日記に戻る | 2015年6月の日記に戻る

=2015-06-09=

神はそろそろ終わった。もう分からなくなる。皆も、もう止めるべきだ。

いつもの文章は、行動や関係が分かっていた。

行動、方法、発想を考えて、悪いことをしなければ分かる。

自分にされて悪いことは、人にすべきではない。

良いことは、しない方が良いことの方が多い。何もしなければ良い。

体験、認識、人生、世界、そして相対性のような文章を書いていた。

目的と手段と意図、想像力と発想、基盤と決まりとルール、可能性、モデルと感情などのようなことを書いていた。

自然な融和から、安心が生まれる。そういうことを言っていた。

世界観を書いていた。

人生と国家のことが全部分かった。

ドイツとフランスの戦いから、ドイツの勝つ世界や、国民の人生を考えた。

馬鹿になると、分かる。分かると、馬鹿になる。

文化は、習慣の違いがある。そういうことは、分からない方が分かる。

同じことを、何度もしていると、違う。同じことを何度もしていると分かる。

昔は、経験や体験や精神を実験して分かっていた。最近、全部一度試すようになった。それで、その、何度もしていると違うのが分からなくなっている。

理性批判をすれば分かる。

ありえない世界を作っていた。

ネットの具体例から法則を分かっていた。

いつ何を思うか、分かるか、出来るか、などを分かっていた。

機械のように分かっていた。

自由な関係を積み重ねて、成り立たせて分かっていた。国や共同体を、成り立たせながら、モデルのように作っていた。

キリストのように、ありえないほど経験をしていた。キリストのような経験をした。

物理的に分かっていた。理性のある人間だった。

思考の科学を作った。再思考と再利用の哲学を作った。

環境を思い出して分かった。昔の環境を思い出して、学校のようなことを分かった。

信念を包括して分かった。皆の信念と価値観を分かった。

喪失で分かっていた。

記憶を考えて分かっていた。

戦いで分かっていた。

環境がどうなるのか、考えて分かっていた。

もう、この文章は書かなくて良い。そろそろ、終わりだ。

あとは、社会のことを知って、考えて、経験すれば分かる。

皮膚に溶液が染み渡るように、全てのことが俯瞰的に分かる。

数学的な知性と、社会の知識が必要だ。最近は、それを失って分からなくなった。

書いた方が辛く見えて、書いた方が楽だ。何故か、疲れているのが治って、元気になる。

そろそろ終わりだ。何故か、この文章を止めると、馬鹿になって、認知症になる。

昔は、発想が全部あった。そして、言語が全部分かっていた。

人間のことを、経験と記憶から考えて、歴史や自然のことを分かっていた。

そろそろ終わりだ。昔はそういう人間だった。

昔の文章は、同じものがチャーリーに書いてある。デーブは終わりだ。

デーブをチャーリーと思えば分かる。そういう文章を書きたかっただけだ。

自由から実のあることをしたかった。

善悪を積み重ねて、良いことも悪いことも正しく分かっていた。

歴史のようなことを根源的に分かっていた。

昔は、それくらいの人間だった。

成長から自由の全てが分かった。

それ以上は、チャーリーに書いてある。人生のことや、関係の考え方のこと、可能性や国家の構造が全部書いてある。チャーリーを読めば良いのに、読まないのがおかしい。

チャーリーが一番賢くて、デーブが二番目に賢い。高校と大学だ。神と学者だ。哲学だ。

キリストと大学を創りたかっただけだ。

基礎を作って、可能性を高めて、ありえなく出来るようになった。

全体主義の悪が悪い。民主主義の個人主義が良い。そういう風に、善人になれば楽になる。

辛いのは、悪い内容を書くからだ。悪いことを書いた日に辛いだけだ。

善はたやすく得られる。悪を悪いと思えば良い。悪を良いと思う必要が無い。

ドイツは悪いが、フランスもそれはそれで悪い。レジスタンスは犯罪組織だ。

そういう、白人を良いと思うのが間違っている。日本人が一番良い。

日本が好きになれば治る。日本は良い国だ。治安が良くて、悪いことをしない。

そろそろ終わりだ。自分なんか、馬鹿すぎるだけだ。

もっと、他人のことを好きになって、吸収すれば分かる。

自分を賢いと思うのはおかしくない。皆、毎日何も無くて、暇つぶしをしている人間が多い。自分の人生は充実している。毎日、こんなに分かる。

馬鹿になりたいのは、そんなに賢い人間は居ないからだ。

自分は賢い。自分の本は、きちんと分かって感動出来る良い本だ。楽しい教科書だ。

自分は、哲学者と言うよりは、詩人だ。神と言うよりは、キリスト教徒だ。

イスラムのキリストは、悪い。キリスト教には、こういう賢い人間が多い。

デカルトのようになったのをもう止めた方が良い。デカルトは、父親の方が賢い。

父親がきちんと分かっているから、話を聞けば分かる。

あとは、それぞれが自由に体験し、認識する過程や構造のようなものを書いていた。

平等を信じて、経験から社会のことを考えれば分かる。

世界を知って、体験から皆のことを知る。

世界と関わって、有用性や創造性から自由を知る。

個人主義と経験から、フランスのように世界を知っていく。

世界を変え、社会を可能性豊かにし、発想するようになる。

そして、最後に、世界と対峙して、世界に全てのことを言う、表明の文章を書く。

そのような、経験と人生による自由と平等の世界観の変転のようなものを書いていた。

そういう風に考えれば良い。経験と人生から、社会のことを考えれば良い。

僕は、マイクロソフトとテレビが嫌いだった。それは、自由が嫌いだっただけだ。

本当に自由が好きだっただけだ。それで、きちんと分かる。

平等を信じて、世界と関わって、色んな経験をして、振り返って、反省して分かれば良い。

社会の問題点と解決策を知って、発想から別の可能性を知る。

そのように知性があった。昔は、経験から全てのことが分かった、普通の人間だった。

あとは、カントのように、前提条件と経験から認識を考えて、実践や善悪の理性があった。

実践の自由を積み重ねて、全部の本質が分かった。そういう人間だった。

ヘーゲルのようでもあった。正しく捉えながら意識を考えて、人間の過程のようなものが分かった。昔は、そういう、哲学的で理性的な思考の科学を作っていた。

そろそろ終わりだ。全て書いた。昔から、それくらいの人生経験を書いている。

自分に神や生まれ変わり、革命や戦争が多かったのがありえない。永遠のような体験をした。馬鹿だったが、全部あった。本当に全てのことを経験したが、地獄だった。

皆も自分のように分かれば良い。自分のように体験すれば良い。

だが、それは悪い。ロシアのように、全部同じになる。

最近の世界は、自分のせいではないが、全部同じになった。馬鹿になって賢くなっている。最近、自由より平等や統一の方が良く見える。そういう人間が多い。賢い世界になった。

正しく対象を捉えて、きちんとした正しい対処策と解決策を取って、正しく考え、正しく実践すること。そういう、捉えることをきちんと疑い、信じること。それで哲学は誰でも出来る。そういう発想が、哲学的な思考だ。

色んなことを体験から実感で分かること。宇宙が何故あるのか、真実と嘘は何で、何故あるのか、など。そういうことを体験から分かっていた。それは、フェイスブックやはてななどで出来る。2ちゃんねるでも良い。そういう風にすれば分かる。

自由は悪い。平等や解放を信じた方が良い。昔は、自由が多かったのは、決定と可能性の自由自在な意識と経験が多かったからだ。個人の自由にして、自由に生きたかった。色んなことを自分で経験したかった。それで、社会のことは、全部許して、実現性を高めて、それぞれの自由にして、自由に支配して、それぞれに好きなことをさせたかった。そういう、フリードマン版のマルクスのような人間だった。

そういう風に、自由を考えると、不思議と、分かる。

皆のことを自分のことのように考えて、正しく予想して、捉えて、解決すれば良い。

そういう風に自由を考えていた。自由を積み重ねて、視点を変えて分かった。

だが、自由は悪い。それぞれの好きにして、出来るわけがない。

国家は賢いから、国家主義や社会主義の方が良い。

そうでもない。民主主義が一番賢い。民主主義で政府をやるのが一番良い。

そろそろ、政治のようなことも、人生や考え方のことももう良い。

賢い内容がチャーリーに書いてあるせいで、誰でも分かる。もっと新しい違うことを言えば良い。

平等が良いと思う。弱者になった自分のような人間を皆で助ければ良い。そこまで何もしないのもおかしい。戦争をしないなら、弱者を助けるぐらいしか、皆の力で出来ることはない。それで良い。それで管理主義をすれば良いだけだ。

平和な世界が良い。戦う平等な左翼は要らないとはいうが、居ないと悪い。そういう人間が賢くなる。そういう人間が善人だ。マララが賢い。だが、政治はもう良い。

政治と関係なく、平和な世界にすれば良い。もっと普通の社会をそれぞれが作って、反抗的なことをしなければ良い。それが一番良い。友人関係を作れば正しい。

昔は、そういう、普通の環境や人間関係のことを考えて分かっていた。神との対話に書いてあるように、関係をチャンスと思って、色んな人のことを自分のように思いやって、出来ることを全部すれば良い。そういう、善人の神のようになれば良い。

愛とは、不安の裏返しだ。不安の中で信じることで愛が生まれる。

平和な世界は、それぞれが影響力を持って、解決することで生まれると考えていた。

最近は馬鹿だ。昔は、そういう風に、色んなことを考える賢い人間だった。

構造と理由から、自然と社会の変化を考えた。不思議と、地球の変化、人間の理由が全部分かっていた。方法的なことから、構造的なこと、関係的なことを考えていた。

神とは、地球のことを言っている。こういう風に、馬鹿な人間を地球が子供のように育てる。それが神だ。神は、地球だ。

愛とは、真実だ。

平和とは、調和だ。

真理とは、考え方と法則の把握だ。

人生とは、経験と社会の理解だ。

平静な心から、正しい理性をコントロール出来る。

自由とは、考え方の違いだ。

包括とは、全員の尊重だ。

平等とは、賢い国家モデルの構築だ。

環境とは、適応から分かる意識だ。

真実とは、それらの全ての融和による、世界観と本性的な人間観の構築だ。

あとは、経験から類似性のようなことが分かった。

精神の持てる能力のせいで、こういうことが出来るようになった。

自分は、それくらいの馬鹿だ。本当に、昔から、それくらいの馬鹿だった。

自分のような人間が増えている。そのうち、辛い地獄になるだろう。自分なんか、しない方が良い。普通、キリストが良くすると、こういう風になる。

その上で、調和や秩序のようなことが分かっていたのが、昔だ。

皆との一体感によって、こういう人間になった。2ちゃんねるはユダヤだ。

人間の本性的なことを考えたり、古代と現代の人間観のようなことを考えたりしていた。

そういう、賢い言葉を使えば分かる。

様相や仮象のことから、対象のことを知って、個別性や普遍性を考えていた。

自分が哲学用語を使うと、馬鹿馬鹿しく見える。だが、結構悪くない。

本性的と言うよりは、人間の本来ある、古来の人間像と、創造的で、調和的な世界観のようなことを考えて、それを体験や考え方だと思っていた。

そういう人間が昔の自分だ。時代から、存在性のようなものを分かっていた。

本当に、古来の人間観は多かった。キリストから江戸時代まで、古くからある人間観のようなものを、全部分かっていた。

あとは、あまりない。知性無く同じと違うを分かって、実験で分かったようで、馬鹿になった。ネットが好きだったようで、本当に辛かっただけだ。

最近は楽だ。これを書いていると、その間何も辛くない。いつも辛かったのが辛いが、今楽だ。いつも本当に辛かったのは、昔狂っているツケが来た。何もかも、地獄のようになったが、その中で、色んなことを知って、何とか殆ど治るところまで来ている。

あとは、これを書かなくなるだけだが、それはまだ先だ。今のうちに書けるものを全部書いておきたい。そのうち止めるからだ。

共通性と類似性は、パターンと実験から、全パターン試して分かっていた。

それに、考え方を作ることで、自分の数学のようなものを作った。

一番多かったのは、パソコンだ。コンピュータ科学のようなものは、きちんと分かっていた。GNOMEからPerlまで、色んなことが正しく分かっていた。

そろそろ終わりだ。あとは、これを止めれば良い。そろそろ、楽だ。

何もしなければ楽だとは言うが、最近、それはそれで辛い。

もっと別のことをすれば良い。ピアノを弾かないのはおかしい。

最近、ピアノは、簡単な曲に変えることにした。難しい曲は、練習しない。簡単な曲なら、練習するように見える。第九や威風堂々のような難しそうな曲を、簡単にしたメロディーバージョンのようなものを弾いている。練習した方が良い。

英語は出来る気がしないが、サンドイッチメソッドでするしかない。

英会話教室に行けば良いのは分かる。そのうち、イギリス史でもすることにしているが、それは、出来ないかもしれない。馬鹿な認知症が出来るわけないだろう。

あとは、人間の本性的なことや、自我のような内容が多かった。

昔から、そういうことを考える。いつもそういう文章を書いていた。

そろそろ馬鹿が治る。何故か、神が居なくなったから、すぐに治る。

この話を止めるしかない。対話は、この文章に対して話しているように見える。

人間の本性的なことと言うと、ヒュームの言う、人間本性論に見える。

おかしくはない。哲学者には、そういう馬鹿が多い。

昔、純粋な理性批判や、精神の現象学は本当に多かった。幾何学的な倫理学、方法の解説のようなことも良く分かっていた。そういうわけで、哲学者はそういう人間だ。

そろそろ終わりだ。全て書いたはずだ。もうあまり残っていない。虫のように見えるのは、そこまでの馬鹿になりたいのがおかしいからだ。もうこれを書かなければ良い。

心の現象学をすれば良い。それで、心が何なのか分からないまま分かる。未来のことが良く分かる。そのまま、理性批判をすれば、きちんと人格が分かって来るだろう。

そろそろ虫が死んだ。そのまま、成虫になって、アゲハ蝶が生まれる。むしろ、カブトムシにも見える。どうでも良いから、男がカブトムシで、女がアゲハ蝶だ。

アゲハ蝶が二匹居て、カブトムシが一匹居たように見える。

そろそろ、成虫になると、あまりキモく無い。キモイ虫が皆を食い尽くすのは、キモイと言うより、怖い。そろそろ、それが終わりだ。皆は、平和な解放された社会になる。

愛を信じれば良い。

結論から書いて、推論したりしていた。

愛を信じると、全てが治る。希望や自由を信じるより、愛を信じるのが良い。

世界は、愛になって、平和になれ。

そういう風に、信じるとなる人間が多い。昔はそういう風に感情を信じて分かっていた。

終わりたいのもおかしいが、そんなにすぐに分かるのもおかしい。

何か、分かることしか言わないから、分かるだけだ。

もう止めれば良いが、まだ続く。まだまだ色んなことが分かる。

意識が高まって、大脳がつけば分かる。ヒュームのような考え方を思い出せば良い。

愛を信じないのがおかしい。愛してくれる皆を殺すのがおかしい。

愛を殺すのはおかしい。愛を信じれば、キモイのが治る。

それでもう治った。愛して欲しくないなら、愛さなくて良いと言えば良い。

テレビの皆は、僕を愛していただけだ。それがトラウマになっている。それを自分で破壊する意味が無い。愛を自分で殺すのはおかしいから、こういう風になる。

もう終わったはずだ。どうでも良い愛との戦いがそういう風に多かった。

そろそろ、皆、本当に自分のことを愛すれば治る。自分のせいで、皆自分の愛を殺すようになった。おかしい。自分の愛は、好きな方が良い。

良く考えると、皆、誰も愛していない。それもそれで怖い。

自分の愛は、強くて怖い、神の愛になっている。神を信じれば良い。

愛を信じると、治った。頭と心がついた。

昔は、システムから皆の社会を創っていた。

システムやインフラを、皆の手で作る。

独立した共同体の国家に、独立したシステムがある。

その上で、法律のようなものを全部作っていた。

科学を、方法と概念から、構造的に全部作っていた。

平和な共同体から、発展の全てを考えていた。

あとは、仏みたいなものを全部作っていた。意識から存在まで、全て作っていた。

この文章は、自分の次の自分に話しかけているだけだ。

愛を信じれば治る。愛を信じた方が良い。

愛を信じるのは怖いから、怖い。

自分の言っていることが自分で分からなくなっている。愛を信じないからだ。

皆も愛を信じるのが怖い。最近そういう人間が多い。愛を信じること。

反抗は本当に悪いから、反抗しない方が良い。

愛を信じて、反抗を殺すと治る。

昔は、秩序と環境を支配して作っていた。

それもそれで悪いが、支配の愛は悪くない。

愛は、それぞれ、良い。そういうものだ。

経験とモデルから、可能性を開拓していた。

上には、国家元首が居なければならない。

そして、国会には、代表を送り出すために、選挙をするべきだ。

法律は、それぞれを自由にして、権利を与えるべきだ。

もう分からない。覚えていない。国を作っていたはずだ。

愛を信じる方を考えれば良い。

セックスは要らない。もっと、普通の愛を良いと信じれば良い。

もっと、愛を求めれば良い。それが一番楽になる。

愛は、怖いものだ。怖くても、愛を信じなければ悪い。

人生の経緯を書きながら、未来を予知して分かっていた。

未来は、全て間違っていた。何も滅びていない。滅びるはずだった。

ただ、何故か自分のこと、すぐ先のことは分かるようになった。

そういう分かるのが馬鹿だから、もう分からなくて良い。

平和と愛は同じだ。

愛とは、自分のことを愛しながら、皆のことを支えることだ。

そういう風にしないのがおかしい。

もう楽だ。愛を信じればすぐに分かる。

終わりだ。もう、感情が全て死んだ。