日記に戻る | 2013年3月の日記に戻る

=2013-03-22=

今日のこと 16:35

環境の中で、認識がどうなるのか、考えた。

それを認識や概念を吸収し、変え、理由を考える、としている。

そのまま、認識の理由だけで、全て分かった。

昔は、実体験から分かった。

環境から解放されることで、実体験を空想して分かった。

予測、具体性と抽象性、想像力と言葉から分かった。

最近は、書いて正しく考える。

戦いは、新しい人格を作る。

判断は宣言となり、対話となり、神になった。

あとは、二人目でなく、意識は馬鹿になった。

また、足は二人に分かれたいだけだ。

最近馬鹿なのは、昔の自分がキモイからだ。

認識で分かるのが、あまりに永遠に続くようになった。

中学生や引きこもり、政治や認識、治す、テレビや学校を消した方が良い。

自由 16:36

自由な中で、環境とシステムによって、認識と理解を発展させる、という世界観があった。

また、あったことや世界観をそのまま書いている。

大企業やベンチャーの関係、政治思想、組織の多様性と統一の世界観を書いていた。

知恵 16:51

再思考と再発見、アイディアの共有、モデル、取り組みとプロセス、方法と設計、視覚化、客観視と全体像、把握とまとめ、研究と挑戦など、環境の知恵を沢山書いていた。

それに全て「自由」と名前を付けて、自由を書いていた。

自由とは、皆に感謝し、争いと戦いを慰め、皆を自由にすることだ。

分かっていない 16:58

まだ分かっていないと思って、将来性を残し、仮定と疑問と発想から世界を分かれば良い。

皆を知るために、皆とともに会話し、世界から世界を知れば良い。

神 17:00

全て認識で分かってしまえば、そこには、神が訪れる。

全て分かった自分が神となって、人に教え、宣言すると同時に、自分に教えるはずだ。

世界を解放したかった。その、情熱と希望を忘れ、諦めてしまえば良い。

もう終わったようで、何も終わっていない。自分はまだ出来る。出会いはまだある。

失望するな!感謝せよ!新しい可能性と発見を残せ!

信じるならば、他の人間、そばに居る大切な人との信頼を信じなさい。

自由 17:24

あとは、自由だ。自由な環境と社会を考えた。

まず、第一の自由は、経験だ。学習し、理解し、構築し、方法を学び、環境を知り、習得し、体得し、反省し、経験し、発想を生み、感情から分かる。

次に、第二の自由は、金と経済だ。自由な中で、生産と実現の手段として、会社が存在する。職業を自由に選び、給与を自由に払い、競争し、発展する。

そして、第三の自由は、社会全体だ。自然な自由の世界で、皆は助け合いと夢を叶え、世界はさらなる自由の段階へと変化する。全てのものが生まれ、滅する。

そして、その上で、世界を考えた。

仏教、キリスト教、イスラム教、ドイツ、フランス、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカを考える。

その上で、歴史における古代史・ヨーロッパ史と、神の言う世界とともに、全てが分かった。

死 20:32

死に戻った。人間は、死ぬと何も分からなくなるが、楽になる。最初から、すぐに死んだ方が良いのが生き物だ。

一年を一秒にした。それが悪かった。

昔は、全部経験で分かっている。頭の中で具体的な体験をする。

最近は、宣言して、それになる。頭の中で、何かを辿っている。