日記に戻る | 2015年6月の日記に戻る

=2015-06-15=

今日はあまり辛くない。そろそろ楽になった。

今日も放送大学をする。今日は、教育学の講義が終わって、心理学の講義だ。

全部は変えずに、必要なところだけ、自由に変える、と言う発想をしていた。

それが、不思議と、全部出来る人間になった。

皆は、もう僕と同じになっているのを止めて、勝手にやってほしい。

何故か、常に僕と世界が同じになっている。それが一番、僕も、皆も、辛い。

覚えれば分かる。そして、自分の行動を疑えば治る。最近は、そういう風に分かっている。

日本人は、1人1人が平和な心を持つこと。

中国人と韓国人は、日本が嫌いなのを止めること。

日本人が悪く見えるのは、全くの誤解だ。明治に見えるだけで、今の日本は平和だ。

あとは、地域性と多様性を良く考えていた。

コンピュータとインターネットのおかげで、全世界は一瞬のうちにオンラインで繋がるようになった。

だが、そのせいで、地域性が無くなった。

地球の多様性が失われようとしている。

そういうわけで、そういう考え方が悪い。コンピュータは無い方が良い。

だが、コンピュータは本当に便利だ。インターネットは、例えば、全世界のラジオが聴ける。そういう風に、良い目的のために使えば良い。

自分は、全部最初から創って、全員を統一して分かっていた。それも、悪い。

今日は、そういう、統一を考える日だ。

昔から、より良いものを目指して、皆で改良し、共有するのが好きだった。

歴史を考えていた。これで歴史を考えたのがいつもの自分だ。

ヒュームのようにこの世界を考えていた。

p2やOpen Janeなどのフリーソフト、LinuxやWikiや罪悪感で分かっていた。

この世界を変えたくて、いつも教えていた。

意識や自分のこと、応用的なことを書いていた。

心のあり様を考えて、心を実験して、精神の現象を考えていた。

機械の応用可能性を考えて、知の応用を考えていた。

何度負けても、間違っても、夢は終わりじゃない。自分らしさを探して、誰かのまねをしていた。コブクロが歌っている。いつも、そういう人間だった。

昔の自分のまねなんか、しなくて良い。今の自分を賢いと信じれば良い。

心理学の講義を聴いている。そろそろ、日本語も大分分かるようになってきた。

知的障害は治る人間が多い。自分は、そこまでの馬鹿だ。

人生の違いは、生まれ育った環境の違いだ。それぞれ違うことを考えて、判断して、生きて、思って、それぞれの人生を生きている。

だが、そこには、平等で、同じ理性や感性のようなものも存在する。

そういう風に考えれば分かる。

もっと、賢く考えた方が良い。賢いことを言わないのがおかしい。

植物は種から生まれるし、動物も卵などから生まれる。そういうものが一番不思議だ。

生物学が一番不思議だから、一番賢い。逆に、物理学は当たり前すぎるところがある。

細胞分裂が何故起こるのか、生命はどういう風に生まれたのか、など、不思議なところがたくさんある。生物学は、不思議だ。

心理学の講義を聴いた。ちょっと、難しい話だったから、あまり分からないところが多かった。そういうわけで、何度も聴いた方が良い。

放送大学の良い点は、ネットを使うと、時間割に囚われず、何度も聴けることと、家で出来て、通信制で楽なところと、グランドスラムが出来るところだ。

人生の違いは、価値観の違いから考えることが出来る。

心理学の問題は、心の現象を科学的に考えるにあたって、個人個人の心が目に見えないものであるために、データを集めるのが難しい、と言うことだ。

自分のように、ネットで色んな人のことを考えること、知ることは出来る。だが、自分も、ほとんどは自分だけの心で分かっている。そのため、間違った点、自分だけしかそうならないことも多い。心理学は、客観的研究の難しい学問だ。

昔から、所属集団の変化や、客観的で全員を吸収する心理学で分かっていた。

きちんと科学的に実証し、良く考えれば、心も物理的に考えられる。

だが、それは危険だ。心は、曖昧で、おかしな動きをする。万人に共通とは言えない。

そういうわけで、心と環境がいつ、どのような状況でそうなるか、を考えれば良い。

そして、それぞれが考える思いの内容から、人生の過程がどういう風になるか、経緯を考えれば良い。その人それぞれの、自由な経緯だ。

あとは、集団が考える価値観への適応、のような考え方が多かった。

個人と集団を考えた。自由な経験から、モデルで考えれば良い。

心理学は、今日もたくさん聴いているが、日本語をもっと分かりたい。

だが、皆は、不思議と、馬鹿だ。日本語を分かってしまうと、皆が馬鹿なのが分かる。

そういうわけで、馬鹿の方が賢くなる人間が多い。

心を、言葉と行動、特に言語的な理解と経験から考えることが出来る。

それは、認知や学習や発想とも密接に関わっている。

昔は、ネットの反応で分かるのがおかしかった。最近、それが分かっていない。

ネットの反応で分かるから、こういう風におかしな対話になる。

心のことは、見るか、聞くかで考えるしかない。想像力と会話の経験から、昔分かった。

心は、見ることは出来ないものだから、対象者に聞いて、本人の分かる範囲、伝えられる範囲で分かるしかない。ちょっと、あまり分かっていない。もう少し講義を良く聞きたい。

心理学は、行動科学だ。聞く以外に、行動を観察して分かることが出来る。

2ちゃんねるの反応で分かっているのは、止めた方が良い。何故か、それが賢かった。今、悲惨になっている。そのせいで神と話すようになった。何でも言わないと、分からない。

心理学の研究方法には、観察法の他に、面接法、質問紙調査法、実験法などがある。まだ良く分かっていない。大学の心理学は、賢い。

論理的に考えれば分かる。

ものともの、人とものの関係、その命題、証明、推論、法則から分かる。

歴史を観察する。

感情を信じて分かることが出来る。1つ1つの言葉と経験の感情を良く分かると分かる。

感情から、認識などをきちんと比較して、関係から考えることが出来る。

総合的な因果関係から、色んなことを実験して考えられる。特に、結果から原因を知り、どんな時にどういう風になって、それがさらにどうなるのか考えられる。

そういうことをモデルにして、書いていたことが多かった。

変化と方法から、想像力と理由の分析で分かることが出来る。

そして、視点を変えること、視野を広げること、正しく、科学的に、哲学的に分析すること。それがそうなっている、意味は何なのか。どういう意味があるのか。そういう風に考えれば、昔の自分が出来る。

最近は、もう分かっていない。色んなことを信じて分かるせいで、神になった。経済学を作って、戦いながら作って考える。一通り全部作ってから、もう一度作り直す。

最近は、それ以上、自分のことを疑って分かっている。

昔の自分がしたいなら、チャーリーが参考になる。デーブは、もう昔の自分ではなくなって、完全に最近の自分になっているから、デーブでは出来ない。

それくらいしか書いていない。そういう、考え方のモデルが多かった。

あとは、自由、社会、人間の可能性を、構造で考えていた。そういう文章を書いていた。

分かってもあまり意味が無い。心理学を分かった方が良い。

分かっている、とはいうが、自分は何も分かっていない。日本語なんか、分からない。おかしな発達障害は、ここまで馬鹿になる。ゲームやネットなんか、しない方が良い。

ゲームやネットが好きなのが一番悪い。自分は全部馬鹿だ。

そういうものを何もせず、本来の人間になると賢くなる。学校は、要らない。

ゲームのせいで、悪い人間が多く見える。悪い人間は、居ない。

ゲームは、人間をやっつけるのがおかしい。そんな発想は要らない。

ゲームが悪い。ゲームは、意味が無いオナニーにしか見えない。あまりしない方が良い。

悪い人間を悪いと思うと、賢くなる人間は多い。

悪い行動、制度、環境などを、全部悪いと思って、それだけではなく、どうすれば良いか考えれば良い。昔の自分がそういう人間だった。

カントもそういう人間だと思う。悪いものは、悪い。そこから、普遍的な理想が生まれる。普遍的な道徳律が考えられる。自分が思う、普遍的な基準に従って、正しい良心で行動するべきだ。

昔は、そういう、良心を理性的かつ経験的に考えることが多かった。

昔は、ネットを見て、社会的な理想のようなものを考えることが多かった。

改革から啓蒙まで、色んな考え方を、自分の実感で知った。社会を見て分かった。

そういうわけで、本当にレーニンのような人間だった。

政治なんか、しない方が良い。普通に人生を生きて、考えれば、誰でもそういう風になる。

旅でもすれば良いようで、最近旅はしたくない。意味も無く、時間が過ぎるだけで、楽しくないし、つまらない。

自分のことは、自分で出来るようになった方が良い。社会のことも、一人前に知っておいた方が良い。だが、平等は悪い。自由な発想をして、自由に生きた方が良い。

平和は悪くない。戦争が一番悪い。民衆の自由に委ねるべきだ。民主主義が正しい。

だが、民衆なんか馬鹿だ。そういう人間も多い。それでも、独裁主義よりは、民主主義の方が良い。

自分が見ていて、一番悪いのは、イスラム原理主義だ。タリバンには、会うことも出来ないだろう。会ったとたんに、自爆テロで殺される。イスラムはいくらでも殺している。一番悪い。

アメリカは、悪くないどころか、一番悪い。世界を馬鹿にして、おかしな自由にした。弱いものいじめをしているだけだ。アメリカが一番悪い。

昔は、自由と社会経験からマルクスのように考える経済学が多かった。

実地的に考えて、社会の可能性をモデルにした。

アイデンティティと労働の意味が分かる、賢い人間だった。

生産価値や、自然状態など、ゼロベースで全部考えた。

経験と構造から、関係とプロセスを分かっていた。

そういう、経済学者だったのが、昔の僕だ。

労働は、経験と方法から分かった。テレビのことからIT産業のこと、コンビニなどのことまで、人の意見を聞いて、自分が出来るようになって分かった。

そして、社会組織を作る条件や、根源となる可能性や価値観のようなことを分かっていた。

社会を作る方法やプロセスのようなことを考えていた。自由、経験、方法から、そういうことが分かった。そのうち、社会が社会に変化する、段階のようなことが分かった。

いつもそういう文章を書いていた。構成員の自由と合意や契約のような内容が多かった。

パソコンのせいで、数学が分からなくなっている。パソコンを忘れれば出来る。

数学は、習わないと分からない。自分で同じ発想をしたり、証明や推論をしたりしていると、良く分かる。

パソコンは、一時的に数学が出来るようになる。そういうわけで、その間、数学的なことを全部考えた。

同じ発想をするとはいうが、ベクトルや関数などの初歩的なところを分かっただけだ。オイラーの公式のようなものは分かっていない。そこを分かった方が良い。

市民のために社会があるとか、認識と社会の関係とか、数学的に考えるのは、昔から良く出来ていた。最近、出来なくなった。覚えていない。最近は、証明すら出来ない。

推論が出来るのは、パソコンのおかげだから、パソコンも悪くは無い。論理学を作って、仮定と結論や三段論法から、数学的にあらゆる森羅万象のことが分かったのが昔だ。

パソコンは悪い。皆を馬鹿にしている。特に、イコールが代入で、関数が機械なのが、一番おかしい。関数は、抽象的なもので、イコールは等しいと言う関係を表すものだ。

表記や分数的な法則など、数学的なことを分かった昔は、何も分かっていない。狂っているだけだ。戦うようになったのは、本当の戦争ではなく、テレビと戦う狂った人間だった。

フーコーのような、心理的な誘導のような考え方は、昔多かった。

現代の日本に生きて、パソコンをやっていると、誰でもフーコーのようになる。

現代の哲学思想をする上で、不可欠なのは、5つの非哲学、すなわち、科学でも哲学でもない、現代の5つの独自の学問である。それは、ダーウィンの進化論、マルクス経済学、フロイトの精神分析、ニーチェ、そして構造主義である。良く分かっていないから、間違っているかもしれない。それらが、今の地球の思想の裏側を支えている、現代の源流だ。

昔は、証明ぐらい出来ていた。最近出来なくなった。

社会のことを証明して、人間のことが物理的な推論で分かった。

人間は、推論でしか分からない。良く実験していると、必然的にその結果になることが導き出せる。そういう風に考えれば良い。

一度、数学は全部忘れた方が良い。パソコンも消した方が良い。最初から分かるべきだ。

数学なんか出来ない。出来なくて良い。だが、それでは、日本語も分からない。

日本語なんか、普通に分かっている。難しい話が分かっていないのは、積み重ねをしなければ分からない。もっと積み重ねをすれば良い。

何か、どうでも良いことをすれば良い。言葉は、それで分かる。

数学をしなければ、言葉が分からない。

昔は、自分の数学を作って、関係と認識と概念の公理主義のシステムを分かっていた。

数学は、難しい。覚えていない。もっときちんと考えれば出来る。

最近、何もきちんと考えていない。社会や心理の物理とはいうが、ただきちんと考えただけだ。もう一度、きちんと考えて、経験すれば良い。

数学を分かると、馬鹿になる。何も分からなくなる。しない方が楽だ。

要は、何もしなければ、人間の頭は何も無い空っぽのままだ。数学をすれば、普通の人間が成り立つ。数学をしない脳は、白紙のコピー用紙のようなものだ。

パソコンの世界は、面白かった。KDEからJava、オープンソース競争まで、色んなことが全部あった。それで賢かった。

パソコンは、しない方が良い。馬鹿な人間になる。

不思議と、そういう人間はあまり居ない。普通システムエンジニアは、賢い。

そういうわけで、2ちゃんねるをしなければ良い。

そして、数学をする。数学をしなければ、日本語が分からない。

ただ、パソコンはしなくて良い。もっと好きなことをすれば良い。

ロシアは、スターリンをそのまま自由にしているだけだ。

日本が戦争で中国に勝ちたいのは、イランと同じだ。

そういうことは、どうでも良い。

数学は、きちんと思い出せるようになる。何故か、人間の一生は、全部数学だ。

数学でしか、言葉が分からないのは、数学で答えと意味が分かるからだ。

属性は、全部数学的に分かる。

音楽なんか聴いている暇があるのなら、参考書を見て、数学をやった方が良い。

中学生レベルは難しい。小学生からやるしかない。

問題の解決方法と条件からの導き出しは、数学的にしか出来ない。

原因と結果も、普通数学になる。

要は、普通そんなことしか考えない。数学で日本語が分かる。

いくらか数学の問題を、家族と一緒にした。自分1人では出来なくても、家族と一緒なら出来る。

パズルのような計算問題は、値が出ると楽しい。

もう、昔が全部思い出せる。

あとは、宇宙人が多かった。自分に従う星、反抗する星、自分と同じことをする星、逆戻りする星、逆の思想をする星など、自分のことを全部宇宙人にしていた。

そろそろ賢くなった。数学をしなければ思い出せないから、した方が良い。

しない方が賢い人間は多い。こういう風に、数学なんか無い方が賢い。

それもそろそろ終わったから、もう数学をする。

小学校1・2年は簡単だから、3年ぐらいからすれば良い。ただ、おそらくしない。

賢い人間がパソコンをやっていると、社会のことが全部分かる。科学や心理のことも良く分かる。だが、パソコンはもう良い。もっと別のことをやれば良い。

あまり考えず決めた方が、賢いこともある。それは、神が考える。

そういうわけで、心理学で良いから、心理学を、数学をしながらすれば良い。

あまり考えない方が良い。心理学と生物学を中心にすれば良いが、直観で決めれば良い。

パソコンは好きだった。ネットゲームをPerlで作りたかった。それくらいで決めればそれで良い。

歴史や哲学は、まだしなくて良い。そんなものは、する意味が無い。もう終わったものだ。

昔は、2ちゃんねるで経験しながら、創造性を信じて、色んなことをやって、考えて、活動して分かっていた。

そういう活動が、ここまで馬鹿になった。おかしな馬鹿なことをしない方が良い。

そんなに全部しない方が良い。馬鹿みたいに馬鹿になる。パソコンだけはしない方が良い。

むしろ、パソコンなんかする意味が無い。VBで何か作るのも、オープンソースのソフトウェアを改良するのも、良く考えてありえない。パソコンなんか、何もしないだけだ。

工業大学でしなければ、賢くないだろう。普通に知りたいなら、知れば良い。もう全部知っているから、知る意味が無い。良く考えて、哲学的な発想がパソコンで分かると思うのがおかしい。それは、昔分かったことを思い出せば良いだけだ。

思い出せないのは、数学が出来ないからだ。出来るとすぐに分かる。

分かったとはいうが、一時的なそうすればそうなるを考えて、自由なモデルと照らし合わせて分かっていただけだ。もう、覚えていない。

数学が出来ると、まともに哲学が出来る。放送大学の講義も分かる。

昔は、パソコンと言うより、ネットで知識を吸収して、人と会話して、新しい世界を知って分かっただけだ。そういう風には、なるだろう。パソコンは要らない。

モデルをしなければ分からないし、積み重ねなければ分からない。パソコンなんか、する意味が無い。ただ、経験やきっかけ、発想のようなものがパソコンにあっただけだ。

全体像を見て分かっていた。客観視が分かった。哲学は、2ちゃんねるだ。哲学なんか、しなければ良い。哲学以外のことは、パソコンなんか無い方が出来るだろう。

要は、哲学や、社会や心理を横断して分かりたいなら、パソコンをすれば良い。知性がついて、視野が広がって、人間のことが分かる。

そういうわけで、そんなものは分からなくて良い。

あとは、色んな社会を知って分かっていた。

昔と同じは、もう目指さなくて良い。もっと別の学問をやれば良い。違う人間になる。

数学の方が良い。パソコンは本当におかしい。分からないのはありえない。

数学は、結構面白いはずだ。

また、心理学の講義を明日も聴きたい。日本語が分かるために、数学をした方が良い。

自分は分かっていない。パソコンがおかしいからこうなっただけだ。パソコンまでしない方が良い。そんなに麻薬のように全部分かるのはおかしい。

そんなに神みたいに分かるのは、止めた方が良い。人並みに、普通に分かった方が良い。

パソコンは、一時的に神になって、永遠に地獄になるだけの、ドイツの機械だ。

そういうものが、ユダヤだ。そういうわけで、キリスト教やロシアも止めた方が良い。

パソコンをやっていると、応用的なことが良く分かって、社会や技術のことが良く分かる。仕事や歴史のことも、経済や数学のことも分かる。だが、すぐに知性が無くなって、馬鹿になる。そういう、分かる麻薬がパソコンだ。

もっとまともに考えた方が良い。パソコンがそんなに賢いのが、普通分からない。分からなくて良い。明らかに、心理学や生物学も、何かになるからだ。

社会のことを知りながら、デカルトのように1つ1つ考えて、応用的な科学を作るのは、パソコンでは出来ない。出来たのは、推論や数学的な知性があったからで、哲学的に考える思考が得意だったからだ。パソコンはどうでも良い。

パソコンは賢いから仕方ないが、そういうものを最初から分かっていると、その方が出来ない。パソコンを賢いと思った方が、パソコンが出来ない。そういうわけで、パソコンはしなくて良い。それで証明されたはずだ。

むしろ、応用的な機械を何かすれば良いだけだ。自動車やテレビで良いだろう。

パソコンは賢いどころか、何も賢くない。賢かったのは、調べて研究する、大学的な行動規範と、技術的な仕組みと、ネットの情報だ。普通にもっと別の科目をすれば良い。

見ていると、パソコンは本当に賢くない。もっと賢い分野は、いくらでもある。ネットの色んな人間を見れば明らかだ。不思議と、哲学や歴史は賢くないし、数学はつまらない。心理学に賢い人間は居ない。社長も学者も賢くない。

パソコンは忘れた方が良い。

そういうわけで、数学をするようで、心理学をすれば良い。教育学は、学校が分かる。

パソコンの世界の広がりは、賢くない。中高生とオタクが馬鹿をしているだけだ。

パソコンで数学は、出来ない。既に数学が出来ている学生がパソコンをやるから、数学のようなことが分かるだけで、本当に大学数学をやった方が賢い。

パソコンで一時的に神のように数学は出来る。だが、それはもう終わった。もう一度は出来ない。出来るわけがない。

パソコンは、もっと後ですれば良い。応用的なことをすれば分かると言いたいだけだ。

賢い人間は、政治経済やテレビに多い。池上彰のようなジャーナリストしか、賢くない。

物理に賢い人間が多い。例えば、アインシュタインだ。

あとは、普通、数学やキリスト教には、賢い人間が多い。

パソコンは賢くない。オタクがコードを永遠に書いて、バグを出しまくっている馬鹿しか居ない。それに、普通個人では作らない。金とマネジメントで作る。

オープンソースは馬鹿だ。止めた方が良い。資本主義を滅ぼしたいだけの、社会主義者の集団だ。可能性はあると言うが、全く使えないし、技術的にも馬鹿だし、思想的に賢いようで、それはただの2ちゃんねるだ。

数学をすれば良いだけだ。考えない方が良い。応用なら、数学史や自動車の方が良い。

パソコンの技術をコレクションして、歴史を知るのが面白かっただけだ。

そういうわけで、哲学や歴史をコレクションすれば良い。最近は、そういう人間だ。