日記に戻る | 2015年4月の日記に戻る

=2015-04-24=

物事は、起きるべくして起きる。

なるべくしてそうなる。

出来事には、色んな人間が関わっている。

そのように、個人の人生、世界観、日常的な経緯、見ること聞くこと、ものの歴史を考えて分かっていた。

世界は、それぞれの中にある。

感受性が高い方が賢い。昔は高かったが、最近腐っている。

言語の文法を良く考えていた。人称変化や時制など。

本質から同じを分かっていた。方法や時間が分かった。

応用を考えて、基礎を作った。

応用の下に基礎を作った。まだそれで分かっている。

神を信じると、分からなくなる。分からなくても分かるからだ。

神を信じると、人生の全てが、隅々まで決まるようになる。

神は、分かった人間しか信じない。

想定的な影響力を支配していた。

システム的な理解を作っていた。

歴史で分かっていた。

せずに分かれば良い。

して分かるようになった。昔のように、実際にせずに、理解だけ作れば分かる。

学校に行きたい。ただ、家でもっと考えれば良い。

世界の構造を見通して分かっていた。

全世界のことが分かっていた。

全ては、構造、関係、支配、自由だ。

全ては、可能性、差異、真実、考え方、創造だ。

そういう風に、世界のことを見通して分かっていた。

おかしな仮想世界を全部創っていた。

知性と考えるべき部分を考えた。

全ては、実現、方法、構造、関係、差異、可能性、多様性、集積だ。

全ては、体験、構築、理解、習得だ。

そのように、全てのことを把握して分かっていた。

あとは、想像力で、パターンやいつどうなるかを考えていた。経験から認識は生まれる。

文章でおかしな世界を全部創っていた。

背景知識から分かった。周りのこと、小さなことから、少しずつ積み重ねて、この世界を全て分かった。人生と構造が多かった。

神は、自分のことを神と言っている。

調査研究は、Linuxをやった。それが大学のように、全て分かった。

大学は、全て分かる人間が多い。

マルクスの親もユダヤ人だ。ユダヤ人は、一番賢い民族だ。

実存主義を人間の可能性から分かっていた。人間が事実どう存在するかを考えた。

自由だった。自由が好きだった。

サルトルは自由を悪いと言うが、自由なことを考えている。

数学的な体得は、体験から分かっていた。

残さないように書けば分かる。

オバマの親もイスラム系の黒人だったはずだ。オバマはそこがおかしい。

学校は、少人数にして、教師の数を増やせば良い。自由にはしなくて良い。

神が自分を普通と言うのは、家族の中で一番普通なのを言っている。

普通が良い。狂っていると、意味が無い。

哲学は、狂うだけだ。しない方が良い。経済学も悪い。マルクス主義に見える。

何もしなくて良い。ただ、普通なだけで良い。

大学は出来ない。昔のような賢い人間が出来る。する意味が無い。

馬鹿で良い。馬鹿の方が普通だ。

いつもの賢い文章は、虫みたいにキモイ。賢いだけ、キモイから、賢くなくて良い。

昔は賢かったが、狂っていただけだ。あれが一番キモイ人間だ。

昔の自分が嫌いになると、賢くなる。あんな人間が好きなのはおかしい。

多重人格は、忘れると治る。忘れたことすら忘れていれば良い。

ドイツも忘れた方が良い。一番悪い右翼に見える。フランスなんか、何も賢くない。

日本史はしない。難しすぎる。近現代の本は、文字が多すぎて分からない。

大学は忘れた方が良い。仕事も、執筆もしなくて良い。

皆から見て何もしていないから、しなくて良い。執筆をしているのは、誰も知らない。

文字、数、意識、感覚、様相、状態、様態などを考えていた。

制度、法律、システム、施設、場、環境、自由、組織、関係、協力、などを考えていた。

何もしなければ、すぐに賢くなる。

仏教やキリスト教が良い。賢い人間になる。

ドイツ語は、「こと」の言語だ。自然に「こと」が分かる。

フランス史は間違っている。王と革命しか出て来ない。あとは、人口変化や農村の変化のようなことが出て来る。

何か一つやれば良いだけだ。そのうち決める。とりあえず、何もしなければ良い。

社会的な目的や変化、感情と意志への作用、学習と認識の方法と本質などを考えていた。

大学は、もうしない。大学をしなければ、賢い人間になる。

全ては、コミュニケーションと作用だ。

白人は記憶で、日本人は表現だ。

厳密に、細部まで、行動や認識を考えれば分かる。

相対的に想定し、本質を洞察し、それぞれが出来ることを考える。

表現は文字による、最大の自己確認だ。

習慣とコミュニケーションから、プラグマティズムのように人間を分かることが出来る。

インターネットやコンピュータには、技術が多い。悪くない。賢くなる。

どのように物事を認識出来るかだ。

どのように物事を実現出来るかだ。

どのように協力し、どのように実現するかによって、全ては決まって来る。

どのようにそれを認識し、見るかによって、正しさを分析出来る。

組織は、人間的な理性の限界の向上だ。

科学は、人間の可能性を高める。方法をきちんと把握し、分析することで、新しいものを作り出せる。それが科学技術だ。

実験せよ。行動せよ。経験せよ。理性的に分析せよ。

平和とは、愛を信じることだ。信じるものは、救われる。

大学は、無い方が良い。大学なんか、ただの馬鹿になるだけの、おかしな権威だ。

自分の在り方を探すことから、宇宙の生命の根源が始まる。

何か信じれば良い。それだけで分かる。

自由とは、共通認識だ。

自由とは、細部まで把握し、予測することだ。

自由とは、可能性を理解し、実現するための方法と、目的とする結果を考えることだ。

正しく実現するために、色んな前提と材料を考えられる。

いつもの文章は、その前提を考えただけだ。

経緯とプロセスを考えることで、皆がシステムを作りやすくすることが出来る。

自分の分かることを全部教えることで、世界は平等に、そして自由に変えられる。

正しく考えれば、何でも分かる。

実感と経験から、全ては自分のためにあることが分かる。

考え方を変えること。

哲学とは、洞察と理解のための、理性的で経験的な方法だ。

良く考えると、分かるためにはあらゆる方法がある。認識の方法がそれに当たる。

正しさを分析する中で、未知を捉えて分かることが出来る。

自然とは、可能性を肯定し、否定し、実現し、裏の裏まで考えることだ。

細部まで知って、背景を自分の力で考えることで、哲学が出来る。

あとは、社会のことを考えていた。

どうすれば良い社会を実現出来るか?

どうすれば問題を解決出来るか?

どうすれば皆を幸せに出来るか?

皆は何を考えていて、何をしているか?

そういうことを、自由に考えていた。

あとは、経験を分析して、それが何を意味しているか考えていた。

それは、どうすれば可能になるか?

それは、どれだけの可能性を持っているか?

それは、何故そういう風になっていて、別の可能性として、何をどう出来るか?

そういう風に考えれば分かる。

それは、どういう発想の下にあるか?

それは、どういう考え方の下にあるか?

それは、どんな考え方と発想を適用出来るか?

そういう風に考えれば良い。

自由とは、それぞれが出来ることを考えることだ。

自由とは、能力、支配、許可、自由、可能性だ。

社会学を自分で作っていた。そういうものは、大学をしなければ出来る。

高校は無い方が良い。それで誰でも賢い人間になる。

覚えて考えれば分かる。その時どうなるかから、社会がどうなるか考えられる。

意志、意識、そして裏の構造から、人間を考えられる。

社会の構造を知れ。何がどうなるか考えよ。それを人間がどう出来るか、出来ないか、どう出来ると良いか、そのためにどう出来るか、考えよ。

抵抗せず、任せること。欲を持たず、こだわりを無くすこと。

精神から脱出せよ。思考を辿れ。そういう風にすると分かる。

最近、賢くなった。だが、あまりに遅かった。

分かるだけ馬鹿だから、あまり分からない方が良い。

背後のことを、視野を広げて、良く考える。

AでもBでもない、別次元のことを、良く思い出して考える。

神は、自分だ。誰もがそういう人間だ。それが、神だ。

高校時代、勉強しなければ賢くなる。だが、代わりに、Linuxのような趣味をすれば良い。

教育の意味は、きちんと自分で考えれば分かる。教育は間違っていないが、学校ではそれは分からない。意味が無く見えて、学校はきちんと一つの可能性として正しい。

科学を作れ。実体験を考えて、良く考えて分析すれば、科学は自分で作れる。

作用と反応を考えること。

自由とは、自分の出来ることを全てして、限界を超えることだ。

学校の問題点は、何も出来ないことだ。

もっと自由にした方が良い。だが、ネットでは分からない。

引きこもりになって考える人間は居ないし、Linuxをやりたい人間も居ない。

そういう人間になれば分かる。誰もならないだろう。

だが、現状を良く考え、自分に出来ることを良く考え、出来ると信じて取り組むことで、未来は開ける。

レーニンやキリストのように、全てのことを分かって、社会が変えられるようになる。

理想と意識から分かる。人倫の世界を知る。共同体の自由を知る。

それくらいを書いていただけだ。

自由とは、自然、自由、変化、可能性を積み重ねることだ。

神とは、この文章のことを言っている。

想像力とは、思い出すことだ。

想像力は、頭を賢くする。

あとは、科学、教育、国、社会、歴史、言語のようなことを言っていた。

大学を止めれば、きちんと賢くなる。そろそろ賢くなった。

それがいかにしてそうなるかから、モデルや経験を分かっていた。

理想の社会は、どのようにすれば作れるか。そこから、心の法則を考えていた。

果てしない時間と意識を経験して、オープンソースの競争で分かった。

調査研究しながら、ニュースとWikiを見ていた。

思考し、経験し、認識を考えていた。認識が、共通の場から分かって、ありえない存在と意識を全部、思考と認識と環境から知っていた。

方法から社会とものが分かった。人間の可能性と変化を考えて、言語を分かっていた。

皆の意図を把握した。

言葉の意味を考えて、結果を分かっていた。

Linuxは、英語が出来ないせいで、何も出来なかった。そういうものを書いていた。

思考や言葉から分かるプロセスのようなものを考えていた。

発想や学習のプロセスを考えて、発想法を作って、人生の経緯と可能性を分かった。

歴史と思って分かることが多かった。根源的な意識と、皆の意識を考えていた。

大学を忘れると、すぐに書ける。すぐに思い出せる。

人生における認識の変化を考えていた。

ものからどう方法が生まれ、どう発想が生まれ、どう理解が生まれるか、などを考えた。

自由とは、考え方を捉えて、無限に分かることだ。

場の変化と相手の予想から、環境を変え、実現出来る人間になった。

皆を導くことの出来る、また、都合良く支配することが出来る人間だった。

自由は、共同体の自由になった。

自分の公理主義の数学を作っていた。自分の数学だった。

何でもアドバイス出来る、良い人間だった。

環境を守って、自然にせよ。

人間性の間違った理解から、人間は破壊的になり、争いが生まれる。

正しい理解をして、分かり合うことが出来れば、争いは無くなり、健全で建設的な社会を合意と共通理解の下で、作ることが出来る。

つまり、きちんと分かれば解決する。ネットを見て、心理学的に考えて、経験して、そういうことが分かっていた。

フリーソフトを見て、共有や共同開発が好きになった。特に、専用ブラウザが好きだった。オープンソースのブラウザのメモ機能を自分で開発していた。

プログラミング言語は、マイクロソフトのC#が好きだった。

テキストエディタは、Xyzzyが好きだった。

Delphiが特に好きだった。

フリードマンは、良いことも言っている。買った機械がきちんと動くなら、作ったのが白人であろうと、黒人であろうと、共産主義者であろうと、関係ない。それが、自由だ。