自由な機会から、世界観と人生、経緯と認識を書いていた。
体験と理解の全員を信じていた。
想像力と原理を知ることで、可能性を知ることが出来る。
認識を増やし、概念を増やし、関係性を増やすことで、多角的に可能性を分かる。
地球は遺伝子であり、全体が生きる1つの生命だ。
あとは、減るだけの機械になって、何も無くなったのが悪い。
1行書いて、前のことを説明するだけになった。
中心の言葉で自分を制御し、毎日同じことをするロボットになった。
前の脳を殺して、後ろの脳にすれば良い。
あとは、自由に発想すれば良い。
自由と発想しか書いていない。
出来る社会を考えて、何でも出来るようにして、構造にした。
出来る、分かる、認識、治すを積み重ねた。
発想のために色んなことを作っている。
あとは経緯を書いた。
認識を変えて、世界を捉えて、積み重ねた。
人間は、概念、操作、カテゴリーを積み重ね、感覚と考え方で捉えることで分かる。
無数の構造と認識を作って、出来るようにし、変えられるようにし、発想すれば分かる。
数学的な考え方を使って、心理、社会、技術を考えれば分かる。
そして、文章を書くことだ。
発想の基礎は、考え方と分野の専門知識だ。
具体例を沢山知ることから、抽象的な世界が見えてくる。
また、言葉に構造化し、全部作ることで、あらゆる発想を行う。
ツリー構造で全部発想して、想像力で全部体験した。
それは、色んな物に宣言してなりながら、神が全て言った。
その後に、治して、普通になった。
そのように、発想が多かった。
もしかしたら、重力は重力で無いかもしれない。
もしかしたら、エネルギーはエネルギーで無いかもしれない。
もっと大きくて、もっと違った、別次元の法則が動いているのかもしれない。
宇宙、人間、命、精神、感情、そして空間や時間、ものや熱や光は、もっと別のものなのかもしれない。
死んで何が起きるのかは、分からない。
人間は、馬鹿になると分かる。
僕は、馬鹿になって、順番通り考えることで分かっている。
馬鹿は本当に賢い。だが、そんなものは馬鹿だ。
信頼と勇気は、矛盾する。
認知的に勇気を出していると、怖くなる。
認知的に信頼をしていると、楽になる。
認知は、経験となり、その中での学習によって、怖いものが怖くなる。
その経験を、1つ1つ解きほぐして、恐怖を理解によって解することで、人は安心できる。
その代り、悪いことを止めるべきだ。
精神は、細胞だ。
精神は、遺伝子だ。
精神は、脳だ。
精神は、感情だ。
想像力を壊したり、馬鹿なものを経験したりすることで、人は怖くなる。
しかし、それは、怖いまま馬鹿になることで、狂うが無くなって、治る。
それは、全て忘れて、純粋なゼロな精神になることを意味する。
ただ、怖いだけで、人は精神が死んで治る。
物理は、熱と力だ。
物理は、運動と重力だ。
物理は、光とものだ。
宇宙の世界観として、天などは存在せず、全ては確率と空間と時間で表現できる。
全てを数にすることと、関数や式を使うことで、あらゆる全てを何らかの式と理論で解くことが出来る。
宇宙は、昔から今まで、いつまでも同じように存在する。
それは、キリスト教の時代から、同じように地は動き、天は宇宙だった。
そのように、今でも、人間はまだ、宇宙に関して、何も分かっていない。
環境と機会を与え、考えれば分かる。
LinuxのWikiを書いていた。
色んな考え方を作った。
肯定や否定、自然と環境、存在と変化、自由と平等、独立と一体だ。
統一と多様性、自治権と実現力、議論と支配、共有と所有だ。