僕の文章には、構造ばかりで、目的や用途が足りない。
自動車は、移動するための機械だ。
ガソリンを燃やして動く。
ガソリンを移動するためのエネルギーに変換している。
いつも書いている文章は、その時その時分かることや、過去を思い出して書いている。
心を変えて思い出せば分かる。
世界のほとんどは、人間が作ったものだ。誰かに出来るならば、自分にも出来るはずだ。
理由があって決められたものは、理由が分かれば変えられるはずだ。
ものは、想定と対処だ。
ものは、設計と考え方だ。
馬鹿は分かる。人間は、馬鹿の方が良い。
宗教を信じないと馬鹿になる。
想像力と実感で、言葉なく連想すれば分かる。
すべて消して目的だけを分かれば分かる。
すべては、構造と目的だ。すべては、構造性と演繹だ。
すべては、文化と法則だ。文化は、例えば、人間は服を着る。法則は、例えば、火をつけると、ものは燃える。
体験、感情、積み重ねだけですべて分かる。必要なものは、機械の自由と文章、読み書き、たくさんの人間たちと自由な環境だ。
関係性と助け合いの中で何が出来るか、が自由だ。
人々を助けたい、と思う気持ちが自由だ。
体得せよ。経験し、習得せよ。
それ自体に意味が無くても、経験となって、その体得は花開く。また、色んなことが分かる。
感情と世界観をすべて具体的に知れば、予測と適用で、何でも分かる。
文章で段階と最初の信念を網羅して、全部の体験をし、全部の記憶と文章を書けば良い。
可能性は、機械と社会を進歩させる。
支配は、国家を統一し、国民を統率し、自分と同じにして従えることで、強く出来る。
科学は何も分かっていない。未だに、人間は何も分かっていない。
失敗しなければ成功出来ない。開拓し、挑戦せよ。
基礎を作ってしまえば、話を聞いて、信じながら疑って分かるようになる。
理由を説明せよ。
素材を工夫してものを作りなさい。
知性が無かった。分かったのは、全部機械だ。意識が無く、今までに分かった内容しか分かっていない。
ルールが無ければ、秩序は生まれ無い。
機械や社会は、具体例やたとえ話で分かると良く分かる。
あればすぐに分かるようになった。
システムやルールを作りたかっただけだ。
まだ何も分かっていない。
自分の言いたい方を言えば良い。言い過ぎで怖くなった。判断せず、自分の意思を言えば良い。
時間を遅めているだけだ。
逆になっているのが治った。治ると治らないが逆だった。するとしないも逆だ。
架空の世界を作れば良い。ドラゴンの王や、魔法の商品、未来の銀行などを考える。ただ、それが何なのか、考えれば良い。それから、子供が戦う物語にすれば良い。子供と子供が争えば良い。
遅めて永遠を止めれば環境に適応出来る。あとは、昔のように、適応と感情と意識で分かる。
積み重ねは、基礎を作っただけだ。人間、世界、国を、基礎を作って考えた。まず想像力で、次に書くことで、世界を人間から作った。
基礎を築きながら、目的と必要性を考えることで、全て分かる。
人間は、生きる。
人間には、男と女の性がある。
生き物は、水と養分と、動物ならば酸素が無ければ、生きられない。
肉食動物は、獲物を捕まえるのが困難だが、強い。
草食動物は、草などを食べるだけ、生きるのが容易だが、弱い。
ものは、買わなければ手に入らない。そのためには、金が必要だ。
金を得るためには、自由な経済の中で、働いて給与を得る必要がある。
そのためには、会社に入ることが必要で、そのために、学歴などの経歴が必要だ。
自由は、格差を作り、金のあるものだけが、さらに金を稼ぐことが出来る。
金は、良いものではないが、現実的な、まだ賢い、ものの交換と分配の手段だ。
移動のために、自動車や公共交通機関の利用が必要だ。
自動車に乗るためには、免許が必要だ。
家族を作るためには、結婚して、恋人とともに子供を作る必要がある。
それくらいが、社会的な基礎だ。
それでは、理性的な基礎とは何だろうか?
それは、積み重ね、構築、学習と経験、予測、実験、論証だ。
何か知れば、知らないよりも、1つ多く自分の分かる範囲のことが増える。
また、知るだけではなく、言葉や考え方を作ったり、自分で試したり、予測したりすることが出来る。
まず、基礎を作ること。
次に、予測し、試し、論証すること。
そして、演繹し、推論すること。
その上で、構造化することだ。
新しい機械、新しい発想は、常に登場し、常に最先端で考えられ、研究されている。
今日のスマートフォンが登場するまでは、革新的なインターフェースや、便利なモバイル機器を考えたりしていた。
iPhoneとAndroidの登場によって、僕が考えていた、組み込みによる地図や、何らかの新しいユーザーインターフェースは、既に古い考えになった。
最近は、しゃべって歌うデジタルなアイドルや、Webサービスを進歩させたクラウドソリューションが流行っているし、お掃除ロボットなどもある。そのうち、料理やものづくりも出来るようになるかもしれない。
そうすると、新しい製品は、何が考えられるだろうか?それは、すぐには分からない。
キーボードは音声入力になり、マウスはタッチパネルになろうとしている。
だが、今までの旧来的なパソコンは、そのままで残っても良い。
そのようなものとして、Linuxが発展しても良いだろう。
自由主義は、金と資本の主義だ。
金は、何から何まで、金によって支配するところが、自由で、平等だが、学歴や労働のために、自分の自由な人生を捨ててしまっている。
また、そこらへんにある自由や製品、科学は、ロボットしか出来ていない。
日本語と英語だけを学んだ方が賢い。
そのように、考えることも出来る。
規格を統一したまま、製品を独自で革新的なものにすることが出来るだろうか?
モデルとして、WindowsとIntelとPCのモデル、AppleとMacのモデル、UNIXとLinuxとオープンソースのモデルが考えられる。最近は、Googleなどが、さらに新しいモデルを提供している。
世界の可能性としては、世界が成り立つために、何らかの生産と分配・交換の手段が存在する必要がある。
また、完全な自由な世界では、世界は荒廃し、戦いで死ぬ、生きられない世界になるため、何らかの法的なルールや、共同体による防衛が必要となる。
昔の僕は、本当に自由やオープンソースを良いと思っていただけだ。
本当に、自由にすることで、全てが善いままで改善されると思っていた。
本当の自由と手段を与えること、参加と意見を可能にすることで、教育や社会が良くなり、可能性と安心のある世界になると思っていた。
設計を共有し、意見を共有し、多様なまま独自にし、基礎部分を共通化することで、発展が促進され、良い世界になると思っていた。
しかし、それは、誰も考えないし、努力しないことが分かっていない。
普通の人間は辛い。そのような、馬鹿な賢さは、要らない。
自由やオープンソースは、間違っている。そこが、分かっていなかっただけだ。
ただ、今でも、オープンソースに良い点はあるかもしれない、と思っている。
デジタルな共有は、賢いかもしれなかった。
Linuxの賢い点は、皆で同じものを協力して作り、無料で共有するところだ。
また、ソースコードを公開すること、インターネットのバザール開発をすること、GPLによって開発された派生コードを共有することで、爆発的に発展・進歩し、「目玉の数さえ十分にあれば、どんなバグも深刻ではない」を実現した。
それに、UNIXのクローンとして登場し、皆で改良し、コードを公開することで、特にサーバー用途で安定したカーネルを作り上げることが出来た。
すでに存在したGNUの知的財産とともに、ソースコードを自由に共有しながら、無料で自由で平等なOSと生産手段・共同開発の手段を実現した。
ただ、間違いは、所詮オタクがネットで作ったものに過ぎない。デスクトップ用途では、安定していない。
Linuxが好きだったが、最近、そういうものに価値を感じないのが、自分だ。
ただ、ネットのPerlなどの文化が好きだったし、若いなりに、自分の力で何かやりたかった。そのために、Wikiを書いていた。本当は、Linuxよりも、他の何かを作りたかった。
自由は、自由意思であると同時に、環境から自由になって、文章をネットなどで自由に与えられ、色んな環境や組織に参加することだ。
自由は、自分で責任を取り、経験で賢く、分かっている人間に良い。しかし、人を自由にすべきではないが、自由でしか分からないものだ。
自由は、強くなると同時に、受容性豊かで、慈悲のある人間になる。
自由は、悪い。間違った戦いをして、人を批判する。自由は、間違っている。
基礎を作っていた時代が多かったから、基礎を作りたい。
能力は、経験と概念的なカテゴリーの抽象化と、出来るの積み重ねによって、習得出来る。
具体的な経験が無くても、考えること、言葉の基礎を作ることで、すぐに手段を使って実現することが出来る。
システムを作るためには、人の集積の可能性を最大限高めるべき、としていた。
最近は、まともな世界にするために、子供を大人にする必要性があると思う。
あとは、論理学にしていただけだ。
創造性は、自由と共有と生産性から生まれる。
革新性は、新しさと解放から生まれる。
独自性は、多様性と個性によって生まれる。
その融和が、自由だ。
自由とは、運命を愛しながら、人と自然に関わることだ。
自由とは、受け入れ、認めながら、全てを賢く考えることだ。
自由とは、書くことだ。
自由とは、知ること、試すこと、予測すること、把握すること、挑戦することだ。
自由とは、認め合うことだ。
自由とは、成長することだ。
自由とは、許し、愛することだ。
自由とは、愛だ。
基礎は、分かったことや行動、世界観や人生を全部書いていた。
認識すること、記憶すること、分かること、知ること、考えることが全てだ。
重力があるから、ものが落ちる。
太陽系の惑星の中で、生命が居るのは、地球だけだ。
人間は言語によって、言葉の意味を交わし、伝達する。
水と食べ物と酸素が無ければ、人間は生きられない。
世界は弱肉強食で、勝者と敗者で、その上で助け合うが、他人は全く関係ない。
生活には、金や災害、犯罪などのリスクが存在する。
文章を読まなければ、世界にある物事の知識を得ることは出来ない。
ニュースを読まなければ、今の社会と日本の全ては分からない。
構造化すること、知と理解を集めることで、そのものへと近づけて知を知ることが出来る。
存在を認識する時に、意味と形容が存在する。
全ては、記号であり、哲学であり、弁証論である。
反省し、客観視し、人の立場を知ることで、人は成長する。
記憶し、考え、思い出すことで、人の賢さは高まる。
知識を知らなければ、人は賢くない。
分かるためには、構造化し、試し、覚えることだ。
成り立ちを知るためには、目的や必要性から、理由、条件、仮定と結論を知ることだ。
外国語は、辞書を引き、幾らでも話しながら、分かることで、自分で話していると出来る。
アメリカに行った後で、沢山の国に行けば、英語や沢山の外国語を習得することが出来る。
ルールと資産しか、存在しないのが、自由主義の法治国家だ。
株式会社は、株主のものであり、金持ちがさらに金持ちになるための、マネーゲームをしているだけだ。だが、誰でも株主となって、資本家になれるチャンスがある。自由は、金だ。
世界には、生物と国家しか、無い。他には、知識の学問と、哲学がある。
自然科学は、科学的に宇宙の出来事を実証する、哲学の1つの体系だ。
科学は、数学的な考え方が分からなければ分からない。科学は全て、物理的に、考え方と知識を知っている。
世界観として認識を考える際に、あるものは、現実の自分と他人が分かっていることと、仮想的な論理による真実、そして、正しい法則だ。
分かるためには、馬鹿になる必要がある。
自由意思と、生存の最初からある権利が、自由であり、同じものが、平等だ。
冷戦を考えると、戦後の国際秩序など、馬鹿で悪いだけだ。
数と文字と記憶が全てだ。
精神は、分かることによってのみ、増える。
死が一番辛い。
学習は自由の第一の理念であり、そのあとは、継続するだけだ。
普通のことには、何もない。科学と哲学、あるいは、神や宗教には、色んなことがある。
人生論は、世界に自己を与えるだけだった。
自由とは、あらゆる全てを、把握しながら法則にすることだ。
あとは、知性や理性、そして自分の考えたことや考え方を、思い出しながら、世界を見ながら、書いただけだ。
会社を作りたいならば、発想と資本が必要だが、歌手になるぐらい、止めた方が良い。
「かもしれない」と「はず」から考え、何も分からない推論をしなければ、分からない。
支配や統制無く、何か分かるのが怖かった。
世界を楽にする必要は、無いが、世界を楽にしなければ、自分が辛くなる。世界は、僕や時代のことを忘れて、大人になれば良い。
昔は、自由を全て分かって、何でもしたかっただけだ。会社や政府の新しく出来る術を知って、技術や能力、あるいは出来る考え方をし、疑問や体験から分かっていた。
考え方として、最初からあったのは、設計と経緯の共有であり、自然な共同体と、生産手段の実現だった。それを、沢山の経験から、実感と体験で分かっただけだ。
あとは、この文章の内容を、段階的に書いただけだ。
自由を知ることで、人は、愛情と客観視を知ることが出来る。
学習を知ることで、人は、習得や世界観を知ることが出来る。
環境を知ることで、人は、自然と国家や組織の可能性を知ることが出来る。
そのまま、文章を書き、神を信じることで、全てを何も無くなりながら、新しいもう一人を作ることが出来る。
それは、愛を書くことで、正しい世界を知る。
そして、自由と記憶を書くことで、まとまった論理と意味を知る。
その上で、自分と人生を書くことで、人生の全てを簡素にまとめる。
また、国家や世界観を書くことで、構造的に政治や世界を知ることが出来る。
数学の世界は、ネットでの体験と疑問から知ることが出来た。
物理学の世界は、文章を書くことで、体験することが出来た。
そして、哲学と歴史の世界は、全てを構造化することで、言葉にして実現した。
実現性を高めることで、人は可能な能力を増やし、自分を高めることが出来る。
そのための考え方を、認識と記憶、分かったことを記録することで、理解した。
積み重ねを、人と会話して、関わり合いながら行うことで、社会を知り、適応と意識を知り、受け入れ、許し、そして、自由を知ることが出来る。
客観視は、恥や会話とともに理解を作り、意識を高め、世界を経験的に知ることが出来る。
議論は、未熟な人間が、世界を知り、人を知り、楽しさと正しさを知ることが出来る。
環境やシステムの変化と自由によって、成長し、世界を向上させることが出来る。
それは、1人の子供が世界を知って、世界を発展させるだけの指導者となることを、意味する。
機械と環境の想像力が、発明と組織の改善を作り、参加と意見と手段の自由によって、世界を変える。
そして、戦うことが、永遠に続きながら、信じて、書くことで、大人になるのである。
体験は、まず、成長から始まり、経験と助け合いと同時に、挑戦と把握がある。
体験は、構築や理解、環境への適応とともに、人の賢さを高める。
体験は、宇宙を全て知り、普通を全て知り、人生を全て知り、自由を全て知るだろう。
全て分かって、色んなものになるうちに、神と僕は、色んなことを論理的に分かった。
物理学は、ものを数にする幾何学だ。
数学は、定理と証明による、数の論理学だ。
経済学は、資本主義と社会主義、自由と国家だ。
そのように、まず、簡単に分かる。
次に、人生を全て宣言する。
中学生になる、だとか、物理学をする、とか、色々と言っていた。
それから、全ての戦いに関する行動は、した方が良いことに従った。
自分でも、世界をどうしていいか、分からなかったからだ。
そのまま、分からなくなって、支配を止めて、今に至る。
何も分からないが、文章を書き、神や色んな物と対話しながら、認識の理由を分かった。
論理は、全世界や全員、全人生の域に達していたが、何も普通のことが分からなくなった。
分かった人間が思い出すことで、世界を知っていた。
物理的に積み重ねながら、世界を全部考えながら、宗教的に宇宙と人生を考えていた。
ただの、終わった人間が、何も無くなりながら、未知を潰していた。
分かれば分かるほど、何も分からなかった。
全ては、経験と思考と会話と信じることだ。
全ては、破壊を破壊し、創造性を創造することだ。
悪いものは悪い。人間は、それだけで賢くなる。
人種差別は悪い。人間は、集団でユダヤ人などの悲惨な民族を殺す時に、死ぬ。
人種差別をする人間は、辛いだけの、死んだ人間になる。
また、皆を同じにする人間は悪い。しかし、平等は間違っていない。
自由や人種差別は、一番悪い。
自然と平等を信じることで、人は賢い理性を取り戻すことが出来る。
平等は愛であり、慈悲であり、助け合いだ。
世界を分かりたかった。
ヒトラーは嫌いだが、国家をそれぞれ知りたかった。
語学と世界史がしたかった。
古代ギリシア、古代ローマ、ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、ロシア、イスラムを知りたかった。
Wikiを見れば書いてある。それを読むのが良い。
物理や数学的な分かり方を作ったり、未知を潰すこと、認識を積み重ねること、世界観を構造体から知ることで行ったりし、色んなことを発見した。
一度、事故をして、死に対抗した。
そのまま、毎日発見する中で、毎日が永遠になった。
治せない足の精神を治したかったが、それは、沢山の発見につながった。
そのまま、薬で治ることに気付いた。
学問(歴史、文学、政治、情報)や世界観、哲学や自分の人生を、書きながら分かった。
論理学は、ただの論理学ではなく、相対的な論理学を書いている。
そのまま、世界観を書いた。
例えば、ものは動く。
ものは動き、力と熱を持ち、慣性の法則、速度と加速度の関係、作用・反作用を持つ。
また、感情と意識の関係。
感情と意識は関係し、また、学習と認知は関係する。
そのように、論理を書いていた。
世界観は、地球と宇宙と生物、歴史と政治と思想を、全て書いていた。
そして、網羅していた。
感情は、精神の全てと関係して、2つに分かれたり、融和したりしながら、生と死の概念を持っている。
出来るためには、本質と背景にある理由や考え方を知る必要がある。
対応と対比、順序と独立性から、世界を捉えることが出来る。
それは、世界や認識のモデルや構造性、カテゴリーやメタ的な思考などの考え方とともに、多角的に知ることが出来る。
一度した思考を、再度することで、分かることもある。
思考を全部書くことで、分かることもある。
人に教え、誰でも分かるようにすることで、分かることもある。
客観視と説明は同じだ。会話と文章は同じだ。
愛は、信じ、愛することだ。
愛は、認め合うことだ。
愛は、許し合うことだ。
愛は、助け合うことだ。
愛は、個性と権利を尊重することだ。
愛は、知識と知恵を尊重することだ。
愛は、自由意思を尊重することだ。
愛は、公正さだ。
愛は、何かそのものを特別にすることだ。
愛は、皆を平等に扱うことだ。
愛は、その人の好きなようにさせることだ。
愛は、自由だ。
愛は、平等だ。
平和な世界は、秩序を肯定し、支配者による支配を否定する。
平和な世界は、平等と平和を愛し、共同体の意思を個人よりも尊重する。
平和な世界は、自由と平等を尊重する。
平和な世界は、自然と変化を尊重しながら、全員による安定と平和をもたらす。
平和な世界は、理想を共有し、皆全員の意思で、正しい組織と政府を作る。
自由な世界は、間違ったものに反抗し、倒す。
自由な世界は、戦いを肯定し、あらゆるものを自由にする。
自由な世界は、自分の影響力を高め、世界への変化の権力を肯定する。
平和な世界と、自由な世界の、バランスを取るべきだ。
平和な世界では、僕のようにならない。
自由な世界では、僕のようになる。
平和な世界は、皆の秩序を尊重しながら、平和な世界における絆を培う。
平和な世界は、自然と同時に、運命や神を尊重する。
自由な世界は、運命や神を肯定せず、否定する。
自由な世界は、沢山の体験と行動とともに、経験的に世界を分かる。
また、どちらの世界でも、数学的に考えて、秩序と推論を行う。
自分と世界観を決めて考えた。
認識は、人生を知りたいだけだ。
記憶は、存在価値を尊重したかっただけだ。
戦いは、運命的な自分の創造だ。
記録は、全ての経緯の代わりだ。
神は全てを教えた後に、宇宙人や色んな国の人間に替わった。
それは、ギリシア神話を正しいとか言って、色んな宣言をした。
そのまま、国を作り、世界を治すことなく、事故で世界から居なくなった。
それで、楽になった。