日記に戻る | 2013年2月の日記に戻る

=2013-02-21=

昔 17:20

昔は、あとは、この文章をそれ以上考えて、具体的に積み重ねた。

色んな人間と世界を分かりたかった。

最近は、それを網羅しながら書いている。

いつかどこかで考えて、積み重ねた。

そして、数学的に考えても良い。

芸術的な表現を取り去れば、数と形から分かる。

哲学は、批判哲学だ。

合理論と経験論を統合しようとした、科学的方法の哲学者、カントのドイツ観念論は、ヘーゲルで完成した。

三権分立や所用の放棄を、神の理性や弁証法とともに、全部考えた。

そして、マルクスはそれを平等と唯物論にし、サルトルは構造主義にした。

そのような批判哲学が、現代哲学だ。

ただ、言葉で考えると、そのようなものになる。たくさんの考え方を作れば分かる。数や形で考えると、計算や式、関数になる。

あとは、相手より先に言う、で争っていたことが多かった。

あるものは、自然と認識、数と形、表現と方法だ。

三権分立を本当に作ったのは、ヘーゲルでないかもしれない。ヘーゲルは、考え方を使って、社会論に適用したのかもしれない。

所用の放棄を最初に考えたのは、おそらく、所用の概念を考えたヘーゲルだが、社会所用にして、みんなで決め、みんなで作り、みんなで配給することを考えたのは、マルクスや共産主義者だろう。それ以上は、もう良い。

サルトルは、社会を構造的に捉えると分かる、ことを基礎として、構造主義を考えた。数学でも、ブルバキなどにより、構造主義が取り入れられたのだろう。

他に、論理性を重視しなければ、哲学は出来ない。たくさんの抽象的で具体的な論理と理解を作れば、理性的で経験的な考え方ぐらいは、分かるかもしれない。しかし、難解な哲学書の理解は難しい。

かもしれないを色々思いながら、そうなるはずだとか、あり得る、などの疑問や仮定、推論をすれば分かる。

空間は曲がるかもしれない。自動車は将来的に飛ぶかもしれない。自分のような人間は、意外と多いかもしれない。そのように、かもしれないで良く分かれば良い。

評議会、所用、投票は、他に変えられるかもしれない。だからと言って、独裁者や社会所用は賢くない。

だが、有り得ないものや空想を排除して、普通になるのも、また賢い。

支配の構造は、自由や平等に出来るかもしれない。機械は、小さく、低コストに出来るかもしれない。あとは、理想の世界や未来を考えることも出来る。たくさんの異なる環境を比べて、原因を知り、問題を解決出来るかもしれない。

構造的に分類していただけだ。

外国人は、悪い人間が賢いから、悪くなる。日本人は、馬鹿が賢いから、馬鹿になる。本当に馬鹿の方が賢い。

カントの方法論や、ヘーゲルの社会論は馬鹿だ。賢いが、世界がそれだけの馬鹿になった。過去の人間は、おかしい。

あとは、僕の文章は、環境、認識、分類を、理解可能、実現可能、変化可能にして、適当に教えただけだ。

社会論には、革命家の思想も多い。ナポレオンのフランス革命や、ロシア革命やソ連だ。

売買や起業以外の可能性は考えられないか。分配手段や生産手段から、別の平等と支配のモデルが考えられるだろう。

トップダウンをボトムアップにしたり、抽象的で専門的にすることが出来る。秩序のある環境で、自由にすることが出来る。みんなで集中的に作ることも、分散して自由にすることも出来る。

秩序 17:22

一言でいえば、理想的な秩序を考えていた。

それは、自由で、関係性があって、積み重なる、法則と現象の把握だった。

カーストを解決するためには、力を削ぐことも必要だ。

集団による暴力を解決するためには、一人が強くなり、正義によって仲間を集めることも必要だ。

学校は、自由を教え、全体主義を否定するあまり、集団で守ることを軽視し、自由な中で苛めることしか出来ていない。

皆で守らなければ、環境と自由の秩序と平和は無い。

だが、大人は、良い人間が多い。

集団で集まることによって、英知と利益を集積し、不可能なものを創り出すことも出来る。

創造性や知恵と工夫のある多様な環境と、その集積の力を組み合わせることで、自由な環境の成長と進歩も考えられる。

そうしたものも、また、自由である。

自由 17:25

真に自由な社会とは、全ての人間が全てを許可されていて、皆とともに自由なことを出来る環境だ。

それは、生産手段と実現性によって、成り立つ。

それは、理解し、変化可能にし、理由と可能性を知ることで、あるいは、経験と体験、習得と学習をすることによって、個人の技能が高まる。

また、沢山の具体例で知ることで、色んなことが分かる。それは、概念と考え方であり、無数の方法と世界観だ。

実現 17:30

実現とは、全てを実現できるようにした。

それは、根源となる発想、基本となる理由、具体的な考え方、を、分類と説明によって書いていた。

例えば、科学は、方法と抽象性だ。

また、エンジニアは、経験と積み重ねだ。

そして、技術は、手段と専門知識だ。

それらは、基本的に学習と経験であり、時に、発想と方法論だ。

それだけではなく、色んなことを書いていた。

沢山の社会を書いた。沢山の方法と、世界観を書いただけだ。

そのように、無いところにある、習得と理解の方法論を書いていただけだ。

環境は、支配者と平等の発想から、秩序ある自由を作ることで行うべきだ。

反動主義は間違っているが、帝国は、普通反動主義だ。

生産のために、生産的に活動することを成り立たせ、報酬を与え、継続し、それぞれの全員と社会の全体の存続を考えなければ、経済は成り立たない。

その時、取り得る考え方と手段が、金か全体主義である。

金は、何も考えない。全体主義は悪いが、時に全体主義を取ることは、間違っていない。

組織は、知恵と工夫による、条件と手段の成り立ちと、新しい発想である。

世界を分析し、沢山の発想を知ることで、積み重ねながら、想像力で可能性を探ることが出来る。

時に、敵は敵だ。しかし、出来るだけ敵を作らず、統一して自由にする、あるいは、平等にすることが、時に一番賢い。

ただ、敵に勝てなければ意味が無い。

それで、戦いや組織、手段と行使の経験に豊かな人間は、他に勝つことが出来る。

組織 17:37

良い組織を作るためには、自由な部分と、不自由な部分で、きちんと全体を考えることだ。

知識と技術が存在し、経験と人材が存在し、予算と金が存在すること。

また、研究と競争も存在して、ブランドや信頼性も存在していると、なお良い。

自由 17:38

あとは、自由を全部考えただけだ。

人が複数いる時、多い方が勝つ。

しかし、正義と賢さがあれば、独りでも何か出来るだろう。

自由とは、組織であると同時に、個人だ。

それぞれの個人は、平和で、自由で、支配されず、自在な理解と行動が存在すると良い。

環境は、皆の秩序と考え方を、全員で反映させ、共有することだ。

自由な環境は、常に、それぞれの身近に存在している。

自由は、それぞれの行動に力を与え、社会性が必要だ。そして、それは尊厳だ。

環境 17:41

環境は、どうすれば存続出来るだろうか?

それは、必要なものと、社会的な理想が存在することだ。

それは、考えていない。世界や宇宙にある環境を辿れば良い。

ソ連は、平和だ。皆を同じ人間にし、ものは無い。しかし、賢い。

アメリカは、自由だ。秩序のあるルールの中で、自由をしている。ものは多い。普通だ。

ドイツは、自然な自由の中で、支配者が権力を持ちながら、支配する。皆、良い人間だ。

その上で、沢山の環境がある。

社会は、全体主義であっても、個人主義であっても、平和であるべきだ。

だが、敵対することもある。

環境は、それぞれの時代、機運、民族性が存在する。

それぞれの世界で、共有される賢さと秩序が、それぞれの国民性を決める。

環境 17:45

具体的な環境は、皆で決める環境や、独りだけで決める環境がある。

また、専門性や個別性と一般性、上から決めるか、下から決めるか、などが存在する。

自由は、滅びない。自由で栄えることもある。

それは、それぞれが力と影響力を持ち、どれかの組織や共同体につくことで平和となる。

平和 17:47

平和な環境は、考え方と理性の中で、構造化して分かることが出来る。

また、具体的な環境の変化を知ることで、支配することが出来る。

それを、可能にしたかった。

環境 17:50

運命など、存在しない。

全て、自然だ。

環境は、経験から理解し、予測し、行動で支配することが出来る。

環境は、自由が無くて、平等が無いと、哀れな不幸になる。

だが、生産手段と夢と希望、誇りと絆があると、幸福な自由となる。

考え方を、環境から知りなさい。

芸術や表現などを、意味と可能性から知りなさい。

科学や論理を、予測と経験から知りなさい。

言語と哲学から、世界を知ることも出来る。

ただ、あとは、環境は考えていない。

ものや認識、自然を考えている。

ものは、認識と発想から構築される。

自然は、いつも同じように、正しい法則で起きる。

そして、認識と自然と、自由なものの支配が、自然の環境の世界だ。

意思と精神が、世界を支配する時、環境が変化し、あらゆる実現性と可能性を取り得る。

それは、自由で、権力で、愛で、支配だ。

そのように、本当の環境ではなく、意思と認識やものの構築と理解から環境を考えていた。

環境 17:53

環境は、自然だ。

環境は、愛すること、信じること、勇気だ。

環境は、人間の感情と理由で、構造的に理解し、関係性と目線と意思から相対化出来る。

環境は、自由自在な愛だ。皆を信じなければ、分からない。

環境は、行動と意味から、出来ることを条件的に考えることだ。

環境は、手段だ。

環境は、参加のシステムだ。

環境は、創造し、変革出来る。

環境 17:56

環境は、神は存在しない。

環境は、国家と戦いが存在する。

環境は、人間と関係が存在する。

環境は、意識と感情が存在する。

環境に、国家、人間、精神が存在するならば、それは、間違っている。

正しくは、人間と自然が存在するのであり、最初から国家的なものは、存在しない。

環境は、人間の手で変えることが出来る。

その中で、沢山のものを理解することによって、変化可能にし、自由にすることが出来る。

人間の手で、全て変えられる。

しかし、人間など、何も分かっていないのだ。

環境 17:58

自由とは、存在が戦いながら、良いものと強いものが勝つことだ。

人間は、本来、勝ちたいだけだが、困ると、助けてもらいたいものだ。

自由は、変化と支配の自在性だ。

自由は、自然と目線による、科学の証明と、認識と批判と参加の自由だ。

自由な中で、本当に賢い人間が、認められ、成功する。

自由な国では、賢いものが生まれる。それだけが、賢い。

会社 18:01

統一も、また、賢い。

会社は、一つの大きな公社に統一することも出来る。

法律で価格を統一し、支部や組織を統一することで、賢いものだけにすることも出来る。

また、意思決定の仕組みが存在する。

王の上に絶対的な宗教的支配者や唯一神が居ても良い。

また、王や評議会の下に、全員を支配して結合することも出来る。

また、社会所有にすることで、評議会と王は全ての資産に関与出来る。

王とすれば、それは一番自由な王となる。

評議会とすれば、全てのあるものを、皆の手によって、皆のものとすることも出来る。

そのように、自由も、社会主義も、どちらも賢い。

集団農場は、全員で農業をすれば、楽かもしれない。

ノルマ生産は、最低限働くことで、楽が出来るかもしれない。

そのように、社会主義は、ユートピアを目指している。

自由 18:05

自由は、宇宙だ。

自由は、組織と組織の戦いだ。

自由は、数の多いものが強い。

自由は、賢いものを自由と自然の中で、生み出す。

自由は、学歴と経歴だ。

自由は、秩序のある共同体の、自由な取り組みとプロセスだ。

自由 18:09

自由は、視点と現象の関わり合いと、分析と部品化、統合化による発想法だ。

自由は、関わり合いの中で、勝ち、知り、試し、成功することだ。

自由は、自由な環境と、関わり合いのある環境を、相互に体験し、変化を知ることだ。

自由は、インターネットとテレビだ。

自由は、全員に平等に権利を与えることだ。

自由は、多様性や可能性を、知恵と工夫とともに、愛することだ。

沢山の環境を愛することで、自由は成り立つ。

自由は、芸術と科学を、芸術家や科学者の視点に立って、自分で作ることだ。

自由は、会社論と組織論を、会社や技術者の視点に立って、自分で作って出来ることだ。

環境 18:11

環境とは、認識と感情の集団だ。

環境は、支配であり、自由は、変化だ。

支配者が居ることによって、皆で一貫した統一したことが出来る。

しかし、支配者が自由や平等を許すことで、皆はそれぞれのしたいことが出来る。

時に、そうした自由だけが賢いが、ただ、むしろ、そうした自由は賢くない。

辛い中で、同じことを努力し、永遠に継続して、自分のものとしなければ、創造できない。

自由は、馬鹿だ。

色んな会社が、それぞれの自由となることは、良い。

しかし、国が自由となって、戦い始めるのは、悪い。

死や病気、犯罪の無い自由が良い。

そして、普通のことを許し、辛いことから逃れることが出来るべきだ。

経験 18:15

あとは、全て、経験だ。

自由は悪い。そのため、自由ばかりしていると、馬鹿な地獄におちて、神が自由を奪う。

神は、イエス・キリストでも、ユダヤの神でも、マホメットでもアラーでも同じだ。

全てを正し、戦いと試練を全て乗り越えるようにして、全てを知り、全て経験する。

全知全能になる。

あとの経験は、学校や会社にしかないようで、ネットがある。

自由に沢山のことに対処するだけの青年が、自由と視点から理由を知り、手段と方法と目的を知り、原因と結果と法則を知り、一般性と個別性を知り、組織と個人を知り、技術と経営を知ることで、全てが分かる。

実現するためには、現実世界だけではなく、仮想世界や言葉の世界、表現の世界が必要だ。

ネットは、存在するべきでない。僕をやりたいならば、ネットで簡単にできるが、昔のネットの無い時代の方が、僕のように、全て分かる人間が多かった。

世界 18:27

あとは、世界を適当に分かった。

あるものは、ドイツとフランスであり、ドイツは低い代わり賢くて、全て考えるが、フランスは高く考えない。

それ以外、無い。

人間は、フランスとドイツを繰り返しながら、成長する。

また、まともな世界の方が良い。

まともな世界は、1人の帝王と、唯一神が居て、皆、同じ時代の普通を生きている。

法律と警察、軍隊があり、それぞれの国ごとに戦う。

まともな世界は、基本的に戦うだけだ。しかし、帝国の併合によって、平和になる。

自由は、戦いであると同時に平和だ。そして、帝国も、戦いであると同時に平和だ。

自由は、戦う。それぞれの個人を自由にして、賢くするリベラルも居れば、自由な中で、強さと勝利を目指す、保守も居る。

自由は、皆を受け入れることもあれば、敵を倒すこともある。

しかし、自由に共通しているのは、それぞれの個人の自由を尊重することだ。

昔のヨーロッパやドイツの国民性として、良く知られているのは、自由意思を尊重することだが、アメリカは、それを、全員の自由として統一し、機会と権利の平等にした。

アメリカでは、保守層は農家や資本家に多い。それらは、多くの金と権力を持ち、自由を謳歌して、保守的な世界を継続している。

リベラル層は、都会の市民に多い。それらは、個人の自由と解放性、自由な平等によって、あらゆる自由を手にしている。

それらが、戦っている。勝つことも、権利を保障することも、強者の自由とすることも、弱者を平等な自由にすることも、必要だが、原理として存在するのは、ヨーロッパや白人の、アーリア人的な、自由意思の尊重である。

機会 18:37

機会と権利の平等は、時に、間違っている。皆が社長に「なることが出来る」だけで、社長と「同じ」なのは、おかしい。

また、金持ちしか金を稼げない自由は、おかしい。

最初から、金持ちや自由など無く、平等に全員を豊かにするべきだ。

それから、保守とリベラルが戦うのは、社会主義でも同じだ。

国家社会主義者と社会民主主義者が戦う。

時に、それらはつるむ。米ソは、同じように悪い。自由な州制度は、共同体と同じだ。資本家のユダヤは、共産党と同じだ。

作る 19:27

理論的に色々と作れば分かる。

言葉と体験から分かれば賢い。

感情と想像力で、適用して分かる。

それが、全部網羅する一行になっただけだ。

積み重ねることと、予測することだけだった。

それは、寂しいし、悲しい。そういう風に辛い。

最近は、文章を書きながら、神の言うことを聞くようになった。

それは、辛いし、耐えるだけだ。そういう風に辛い。

思考のトレースが、思考のスケッチになった。

辛いが、結構楽しいのが、文章を全て書くことだ。

理性 19:42

理性と経験を、思い出しながら書いていた。

皆同じで、認識や体験から分かる。

概念と本質を知り、理解しながら構築し、適応しながら体験する。

その共有、多様性、可能性の実現によって、最大限自由の多い世界にする。

ただ、自由や皆同じは、間違っていた。

神との戦いの中で、色んな事に気づいた。

認識を説明しながら、書くことを考えて分かった。

そうした自由は、戦い、支配しながら書いている。

賢さ 19:46

そういう賢いは、もう要らない。

具体的な理性と経験の理解が欲しい。

理性は、認識と記憶が、社会や自然との関わり合いと調和から、正しく生まれる。

経験は、自分の行動と世界観から、自由に積み重なって、生まれる。

理性は、間違ったものや馬鹿なものを否定し、除外することから生まれる。

自由な理性は、否定的にしかならない。

また、経験は、間違ったことを否定し、あり得ることを良く分かる。

可能性と発想は、経験と理性の考え方を、全て世界から吸収することで得られる。

世界の全員になるべきだ。

世界の頂点になるべきだ。

全ては、包括であると同時に、頂点を極めることだ。

全ては、全員に良くすると同時に、頂点を競うことだ。

愛することは、運命を信じ、夢を信じ、希望を信じて、戦い、支配し、議論することだ。

全ては、理解と経験だ。

全ては、良く分かる感覚と感情だ。

全ては、記憶と伝達だ。

自然 19:49

自然の中に有る、運命的なものは、神が語りかけている。

自然は、全ての道に、愛を与えている。

自然は、人生を、記憶と経緯で把握しながら、異常と正常を、狂うと治すから知ることだ。

認識は、記憶と予測だ。

認識は、世界に安心と信頼を感じて信じながら、教わることと自由から知ることだ。

認識は、実証と研究だ。

認識は、愛情と絆の共有だ。

科学 19:51

科学は、カントとヘーゲルだ。

科学は、積み重ねと構造主義だ。

科学は、受験と専門科目の履修だ。

生物学は、遺伝子と細胞と、名前を覚えることと、進化論などの生物の哲学だ。

数学は、人間の理性の全てと、芸術の否定と、数と形の証明と論理だ。

物理学は、エネルギーと重力の世界観と、数と次元による運動と力の計算と、自然哲学的な理論の証明だ。

人文科学と社会科学は、哲学と歴史、国と金、言語と道徳だ。

科学 19:58

全ては、自然の中に有る、エネルギーの発見だ。

エネルギーは、運動と力と、エネルギーの変換と比例だ。

全ては、数学的な理屈の、新しい創造だ。

イコールの中で、構造的に理論を解いていく作業は、関数の公式を覚えて適用する数学的な手法を学び、数学的で記号的な考え方を覚えて、定理と証明を全て知る。

芸術 19:57

芸術は、想像力と次元だ。

芸術は、自然の中での人間性と美しさの表現だ。

本当の個性は、統一された世界観だ。

自然 19:59

自然は、生き物と人間、地球に対する、愛と尊敬だ。

社会は、人間の責任と、目的と手段の把握だ。

あらゆるものは、作られ、残り、変わり、壊れる。

宇宙は、最初から、永遠に変わり続け、いつか人間が支配して変えるだろう。

宇宙から抜け出すために、最後まで考えて、死ぬのが人間だ。

数学 22:00

僕は、数学や論理性が分かっていない。

そのせいで、証明や移項が分かっていない。

数学は、言葉ではなく、数で行うべきだ。

言葉の数学は要らない。数の数学が必要だ。

数や形を考える上で、最初に、四則演算と大小と等しさが存在するが、数学的に考えて、最初は、誰か人が考えた「決まり」が存在する。

それは、定義や公理と言う。

人の考えた決まりの中で、単位や比、分数として数を表現しながら、例えば24時間を1日として、2日は24×2で計算するように、数学は定義と演算によって成り立つ。

ただ、数学では、「推論」というものがある。

まず、aとbという数がある。そのaとbという数が、a>bという大小の関係を持つ時、それに-1をかけて、-aと-bにすれば、不等号の向きが逆になって、-a<-bとなる。

それは、その時その数があって、その大小の関係性がその時そうなる、という前提条件から、さらにその時-1をかけて、記号の向きを逆にする、という、推論が存在する。

そのように、「その時」と考えることが、「想定」であり、「推論」である。

現実世界や、言葉の数学でも、推論することは出来る。それは、同じと違う、特徴や特性を推論して、相対的に、条件で考えることが出来る。しかし、数の数学が、数学だ。

基礎 22:17

考えるためには、基礎を築く必要がある。

まず、そこで何が出来るかを考えなさい。

そして、世界に何があるのか、どんな環境や人間があるのか、考えなさい。

どんな方法と実現手段が存在するのか、考えなさい。

ものはどこから来て、どうすれば入手でき、また、世界や宇宙は何なのか、考えなさい。

それで、その時その時、何が出来て、何がどうなるのか考えて、方法と結果を考えれば、自由に分かる。

しかし、経験だけで、考えないのは良くない。

世界と関わる中で、考え方と能力を吸収するのも良い。

しかし、理由や、実証や、世界観から、あるいは構造から考えても良い。

1つ1つの知や理解が、世界とともに関係して、何を意味するか、考えても良い。

そして、数学的に考えれば良い。

それは、先ほど否定したが、言葉の数学だ。言葉の数学は馬鹿だ。

言葉 22:21

言葉や考え方を作って考えても良い。

言葉にならないことを、想像力や感情で考えても良い。

それを言葉にしても良いし、書いて考えても良い。

色んな人間の考え方を予想して、世界を空想しても良い。

そして、何かを信じて、そのために頑張るのも、良いだろう。

可能性や「かもしれない」から、「その時そうなる」法則を作り出す。

それは、定理や原因と結果を1つ1つ、作って積み重ねることで理解が生まれる。

1つ1つの理解を、その世界の構造性とともに、相対的に作ることも出来る。

それは、UNIXのプログラムのように、汎用的で、組み合わせて分かることが出来る。

決める 22:59

僕は、全部決められるようになってから、全部決めただけだ。

自由でも平等でも良いものを、自由に決めた。

組織でも共同体でも良いものを、組織に決めた。

昔、そこまで分かっていた。

全部知って、何でも実現できるようになって、その結果が分かる中で、決めた。

決めるのは、対話し、文章に書き、宣言しながら、自分と文章を決めていく。

アメリカにも、ソ連にも、ドイツにもなれる自分を、ドイツに決めた。

文章は、1つ1つ決めながら、1つ1つ、全ての文章を作った。

もう一度、決め直せば良い。それで、分かる。