カントやヒュームのような内容を書いていた。
知覚から経験が分かるのを全部書いていた。
価値観と経験と経緯を書いて、段階を網羅していた。
カントのように考えれば分かる。
認識は、経験に基づく。
分かっているようで、分かっていないことが多い。純粋理性は間違っている。
それは本当は何で、何故そうなるのか、考えれば分かる。
それは何なのか、定義しなければ分からない。
人間が作ったものなのか、自然なものなのか、がポイントだ。
そういうわけで、哲学は、分からない人間の方が出来る。
因果性は人間の側にあるか、などを考える。良く考えると、そういう風に分かる。
哲学は、誰でも出来る学問だ。
ものがそこにあることは、何かしら意味がある。
あとは、たとえ話で分かっていた。
自由は、意志と権利と許可を考える。捉えて、相手の立場になれば分かる。
それで、そろそろ、もうすべて分かったことを書いた。
主体性とものの支配を考えると良く分かる。生命は、自分を自分で支配する。
あとは、認識の方法や、客観的な対象化で良く分かる。
社会の制度や構造は、市民である全員のためのものであるべきだ。
あとは、習慣や、環境の違いから分かっていた。
脳の右は続いて、左は終わる。上は頑張って、下は分かっている。そして、真ん中に邪な感情がある。これを消すと、治る。自分と世界が平和になる。
人間には、潜在的な可能性がある。それを知ると良く分かる。
自由とは、支配されないことであり、自由に支配出来ることだ。
昔は、良い心理の誘導が分かっていた。社会を構築出来る人間だった。
価値観を比較して、能動的に分かっていた。
知恵と工夫、人間の認識を吸収して、普通のことが全部分かっていた。
脳は、忘れれば休める。もう辛くない。
最近、忘れない代わり、辛くなった。
人間は、他の人間の現実を吸収して生きている。
ものは誰かが作った。ネットは誰かが言った。
普通、すぐに忘れて、馬鹿になる。忘れないと、辛くなる。忘れた方が良い。
昔は、本当に良い人間だった。善悪の分かる人間だった。
仮想世界を作っていた。本質を全て分かった。
神やスターリンなどと対話した。神は色んなものに替わる。
社会主義の経済学を作った。社会所有で、町は美しくなる、とした。
菩薩のように、戦わない戦いをした。何も悪くは無かったが、おかしな人間だった。
聖なる人間のように、相手を倒さない。許して、導いていた。
本当に色んなことが多かった。絆や友情、信仰や戦いが多かった。