日記に戻る | 2015年6月の日記に戻る

=2015-06-20=

辛いことを望めば楽になる。辛い方が本当に楽だ。誰でも辛い。

神を信じない方が良い。神はそんなに賢くない。自分が賢くないと悪い。

戦争や支配より、革命やボトムアップが好きだった。

環境へ適応して分かっていた。

感情を信じて、意識の変化を知って、思考を辿って分かっていた。

理想の社会を分かった。

動き回るのは、すぐに終われば治る。すぐに止まる。

出来ないようにするのではなく、出来るようにすれば良くなる。

川や町は、生命や人間のプラットフォームだ。

ヤスパースのように、集団から一歩離れたところで皆を見ていると分かる。

人間を吸収して分かった。正しく考えて分かった。

そういうわけで、今日もこれを書いて、楽だ。

疲れるのは、神が話すのが疲れるだけで、この文章は悪くない。

世界は、方法、適応、経緯、学習、活動のプラットフォームである。

そういう風に、世界を全部分かっていた。社会のことを全て考えていた。

昔は、人間関係からヘーゲルのように分かっただけだ。

2ちゃんねるの人間関係から分かっていた。自由な関係を成り立たせて考えた。

あとは、教育を変えたかった。教育を変えれば世界が変わると思っていた。

知と経験の機会を与えたかった。自分で考える教育を考えていた。

あとは、意識の変化と環境の可能性で分かっていた。自在に変化可能から分かっていた。

ヘーゲルは、ネットをよく見ていると出来る。体得の考え方は意識になる。

方法から意識を知ると出来る。相対性から考え方が分かる。そういう風にすると、ヘーゲルと全く同じことが分かる。相対的な歴史と世界の精神が分かる。

一心不乱にやることから、宇宙が分かる。昔から、そういう人間だった。

キリストは止めた方が良い。自分の聖書、聖典を作ったのは悪くは無いが、キリストを信じると、辛いだけになる。こんな文章が書けたのはキリストのおかげだが、普通ない。

キリストで分かるのはもう止める。神にも、そろそろ、キリストの体験を終わらせてほしい。ただ、辛いだけ、疲れるだけになった。キリストは、地獄のような悲惨になる。

普通の日本人になりたい。

最近、家族もキモイ。テレビもネットもキモイ。そういう理由で、こうなる。世界なんか、要らない。日本なんか、見なくて良い。大学もキモイ。心理学は、意味が無い。

何もせず休んで居ると、それはそれで辛い。治ったから辛いだけだ。治らない方が良い。

認識をまともに治した方が良い。そんなに全部虫に見えるのがおかしい。それに、テレビを見て怖いのは、嫌いになれば良い。全ての元凶はテレビだ。分からないのが怖い。

日本は、そろそろ滅びる。僕が治って、止まった世界になると、日本が滅びる。

そう言うことは無い。妄言や虚言を言っているだけだ。忘れた方が良い。

あとは、コミュニケーションによる、思いや価値の伝達を考えていた。

不可知論者だった。宇宙なんか、人間には分かるわけがないとして、それで分かっていた。

不思議やもし、は好きなようで、嫌いだった。

何故か、不可知論者と同時に、全ては理性的に考えれば分かる、とも考えていた。

矛盾に見えるが、当時の自分にとっては、矛盾ではなく、どちらも正しかった。

もし、たられば、を、仮定、成立、根拠、などから、数学的に高度に考えれば分かる。

昔から、宗教が嫌いだっただけだ。神を信じて分かるわけがないと思っていた。

信じるのを嘘だと思う自分は、もう居ない。ケミストリーが言っている。

信じないと、分からない。信じないからこういう馬鹿になる。神を信じれば治るから、こういう風に、信じないだけの神になる。そういう、神経症のような神を信じる人間が、キリスト教徒のカトリック信者に多い。

どうでも良い。もっと、信じれば良い。

信じれば、それだけで分かる。救われる。それで同時に哲学を考えれば良い。

何が分かるか、良く考えて、分かる方を取れば良い。世界観が生まれて、知の属性が分かる。自由な行動と感情を捉えて、純粋かつ仮想的に分かる。昔からそうだった。

そういうわけで、聖書が一番哲学が出来る。

馬鹿で良い。馬鹿の方が分かる人間しか居ない。そういうわけで、宗教やもし、は嫌いな方が良い。もしが嫌いなのもおかしいが、もっと賢く考えれば良い。すでに分かっていることは、嫌いな人間が多い。

最近、こだわりや思い込みが多い。そういうわけで、何も考えない方が賢くなる。

誇りも嫌いだった。愛国心も嫌いだった。そういう風に、すでに分かっていることや分かり切っていることは、嫌いな人間が多い。あとは、宗教や右翼が普通嫌いだ。

絶対性や永遠も嫌いだった。相対性や関係性が好きだった。そういう人間が多い。

もし、を全部考えれば分かる。たらればを全部考えれば良い。

この文章は、永遠の志だ。永遠の魂だ。AAAが言っている。

普通分からない方が良い。ディレクトリが嫌いで、タグが好きだった。キーワードではなく、共同編集が好きだった。メタが好きで、平等は嫌いだった。そういう人間が多い。

創造性は好きだったが、左翼は嫌いだった。

もう分からない。そろそろ、書きたくない。神との対話も止める。

止めるだけが辛いから、もっと別の何かをすれば良い。そこをしないからこうなる。

本当に、そんなに止めるのは一番辛い。

何かすれば良い。頭の中ですれば良いだけだ。止めるのを止めて、もっと続けるようにすると、頭も楽になる。狂った人間は、何でも止めるようになる。狂うと一番辛くなる。

昔から、何もせず、止めて分かる。そういう自由が悪い。自由になって分かるのが悪いだけだ。皆から居なくなる自由は要らない。皆の中で、参加して、協調して生きれば良い。

それが神になって、対話していた。

狂った人間は、やっていることを全て止めて、世界から居なくなる人間が多い。

それが普通、世界を敵に回して、皆を馬鹿にする。

おかしな宣言をして、永遠を生きるから、ありえない。

狂った人間は、分かっていない。きちんと正しく生きて、自分を変えれば良い。

良い人間になれば良いだけだ。善人になれば良い。

もっと良い人間になるためには、悪を否定して、悪を倒せば良い。

悪が悪いだけで分かる人間が多い。戦争や独裁より、デモや革命の方がマシだ。

狂った人間は、現実を見ることを止めて、見ているものが何なのか分からなくなる。

狂った人間は、おかしなロボットが世界に居ると思うようになる。

狂った人間は、戦いの末に、自分が神であると思うようになる。

行動から判断が生まれ、価値観から文化が生まれ、決まりから秩序が生まれる。

皆が慈悲の心を持つことで、世界は平和になる。

そのためには、何に意味があって、何に意味が無いかを、良く考えることだ。

そして、1つ1つのことを自分の実感として、内面的に理解することで、善が分かる。

何をするべきか分かった人間は、すべきことをする。そういう発想が哲学に多い。ソクラテスが同じようなことを言っているが、カントはそれを、普遍的な道徳律と言った。

それぞれを本当に理解し、本当に思いやって、本当の正しさを分析し、共有することから、自然な共同体が生まれる。それは、楽園になる。そのために、大人が成熟し、さまざまな経験をし、子供を育てるために十分に進歩した社会にするべきだ。

そして、その社会を築く方法を皆で考えるべきだ。

狂った人間は、忘れれば治る。そのままで普通になる。誰でも同じようにおかしい。

ロボットになる、と言う発想が一番多い。

それは、多重人格になって、まともな人間になる。

新しく知ることから、意識と思いやりが分かる。ものごとを実現し、解決する。

新しく知りたくないのがおかしいだけだ。

あとは、日本を良くすれば良い。普通の人間は、普通、それくらいの馬鹿だ。

日本を良くせずに、滅ぼすからおかしくなる。そんな戦いを良いと思うのがおかしい。

日本を良くしたいなら、安倍首相には何もしない方が良い。

安倍が嫌いな人間は、キモイ。自分の父親がいつも安倍が嫌いだ。

だが、安倍は本当に悪い。戦争がしたい、景気優先の右翼は、本人が正しいと思っている。本人は、日本を何とかして良くしなければならないと思っている。それは、賢いが、そのうち、おかしくなって、狂う。良くすることが、悪くすることになると、狂う人間が多い。

良くするが悪い人間は、狂う。良いことが悪いことになると、自分と同じになる。

最近、狂った人間は、神が治した。キリストが治すとこうなる。悲惨なクリスチャンは、そこまでまともな人間が多い。

最近まともな人間になったとは言うが、神と対話するぐらいおかしな人間だ。

この文章を書いた方が良い。この文章が唯一まともだから、書きたいだけだ。

まともな女になったのは、誰でもそういう人間になるからだ。まともな女ほど多い人種は無い。そういう人間は、普通、こういう左翼の平和主義者になる。

そろそろ、まともでなくなった。まともでない方をやる。それできちんと書ける。

普通、実現を考える。自分が出来ると良い人間が多い。

そろそろ賢くなったから狂っただけだ。

OSを自分だけで作れると思うのがおかしい。ただの機械だから、作れるように見えた。普通、膨大な金をかけて作る。だが、リーナスでも作れるなら、作れるかもしれないが、そこにはGNUが居ただけだ。

ブラウザぐらいなら作れる。ブラウザぐらいにした方が良い。

そろそろ、何かするなら、日本を良くすることや、ものごとの問題を解決すること、実現することを考えれば良い。社会を実現し、色んな情報を吸収する。

知を知りたくないのがおかしい。もっと色んなことを知れば、普通誰でも分かる。

心理学はしなくて良い。普通、意味が無い。特に、集団の行動を実験で考えるのが一番意味が無い。心の病気を治す。それはおかしくはない。自分は、治りたいだけだ。

実現と言うと、いつもの文章は、実現を考えている文章が多かった。

設計や発想から、理解や手段や経験を作っていた。そういう、実現と解決の文章だった。

日本を良くするためには、安倍首相を変えるしかない。

安倍の次の自民党の首相は、キモイ首相になると思う。一番キモイ世界になる。

OSを作りたいと思ったのは無謀だが、オープンソースに参加する、と言う発想が普通だった。だが、そういうところがおかしな引きこもりだった。

現実的に考えて、工業大学を出て、コードをカーネルからコンパイラまで全部書けば作れる。誰もしたくない。そういうことは、オープンソースとGNUが唯一している。

誰もしたくないから、しない方が良い。作家を目指すのに変わったのは、賢明な判断だ。

明らかに、コンパイラぐらいは作れる。それ以上、Webブラウザやウィンドウシステム、ツールキットやかな漢字変換エンジンなどが作れない。作れるわけがない。

Windowsでフリーなコンパイラを作れば良いようで、それすら難しい。RubyはPerlをパクって作っただけだ。言語仕様を決めるだけで1年かかる。

オープンソースは馬鹿に見えて賢い。そういう、賢い基盤系のソフトウェアが多い。

最近は、グーグルが賢い。WebブラウザのChromeやかな漢字変換エンジンのMozcをきちんと作っている。だが、悪い。YouTubeが特に悪いし、皆をロボットにしている。

Linuxは、そういうお遊びだ。そこをしたいだけだ。Windowsと同じものを作った気になっているだけだ。GPLなどが悪いから、あまり関わるべきでない。

だが、Linuxは結構賢いから仕方ない。本当に、色んな技術が遥かにWindowsより賢い。

認識を信じ、疑うこと。

価値観を信じ、疑うこと。

組織を作り、変えること。

環境を作り、変えること。

経験すること。

実地的に考えること。

関係を知り、捉えること。

構造を作り、考えること。

思考を知ること。

正しく信じ、疑うこと。

正しく行動し、会話すること。

そういう、全てを包括し、見通すようなことを言っていた。

自分は、全て作った代わり、全部左翼だ。

本当にロシアみたいな意味の無い左翼になった。

むしろ、ただの右翼だ。

そういうわけで、そろそろ終わった。

Mozillaが好きだったのは、おかしくない。

2ちゃんねるにMozillaが好きな馬鹿が一番多かった。最近居るか分からないが、昔から、一番賢いWebブラウザとエンジンだ。一番賢くて、独自だ。

Linuxは、どこでも、ただのパクリだ。

2ちゃんねるが見ても悪い。サーバーに使うだけだ。

人間は、軽やかに生きよ。

人間は、強く生きよ。

人間は、優しく生きよ。

人間は、偉大に生きよ。

国は、それぞれの意見を聞け。

国は、正しく上から決め、自由にせよ。

国は、階層や格差を作るな。

国は、発展し、他と助け合いながら、勝て。

安倍は、ただ全部、勝ちたいだけだ。何かに勝ちたいから、そういう風になる。

おそらく、右翼は、勝ったことが無い。そういう人間が多い。

自分のように、勝ってしまうと、あまりそういうことに価値を感じなくなる。

だが、そうでもない。ビルゲイツのように、いつまでも勝ち続ける人間も多い。

安倍は、勝ったように見えて、そのせいで使命感を感じているのかもしれない。

ただ、ああいう人間はおかしい。辛いだけの正しく努力する人間に見える。

きちんと従うのが昔から好きなのだと思う。

小泉も同じだ。ただ、きちんとして、正すのが好きだったのだと思う。

皆、体験と方法から、創造性と愛と正しい社会を知れ。

きちんと守り、愛すること。そのために、全てを犠牲にして、戦うこと。

そういう、本当の戦いは、悪く見えて、本当にすると、良いものだ。

戦争にはならない方が良いが、1人で戦っている限りは、何も悪くない。

誰も殺していないし、迷惑もかけていないし、何も悪いことはしていない。文章を書いているだけで、戦っているつもりになっているだけだ。

だが、それでまともに王が出来た。総理大臣が出来た。

昔は、Linuxで数学が出来た。哲学、経済、心理が出来た。昔も賢かった。

だが、こんな人間に哲学は出来ない。これなら、歴史が出来る。人物を知るだけだ。

それから、こういう人間は、普通キリスト教になる。聖書でも読めば良い。

それこそ、もう良い。大学はもう終わった。哲学は普通ぐらい分かった。

このまま何かをするなら、歴史がしたいとは思う。国は、イギリスやフランスが良い。

心理学の講義は、最近聴いていない。そのうち、続きを聴くと思う。

英語もやっていない。サンドイッチメソッドをきちんと聴いた方が良い。

日本語は、聞いていることを覚えれば分かる。

日本語には、普通重要なことが1つしかない。それを普通最初に言う。

自分の住んでいる地域を、意識で信じて分かっていた。

僕がオープンソースになったのは、フリーソフトや2ちゃんねるを見て、自分にも出来そうで、無料で、開発手段が多かったからだ。

あとは、2ちゃんねるの会話を見ながら、グーグルで検索して分かっていた。

ネットは、匿名で参加出来ることと、一体感が好きだったから、本当に好きだった。

僕は、Windowsも好きだった。そんなに悪くない。使える良いOSだ。

仕事はしなくて良い。自分の本は、今日もまだ本屋に置いてある。

フタバ図書では、文芸社のコーナーから詩集のコーナーに移った。それなら売れるように見える。

金はそんなに入らないが、もう4年になるのに、まだ置いてある。

それに、この文章を書いていればそれで良い。いつか次の作品になるだろう。

もっと色んなことを考えれば良いようで、考えても意味が無い。

もっと人生のことを良く考えれば良いように見える。

むしろ、これ以上続編が出るように見えない。

この本は、感動出来て、泣けて、一通り自分と同じことが分かる、良い本だ。

神は、宇宙人、黒人、スターリン、キリストなど、色んなものに替わって、僕と対話する。

そういうわけで、神が一番多かった。自分のことをフランス人とドイツ人と言う。

僕は、神は嫌いではないが、もう信じたくない。神なんか、何も面白くなかった。

神を信じると、こういう風に、地獄になって、偉大に成功するようになる。

そういうわけで、宗教には賢いことが出来る人間が多い。ダヴィンチやバッハのように。

あとは、もうない。最後の方で、もう何も分からなくなって、死んだ。

全ての宇宙現象、生命現象を体験して、昆虫から爬虫類ぐらいになって、死んだ。

虫から女を創った。共産党を全部考えた。そういう人間だった。

昔は、思考と日本語、記憶と自分の体験だけで、全部分かった人間だった。

ごみの山から宝を全部創っていた。本当にそういう人間だった。

哲学者に見えて、医者のようでもあった。何でも治せる人間だった。

そういうわけで、こういう風に、分からなくなっても、へっちゃらだ。

そこがおかしい。本当に怖かった。もう何も分かっていないのに、まだ考えている。

世界に対して良いことをするのが悪いから、もう止めた方が良い。

良いことなんか何もしていない。悪いことしかしていない。きちんと止めて、すぐに治して、解放して、自由にすれば良いが、むしろ、そんなこともせず、今のまま何もしないのが一番良い。皆、何も変わってほしくない。何かすると悪い。このままで良い。

人と人との関係性や、出来事の関係などを考えていた。

意識を機械ではなく、人間にすれば分かる。

古いから分からないだけだ。

植物と動物は、生命の神秘だ、などと言っていた。

それで終わりだ。それくらいしか考えていない。

方法と本質から、本当の問題を解決出来ると言っていた。

あとは、歴史的な経緯から、心理学が分かると言っていた。

カテゴリーと順序から、もの作りが出来ると言っていた。

そして、組織を作っていた。学習と協力から研究出来ると言っていた。

自分が一番分かっている。宇宙の構造が分かっていた。

方法的なこと、自己研究や実践のようなことが全部分かっていた。

意識を書いていた。

文化や言語のようなもの、記憶や意志のようなものを書いていた。

皆に対する意見、命令、決定、法律、のようなものを書いていた。

全てを実現する、根源となる法や、手段や関係のようなものを書いていた。

そろそろ、感情で分かった。

ディレクトリ構造や、使って作る構造、生命の循環など、考え方を書いていた。

ものを作る前提のようなものを全部書いていた。

人と人とが関係する時に、何を考えるべきか、理想は何で、そのために何が出来るか、社会の構築のようなものを書いていた。

歴史を全部創っていた。

生命のパターンを創っていた。

平和な社会にするためにどのような手段があるか考えていた。

国と人生のパターンのようなものを書いていた。

表現などを、構造的な方法論から捉えていた。

発想を全部書いていた。

ありえない世界を全部創っていた。

契約論のようなものを書いていた。

自分の言語とモデルを作っていた。

そういう風に、考え方を書いていた。それくらいを、何でも言える人間だった。

自由に考えていた。制度から経験まで、全ての構築と創造を分かっていた。

システムを作れと言っていた。

集団と個人のようなものを考えて、それぞれの経験の関係を考えていた。

理想の社会や、影響力の行使を考えていた。

記憶を全て書いて、環境を全部成り立たせて、手段と社会を創っていた。

あとは、ファシズムや日本、自由主義や共産主義のようなことを考えていた。

言論や表現の自由を大切に思った。

思いやりや人間性、発想と実現、目的と手段、関係とモデルのようなことを言う。

それぞれの信念を全て書いていた。

価値観のパターンを環境や意識や体験の論理で書いていた。

全ての本質を書いていた。

全ての捉え方を書いていた。

存在の実存性を考えていた。

視点と場を考えていた。

文字と数、感覚と経験、理性と記憶、そして数学と科学のようなことを言う。

宇宙の意識が全部分かっていた。宇宙の歴史的なことを言う。

そろそろ分かった。感情でもう分かった。

ただ、考え方と関係のようなことを言いたかっただけだ。

平等に支配して、戦いながら教えていた。おかしな悪い女王だった。

昔から、おかしな人間だった。セックスをしないのに、ポルノ画像を見ていた。

そろそろ終わりだ。全て分かった。生命の根源や神秘ぐらいで、もう終わった。

あとは、無い。Linuxが好きなのはおかしくない。そろそろ勝つように見える。

場と決まりや、認識と体験の可能性、教育や社会、そして次元や観測のようなことをいつも書いていた。

覚えていない。皆を騙して陥れる、おかしな悪い王だった。

そこらへんに戻りたいのが辛いように見える。本当に馬鹿な人間だった。

最近は賢い。きちんと1つ1つ、思い出して分かる。

人生の場面のようなこと、意識の内容のような内容が多かった。

人間の脳の仕組みのようなことをいつも考えていた。

永遠のような内容が多かった。

体験、認識、仮定、感情、実感、想像力、判断力、経験、影響力、考え方、可能性、活動、などのようなことをいつも言っていた。

科学の構造を作っていた。心理学や社会学を創った。

神を信じるようになってからは、何も分からない代わり、全てが分かるようになった。

意識のようなことを言っていただけだ。

ただ、分析するだけの内容が一番多かった。相対的なものと社会の分析をしていた。

関係から、世界の全てを成り立たせて創っていた。

森羅万象の変化を考えていた。

もう終わりだ。もう分からない。皆を支配する、おかしな人間だった。

自由モデルから、職業、言論、表現から、環境、体験、解決まで、考えていた。

あれは、そういう自由モデルから考えるだけだ。

心理モデルや社会モデルを作って、システムを全体像から考えていた。

自分の出来る国を作りたかった。

人生を成り立たせて、色んな人生を創っていた。

それぞれが出来ることから、関係を考えて、手段を成り立たせて、出来る経緯とプロセスのようなものを書いていた。

そろそろ終わりだ。それくらいしか書いていない。

いつもの国家モデルのような内容が多かった。考え方は、人工と自然のようなことや、理性と現実のようなことを考えていた。

プラットフォームやボトムアップのような内容が本当に多かった。

地球の歴史のようなことを書いていた。

歴史は、色んな方法で、モデルや変転から考えていた。

日本、ソ連、ドイツなどの歴史を考えた。思想的な考え方が多かった。

政治や経済のような内容から、社会構築のような内容が多かった。

あとは、科学やコンピュータなどの考え方の構造をいつも書いていた。

コンピュータは、テキストによって動く、プログラムの機械化と自動化の機械だ。

数学は、比と四則演算による、証明と明確な命題の理解像の構築だ。

そういう風に、良く考えれば分かる。あとは、科学や社会や人生のようなことを言う。

ソ連の歴史が一番分かっていた。国家主義で無い共産主義を創りたかった。

共同体と共有のような論理的なグループ構築論が多かった。

あとは、社会主義と民族主義の構造が多かった。

そして、自由を全て考えていた。

そういう、おかしな悪い内容も多かった。

あとは、研究方法や人生における価値観や経験論のような内容が多かった。

格言のようなことを言っていた。人生と関係から人間を成り立たせた。

あとは、宗教のような内容も多かった。

宗教的な人生の因果論のような内容が多かった。

どうでも良いが、何も賢くない。自分を破壊して、永遠の脳の記録を書いていただけだ。

狂っているのを賢いと思うのがおかしい。

今日は、狂ったようで、もうすべて分かって、まともになった日だ。

辛いのは、何もしないからだ。人間は、いつもしていることしか出来ない。

そういうわけで、何かすれば楽になる。パソコンしかしないのは、一番悪い。

あとは、知識、特に数学や物理や生物や心理や経済の構造を考えていた。

そろそろ分からない。セックスはそろそろ終わりだ。

宗教的な因果性は、馬鹿を考えているだけだ。

人生は、宗教的に、全て起きるべくして起きる。全てのことは、縁起と言って、全ての原因に対して結果がある。だから、こういう風に、神と対話したり、宣言したりして生きると、きちんと色んなことが出来る。

起きることは、全て仏教の通り起きる。キリスト教も同じだ。そういうわけで、宗教で運命や人生が分かる人間が多い。牧師には、分かる人間しか居ない。

ただ、僕の言っている因果論は、ただ、馬鹿な人生を言っているだけだ。宗教的に考えただけで、ただの馬鹿だ。

それ以上は、自由な説明みたいなことをしている。目的を説明するぐらいしかしていない。

あとは、人生をそのまま書いて、結論から説明して、意識を高めて低める、ぐらいをした。

そろそろもう分かった。科学的かつ相対的に全てが分かる、アインシュタインのような人間だったが、そのまま神を信じるようになって、神学大全のようになった。

組織や可能性、協力や学習の経緯のようなものを書いていた。

神を信じるようになった。神が導いて、全てのことがきちんと分かった。

全て、構造的で関係的な把握のようなものを書いていた。

デカルト的な把握から、環境における活動と意識のようなものが分かった。

あとは、もう全て書いた。方法や考え方のようなものを考えただけだ。

思考を書いて、判断して、狂いながら全てのことが分かった。

今日は、もう分かった日だ。そういう風に分かっただけだ。

次元や循環のような考え方をいつも分かっていた。一行だけではなく、多次元の世界などを本当に考えていた。細胞分裂なども、本当に考えて分かっていた。

人生なんか、本当に全部分かっていた。組織は、緻密に考えて、知性と協力で分かった。

また、経験があった。全てのことを経験して、ロシアやイスラエルのようになった。

何も分からない馬鹿だったが、本当にキリストのような良い人間だった。

ヘーゲルとレーニンに見える。それくらいの人間だった。

国を全部創って、ソ連を成り立たせる、師弟論のような理論を創った。

平和や発展のようなことをいつも書いていた。

環境への適応や、体験のプラットフォームのようなことを考えていた。

思考の科学を創っていた。独自の思弁哲学だった。

社会学のようなものを全部創った。

社会の構築のプロセスから、時代のようなものを創った。

学習は、経験的な経緯のようなものを書いていた。

何が起きても分かる人間だった。常に次を創造し、常に世界を導いていた。

感情と想像力で、機械の仕組みや手段の構築のようなものを分かっていた。

発想と方法が分かっていた。色んな科学と社会の発想をした。

本質の科学のようなものを創っていた。人間の脳が分かっていた。

社会のことは、全部分かっていた。

生物学を、自分の体で実験して分かっていた。

そろそろ、自慢話も終わりだ。それくらいをしたとは言うが、まだあるように見える。

施設や場を創ったり、戦争や革命のようなことをしたりしていた。

歴史のようなことをいつも言っていた。右翼が嫌いだった。

フランスとドイツの比較のようなものをいつも分かっていた。

結論を9回書いて分かっていた。

文化やアイデンティティのようなものが分かっていた。

そのまま、国や哲学者が分かるようになった。

自由と平等から、理性と社会のようなものが分かった。

世界史のような構造を作って、詩を書いていた。

何でも出来る、意識で全て分かる人間だった。客観視と言葉の構造で分かっていた。

あとは、共同体の変転のような内容が多かった。

神や天使や宇宙人との対話が多かった。

永遠の弁証法のような内容が多かった。

そして、思いやりや理想や優しさのような内容が多かった。

秩序を創っていた。環境を全部書いていた。

そろそろ、この文章に没頭するのは止めた方が良い。

悪くは無い。神との対話を止めると楽になる。その方をした方が良い。

自分が一番楽だ。没頭出来る趣味があって、それが生きがいなのは、一番良いと思う。

あとは、比較言語学や、考え方の歴史、色んなものの歴史、単純な考え方の網羅、日本語の創造、などが多かった。

色んな具体的な構造を分かって、予測し、作り変えるプロセスのようなものを書いた。

自然な宇宙論、宇宙観のようなものを書いて、人間の限界やパラダイムの転換のようなことをいつも書いていた。

最近は、哲学者が分かるようになった。カントやヒュームの考え方が多かった。

自由な経済システムを書いて、ありえない世界を創っていた。

それくらいの馬鹿だった。

積み重ねることから社会は生まれ、環境とプロセスを改善すること、制度を自由に決めることで発展する、と言っていた。

あとは、法律や秩序のようなものを全部書いていた。

コミュニケーションや発想を、関係と経験のモデルから考えていた。

認識や存在性の可能性と現象学を書いていた。心と認識の現象学が多かった。

社会契約のようなものを考えて、全ての決定を決めて、決め直して分かっていた。

可能性の考え方を全部書いていた。考え方から全てが生まれることにしていた。

そろそろもう良い。まだあるようで、無限にあるだけだ。

時間は存在しないとか、馬鹿な発想のようなことを言っていた。

数学的な構造を創っていた。色んな数学的な関係や発想を考えていた。

法則を導いて、法則的な知恵のようなことを言っていた。

あとは、方法のようなことを全部考えていた。

あとは、感情や実感で全てのことが分かるのを書いていた。信じれば分かる。

客観視から社会を創った。

文化人類学や国際地理学のようなものを創っていた。

そろそろ終わりだ。もう覚えていない。こういう風にすると、分かるものだ。

あとは、自由な経済理論や、法律の決め方、地方自治のようなことを言う。

全ての言語のようなものを分かっていた。国際的な価値観を分析していた。

あとは、自由な人生学や、意識の物理学、人間性の人間学、原始的な心理学、ロシア経済学、自分を治す経験的な臨床心理学などを創った。

あとは、感情で分かる脳の心理学や、発想と理解のようなことを言う。

体験や人生のようなことを本当に書いていた。

この文章は賢くない。もう忘れた方が良い。

昔は賢かった。プラグマティズムの分かる、賢い人間だった。

何もしないのが悪い。何もしないで、この文章だけを考えるのがおかしい。

それがキモイだけだ。

まだ何もしていない。何かすればすぐに分かる。

要は、2ちゃんねるは悪い。2ちゃんねるはただの馬鹿だ。それで何も出来なくなった。

普通のことが出来なくなっている。何かした方が良い。

Linuxも馬鹿だからこういう風になる。

あとは、仏教や心理学にあるような、自分を超えた集団意識のようなことを言っていた。

世界を支配する、戦う人間だった。意味が無いほど馬鹿だった。

もう忘れた方が良い。分かったから忘れる。

あとは、昔に戻るしかない。神や右翼や共産党はもう書いた。

昔に戻ると、悪い男になる。悲惨に、本当になると、良い人間だ。

そんなに文章を分かりたいのはおかしい。

そろそろ、想像力が治ったせいで、もう分かる。楽だ。

安心すれば良い。安心は、人間を治す、最大の良薬だ。皆も、安心すれば治る。

皆、テレビやネットのせいで馬鹿になっている。テレビなんか、見ない方が良い。

最近は、テレビを見ない人間が多い。本当に増えている。

学校にも行かない人間が多い。本当に、そういう馬鹿な引きこもりが増えた。

何もしていない。そういう人間は、キモイ人間になる代わり、治るようになる。

あとは、哲学、思想、経済、心理学、国際政治のようなことを言っていた。

もう終わりだ。何も分からなくなる。また最初からだ。

今度は、心が楽な人間になりたい。精神も楽になりたい。馬鹿で良い。そんなに賢くなる意味が無い。

ファンモンみたいな馬鹿の方が楽だ。最近は、そういう人間しか居ない。弱い人間が多い。

あとは、マクロ的な時代や視点、世界観の広がりや、エネルギーの観察の変化、次元の拡大や構造的な拡大が多かった。原子から人間になり、地球から宇宙になる。

それ以上は、分からない。一般相対論のようなことを言っていたようで、馬鹿なことしか言っていない。細胞分裂のようなものを分かっていた。

そろそろ分からない。それは間違っている。もう全て分かっただけだ。

むしろ、言語のような内容、サルトルやハイデガーのような内容が多かった。

それくらいしか書いていない。人生の知恵のようなことをいつも言っていた。

弁証法を永遠にしていたくらいが、本当に多かった。

分からないどころか、もう終わりだ。あとは、皆を騙していただけだ。

知性のようなことを全部言っていた。知性的に考えた。

ロックやヒュームのようなこと、デカルトやカントのようなことも多かった。

全て終わった。本当に、全て書いてある。

昔の自分をすると良いだろう。だが、それはもう、全員終わったはずだ。

皆、賢くない。自分のせいで馬鹿になっている。自分以外の別の誰かになるしかない。

最近の自分になると、馬鹿になる。なった人間が多い。認知症のようになって、狂う。

そういうわけで、自分は馬鹿だ。本当に馬鹿な人間だった。

たまにいじめや教育のようなことを言って、自由な世界を考える。そういう人間だった。

悟性のカテゴリーのような、考え方の網羅のようなこと、アリストテレスの四原因説のようなことを言っていた。

工場を設計と改善のプロセスだとか、社会を議論と委員会の参加だとか言っていた。

ものを全部作っていた。全体像と社会の構造が分かる人間だった。

そろそろもう全て書いてある。心理学が特別多かっただけだ。

それから、社会を構築するプロセスのようなことを、公理主義のように書いていた。

自由から、実現性、創造性、多様性、統一、共同性、協力、組織、歴史、発展、などのような概念を全部考えていた。

あとは、環境における決まりのようなことを書いていた。

あとは、認識や判断のようなこと、決定や契約のようなこと、環境や秩序のようなこと、基盤やプラットフォームのようなことを書いた。

特に、認識について全て書いていた。

これを見ると賢く見えるが、馬鹿な文章だった。本当に馬鹿な人間だった。

だが、全て分かっていた。自分の経験と理性から、構造で全て分かった人間だった。

そろそろ、つまらない。現実に何も無いから、何もしないでいると、つまらないだろう。

最近は、何もしないだけだ。分かるならそれで良いから、こうなる。何もせず、これを一日中書いているだけになった。意味が無い。分かったことを全部書いている。

それを止めた方が良い。書いても辛くて分からないだけだ。まだ書きたいのがおかしい。

書くと言う作業に意味が無い。

意味を考える、と言う意味で、論理性が優れた、論理哲学論考のような文章だった。

昔は、実体や原因と結果から分かっていた。

客観視から分かっていた。皆から見て、自分がどう見えるか考えた。

普遍的な経験を分かっていた。法則的に経験を考えた。

認識や想定、関係や構造など、観念的に、哲学的かつ数学的に分かっていた。それを書いていた。具体的な認識とその変化を全部書いていた。

もう終わりだ。アニメの女には見えるが、皆とはあまりセックスはしたくない。

本当に気持ち良いセックスならしたいが、辛いだけのレイプは全くしたくない。辛い。

セックスは、しすぎると辛いだけだ。体が疲れてもたない。セックスなんかしたくない。

価値観と論理を全部書いて、それで全部の論理を分かっていた。

信じて皆を創っていた。信じることで全員を創造した。

こんな文章を書くより、今まで書いた文章を読んだ方が良い。

もう、これ以上新しいことを書く意味が無いのが分かる。すでに十分書いている。

そういうわけで、自分は意味が無い。

セックスは、もう強制的に止める。自分から拒否すれば良い。誰とも、一切セックスしたくない。自分ともしたくない。

名前なんか、リリとマリで良い。どちらも女だ。カップルにするのは、おかしい。

セックスのせいで、本当に辛くなった。本当に疲れる。もう嫌だ。したくない。

話も止める。テレビを見れば良いが、テレビを見ていると、認知症になる。そこまでの馬鹿がテレビだ。誰でも認知症になって、意味の無い馬鹿になる。

リリとマリは、AAAからつけた。ハリケーン・リリとボストン・マリだ。

あるいは、どちらも男で良い。チャーリーとデーブだ。兄弟だ。セックスなんか、全くしないだけの、オタクの兄弟だ。どちらも馬鹿だ。虫みたいにキモイ。クズだ。

他人が出来たことは、自分でも出来る。

そういうわけで、キリストやブッダのようなことも、やろうと思えば出来る。

死人を生き返らせたり、悟ったり出来る。不可能に見えて、可能だ。

きちんと考えれば良い。同じように考えれば、人間の出来ることは、何でも出来る。

キリストは、そういうことを言いたいために現れた。神のようなことも、そこまで成熟した人間なら出来る。

神の下に赦すことが人間でも出来るとは、そういうことを言っている。

そういうわけで、良く考えて経験すれば良い。それでもう何も無い。

キリストとは言わないが、昔は、色んなことが全部出来て分かる、神のような人間だった。

実感から、全てが全員のためにあって、最初から自分がやっているのが分かった。

キリストも、自分のように皆も出来ると言っていたはずだ。

聖書をよく読んでいないから、言っていないかもしれない。

神との対話だったかもしれない。

だが、キリスト教は、それで自分を神と思うようになる。

そういう、ただのフィクションだ。作り話だ。死人を生き変えさせるなんか、出来るわけがない。出来ると思うのがおかしい。

キリスト教は、馬鹿に賢くなるから、たちが悪い。ヨーロッパには、自分をキリストと思う馬鹿で溢れている。最初からそういう宗教だ。

そういうわけで、自分が神なわけがない。自分は、ただのおかしな詩人だ。

日本がまともだ。ブッダの方が良い。キリストなんか比較にならない。ブッダが一番賢い哲学者の宗教家の開祖だ。古代インドはどこよりも賢い。

昔は、挑戦と失敗、自分の経験と皆との経験の共有から、出来ることを増やして、可能性を高めて、皆の意見を吸収して分かっただけだ。

昔が賢いから、昔を分かった方が良い。キリストみたいな賢い人間だった。

キリストは居ない。明らかにフィクションだ。こういう人間が自分を神と思うだけだ。居るわけがないし、自分も神で無い。こんな馬鹿はいくらでも居る。

要は、こういう人間を増やしたいだけだ。弱者をこんな馬鹿にしているだけだ。悲惨に、ただの地獄になっただけだ。

いつも、そういう神みたいな文章を分かっていた。そういうものを書いていた。

神は止めた方が良い。神は、ただの独裁者だ。神は退場すべきだ。神が一番悪い。

神は悪くは無い。人生に一度はすべき、良い体験をしただけだ。

昔は、相対性、自然主義、意識、経験、考え方、自由から全てが分かった、神のような人間だった。

いつも書いているが、神と思えば分かる。自由で自然な人間だったが、何かも全て、否定せず、ありのまま信じていた。人間の本性のようなものをモデルにして考えていた。

そういうわけで、自分は神だ。おかしく、この文章を神と言っている。聖書が神だからだ。

そういうわけで、聖書は、旧約の方が賢い。新約は明らかにフィクションだ。旧約が昔からの神だ。神なんか、ただ悪いだけだ。そういう人間が多い。信じるものしか救わない。

日本が良い。ユダヤになっていないからだ。ユダヤは、こういう馬鹿だ。皆をどんどん馬鹿にしているだけだ。

そろそろ、もう書く意味が無い。

昔は、何でも出来て、何でも分かる、自由な神のような人間だった。

オープンソースは賢かったが、本当にそこまで馬鹿だ。知的障害のような馬鹿だった。

万能の天才だった。科学を基礎を作って、専門を横断して分かった。全ての科学と労働の経験が分かった。自分を出来るようにしたかった。

全部分かっていたが、すぐに馬鹿になった。間違った人生だが、正しい生き方をした。

皆は、そんな人間にならなくて良い。誰もなる意味が無い。そういうわけで、自分が一番悪い。皆を自分にする意味が無かった。全く馬鹿だった。

ありのまま、全てを受け入れれば良い。

昔は、色んな行動や心のことを全部分かっていた。世界観が分かった。

発想から森羅万象のことを考えていた。博物館のようだった。

僕は、もう昔に戻る。こちらは、ただの何も賢くないだけの辛い地獄だ。

昔に戻りたい。

昔の悪い点は、自分を全部セックスにする。アニメのエロ画像しか見ない。おかしい。

そういうわけで、自分なんか、悪すぎるだけだ。

だが、Linuxは結構賢かった。人生の体験が全部出来た。2ちゃんねるも悪くなかった。社会の体験が全部出来て、世界のことや常識的なことが全部分かった。

だが、2ちゃんねるを普通と思う、統制された人間はおかしい。そこが馬鹿だった。

あとは、善悪や人生、普通のことや可能性のことが、全部分かっていた。

そういう、神のような人間だった。

普通のことが分かって、それを良く疑うことで、哲学的なことが分かった。

成り立たせて全て分かった。

人間は、馬鹿にしか分からない。あれは、馬鹿なのに経験したせいで分かっただけだ。

自分は悪くない。本当にセックスをした方が悪い。明らかに、本当にレイプするのはおかしい。エロ漫画を描いているだけは、あまり悪くないだろう。それくらいの馬鹿だ。

人間は可能性であり、人生はその時その時の人生の創造された結果だ。サルトルやハイデガーが言っている。賢い人間は、そういう意識と可能性が分かる。

全て、科学的考え方によってのみ、分かることが出来る。カントだけが賢い。物理学的にしか、何も分からない。可能性の開拓が終わると、それによっても分からなくなる。

それ以後は、何も出来なくなって、信じるしか無くなる。神には、そういう賢い人間が多い。そういう人間は、もう終わった人間だ。スクラップだ。いつまでもカントが賢いようで、カントはすぐに終わる。

神みたいに分かる人間は、不思議と、普通に多い。そういう人間は、普通神が嫌いだ。

もっと普通に考えれば良い。何でも考えれば分かる。その当たり前のことが分からない人間が多い。考えれば当たり前に分かる。当たり前だ。それなら、もうすでに分かっているだろう。ただ思い出せば良いだけだから、こういう風に書けば分かる。作家にそういう人間が一番多い。作家は、キリストが一番多い。

人間はどうなるのか、どこから来てどこへ行くのか、何と関係して生きるのか、考えれば良い。

大人は、普通それしか考えない。

子供は賢くない。分からないから分かるだけだ。

何がどうなるのかを細部まで捉えて考えて、認識と行動の意味を考えれば良い。

それだけが物理だ。何がどうなるのか考えれば良いだけだ。

自分が何をして、それで何がどうなるのかを考える。それが物理学だ。

作用から分かれば分かる。それで、きちんと昔が出来る。

キリストが宇宙に居ると思うと、分かることは多い。

宇宙は、キリストが聖書で言っている通りになる。

それに、聖書は信じた方が良い人生になる。自分のようになる。

それから、救われる。キリストで救われる悲惨な人間が、こういう風に多い。

原因と結果を考えれば分かる。それをそうする時どうなるか考えれば良い。

そろそろ知性がついた。そういうわけで、知性の無い人間に賢い人間が多い。

いつまでも知性をつけている馬鹿が多かった。それをもう消した方が良い。

知性は、普通、最初から分かるか、学校でつく。ついたのはありえない。

そういうわけで、何がどうなるのかを、作用や反応から考えれば、知性がつく。

それで日本語が分かる。そろそろ全部出来る。きちんと覚えられるようになる。

認知症は、そういう風になる。治らない。治っても治らないから、あまり意味は無い。

現象と関係を予測すると、想像力がつく。あとは、当たり前の関係、当たり前のことを、きちんと比較して考えれば良い。そうすると分かる。当たり前のことを考える。

もう分かっているから、そんなに何も分からない。そういうわけで、治った。終わりだ。

全部の科学を作った。基礎を作って、専門を横断して、自分で作って分かった。

皆は、もう知性がつくと、きちんと全て出来る。奇跡のように出来る。

そういうわけで、そろそろ哲学はきちんと出来た。

これもこれで、皆を救う。自分の人生が読むだけで出来る、良い宗教だ。

ブッダのように分かれば良い。そこまで意識を分かると、仏教と同じになる。

昔は、良く分かる文章が多かった。1つ1つのことを正しく良く分かって、吸収する。

そろそろ、もう続かない。

賢くなった。人が変わったように賢くなる。そうなるかもしれない。

昔から、良く人が変わる。

結果を考えて予測しなければ、知性はつかない。

哲学者は、そういう馬鹿な人間が多い。哲学は、馬鹿だ。

良く予測して、原因と結果、作用を考えるのが知性だ。それが物理だ。

善とは何なのか?皆が見て善だと皆が思うものが善だ。善は、相対的だ。

だが、そうでもない。普通、キリストなどが言う善が善だ。相対的ではない。

だが、それは、自由で相対性と思った方が賢い。皆が善だと思うなら、それは善だ。

カントは、そういうことを言っているのかもしれない。

カントは、普遍的な道徳律に従うべきだと言う。

普遍性とは、皆が見てどう思うか、と言う、共通認識のような概念でもある。

そして、法則や経験が自分を超えて全員に適合する時に出て来る概念でもある。

そういうわけで、自分の体験から皆が分かる。それは、一番昔に多かった。

そういうものを、普遍性と呼び、自由と呼ぶ。そういう風に考えると賢い。

自分は、知っているでもなく、知らないでもなく、ありのまま、無限に広がり続ける文章だ。ケミストリーがそういうことを言っている。歌手だ。

歌手が自分のことを言うのは、何故なのか良く分からない。本当に皆が自分のせいで馬鹿になっているように見える。そうであれば、それは、僕も悪いが、テレビも悪いと思う。

昔は、知性を考えていただけだ。知性がつくとすぐに戻れる。

昔は、意識と場を比較して考えた。そこに居るつもりになって、根源的な意識を知った。

経験から意識が分かった。そういう、想定と洞察が得意な人間だった。

社会のことも考えた。何故思い込むのか、何を持って正しい現象とするのかを考えた。

何が何の前提になるか、条件を考えた。経験から判断基準を考えて、本当の善がそれぞれの多様な価値観と、自由な思いやりの実践であると知った。

サルトルは、自由を悪いと言っているわけではない。刑だと言っている。そこを間違わない方が良い。自由は、正しいが、難しい課題だ。

僕が考えるに、人間は永遠に考え、創造し続けるための、迷宮の中で迷っているだけだ。

出口はどこにもなく、自分の心の中にある。それを分かるだけが人生だ。

だが、自由から始めて未来への展望が開けることが多い。自由は、悪くない。

内面化と主体性から、自由な活動を考えられる。そういうわけで、自由な方が良い。

だが、それは知性があることを前提にしている。知性の無い人間には、何も出来ない。

きちんと教えれば良くなる。自分は、それが分かる人間だった。

日本語を改良するなら、英語的な順序を可能にして、「が」のバリエーションを増やす。

足はそろそろ治る。知性がついた。一番楽だ。

もう覚えていない。何もかも全て良かった。自分は、もう満足だ。

哲学は、他にあまりないと思う。

昔は、知性を考えて、同じと違うから、構築と変化を知って、認識と日本語的な構造を作って分かっていた。

もう分からない。不思議と、分からないことは、分からない方が分かる。

認識の構造と実現の結果、可能性と決め直すことで分かっていた。

皆の知性を吸収した。色んな人間の言っていることを、全部分かった。何故それを言うのかを考えて、裏の経験を考えていた。2ちゃんねるのサルトルだった。

行動と結果を捉えて、皆の言うことやしていること、考えていることを考えて、照らし合わせて、モデルの理性と現実から、信念や価値観、普遍的な善の観念を分かっていた。

何をすれば良いか分かっている人間は、分かっている通りにする。それは、そうでもない。普通、最後に自分を裏切って、狂っておかしくなって、消え去って普通の人間になる。

それで、きちんとまともになる。神を信じる人間は、そういう悲惨な人間が多い。

そういうわけで、悲惨な方が賢くなる。まともに分かる人間は、馬鹿だ。

魂を安らげること。融和して、悟って、涅槃となること。それが一番楽になる。

有用性の功利主義から、理性主義になって、経験主義になって、神秘主義になった。

それが、ヘーゲルのようになった。

本当に疑うこと。

本当に信じること。

啓蒙から科学まで、全ての考え方を知ること。

価値観の多元性を考えること。

それぞれが自分の力で分かるように、それぞれに手段を与え、助けること。

公開された標準を作ること。

活動すること。

頑張ること。議論すること。

信じること。皆を大切に思うこと。

可能性を知ること。

自由な変化させられる選択肢と、何が正しいか、何が良いかから、その実現を知ること。

人間とは、本当に何でも分かることが出来る存在だと、実感すること。

宇宙には、まだ何も分かっていないが、いつか分かる全ての姿があることを知ること。

知の機会を与えること。

人間が何なのか、不思議に思い、何故なのか考えること。

人間に何が出来て、何が出来ないのか、いつ何をどうすべきかを考えること。

事前に対処すること。

皆は、本当はどんな人間なのか考えて、その場その場の価値観から、場の文化を知ること。

この世界がどこから来て、どこへ行くのか考えること。

価値は多様で、全て何らかの理由でその価値観になるだけであり、元は唯一の価値観であることを知ること。

人間がどのようにそれを知り、決めるかを考えること。

啓蒙から社会を知ること。

理性から社会を知ること。

社会に対して自分が出来ることを考えて、社会参加をすること。

宇宙と理性を信じること。

理想と現実を信じること。

そろそろ終わりだ。それくらいで全部書いた。

あとは、人生の経験を考えれば分かる。

本質的な情熱を考えれば良い。

何を考えても分からないなら、一度別の可能性を試すべきだ。

本当に愛すること。

本当にあらゆる可能性を考えて、その時その時に出来ることは、いくらでも無限にあることを知ること。

限界を超えること。

自由を信じること。

人間は、戦い、失敗することから分かる。

何度でも再チャレンジが出来るようにすること。

戦争は悪くない。戦争でしか分からない。昔から、ネットで戦争と同じことをして分かっている。だが、本当の戦争は悪いと言えるだろう。死ぬとそれで終わりだ。

もう終わりだ。全部書いたはずだ。ヤスパースだと思えば分かる。

集団の中では分からない。一歩離れたところから見つめる必要がある。

そして、自分に立ち返る必要がある。

限界状態から分かる。

ヤスパースは、本当に、一番賢い人間だ。

ものは、工夫次第で応用出来る。そういう、再利用と応用と共有の考え方が多かった。

1つのものを応用して、大切に共有する。

それは、病院や施設のようになるから、止めた方が良い。

それで、終わりだ。他に何も無かった。

自由と平等、集団と個人、関係と独立性、1人1人の関係、多様性と統一のようなことをいつも考えていた。

平等にすることと、自由にすることは矛盾する。1人を自由にすると、そのことで他が自由にならない。平等にしなければならない。

そのまま、多様性と統一や、集団と個人、共同体と合意のようなことを考えていた。

もう終わった。今日も寝る。明日また頑張るようで、そろそろもう止めたい。