自然に変われば分かる。
何もかも分かっていると、何も変わらなくなる。
世界も、自分も、自然に変わるべきだ。
何も分からない方が分かる。
全て分かった後で、最初を全部分かるのが多かった。
全部馬鹿だから、全部嫌いだ。
あとは、発想や考え方、分かる方法を全部書いていた。
知って分かる。
思考して分かる。
試して分かる。
調べて分かる。
積み重ねて分かる。
予測して分かる。
分析して分かる。
発想を取り入れて分かる。
経験的に分かる。
行動を反省して分かる。
考え方の通り分かる。
考え方と決まりを作って分かる。
読んで分かる。
書いて分かる。
照らし合わせて分かる。
あとは、論理学の推論を書いてしながら、正しい論理を説明して当てている。
外国を知りたかった。
英語が分かった。聞いていて、何を言っているのか分かるようになった。
日本語は、何も考えないと出来る。
終わると、出来なくなる。もう終わったが、もう一度は出来ない。
数学的な考え方なんか、しない方が良い。数学のロボットになる。
英会話教室は賢い。何か月か通っていると、本当に分かるようになる。
もう分からないが、もう分かるものは無い。
あと書いていたものは、馬鹿な科学と、自分だけだ。
学校が馬鹿なのは、大学受験の練習、受験戦争の準備をしているだけだ。
全部テストにしても、馬鹿だ。
大学は、確かに全て分かるが、すぐに終わって、何も出来なくなる。
大学は、何もない。
大学を順番通りしていると、何も出来ないが永遠に続く。
最初から無視して、しない方が賢い。
僕は、理系はしたくない。物理は父親が出来るし、コンピュータは姉が出来る。
また、文系に意味が無い。ヨーロッパ史やドイツ史だと、ナチに見えるし、知識が欲しいなら、ドイツの知識に意味が無い。日本史に関心は無い。
また、哲学は、例えば純粋理性批判が難解すぎて、意味が無い。
数学でもすれば良いのは分かっている。何か、知識が欲しい。
機械や芸術、外国語などの分野が賢い。
今している、ピアノ、英語、数学、文章を書く、を続ければ良いと思う。
どうでも良いことだが、機械以外の科学は、いつか文章に書いた。
当たり前のことを書きながら、積み重ねて分かっていた。
想像力は、創造性と読み書きからつく。
時に、パソコンのような厳密性は、役に立つ。
だが、もっと役に立つのは、一度想像力を全て言葉にすることだ。
その上で、言葉で考えれば良い。
全員と、色んな社会と、色んな科学を、文章で作っていた。
全員とは、思想や信念は違うが、共同体としての同じ性格を持つ、それぞれの人間だ。
社会と科学は、考えられるものを、少ない言葉から全て作っただけだ。
自由とは、秩序とルールのある、参加と意見可能な共同体だ。
自由な環境は、信じること、愛すること、変化すること、許すことから生まれる。
そこには、慈愛と勇気が存在する。
ただ、それは、ただの馬鹿なネットだ。
その上で、参加と意見を、組織の中で考えた。
そして、沢山の環境を作った。