日記に戻る | 2015年6月の日記に戻る

=2015-06-11=

論理的に考えれば分かる。

そうなればそうなる。そう出来る。そうなるかもしれない。

例えば、ものは落ちる。理由は、重力があるからだ。

理由を考えることで、原理を導き出せる。昔は、それをモデルにしただけだ。

社会のことを考えて、希望を見出すことが出来る。

確かにそう出来る。変えられる。幸福に出来る。

そこから、本来の人間の理想の環境と社会、この世界の未来を考えられる。

昔は、絶望と極限状態から経験して分かっていた。

色んなものになって、信じて分かった。

自由になって分かった。束縛のある環境から、自由になって分かる。

自在に分かる。何でも、それから自由になって分かっていた。

昔の文章は、全部分かった文章を書いていた。あとで見ると分かる文章だった。

昔は、戦いの中で有利になって分かっていた。自由な人間だった。

あとは、状況や、宇宙の系のようなシステムを考えることが出来る。

統一して、論理的な体系のような哲学も、数学的に作ることが出来る。

論理的に考えること。状況を考えて、どのように出来るか、変えられるか考えること。

平和な世界を作るために、正しく条件とそれぞれがどうすべきか考えること。

自由とは本当はどういうことを言うのか、どのようにすれば自由なまま平和に改善出来るのか、考えること。

対象と認識の共通性と差異から、モデルにして、そのものを説明から考えられる。

ネットでの共感から、一体感を分かっていた。自然な体験で分かっていた。

まず、体験がある。人間は、自然な体験から意識を知る。

次に、環境がある。人間は、自分の手で環境を変えられる。

関係において、協力と組織がある。そこでは、価値観と可能性を高めることが出来る。

知覚において、観念と印象がある。人間は、ヒュームのように、経験的に世界を知る。

その上で、労働におけるアイデンティティと共同体の確立から、手段を考えられる。

そのような、人間の精神的、現実的、経験的な活動の様態のようなものを書いていた。

それくらいしか書いていない。そういう、哲学的な全体像のようなもの、人間像のようなものを、経験的かつ理性的に、自分の分かる全ての範囲で書きたかった。

人間とは何か?自分とは何か?この世界で、人間はどんなものになるか?

それは、書いているようで書いていない。そろそろ、昔を超えたように見える。

認識の現象学のようなものを書いていた。

認識の裏の理由を考えて、原因を知れば分かる。

認識の方法と言っていた。分かる方法を考えて、想像力を吸収すると言っていた。

頑張るのが辛いだけだ。頑張らないと、すぐに治る。

思いやりのような内容が多かった。思いやりと正しい理性から助け合いの社会が生まれると言っていた。いつも、そういう、臆病者の唱えている優しさのような内容が多かった。AAAが言っている。

あとは、正しい人間像みたいな内容が多かった。

もっと違うことを言った方が良い。いつもの文章なんか、分かっても意味が無い。

こういうおかしなユダヤ人をキリストが救う。それがキリスト教だ。

そういうわけで、一度間違ったことをして、分からなくなると、自分が出来る。

それが神を信じると、ここまで治る。あまり意味が無いが、それで出来る。

永遠に文章を書くのは悪くない。ダヴィンチと思えば良い。模写と思えば賢い。

そろそろ、ユダヤも終わりだ。

最近を良いとはいうが、おかしい。耐えて、耐えて、耐え抜いただけの、革命家だ。

キリストやブッダのような体験をした、と言えば分かる。

辛かった。そろそろ、自分だけ遅れているのを止めた方が良い。

日本のおかしい点は、良くすれば良くするほど、どんどん馬鹿になる。

あまり良くしない方が良い。良い社会があるのがおかしいから、馬鹿になる。

もっと悪い社会の方が良い。ただのニーチェの方が、頭が賢くなる。権力への意志だ。

間違ったことをしたとはいうが、皆を馬鹿にして心を傷つける革命戦争をしただけだ。

迷惑はかかっていないし、誰も死んでいない。本当の戦い、戦争のようなことをしたかったのだと思う。したくは無かったが、そういう、やるしかない戦いをしたかった。

必ず世界を元に戻すと信じていた。必ず解決するつもりだった。

やるべきことは全部やった。全部考えて、全部書いて教えた。神のような賢い人間になった。地獄の体験は、キリストのような、聖者の戦いだった。

昔は、視点と場の空想から、その人間の意識を分かっていた。

日本は、パクリから経済発展して良くなった、平和な頑張った国だ。

遺伝子で生命は違うとか、場所や時間とか、順序やパターンとか、普通のことを良く考えた、構造的な文章を書いていた。

知性と経験など、普通のことから人間のことを良く分かっていた。

もの、生命、宇宙、歴史の発生、構築、起源、創造、発展、などを考えていた。

僕は、この世界を導いた。

最近にはならなくて良い。だが、昔のまま、何もしないのは、見ていると辛い。

皆も、何か偉大なことをして欲しい。最近になる必要はない。偉大なことをすれば良い。

神は、それぞれの栄光を叶える。神を信じると、本当に賢い人間になる。

だが、僕は、神より物理の方が好きだ。自然な相対性の方が分かる。それもそれで、多かったのが、昔の自由な科学者だ。実験と推論と仮定から、科学者のように分かっていた。

日本が一番良い。まともで賢い国だ。

これがドイツになると、本当にここまでの馬鹿が多い。一番馬鹿な国がドイツだ。

あとは、組織と可能性のようなことを、成り立ちと構築と変化と言う視点から考えて、地球の全ての国家、社会、独立システム、法のようなものを創っていた。

科学は、全ての概念、宇宙におけるそれぞれの存在的な概念を考えていた。

何も賢くない。ただ、思い出しただけだ。

昔は賢かった。昔と言う時代の中で、創造性と憂国の中で、社会と人間を全部考えた。

ヘーゲルのような知性を、体験と思考の理性の中で実現した。

自分が好きだ。自分が一番賢い。

そろそろ、これを書くのは止めにする。2人をそのまま残す。

人間像、本性、歴史、科学的な考え方、分類、属性、のようなものを書いていた。

人間とは何なのかを、全部考えていた。

人文科学から自然科学、社会科学まで、全部の科学を作った。理性的な基礎を作り、想像力を作り、影響力を知り、そして文章を書いて、それらを創造した。

皆、それくらいを分かれば、神が対話するようになる。

かもしれない、もし、だがしかし、などの言葉を使って、色んな思弁哲学をすると良い。

哲学は、神の愛から生まれ、哲学的な命題を明確にし、理性を批判することから分かる。

歴史のような内容を、自分の経験から分かっていた。

平和とは、愛を信じることだ。それ以上は、その平和な愛のある世界を、どのように実現するか、どのように成り立たせられるか、のようなことを考えていた。

人生を考えていた。自分の人生にあったことを全部網羅した文章を書いた。

平等に支配して、全員に現象学的な自分の人生を教えた。自分を破壊しながら、永遠を記録して、脳と意識を高めた。

全員と関わる中で、全員と一緒の自由を知った。皆との自由から、全てが意識で分かった。

社会は、自然な平和から、可能性を経て、自由な愛の社会になる。

それを、もっと賢く言っていた。

それ以上は、一行を書き直す文章が多かった。

宇宙の歴史のようなものを全部書いていた。

皆が馬鹿になったのは、楽が悪い。

そんなに楽を望むのがおかしい。楽は、もう僕が止める。

賢さを望めば良い。そうすると、精神が良くなって、気分と意識が治る。

楽は、辛い。楽を望むと、何も考えなくても上手く行くようになって、辛くなる。

あとは、良い社会のパターンのようなものを考えていた。

支配された良い社会、それぞれが考える社会、自由な社会、全員で決める社会など。

それから、上が決める、下がそれぞれ決める、自由に決める、など。

それ以上は、あまりない。そろそろ賢くなった。この世界は、もう賢い世界になる。

自由から、創造性、考え方の変化、体験、システムの理解、社会の変化で分かった。

そろそろ、皆最後まで分かるのを止めた方が良い。

最後まで簡単に分かるせいで、馬鹿になった。何も出来ない世界になった。

皆、何も出来ない。多様性や正常が無い。全部同じになって、狂った。

そういうわけで、自分が悪いから、全員に最後まで全部分からせるのを止めた方が良い。

皆、最後まで何もしなくても分かるせいで、賢い人間が居ない。

考える意味が無い。そういう思想がドイツだ。ドイツは、そこまでの馬鹿な思想だ。

何もしないのに分かるのはおかしい。皆、もう、何も分からなくて良い。分からない方が、賢い世界になる。そういうわけで、ドイツみたいな馬鹿を倒した方が良い。

それで、何故か自分も賢くなる。皆、イチローが活躍していたような、賢い時代に戻る。

ジョブズのように、自力で賢い人間が多かった。最近、そういう賢い人間が居ない。

あとは、宇宙と人生を創っていた。

また、社会のようなものを、決めて、決めることで作っていた。

人間は、創造性、自由、組織、言語、協力、関係、人生、思考、感情から生まれること。

宇宙は、重力、細胞、力、言語、命、もの、エネルギーから生まれること。

人生は、創造性を知り、美を知り、実存性を知り、倫理性を知り、そして普通であること。

考え方から愛を知り、組織や社会を築くこと。

戦うこと。知ること。考えること。比較すること。感じること。信じること。

そして、想像力と変化から、色んなことを考えれば良い。

世界は、もう賢くなる。自分のような、全部分かる、同じ馬鹿を止めて、それぞれ違う、それぞれの個性と賢さのある、賢い社会になる。

日本は、これ以上、全てが分かって、発展するようになる。

最近発展しないのは、自分のせいだ。何も変わらないのに、あまりに全部変わる。何もしていないのに、全て繰り返す。日本は、そういう風に、右翼でおかしいだけだ。

あとは、発想を書いていた。数学から社会まで、発想を全部書いていた。

自由な可能性を開拓していた。

そして、世界を支配して、自由な環境を全部網羅していた。

あとは、このまま、世界を支配したままで、全てを終わらせるだけだ。

皆、想像力を高めること。

そして、沢山の経験をし、1つのことを続けること。

もう分からない。そろそろ全部書いたはずだ。

そろそろ、この文章は、もう書けない。ここまで全部決まっている。

情熱と思いやり、啓蒙思想、そして永遠が多かった。

それぞれのことを本当に思いやることから、正義のある正しい社会が生まれる。

構造的に、全部の発想をした。

自由から、デカルト的に、虫のように知性を作る。それが、全部の自由な発想になった。

そろそろ終わりだ。本当に、神の永遠によって、ここまでの長い文章を書けた。

あとは、宇宙を創造する、対話の神が多かった。

全員、自分の力で全て分かること。

全員、全てを経験すること。

全員、全ての人間のことを理解すること。

そういう風に、全員を創造する。そういう神だったのが、いつもの自分だ。

そのうち、フランスとドイツに分かれて、全員になったのが、神だ。

フランス人、ドイツ人とは、頭の中の、そういう皆のことを言っている。

一応自分のことを言っている。昔がフランス、今がドイツだ。

もう終わりだ。これ以上はどうでも良い。簡単に全て分かった。

フランス語やドイツ語がしたかったことが多かった。それでもすれば良い。

神は、そういう風に自分でフランスとドイツを教えた。そういう風に全てを知った。

自由な国、聡明な国、賢く考えない国がフランスだ。強い国、正しい国、全部考える国がドイツだ。フランスやドイツを知りたいように見えたから、神がそういう風に教えた。

そろそろ、昔を全部忘れる。消し去る。それで、きちんと新しいことをする。

楽になる。楽が辛いだけで、皆を辛くすると、自分が楽になる。

あとは、分析みたいな内容が多かった。

教育は、積み重ねと知識だけではなく、自分の行動や経験から知ることが出来るようにすべきだ。

ものは、発想と手段から生まれる。理解は、発想と経験から生まれる。

組織は、創造性を高めて、それぞれが出来ること、したいことのために、会社が協力し、グーグルのような自由な会社にすべきだ。

国や共同体のようなものを創っていた。

複合的な国家モデルを考えて、共同体の変転を追った。

会社は、それぞれの発想を実現しやすくするべきだ。

会社は、大きくなったり小さくなったりしながら、社会に適応し、変化するべきだ。

金は、平等だ。金を持つものになら、何にでも良くする。

そういう、左翼的な金の価値観は、悪くない。

最近、そこが右翼になってきている。無料にする代わり、強いものに従う。

最近は、そういう風に、金の左翼と、無料の右翼が多い。

そんなことを言っても意味が無いが、それくらいのことをいつも書いていた。

日本のことを考えていた。

オタクは悪い。チンピラも悪い。だが、本当に悪いのは、誰なのだろうか?

それぞれが未熟で、子供で、反抗するようになると、そういうものが悪い。

だが、自分は悪くない。おそらく、役所や学校、マイクロソフトやマスコミが悪い。

滅びた世界になった学校を直すためには、自由を止めて、平等にするしかない。

だが、子供の思っていることもくみ取るべきだ。子供は、本当に平等が嫌いなだけだ。そういうわけで、自由にした方が良くなることが多い。子供が見て、平等が悪い。何も出来ない。子供が見てロシアが良いから、そういう風になる。

ただ、社会を倒したいだけだ。

もっと、IT機器を悪いと思った方が良い。皆を廃人にしているだけだ。

その時点で意味が無いのが、現代だ。IT機器が普通になったせいで、もう滅びる。

そうでもない。ITは、結構、賢い点も多い。問題はそのうち解決するだろう。

あとは、社会をデータとして、吸収する、と言う発想が多かった。

それぞれの認識、想像力、判断力を吸収する。世界モデルを作る。

そして、社会の変化のようなものを考えていた。

社会が、自然な平和から、沢山の共同体になって、愛になるのを考えていた。

もうそろそろ、思い出すだけの文章はもう良い。

全部同じになっている。それをそろそろ止めた方が良い。

機械は、手順を知り、方法を共有し、意見と発想を出し、部品を組み立て、プログラムを書き、設計し、製造する。会社で、手段を実現し、必要なものを得て、知恵を生み出す。

そういう風に、もの作りから社会問題まで、色んなことを考えた。

また、言語や音楽や病院など、身近にあるものを、考え方から成り立たせていた。

そういうわけで、もう全部書けた。

そろそろ、これで全部と思えば分かる。

ものの歴史、と言う発想が多かった。会社の歴史、コンピュータ技術の歴史、地球の歴史、のように、歴史のことを良く分かっていた。その上で、方法と発想を知っていた。

歴史から発想を知る、と言う発想や、経験的に制度を作る、と言う発想が多かった。

自由な社会観を全部創った。皆の人格と精神のようなものを創って、全員を創造した。生命のパターン、地球の歴史のようなものを創った。それがそのまま神になった。

あとは、精神を増やして、自分を増やしていた。そういう発想が、昔だ。

精神から離れたり、近づいたり、脱出したり、融和したりして、精神を増やしていた。

それは、精神の現象のように、色んな物理的な考え方で、自分の中を捉えて分かった。

それをすれば良い。精神を考えて、自分を捉える。今から自分が出来るだろう。

あとは、全部網羅して、包括する文章が多かった。

自由な体験、認識、変化、独立から、組織の独立性のような社会的なこと、宇宙や生命の誕生のような自然のこと、実現方法と可能性のような一般的なことを捉えることが出来る。

そういう風に、全部網羅して、段階のようにして、包括する文章を書いていた。

考え方を考えていた。基盤と決まりのようなことから、作って使うなどのプロセスのようなもの、組織と協力による実現性や、自然における人間の関与などを考えた。

そして、歴史や時代を創っていた。それから、前提を網羅していた。

もう分からない。カメレオンのような文章だ。虫ではなく、爬虫類ぐらいになった。

そういう、生命のパターンのような文章は多かった。

何故か、脳を記録して、全てを決めるような文章が多かった。

あとは、自分の人生を教える平等な支配者のような発想が多かった。

それ以上は、チャーリーを見れば分かる。見ないのがおかしい。

そろそろ、終わりだと思う。

言葉遣いや、前置詞のような考え方を、経験や知性とともに書いていた。

もう分からない。

皆のことを想定して、社会や人生のことを全部創っていた。

自由や視点を成り立たせて、記憶や場面を捉えて分かっていた。

思考の科学を作っていた。

矛盾の中から、肯定と否定を知った。

科学的な考え方と、発想法を書いていた。

ありえない社会観、仮想世界を作って、ありえない世界を作った。

メタモデルの考え方を作った。

発想から本質まで、全ての関係と方法を書いた。

学習の経緯のようなものを創って、システムを築く方法を書いた。

時代から想像力における国家のような関係を書いた。

ヘーゲルやヒュームのような文章を書く。

潜在性や本質性、人間の本性と人間像、人格とペルソナのようなものを書いていた。

それぞれの自由を考えて、意見を成り立たせて、色んな意見を言った。

自由とは何なのか、から、書き直して、全ての思いやりのある社会を創った。

透明になる世界から、全ての性的な愛を創った。

それぞれのことを思いやって、支配する中で、全てのことを教えた。

神を信じて、自分を治した。永遠を最後まで経験した。

皆、何も間違っていない。それぞれの世界の中では、それぞれ正しいことをしている。

逆に言えば、全員正しくない。つまり、正しいと思っていても、正しくないことがある。

意識や記憶のような文章を書いていた。

記憶と概念と方法のような文章を書いていた。記憶から体験まで全部書く。

意識は、いつも書いている。この文章は、全部、意識で分かっている。

正しい人間は居ない。皆、それぞれ間違っている。自分をそんなに責めなくて良い。

自分が完璧に出来ないからと言って、嘆く必要はない。誰でも何も出来ないだけだ。

自分は悪くない。不完全な人間として、何かを頑張っていれば、それで正しい人間だ。

未来は、知らない方が自由だ。AAAが言う。そういう風に考えると、昔が出来る。

知っている、知らないから、自由を考える。そういうモデルが多かった。

何か知っていると、知らないよりは分かる。だが、自由では無くなる。

覚えなければ分からない。覚えて比較をきちんとすれば分かる。あとは、1つ1つのことを良く考えて、思い出して、照らし合わせれば分かる。正しく考えれば良い。

そうなった時、それは何を意味しているか、何故そうなるのか、必然的にどうなるのか、考えれば分かる。そのことが、どういうことを意味しているのかを考える。

そういう風にすれば、日本語の知性がつく。社会の全体像が分かって、問題を解決出来るようになる。システムも、構築出来て、1つ1つの知恵が何なのか分かるようになる。

そういう風にすれば、社会の有用性やチャンス、功利主義や平等、そして社会の変化の可能性や、手段や機会、本当の理由が分かるようになる。

そういうわけで、きちんと考えれば分かるのが、カントやヘーゲルだ。

そうなった時、それが何を意味しているのか、疑うと、正しいのか、間違っているのか考えていこう。人間の基本は、それを考えることだ。既に分かっている自分が馬鹿なだけだ。

自分しか、自分は存在しない。自分だけが自分だ。

あとは、社会を実現したかった。

色んな変化の可能性が分かって、自在に実現出来る人間になっていた。

良く考えれば分かる。最近、こういう風に分かる人間が多い。YouTubeを見ていると、本当に、こういう風に分かっている人間が多い。

思想は全て分かった。それだけの人間が自分だ。

最近の方が良い。昔なんか、思い出す意味が無い。

最近、何もしていない。毎日人生を創っている。結構、色々と、この文章を書くために全部の労力を費やしている。充実しているから、それで良い。

だが、疲れる。そんなに疲れるのがおかしいくらい疲れる。辛い。何も出来なくなった。

もっと普通のことをすれば良い。

姪を見ていると、結構、手のかからない、大人しい子供だ。

もっと色んなことをして、失敗から学べば良い。ダメモトで良い。

昔は実践のようなこと、主体性のようなことを分かっていた。