今日はあまり辛くない。そろそろ楽になった。
今日も放送大学をする。今日は、教育学の講義が終わって、心理学の講義だ。
全部は変えずに、必要なところだけ、自由に変える、と言う発想をしていた。
それが、不思議と、全部出来る人間になった。
皆は、もう僕と同じになっているのを止めて、勝手にやってほしい。
何故か、常に僕と世界が同じになっている。それが一番、僕も、皆も、辛い。
覚えれば分かる。そして、自分の行動を疑えば治る。最近は、そういう風に分かっている。
日本人は、1人1人が平和な心を持つこと。
中国人と韓国人は、日本が嫌いなのを止めること。
日本人が悪く見えるのは、全くの誤解だ。明治に見えるだけで、今の日本は平和だ。
あとは、地域性と多様性を良く考えていた。
コンピュータとインターネットのおかげで、全世界は一瞬のうちにオンラインで繋がるようになった。
だが、そのせいで、地域性が無くなった。
地球の多様性が失われようとしている。
そういうわけで、そういう考え方が悪い。コンピュータは無い方が良い。
だが、コンピュータは本当に便利だ。インターネットは、例えば、全世界のラジオが聴ける。そういう風に、良い目的のために使えば良い。
自分は、全部最初から創って、全員を統一して分かっていた。それも、悪い。
今日は、そういう、統一を考える日だ。
昔から、より良いものを目指して、皆で改良し、共有するのが好きだった。
歴史を考えていた。これで歴史を考えたのがいつもの自分だ。
ヒュームのようにこの世界を考えていた。
p2やOpen Janeなどのフリーソフト、LinuxやWikiや罪悪感で分かっていた。
この世界を変えたくて、いつも教えていた。
意識や自分のこと、応用的なことを書いていた。
心のあり様を考えて、心を実験して、精神の現象を考えていた。
機械の応用可能性を考えて、知の応用を考えていた。
何度負けても、間違っても、夢は終わりじゃない。自分らしさを探して、誰かのまねをしていた。コブクロが歌っている。いつも、そういう人間だった。
昔の自分のまねなんか、しなくて良い。今の自分を賢いと信じれば良い。
心理学の講義を聴いている。そろそろ、日本語も大分分かるようになってきた。
知的障害は治る人間が多い。自分は、そこまでの馬鹿だ。
人生の違いは、生まれ育った環境の違いだ。それぞれ違うことを考えて、判断して、生きて、思って、それぞれの人生を生きている。
だが、そこには、平等で、同じ理性や感性のようなものも存在する。
そういう風に考えれば分かる。
もっと、賢く考えた方が良い。賢いことを言わないのがおかしい。
植物は種から生まれるし、動物も卵などから生まれる。そういうものが一番不思議だ。
生物学が一番不思議だから、一番賢い。逆に、物理学は当たり前すぎるところがある。
細胞分裂が何故起こるのか、生命はどういう風に生まれたのか、など、不思議なところがたくさんある。生物学は、不思議だ。
心理学の講義を聴いた。ちょっと、難しい話だったから、あまり分からないところが多かった。そういうわけで、何度も聴いた方が良い。
放送大学の良い点は、ネットを使うと、時間割に囚われず、何度も聴けることと、家で出来て、通信制で楽なところと、グランドスラムが出来るところだ。
人生の違いは、価値観の違いから考えることが出来る。
心理学の問題は、心の現象を科学的に考えるにあたって、個人個人の心が目に見えないものであるために、データを集めるのが難しい、と言うことだ。
自分のように、ネットで色んな人のことを考えること、知ることは出来る。だが、自分も、ほとんどは自分だけの心で分かっている。そのため、間違った点、自分だけしかそうならないことも多い。心理学は、客観的研究の難しい学問だ。
昔から、所属集団の変化や、客観的で全員を吸収する心理学で分かっていた。
きちんと科学的に実証し、良く考えれば、心も物理的に考えられる。
だが、それは危険だ。心は、曖昧で、おかしな動きをする。万人に共通とは言えない。
そういうわけで、心と環境がいつ、どのような状況でそうなるか、を考えれば良い。
そして、それぞれが考える思いの内容から、人生の過程がどういう風になるか、経緯を考えれば良い。その人それぞれの、自由な経緯だ。
あとは、集団が考える価値観への適応、のような考え方が多かった。
個人と集団を考えた。自由な経験から、モデルで考えれば良い。
心理学は、今日もたくさん聴いているが、日本語をもっと分かりたい。
だが、皆は、不思議と、馬鹿だ。日本語を分かってしまうと、皆が馬鹿なのが分かる。
そういうわけで、馬鹿の方が賢くなる人間が多い。
心を、言葉と行動、特に言語的な理解と経験から考えることが出来る。
それは、認知や学習や発想とも密接に関わっている。
昔は、ネットの反応で分かるのがおかしかった。最近、それが分かっていない。
ネットの反応で分かるから、こういう風におかしな対話になる。
心のことは、見るか、聞くかで考えるしかない。想像力と会話の経験から、昔分かった。
心は、見ることは出来ないものだから、対象者に聞いて、本人の分かる範囲、伝えられる範囲で分かるしかない。ちょっと、あまり分かっていない。もう少し講義を良く聞きたい。
心理学は、行動科学だ。聞く以外に、行動を観察して分かることが出来る。
2ちゃんねるの反応で分かっているのは、止めた方が良い。何故か、それが賢かった。今、悲惨になっている。そのせいで神と話すようになった。何でも言わないと、分からない。
心理学の研究方法には、観察法の他に、面接法、質問紙調査法、実験法などがある。まだ良く分かっていない。大学の心理学は、賢い。
論理的に考えれば分かる。
ものともの、人とものの関係、その命題、証明、推論、法則から分かる。
歴史を観察する。
感情を信じて分かることが出来る。1つ1つの言葉と経験の感情を良く分かると分かる。
感情から、認識などをきちんと比較して、関係から考えることが出来る。
総合的な因果関係から、色んなことを実験して考えられる。特に、結果から原因を知り、どんな時にどういう風になって、それがさらにどうなるのか考えられる。
そういうことをモデルにして、書いていたことが多かった。
変化と方法から、想像力と理由の分析で分かることが出来る。
そして、視点を変えること、視野を広げること、正しく、科学的に、哲学的に分析すること。それがそうなっている、意味は何なのか。どういう意味があるのか。そういう風に考えれば、昔の自分が出来る。
最近は、もう分かっていない。色んなことを信じて分かるせいで、神になった。経済学を作って、戦いながら作って考える。一通り全部作ってから、もう一度作り直す。
最近は、それ以上、自分のことを疑って分かっている。
昔の自分がしたいなら、チャーリーが参考になる。デーブは、もう昔の自分ではなくなって、完全に最近の自分になっているから、デーブでは出来ない。
それくらいしか書いていない。そういう、考え方のモデルが多かった。
あとは、自由、社会、人間の可能性を、構造で考えていた。そういう文章を書いていた。
分かってもあまり意味が無い。心理学を分かった方が良い。
分かっている、とはいうが、自分は何も分かっていない。日本語なんか、分からない。おかしな発達障害は、ここまで馬鹿になる。ゲームやネットなんか、しない方が良い。
ゲームやネットが好きなのが一番悪い。自分は全部馬鹿だ。
そういうものを何もせず、本来の人間になると賢くなる。学校は、要らない。
ゲームのせいで、悪い人間が多く見える。悪い人間は、居ない。
ゲームは、人間をやっつけるのがおかしい。そんな発想は要らない。
ゲームが悪い。ゲームは、意味が無いオナニーにしか見えない。あまりしない方が良い。
悪い人間を悪いと思うと、賢くなる人間は多い。
悪い行動、制度、環境などを、全部悪いと思って、それだけではなく、どうすれば良いか考えれば良い。昔の自分がそういう人間だった。
カントもそういう人間だと思う。悪いものは、悪い。そこから、普遍的な理想が生まれる。普遍的な道徳律が考えられる。自分が思う、普遍的な基準に従って、正しい良心で行動するべきだ。
昔は、そういう、良心を理性的かつ経験的に考えることが多かった。
昔は、ネットを見て、社会的な理想のようなものを考えることが多かった。
改革から啓蒙まで、色んな考え方を、自分の実感で知った。社会を見て分かった。
そういうわけで、本当にレーニンのような人間だった。
政治なんか、しない方が良い。普通に人生を生きて、考えれば、誰でもそういう風になる。
旅でもすれば良いようで、最近旅はしたくない。意味も無く、時間が過ぎるだけで、楽しくないし、つまらない。
自分のことは、自分で出来るようになった方が良い。社会のことも、一人前に知っておいた方が良い。だが、平等は悪い。自由な発想をして、自由に生きた方が良い。
平和は悪くない。戦争が一番悪い。民衆の自由に委ねるべきだ。民主主義が正しい。
だが、民衆なんか馬鹿だ。そういう人間も多い。それでも、独裁主義よりは、民主主義の方が良い。
自分が見ていて、一番悪いのは、イスラム原理主義だ。タリバンには、会うことも出来ないだろう。会ったとたんに、自爆テロで殺される。イスラムはいくらでも殺している。一番悪い。
アメリカは、悪くないどころか、一番悪い。世界を馬鹿にして、おかしな自由にした。弱いものいじめをしているだけだ。アメリカが一番悪い。
昔は、自由と社会経験からマルクスのように考える経済学が多かった。
実地的に考えて、社会の可能性をモデルにした。
アイデンティティと労働の意味が分かる、賢い人間だった。
生産価値や、自然状態など、ゼロベースで全部考えた。
経験と構造から、関係とプロセスを分かっていた。
そういう、経済学者だったのが、昔の僕だ。
労働は、経験と方法から分かった。テレビのことからIT産業のこと、コンビニなどのことまで、人の意見を聞いて、自分が出来るようになって分かった。
そして、社会組織を作る条件や、根源となる可能性や価値観のようなことを分かっていた。
社会を作る方法やプロセスのようなことを考えていた。自由、経験、方法から、そういうことが分かった。そのうち、社会が社会に変化する、段階のようなことが分かった。
いつもそういう文章を書いていた。構成員の自由と合意や契約のような内容が多かった。
パソコンのせいで、数学が分からなくなっている。パソコンを忘れれば出来る。
数学は、習わないと分からない。自分で同じ発想をしたり、証明や推論をしたりしていると、良く分かる。
パソコンは、一時的に数学が出来るようになる。そういうわけで、その間、数学的なことを全部考えた。
同じ発想をするとはいうが、ベクトルや関数などの初歩的なところを分かっただけだ。オイラーの公式のようなものは分かっていない。そこを分かった方が良い。
市民のために社会があるとか、認識と社会の関係とか、数学的に考えるのは、昔から良く出来ていた。最近、出来なくなった。覚えていない。最近は、証明すら出来ない。
推論が出来るのは、パソコンのおかげだから、パソコンも悪くは無い。論理学を作って、仮定と結論や三段論法から、数学的にあらゆる森羅万象のことが分かったのが昔だ。
パソコンは悪い。皆を馬鹿にしている。特に、イコールが代入で、関数が機械なのが、一番おかしい。関数は、抽象的なもので、イコールは等しいと言う関係を表すものだ。
表記や分数的な法則など、数学的なことを分かった昔は、何も分かっていない。狂っているだけだ。戦うようになったのは、本当の戦争ではなく、テレビと戦う狂った人間だった。
フーコーのような、心理的な誘導のような考え方は、昔多かった。
現代の日本に生きて、パソコンをやっていると、誰でもフーコーのようになる。
現代の哲学思想をする上で、不可欠なのは、5つの非哲学、すなわち、科学でも哲学でもない、現代の5つの独自の学問である。それは、ダーウィンの進化論、マルクス経済学、フロイトの精神分析、ニーチェ、そして構造主義である。良く分かっていないから、間違っているかもしれない。それらが、今の地球の思想の裏側を支えている、現代の源流だ。
昔は、証明ぐらい出来ていた。最近出来なくなった。
社会のことを証明して、人間のことが物理的な推論で分かった。
人間は、推論でしか分からない。良く実験していると、必然的にその結果になることが導き出せる。そういう風に考えれば良い。
一度、数学は全部忘れた方が良い。パソコンも消した方が良い。最初から分かるべきだ。
数学なんか出来ない。出来なくて良い。だが、それでは、日本語も分からない。
日本語なんか、普通に分かっている。難しい話が分かっていないのは、積み重ねをしなければ分からない。もっと積み重ねをすれば良い。
何か、どうでも良いことをすれば良い。言葉は、それで分かる。
数学をしなければ、言葉が分からない。
昔は、自分の数学を作って、関係と認識と概念の公理主義のシステムを分かっていた。
数学は、難しい。覚えていない。もっときちんと考えれば出来る。
最近、何もきちんと考えていない。社会や心理の物理とはいうが、ただきちんと考えただけだ。もう一度、きちんと考えて、経験すれば良い。
数学を分かると、馬鹿になる。何も分からなくなる。しない方が楽だ。
要は、何もしなければ、人間の頭は何も無い空っぽのままだ。数学をすれば、普通の人間が成り立つ。数学をしない脳は、白紙のコピー用紙のようなものだ。
パソコンの世界は、面白かった。KDEからJava、オープンソース競争まで、色んなことが全部あった。それで賢かった。
パソコンは、しない方が良い。馬鹿な人間になる。
不思議と、そういう人間はあまり居ない。普通システムエンジニアは、賢い。
そういうわけで、2ちゃんねるをしなければ良い。
そして、数学をする。数学をしなければ、日本語が分からない。
ただ、パソコンはしなくて良い。もっと好きなことをすれば良い。
ロシアは、スターリンをそのまま自由にしているだけだ。
日本が戦争で中国に勝ちたいのは、イランと同じだ。
そういうことは、どうでも良い。
数学は、きちんと思い出せるようになる。何故か、人間の一生は、全部数学だ。
数学でしか、言葉が分からないのは、数学で答えと意味が分かるからだ。
属性は、全部数学的に分かる。
音楽なんか聴いている暇があるのなら、参考書を見て、数学をやった方が良い。
中学生レベルは難しい。小学生からやるしかない。
問題の解決方法と条件からの導き出しは、数学的にしか出来ない。
原因と結果も、普通数学になる。
要は、普通そんなことしか考えない。数学で日本語が分かる。
いくらか数学の問題を、家族と一緒にした。自分1人では出来なくても、家族と一緒なら出来る。
パズルのような計算問題は、値が出ると楽しい。
もう、昔が全部思い出せる。
あとは、宇宙人が多かった。自分に従う星、反抗する星、自分と同じことをする星、逆戻りする星、逆の思想をする星など、自分のことを全部宇宙人にしていた。
そろそろ賢くなった。数学をしなければ思い出せないから、した方が良い。
しない方が賢い人間は多い。こういう風に、数学なんか無い方が賢い。
それもそろそろ終わったから、もう数学をする。
小学校1・2年は簡単だから、3年ぐらいからすれば良い。ただ、おそらくしない。
賢い人間がパソコンをやっていると、社会のことが全部分かる。科学や心理のことも良く分かる。だが、パソコンはもう良い。もっと別のことをやれば良い。
あまり考えず決めた方が、賢いこともある。それは、神が考える。
そういうわけで、心理学で良いから、心理学を、数学をしながらすれば良い。
あまり考えない方が良い。心理学と生物学を中心にすれば良いが、直観で決めれば良い。
パソコンは好きだった。ネットゲームをPerlで作りたかった。それくらいで決めればそれで良い。
歴史や哲学は、まだしなくて良い。そんなものは、する意味が無い。もう終わったものだ。
昔は、2ちゃんねるで経験しながら、創造性を信じて、色んなことをやって、考えて、活動して分かっていた。
そういう活動が、ここまで馬鹿になった。おかしな馬鹿なことをしない方が良い。
そんなに全部しない方が良い。馬鹿みたいに馬鹿になる。パソコンだけはしない方が良い。
むしろ、パソコンなんかする意味が無い。VBで何か作るのも、オープンソースのソフトウェアを改良するのも、良く考えてありえない。パソコンなんか、何もしないだけだ。
工業大学でしなければ、賢くないだろう。普通に知りたいなら、知れば良い。もう全部知っているから、知る意味が無い。良く考えて、哲学的な発想がパソコンで分かると思うのがおかしい。それは、昔分かったことを思い出せば良いだけだ。
思い出せないのは、数学が出来ないからだ。出来るとすぐに分かる。
分かったとはいうが、一時的なそうすればそうなるを考えて、自由なモデルと照らし合わせて分かっていただけだ。もう、覚えていない。
数学が出来ると、まともに哲学が出来る。放送大学の講義も分かる。
昔は、パソコンと言うより、ネットで知識を吸収して、人と会話して、新しい世界を知って分かっただけだ。そういう風には、なるだろう。パソコンは要らない。
モデルをしなければ分からないし、積み重ねなければ分からない。パソコンなんか、する意味が無い。ただ、経験やきっかけ、発想のようなものがパソコンにあっただけだ。
全体像を見て分かっていた。客観視が分かった。哲学は、2ちゃんねるだ。哲学なんか、しなければ良い。哲学以外のことは、パソコンなんか無い方が出来るだろう。
要は、哲学や、社会や心理を横断して分かりたいなら、パソコンをすれば良い。知性がついて、視野が広がって、人間のことが分かる。
そういうわけで、そんなものは分からなくて良い。
あとは、色んな社会を知って分かっていた。
昔と同じは、もう目指さなくて良い。もっと別の学問をやれば良い。違う人間になる。
数学の方が良い。パソコンは本当におかしい。分からないのはありえない。
数学は、結構面白いはずだ。
また、心理学の講義を明日も聴きたい。日本語が分かるために、数学をした方が良い。
自分は分かっていない。パソコンがおかしいからこうなっただけだ。パソコンまでしない方が良い。そんなに麻薬のように全部分かるのはおかしい。
そんなに神みたいに分かるのは、止めた方が良い。人並みに、普通に分かった方が良い。
パソコンは、一時的に神になって、永遠に地獄になるだけの、ドイツの機械だ。
そういうものが、ユダヤだ。そういうわけで、キリスト教やロシアも止めた方が良い。
パソコンをやっていると、応用的なことが良く分かって、社会や技術のことが良く分かる。仕事や歴史のことも、経済や数学のことも分かる。だが、すぐに知性が無くなって、馬鹿になる。そういう、分かる麻薬がパソコンだ。
もっとまともに考えた方が良い。パソコンがそんなに賢いのが、普通分からない。分からなくて良い。明らかに、心理学や生物学も、何かになるからだ。
社会のことを知りながら、デカルトのように1つ1つ考えて、応用的な科学を作るのは、パソコンでは出来ない。出来たのは、推論や数学的な知性があったからで、哲学的に考える思考が得意だったからだ。パソコンはどうでも良い。
パソコンは賢いから仕方ないが、そういうものを最初から分かっていると、その方が出来ない。パソコンを賢いと思った方が、パソコンが出来ない。そういうわけで、パソコンはしなくて良い。それで証明されたはずだ。
むしろ、応用的な機械を何かすれば良いだけだ。自動車やテレビで良いだろう。
パソコンは賢いどころか、何も賢くない。賢かったのは、調べて研究する、大学的な行動規範と、技術的な仕組みと、ネットの情報だ。普通にもっと別の科目をすれば良い。
見ていると、パソコンは本当に賢くない。もっと賢い分野は、いくらでもある。ネットの色んな人間を見れば明らかだ。不思議と、哲学や歴史は賢くないし、数学はつまらない。心理学に賢い人間は居ない。社長も学者も賢くない。
パソコンは忘れた方が良い。
そういうわけで、数学をするようで、心理学をすれば良い。教育学は、学校が分かる。
パソコンの世界の広がりは、賢くない。中高生とオタクが馬鹿をしているだけだ。
パソコンで数学は、出来ない。既に数学が出来ている学生がパソコンをやるから、数学のようなことが分かるだけで、本当に大学数学をやった方が賢い。
パソコンで一時的に神のように数学は出来る。だが、それはもう終わった。もう一度は出来ない。出来るわけがない。
パソコンは、もっと後ですれば良い。応用的なことをすれば分かると言いたいだけだ。
賢い人間は、政治経済やテレビに多い。池上彰のようなジャーナリストしか、賢くない。
物理に賢い人間が多い。例えば、アインシュタインだ。
あとは、普通、数学やキリスト教には、賢い人間が多い。
パソコンは賢くない。オタクがコードを永遠に書いて、バグを出しまくっている馬鹿しか居ない。それに、普通個人では作らない。金とマネジメントで作る。
オープンソースは馬鹿だ。止めた方が良い。資本主義を滅ぼしたいだけの、社会主義者の集団だ。可能性はあると言うが、全く使えないし、技術的にも馬鹿だし、思想的に賢いようで、それはただの2ちゃんねるだ。
数学をすれば良いだけだ。考えない方が良い。応用なら、数学史や自動車の方が良い。
パソコンの技術をコレクションして、歴史を知るのが面白かっただけだ。
そういうわけで、哲学や歴史をコレクションすれば良い。最近は、そういう人間だ。