日記に戻る | 2015年4月の日記に戻る

=2015-04-12=

体験的に認識が分かっていた。

体験や経験から、認識、記憶、概念が分かった。

経験から他の人間が分かった。

そういう風に、経験から全て分かっていた。

デカルトは演繹、ベーコンは帰納と言うが、そういう風に分かっていた。

記憶だけにすると、昔や哲学が出来る。

心を想定して、論理的に考えて分かっていた。

決まりを自由に決めていた。決まりを全部考えていた。

周りを作って、中を分かる。それだけの構造をいつもしている。

把握して分かっていた。

理想は、中国だ。平等になって、豊かになるのが、理想だ。

自由は間違っている。従いたい人間の方が多い。

国王が国や町を所有するのが悪い。社会主義は、そういう発想をしている。民主主義の方が、正しい。代表にすれば良い。

平等の賢い点は、資産ではない、人権や権利の平等だ。

ヨーロッパの王朝、と言う本と、ドイツ古典哲学、と言う本を買った。

ヨーロッパは、そろそろ分かった。殆ど分かっているから、王朝を適当に見れば分かる。写真の多い、良い本だ。ドイツやオーストリアなど、中世や絶対主義などの時代の王朝と王が書いてある。

ドイツ哲学の本は、難しい。分からないと思う。これで哲学は、出来ない。

哲学は、難しい。ソフィーや入門の本は、易しかった。難しいから、出来ないだろう。

ヨーロッパの文化は、放送大学の本で分かる。農村、都市、修道院や教会など、色んなことが書いてある。科学者や宗教の項目も多い。単純な歴史ではない、ヨーロッパのことが書いてある。線を引けば出来る。

あとは、歴史をやりたいなら、ヨーロッパではなく、中国やイスラムのこともやりたい。世界中全部やるのが良い。まずは、日本とヨーロッパからだ。

文学の才能があるように見えるから、文学をした方が良い。哲学は、もう終わった。さらにやるのは、難しいし、意味が無い。特に、歴史がしたい。本気でやれば良い。

入門とは、白取さんの本だ。白取とゴルデルが一番易しい哲学だ。

あとは、自由ぐらいを書いていない。共存して、それぞれが決めるのが自由だ。

あとは、国が多かった。フランス人とドイツ人だ。どちらも、賢くて、逆なだけだ。もう、そういう内容は要らない。

自分は賢い。きちんと歴史が分かっている。あとは、歴史をする。経済は、それできちんと出来る。日本史の本を買った方が良い。

悪いとは言うが、人種が多かった。フランス人から、ドイツ人、アメリカ人、日本人、ロシア人、イタリア人、と発展する。それぞれ、フランスは小学生、ドイツは中学生、アメリカは高校生、日本は大学生、ロシアは大人、イタリアはキリスト教徒、となる。ただ、そういうことを言うのが一番悪いと思う。

僕は、左翼が好きだ。右翼は嫌いになった。人種差別は一番悪い。

ドイツは、本当の自由だ。戦うだけだ。フランスは、平等な自由だ。アメリカは、正しい自由だ。ロシアは、本当の平等だ。日本は、正しい平等だ。

僕は、共産党に投票する。アメリカは、嫌いだし、右翼は一番嫌いだ。

あとは、考え方を書いていた。

何かを応用して作る、知を共有して集める、再利用して改良する、見方を変える、構成要素の元素として構造体を作る、融和する、分裂する、自然に増えて進化する、教える、与える、皆で決める、皆のための社会を作る、などが多かった。

応用とは、インフラや基盤のことを言っていた。電気を機械の応用だと言っていた。

考え方を変える、社会に適用する、と言って、プロセスや契約を考えていた。

全ての現象を自然に発生すると言って、科学を関係と構造であると言っていた。

それくらいが、昔だ。そろそろ、全部書いた。工夫と知恵から、共生や学習を考えていた。構造的に世界を把握して、全てのモデル的な説明を書いていた。分析哲学だった。

哲学は、もうしない。文学も、もう終わった。歴史だけをするとはいうが、もうそろそろ、王朝を覚えて終わりだ。もっと違う、全く違うことをしたい。数学や生物学が良いと思う。

あとは、共有から可能性と言って、自然な共同体の変転を書いていた。それくらいの理論を、可能性と考え方と段階と構造、組織と共同体から、言葉で作っていた。

おかしな哲学だった。

あとは、数学をすれば分かる。数学をしないのがおかしい。

数学的に考えれば、いつもの文章は書ける。どこか、英語的で、論理的で、把握的だった。

全ては、仮定、比較、理解、習得、知性、方法、システムだ。

全ては、機械、生命、社会と心の構造だ。

全てを知って、作って、知り尽くして、集めて、協力して、発展させて、共有する。

全ては、構築、習得、理解、理論、考え方、方法だ。

そのように、知性で分かるところを全部分かって、全部の知性と段階を書いていた。

そういう数学だった。数学をした方が良い。

どこか、定理や定義から説明や証明まで、数学的な公理主義のような、認知的な数学を作っていた。

また、科学的な世界観を独自に作っていた。全ては、次元と構造における、言語的な限界と把握と段階の創造だ。

そのように、数学的で、哲学的で、科学的で、分析可能な理論を作っていた。

自由とは、数学的かつ創造的に考え、積み重ね、モデルにすることだ。

発明とは、構造と方法の創造と発見だ。

制度とは、合意に基づく社会の経験と進歩だ。

数学とは、変化の発見と計算可能な定式化だ。

もの作りとは、予想し、応用し、知性を使って、構造的で再利用可能な設計図を作り、手段によって実現し、方法化することだ。

組織とは、人間を集めて、役割分担し、考え方と実行方法の通り、支配することだ。

そのように、数学的に知性で考えて、文章を書いていた。

そろそろ、数学が出来る。そういうわけで、学校を全部やっているだけだ。

情報、戦争、宗教、経済、文学、歴史、哲学をした。そろそろ、数学をする。

社会は、生態系であり、コンピュータは、電子的で変化可能な自動生物だ。

芸術は、心の表現であり、エネルギーは、観測だ。

そういうことを言う。あとは、科学的な世界観を全部書いていた。

物理は、エネルギーの観察の方法だ。

昔は、何度も同じことを繰り返し経験して、何度もやり直して分かっていた。

ニュースからコンピュータとビジネスの世界が分かった。

歴史的に意識と場を分かった。

全てが自分のためにあることを、実感で分かっていた。

そういう、何でもやり直す、数学と情報の大学だった。

証明して、解決して、何度も同じことを考えて、試して、世界と対話して、経験した。

自由だった。本当に、自由に出来ることを積み重ねて、反省して、全て分かっていた。

生命は、仏だ。生きる力こそ、仏の力だ。

生命は、精神と肉体だ。有機物と無機物の融和だ。

全ては、人間の一部であり、個人の限界は、無い。

人間は、どこまでも可能性を開拓する。

いつか、宇宙も作り変える。

宇宙は、どこでも同じ、という保証はない。どこからか、法則が変わるかもしれない。

人間は、神が創った。だが、神は、宇宙人のようなものだ。

神は、人間で無い。キリスト教も、間違ってはいないが、正しいのはイスラム教やユダヤ教だ。人間の神ではおかしい。宇宙の神が、きちんと宇宙を創造した。

宇宙観の歴史を考えると、物理も間違っている。いつか、新しい世界観が訪れるだろう。

そのように、科学的かつ宗教的に、考え方を考えれば、正しい法則と世界観が見えて来る。

自由は、科学だ。科学こそ、自由の全てだ。

ルネサンスや啓蒙主義のように、理性を用いて、自由な人間的な市民になることが、これからの現代の価値観の復活である。

現代の問題は、ロボット社会になった。ファシズムも改善主義も終わって、意味のない自由になっている。だが、オタクはもう終わった。皆、大人になるだろう。

生命には、「生きている」という概念がある。宇宙では、全く違う生命の形態が考えられる。

社会の変化の可能性と、皆の考えていること、解決可能な手段が、全部分かっていた。そういう、憂国の政治家だった。

あとは、科学を自分の力で、隅々まで全部作っていた。

数学は、比であり、表記であり、応用であり、発明である。

それ以上は、人間の解決方法を分かっていた。社会を解決する、レーニンのような人間だった。ネットと現状分析と経験で全て分かっていた。

復活して、1つ1つ修復して、時間を巻き戻せば治る。

自分と社会の変化を全部書いていた。

そうなるように、意図して作ればそうなる。社会を変えられる。

そのように、意図や作用を詳細まで考えて、自然や人間のものの変化を考えていた。

科学と言っても、仮定や原因と結果、方法を網羅しただけだ。

植物は、水をやると育つ。車は、ガソリンがあれば走る。そのように、原因と結果を関係から考えて、モデルにして、方法で科学を作っていた。