実体験と認識から、社会と環境の変化を知りなさい。
体験を追って、理解を作りなさい。
全体を知り、「出来る」を考えなさい。
認識と体験で、出来るようになる。
認識の共有と集積で、発想出来る。
認識を吸収することで、他の人間が分かる。
認識を教えることで、人を助けることが出来る。
そのように書いた。
あとは、自己の分かった認識を説明していた。
コンピュータは、自動で、計算でき、何でも出来る、デジタルな機械だ。
行為は、本質と学習を、認識とともに考えて、覚えて出来る。
そのように、全部書いていた。
また、適度に分類し、積み重ね、世界観にしていた。
昔は、革命の歩き回る人間が、統一された認識と神で分かっている。
分かると、世界が治らないのが怖い。
自分で全部変えられると思って、自由を積み重ねた。
Linuxと心理と自由しか知らなかった。
何か知ったほうが良い。パソコンしか知らないのはおかしい。
Perlはすでに古い。
パソコンは、何故か、知がどんどん古くなる。
Androidを知らないのも悲惨だ。
他の、芸術、文学、科学、宗教などを知ったほうが良い。