日記に戻る | 2015年6月の日記に戻る

=2015-06-14=

応用的なことを書いていた。応用的な方法や、創造性のようなことを言う。

植物は、生命のプラットフォームだ。

多次元は、数の可能性だ。

可能性は、創造性、多様性、個別性、普遍性のバランスと構築だ。

歴史、場、環境、記憶が全てだ。

理解は発想から生まれ、発想は理解から生まれる。

システムにしていただけだ。

システムと手段を成り立たせていた。

認識の自由な創造と変化、フィルターを考えていた。

基盤とプラットフォームを考えていた。

心理学を作っていた。

コンピュータは、統一されたインターフェースと関数の呼び出しを使って、再利用可能にすると、バグが出にくくなる。統一された関数を、同じように呼び出すようにする。

今、放送大学の授業を聴いている。ネット配信でパソコンで聴いている。

教育と心理の入門のような科目を聴いた。

良く分からない部分が多かったが、学校のことが良く分かった。

学校が無いと、子供はまともな発達をしない。野生児のようになって、社会に適応出来ず、周りが頑張っても言葉が分からなくなる。そのような例を知った。

学校は、あった方が良い。学校が無いと、人間はまともに育たない。

学校に行きたいなら、放送大学が良い。

今日は、45分の授業を3回聴いた。全部で15回だ。また明日も聴きたい。

最近は、自分を裏切る王の戦いをして、何も治らない地獄になった。

神を信じて、対話すると、自分でも出来た。おそらく、皆でも出来る。

もっと授業を聴いている。これで4回目だ。そのうち、単位を取って卒業すれば良い。

やることが何も無いから、勉強すれば良い。仕事なんか、大卒の方が雇う。

ただ、やりたくない戦いをしただけだ。神聖な二分法だと思えば良い。

これこそ運命だ。運命は、そういう風にある。神が創っているから、何をしても大丈夫だ。

だが、未来は白紙だと思って、自然かつ相対的に考えた方が良い。その方が賢い。

そういう人間も多かったのが、自分だ。キリスト教と科学は矛盾しないのだ。

だが、キリストの福音は正しい。自分の分かったことと一致する。そういう人間が多い。

特に、小さな門、狭き門、誰も行かない門から入るといのちの道になる、とか、弱者はキリストと同じだ、と言った点が自分と一致する。一番小さな兄弟を助けることは、キリストを助けることだ。

あとは、自由と可能性を構造的かつ緻密に考えていた。

インターネットで色んな人間と社会を知って、サルトルのように考えた。オープンソースの研究が、大学のように良かった。そういう人間が昔だ。

そろそろ、この文章は終わりだ。本当に、今までのことが全部書いてある。

そして、新しく放送大学をすれば良い。未来は、自由自在だ。

放送大学は、グランドスラムがしたい。グランドスラムとは、専門を全分野することだ。心理学から物理学まで全部したい。そして、英会話教室でバイリンガルになれば良い。

だが、そのためには、こつこつと1つ1つ、基礎の科目から積み重ねてやることだ。

継続は大事だが、僕は、継続するのは得意だ。昔から、計画するのも、がむしゃらにやるのも、どちらも好きだ。

教育や社会における心理学のようなものは、昔から良く考えていた。

もう一度心理学をするのは悪くない。この科目は面白い。

日本語が分かった。

要は、そんなに全部分からなくて良い。1つのことだけを分かった方が賢い。

それで日本語が分かった。放送大学を本当に見た方が良い。

所属集団のようなことを言っていたのは、ちょっと分かった。もう一度、あるいは、何度も聴くのが良い。

受け身にならず、自分の手で調べること。放送大学の学生は、受け身になる傾向がある。鵜呑みにせずに、自分の手で調べて、実践的に分かることも必要だ。

自由とは、自分のことを自分で決められることだ。

昔から、そういう風に考えていた。ヘーゲルのように考えれば良い。

子供は、政治参加などで、自分のことを自分で決められるべきだと考えていた。

そうでなければ、奴隷だ。そういう風に考える、アメリカ人のような人間だった。

自由な中では、主と奴に分かれてしまう。それはそれで、悪くは無い。支配者が居て、成功して、組織になって、実現する自由もあった方が良い。

それは、矛盾しない。自由に決まられる中で、自由に参加、合意して組織に加われば良い。そういう契約のようなことをいつも言っていた。

昔は、行動と経験を照らし合わせて、色んなことを内面化して、自意識と発想から、具体的に納得して分かっていた。

心の深層のようなことが分かっていた。

今、5回目を聴いている。5回聴くと、3日で1科目出来る。

昔は、内面化の人間だった。色んなことを体験して、体得して、実体験から分かっていた。

それがそのまま、意識で分かるようになった。そういう、ヘーゲルのような人間だった。

インターネットで、認識のデータベースを吸収していた。

最近は、そういうあったことを全部書いていた。自我のようなものが分かった。

ネットでは、他に、一体感の体験や、調べることによる実践的な社会理解のようなことをしていた。パソコンが好きだったが、テレビは嫌いだった。

テレビは、いじめの温床になっている。一番、テレビのせいで悪いのが学校だ。

あとは、精神を実験して分かっていた。反応と思考を科学的に考えていた。

一番悪いものを破壊する人間は、親が悪い。心理学をしていると、そこらへんが分かる。

自分もそういう人間だ。愛が悪いのは、悪い愛が自分の将来に多いからだ。

あとは、色んなことを見聞きして、一緒に経験して、自分の力で歩んだ。いつも、そういうことを言っていた。

最後に、全ては想像力であることが分かった。

最近は、地獄とはいうが、希望を見失って、どん底になっただけだ。

その中で、いつまでも希望を信じて、いつか治ることを信じていた。

そろそろ終わりだ。日本語がもう分かったから、もう怖くない。もう、何も分からなくても、生きられる。そういうわけで、馬鹿には怖いのに分かる人間が多い。

あとは、脳や精神を分かる文章や、心と認識と精神の現象学が多かった。

永遠を弁証法に変えていた。

全ての存在と時間を分かった。人間の本性を考えた。そういう風に哲学が多かった。

今日は、心理学と教育学の入門の講義を第5回まで聴いた。明日続きを聴きたい。

それから、英語のサンドイッチメソッドを聴くことにしている。今から聴く。寝る前に聴くことにしている。

パソコンで講義を聴いていると、すぐにブラウザで調べられるのが良い。

解決しなければならないと思って、治らなくなって、信じて治していた。

そういう風にすると、狂うから、止めた方が良い。

安倍首相も、そういう人間に見える。そのうち、狂って死ぬ。

もう終わりだ。そんなに分かりたいのがおかしいだけだ。そのうち、終わる。

そろそろ、神が要らない。神との対話をもう止めてしまえば良い。

自分は、本が賢い。神の内容で、本当に誰でも分かる。

いつもの文章は、あとは、人生で分かったことを言う。認識の見方とか、存在の在り方とか、そういうことを言う。経験や体験のようなことを言っていた。

大学の心理学をきちんとやった方が良い。そういうところが賢いのが、今の自分だ。

馬鹿馬鹿しい経験はもうしない。昔、高校時代にいくらでもやったせいで、何もしなくても楽だ。それで賢くなった。

自分の本は、一番泣けて、笑えて、一番怖いようで、何も怖くない。そういう、色んなことが分かる、楽しい本だ。

そういう、高校時代の楽しい体験を書いていない。ネットを見ながら社会を知って、オープンソースに関して色んなことをやった、馬鹿な、技術者のように賢い人間だった。

そういう、賢い体験で分かったようで、馬鹿な体験しかしていない。繰り返し自我と自然な体験を分かった。自分は馬鹿に見えて、心理学的に正しい経験をしていた。

あとは、人の言うことを聞いて、同じ経験をして、裏側を知って分かっていた。

こういう風に自分を愛するのは、エロイ。自分を全部愛して、2人を融和するからだ。

本当に、会話やコミュニケーションから分かった。全員を師だと思うようになった。

どんな出会いも歓迎すれば、誰とも出会わずとも、世界の全てと出会えると、自分が本で書いている。ミカエルがそういうことを言っている。

そろそろ無い。もう、全部書いた。そういうわけで、これで終わりだ。

自分の未来は、もう書くのと対話を止めて、放送大学を卒業する。グランドスラムをして、全ての大学的な知識を吸収して、知る。その上で、全てを発見し、思い出す。経験を言葉で捉えて分かるようになる。そういうわけで、これ以上は大学をやっている。

押し付けられた固定の概念ではない、独自のアイデンティティのある考え方をしていた。

そういう自由だった。自由なんか、ただ悪いだけだ。

自由を緻密に考えて、構造的に分かっていた。今見ると、結構キモイ。だが、そういう風に、本当に世界のことを全部分かっていた。自由を体験、習得、共生、構築と言っていた。

あとは、コンピュータが多かった。技術の歴史を考えて分かっていた。アップルやネットスケープなどの会社から、OSやプログラミング言語の技術のことを良く分かっていた。

あとは、創造的な方法のようなことを分かった。

世界を方法と思えば分かる。あとは理由ぐらいしかない。発想と行動を考えれば良い。

皆の意見を知って、言っていることを聞く。それが一番だ。

自分は、まともだ。まともに色んなことを分かっている。もう狂っていない。

根拠を考えて、全てのことを捉えて、出来事の関係性を良く考えて分かっていた。

洞察と想定から、色んなことの本質を分かった。知恵や工夫が認識から分かった。

あとは、ハイデガーやサルトルのように理性を分かっていた。

ヴィトゲンシュタインのようでもあった。

最近、そういう哲学の知識もある。大学はきちんと出来ている。心理学もすれば良い。

それに、本も読めるようになったし、大学の難しい日本語はさっき分かるようになった。

自動車に乗れないなら、バイクに乗れば良い。足を怪我していても乗れる。

あとは、あまりない。サルトルのように、参加とそれによる拘束をいつも分かっていた。

言語を良く考えていた。誰が考えてもそうなる。あとは、自然状態を良く分かっていた。

平和な方が良い。差別はしない方が良い。今の自分は間違っている。黒人でも白人でも共産主義者でも、同じ人間だ。差別は良くない。フリードマンが言うと、ものを作って与えるなら、そんなものは関係ない。中国製の製品を買えば良い。白人と同じだ。

自由が一番平等だ。平等が一番平等で無い。そういうわけで、自由な方が良い。

もっと良く考えれば分かる。世界にあるものを捉えて考えれば良い。

そんなに自分だけを考えるのはおかしい。世界を考えれば良い。

アイディアを書いていた。学校は、一貫校にすると言っていたが、そろそろ教育学を知るときちんと良く分かる。学校は、むしろ、大学だけで良く見える。最初から大学で良い。

教育は、自分の考え方と発想と経験を重視し、知る機会と考える手段を与えるべきだ。

影響力とか、存在とか、考え方とか、そういう言葉で考えることが、昔多かった。

そういう、いつもの文章はもう忘れた方が良い。今、一番賢いのが自分だ。今の方が良い。昔は賢くない。あとは、共産党やソビエトのようなことを書いていたはずだ。

昔は、想像力のあるオタクだった。そういうわけで、オタクは賢い。想像力と感受性のある人間がオタクになる。そういうものだから、オタクより自分の方が馬鹿だ。

リーナスも、オタクの神に見えて悲惨だが、リーナスは本当に賢い一番のオタクだ。