すぐに終わりたいのが悪い。
それで辛い。それで足もおかしい。それで馬鹿になっている。
馬鹿になったのは、馬鹿からやったから出来ただけだ。
永遠に書くが続けば賢い。そこを思わないのがおかしい。
馬鹿の方が続くし、足が治れば賢くなる。
自分から書くのを取り除くと、何も残らない。
肯定した方が良い。
英語は、辞書通りの意味でない。
日本語と同じように、辞書や文字ではない意味がある。
学校は、単語を覚えるのは良いが、教えるのが早過ぎる。
もっと基本的な英語の特徴を知ってから単語を学んだ方が良い。
書いていた方が、英語も分かる。
昔は、決まりを作りながら、何がいつどうなるのか考えただけだ。
だが、全部消え去った。そういうものは、要らない。
精神がおかしいのは、治らない。同じように、精神分析すれば、治るだろう。おそらく、何かで適当に治る。
治るだけ、馬鹿になる。本を読んで勉強しなければ、賢くならない。
ここまで治ると、もう治る意味がない。むしろ、足が治ったから、書くのが良い。
すぐに終わりたいのが馬鹿だった。
もう治ったからもう良い。足も全部精神が治った。
英語は、英会話教室でやりながら、単語帳を見て、単語を覚えるのが良い。
しかし、英単語は、日本語での意味までは、覚えない方が良いのだと思う。
その英単語がどんな形をしていて、どんな英単語があるのかだけを、ざっと見ながら知る。
そして、後は、外国人と話しながら、適当に意味が分かる。
あるいは、感情で分かるかもしれない。
赤ん坊のように分かる。
人間は、馬鹿なだけで、赤ちゃんが出来て、分かる。
話は変わるが、人間は、何もしないだけで、ロボットになる。
何か、本を開いていると治る。
環境が何なのか分かった。
宇宙人との会話のように、構造的に考えているだけだ。
多様な環境と人間の関係性における、創造性や生産手段を考えている。
また、沢山の色んな環境を持つ共同体が、いつどのようにして生まれ、変わるのかを考えている。
つまり、会社と店、工場などの環境を、生産手段や創造性から、現象的に考えた。
だが、具体的な実際にある環境や、理論的なことは、あまり考えていない。
宇宙に存在する、色んな仮定の環境を、文章で作っただけだ。
全ては、助け合いと争いだ。
しかし、単純ではない。
世界観を構造化し、影響力と自由の世界観を作った上で、理解と構築と体験の自由を述べながら、あることと無いことを書いただけだ。
自由とは、自然であり、愛と客観視と議論から生まれる。
ただ、ネットのようなことは書いていない。
普通の共同体を、その時の分かる範囲で作っていた。
人間は、風上に立つべきだ。
企業は、創造性と独自性が、実現性とともに存在するべきだ。
しかし、現実世界は考えていない。
一言でいうならば、何かの惑星を、1から作っただけだ。
人間世界を成り立たせるためには、秩序と法が必要だ。
全ては、理解と出来ることを教えながら、成長させることだ。
全ては、効果的に人を支配して使うことだ。
そして、そこであることや無いことを、全部言っている。
娯楽や、勉強、労働や情報の中で、あることを全部言っている。
秩序を守るためには、警察や軍隊などの保護者と、支配者が居なければならない。
そういう、普通には言っていない。
ただ、環境と共同体を考えていた。
いつ、どのような環境が生まれ、どのような環境に変わるかを考えていた。
それ以上は分からない。
言葉にする時点で、考えていない。
もっと、想像力を使って、具体的に見ながら考えれば良い。
見たことを、そのまま言っているだけだ。
滅びは、皆の心が希望を無くすことで起きる。
栄えることや賢さは、皆の心が希望を取り戻すことで復活する。
そのように考えている。そのように、考えただけだ。
楽しさは、感情を思い出しながら、楽を楽しむことで生まれる。
創造性は、現実の全てを知った上で、発想と知恵と工夫を努力することで、生まれる。
人への信頼は、絆と経験から、判断基準を作り、世界を良く知ることで、生まれる。
そのように考えただけだ。
想像力で見ながら考えれば、書ける。
自由な世界では、法と秩序が無ければ、荒廃した戦いの世界になる。
しかし、支配者が法を築くことで、その世界は、文化的な生活を生み出すことが出来る。
ただ、社会を全体的に考えれば、もう書ける。
社会が希望を取り戻すためには、夢と慈愛を持つ、賢い権威が必要だ。
社会に理解が生まれるためには、研究と把握、思考力による、賢い権威が、また、必要だ。
まさにそれだ。それを書いただけだ。
社会が創造性と独自性を持つためには、全員が自分の力を信じて、努力を全面的に行う必要がある。
社会が自然なまま良くなるためには、全員の影響力を取り入れることが必要だ。
ITやデジタル機器は、存在しなくても良い。
自由では、そうしたものが無くせない。
平等ならば、まだ、上がきちんと考えるだけ、良い。
そのように、社会を環境として、全体的に考えただけだ。
言語の多様性は、文化の多様性となる。
宗教や科学は、必要ない。何もないところからでも、人間はきちんと分かる。
運命など、信じるべきではないが、最も正しい決断は、間違いのない純粋な運命を作り出すものだ。
時代は、世界の全てに対して、価値観の変化を与え、希望と失望の経緯を得る。
社会に必要なものとは、理想と現実のバランスだ。
社会の生活を守るために、指導者と政府の努力が必要だ。
しかし、時に、人間は、それぞれが頑張らなければ、生きられない。
そろそろ、もう終わった。
環境とは、社会の可能性を考えただけだ。
そのまま、世界史を辿ったのが、自分の文章だ。
まず、人間は、進化して生まれた。
そのまま、原始人は、共同生活の中で、沢山の進歩をし、文字や都市を作った。
そういう、本当の世界史は考えていない。
ただ、何らかの世界史を、適当に辿った。
人間世界は、ユダヤとヘブライ語によって、文明の始まりを迎えた。
ドイツがそこに存在し、フランス、イタリア、ロシアとともに、世界が存続した。
フランスには、自由と啓蒙の文化が栄えた。
ドイツには、絶対主義と皇帝の文化が栄えた。
そのように、国を作りながら、世界史、あるいは、宇宙の歴史を、辿っていた。