応用的なことを書いていた。応用的な方法や、創造性のようなことを言う。
植物は、生命のプラットフォームだ。
多次元は、数の可能性だ。
可能性は、創造性、多様性、個別性、普遍性のバランスと構築だ。
歴史、場、環境、記憶が全てだ。
理解は発想から生まれ、発想は理解から生まれる。
システムにしていただけだ。
システムと手段を成り立たせていた。
認識の自由な創造と変化、フィルターを考えていた。
基盤とプラットフォームを考えていた。
心理学を作っていた。
コンピュータは、統一されたインターフェースと関数の呼び出しを使って、再利用可能にすると、バグが出にくくなる。統一された関数を、同じように呼び出すようにする。
今、放送大学の授業を聴いている。ネット配信でパソコンで聴いている。
教育と心理の入門のような科目を聴いた。
良く分からない部分が多かったが、学校のことが良く分かった。
学校が無いと、子供はまともな発達をしない。野生児のようになって、社会に適応出来ず、周りが頑張っても言葉が分からなくなる。そのような例を知った。
学校は、あった方が良い。学校が無いと、人間はまともに育たない。
学校に行きたいなら、放送大学が良い。
今日は、45分の授業を3回聴いた。全部で15回だ。また明日も聴きたい。
最近は、自分を裏切る王の戦いをして、何も治らない地獄になった。
神を信じて、対話すると、自分でも出来た。おそらく、皆でも出来る。
もっと授業を聴いている。これで4回目だ。そのうち、単位を取って卒業すれば良い。
やることが何も無いから、勉強すれば良い。仕事なんか、大卒の方が雇う。
ただ、やりたくない戦いをしただけだ。神聖な二分法だと思えば良い。
これこそ運命だ。運命は、そういう風にある。神が創っているから、何をしても大丈夫だ。
だが、未来は白紙だと思って、自然かつ相対的に考えた方が良い。その方が賢い。
そういう人間も多かったのが、自分だ。キリスト教と科学は矛盾しないのだ。
だが、キリストの福音は正しい。自分の分かったことと一致する。そういう人間が多い。
特に、小さな門、狭き門、誰も行かない門から入るといのちの道になる、とか、弱者はキリストと同じだ、と言った点が自分と一致する。一番小さな兄弟を助けることは、キリストを助けることだ。
あとは、自由と可能性を構造的かつ緻密に考えていた。
インターネットで色んな人間と社会を知って、サルトルのように考えた。オープンソースの研究が、大学のように良かった。そういう人間が昔だ。
そろそろ、この文章は終わりだ。本当に、今までのことが全部書いてある。
そして、新しく放送大学をすれば良い。未来は、自由自在だ。
放送大学は、グランドスラムがしたい。グランドスラムとは、専門を全分野することだ。心理学から物理学まで全部したい。そして、英会話教室でバイリンガルになれば良い。
だが、そのためには、こつこつと1つ1つ、基礎の科目から積み重ねてやることだ。
継続は大事だが、僕は、継続するのは得意だ。昔から、計画するのも、がむしゃらにやるのも、どちらも好きだ。
教育や社会における心理学のようなものは、昔から良く考えていた。
もう一度心理学をするのは悪くない。この科目は面白い。
日本語が分かった。
要は、そんなに全部分からなくて良い。1つのことだけを分かった方が賢い。
それで日本語が分かった。放送大学を本当に見た方が良い。
所属集団のようなことを言っていたのは、ちょっと分かった。もう一度、あるいは、何度も聴くのが良い。
受け身にならず、自分の手で調べること。放送大学の学生は、受け身になる傾向がある。鵜呑みにせずに、自分の手で調べて、実践的に分かることも必要だ。
自由とは、自分のことを自分で決められることだ。
昔から、そういう風に考えていた。ヘーゲルのように考えれば良い。
子供は、政治参加などで、自分のことを自分で決められるべきだと考えていた。
そうでなければ、奴隷だ。そういう風に考える、アメリカ人のような人間だった。
自由な中では、主と奴に分かれてしまう。それはそれで、悪くは無い。支配者が居て、成功して、組織になって、実現する自由もあった方が良い。
それは、矛盾しない。自由に決まられる中で、自由に参加、合意して組織に加われば良い。そういう契約のようなことをいつも言っていた。
昔は、行動と経験を照らし合わせて、色んなことを内面化して、自意識と発想から、具体的に納得して分かっていた。
心の深層のようなことが分かっていた。
今、5回目を聴いている。5回聴くと、3日で1科目出来る。
昔は、内面化の人間だった。色んなことを体験して、体得して、実体験から分かっていた。
それがそのまま、意識で分かるようになった。そういう、ヘーゲルのような人間だった。
インターネットで、認識のデータベースを吸収していた。
最近は、そういうあったことを全部書いていた。自我のようなものが分かった。
ネットでは、他に、一体感の体験や、調べることによる実践的な社会理解のようなことをしていた。パソコンが好きだったが、テレビは嫌いだった。
テレビは、いじめの温床になっている。一番、テレビのせいで悪いのが学校だ。
あとは、精神を実験して分かっていた。反応と思考を科学的に考えていた。
一番悪いものを破壊する人間は、親が悪い。心理学をしていると、そこらへんが分かる。
自分もそういう人間だ。愛が悪いのは、悪い愛が自分の将来に多いからだ。
あとは、色んなことを見聞きして、一緒に経験して、自分の力で歩んだ。いつも、そういうことを言っていた。
最後に、全ては想像力であることが分かった。
最近は、地獄とはいうが、希望を見失って、どん底になっただけだ。
その中で、いつまでも希望を信じて、いつか治ることを信じていた。
そろそろ終わりだ。日本語がもう分かったから、もう怖くない。もう、何も分からなくても、生きられる。そういうわけで、馬鹿には怖いのに分かる人間が多い。
あとは、脳や精神を分かる文章や、心と認識と精神の現象学が多かった。
永遠を弁証法に変えていた。
全ての存在と時間を分かった。人間の本性を考えた。そういう風に哲学が多かった。
今日は、心理学と教育学の入門の講義を第5回まで聴いた。明日続きを聴きたい。
それから、英語のサンドイッチメソッドを聴くことにしている。今から聴く。寝る前に聴くことにしている。
パソコンで講義を聴いていると、すぐにブラウザで調べられるのが良い。
解決しなければならないと思って、治らなくなって、信じて治していた。
そういう風にすると、狂うから、止めた方が良い。
安倍首相も、そういう人間に見える。そのうち、狂って死ぬ。
もう終わりだ。そんなに分かりたいのがおかしいだけだ。そのうち、終わる。
そろそろ、神が要らない。神との対話をもう止めてしまえば良い。
自分は、本が賢い。神の内容で、本当に誰でも分かる。
いつもの文章は、あとは、人生で分かったことを言う。認識の見方とか、存在の在り方とか、そういうことを言う。経験や体験のようなことを言っていた。
大学の心理学をきちんとやった方が良い。そういうところが賢いのが、今の自分だ。
馬鹿馬鹿しい経験はもうしない。昔、高校時代にいくらでもやったせいで、何もしなくても楽だ。それで賢くなった。
自分の本は、一番泣けて、笑えて、一番怖いようで、何も怖くない。そういう、色んなことが分かる、楽しい本だ。
そういう、高校時代の楽しい体験を書いていない。ネットを見ながら社会を知って、オープンソースに関して色んなことをやった、馬鹿な、技術者のように賢い人間だった。
そういう、賢い体験で分かったようで、馬鹿な体験しかしていない。繰り返し自我と自然な体験を分かった。自分は馬鹿に見えて、心理学的に正しい経験をしていた。
あとは、人の言うことを聞いて、同じ経験をして、裏側を知って分かっていた。
こういう風に自分を愛するのは、エロイ。自分を全部愛して、2人を融和するからだ。
本当に、会話やコミュニケーションから分かった。全員を師だと思うようになった。
どんな出会いも歓迎すれば、誰とも出会わずとも、世界の全てと出会えると、自分が本で書いている。ミカエルがそういうことを言っている。
そろそろ無い。もう、全部書いた。そういうわけで、これで終わりだ。
自分の未来は、もう書くのと対話を止めて、放送大学を卒業する。グランドスラムをして、全ての大学的な知識を吸収して、知る。その上で、全てを発見し、思い出す。経験を言葉で捉えて分かるようになる。そういうわけで、これ以上は大学をやっている。
押し付けられた固定の概念ではない、独自のアイデンティティのある考え方をしていた。
そういう自由だった。自由なんか、ただ悪いだけだ。
自由を緻密に考えて、構造的に分かっていた。今見ると、結構キモイ。だが、そういう風に、本当に世界のことを全部分かっていた。自由を体験、習得、共生、構築と言っていた。
あとは、コンピュータが多かった。技術の歴史を考えて分かっていた。アップルやネットスケープなどの会社から、OSやプログラミング言語の技術のことを良く分かっていた。
あとは、創造的な方法のようなことを分かった。
世界を方法と思えば分かる。あとは理由ぐらいしかない。発想と行動を考えれば良い。
皆の意見を知って、言っていることを聞く。それが一番だ。
自分は、まともだ。まともに色んなことを分かっている。もう狂っていない。
根拠を考えて、全てのことを捉えて、出来事の関係性を良く考えて分かっていた。
洞察と想定から、色んなことの本質を分かった。知恵や工夫が認識から分かった。
あとは、ハイデガーやサルトルのように理性を分かっていた。
ヴィトゲンシュタインのようでもあった。
最近、そういう哲学の知識もある。大学はきちんと出来ている。心理学もすれば良い。
それに、本も読めるようになったし、大学の難しい日本語はさっき分かるようになった。
自動車に乗れないなら、バイクに乗れば良い。足を怪我していても乗れる。
あとは、あまりない。サルトルのように、参加とそれによる拘束をいつも分かっていた。
言語を良く考えていた。誰が考えてもそうなる。あとは、自然状態を良く分かっていた。
平和な方が良い。差別はしない方が良い。今の自分は間違っている。黒人でも白人でも共産主義者でも、同じ人間だ。差別は良くない。フリードマンが言うと、ものを作って与えるなら、そんなものは関係ない。中国製の製品を買えば良い。白人と同じだ。
自由が一番平等だ。平等が一番平等で無い。そういうわけで、自由な方が良い。
もっと良く考えれば分かる。世界にあるものを捉えて考えれば良い。
そんなに自分だけを考えるのはおかしい。世界を考えれば良い。
アイディアを書いていた。学校は、一貫校にすると言っていたが、そろそろ教育学を知るときちんと良く分かる。学校は、むしろ、大学だけで良く見える。最初から大学で良い。
教育は、自分の考え方と発想と経験を重視し、知る機会と考える手段を与えるべきだ。
影響力とか、存在とか、考え方とか、そういう言葉で考えることが、昔多かった。
そういう、いつもの文章はもう忘れた方が良い。今、一番賢いのが自分だ。今の方が良い。昔は賢くない。あとは、共産党やソビエトのようなことを書いていたはずだ。
昔は、想像力のあるオタクだった。そういうわけで、オタクは賢い。想像力と感受性のある人間がオタクになる。そういうものだから、オタクより自分の方が馬鹿だ。
リーナスも、オタクの神に見えて悲惨だが、リーナスは本当に賢い一番のオタクだ。