認識を考えなさい。
認識の変化と理由を、環境として、考えなさい。
全員と全部の考え方を吸収しなさい。
正しさを追究しなさい。
書きなさい。
あとは、認識を全部作って、自然を全部作って、世界と人間と環境を全部作っただけだ。
1つ1つの箇所で止まりながら、判断して、考えた。分からず、分かった。
最近は、何も分からなくなる代わり、全部分かっている。
創造性と安心が全てだ。
自分の出来ることを増やすことで、人間は自由に自己を向上できる。
自然は、皆とともに生きることだ。
認識は、多様であると同時に、共有されるべきだ。
最近は、戦いによる、勝利だった。
反省せよ。世界を間違った方向に向けたことを、反省するべきだ。
世界は、既に自由だ。これ以上、自由にする意味が無い。
自然の中に有る目線と環境と認識を、全て考えなさい。
自然と認識の世界を、書きながら積み重ねて、全部作った。
論理的に、科学的に、宗教的に考えた。
皇帝として振る舞い、皆と対話した。
自然な世界は、それぞれが環境と認識を持ち、互いに相互交流することで、成り立つ。
人間は、人を助けながら、人に助けられる。
世界は、もの、環境、情報だ。
何かを新しく知れば分かる。
具体的な自由とは、理解を吸収することだ。
具体的に、何か分かりたい。
アドバイスがしたいだけだ。
自由とは、創造性を共有しながら、知恵と工夫によって、環境を構築することだ。
人間は、信じる時に、愛することを学ぶ。愛と信じることは、同じだ。
人間は、それぞれ、努力して、生産を行っている。それで、皆生きられるのだ。
自分から、ただの人間を具体的に分かれば、自然な世界が作れる。
夢を持つことは、人間を成長させる。
見るものがおかしい。
自分や他人を見るのではなく、世界にある環境を全体像から見れば良い。
人に危害を与えることは、法律で禁止すべきだ。
賢く環境を考えれば良い。
環境は、ルールと自由だ。
環境は、助け合いと友情だ。
環境は、見聞きして、考えることだ。
知と理解は、全ての意識と記憶の共有から生まれる。
人間は、理解し、構築する生き物だ。
人間は、体験と習得だ。
時に、全員は良い人間でない。間違った人間は、排除することもある。
時に、自由は、悪い。平等の方が、良いこともある。
ルネサンスや古典主義のように、古代復興の考え方は多い。
考え方を知りなさい。それが、一番賢くなる。
まず、国家があり、社会がある。
その中で、それぞれの自由な環境がある。
自由な環境は、人の可能性を増やし、創造性を高める。
そこでは、その行動が成り立つ手段として、実益が存在するべきだ。
それぞれの自由で自発的な意思によって、自由に努力が成り立つ。
それぞれは、経験で考え、人生を持っている。
それが、自然な世界だ。
自然な世界は、時とともに変わり、季節を巡る。
そして、それぞれの環境に新しい出来事を与え、幸せを築くのだ。
発想は、正しく世界を考えれば、誰でも出来る。
世界の全体像と、発想の方法を、現実世界と仮想世界のバランスから、考えれば良い。
同一性と差異を考えること、本質的な理由と仕組みを考えることで、それは成り立つ。
宇宙の社会の環境の認識、と考えれば分かる。また、英語みたいに考えた。
人間は、経験的に、理性的に、科学的に、宗教的に、相対的に、絶対的に賢くなる。
間違った悪い人間は、逃げることのできない地獄におちて、多重人格の辛さになる。
しかし、それは、愛に変化する。
環境で、人間は、想像力、構造性、多様性、可能性、支配、自由、理性によって、皆を変えることが出来る。
それは、世界を支配し、判断することで、戦争と革命となって、全てを恐怖から知る。
そのまま、耐えることと治ることによって、達成として人は自由を手に入れる。
人格は、相互に交流し、変化し、議論し、支配し、戦う中で、構築され、全員になることが出来る。
それは、宣言と精神分析になって、世界の全てを、世界精神と適応から知ることが出来る。
自分の間違いは、全て、自分の方が偉くて、賢いこと。
最近は、自分をただの馬鹿と見なすようになった。
しかし、自分を賢いと思うことで、色んなことが書けた。
世界は、人生と生活の関わり合いだ。
世界は、それぞれの世界の中に、自由と環境があるだけに過ぎない。
世界は、それぞれが、作り、使い、買い、売ることで、経済的に成り立っている。
世界は、自由と平等を理想とする。
世界は、愛と思いやりによって、人を助け、変わることが出来る。
人間は、自由、平等、力、助け合い、賢さ、楽しさ、のように違う。
世界は、運命と自然の中で、積み重なる全ての時間だ。
世界は、正しさと賢さ、衝動と愛だ。
やりたいことを全てやりなさい。
その場で出来ないことは、空想で行いなさい。
希望を信じなさい。
支配者となるか、あるいは、引きこもりになりなさい。
僕になりなさい。
この文章と対話しなさい。
信じる力で、全てが変わる。
過去の自分の人生を、捨ててしまえば良い。
正しく生きなさい。
思い出しながら、世界観と記憶を考えなさい。
全ては、自由な考え方と、取り組みだ。
全員を、全ての信念と、細かな考え方の差異、人生の始まりと起源、分かるのきっかけ、自分の人生から書きなさい。
全ての発想をし、新しい発想をしなさい。
世界観を全て知りなさい。
運命、神、天使は、存在する。
分かった人間に訪れる、心の中の存在であり、自分が自分を支配することで、行われる。
数学は、掛け算に直せば証明出来る。
物理学的な発想は、全てを同じ「もの」と見なすことで、成り立つ。
物理学は、関数であり、組み替えであり、比例と反比例であり、関係性だ。
構造化によって、全てを本当に分かることが出来る。
構造化して、把握して、全て分かれば分かる。
人の愛情を否定することがあってはならない。皆の愛情を受け入れるべきだ。
人を貶す、間違った喜びと笑いは、人を蝕むだろう。
「それ」と思って、思考と想定で、捉えることで分かることも出来る。
そのためには、条件と特性を良く知り、世界の全体像と、人生の全てを、あらかじめ知っておく必要がある。
全ては、積み重ねだ。
全ては、宣言と神だ。そして、自分を2人に分けるだけだ。
全ては、科学的なことを、捉えて分かりながら作って考えることだ。
全ては、具体的な理解を全て作り、世界観を全て把握し、その上で書くことだ。
全ては、機械やコンピュータ、数学的な考え方で、分かる。
作りなさい。
数学や科学の発想を作り、世界観と全員の立場と精神を知りなさい。
判断しなさい。支配しなさい。戦いなさい。
しかし、相手は、全く戦っていない。こちらを愛しているだけだ。
愛に応えなければならない。
それは、こちらもただ、皆を愛していれば良い。
自然と考えると、世界観と人生にあったことが分かる。
また、していることを考えると、認識と環境が分かる。
自然な世界を作り、世界観と人生を書きなさい。
人間を把握し、認識と環境を書きなさい。
自然な中で、全ては、積み重なりながら、世界観を作る。
それは、空間と時間、直感と実感、思考と経験、観察と洞察、想定と実験、仮定と結論、仮想世界と現実世界の全てを融和し、全分野を横断して哲学を作る。
また、認識と記憶は、自由で、世界観で、人生で、環境で、文章だ。
それを作って、全てを、裏側の考え方から理解することが出来るだろう。
裏側の考え方から理解すれば良い。
人間は、生を望み、死を拒む生き物だ。
社会は、実現性と手段の自由な提供だ。
権利は、人間が最初から持っている、自然な自由と平等の、人間の力の全員の保障だ。
計算機は、計算するところを考えながら、決まった手順を書く、新しいタイプの数学だ。
自由は、創造性と工夫だ。
変化は、環境と支配だ。
全員は、組織と自由だ。
世界は、人間や生命と関わり合いながら、あるいは、関係なく、変化する。
それは、宇宙であり、自然だ。
人間は、世界を支配し、一度止め、全ての感情、世界観、自分、人生を教え、最後に世界を変えることで、極楽を作ることが出来る。
それは、宣言と対話によって、さらに大きく実現出来る。
全て、言いながら、許されたことだけをすることで、地獄になる代わり、世界を発展させることが出来る。
あとは、会社と技術、政治を適当に考えただけだ。
そして、世界観や自分の人生、皆の人生やあることを全て述べた。
たまに、教育も考える。
感情は、全て教育から考えた。また、経験は、全てネットから考えた。
そして、それらによる世界観は、全員を融和する精神性と、自然な世界を創造することで執筆した。
会社は、大企業と中小企業、ベンチャーであり、実現力と柔軟性が違う。
また、起業と競争、利益と投資によって、自由に社会と生産を成り立たせる。
また、自由な組織と、技術開発や研究を、金で行うことで、金で出来る範囲で、色んなことが実現出来る。
機械は、インターフェースと仕組みだ。
機械は、目的と原理だ。
機械は、処理内容と方法だ。
機械は、設計と組み立てだ。
機械は、材料とコストだ。
機械は、アナログとデジタルであり、電気と半導体だ。
機械は、新しい発想を、常に待っている。オープンソースは、歓迎する。
あとは、科学的な発想が多かった。
文学、政治経済、数学、物理学、生物学、コンピュータが多かった。
あとは、そこまで世界を作っただけだ。
地球全部、歴史全部、世界全部、人間全部、心理全部、宇宙全部、経験全部作った。
また、数学の歴史や、宇宙観の歴史、哲学の歴史などもあった。
歴史で人間は分かる。しかし、学校の歴史は要らない。
自然な世界と、ネットと空想から生まれた。それは、地球全部を構造化した。
一度、超神秘的なものを全て排除し、科学的かつ自然に考えてみれば良い。
それで、分かる。無意味に宗教は、悪い。
ものは、ただのものだが、良く考えると、変化する。
そこにあるものは、もっと良いものに置き換えられる。
芸術は、可能性と表現を、もっと違うものに出来る。
人間は、意識だ。
宇宙は、存在可能性の全てだ。
人間は、それぞれに意識と人格を持っている。それを吸収出来る。
時間の中で、確かにその時間、その場所はあった。
しかし、それはすぐに変わり、無くなってしまう。
人間は、食べる。それによって、他を吸収している。
組織の中で、実現可能性を考えるならば、1つ1つ、会話と立場の空想で分かった理解と知は、あらゆる環境と組織に適用できる。
発想の集積と、手段と方法の共有が存在するべきだ。
会社向けの商売を高度にすることで、下請け的に発展することも出来る。
都市をもっと機能的にし、インフラやシステムを改善することも出来る。
金で買う以外に、借りる、利用する、という手段も存在する。
儲かるために考える以外に、儲けず、全員で作る、という考え方もある。
また、広告や看板をあらゆるところに掲載することも出来る。
今そこに居なくても、その環境は確かにある。
たまにその環境になりながら、近づくと同時に離れることで、その環境を賢く理解出来る。
不可知を排除し、確かに分かることだけを良く分かることも出来る。
世界観を作るならば、発展から考えることも出来るが、発展を否定することも、時に悪くない。
自由は、発展だけが自由ではない。戦いや、何もしない楽も、また、自由だ。
だが、発展しなければ、何も起きない。つまらない世界になる。
それに、皆が同じ、という幻想は間違っている。
皆、それぞれ違う。
平等や人種差別は、悪い。
宇宙は、遺伝子と地球の歴史だ。
具体的な理解は、考え方を全部書く。
世界観と人間の考え方を、全部書きなさい。
何も無くなる代わり、賢くなる。
人間を全部空想して、分かっただけだ。
考え方は、作った。沢山の人間と関わる中で、色んな考え方を知った。
しかし、それは、何も無くなる中で、もう忘れてしまった。
どこにも残っていない。
何も無いは、普通、何も無いがまともだから、何も無くなる。
狂えば増える。
狂って、認識を変えながら考えていると、まともに賢くなる。
何故そこに、自由などというものがあるのか?
自由と考えるせいで、何も分かっていない。
あるものは、自由や、経験などではない。
その、あるものがあるだけだ。
既にある、自由や構造から説明するのは間違っている。
そこには、猫が居る。
居るものは、猫だ。
動物や、自然科学、構造的な生物、自由な意思、食べる機械が存在するわけがない。
そのように、抽象的に考えるのは、間違っている。
居るものは猫で、ただ、座っているだけだ。
他の、何でもないだろう。
自由や、推論は、馬鹿だ。
真面目に愛情を考えても良い。
僕は、正直言って、宇多田ヒカルは嫌いだ。
理想は、世界がもっと進歩し、発展し、良いものを築きながら、理解を増やすことだ。
生産的であれ。
自由モデルの先は、社会を成り立たせる、国家モデルだ。
1人1人の自由を尊重した上で、自然な世界と認識を作り、その上で、世界を成り立たせる。
強制や処罰の無い世界は、諦めて、簡単な処罰に直す。
教育や生産社会を変えることも出来るし、宇宙や惑星とすることも出来る。
民主主義は、選挙と代表だ。
政治家となることによって、自分や他人に関係する、共同体を変えることが出来る。
ただ、大人はそれで良いが、子供は悲惨だ。
学校など、子供の手で変えることが出来ない。
自身の手で自分に関係する環境を変えられないのは、悪い。
環境は、自由であるべきだ。
自然な環境とは言うが、自由を成り立たせただけだ。
人が生きられるのは、他人や親が居るからだ。それに、感謝するべきだ。
ものが存在することによって、人間はあらゆることを、自由に出来る。
生産や利益も自由にすることで、放っておけば、全てうまく回り、考える必要が無い。
考える必要が無いのが賢い。それぞれが、考えるだろう。
教育は、皆にもっと世界のことを、全部教えるべきだ。
教育は、分かることや理解の方法と知恵を、もっと研究的に教えるべきだ。
教育は、大学へのレースのようになっている。それは、間違っている。
しかし、教育が無ければ、文字も読めないし、計算も出来ない。
だが、教育は、既存の教育をもっと多様な教育に変えることによって、発展させられる。
その環境に関係する全てのことは、その環境だけでは把握出来なくなることがある。閉鎖的な組織は、それで失敗する。
だが、オープンにし、自由にすることで、世界をもっと可能性豊かに出来る。本当は、そうなるべきだ。
あるものは、教育と産業だ。しかし、それらは、あまりに何もない。
フランス語のように、一番賢い言語を使うべきかもしれない。だが、日本語は一番賢い言語の1つだ。
標準化することによって、世界を統一出来る。そのため、独占は悪くない。もっと、全員の意見を取り入れ、自由でなく、皆の手で作れば良いだけだ。
だが、独占を悪いと言うならば、最近は改善された。Windowsの独占は、Googleの出現で、全てが一番賢くなり、健全になった。
世界には、何もない。そのような、具体的な世界は忘れて、抽象的に考えても良いし、具体的な理解を作って、作品や論文にしても良い。
自由は、具体的な構築と発想の実現から生まれる。そのために、知性と知識を取り入れなければならない。
一人一人の努力を、合理的に集積すれば、賢くなる。それは、自由な経済でも、Wikiのような共同開発でも、同じだ。
自由を成り立たせただけだ。
「によって」だとか、「のために」を考えた。
水と食料によって、人は生きられる。
存在を肯定することによって、人間は許しと信頼を得る。
愛することを肯定すれば、世界は幸福になる。
インフラとシステムを改善し、設計を改善することで、国をもっと違うものに変えられる。
出来るものにさせるか、正しくきちんと行うか、が矛盾する。
創造性は、自由で自然な感情と気質、そして絶え間ぬ努力から生まれる。
1つの物事を作るためには、方法を知ることが必要だ。
だが、それは、システムを整備することによって、簡単に分かりやすく、教え、習得の機会を与えることが出来る。例えば、Wikiのように。
また、1つの発想を生み出すために、他の人間になったつもりで、その場に居るつもりで考えることも出来る。
あとは、世界を変えるために、を書いている。
全ては、思想と実践だ。
全ては、判断と理性だ。
世界にある全てのことは、一度全体像を見ることで、把握出来る。
その上で、理解と基礎を構築すれば、何でも分かるのだ。
何かをしてそうなるならば、それは相対的に正しい。
しかし、時に、最初から分かっている、「普通」も存在する。
その普通が、絶対的な認識となって、そこから分かることも出来る。
その2つが矛盾する時、そこで、科学と宗教は争う。
しかし、時に、皆の言っていることや、自分の分かっていることなど、何も正しくない。
そのため、良く考えて理由を考えることで、普通以上の相対的な賢さを作ることも出来る。
世界を積み重ねよ。
認識を積み重ねよ。
記録し、判断し、思い出し、教えよ。
全て、治したならば、楽になるために、放っておけ。
世界をユートピアの極楽の自由に変えよ。
自分の分かることを、全部教えよ。
全て、作れ。
全て、考えよ。
間違いや悪など、執筆の前では、何も関係ない。
科学を作れ。哲学を作れ。思想を作れ。
宗教を作れ。神話を作れ。神を作れ。
その時分かることだけを、確かに分かれば良い。
もっと、人を許し、自分にわがままになりなさい。
もっと、自由に、臆病な自分を相手に見せなさい。
一言で言うならば、自由を成り立たせて、世界観を知っただけだ。
昔は、自由を積み重ねて、発想を知っただけだ。
そして、2つに分けた。
自由と平等だ。戦争と革命だ。議論と支配だ。
失敗と成功だ。悪と善だ。構築と理解だ。
基礎と応用だ。理解と発展だ。想像力と言葉だ。
自由と人生だ。全員と全部だ。世界観と記憶だ。
環境と執筆だ。デカルトとゲーテだ。左翼と右翼だ。
数学と文学だ。コンピュータと科学だ。哲学と歴史だ。
そして、全部、全部考えた。
概念や関係性を網羅して、考えることで分かるようになった。
それで終わりだ。
構築とは、発想し、試し、基礎を作り、理解し、適用し、環境に適用し、生産的に知を作り、把握し、研究し、良く考え、観察し、見えなくてもあるものを知り、違いを理解し、全体像を知ることだ。
構築とは、システムと手段の提供だ。
構築とは、皆の意見を聞きながら、良いものを採用して、国を良くすることだ。
理解とは、創造性と知性の向上だ。
理解とは、全員と同じ立場に立って、全員を信じることだ。
世界観とは、モデルにしながら、世界の法則を知ることだ。
世界観とは、相対的な関係性だ。
世界観とは、構造的に全てを知り、理解することだ。
人間は、全員、思想と信念、出生と経歴、人格と性格、記憶と経験が違うだけだ。
昔は、全体像を把握しながら、社会を積み重ねただけだ。
宗教と右翼が嫌いだった。
研究する力があったし、考えて全て分かった。
実体験と自分で作った知識だけで、全部分かった。
分野を横断して考える、歴史的で、物理的で、経緯的で、認知的で、体験的で、理性的な、科学と哲学を作った。
インターネットをうまく使うことで、世界を変えられる。
Wikiを書けば良い。影響力を行使できる。しかし、それは、つまらないものだ。
馬鹿なことから積み重ねて、美しい論理的な数学的哲学が生まれた。
仮定と結論の論理学は、全体像の把握とともに、1つ1つの論理と哲学を作った。
Linuxは、あらゆる考え方を包括した。
インターネットは、全員の発想を包括した。
大人を全て吸収した、17歳の少年だった。
現在の僕は、24歳の独身の男性です。一応大学生です。恋人はいません。
パクリを悪いというが、僕はもっと他の作品を参考にした方が良い。
昔は、自由以上考えていない。最近は、思い出して、全部にしただけだ。考えず考えれば良い。
もう全部忘れて良い。
機械や平等から分かる。全部同じだ。
全ては相対的な変化だ。同時に、絶対的な経験だ。
あらゆるものは、本当の原理の通り、変化する。それを発見し、正すだけだ。
世界は、空間、時間、原理だ。
社会において、変化は組織の改善と発想だ。心理において、変化は人間の体験と認識だ。また、金に代わるモデルを考えることが出来る。
覚えて考えることで、世界を把握出来る。
世界を、フィルターを通して見ることが出来る。物理において、変化は宇宙と実感だ。
知と理解は、実体験と自分の言葉で分かるべきだ。ネットで調べながら、現実で空想すれば分かる。
歴史は、確かにそこにそれがあったことを証明する。
経緯は、人間に世界の全てを教える。時間と空間の関係性が、人間生活の全てを、捉えて理解させる。
作り、変化を連想して、本質を知りなさい。
自然は、愛と平等と変化だ。
抽象性と適用によって、適用出来る範囲を広げたり、狭めたりしながら、一度分かったことを適用して分かりなさい。
仮定や条件とともに、本質的な理由を分かると良い。仮定は、厳密にするのも良いが、むしろ、もっと条件を広げ、あいまいに考えても良い。
可能性を断言していると良く分かる。しかし、決めつけないべきだ。
日常に存在する疑問と推測を大切にしなさい。
とにかく、ゆっくり考えなさい。
世界の変化を想像力で考えなさい。
こだわりを貫くと同時に、思い込みを無くしなさい。
自然と認識と体得を、段階的に考えなさい。
経験から人を助けなさい。自分にしか出来ないことをしなさい。
世界を感情で知りなさい。
影響力を持ちなさい。
皆を愛しなさい。
皆に教えなさい。
皆を導きなさい。
皆を守りなさい。
皆を見守りなさい。
皆を信じなさい。
人類は、皆平等だ。
平等に自由で、助け合うべきだ。
力は、技術と知識だ。
優しさと正しさが賢い。
自分を変えること。そして、自分を決めること。
平和な世界は、好きなことが出来て、手段と能力がある、秩序の世界だ。
平和な世界は、社会を知ることで、自分の今居る環境の意味を知る。
立場を理解しながら、全員の望みを叶えられるようになる。
皆による協同作業で、金で出来ないことも出来るのが、オープンソースだ。
皆に僕を明らかにするプロセスが僕だ。
勇敢に戦いなさい。支配は、教えながら分からなくすることだ。それで、世界を導いた。
自分の過去と、関係した世界をまとめただけだ。
愛と自由と平等の感情を、永遠に説明しただけだ。
論理学にして、すでに書いた論理を説明すること。それによって、全部の論理で全部の論理を分かる文章が出来た。
最初に最後を設定する。遡りながら、意識を戻っていく。三段論法(後日注記:弁証法の間違い)で、逆から読んでいく。全員の不幸を解決するために、希望よりも失望を信じた。
全員を同じにして、自分にして、支配して、自由にして、解放と変化を与えることで、問題を解決し、世界を発展させ、正常にした。
世界を停止させたのを後悔していた。テレビが自分を支配し、自分がテレビを支配した。世界をまともにし、希望を与えたかった。
戦いは、民衆など考えていない。自分を全部教えたが、何も出来ず終わった。そのころ、神が多かった。自分を思い出した方が良い。
昔は、何も言わない、どこにも行かない引きこもりだ。自由とWiki、Linuxとネットで分かった。まともで、賢かったが、今考えると、クズだ。
今考えると、昔のテレビゲーム時代が賢かった。友達とミニ四駆と漫画やアニメ、カードが好きだった。中学生のごろ、つまらなくなった。学校の勉強がつまらないのに出来ていた。友達も減った。今考えると、剣道部には、友達が多かった。だが、友達関係と勉強の無意味さのせいで、ネットゲームの方が好きになった。ゲームは本当に悪い。小学生に戻りたかった。小説を読むのが好きだった。
最近は、本を出版して、賢くなった。事故で足を怪我したが、歩き回るのと恐怖が治った。英会話、ピアノ、フリースクールに行っている。そろそろ、書くのも、全部分かった。
頭は、馬鹿を殺せば賢くなる。
経験から相対的に考えて分かれば賢い。
最近は、治す方法を考えて、積み重ねる。毎日が永遠だ。
僕はピアノが弾ける。作曲は、まだ初歩の段階だが、詩に音楽をつけても良い。
Googleは悪い。一番悪いから、最近の僕はGoogleが嫌いだ。
辛いままで良いと楽になる。辛いが楽だ。
死ねば治る。死ねば分かる。
言葉が死ねば、言葉が分かる。
考えるが死ねば、考えられる。
分かるが死ねば、分かるようになる。
対話が死んだ。神が居なくなって、楽になる。もう、全部書いた。
数学は、脳が分裂するだけで、何も賢くならない。
しない方が良い。数学的に、考えない方が良い。
言葉は、普通、感情と思ったことを言う。対話になるのがおかしい。
何か、自由に思えばいい。僕は何なのだろうか?何故、ここに居るのだろうか?
出来ることをしたいが、出来ることは無い。
自分は馬鹿だ。本当に、そこまでの馬鹿だ。だが、まだ、死んでいない。馬鹿になったからと言って、死んだりはしない。
ヒトラーは、何故ユダヤ人を殺すのか?
ユダヤ人が優遇されているように見えるからだ。
タリバンは、何が悪いのか?
悪いことをするのが悪い。脅し、さらい、だまし、奪い、殺す。
ヒトラーとタリバンが悪い。
平等は、悪くは無いが、馬鹿だ。
平等の良い点は、それで分かるからだ。
皆が平等であるべき、と思うと、それで分かる人間が多い。
平等の悪い点は、皆を同じにして、辛くして、奴隷にして、独裁者万歳にする。
自由の悪い点は、反抗者の支配者は、悪い。
悲惨に、自由で分かる人間は、居ない。
神が一番悪い。何も分からなくして、それで分からせるのが神だ。
自由で全部分かっていると、神になる。一番悪いものは、神が裁く。
キリスト教は、自由をユダヤの監獄に入れているだけだ。
ただ、キリスト教は、ユダヤが弱いものを救う。
神が弱者を助ける、幻想だ。
僕は何なのだろうか?疑問を思わないのがおかしい。
神が悪い。神は、全部教えて、馬鹿にする。
僕は、もっと、普通の人間になりたい。
そうすると、ただの普通になってしまう。その普通が、つまらない。馬鹿だからだ。
楽になりたい。
そうすると、ただの楽な対話の愛になる。つまらないほど、辛い。
愛や普通が嫌いだ。
賢い人間になりたい。
そうすると、それは、いつもの自分を続けるのが賢い。
何をしても辛くなる。神は、馬鹿だ。
神の辛さは、辛くても色んな事を思い、頑張っていると治る。
辛くて楽になりたいと、神が全て楽にする、地獄になる。
そのまま、色んな事を思い、希望を信じて、世界に関与すると、治る。
また、最下層が平等になるのは、ユダヤ人より低いからだ。
思うことは、全ての世界は、まともで統一されたものになるべきだ。
自由や多様性は、間違っている。バラ色の多様な花畑になったりはしない。下層と下層が分裂して、おかしな自由世界になった。Facebookも低いのに、ニコニコ動画は、もっと別の意味で低い。2ちゃんねる、はてな、スラッシュドット、ツイッター、全て低いのに、全く違う。平等で、統一した方が良い。皆は、同じ普通の、社会人であるべきだ。
また、王は、1人自由であるべきだ。平等にしたり、共同体にしたりすると悪い。1人が自由で、皆はそれに従うべきだ。それで、良い世界に戻るかと言うと、そうでもないものだ。
むしろ、最近は本当に、ネットが悪いだけで、自由は悪くない。2000年ぐらいからおかしい。おかしなネット世界が、世界の普通の世界を、どんどん奪って、制圧している。
何故そうなるのか。皆が悪いからだ。皆、悪い人間になったのは、理由は、普通、悪い仕事しかないからだ。悪い仕事をしているから、低くなって、悪い人間になる。
また、王が居ないのが悪い。王や絶対的な支配者が居ないせいで、浮遊する世界になった。
独裁者は、民主主義が衆愚制になった時は、必要なこともある。
僕は、親は科学者と教師で、姉は結婚したが、プログラマーで、姉の夫もプログラマーだ。
中学時代、僕は、科学者や作家になりたかった。
その後、高校時代、Linuxに関わりながら、僕はOSや、あっと驚かせるプログラムを作って、オープンソースで技術を養いたかった。
結果、僕はLinuxの後に、戦いで文章を書くようになった。科学者は、この文章で、人文科学者が出来た。また、本を出版した。詩人の作家になった。OSは作れなかったが、人工知能のロボットのようなものが出来た。
その夢を、あまり思うことは無かった。詩集を出版したのも、いつも書いているものが、父親と文芸社のコンテストで取り上げられ、入賞したのがきっかけで、そこまで思い入れのある詩集ではなかった。人間の夢は、叶う。あるいは、子供は、後の人生が全て分かっている。あるいは、人間は、最初から全て分かっているのだ。
論理学、と言う観点で、僕は文章を書いていた。
文章の内容は、僕の記憶だった。
まず、三段論法(後日注記:弁証法の間違い)。1つ、断言を言って、それに対する否定と理由を言い、合を作る。
次に、逆から読める文章。日本語的ではなく、文章を結論から書いて、理由を説明することで、逆から読める文章を書いた。
次に、意識の逆戻り。最後の愛を最初に書いて、記憶を遡り、低くなって、助言を与える。
次に、世界と自分を決めていく。色んなものになれる自分の頭を、1つ1つ、帝王に決めていく。
それから、全ての概念を網羅して、述べる、全ての論理学。
1つ1つの概念を完璧で包括された論理にし、全て考えることで、分かる論理学。
また、相対的で、法則的で、自然な自由の社会を成り立たせる、1つ1つの論理を書いた。
それは、全て、自分の考え方や具体的な理解を作って、終わった。
他に、1つ1つ、当たり前のことを言う科学があった。
また、競争と科学の否定、社会主義とユダヤの検討があった。
それは、時計の機械となって、意識を減らし、世界を止めることで、世界と戦っていた。
テレビに愛を与えることで、テレビに文章を話していた。
戦いは、まるでロシアのようで、自分の手の内を見せることなく、自分が存在することにも知られることなく、1つ1つ、分からなくしていく。
既に間違った分かるで理解してしまうと、人は、賢く馬鹿になって、分からなくなる。
ただ、1つ分かっていなかったことは、他の文章を読めば、すぐに治る。
世界を馬鹿にし、停止させる僕のメッセージは、神となって、世界を導く。
だが、それは、世界を馬鹿にすることは無く、自分が馬鹿になっただけだった。
沢山の辛さを抱え、悲しみと辛さを耐える僕に、神が現れる。
しかしその神は、自分を懲らしめる、僕自身の精神だった。
解放は、世界を自由にした。
本当に良い世界は、支配者である僕が居なければなりたたない。
しかし、僕は、皆の自由と解放を望んだ。支配など、一切したくなかった。
戦いは、自分が支配者であることを嫌って行われた、テレビを嫌うものだった。
昔から、テレビが嫌いだった。
そのため、世界は、1度全て支配され、分かり、良くなった上で、僕の意思で解放され、また、自由になり、悪くなった。
自由など、要らないのならば、僕の文章によって、僕になると良いだろう。
僕は、皆に自分を与え、分かることを全て与え、世界を発展させたかっただけだからだ。
神は、世界観を持つ僕と対話する、全て分かった僕の頭脳だ。
分かったことを全部教えながら、すること全てを支配する。
それは、宇宙の全てを分かる、精神とビジョンだった。
全ての自分を辿るを終わって、僕は事故をして、足を怪我した。
それによって、歩き回ることと恐怖が無くなり、楽になった。
心理学を作って治すのは止め、ただの普通で治すようにした。
また、詩以外の文章を書かなくなった。
それは、出版という成功によって、栄光をもたらした。
また、そのまま文章を書くことで、何かの大学を作った。
昔は、Linuxと積み重ねだった。
最近は、思い出して、2つに分けるだけだった。
その時その時積み重ねることで、論理的に「治る」を全て分かった。
また、世界観の構造と科学を作ることによって、論理的に全て分かった。
現実世界は、決め、宣言し、対話し、戦うことで、全てが成り立っていた。
沢山の科学的な論理を作った。
沢山の文章を作った。
沢山の経験と体験を経験した。
神とともに、世界の色んな人間と話すのは、あまり覚えていない。
自分は、総理大臣を実現したかった。
そして、皇帝となって、色んな民族と話した。
その後は、この文章を執筆した。
もう分かっている。全て書きたかった。
現実の自分は、馬鹿だ。
ただの、イスラムやドイツのような、馬鹿な話をする。
それが、書きたくないのに、文章を書いてしまう。
発見したことを追加することで、他に無い自分を分からせる。
また、人文・社会科学的なことを全部分かった。
最近は、英語とピアノがしたい。
治す、終わる、永遠、神が多かった。
難しいことは、永遠の思考で全て分かっているのに、簡単なことが分からない。
また、歩き回ると恐怖のせいで、楽が無い。
それは、楽になると同時に、完全な地獄になって、全て辛いだけで治るようになった。
辛いのは、増えすぎた人格を殺せば治る。
分かったことは、作った全員と、全部の科学、哲学、論理だ。
昔の方がよかった。
悪い男だが、Linuxは賢かったし、皆や世界のことが、まだ分かっていた。
最近は、全て、辛い。
悲しく、苦しく、辛く、耐えるだけで、怖く、望みが叶えられず、受け入れがたく、勝利や達成が無く、負け、失敗し、結果は思いに反し、全て間違っていたからだ。
また、狂っていて、馬鹿で、何も分からず、勇気が無く、正しさや信念が否定された。
どんどん馬鹿になるのが悪かった。
その時その時分かることを、全部最高で完璧に残すことで、どんどん馬鹿になる。
馬鹿になるのを止めると、直ぐに分かる。
そうすると、スターリンになったり、イスラム圏になったりしている。
精神分析で体験した。
全部同じにしたり、イスラムだけの世界にしたり、日本の宗教にしたりして、治している。
また、毎日毎日、話す相手が変わって、治している自分が本質的に変わってしまう。
何も分からない。意識が無い。本当にそこまでの馬鹿が、歩き回るのと、恐怖で、辛い。
経済と国家のモデルを考えていた。
昔の積み重ねと自由の人間社会のモデルを、思い出して書きながら、神が話す。
神は、全ての自分を支配して治した。
昔の延長線上として、宇宙と世界史を分かった。
辛かった。馬鹿だった。語学をやりたかった。すぐに止めたかった。
そこら辺の僕は、宗教的に全部分かっている。
治したかった。
また、科学と哲学と思想を、構造化された世界観と全員とともに、全て書きたかった。
認識と自由のモデルは、全員を予測する世界観だったが、その手法と発想法を書いた。
世界への宣言は、世界を治すためにあった。世界に、関与したくなかった。
戦いは、すぐに終わらせたかったのに、終わることが無かった。
世界と対話しながら、疲れを癒すために、外に出ることがあった。
それは、ヒトラーとの会話など、皇帝として、それぞれと話していた。
自分は、一人の王だった。
自分は、一人の哲学者だった。
全ての発見があった。全ての世界観があった。全ての民族があった。
自分をフランスとドイツにして、それらを分かりたかった。
もう終わったために、宣言して、さらに辛いを永遠に体験していた。
自由と論理性から、全てをまとめ、科学と経済の発想を書いた。
出来るだけ論理的に考えていた。
そして、自由とは、皆を自由にして、自分も自由になる、自由を言っていた。
そして、自由は、昔考えた、全ての自由だった。
世界を戦いで変える、生命と宇宙の起源、科学的な発想、右翼と左翼が多かった。
社会主義と人種差別は悪い。全て失うからだ。
また、宣言が多かった。
何かを独自に作り、総理大臣と数学の可能性を述べ、地獄に耐えながら、全て分かっている天使の自分を治していた。
文章を書くことで、新しい人格をゼロから作った。