人間は、知と認識を持つ、理性と判断力のある生き物だ。
人間は、他との秩序を大切にし、環境を作り出す。
環境は、変化し、共同体を作ると同時に、集団になって戦う。
人間と環境の変化は、宇宙における全てだ。
生命は、最初から、「知る」ことと「観測する」ことのために存在する。
恐怖は、人間を狂わせるが、人間を賢くさせるものは、全て恐怖だ。
勇気は、人間を高める。客観視と批判による勇気によって、人は自由に賢くなる。
感情は、愛することと、信じることと、戦うことによって成立する。
宇宙の全てを書きたいが、書けない。
昔書けた。共同体や環境、人間の変化を考えていた。
精神分析の馬鹿になれば書けるかもしれない。
基本的に、人間は、認識と行動の生き物だ。
自由な中で、行動し、体験し、経験し、学習する。
また、裏には、自由の理由がある。
関係性の中での影響力は、それぞれの全員を正常にする。
戦いは、世界を滅ぼす。戦いを拒否するために、支配を疑う必要がある。
全ては、創造性、独自性、生産性、合理性だ。
まず、支配者の下での全員の平等がある。
次に、権威の下での支配と独立がある。
そして、好き勝手な競争がある。
そのように、作って考えれば、書けるかもしれない。
組織は、個人の自由に勝る。組織化しなければ、何も実現出来ない。
だが、そのままの状態で、教えることで、変えることも出来る。
物理や心理は、変化と対応と対比である。
世界とは、皆の生きる基礎的な生活環境だ。
神学的に考えると、それは、全員の安らぎの場所だ。
その決まりには、運命と、それぞれの人生がある。
そして、普通が何回か存在すると同時に、あらゆる出会いが決まっている。
また、神は何でも出来る代わり、物理法則を極力乱さない。
全員の決まりは、物理的には、重力と慣性の法則であり、宗教的には、光と運命だ。
それでは、世界の全てを書いてみよう。
まず、争いは、優越性から生まれる。
優越性は、ナショナリズムや自由から生まれ、ランクをつけたり、相手を貶したりする。
そのようなものが、悪い。
環境の中で、個人主義や平等を目指すことも出来る。
それは、楽と協調性を作る。
楽園を作るために、どうすれば良いか?
それは、支配者が努力して、全てを教えることで成り立つ。
世界の全ては、普通と思うと書けない。もっと、おかしな世界で良いならば、書ける。
魔法や未来の機械は、現実に存在しない。あるものは、物理だけだ。
情報を共有することは、楽しいが、しかし、ネットは文化的に間違っている。要らない。
賢さを作り出すために、発想の転換を図ることが出来る。
そのために、全員の考え方や発想を吸収することが出来る。
全ては、構築と体験だ。
間違った愛や、間違った支配は、人をおかしくさせる。
そのような世界は、要らない。
しかし、同時に、反抗や自由のみが、人を正常には、させない。
どちらにせよ、狂うならば、愛の方がマシだ。
教育の現場で、平等は間違っている。
人を同じ立場に置くのは良いし、平等に教育を与えるのは良いが、それぞれの自由が無いために、それぞれのペースでの勉強が出来ていない。
もっと速めることを可能にするためには、学校よりも、ネットの方が良い。
しかし、教育の内容は、あまり意味が無い。しかしながら、そうでもない。数学的な考え方を習得するためには、数学は有益だ。
世界の全てを考えるためには、教育など、難しい分野を考えることが必要だ。
教育などを含めて、世界を考えれば良い。
勇気は、時に、人を自由にさせ、賢くさせる。
しかし、間違った批判は要らない。
信じる心は、人に夢を与える。
だが、時に、信じないことで、正しく疑い、理解を持つことも出来る。
愛は、人を育て、幸福にさせる。
だが、時に、愛ではなく、自由と支配によって、人は賢い人間になる。
人生は、一人に一つしかない。
その上で、夢を持ち、社会を正し、希望を持つべきだ。
運命は、何もしなければ起きない。
過去の自分を全て捨てる勇気があれば起きるものだ。
世界の全員を信じなさい。世界に、悪い人間は、居ない。
だが、ルールと秩序に反する人間は、間違っている。
経済は、人間の生活を便利にすることだ。
経済は、人間に生産手段と豊かさを与えることだ。
自由の間違いは、金のあるものしか、金を稼げないところだ。
平等の間違いは、全員を1つに統一するあまり、何も無くなるところだ。
そして、教育とともに、世界を考えてみる。
人間の理性とは、疑うことと信じることだ。
人間の理性とは、肯定することと否定することだ。
しかし、その4つは、バランス良く同時に行うことが出来る。
同時に、離れて見ること、近づいて見ることによって、世界観と感情は良く分かる。
未熟な精神は、常に辛い地獄を耐えることで、成長する。
処罰や強制は悪い。
関係性を全パターン考えた。
発想法を全パターン考えた。
出来ることを経験的に知った。
認識と理由を話で説明した。
体験を環境と変化から考えた。
まず議論と支配がある。
次に出来ると出来ないがある。
そして、変化と可能性がある。
そして、決定と公正さがある。
利益と不利益がある。
参加とルールがある。
停止と変化、分裂と融和がある。
認識の説明は、判断基準を作っただけだ。
意味のないものは、意味がない。
運命や神は、悪い。
革命や批判は、意味がない。
指導者に従うべきだ。
だが、正しい思想は、平等だ。
世界には、普通の人間が多い。
外国人は悪いが、日本人は馬鹿だ。
ないものや有り得ないものは、要らない。
大学で分かる。
だが、科学は意味がない。
普通の人間が言うことを言っているだけだ。
世界にある自分を全部分かれば分かる。
人間は、分裂の中で戦い、賢くなって、融和の中で耐える生き物だ。
支配から解放すると同時に、支配者は世界を治すべきだ。
人間を肯定し、否定し、信じ、疑い、戦い、関わり合うことが、全てだ。
考え方、概念、本質、条件、成り立ち、創造、変化、能力が全てだ。
何かをすること、してもらうこと、させること、させられること、しなければならないこと、してはならないこと、などがある。
全ては、条件と決まりだ。
全ては、数学的な基礎と、社会的な応用だ。
あとは、したいことや、したくないこと、がある。
関係性と変化を考えなさい。
具体的な例と「たられば」を考えなさい。
それで昔の僕が出来る。
それを、全部、網羅して、包括して、構造化して書きなさい。
世界観を決めなさい。
それで最近の僕が出来る。
判断基準を作って、判断しなさい。
認識を理由で説明しなさい。
それで今の僕が出来る。
それぞれ全員の出来るを吸収して、全部出来るようになった。
世界観を作った。それを書いている。
プログラムは、テキストだ。
プログラムは、バイナリと設定ファイルだ。
プログラムは、プロセスとデーモンだ。
プログラムは、静的なコンパイルと動的な読み込みだ。
世界は、時代とともに変化する、国と社会の変転だ。
世界は、進歩して、沢山のことが出来るようになる。
世界は、発展して、無数に分かるのが実現するようになる。
しかし、現実は甘くない。
滅びることもあれば、世界が悪くなることもある。
しかし、世界は進歩する。
その時、権力者は、出来るべきでもあれば、出来ないべきでもある。
ただ、会社の自由にさせるべきでもあれば、させないべきでもある。
そして、自然に近づくことも、遠ざかることもある。
人間の最も高度な状態は、受け入れる受容性があり、解放性があり、経験と理性があることだが、同時に、それは、狂っていて、まともでない。
まともな状態は、未熟だが、他と同じで、能力や経験、秩序がある。
同じことを言っているようで、そうでも無い。
もっとも発展し、生産性豊かになるためには、自然の中で、新しい者が、基礎とシステムを知って、すぐに出来るように、基盤を整えることだ。
インフラを整備し、環境を良くすることで、出来るものにも、出来ないものにも、するものにも、しないものにも、良い環境を作り出すことが出来る。
また、デジタル資源の共有をそこに加えることで、オープンソースやWikiのように発展することも出来る。
だが、発展だけが、価値だろうか?
それは、発展だけが価値ではない。
発展は文化を破壊し、秩序を破壊し、世界の文化的な成熟を後退させる。
時に、その地域での多様性や違い、伝統を残すことも、統一することも考えながら、発展と向き合わなければならない。
国家モデルを作って考えると、自由と帝国と平等は、良く似ている。
第一に、それぞれの全員がきちんと出来ることを考える。
第二に、多様性と統一をバランスよく行う。
第三に、平等かつ公正に、それぞれに富を与える。
第四に、出来るだけ今のまま、合理的に、あるいは、理想的に、富を配分する。
第五に、出来るだけ民主的に、出来るだけ賢く、投票や議論によって、出来るものを選ぶ。
あとは、宇宙を漠然と書けば良い。
全ては、進歩と退化であると同時に、それが反対となって、進歩が退化になり、退化が進歩になる。
法とは、自分で全て決めることが出来る範囲と、そうでない範囲を、自由自在に決める、あるいは、決めるための努力を行うことである。
決めること。信じること。判断すること。
そして、支配し、解放し、自由にし、教えること。
あるいは、影響力を持ち、議論し、従えること。
それらが、全てだ。
会社は、生産する会社、サービスする会社、そして、情報を与える会社に分かれる。
それぞれ、出来ることと、出来ないことがある。
政府や公務員、農家や工場、民衆や学生にも、出来ること、出来ないことがある。
それぞれの出来ること、出来ないことを考えながら、成長すること。
そして、指導者は、全員の望みを叶え、判断基準を持つべきだ。
また、指導者は、自由で、平等であるべきだ。
宇宙の中で、環境は法則と構成員の自由によって得られる。
それは、運命的で、自然で、科学的で、神学的で、システム的で、海のようだ。
それは、愛情や友情と、認識や記憶と、意思や望みによって、生まれる。
具体的に、慰めと許しは、環境における経験とともに生まれる。
また、創造性と具体性は、議論と世界観の共有によって生まれる。
それは、ネットのようであり、掲示板やブログのようである。
システムに支配された自由と、自分で全て行える権利の下に、価値と創造性を生みだす。
教育的な環境は、自由と友情によって、作られる。
労働的な環境は、それぞれの視野と、考え方や支配のもとに、作られる。
そして、宇宙における環境は、秩序と創造と破壊の法則によって、得られる。
イデアでは、全てを光が執り行い、時間と空間の中で、あらゆる可能性の世界がある。
統一して考えると、それらは、愛と争いの中で行われる。
そして、その愛と争いは、全員、皆同じで、自由な中で行われる。
それは、皆が同じ理想である、平等と自由を持つことを意味する。
また、自然は考え方と記憶の背景理由によって、あるいは、環境活動によって、行われる。
それは、時に自由で、時にロボットだ。
そして、その自由と自然の積み重ねによって、共同体は形作られ、経緯や歴史となる。
具体的なそれぞれの出来事は、背景である哲学的な歴史の経緯や考え方とともに起こる。
抽象的に考えても意味が無いので、具体的に書きたい。
信じることは、その世界を正常にさせる。
自由は、その個人の意思を明確にし、未熟なものを高める。
価値は、創造されるものであり、発想の先にある。
共有は、全員とともに生きることだ。
時間は、共有されることによって、人々に共鳴された楽しさを生む。
それらは、全て、環境に支配されていて、トップダウンを拒み、ボトムアップを望む。
きちんと良く書いているが、ただのネットの話に過ぎない。
それらから、宇宙が幾らか分かるかもしれない。あまり、意味は無い。
あとは、地獄の戦いがあった。
全て自分が悪かった。自分を馬鹿にして、機械にし、ありえない目標を設定した。
世界を支配して、治したかった。
自分は、間違っていたが、それは、分かっていた。
神とともに、反省し、その上で、世界を支配して、治した。
世界を解放し、希望を与え、楽にし、機械を治し、馬鹿を治して賢くしたかった。
自分の知っていることや分かること、発想法や関係性の概念の羅列を、全部教えていた。
自分を全部教えて、自分の発想や経緯を全て書いた。
それは、成功した。
馬鹿で書いていると、書けるようになった。
幾らでも馬鹿をやっただけなのに、自由から支配者まで、全部やっている。
その経験は、書く文章が賢かった。
馬鹿だったが、全てその時分かることを全部書き、全て考えることで、ドイツ語の哲学のように分かった。
そして、神とともに、宇宙の全てから、全ての科学まで、全部分かった。
自分は賢かった。
皆は悪くない。僕が悪いだけだ。
僕が、皆を悪く言って、夢や希望を損ね、皆を馬鹿にしたのが悪い。
僕は、辛かった。それで賢くなった。
皆も、辛いから、賢くなってほしい。
あとは、キモイを拒否していると、馬鹿になる。
自分は、他から、キモく見えた方が良い。
キモイ楽が、賢い。そういうキモイを増やしていると、賢くなる。
説明から宇宙を分かりたい。
コンピュータは、決まったプログラムを実行する、自動化された計算機だ。
食べ物は、レシピと調理で作られる、人間や生き物を生かすものだ。
科学は、宇宙の全てを教えるものだ。
大学は、専門家を育んで、プロに育てるものだ。
すると、宇宙では何が起きるのだろうか?
それは、感情の関わり合いと、意識や記憶の変化、認識の構築と伝達が起きる。
それは、神や運命やイデアを信じながら、自分のしている全てのものになる。
また、宇宙になることも、環境になることも、他人になることも出来る。
そして、人間の脳では何が起きるだろうか?
それは、理性と経験から、予測可能かつ、何か良く分かって分かる、科学や哲学や宗教のようなものが起きる。
それは、自分で作ったり、他を吸収したり、後で反省して振り返ったり、試して照らし合わせることが出来る。
認知行動と精神分析によって、感情で世界の全てを分かることが出来る。
そのためには、分析の考え方と、無数の経験や体験、正しい理性が必要だ。
また、人を支配するならば、自分は支配される。
人に支配して全てを教えるならば、そういう人間には、神が訪れて、自分を支配して全て教えるようになる。
世界は、ドイツ、ロシア、アメリカが繰り返す。
そのように、神は世界の全てを教えた。
イデアは、宇宙の理解の全てだ。
そして、人生と自由は、全て、宇宙の法則であり、決まりだ。
全て、決まったことを学んでいるだけに過ぎない。
そもそもの決まりは、宇宙にある。
数学的な、考え方や関係性、比や次元がそこにある。
数学的に考えることで、言語的に考える力がついて、視点を変えながら、見ているものや感じているものを良く分かることが出来る。
全ては、精神とイデアだ。
キモイが賢いなら、何もしない方が賢い。
キモイを治していると、馬鹿になる。死ぬ。
馬鹿なまま、狂ったままで、馬鹿をしている方が、賢くなる。
治すことより、何もしない方が良い。
考え方などの賢い部分が分からないから、具体的に何をしたのか書けば良い。
そうすると、ネットを見ながら、精神分析や世界観の構築を空想しながら行って、心と体験と環境を予想しながら、見えないものを捉え、根源的な理由を知り、色んな声を聞いて、立場を理解し、本当の理由を知りながら、普通を全て知り、全部出来るようになって、考え方や他人を吸収して、全部説明して分かるようになった。
それは、狂っても賢く、また、理想的な戦いをし、強かった。
そのまま、分からないままに、全部作って、概念を全て考えて、具体的な理解や信念を、全員全部作って、過去を捨てながら、科学的なことを全部、分からないなりに書いて考えて、全ての答えや変化可能なポイントを押さえて、考え方を網羅した。
そして、神とともに宣言し、世界を神学的に捉え、自分の作った宇宙の全てを信じながら、対話することで、天の世界と地の世界の全てを知った。
前世や宇宙人から、神やものまで、全てのものと話した。
それ以降は、民主主義と社会主義を対比して考えて、一行でまとめながら、1つの文章を世界観から構造化して作って、それを演繹することで分かった。
それらは、一度、辛いだけの事故が起きるまで、永遠に続いた。
事故の後は、詩だけを書くようになった。本を出版し、全ての普通と科学を分かった。
具体的に何を考えていたのかというと、コミュニケーションと人生から、科学を作っていた。
最初は、全分野を、仮定と結論などの論理を作り、試し、予測することで、横断する社会学、学習的な心理学、自由と可能性の組織とシステム論、変化の物理学、コンピュータの理解を作った。
全て、自分の作った論理で分かり、すでにある論理を汎用的な一般理論によって書き直す、ということをした。
そして、その後は、文章で書く、自由と人生と記憶の理解から、全ての科学を、全ての方法と書くという行為によって行い、思い出し、分からないなりに、人に教え、世界を1つ1つ潰していくことで、分かった。
数学や、治す心理学、関係性の物理、文学、世界観の宇宙観、地球と生物学、政治経済と国家モデル、などを作った。
その後は、文学と歴史と工学の理解を作った。
あとは、宗教的なものは多い。全てを支配して教える科学は、論理学になって、神となり、全部を全部考えて分かるようになり、そのまま、全ての分かったことを思い出して、書き直すようになった。
最近やったことは、単純だ。
まず、思い出しながら、ものを積み重ねた。
関係性が無かった。
テレビは情報を与えるとか、そういうことを単純に、永遠に積み重ねている。
そして、判断基準を設定して、判断した。
それは、神や理由を全て分かって、何もない対話に終わった。
神は、してもしなくても良い、と言っているのに、自分は全てに従う。
そこらへんが馬鹿だった。
皆、何もないならば、文章を書くのが良い。
文章を書いていると、辛いが、現実を忘れられるし、永遠にその世界に入ったまま、楽が出来る。
全部自分で分かった時代が多かった。
書いた文章は、全部、自分をそれぞれの場所に配置して、思い出して分かっている。
文章の中で、世界を導き、自由な革命をしたりしていた。
思い出すとは、一度全部本当に思い出すことで、全ての記憶を思い出して、いつまでも思い出せる、のが多かった。
宇宙の全てとは、全部の論理で分かる論理学から、自分の経緯と発想、全てのパターンの関係性と概念と発想法、自由で平等な国家の実現、が多かった。
思い出せた。
毎日一人人生を作っていただけだ。
それが永遠に続いた。
関係性の中で、肯定と否定を全部書いている。
宇宙の始まりと終わりの中での、全部の生命と人生を、言葉で綴った。
書いている文章は、影響力の世界観を書いている。
一番上から、末端まで。
そして、発想法を書きながら、認識と記憶を全て説明した。
現実では、革命のように、日本と戦っていた。
積み重ねや連想ゲームは、世界への女王の宣言となって、認識に全て教える、神になった。
世界に対して、沢山のことを言った。
自分や前世や世界史を辿りながら、最後まで神が導いた。