あとは、考えるや試すを良く分かっているだけだ。
相対的に認識を考えることで、違いが分かる。
認識を積み重ね、変え、調べ、掘り下げることで、色んな人間の考え方が分かる。
認識の裏を知ることで、世界の全体像が見える。
試し、経験し、成長することで、分かり、頭が賢くなる。
抽象的に予測するために、考え方と構造体を作って知ることで、あらゆる可能性が分かる。
そして、自然に体験し、経験を増やすことで、皆を知ることが出来る。
自由とは、想定し、調べ、理性的に考えることだ。
自由は、全員を許し、全員に愛を与えることだ。
自由は、支配や強制を否定し、平等な権利を認め、かつそれぞれが出来ることだ。
自由と平等は、階層が無い点で同じだが、出来ないのではなく、出来る、と言う点で違う。
また、差異があり、機会があり、体験を許す点が違う。
自由な平等でしか、人間は分からない。
相手を尊重し、権利を許すことで、自分の権利も許すことが出来る。
心理から考え、自由と技術から考えなさい。
物理から考え、体験と想像力から考えなさい。
国家主義と社会主義は悪い。
ソ連は一番悪いし、ナチも一番悪い。
だが、ソ連は、平等なだけ、マシだ。
ナチが一番悪い。人種差別で人を殺すのはおかしい。
反ユダヤ主義が悪いのは、ユダヤの聖書が一番悪いからだ。
悪いものはユダヤだが、ナチは一番悪い。
世界に存在するのは、従属と反抗であり、自由と平等であり、ものと運動だ。
世界は、精神と記憶だ。
世界は、愛と許しを求めて、戦い、生きることに耐えることだ。
世界は、運命と自然の中で、認識しながら、自己を治すことだ。
昔なんか、なると出来ると機会を考えただけだ。
本当に自由だった。
最近は、馬鹿が書いて、判断して、硬い言葉で分かっていると、戦いの神になった。
それらは、もう良い。
最近は、本当に普通が好きだから、普通のことを書きたい。
平和は、全員で共有される秩序と、責任ある公平な行動から生まれる。
それは、民主主義の選挙による投票にすると、きちんと賢いことをするようになる。
常に、皆への愛と、理解における人間性を忘れないこと。
そして、目標は、出来ることを積み上げながら、1つ1つ分かって、地道な努力と常にある意志によって達成出来る。
愛することと、信じること、自由と平等、受容と人間性は同じだ。
皆を否定しても良い。
全員を肯定するのではなく、間違った人間は否定し、未熟なものとして考えるべきだ。
世界への愛は、時に、全員よりも、自分の方が努力することから生まれる。
自分は、世界の全てを執り行うことが出来るだろうか?
天皇のように、世界の全てを支配出来るだろうか?
それは、文章を書くことで、出来る。
しかし、それは時に、未熟で、馬鹿な人格を新しく作る。
それは、いつか成功し、努力の成果が花開くだろう。
認識と精神、なったものを思い出すと治る。
あとは、具体的な認識が無くなった。
宇宙、自然、意識、環境、人格や記憶、世界の具体的な認識が多かった。
自由や体験を分かっていた。
僕は、皆に高まってほしい。
僕が低くなりながら分かるせいで、皆があまりに低くなった。
高まってほしい。