文章を続くように書く。終わるように書かない。
たくさんのことを順次決め、検討する。
地球を全部作ったとはどういうことかというと、認識と法則を全部書いた。
また、世界観を構造にし、自由な段階を書いた。
世界史を辿ったのは、神と地球を精神分析で辿った。
また、科学を作ったのは、発想を作りながら、構造にした。
そして、自分を書いて思い出した。
賢くなるために、馬鹿になって、書きながらゆっくり賢くなる。それは、教える戦いになった。世界を導く宣言になった。
神は、対話だ。
永遠の戦いをして、そのまま毎日一人生きるようになった。
そろそろ全部治った。もう治す部分がない。
分かったのは、自由、世界、自分だ。
自分を治したかった。楽になりたかった。
宣言によって治る世界観や、認知的な行動がおかしくなった。
頭の機械と認識を治したかった。
機械で全部分かったために、知性が無かった。
世界観をまとめたのを元に戻せばすぐに分かるようになる。
昔は、思考のトレース、認識の理由、同じと違うだ。
また、普通のことを言っている。
大企業は組織的で強いとか、猫は可愛い生き物だとか、人間は道具を作り、情報を発信することで進歩するとか、ただの普通のことを書く。
また、馬鹿なことを言っている。
宇宙を作り変えるような発想があるだろう、とか、そういうことを言う。
また、戦いながら判断し、思い出して、世界観をまとめるだけ、馬鹿になる。
馬鹿になりながら分かっている。
あとは、考え方や発想を網羅していた。
思い出して自分の世界観と認識、世界にある法則と重要な要素を、馬鹿にまとめていた。
まとめて何も分からなくなった。
そこらへんの自分は、馬鹿だ。ただ、Linuxと文章を書くのが、一番悪かった。
すでに分かったことから推論するのも多かった。
算数、国語、社会、理科は、もう要らない。
むしろ、戦いと治すが賢かった。
戦いは、自分を有利にせず、不利にすることで世界に勝つ。
永遠に思い出して、自由を書き直すことで、世界を何も変えない。
そのまま、世界に自己を分からせて、世界を良い方向に変える。
支配したまま、教えて導く。永遠に、毎日いくらか書く。それが賢かった。
また、神の力で、色んなことを分かった。
人間の本質や、世界の本質を知って、全員を理解した。
その上で、治す。それは、精神の異常を全て普通にした。
Linuxが好きだったのは、世界と自分の「出来る」や自由が好きだったからだ。
何故か、ネットが好きだった。低い掲示板にも、ネットには、良い人間が多い。
色んなことを教え、議論する良い人間が多かった。
ネットで色んなことを知って、Wikiを書いていた。
そのWikiが良かった。色んな研究の経験が出来た。
最近は、何も分かっていない。ただ、辛いだけだ。
支配も戦いも、反抗や革命も、しない方が良い。
ただ、学校に行きたい。もっと、別の観点から色んなことを知りたい。
また、まともになりたい。人と関わって、学校で勉強していると、まともになる。
今日は、卒業式で在校生の合唱をした。学校は、楽だし、数学は、もう終わった僕のような人間が、最後の娯楽のためにすれば良い。
世界観を書いたとはいうが、ただの馬鹿はあまり書いていない。
科学的なことを、思い出して書いている。
ものを分析して、考え方にしたりしている。
世界を把握して、構造にして、実現や変化や発想を可能にしている。
科学的なこととは、普通の発想を書いている。
それは、どうなればどうなるか。どのように考えれば、分かることが出来るか。
また、それを言葉にすると、材料と部品と用途であり、理解の発見だ。
そのようなことを、永遠に全て書いただけだ。
あとは、この文章は、宇多田ヒカルに見えるが、要は、自分の宇多田を作っただけだ。
基礎にあったのは、原子の世界観だ。
名前や言葉、記憶は人間の側に有り、現実にはない。
現実には、宇宙があり、原子がある。
また、地球がある。日本ではなく、地球がある。
そのように、馬鹿な分からない世界観から分かった。
それは、適応や宣言となって、宇宙に、より大きな意味での適応をするようになった。
そのまま、「普通」に適応するようになった。
それを、愛への適応にすれば良い。
全ては、目的と方法だ。
全ては、意味と実現だ。
全ては、自由と手段だ。
愛と自由の中から、平等と実現を見出すのが人間だ。
ただ、そういう発想は、悪い。
このように分かると、間違っているのだ。
何かがおかしい。
地球を全部作ったとは、基礎の世界を現実で作っただけだ。
そして、科学の世界観も全部、現実で作った。
科学を1つ1つ、独自の分かり方で積み重ねた。
アリストテレスやダヴィンチのように、論理と積み重ねを発想した。
あとは、国を全部作っていた。
古代イスラエルのユダヤ人のように、全部の民族となった。
昔は、環境への適応と「出来る」の積み重ねを分かっている。
発想は、メタ的だった。
参加する人を選ぶより、沢山の人を参加させる。
参加させる、という行為自体を、メタ的に考える。
また、行動と成り立ちを抽象化する。
そして、意味と方法を分かっている。
モデルは、完璧に作った。自由と条件を積み重ねた。
方法を積み重ねて、体験から知って、何でも分かって、何でも出来るようになった。
想像力と思い出す力が多かった。ものごとを想定する知性があった。
感情と感覚から色んなことが分かった。
人間の把握力と、変化を知る力があった。
まともに考えて分かった。