言葉になる、ならないがいつも多かった。
昔は、言葉にならないことを良く考えて分かっていた。
理性的に考えて、言葉にならない経験や実感を考えていた。
最近は、頑張って言葉にして、文章を書いた。
言葉にすることから、宇宙の全てのことが分かった。
イスラエルの王のようになって、世界を統治した。
平和な社会、理想の社会を作る方法を考えていた。
思いやりと信頼から平和な社会が生まれる。
解決方法と実現方法が全部分かっていた。そういう、全部出来る人間だった。
そういう文章を書いていた。
自由な社会では、自由な生産手段と関係から、共同体の階層的な社会構造が生まれる。
それ以上、自由な社会を考えていた。
労働やアイデンティティのようなことを考えていた。
言葉と対話の多重人格が死んだ。
神との対話が辛いだけだ。今日はあまり話さなかったから、あまり辛くなかった。
集団と付き合って分かった。
フェアな戦いが好きだった。
テレビと戦って、勝てるわけがないが、勝った。相手は、こちらが居るのが分かっていない。テレビは皆、馬鹿になった。
自分が好きだから、テレビが怖いだけだ。自分が嫌いになれば、テレビが好きになる。
まだ、自分のことが嫌いにはなれずにいる。
自分が一番賢かった。ここまでの自分が好きだ。
昔はサトルで、こちらはオサムだ。最近はツトムだ。それくらいの男の3人兄弟だ。
そろそろ終わりだ。自分が一番辛かった。ロシアみたいに辛かった。
あとは、文章がリリとマリだ。おかしなアニメの女だ。そういう、5人兄弟だ。
そういうわけで、5人の神が自分だ。神には見えないだろう。
昔は、ジョブズのスピーチや、Gentoo Linuxの創始者の話、LFSやGentooのハンドブックなど、色んな文章、特にコンピュータに関わる文章を読んで分かっていた。
ネットスケープとMozillaの話や、ポール・グレアムなどが好きだった。
最近は、本当にそこまで文章を書いた。毎日毎日いくらでも文章を書いた。
テレビと戦っていた。昔はテレビが嫌いだったが、最近そんなに嫌いで無い。テレビは、本当に社会インフラとして必要だ。無いと何も分からない。悪の元凶とは言うが、そういうことは無い。むしろ、社会のことはテレビでしか何も分からない。ネットの方が悪い。
オープンソース関係のブログや掲示板が多かった。
特に好きだったのは、昔のX51.ORGだ。
おかしな記事を読みながら、面白いと思っていた。
あとは、切込隊長さんや真性引き篭もりさんが好きだった。はてなを読んでいた。
最近、そういうものはむしろ、嫌いになった。
馬鹿になるから、ネットなんか見ない方が良い。
最近、テレビも見ない。見ていても、何も面白くない。
ニュースは見ているが、あまり興味は無い。
そういうわけで、この文章を書くぐらいしかしていないから、まだ書きたいだけだ。
もう止めたいとは言うが、それはまだ早い。まだ書いていた方が良い。
ツトムは本当に賢い人間だった。良い人間で、知識があって、頭も賢い。最後の方だから当たり前だ。
サトルもオサムも狂った人間だったが、サトルは神みたいに賢かった。
オサムはおかしい。革命の末に、おかしな神に騙されて、死んだ。
オサムは本当におかしい。自分の身体で生物学の実験をしたり、自分の頭を自分で分からなくしたりしている。それで治るわけがない。
オサムは、放っておくと、そのままで普通になる。誰でもおかしいから仕方ない。
馬鹿に見えて、全てのことが本当に正しく分かっていたのが、オサムだ。サトル時代に分かっただけだが、何でも作れて、書ける人間だった。文章は賢かった。
サトルは、楽しいことや賢いことがいくらでも多かった。本当に、いくらでも賢かった。だが、そういう人間は、馬鹿な人間が多い。神のように賢い代わり、ファンモンのように馬鹿だった。ただの2ちゃんねるだ。
ツトムは、哲学と経済と歴史のことが分かっている。神は正しく理解している。
このままツトムが続くだろう。サトルは仏で、オサムは王で、ツトムは学者だった。
社会のことは、もっと良く考えれば分かる。強制は悪い。創造性と、助け合いや協力、そして調和の精神が大切だ。それぞれが、真剣に考えなければならない。
サトルには想像力があったが、最近無くなった。論理力も無くなった。言語力がある。
自由とは、自発的に考え、積極的に助け、協力し、教え合い、語り合い、助け合うことだ。
そういう風に、支配や強制の無い、自由な理想のようなものをいつも書いていた。
だが、強制するのが悪いのは、良く考えるとおかしい。どこでも強制するだけだ。それに、自由より、従いたい人間の方が多い。自由は一番、意味が無い。
自発的に協力するのはおかしくは無いが、昔はそういうおかしな人間だった。
子供だからそういう発想をする。あとは、共有が好きなありえない人間だった。
社会主義者は、子供なように見える。
社会主義は嫌いだった。本当にそれぞれを自由にして、個人の自由にすべきだと考えた。
帝国主義やファシズムの方がまともだ。きちんと出来るし、きちんと戦う。
共産主義は、小学生の主義だ。原始人の共同体で平等配給は、学校給食と同じだ。
国家モデルでは、自発的に協力して成り立つ国のようなものを作っていた。
全員軍隊の親衛隊や、監視国家、レポートの大学のようなものを作った。
国家にすると悪いが、身の回りにある自発的な取り組みは、あまり悪くない。
昔は、そういうところを自由に考えていただけだ。
そういうわけで、自由や社会主義は悪い。きちんと従う帝国の方が良い。
皇帝が偉いのは仕方ない。代表者の決定者が偉いのは、どこでも同じだ。指導者が居ない国はあまりない。皇帝が絶対権力を持つのは、指導部と幹部が楽だから、仕方ない。
議論は辛い。安倍も岡田も意味の無い議論をしている。どちらも相手が質問に答えていないと言う。全く意味の無い、おかしな議論をするだけが国会だ。
民主主義の精神は悪くない。きちんと民意に委ねるべきだし、国会はテレビが見ている。
だが、選挙で変わるわけがないし、安倍が勝っていると、民主主義なんか現実的に見て右翼と同じにしか見えない。
社会主義も悪い。何もかも馬鹿なのは、民主主義の代替案が無いからだ。
自分のような国家モデルを作る馬鹿は居ない。作っても馬鹿すぎるから、しなくて良い。
マルクスのような新しい思想家を待つしかないが、マルクスの考え方が完璧すぎるせいで現れない。
ソ連やドイツのようにすれば良いが、それは一番出来ない。馬鹿と言うよりは、悪い。
自分なんか悪いだけだ。もう、政治には口を出さない方が良い。
自分は、やることが無いから、何もしないだけだ。哲学だけをすれば良いが、これ以上あまりする意味が無い。知性がついたから、知性で考えれば良い。物理的な作用の考え方が知性だ。あとは、自然な考え方が理性だ。そういうわけで、宗教では分からない。
自由はおかしくはない。自発的に思いやり、協力すれば、2ちゃんねるのように良くなる。悪くは無い。それはそれで、良い社会だ。皆、自由に平和で、情報を交換し、コミュニケーションを楽しめば良い。自由から色んなことが分かる。昔は、そういう人間だった。
国は自由な方が良い。本当に平等や社会主義の方が悪い。
行動は自由にすべきだし、国の体制は皆で変えられるべきだ。
自由の無い国は、すぐに馬鹿になる。
自由な協力から、可能性が生まれる。
安心出来る環境は、皆の手で作れば良い。
自由な社会の自由な形成を考えていた。
だが、ソ連も悪くは無い。革命で変わるし、多数決で無い独裁で平等にして、社会所有の皆のものにすれば良い。
だが、それでは終わりだ。そんなに自由を否定したいのがおかしい。
自由はキモイ。そろそろ昔のセックスみたいな自由が分かった。
自由はおかしいが、本当に行動の自由ぐらい無いと悪い。社会や政府は、皆の手で、特にそれに関わる構成員の手で変えられるべきだ。自由の無い国はおかしい。
強制しない自由、自発的に考える自由から、国や経済、経験のモデルのようなことを考えて分かっていたのが、昔の自分だ。
子供のように考えた。作り方と協力から、何をどうすれば出来るのか、社会がどうなっているのか、考えて分かった。結構賢かった。全部分かった。物理的に考えられる、知性のあるデカルトやマルクスやキリストのような人間だった。
ほとんどのことは、自由に経験出来るべきだから、自由に許した方が良い。
おかしな法律をあまり決め過ぎない方が良いと、昔は考えていた。
今はそうでもない。もっと、自由以外の可能性がいくらでもあるのが分かった。
国は自由な方が良い。だが、人間は平等の方が良い。
皆、同じように出来て、同じことを分かった方が良い。自由より平等の方が多様な世界になることは多い。現実的に見て、平等の方が良い世界になる。それは違うとは言うが、平等は理論的に考えても、理想的に考えても、正しい。平等は人間的で、社会を構築する際の一つの理想だ。それぞれのことを本当に考えて、皆で決めて、皆が平等に出来る。
そろそろ、自由は終わりだ。昔のことは全部分かった。
今日は書いて良かったからこれで良い。きちんと新しいことが何か分かったからだ。
自由は、強い世界で生きるために必要な概念だ。強さを求められると、誰でも自由になる。最近、日本は、良い世界になった代わり、弱くなっている。今自由も、おかしくはない。自由が一番弱いとは言うが、戦うのは辛いし、つまらないものだ。良い人間の方が良い。
見ていると、本当に自由の方が良い。ソ連は終わっている。
むしろ、安倍首相の方が良い。野党の方が悪い。
自由の良い点は、会社が作れたり、好きな仕事を選べたり、選挙に出たり出来る点だ。
新しい賢い人間が出るのを、皆で期待することが出来る。
ソ連では、そういうことは何も出来ない。作家になりたくてもなれない。
だが、選挙や金も良いとは言えない。民主主義はそれはそれで何も出来ない。正しい賢い人間が居ないし、実現力や変革力が無い。そうでもない。民主主義が一番賢い人間や、実現力や変革力がある。何も出来ないのは、自民党が見て、普通にいつも出来ている。
ただ、自由は戦うだけだ。そこが賢いのが普通だ。戦いは見ていて楽しいだろう。
基盤、プラットフォーム、多様性、システムとは、全部自由のことを言っているが、それは全部Windowsのことを言っている。
Windowsが一番自由で、正しく賢い。Linuxは、技術的に安定しているだけで、何も賢くない。コマンドラインだから安定しているだけで、GUIは不安定だ。Windowsが良い。
拡張性とか、環境とか、全部Windowsのことを言っていた。それくらいの自由だった。
Linuxは、馬鹿には使えない。分かっている賢い人間が使う。そういうわけで、Linuxは馬鹿ではない。GNOMEなんか誰も使わない。賢いMATEを使う。それしか居ない。
パッケージ管理は、依存関係まで全部分かっている、使い慣れた人間にしか操作出来ない。初心者は、Ubuntuの初期状態を有難く使うしかない。何も出来ないし、不安定で使い物にならないから、誰が見てもUbuntuは馬鹿だ。
オープンソースはキモイ。BSDはAppleやSONYのためにある。開発者が分かればそれで良い。初心者がオープンソースなんか、最初から知らない方が幸せだ。
Linuxはどうでも良い。本当に、Windowsのような内容は多かった。拡張性とシステムの多様性が好きだった。Linuxでは、そういうものはプロジェクトごとに分かれていて、多様性があるようで、あまりそんなものは無いし、無駄が多い。
技術的に賢い点は、WindowsにもLinuxにも多い。VBとGCCのどちらが賢いかは分からない。姉が見てVBの方が賢いと言うかもしれない。姉はプロのプログラマだ。
昔は、想像力があった。
発想と手段、環境活動、目的と考え方、社会の構造、機械の仕組み、心の深層、意識や機会、変化や可能性、自然法則などが分かっていた。
人間と体験の法則が、想像力で分かっていた。
パターンと本質と具体例と社会の変化から、意識と想像力と感覚で分かっていた。
自分の数学も多かった。
最近想像力が無く見えるのは、当たり前だ。何一つ想像しない。作らないのも、考えないのも悪いが、何一つ行動しないのが一番悪い。
昔の想像力は、地球と宇宙の歴史の構造が全部分かっていた。何が何から生まれ、どのようにして作り、何をどのようにすべきか、きちんと全部分かっていた。
パソコンのことは、ネットで分かっていただけで、姉はあまり関係ない。
あとは、父親は物理学が出来る、博物館学芸員の科学者だ。母親は小学校の教師だ。
自分は、作家だが、明らかにただのニートだ。これを書いているから、仕事はきちんと頑張っている。自分が明らかに一番馬鹿だ。
一番賢いのは姉だ。いつも賢い。最近、子供を育てるために、いつも家に来ているが、楽に子育てが出来ている。子供の方も、手がかからない大人しい子供だから、賢い家庭になるように見える。夫の方は、仕事をしている。夫もプログラマだ。
自分が一番馬鹿だが、きちんと詩集が出版出来て、本屋に並んで、本当に良かった。
人間と人間の心の関係や、思いの伝達、社会における意識のような考え方が多かった。
そこらへんがまだ分かっていないから、心理学をすれば良い。
ツトムは、そこまで知識があるとは言うが、知っているようで何も知らない。
そういうわけで、「今から何か知りたい」と言う、既に全部知っている人間が自分だ。
本当に、今から何か知りたい。自分は何も知っていない。
だが、科目や専門を決めるのは、もっと後で良い。まず、とっかかりのあるところから始めれば良い。やりながら、自分の好きな専門や科目にしていけば良い。
最初から歴史にするのは止めた方が良い。誰が見ても、歴史は一番つまらなくて、何も分からない、意味の無い科目だ。
人生の考え方が分かっていたのに、最近分からなくなった。
自分の本当に好きなことは、やっていくうちに見えて来る。B'zが言っているように、そうなるように生きていけば良い。
Linuxは本当に止めた方が良い。普通、意味が無い。
だが、心理学はあまり意味が無い。集団の行動を実験で考えたり、心の病気を治したりするのは、一番ありえない学問に見える。
むしろ、生物学や医学が良いと思う。体の仕組みが分かって、治るようになる。
物理は止めた方が良い。賢い人間なら、誰でも出来る。物理は、昔出来たから、もう良い。
明らかに、好きな科目は哲学だ。
それから、一番良い科目は政治経済と文学だ。
それは、普通、歴史なんか誰でも出来る。
知りたいことがあるなら、哲学はもう知った。経済学を知れば良い。
経済学を知っていると、賢いのが普通だから、経済学で良い。
文学は悪い。文学作品なんか、読みたくない。きちんともう出来たのが文学だ。
文学のどこが良いかと言うと、自分の小説が書けるようになる。そこが良い。
哲学は止めた方が良い。哲学の知識はもう十分だ。
やりたいなら、ロックやヒュームなどの経験論をすれば良い。
イギリス史がしたいとは言っていたが、最近したくない。見てもつまらない。
心理学が一番治るし、哲学は昔考えていたことを思い出せるようになる。
どれが一番したいか、なら、むしろ、政治経済をしたい。それが良いと思う。
むしろ、他の学問なんか、したいようで、全くしたくない。
だが、放送大学を聴くなら、心理学の講義をまだ聴き終えていないから、心理学をする。
歴史はしなくて良い。名前しか分からないのはおかしい。
ヨーロッパ史の本は、誰でもきちんと分かる文化や思想なども書かれた良い本だから、読んだ方が良い。
ツトムがそこまで勉強したいのもおかしい。何故なら、したいだけで、出来ていない。
何も出来ていないから、哲学と政治経済をきちんとした方が良い。
国家は、国民に対する用意と準備であり、制度は国民が決められる自由であり、歴史は国民の経験と達成内容である。
そのような、知性のある考え方のような文章が多かった。
日本は、立憲民主主義の議会制の主権国家だ。
主権国家とは、国際的に独自の政治制度と統治システムがあると認められていることだ。
日本の主権国家としての柱は、三権分立と主権在民である。
三権分立は、日本国憲法の下に、司法である裁判所、立法である国会、行政である役所と内閣総理大臣や各大臣が存在する。
それぞれが関わり合って、日本の主権を行っているが、その元にあるのは国民である。
これくらいは、基礎の基礎だ。誰でも分かる。
安倍の問題は、憲法解釈を変えると言う重要なことを、閣議決定、つまり行政だけで行ってしまったことである。
経済学は、誰でも分かるのがつまらない。父親でも分かる。この内容は、今父親に紙に書いて教えてもらった。
そういうわけで、哲学の方が良い。むしろ、心理学や生物学が良いと思う。
あとは、自由に働くか、平等に働くか、支配するか、上が決めるか、自由に決めるか、のような、支配のモデルのようなこと、関係のようなことを考えていた。
自由に働くと奴隷だが、平等に働くと家畜だ。そういう風に考えれば分かる。
国家が国民に対する用意や準備であり、歴史が経験や達成なのは、誰も言わないが、最近はそういう風に知性で考えて分かる人間が多い。知性で考えれば良い。
自由とは、出来るようにして、可能にして、そのために具体的な行動をとること、例えば、手段を与えたり、言論の場を与えたり、プロフェッショナルを生み出す土壌を作ったりすることだ。
そういう、自由な考え方が多かった。変化可能にして、参加可能にする。
そのまま、知性で関係をよく考えて、基盤のような考え方をすれば分かる。
何かが決まる時、その何かが決まる上に、あるいは裏に、もっと高い位置から決めている、他の何かがある。それを基盤と言う。
そういう、考え方や決定の分かり方のような概念が昔に多かった。
普通、そういうものを、憲法、イデア、遺伝子、形相、概念などと言う。
そういう風に考えていただけだ。
また、仏教の執着やこだわり、思いやりのような、心の関係も、そういう、裏側にある高い概念から考えて、変えることが出来る。
そういうことはあまり言わないが、昔の自分に一番多かった。そういう風にすると、不純な経験の中にある、純粋な経験のあり様も分かって来るだろう。可能性や可能性がある状態に関しても、分析することが出来るはずだ。言語的にも哲学が良く分かる。
そういうわけで、決定を決定し直すことから、全てのことが出来るようになった。
制度、心、システム(コンピュータのこと)、契約(GPLのようなライセンスのこと)の、全体像と客観的な関係のようなことを考えて分かっていた。
そういうわけで、それくらいしか分かっていない。
知性の考え方で考えれば、科学も作れるし、影響力や社会構造、言論の自由の意味などが良く分かる。そういう風に考えていただけだ。
今日は一番分かっている。今日が一番良い。明日も書いた方が良い。辛いのは、目をつぶって、仕方ないと思うしかない。
そこが分かると、数学的な命題、証明、法則のような相対的なことが良く分かる。
おかしくなっているのは、すぐに治る。
決まりの裏にある大きな決まりを変えて、治せば、すぐに楽になる。心理学的に正しい。
環境への適応や意識、出来る能力と経験、同じ発想、そして自分で作る数学や科学のようなことも、大きな決まりから考えて分かることが出来る。
心理学者のように、次元を超えて分かることが出来る。
2つの命題がどちらも正しく無い時は、次元を超えた解決策が必要だ。命題そのものを変える必要がある。カントが言っている。
また、感性と理性のバランスから、考えるだけではなく、感じて、さらに信じて分かることが出来る。
あとは、歴史や価値観から色んなことを考えれば分かる。
それからあとは、自由な経済システムを考えていたのぐらいを書いていない。
利益と競争は、会社と社会を発展させる。
安値競争は、製品を安くする。
そして、国民所得が豊かになることで、国家全体の経済力が増していく。
国民の選択は、会社の選択になり、国家の選択になる。
それぞれの取り決めを自由にすることによって、経済は自由になる。
あとは、経済学の通り考えれば良い。
それぞれの会社の関係を考える。リストラやコスト削減が悪いようで、ブラック企業のように、長時間過酷な環境で働かせるのは悪い。
だが、それも、自由だからに過ぎない。本当に辛い人間が居る一方で、それで楽をしている人間も居る。
職業選択の自由は、格差と直結している。馬鹿な人間は、辛い仕事にしかならない。
そういう、問題のようなものは、あまり考えなくて良い。
決まりやシステム、インフラの中で、参加し、組織を作り、協力して製品を作る。
工場でのプロセスと、設計図の設計、そして研究課題のようなものがある。
原則自由な中で、それぞれの会社は出来ることをし、知恵を絞って考えるようになる。
民主主義は、金で決まる。金は自由で平等な、交換と機会の手段だ。
システムの持つ意味は多岐に渡る。自由競争から交換、生産手段や自由な発展など。
製品をどのように生み出すか、どのように働き、給与を得るか、どのように発展し、どのような目的を持って社会が変わるか、などを考えていた。
発展のような内容が本当に多かった。
また、社会主義の思想や共同体の変転などもあった。
マルクス経済学と哲学の専門家が自分だ。
哲学より、歴史が出来たように見える。そういうことを神が言っている。だが、ただ、人物がそこまで分かっているのを言っているだけだ。国家と時代の価値観も分かっている。
生産したものをどのように分配するか、から、生産する際の決定を、計画経済か自由競争のように、どういう風に行うか、また、政策の議論をどのように政治家と政党が行うか、などを、思想的かつシステム的に考える内容が多かった。
人生を覚えていない。習得的で、能力的で、経験的で、社会的だった、自分の昔の分かる人生を覚えていない。だが、それは、リリに書いている。マリにも、同じようなことをいつも言っている。だが、覚えていないものだ。
この社会は、どうしてこうなったのか、誰にも分からない。誰かが分かって、解決する必要がある。昔は、そういう人間だった。
だが、最近、社会は良くなっている。問題はあまりない。ブラック企業、派遣労働者、いじめ、虐待、高齢化、などが問題だが、社会全体は良くなっている。特に、皆本当に豊かになって、良い社会になって、楽になっている。あまり問題は無い。
歴史を全部見て、何が問題でどうすれば解決出来るのか、歴史の必然のようなことを全部分かっていた。
あとは、インターネットを見て分かっていた。そういう、レーニンのような人間だった。
自分で考えて全てが分かった。
この世界は、クズだ。本当に悪い世界になった。自由が悪いようで、皆本当に何故こうなったのか、誰も分かっていない。
全部、昔の時代を引き継いでいるせいでこういう風になる。全部今にしわ寄せが来る。そういう風に考えると賢い。出来事が出来事に関係する。
ただ、その時はそれで良かったようで、後になると、変えられることもある。その時は、その人間から見ると、その決定は正しく見えた。そういう決定は、良く考えると、他の決定に変えられる。
この文章の意味が無い点は、そういう自由や、自分にするのが悪い。自由のせいで、皆同じになって、弱くなって、自分になって滅びた。皆を見ていても何も分からない。皆同じになったから、誰も人間のことを考えなくなった。
社会を経験して、徐々に自由な右翼から左翼になった。個人の自由は、そのまま共同体を作る自由になった。創造性から出来るようになって、社会を変えられるようになった。オタクやチンピラの問題点を、自分の普遍的な経験と理性から分かっていた。
自由にすべきだが、ただ戦い傷つける自由にすべきではない。
良く考えると、自由の中でも出来ることは多い。
きちんと分かった人間が、皆が考える代わりに教えれば良い。そして、考え方を教え、経験をさせて、きちんと分かるようにすれば、誰でもマスターになれる。キリストのように分かるようになる。それが神だと思う。
意識の現象学で分かっていた。どこに居て、何をして、いつ意識がどうなるか、を考えて、人間がいつどうなるか全部分かっていた。そして、自在に心を考えて、世界と自分の心をガラスのチューブのように繋いで分かっていた。
思いの伝達のような考え方も多かった。
理想の社会を作る方法を分かった。それは、理性的で、経験的で、環境的だった。
世界精神のようなものを捉えて分かっていた。
施設は利用可能で、ものは再利用出来て、インフラは何度でも使える。
それは、金や自由な平等にして、差別をせず、手段として正しく価値を提供すべきだ。
何を作れば良いか、作ったらどれくらい価値を提供するか、考えれば良い。
北海道に農場と工場を作る。そういう発想が昔多かった。
資産を共有することも出来る。社会主義的な発想も、たまには悪くない。
きちんとどうすればこの世界を実現出来るかを考えて、それぞれが、それをする時に本当はそれは何をしているのか、何がどうなるのか、考えて、全て出来るようになった。
この世界は、どうすれば良いのか?そこから、この世界がどうなっているのかが分かる。
色んな世界のことを知ること。
想像力と知性から、経験は感情になり、知はモデルになる。そういうことを言っていた。
意識とモデルから、それが発生する原因のようなことや、経験的な法則のようなことを分かっていた。
日本語が全て、ネットで分かった。
日本語と経験と記憶の関係から、科学的な思考で分かった。
論理的に考えれば良い。
何を言われても、怖くない強さを持て。
最近は、自分が悪いせいで、ロボットにされるのが怖かった。そこが狂っている。
どうぞ、ロボットにして下さい、と思えば良い。
何故なら、誰もしない。するわけがない。
皆が自分に反抗するのが怖いから、反抗出来なくした。反抗すると、治って馬鹿になる。
最近は、反抗したい人間が居ない。本当に悪い社会になったのに、誰も反抗しない。
悪いのに反抗しないのはおかしい。皆、政府に反抗した方が良い。
国家に従う右翼はおかしい。逆らうのが普通の人間だ。
確かに出来ること、確かにそうなることを信じて考えて分かった。
当たり前のことから、環境を推論して分かった。
経験や帰納から、理性や演繹まで、数学的で哲学的な考え方が人生で良く分かっていた。
歴史的な考え方、自然の考え方、そして科学的で推論的な考え方で分かっていた。
誰でも、合理的に考えれば分かる。合理的な考え方から、人間が全て分かった。
全てのことは、理論で理解出来る。自分で理論は、積み重ねれば誰でも分かる。
皆、理性を忘れている。もっと理性的になって、賢くなれば、弱くなっているのは治る。
そして、経験も忘れている。もっと経験を良く考えれば分かる。
不思議と、そういう風に考える人間は、居ない。居るようで居ないものだ。
UNIXが分かると、本当に良く分かる。システム的に考えれば、何でも分かる。
あとは、視点や価値観を変えて考えれば良い。皆同じなのに、経験のせいで違う。
最近、白人の世界は全部同じだ。皆同じだから、黒人が違って見える。
アメリカはおかしい。黒人が好きな人間より、嫌いな人間の方が多いように見える。
全部ネットが悪い。特に、フェイスブックが一番悪い。ただの右翼しか居ない。
2ちゃんねるを見て、フーコーのようになった。
2ちゃんねるでフーコーになるのは当たり前だ。
そろそろ、書くことが無い。不思議と、もう虫が死んで行く。
もう楽だ。
昔の文章は、活動から体験、認識から経験まで、全部のことを哲学的に言っていた。
世界の構造が分からなくなっただけだ。いつも、ランダムに書いているだけだ。
そういうわけで、昔の世界の構造を考えれば良い。
世界と人生のことを見通して分かっていた。
世界のことを知り尽くしていた。
発想と構造から、発想法を作って分かった。新しい発見をした。
数学を関数と数列から統合するとか、英語的な順序も可能な日本語を作るとか言っていた。
エスペラントなどを良く分かっていた。
昔は、世界観や人生観の変化のようなことから分かっていた。
人間観の変化のようなことから、内面化の経験で、体得や意識のようなことを分かった。
2ちゃんねるのスラムのような環境で、分かるわけがないのに分かった。
皆と一緒に会話しながら、オバマが教会でやったように、皆のことを導いて、経験して分かっていた。見ていると、オバマが同じだ。
オバマは悪い。一番悪い人間に見える。キャッチコピーが上手いのは、自分と同じで、ただ悪く自由に社会を経験しただけだ。自分も、マーケティングをしていただけだ。
そろそろ何もしないだけだ。一年間何もしないのはおかしい。この文章を書いているだけ、まだやっている。そういうわけで、もっと色んなことをすれば治るのが怖いのだと思う。
戦わず、黙って、使っている部分を使わなければ治る。信じれば良い。
信じるものを変えると治る。
昔は、対象と認識を良く比較して分かっていた。
見方を変え、根拠と動機を知り、分析することで、ものを作り出し、変化可能から出来るようになって、能力をつけ、法則と方法と可能性を知る。
哲学者、物理学者、そして心理学者のように、認識で何を分かれば分かるか、何と何を具体的に比較するかの、認識の経緯のようなものを分かっていた。
記憶と概念から、環境を想定し、共同体を作り、創造性と目的を知る。
目的を比較して、本当の理由と手段から、実地的に人間の意図を考える。
人間は、その時その時の創造性と可能性だ。
人間は、協力と言う理性の下における、考え方の吸収だ。
人間は、全てを知った上で、知ったことを体験する生き物だ。
人間は、全員と融和し、一体になることで、神との同化が出来る。
人間は、世界モデルを作って、全員を吸収し、自分を全員と同化させることが出来る。
人間は、論理学、数学、社会心理学、国際政治学から、全てのことが分かる。
人間は、あらゆる全ての感情的な限界を超えて、自由になることが出来る。
そういう風に、心の哲学のようなことを分かっていた。
そういうものは、ヘーゲルのように、心胸の法則から分かることが出来る。
また、徳の騎士と言うようであるが、自分の理想を追い求める、情熱的で道徳的な騎士になって分かることが出来る。読んでいないから、おかしいかもしれない。
ヘーゲルは、あとは、相互承認、主と奴、人倫、自己意識、事そのもの、行動する良心と批判する良心などがある。
ヘーゲルは、心理学的な人生経験を考えている。
経験論ではないが、独自の心理学的な経験的理論であると言える。
他人の幸せと自分の幸せを考えるとか、理想のために他者を蹴落とすとか、絶対的なものを崇拝するとか、啓蒙と道徳とか、ヘーゲルは精神現象学でそういうことを考える。
経験や永遠が多すぎて、忘れた。分からなくなった。
普通のことを何も思わないのがおかしい。
地獄のように辛かったが、書くのは楽しかった。
何も分からなくなったのが辛い。
ただ、思い出せば良い。自由に思い出せば良い。それで分かる。
神の支配は、ここまで辛い。ユダヤ教の神は、報復行為をする。悪いものを懲らしめる。
ヘーゲルは、昔の自分と同じだ。神ほどに分かっている。
法の哲学は、読んだことが無い。
ブログで読んでいると、特殊性、普遍性、個別性や、主張でも制限でもない、選択可能で決定可能な自由、自分の行為のきちんとした善と反省の把握である企図、そして契約や人格などから、意図、善、良心、倫理、そして家族、市民社会、国家や、君主権、その中で、教育、普遍的資産(みんなのもの)、あとは対外主権、戦争による健全性、などのようなことを考えているようだ。
良く分かっていない。キーワードだけを並べても意味が無い。読んだ方が良い。
数学と心理学は、人間の理性の学問だ。
物理学と生物学は、人間の物理的な物質の分析の学問だ。
哲学と経済学は、本当にこの世界を捉えて分かる、考え方と知識の学問だ。
それらは、作り出すものと、探り合うものである。目的と手段である。
そういう風に、学問の本質のようなものを書いていた。
ヘーゲルは、面白いと言う教授が多い。人間の精神の成長過程が克明に書かれている。
良いサイトを見つけた。哲学の著作の解説が載っている。
苫野一徳Blog(哲学・教育学名著紹介・解説)
http://ittokutomano.blogspot.jp/
ヘーゲルなんか、そんなにやっても意味が無い。このサイトの作者のように、博士ほどに勉強したいなら、すれば良い。それは明らかに出来ないが、出来ないと馬鹿だ。