昔は、人々の立場を知り、吸収して、全部出来、分かり、変えられるようになった。
人々と話した。
僕は、皆を支配し、導きながら、皆に教え、治している。
このまま王になれば良い。それが楽だ。皆も楽になる。
王をやめるのは悪い。滅びる。また、革命家は辛い。
普通を辿るのは止める。
何もない馬鹿が楽だ。
作家は首相だから、作家は右翼になる。
最近は全部やる王が辛いから、何もしない王が良い。
昔から、何も変わっていない。馬鹿な王をやりたいだけだ。
賢いことは何か。
不可能なことをしたり、世界を良くしたりすることが賢い。
出来ないことを出来るようになったり、問題の答えを解いたりするのが賢い。
世界の中で、色んな賢いことを、本質的な理由を含めて、考えたのが昔の僕だ。
理由と答えを知りながら、パソコン関係のことから、色んなことが出来るようになった。
自分でする発想と疑問を良く分かることで、哲学的なことを知った。
積み重ね、構造化し、基礎を構築すること、また、人間をじかに見て、近づいたり離れたりすることで、社会と心理を分かっていた。
それは、文章を書くに変わった。人間を作り、世界観を構造的に作った。
何もかも全部出来るようになって、何もかも分かるようになった。
最近の僕は、対話する。
言ったことに答えながら、命令しているだけだ。
それが神だ。それが王だ。革命家だ。
その時の世界を言って、皆を導きながら、皆に教えている。
その対話を止めるのが良い。
何もかも言って、辛い代わり、それで分かっている。
皆に言いながら、自分を従え、自分を支配する意味が無い。
全部同じ「もの」にして、積み重ねれば分かる。
全部同じにして、その時その時考えれば良い。
それを分類して、言葉で考えただけで、想像力でしたか、書いてしたかが、違うだけだ。
全ては、言葉とものだ。
全ては、人間と行動だ。
全てのものと行動を考えれば分かる。
総理大臣になったつもりで、どうするか考えた。
ローマ法王になって、ヒトラーに勝ちたかっただけだ。
神は、一度言って自分にして、答えて言うを繰り返すだけだ。
賢い辛いと、馬鹿な楽は、賢い方が良い。もう全部治ったから、元に戻ったほうが良い。
単純に、想像力と理性だ。想像力の方が昔で、理性の方が今だ。
多すぎて分からないだけだ。少なくすれば分かる。
昔は、人間の行動と現象を考えて、原因と結果を知り、感情で人間を考えた。
最近は、書きながら積み重ねて、意味を考え、色んなものを作った。
今は、文章を書きながら、神と対話するだけだ。
想像力で積み重ねると、人間を予測して、人格と行動の意味を知ることが出来る。
書きながら積み重ねると、例えばパソコンは機械で、机は家具のように、分類しながら、世界観を作ることが出来る。
神との対話は、細かなところを知り、対象を検討し、全貌を把握して分かることが出来る。