日記に戻る | 2015年6月の日記に戻る

=2015-06-16=

この文章を書くのを止めるのは、止めた方が良い。

止めるのを止める。自分に意味が無くなって、何もしなくなる。辛い。

心理学は出来ない。聴いても全く分からないのに、出来るわけがない。

文章も意味が無いが、大学も意味が無い。意味があるのは、自分の生きがいである、この文章だけだ。そういう風に、意味と思えば分かる。

ピアノや英会話は、意味が無い。意味が無いからしたくない。大学の心理学や数学は、意味が無いだけだ。

そういう意味が無い賢さは、昔多かった。基礎を作って、想像力や認識力を吸収していた。あれは、意味が無かった。

昔は、オブジェクト指向やAjaxやLispのリスト構造など、パソコンのことを良く分かっていた。

皆、何も出来ない。仕事や学校のせいで、何も出来ない人間が多い。分かるためには、社会から離脱する必要がある。それが哲学者だ。宗教家に多い。

きちんと教えたかった。自分の教えられる範囲で、遺伝子や次元などの考え方や発想を書いていた。そういう、教えたい、と言う欲求が多かった。

マルクスは、哲学は今まで世界を捉えるだけに終始してきたが、これからは哲学は世界を変えるべきだと言う。そういう発想が、自分にも多かった。

自由に想定して、皆に勝っていた。戦っていた。昔は、それで分かっただけだ。

世界に映った自分の姿から、客観視して分かっていた。

考え方や発想の網羅のようなものを書いていた。

可能性を知ること。発想すること。分析すること。考え方を変えること。

意味を考えると分かる。意味を考えると、知性がつく。

昔は、それがそうあることの、意味を考えて、比較して分かっていた。

カントとヘーゲルのどちらが正しくて、自分に合っているか?それ以上のことを比較して考えれば良い。

遺伝子や生活、意識や思い込みのことから、世界モデルを作って、意味を考える。

子供には、意味を考えさせると賢くなる。

大人は、意味を考えなくなる。自分もそうなった。最近、意味を考えていない。それで日本語が分かっていない。

算数は、小学校4年生からすれば良い。そうすると出来る。

平等は、皆それぞれが平等に出来るようにする。民衆が参加したりしながら、システムを皆で作って、民衆が出来るようにする。自分には、そういう発想が多かった。

自由は、自由に任せるだけだ。自由が一番悪い。階層が生まれて、格差が広がり、大多数の馬鹿がさらに馬鹿になって、賢い人間は支配者になって悪くなる。平等の方が良い。

意味を考えること。そして、変化を考えること。関係や裏側の構造を考えること。

意味とは、それがそうある時、それがどうなるかだ。良く考えると分かる。

書くのを止めないと言うが、そろそろ本当に止めにした方が良い。辛いのは、一番意味が無いからだ。

意味を考えて分かる人間が多い。平等で分かる人間が多い。皆に平等に、それぞれのための社会になるべきだし、大学や奴隷のような仕事には、意味が無い。もっと意味があるところを考えれば分かる。オープンソースにもピアノ教室にも、あまり意味は無い。

自由はおかしい。平等の方が良い。そういうわけで、これで社会主義につけば良い。

意味を比較すれば、分かる人間が多い。そういう人間が大人だ。

カントがどんな哲学で、ヘーゲルとどのように関係しているか、のように、賢く考えれば良い。最近、そういう賢さが失われている。そういう風に賢く考えれば良い。

大人は賢い。それは、何故なら、どうすれば自分が出来るのか、考えれば良い。ヘーゲルをするために、何が必要か考える。そういう風に考える大人が多い。

支配するのではなく、協力すれば良い。そういう風に、分からなくすると賢い。

おかしくは無い。支配と協力は違う。大人は、そういう人間が多い。

それこそ、雑談と議論は違うし、民主主義であっても、投票と議論と参加は違う。

そこが分かると、右脳がつく。そこを同じにすると、いつもの自分が出来る。

そういうものはおかしくは無い。真面目に、平等に、皆のために、格差や階層を作らなければ良い。分かる人間には分からない。誰でも分かるようで、それ以上は何も分からない。

昔は、そういう言葉の違いは良く分かっていた。それだけの人間だ。

最近は、そういう言葉を全部構造的に同じにして、マルクス経済学にしていた。

自分が一番賢い。もう終わりだ。もう分かることは無い。

支配は上から組織にすることで、協力はそれぞれが役割分担することだ。ほとんど同じだから、それで良い。同じ方が賢い。

昔は、支配が一番嫌いで、協力が一番好きだった。そういう人間も多い。

因果関係とか、依存関係とか、2つのものの間にある関係を考えると良く分かる。

昔は、そういう、考え方のようなものを良く考えただけだ。

それぞれが協力するとか、平等な組織を作るとか、システムを考えるとか、参加するとか、そういう考え方を分かっていた。

昔は、そういう馬鹿だ。最近も、そういうことを書いていたのが多かった。

人間を考えれば良い。経験から知を吸収し、皆と同じ、あるいは違う認識をする。

ヴィトゲンシュタインから見ても、哲学は意味が無い。ヴィトゲンシュタインは、哲学とは、哲学的な命題の明確化だと言っている。

哲学なんか、しない方が良い。心理学も数学も出来ない。もう何もしなければ良い。

哲学は、何かを体験しながら、人間の側を考えていると、誰でも出来る。

そろそろ、今日は寝る。もう終わりだ。そろそろ、楽だ。

理性をコントロールせよ。

社会の構造と構築を知れ。

出来るようになって、能力をつけよ。

ソ連の問題は、人間の心を考えなかったことだ。

手、足、のど、肺を殺せば良い。そういう部分が、やっていることになって、病気になる。

治る多重人格になる。分かる多重人格はもう良い。

昔は、良い人間で、賢かったが、何も言いたくないひきこもりの孤独な人間だった。

今の方が賢い。いくらでも分かる人間になった。

男は体を欲し、女は心を欲する。そういうものが、性だ。

理性は皆同じだ。自分が馬鹿なのは、自分が狂っているからで、皆は誰もが同じだ。

平等な方が良い。馬鹿な人間なんか、居ない。社会に適応出来なくても、人間は人間だ。

平等な社会主義が正しい。民主主義は、大衆に媚びることがある。

平等な方が、本当の自由になる。

だが、民主主義の方が良い点は多い。破綻しないし、賢いことが出来る。誰をも受け入れ、誰もが実現出来る。そういうわけで、僕は民主主義の方が好きだ。

自分は、能天気な女に見える。現実を見ても、文章を見てもそう見える。

子供に見える。そこまで若いように見える。そういうわけで、これで良い。

あまり考えない方が良い。考えると辛い。もう止めれば良いだけだ。

右翼は悪くない。左翼も悪くない。ファシズムを悪いとは言うが、あまり悪くない。

昔の引きこもりが男だ。

昔は、戦って、議論して、仕事をして、研究して、考える、賢い男だった。

今のところ、女の自分は普通だ。ただの普通に見える。文章を書いて、勉強する。大学にこういう馬鹿が多い。ただの右翼だ。一番悪い女だ。

だが、どちらも本当に良い人間だ。自分が好きだったものを、好きだと言いたいだけだ。

何も悪くない。右翼を止めて左翼に戻って、普通の自由を愛していれば良い。

全て良かった。自分の人生に満足している。

そういうわけで、そのままカップル成立だから、それでゲームオーバーだ。

ハッピーエンドだ。全てのことを知りたかった。全てのことを経験したかった。

賢い人間、まともな人間、楽な人間になりたかった。自分が一番普通だ。

男には、経験が多かった。楽で、賢かった。

女はそこまでの馬鹿だ。ただ悪いだけで、地獄のように辛い。

男は哲学者で、女は作家だった。男はプログラマで、女はキリスト教徒だった。

男は革命家で、女は理論家だった。男は聡明で、女は律儀だった。

男は情熱家で、女は完璧主義者だった。男は優しくて、女はタフだった。

どちらも、祈ることや信じることが好きで、自由な平等が好きだった。

そして、どちらも、全てのことをまんべんなく考える人間だった。

男は皆とともに生きて、女は1人で考えた。

カップルの名前は、ロイとマーガレットだ。二人の子供がアリスだ。

もう分からない。もう書かなくて良い。今日は、寝た方が良い。

農園が辛い。農園に行くと、いつも辛くなる。だが、行った方が良い。引きこもりが治る。