経験から、もの、社会、制度、自由を作っていた。
可能性を考えていた。
環境や経験を想定した。色んなことを想定した。
使う側の立場に立って考えた。
社会の関係を考えていた。
人種や国は、言語だ。日本が賢いのは、日本語が賢いからだ。
日本は、自分のせいで止まっている。そろそろ動くべきだ。
認識や感情を想定して分かっていた。
方法を抽象的に考えていた。抽象的で、概念的で、構造的な方法を考えた。
ものと方法、思考を照らし合わせて分かっていた。
原因と結果、変化と感情を、具体的に全て考えて、全体像をモデルにした。
本質から、全てのことを分かっていた。
自然から社会まで、あらゆることを思考で考えた。変化や能力、許可が多かった。
創造性を信じていた。抽象的な学習と関係と経験から分かった。
自由が好きだった。哲学的に考えて、自由が正しいと思っていた。
理想があった。慈悲の心があった。
イスラム教の神、アッラーは、信じないものに復讐する。それは自分のことを言っている。
コーランは、見ていると、おかしい。本当に、キリスト教の方が良い。
賢い言語ではないが、英語は、分かる言語だ。
世界政府を、民主主義、キリスト教、英語によって、作るべきだ。
労働は、出来るだけ平等にしながら、経済は自由にして、発展させるべきだ。
国境なんか、無い方が良い。世界政府のアメリカを作って、管理するべきだ。
ただ、経済学は、マルクス経済学を参考にすべきだ。それが一番、賢い。
自由とは、皆を統一することだ。
集中か、多様性だ。民主主義か、社会主義だ。独立企業か、国営化だ。
そのように考えていた。数学的な社会学の、メタモデルを作っていた。
聖書を信じること。きちんとキリストの言うことを信じると、僕以上のことなんか、誰でも出来る。きちんとイエスが言っている。正しい生き方の通り生きるべきだ。
仏教は悪くは無いが、あまり当たらない。当たるような、あいまいな正しいこと、真理を、全部言っている。当たらないが、本当に賢いから、仏典もあった方が良い。
言語は、ドイツ語や日本語を話す地域があっても良い。フランス語やスペイン語、ロシア語、アラビア語、中国語があっても良いだろう。賢さ競争をすると、勝つのは、イタリア語とヘブライ語とギリシア語だ。ラテン語もあった方が良い。
自分の出来る国を作りたかった。自由ノルマで、学校は選択制にすれば良い。
学習や経験の、経緯、段階、プロセス、のようなものを考えていた。
可能性をパターンで知り尽くした。
世界のことを全部、コンピュータで知っていた。
世界政府は、しない方が良い。学校を選択制にしたりすると、悪い。戦争だけの、おかしな国になる。
世界政府は、アメリカ、EU、日本が中心になってやれば、出来る。
邪魔なのは中国とロシアだが、中国とロシアは、そういうことをやりたいだけだから、協力するかもしれない。
経済なんか、社会主義で良いし、言語も日本語で良いし、宗教も仏教で良い。あまり意味が無いから、右翼なんか要らない。
そろそろ、もう書かない。そういう国の国際関係論を、いつも考えていた。
感情を比較して、実験して、心の深層まで全部分かっていた。そういう人間だった。
色んな人間を知って、経験して、論理的に考えれば、誰でも出来る。
相手の視点に立つ、それが重要だ。それで、未知を捉えて考えれば良い。哲学者のように、きちんと全部分かる。そういうサルトルのような人間だった。
共同体と連邦国家は、矛盾しない。
ソ連をどうするか考えれば良い。社会主義は、理想の世界を作りたいだけだ。大失敗はしたが、中国のおかげで、最近立場が良くなっている。ただ、どうでも良いから、EUだけでやれば良い。
そろそろ、そういう、国を考えるのも終わりだ。もっと色んなことを考えていたと思うが、そろそろ、それくらいで、言いたいことは全部言った。
教育は、何かしなければ良くならない。なのに、役所は何もしない。そういうわけで、自由な方が良い。自由なら、何かするように見える。そういう発想が、自民党だ。
自民党で世界政府を作れば良い。戦争にはなるが、結果、良い国になる。
ただ、そういう右翼は、悪いと思う。自分は、そういう人間が嫌いだ。
ただ、無意味に右翼を悪いと思うのは止めた方が良い。宗教と同じだ。悪いだけに見えて、良いものが、右翼だ。科学や学校の方が悪い。
世界政府は、作るべきでない。むしろ、逆の発想、自由な発想をすれば良い。戦いは、世界政府でも起きる。民意に委ねた上で、戦うべき時は、戦うべきだ。
自由は悪くない。それぞれの好きなことをして、助け合って生きられる。社会保障は、民営化した方が、良いものになるかもしれない。国は、何もしない方が良い。
学校も、自由にした方が、良いものになる可能性がある。そういうところを、出来て、試せるようにした方が良い。どんどん良いものが増えて、悪いものは自然に消えていく。
だが、ネットやパソコンの世界を見ていると、それは無い。皆が馬鹿なせいで、悪いものが蔓延し、良い人間は居なくなり、戦いの世界になる。それが、アメリカ的な自由だ。一番悪い。
あとは、レーニンのように、実地的に世界を見て、サルトルやニーチェのように、人間をきちんと考えて、経験から分かっていた。
それくらいを書いていない。社会主義から資本主義まで、全部分かっていた。自分の科学から、仏教を作った。何より、社会を変えられる、自由な経験の持ち主だった。
そういう左翼は、悪くない。自由で平等な左翼は、分かる人間が多い。
自分は、そういう、普通の人間の、やや右翼、やや左翼の、普通のキリスト教徒だ。
共同体と連邦は、矛盾しない。
ソ連と中国を除いて、頑張ればすぐに実現出来るのが、世界政府だ。
自由な体験から、人間が分かった。
どんな風に世界がなっているのか、何をすればどうなるのか、分かった。
分かることと分からないことの比較から、深層と裏を知った。
体験から、世界を知った。環境がそうなっていることから、意識を知った。
世界を変えられるようになって、全ての問題を解決した。
コンピュータの世界から、自由を知って、人それぞれが思う、疑問や体験が全て分かった。
レーニンのように活動するうちに、宇宙の全てが、意識と理性で分かった。
また、経験からフィルターを知り、システムから決まりを知った。
全てのことが分かるようになって、哲学的な知の概念と決まりと法則を知った。
そういうことを、経験から自然に知った。そういう、体験から自然に分かる人間だった。
書いていたのは、そういうことから、社会の変化と関係を書いていた。
人間がどうなるのか、本来どう生きるのか、生きるべきなのか、を知った。
人生とは何なのか、どうなっているのか、実存的に、事実どう存在するのか、分かった。
社会の理想と、本当の正しい社会の可能性を知った。
狂いと死の中から、自我と法則性を知った。
主体的に、論理的に考えることから、人間の自然と経験を知った。
集団と個人の概念、生きる概念、記憶の概念を知った。
そして、UNIXのシステムから、全ての研究と全体像を知った。
一心不乱にやる、と言う目標の中で、人生の知恵と理想を全て知った。
イノベーションを理解することから、生産や研究の手段を知った。
国や社会のことを考えることから、発想法と実現性を知った。
自由とは、それぞれを本当に理解し、それぞれのためになることをすることだ。
そういう発想から、世界を解決し、世界と対話していた。
目線と場の理論から、視覚的に世界を知った。
経験と記憶から、経験論のように、例えば赤ん坊の経験を考えたりして、人間を知った。
そして、抽象的な学習と相対性から、意志と思考を知った。
人間とは、愛である。それも、神の愛の、パターンの違いである。
そのまま、それらは、戦いの中で消えて、自分の神となって残った。
本当に治ると、死ぬ。治らない方が良いかもしれない。
世界の構造を作っていた。
皆、知性がつけ。それで、治る。自分にしか知性が無い。
皆に時を告げる時計になっている。それを止めた方が良い。
世界は、自由と構造だ。
構造とは、知覚、関係、方法、決まりだ。
知覚と経験、学習と認識の関係を考えていた。
契約は、皆が決める、と言っていた。
そのように、知覚から契約まで、全ての構造を作っていた。
第五感の次の、第六感を感覚、第七感を感情と言っていた。
今言うなら、それは、六は宗教、七は科学、八は歴史、九は哲学とするべきだ。
それ以降は、技術、物理、心理、などとすれば良い。
あとは、言葉遣いとか、次元とか、おかしなことを言いながら、構造を全て作っていた。
構造的に全てを書いた。経験から哲学まで、全部分かっていた。
あとは、コンピュータのことなどを言っていた。
コンピュータは引数による自動実行であり、テキストの機械化である。
それくらいを言っていた。コンパイラやLispなどを言っていた。
数学は、マクロであり、比の計算であり、表記である、と言っていた。
良く考えると、ベクトルが分かる。それを、次元と言っていた。
そろそろ、きちんと構造を作れば分かる。
構造に対して方法を言う。方法に対して構造を言う。そういう発想が多かった。
発想と理解は、結びついている。
契約から、共同体が生まれる。そのまま、共同体を書いていた。
もう覚えていない。何も分からない。
契約は、GPLのことを言っていたのかもしれない。覚えていない。
グループによる自由な共有が共同体になる。
自由な原因と結果を全部書いていた。
そのまま、自由を悟らせる。最後の自由まで、全部分かる。
あとは、全部作っていた。構成要素から関係まで、全ての宇宙の構造を創った。
創造性や客観視、全体像を、全て組み合わせて、全てを創った。
愛から自由、共同体から契約、真実から嘘、衝動から感情、何もかも全てあった。
覚えていないし、残っていない。そういう文章だった。
あとは、真理を書いていた。
人間は、他人に与えれば、与えられる。
人間は、環境の中で、自由なことを言えば愛が生まれ、平等なことを言えば死ぬ。
そういう考え方が、何故か多かった。
平和な平等な愛が良い。反抗的で戦う自由が悪い。
10回上がると、1繰り上がる。それが数の基本だ。それを、10以外にも出来る。
キー配列と演奏がピアノだが、コンピュータは実行が同じだ。
感情は、自由と構造に分けられる。そういう風にしていただけだ。
想像力の自由を、全部書いていた。
もっと良く考えれば分かる。そろそろ、そういうものは終わりだ。
人間は、表現と記憶と精神だ。
無政府主義と国家社会主義は悪い。自由主義か社会主義にしかならない。
もう分からない。こんな文章を分かりたくない。
あとは、本質の本質、のようなことを言う。
動物は、細胞分裂による知覚と記憶と栄養の吸収の実現であり、生態系の一部だ。
ペンは、表記であり、応用だ。
情報は、共有と計算だ。
表現は、人生の活動と心のアウトプットだ。
そのように、本質を包括して、構造のようなことを言っていた。
文字は、数学的な記号と意味の把握であり、記憶の自由な伝達だ。
宗教は、神、教義、戒律の共同的で不自由な信仰だ。
そういう風に、色んなことを考えていた。
契約、国籍、文化、宗教、言語など、社会のことも良く考えていた。
ドイツは、ファシズムを克服して、ものを作って儲かっている。日本は、同じだ。
もの作りは、判断と知性による、方法と考え方の実現だ。
科学は、全ての表記から生み出される、全ての真実だ。
哲学は、全ての自由な考え方から生まれる、真理の捉え方だ。
自由な言語表現によって、新聞などのメディアが生まれる。
そういう風に書いたように見えて、あとは、知覚から経験、発想から理解まで、全てのことを書いていた。見方や在り方、生き方を考えていた。
自由とは、批判することだ。そして、それと向き合いながら、支配することだ。
グループと個人を一緒にするべきではない。それが一番おかしい。
記憶とは、共通の認識だ。そこから、全てが分かる。
環境と記憶は、全てのものが生まれる土壌だ。
環境を守り、多様性を保持すること。
破壊するな。建設的に考えること。
創造性を持て。ただ、パクリではなく、独自のものを作れ。
そういうことを言っていたのも、もう昔のことだ。夢を見ることまで、出来なくなった。何も分かっていない。時系列で思い出せば良い。それが出来なくなっただけだ。
場から経験が生まれる。そういうことを言う。