昔は、社会の制度や、科学、機械、環境の改善のような発想をして、発想法を作っていた。
世界を書いた。世界の成り立ちと構造を作っていた。
環境を怖くすると、多重人格になって、精神が治る。
環境が怖くなると、精神が良くなって、すぐに治る。それが正常な精神だ。
戦って、環境を怖くしていると、人生の階段の上へと進める。
数学は、「正しさ」を論理的に考える。
物理は、仮説を立てて、実験し、解明する。
環境が怖くなると、精神が治る。
一人一人が思いやりの心を持てば、世界は平和になる。
希望とは、世界はみんなの手で変えられると信じることだ。
未来を信じること。
世界の構造、国の構造を、全部決めていた。だが、自由が好きだった。
共同体の平等は、ある意味、簡単に自由な国が実現できるようになる。
まともな人間が賢いだけだ。僕は、まともな人間になりたい。
自分が馬鹿だと、みんなも馬鹿に見える。自分が馬鹿なだけだ。
パソコンは、分かるように見えて、何も分からなくなる。
ネットで色んなことを経験していると、異世界の認識から、現実世界がどうでも良く見える。
パソコンは、そういう風に分からなくなる。
不思議と、学校も同じだ。学校やパソコンの全くない、小さな子供が賢い。
昔は、分かる時に何を分かるのかを考えながら、意識で人格と場を考えていた。
場の感覚と、環境の根源的な意識と適応で分かっていた。
そして、発想や認識を吸収して、全員融和して分かっていた。そういう認識を書いていた。
自分は、最近、子供みたいな人間だ。宇多田ヒカルの言う、瞳の奥に潜む少年のような人間になった。
最近、エロいのは、戦いや滅びとは言うが、それはただセックスをやっているだけだ。
セックスは一番悪い。姦淫は、世界を馬鹿にして、世界も自分も全部滅ぼすだけだ。
パソコンは、一時的に超賢くなる代わり、すぐに馬鹿になって何も分からなくなる。そういう機械だ。
そろそろ、分かるようになって、治った。みんなも、あなたも、分かって、治れば良いね、と思う。
ものは、作用、関係、状態、知性、であり、計画的な努力と、知性と考え方の適用と、協力の成立である。
それぞれが本当に認められ、ありのままであれるように、思いやりから社会を作ることが、自由な中での理想である。
希望とは、信じることだ。
本当に希望を信じたい人間は、自然に神への信仰に到達する。
自分の経た人生の経緯は、心の中に内面化として残る。それは、衝動によって動き出し、自分を神の精神へと変える。
世界は、それぞれが関わり合う、精神や感覚と言う名のハーモニーだ。
本当に愛することで、良い未来はきちんと訪れる。
最高の未来を作るためには、社会のことを再考し、神ではなく相対性と自然を信じながら、科学者の王となるべきだ。
考える、とは、多様性を作り出すことだ。
画一的な平等を否定し、多様性と創造性のある楽園を肯定する。だが、何も努力しないのは間違っている。
あなたの努力に対して、その報いはきちんと起きる。ソ連でも、アメリカでも、ドイツでも変わらない。
いつ行動すべきになっても後悔しないように、きちんと準備をしておきなさい。
旅に出たら、あてになるものは一つもない。自分の心だけを当てにして、嵐の中を小舟で進むことになる。
最初に持っていた希望を信じなさい。
自分なら出来ると信じなさい。信じる力が、運命のパワーとなって、幸運をもたらす。神は導いてくれる。
ただ、神は裁く。悪いことはせず、悪いことで勝とうとはしないこと。
世界を滅ぼすなら、上手にやりなさい。そして、後悔したなら、神に懺悔しなさい。
信じることで、全ての不可能なことは可能になる。
疑いようのないところまで、完全に疑うのも良い。何が疑えるかを知ることは、同時に、何を信じるかを知ることだ。
本当に信じるべきことが何か分かるまで、完全に、繰り返し体験し、経験しなさい。
全ての経験は、この世界のためになる。この世界の全ては、自分のためになる。
独りで進んでいて、怖くなったり、引き返したくなったら、天使の導きを信じなさい。
そうすると、そこに居る天使が助けてくれる。天使は見えないが、本当はいたるところで精霊の力を発揮している。
愛を信じるものは、救われる。
だが、宗教的になり過ぎるのは良くない。コミュニティが支配してしまうと、監視社会になってしまう。
神など居ないと信じて、相対的に自然な世界を分かると、神を信じている人間とは比べようもないほど賢くなる。
ただ、それはその時だけであって、永続的には続かない。
自力で全てが分かる物理学者も、そのうち何もしなくなる。その時に、新しい信仰へと道は続いていく。
盲信すれば良いのではない。むしろ、疑いようのないところまで疑った上で、今度は自分の力で考えるのだ。
そこに存在すべき存在が、神と言う絶対者だ。だが、それは、ある意味、天皇のような、象徴のような存在だ。
経済学や心理学を作ると良いだろう。文学的な詩を作ると、誰かが喜んでくれる。
昔は、ネットでみんなとの悲しみや絶望を分かち合って、みんなと「真実の体験」をして分かっていた。
それから、理性的に、環境や心のことを、行動や社会性とともに、裏側を考えて分かっていた。
全てのことが出来る、パーフェクトな人間だった。
あとは、ここから先は、もう何も起きなくなる。その代わり、宗教のようなことが起きる人間が多い。
自分の場合、心の声と対話する意味がない。もっと別の形で神を信じた方が良い。
神を居ないと言うと、おかしい。居ると言う人間から見ると、本当にきちんと居るのが神だ。
昔は、色んな新しい見方や考え方を作って分かっていた。最近は、同じ見方や考え方をいつまでも続けている。
年をとると、ものの見方が狭くなるのかもしれない。
もっと、見方や考え方を変えた方が良い。
神は、むしろ、もうあまり何も起きない。終わった人間には、何も起きるべきでない。
自分の場合、もう神は盛大にいくらでも起きた。あとは、この世界がおかしくなるだろう。
おかしいのは、自分ではなく、日本だ。日本中が、完全に全部おかしくなっている。
自分は、男と女のカップルになった。
昔は、ネットでエロい画像を見ていた。最近は、セックスそのものの体験をしている。
自分だけ、意味がないほど楽だ。これ以上はない。
数学は、確かな方法とその結果を考えると、何でも問題が解けるようになる。
数学は、方法で方法を解き、説明を説明する学問だ。
辛い、怖いは、こういう風に多い。何故か、セックスをしていると、こうなる女が多い。常にしているだけだ。
神を信じると地獄になる。こうなる人間が多い。
心は、気持ち悪くなると治る。
民進党の新代表の蓮舫は、見ていると、昔の自分に見える。
岡田もそうだったが、民進党は、何も出来ないし、何も分からないのに、威勢の良いことを言う。
議論が好きな岡田も馬鹿だったが、蓮舫は何も賢くないのに「分かる自分」を賢いと思っている。
それこそ、全部賢いものを否定しているだけで、賢いものが何が賢いのか、分かっていない。
自己批判をするのは良いが、それが自分だけではなく他者にも向かうのが馬鹿だ。
明らかに、セックスを常にしている女なんか居ない。自分はおかしい。エロいどころか、怖い。
神に願いを叶えてもらうなら、ノートの入力をして、消えてしまった文章も全部復活させてほしい。
女になりたい、と言う望みは止める。そんな望みより、ホームページを見たい。
ただ、神はやってくれない。もう一人の自分がやってくれる。
不思議と、女になっているのが治って、足の精神が治った。
そういうわけで、そろそろ世界も治る。正常な普通の世界になる。昔の日本に戻る。
不思議と、男に戻ると、楽に出来る。それで、入力をすれば良い。
女は悪い支配者だが、男は悲惨な自由だ。女は何も出来ないが賢い。男は馬鹿だが出来る。
人間は、言語のせいで分かっていない。「神は全てを創った」と言うが、それを聞いて、人は「全て」を作ったのだと思う。だが、神は、言葉のニュアンスとしての「全て」を作ったわけではない。言葉のニュアンスでない、あらゆる全てのものを作ったのだ。
そういうわけで、真面目に分かっていると、分からない。きちんと意味を考えれば哲学は誰でも出来る。
昔は、世界全員の認識のハーモニーのようなことを書いていた。
環境を思い出し、社会を知ることで、全ての世界の可能性が分かり、社会の全てを創る自由になる。
社会は、必要なものと手段を与えて、自立させてやるべきだ。
体験から、見えないものが見えてくる。
可能性から正しいものを知れ。
経験から、正しく見つめ、見えていなかったものを見るようにしなさい。
本当にそれが正しいと誰もが言えるような条件で行うこと、それが道徳的な善だ。
男になると、哲学が簡単に出来る。
光があるからそれを見たのか、それを見たから光は生まれたのか、それはどちらも正しい。
作家も、パソコンも、男の方が出来る。女は、宗教ぐらいしか出来るものがない。
女も馬鹿ではなかった。女は、ものすごく大量に沢山の経験をしている。そして、大学の知識を、ヨーロッパ人のように、全部知っている。基礎的なことしか知らないが、全分野それなりに知っている。広く、浅い人間だった。
だが、男の方が賢い。男は、哲学者のようにみんなの考えていることを知って、コンピュータの専門家になった。
そろそろ、男と女が分かれて行く。文章を入力するのは、本当に男の方が楽にできる。
昔なんか、自由にそれがどうなるか考えただけだ。
関係を知って、考え方を作って、客観視して、自由を考えた。知性があった。
視野や見える世界から、社会全体の構造、人生、認識、真実、そして法則やシステムを考えていた。
原理を見出し、意味を見出していた。
心とは何なのか、知とは、経験とは、人生とは、社会の成り立ちとは何なのか、良く考えた。
存在の根源性と、可能性のあらゆる場合から、原理的な意識を作っていた。
ベーコンは、知は力であり、最上の証明は経験であると言っているが、それと良く似ている。
哲学は、男になると良く分かる。
自由を色々と変えながら、存在の成立と、その場合の状況の意味のようなことを、良く考えていた。
人間の知っている知とは本当は何なのか、行動している行為とは何なのか、それはどこから来るのか、考えた。
社会は何故この社会になったのか、問題を解決するための発想として何が言えるのか、考えた。
全ては、理性と事実であり、そこから来る考え方の適用とシステムの向上である。
すぐには治らない。段階を経て治せば治る。
足は、使わなければすぐに治る。男になるとすぐに出来る。
分かるのと分からないのを比較して、例えばインターネットの掲示板のような、それを分かって、離れて、あるいは近づいて、それでもっと分かる、と言った分かり方をしていた。
怖いのは、昔の記憶が怖い。
論理、知性、知覚、経験、現実が全てだ。そういう風に、世界の全ての概念のようなものを作っていた。
全ては、創造性と革新性による、変革と維持である。