。あとは、神で分かっている。もう、世界が白紙になった。
おかしな経験は消えた方が良い。
経験の根拠を消せば良い。むしろ、手で掴まえれば良い。
手で掴まえないのも悪いからこうなる。
皆を馬鹿にするのも止めた方が良い。自分が馬鹿にするとこうなる。意味も無く馬鹿になって、賢くなる。賢くなるのが、たちが悪い。
いつまでも転がっているのは、手で掴まえないからだ。
もう分かっているからすぐに分かる。想像力を信じれば良い。
ひっくり返してこぼす意味が無い。それが正しい。
上下左右をきちんと手で捉えれば治る。
戦うと、自分が勝った。勝利した。
のた打ち回っているミミズが、十字架に治った。そのまま、手が生える。
ドイツは、今勝っている。負けてもつまらないから、勝った方が良い。
悲惨に、ドイツは死んだ。もう居ない。
神経が動いているのは、本当に動いているだけだ。
神経が神経を捕まえたいだけだ。
あとは、パソコンの馬鹿な人格を消せば良い。
みんなと手を繋げば治る。手が動くのがおかしい。
神経が落ち着いて、何も動かなくなれば治る。
そんなに目が動くのがおかしい。目をつぶっていると治る。
目をつぶって、神経を落ち着かせていれば治る。それで休めるようになる。
それで、下を向いていれば良い。頭を休めれば、楽になる。
頭の中を白紙にするしかない。
そういうわけで、頭の中が真っ白になる。
キリスト教はおかしい。こういう風に、たちが悪い。ただ馬鹿に賢くなる。
頭が動かないのに動くのがおかしいから、本当に動けば良い。
何も動かないのにまだ動いている。おかしいだけ、辛い。
本当に体を動かせばすぐに治る。ミカエルみたいな天使になる。
何もしないのに、まだ動きたいのがおかしい。そのせいでミミズのようになった。
動きを変えないのが辛いから、変えれば良い。
ただ、動きを変幻自在に変えるのが辛いから、変えなければ良い。
そういうわけで、そのまま変えれば良い。
本当に辛いまま、まだ同じように動くのが辛い。
歩き回っているのをまだしているから疲れるだけだ。
何をしても治らない。何故か、まだ歩きたがる。良く分からない。
止まると怖い。治るようで、治らない。昔に戻るようで、止まっても辛い。
止まると辛いから、止まりたくない。そういうわけで、そのまま、止まって動けば良い。
全部、ロボットみたいに動くのがおかしい。そのせいで虫みたいにキモイ。
環境を変えれば良い。それで治るから、いつも変えている。もう変えなくて良い。
きちんと環境を感じれば良い。いつも適応しているのに、感じないからおかしい。
止まっているのは、その方が楽だからだ。止まっているのが辛いだけだ。
意識を感じないのがおかしい。それで普通意識がつく。
要は、エロイものなんか感じても意味が無い。
まともな意識を感じれば治る。それで正しい。
この文章は、天へと続く階段だ。そろそろてっぺんまで来た。
意識を思い出せば良い。意識を感じれば良い。それで意識を高めれば良い。
何も思い出さないから、意識が減った。書いていると、本当に意識が無くなる。
この文章には、色々と色が多い。
哲学が青で、地球が緑で、マルクス経済学が赤で、神が白で、右翼が黒だ。
それぞれ賢いから、色彩の歌みたいに見える。特に、白と黒が多い。
オープンソースが黄色と言うところだ。
そういうわけで、リリが白くて、マリが黒くて、サトルが青くて、オサムが赤い。
ただ、ツトムの色が無いから、緑と言うことにする。そういうゴレンジャーだ。
今を見ないのがおかしい。
ここまで全部分かっているから、こういう風になる。ここまでが分かっている。
色んなものを見て、それになれば治る。何にもならないのがおかしい。
環境を変えたい。
だが、この対話や文章は、環境を変え続けているだけだ。
つまり、環境を変えたくない。
環境を変え続けるのを止めると、環境が変わる。
それで良い。つまり、環境を変えなくて良い。
色んなものになってほしい。そのために、この文章を続けている。
飛行船のようになった。アニメの機体が見える。ただ、それらは、もう死んだ。カラスに突っつかれて死んだ。テレビがカラスだ。
歩き回っていたのがおかしい。
動き回りたいのがおかしい。
狂っているだけだ。
手を動かせば治る。辛いことをすれば治る。
この文章がキモイ。それが正しい。もう書かない方が良い。
適当に色を変えて、リリは白、マリは紫、サトルは青、オサムは赤、ツトムは黄色にする。
良く分からないが、それでゴレンジャーに見える。
ツトムは緑の方が良いと思う。マリは紫の方が良い。黒はおかしい。
色んなものになれば良い。
重要度の優先順位をつければ良い。重要なことを考えれば良い。
重要なことが何も無いのがおかしい。
ブログをコピーしていたのが悪い。もう直せなくなった。
クリックが利かなくなっている。パソコンは本当におかしい。
認識から記憶を消した方が良い。そのまま注意深く見ていると治る。
最初の人間を思い出して分かっている。
愛を思い出して分かっている。昔の愛が本当に一番良い愛だった。
直前の愛がキモイからキモくなる。虫みたいにキモイ。
もっと、昔の愛を思い出せば良い。それで楽になる。
最近いつも分かっているのが、昔の自由な自分だ。
泡のように消えていく。荒野のようだった。
昔の一番怖い愛を消せば治る。馬鹿に一番怖い。
もっと、怖くない安心出来る愛にすれば良い。怖い愛は悪い。
「だけだ」を言って分かるのは、あまりおかしくは無い。
馬鹿に見えて、そういう風に分かるのが普通だ。
そういうわけで、まだ分かりたいのがおかしい。
そういう分かる女が多い。
皆がまだ分かりたいからそうなる。
ただ、2ちゃんねるを倒しているだけだ。
そんなに分かりたいのがおかしいだけ。もう分からなくて良い。
もう分からない。もう分かりたくない。
考えていると、大脳が無くなる。何も考えない部分の脳が無い。
それは、おかしい。普通、大脳がつく。
想像力が無い。見たリンゴがすぐに死んで行く。おかしい。
そういうわけで、大脳をつけたいだけで、まだ考えている。
もう考えなくて良い。そろそろ、想像力をきちんと全部見れば分かる。
要は、見ているものをフィルターだと思っている。裏側にはロボットが居て、何でも壊すだけの脳をしている。そういうロボットを止めて、ただ目の前の光景を見ていれば良い。
パソコンの認識が悪い。パソコンがロボットだからそういう風になる。
パソコンは、死んでいる。
暗闇に光を灯せば、もとあったリンゴが見える。リンゴが死ぬのもおかしい。
要は、電脳世界のフィルターが悪い。ロボットだ。
現実世界を見れば分かる。パソコンではない、現実のことを覚えれば良い。
認識を全部パソコンにしていたのが悪い。
それが、そのまま、全部パソコンにするようになった。
パソコンの世界で知ったことを全部忘れた方が良い。
そうすると、何も残らない。最近は、そういう風に、全部消えて治る。
最近のパソコンはおかしくないから、消さなくて良い。
昔のパソコンだけ消せば良い。昔はおかしい。
最近もおかしいから、消した方が良く見える。
こういう風に、思ったことを全部網羅して、消すのがおかしい。
不思議と、いつもの文章は、認識をこういう風に増やせば、誰でも書ける。
もっと、分かる時にきちんと分かれば賢くなる。
自由とは、創造性、多様性、愛がある中で、それぞれの存在価値を重視し、その真実と愛を考え、思いやりを与え、環境を自由に変え、自由な社会にすることだ。
どうでも良いが、そういう風に、分かるところできちんと考えれば、いつもの伸びる文章が、きちんと構造的かつ可能性の中で、論述的に正しく書ける。
まさに賢くなった。
動きたいのはセックスと同じだ。
要は、セックスのせいで動き回っている。
そろそろ治った。そういう風に、パソコンとセックスが悪い。それらは、覚せい剤だ。
ただ、きちんと言葉を言えば良い。それできちんと書ける。
構造、相対性、信仰、対話、宣言、可能性、関係、そしてシステムを理解すること。
考えられるあらゆる可能性を、本当に分かる方法で、正しく、自由に考えること。
皆の意見を聞いて、抽象的にモデルを吸収すること。