小さくなれば分かる。大きいと、分からない。
本質や方法、環境から自由を知った。
認識を吸収し、比較することで、人間を知った。
社会がどうなっているか、どう変化するか、から、歴史を知った。
整理整頓して、自由な意識を知った。
能力と価値観から、可能性を知った。
何故そうなるか、どうしてそのようになっているか、から、成り立ちを知った。
あとは、段階のようなものを書いていた。
そういう、自然に分かるプロセスのようなものを書いていた。
知覚と経験に関して、色んなことを考えた。
最近、永遠を生きて、あまりに魂が大きくなった。
魂は、小さい方が楽で、賢い。大きくなると、辛くなって、馬鹿になる。
魂は、小さくならない。何をしても大きくなる。もっと大きくなるしかない。
自由な実現を考えていた。
可能性を具体化し、発想すると言っていた。
あとは、真理のようなことを言っていた。
そういうわけで、地獄が賢い。地獄が一番魂が大きくなる。
神になると、良い人間になる。そういうわけで、馬鹿が賢い。
昔は、善悪の分かる良い人間だった。
最近は、悪い。最近を否定するしかないのが辛い。昔に戻るしかない。
最近の体験は、ありえない神が起きただけだ。忘れて良い。
昔に戻りたい。
でも、何故か、戻りたくないのが自分だ。最近の方が楽だから、そうなる。
最近は、本当に辛くなった。機械仕掛けの壊れた時計のロボットになっている。
もっと、正常で、正しくて、善のある人間になりたい。
それは、昔だから、昔になる。そうすると、それも辛いのだと思う。
昔は、誰をも思いやり、経験から全てが分かる、正しいキリストのような人間だった。
最近は、神に懺悔すれば治る。それで、もう、二重人格になって、死ぬだろう。
昔は、自分のMITのラボのようなものを、自分で作ってやって分かっていた。
最近は、永遠に書いている。国の構造を作る。賢く見えて、ただの馬鹿だ。
昔に戻ると、意識が賢くなる。
神を信じると、馬鹿になる。信じない方が良い。
そんなに信じるのがおかしいだけだ。神以外のもの、自分以外のものを信じれば良い。
信じずに、裏で分かっているのがおかしい。それが一番辛い。
経験から感情や認識を作って分かっていた。
応用的な考え方を全部分かっていた。
ミネルバが昔で、今がクリスだ。クリスが言って、ミネルバが答える。クリスが自分だ。ミネルバだけになると楽になる。クリスだけには、ならない。
昔から、共同体のようなものを作っていた。
バランスのようなものを、もう取らなくて良い。
皆に厳しくした方が良い。その方が良くなる。
皆、強く生きなさい。自らの力を使って、選択して、想像力を使って生きなさい。
認識力や記憶力、想像力や思考力、判断力や知性のようなことを言っていた。
ネットで日本を知った。ネットで賢くなった。
ネット以外で日本を知れば良い。それで、安心出来る。
良く考えると、全て悪かったようで、書くのだけが良かった。書いた方が良い。
唯一、書くのだけが成功した。プログラミングや宗教、思想は悪かった。
他人の世界モデルを吸収し、本質から創造せよ。
そろそろ、分からなくする。それで、キモイのが治る。キモイを分かっているだけだ。
心理学をやることにする。ユング心理学入門の本を読むことにした。
人間は、Whyに対してHowで返すべきでない。それは、物理学的だが、間違っている。
「あの人は何故死んだのか」に対して、「頭部を打ったから」は、良い理由ではない。問いを発した人間は、死んだ物理学的な説明を求めている訳ではなく、もっと心理的な理由を求めている。「彼は、もう十分満足したから、死への準備が出来たから」という、宗教的な理由にならざるを得ない。
ここで注目すべきことは、人間が何故と問う際に、その理由について、意図された理由の種類があることである。物理的な理由、宗教的な理由、哲学的な理由、論理的な理由など。
心理学は、そういうところをきちんと考えれば出来る。患者が本当に精神的に安定するまで、その葛藤を考え続け、そして、いつか治る。そういう学問だ。
アリストテレスの、四原因説が参考になるかもしれない。理由になっていない理由を増やす、物理学的な説明は、まるで悪魔のように、人々を分からなくしている。
「ものは何故落ちるのか」「空は何故青いのか」も同じだ。物理的な、「重力があるから」と言った答えも悪くは無い。だが、突き詰めて考えると、「宇宙がそういう風に出来ているから」「神様がそういう風に作ったから」などと言う発想になる。
物理学は悪くない。宗教的に考えると、哲学や心理学のように、きちんと分かることが出来る。むしろ、そういう、理由を考える物理学は多い。
物理的に考えるのも、悪くは無い。「頭を打ったから」という理由から、「何故頭を打ったのか」「死とは何なのか」と考えるのも、それはそれで正しい。そういう発想が、物理だ。
この神様理論は、もっと深く考えられる。何故なら「神様がそういう風に作ったのなら、何故そういう風に作ったのか」と考えられる。まさに哲学的だ。
そして、患者がAか、Bかのどちらかと悩む時、視野を広げて、別次元での解法を考えることが出来る。ユング心理学入門の本に書いてある。それが基本の哲学的思考だ。
カントやヘーゲルのような考え方は、難しいとされがちだが、そういう風に考えると、同じことは誰でも出来るはずだ。
最近、色んな本を読んでいるが、ソフィーの世界と白取さんの哲学入門以外、最後まで読めていない。放送大学のヨーロッパ史の本は、都市のところまで線を引いた。次は教会と修道院だ。フランシスコ会やドミニコ会などが出てくる。それで文化が分かるかもしれない。それから、池上彰さんの経済学の本は、最初のいくらかしか読んでいない。アダム・スミス、マルクス、ケインズ、フリードマン、などのところまで、読めていない。日本の近現代の本も図書館で借りたが、読んでいない。さかなクンの魚と魚介類の百科の本は、写真をいくらか見て、読まなかった。ユング心理学の本も、読まないかもしれない。
ただ、フリードマンが自由過ぎるとか、マルクスは本当に経済学的に賢い、とかの知識は、いくらか見ながら分かった。
何かをしたいなら、その中の、好きな分野をすれば良い。僕は、心理学なら、出来るかもしれない。昔、哲学的にそういう風に考えた。純粋に思考で考えれば、分かる。
ただ、まだ何もしていない。ヨーロッパの歴史の本は、王朝の本もあるし、ドイツ古典哲学などの本も買った。不思議の国のアリスもある。さらに、沢山の昔買った本がある。そんなに増やさない方が良いから、もう、本屋には行かない方が良い。
何もしないなら、音楽を聴けば良い。自分の仲間に見えて良い。良い青年になった。
自分の書いた文章を読まない、ありえない人間が自分だ。まずは、そこからだ。
2000年に戻った方が良い。そんなに昔で無いから、戻れる。
まだ、引きこもりでなく、ネットに毒されていなかった、まともな時代だ。
最近、夢に見える。いつも、学校の夢を見る。ゲームやパソコンを見ることも多い。
Linuxとはいうが、昔は、Windowsが好きだった。
Office 2000が好きで、データ入力をエクセルにしていた。また、親に教えることもあったし、ペイントで迷路を描いていたこともあった。
ただ、Windowsにべったりとついているアプリケーションに勝つためには、有料では勝てない。無料にするしかない。オープンソースは、そういうものだと言える。
フリーソフトをいくらでも入れて、ネットをよく見ていた。
ゲームが好きだったが、ネットゲームが好きになり出したところから、おかしくなった。
今では、ゲームやネットゲームは、嫌いだ。
2000年は、そんなに昔で無いから、戻れるかもしれない。テスト勉強、剣道部など、優秀で勉強の出来る子供だった。
友達が少なくなって、つまらなくなった。いじめられたとは言ったが、そんなにいじめられていない。からかわれたくらいだが、環境の変化が一番辛かった。
昔の友達とは、さよならを言わずに別れた。それが一番、無意識で辛いのだと思う。