環境の中で、認識がどうなるのか、考えた。
それを認識や概念を吸収し、変え、理由を考える、としている。
そのまま、認識の理由だけで、全て分かった。
昔は、実体験から分かった。
環境から解放されることで、実体験を空想して分かった。
予測、具体性と抽象性、想像力と言葉から分かった。
最近は、書いて正しく考える。
戦いは、新しい人格を作る。
判断は宣言となり、対話となり、神になった。
あとは、二人目でなく、意識は馬鹿になった。
また、足は二人に分かれたいだけだ。
最近馬鹿なのは、昔の自分がキモイからだ。
認識で分かるのが、あまりに永遠に続くようになった。
中学生や引きこもり、政治や認識、治す、テレビや学校を消した方が良い。
自由な中で、環境とシステムによって、認識と理解を発展させる、という世界観があった。
また、あったことや世界観をそのまま書いている。
大企業やベンチャーの関係、政治思想、組織の多様性と統一の世界観を書いていた。
再思考と再発見、アイディアの共有、モデル、取り組みとプロセス、方法と設計、視覚化、客観視と全体像、把握とまとめ、研究と挑戦など、環境の知恵を沢山書いていた。
それに全て「自由」と名前を付けて、自由を書いていた。
自由とは、皆に感謝し、争いと戦いを慰め、皆を自由にすることだ。
まだ分かっていないと思って、将来性を残し、仮定と疑問と発想から世界を分かれば良い。
皆を知るために、皆とともに会話し、世界から世界を知れば良い。
全て認識で分かってしまえば、そこには、神が訪れる。
全て分かった自分が神となって、人に教え、宣言すると同時に、自分に教えるはずだ。
世界を解放したかった。その、情熱と希望を忘れ、諦めてしまえば良い。
もう終わったようで、何も終わっていない。自分はまだ出来る。出会いはまだある。
失望するな!感謝せよ!新しい可能性と発見を残せ!
信じるならば、他の人間、そばに居る大切な人との信頼を信じなさい。
あとは、自由だ。自由な環境と社会を考えた。
まず、第一の自由は、経験だ。学習し、理解し、構築し、方法を学び、環境を知り、習得し、体得し、反省し、経験し、発想を生み、感情から分かる。
次に、第二の自由は、金と経済だ。自由な中で、生産と実現の手段として、会社が存在する。職業を自由に選び、給与を自由に払い、競争し、発展する。
そして、第三の自由は、社会全体だ。自然な自由の世界で、皆は助け合いと夢を叶え、世界はさらなる自由の段階へと変化する。全てのものが生まれ、滅する。
そして、その上で、世界を考えた。
仏教、キリスト教、イスラム教、ドイツ、フランス、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカを考える。
その上で、歴史における古代史・ヨーロッパ史と、神の言う世界とともに、全てが分かった。
死に戻った。人間は、死ぬと何も分からなくなるが、楽になる。最初から、すぐに死んだ方が良いのが生き物だ。
一年を一秒にした。それが悪かった。
昔は、全部経験で分かっている。頭の中で具体的な体験をする。
最近は、宣言して、それになる。頭の中で、何かを辿っている。