この文章を書くのを止めるのは、止めた方が良い。
止めるのを止める。自分に意味が無くなって、何もしなくなる。辛い。
心理学は出来ない。聴いても全く分からないのに、出来るわけがない。
文章も意味が無いが、大学も意味が無い。意味があるのは、自分の生きがいである、この文章だけだ。そういう風に、意味と思えば分かる。
ピアノや英会話は、意味が無い。意味が無いからしたくない。大学の心理学や数学は、意味が無いだけだ。
そういう意味が無い賢さは、昔多かった。基礎を作って、想像力や認識力を吸収していた。あれは、意味が無かった。
昔は、オブジェクト指向やAjaxやLispのリスト構造など、パソコンのことを良く分かっていた。
皆、何も出来ない。仕事や学校のせいで、何も出来ない人間が多い。分かるためには、社会から離脱する必要がある。それが哲学者だ。宗教家に多い。
きちんと教えたかった。自分の教えられる範囲で、遺伝子や次元などの考え方や発想を書いていた。そういう、教えたい、と言う欲求が多かった。
マルクスは、哲学は今まで世界を捉えるだけに終始してきたが、これからは哲学は世界を変えるべきだと言う。そういう発想が、自分にも多かった。
自由に想定して、皆に勝っていた。戦っていた。昔は、それで分かっただけだ。
世界に映った自分の姿から、客観視して分かっていた。
考え方や発想の網羅のようなものを書いていた。
可能性を知ること。発想すること。分析すること。考え方を変えること。
意味を考えると分かる。意味を考えると、知性がつく。
昔は、それがそうあることの、意味を考えて、比較して分かっていた。
カントとヘーゲルのどちらが正しくて、自分に合っているか?それ以上のことを比較して考えれば良い。
遺伝子や生活、意識や思い込みのことから、世界モデルを作って、意味を考える。
子供には、意味を考えさせると賢くなる。
大人は、意味を考えなくなる。自分もそうなった。最近、意味を考えていない。それで日本語が分かっていない。
算数は、小学校4年生からすれば良い。そうすると出来る。
平等は、皆それぞれが平等に出来るようにする。民衆が参加したりしながら、システムを皆で作って、民衆が出来るようにする。自分には、そういう発想が多かった。
自由は、自由に任せるだけだ。自由が一番悪い。階層が生まれて、格差が広がり、大多数の馬鹿がさらに馬鹿になって、賢い人間は支配者になって悪くなる。平等の方が良い。
意味を考えること。そして、変化を考えること。関係や裏側の構造を考えること。
意味とは、それがそうある時、それがどうなるかだ。良く考えると分かる。
書くのを止めないと言うが、そろそろ本当に止めにした方が良い。辛いのは、一番意味が無いからだ。
意味を考えて分かる人間が多い。平等で分かる人間が多い。皆に平等に、それぞれのための社会になるべきだし、大学や奴隷のような仕事には、意味が無い。もっと意味があるところを考えれば分かる。オープンソースにもピアノ教室にも、あまり意味は無い。
自由はおかしい。平等の方が良い。そういうわけで、これで社会主義につけば良い。
意味を比較すれば、分かる人間が多い。そういう人間が大人だ。
カントがどんな哲学で、ヘーゲルとどのように関係しているか、のように、賢く考えれば良い。最近、そういう賢さが失われている。そういう風に賢く考えれば良い。
大人は賢い。それは、何故なら、どうすれば自分が出来るのか、考えれば良い。ヘーゲルをするために、何が必要か考える。そういう風に考える大人が多い。
支配するのではなく、協力すれば良い。そういう風に、分からなくすると賢い。
おかしくは無い。支配と協力は違う。大人は、そういう人間が多い。
それこそ、雑談と議論は違うし、民主主義であっても、投票と議論と参加は違う。
そこが分かると、右脳がつく。そこを同じにすると、いつもの自分が出来る。
そういうものはおかしくは無い。真面目に、平等に、皆のために、格差や階層を作らなければ良い。分かる人間には分からない。誰でも分かるようで、それ以上は何も分からない。
昔は、そういう言葉の違いは良く分かっていた。それだけの人間だ。
最近は、そういう言葉を全部構造的に同じにして、マルクス経済学にしていた。
自分が一番賢い。もう終わりだ。もう分かることは無い。
支配は上から組織にすることで、協力はそれぞれが役割分担することだ。ほとんど同じだから、それで良い。同じ方が賢い。
昔は、支配が一番嫌いで、協力が一番好きだった。そういう人間も多い。
因果関係とか、依存関係とか、2つのものの間にある関係を考えると良く分かる。
昔は、そういう、考え方のようなものを良く考えただけだ。
それぞれが協力するとか、平等な組織を作るとか、システムを考えるとか、参加するとか、そういう考え方を分かっていた。
昔は、そういう馬鹿だ。最近も、そういうことを書いていたのが多かった。
人間を考えれば良い。経験から知を吸収し、皆と同じ、あるいは違う認識をする。
ヴィトゲンシュタインから見ても、哲学は意味が無い。ヴィトゲンシュタインは、哲学とは、哲学的な命題の明確化だと言っている。
哲学なんか、しない方が良い。心理学も数学も出来ない。もう何もしなければ良い。
哲学は、何かを体験しながら、人間の側を考えていると、誰でも出来る。
そろそろ、今日は寝る。もう終わりだ。そろそろ、楽だ。
理性をコントロールせよ。
社会の構造と構築を知れ。
出来るようになって、能力をつけよ。
ソ連の問題は、人間の心を考えなかったことだ。
手、足、のど、肺を殺せば良い。そういう部分が、やっていることになって、病気になる。
治る多重人格になる。分かる多重人格はもう良い。
昔は、良い人間で、賢かったが、何も言いたくないひきこもりの孤独な人間だった。
今の方が賢い。いくらでも分かる人間になった。
男は体を欲し、女は心を欲する。そういうものが、性だ。
理性は皆同じだ。自分が馬鹿なのは、自分が狂っているからで、皆は誰もが同じだ。
平等な方が良い。馬鹿な人間なんか、居ない。社会に適応出来なくても、人間は人間だ。
平等な社会主義が正しい。民主主義は、大衆に媚びることがある。
平等な方が、本当の自由になる。
だが、民主主義の方が良い点は多い。破綻しないし、賢いことが出来る。誰をも受け入れ、誰もが実現出来る。そういうわけで、僕は民主主義の方が好きだ。
自分は、能天気な女に見える。現実を見ても、文章を見てもそう見える。
子供に見える。そこまで若いように見える。そういうわけで、これで良い。
あまり考えない方が良い。考えると辛い。もう止めれば良いだけだ。
右翼は悪くない。左翼も悪くない。ファシズムを悪いとは言うが、あまり悪くない。
昔の引きこもりが男だ。
昔は、戦って、議論して、仕事をして、研究して、考える、賢い男だった。
今のところ、女の自分は普通だ。ただの普通に見える。文章を書いて、勉強する。大学にこういう馬鹿が多い。ただの右翼だ。一番悪い女だ。
だが、どちらも本当に良い人間だ。自分が好きだったものを、好きだと言いたいだけだ。
何も悪くない。右翼を止めて左翼に戻って、普通の自由を愛していれば良い。
全て良かった。自分の人生に満足している。
そういうわけで、そのままカップル成立だから、それでゲームオーバーだ。
ハッピーエンドだ。全てのことを知りたかった。全てのことを経験したかった。
賢い人間、まともな人間、楽な人間になりたかった。自分が一番普通だ。
男には、経験が多かった。楽で、賢かった。
女はそこまでの馬鹿だ。ただ悪いだけで、地獄のように辛い。
男は哲学者で、女は作家だった。男はプログラマで、女はキリスト教徒だった。
男は革命家で、女は理論家だった。男は聡明で、女は律儀だった。
男は情熱家で、女は完璧主義者だった。男は優しくて、女はタフだった。
どちらも、祈ることや信じることが好きで、自由な平等が好きだった。
そして、どちらも、全てのことをまんべんなく考える人間だった。
男は皆とともに生きて、女は1人で考えた。
カップルの名前は、ロイとマーガレットだ。二人の子供がアリスだ。
もう分からない。もう書かなくて良い。今日は、寝た方が良い。
農園が辛い。農園に行くと、いつも辛くなる。だが、行った方が良い。引きこもりが治る。