昔は、可能性から色んな事を考えた人間だった。
組織と環境の可能性を考え、適用し、変化を考えて、世界の成り立ちを分かった。
色んな人間になったつもりで考えた。
最近の昔は、沢山のことを発想するようになった。
構造を作り、可能性と関係性を考え、当てながら、推論に当てはめて、条件の世界観から発想する。
例えば、生命の起源は、海が波立つならば、波と重力の関係から、細胞が固まって生まれるかもしれない。
そのように、構造的に発想して、当てた。
生命の起源、次元、言葉、数学、普遍性などを考えた。
フロア経済、牛乳の水道、英語的な順序の日本語、音楽CDやコンピュータを配給する、地球のシミュレーション、などを、世界を全部作って発想した。
発想と社会問題の解決を書いていた。
環境は、吸収すれば適応出来る。
言葉にせず、見て分かれば良い。
環境と環境を融和させればいい。
記憶と環境、想像力と言葉、永遠と賢い人間、脳や人格を融和する。
楽はあとで辛い。
何も分からない引きこもりを殺して、色んな人間になる。
ユダヤ人になれば分かる。
発表はしなくていい。
純粋理性は悪い。純粋に考えるよりも、沢山のつまらないことを分かった方が賢い。
一行世界に表明して、思い出している。
言葉で思い出す。
自由とは関わり合う体験だとか、理性とは認識と判断とか、思い出して考えている。
ものを思い出せば賢くなる。
そして、考えている自分の分かったことを書いている。
昔は、狂った人間だ。
全員と全部の考え方を吸収して、狂った。
狂った人間は、馬鹿になって死ななければ治らない。
馬鹿になりたいだけだ。
馬鹿の方が楽だし、狂うのが治る。
何かしながら、徐々に何もしなくなると治る。
ものを思い出せば、賢くなる。
自分の過去が分かる。
自分は、おかしい。
理解が機械的で、超自然的な対話が起きると思っている。
そんなものは無い。分かるだけ狂うから、分からず、馬鹿になりたい。
地球を全部作っていた。
認識を構造化しながら、あるものを全部作っていた。
世界観を構造にして、積み重ねと演繹を、最初から作り直した。
出来るだけ正しく科学と文化を考えた。
また、世界を決めた後で、世界の歴史を辿った。
神として、世界の全員と話している。
対話し、宣言し、神を導く。
神とは、自分が神になっているだけだ。
神の世界を全部分かった。
宇宙の最初から最後までを分かった。
科学的なことは、理論を作って分かった。
何も無かった。ただの戦争で、地獄だった。