自分は、洞察力と情熱とあくなき探究心のある、全員への優しい慈悲と慈愛の心がある、良い人間だ。
ペルセウスになると、作家やピアニストが出来る。
人間は、怖い方が怖くない。
そんなに安心したい方が、怖くなる。
ペルセウスになると、そこらへんが分かる。
不思議と、ペルセウスまで、やりたい人間が居ない。
昔から、自分だけ唯一ペルセウスになる。
みんながそれぞれ違うように見えて、自分だけが違う。
自分は、昔からそこが分かっていない。
プレアデスは哲学者、オリオンはユダヤ人、カシオペアは大学教授だ。
ペルセウスは、むしろ、普通のまともな人間になる。オリオンほどおかしくない。分かる人間になる。
あとは、星座なんか、星空を見た時に近くに見えるだけで、実際は近くの星も離れている。
プレアデスはLinuxのコンピュータ科学者で、オリオンは革命家のありえない神で、カシオペアは知性のある大学生だと、最初から自分のせいで決まっている。
不思議と、てんびん座になりたいなら、なる。そういうものを、プレアデスとオリオン時代の自分が全部創っている。
自分は、何かが分かったわけでも、変わったわけでもないのが、分かっていないように見えて分かっている。
もう、全て分かっている。書いているのは、ただ、自分が思う楽しいものをどんどん作っているだけだ。
自分は、良い人間を目指して分かっている。それが間違っている。
こういう、独りだけ良い人間は、分かるようになる。
ただ、良い人間はもう止めた方が良い。分からない悪い人間の方が、賢くなる。
自分のことを肯定してあげること。
自分のことを肯定出来る人間が、他人のことを肯定出来る人間になる。
きちんと肯定すると、きちんと否定出来るようになる。
自分は、自分一人だけで勝てるわけがないのに、一人だけで勝っている。
広島の市街を車で行ってみたが、そんなにカープ優勝は盛り上がっているようには見えかった。
自分が綺麗なのは、汚いが綺麗で、綺麗が汚いからだ。
この文章が一番美しい。ニキビで無ければ、顔もきちんとカッコいい顔をしている。
不思議と、人間は本当に怖い方が良い。怖い方が、安心出来る。安心した方が怖い。
自分は、そんなに絶対的に信じる必要がないのが分からなかった。
狂うのが悪いとは言うが、そんなに悪くない。神が言っているから、悪く見える。
神は、そんなに大したことは言っていない。最終的にこうなる、自分の人生のことを言っている。
そういうわけで、神とは逆のことをした方が賢くなる。そういう、勇気のある反キリストが一番賢い。
そんなに神を盲信的に信じるのは、一番悪い。
日本には、神と思う人間は居ない。神は一番悪い。
それなりに理由があるから信じるだけだから、信じるのも悪くはない。ただ、もっと別の可能性を知るべきだ。
数学的に考えるなら、「ならばどうなるのか」を考える。
公理主義のような独自の数学の構造を世界モデルとして作れば良い。
条件と理由を考えることで、説明、仮定、可能性、成り立ちが見えてくる。
何がどうなれば、何が実現出来るのか、それを成り立たせるために何が必要となるのかが分かる。
自分は、フランス人、ドイツ人、ロシア人、イスラム教徒、イタリア人、そして最後の大学教授の2人目のドイツ人だ。
マイクロソフトのような独占の標準は、発展しないだけではなく、悪いものが淘汰されなくなる。
「自分がなったら」を考えて、実際に自分がなって、経験して分かっていた。それが昔だ。
自分は、情動を抑制しなければ良い。
情動は、世界を人間性と思いやりのある、自由で平和な世界にしたいだけだ。
そういう、理想の世界を、価値観や経験や多様性から、ありのままのように書いていた。
パソコンのUIは、画面全体に表示しない方が良い。視覚的に辛い。
画面全体がいちいち切り替わると、操作性が悪い。画面を変えずに、最低限表示してほしい。
悪でなく、苦しみでなく、善や楽に導くべきだ。
神は、出来事と人生を支配する。辛いのは、神も辛いからだ。
自分は、そろそろ、運命の女と出会うと思う。
GNOMEは、もう少し良いUIになってほしい。
そのためには、WindowsやMacより、ネットのホームページやブログを参考にすべきだ。
昔は、目に見えない自由や理性の考え方の世界を創っていた。
あらゆる、目に見えない可能性と把握の世界を、全部創造した。自由だったし、思いやりがあったし、理性的だった。
バンプの言う、「そのドアにカギはない。開けようとしないから、知らなかっただけ。」とは、僕は、この世界を分かって、変えて、救って、作ることを言っているのだと思う。誰も禁止していない。ただ、誰にも分からないし、しようとしていないだけで、それをすることは自由に任されている。不可能とは言うが、気付いていないだけなのだ。
死んでも天国へ行ける、と言うのは、「死んでも怖くない」と言う考え方に見えて、そうではない。「その方が、より一層怖い」と言う考え方なのだ。生きている間に善をせず、悪ばかりしていたものは、地獄に落とされる。あるいは、天国に行っても、神に裁かれるのだ。
人数が少ないより、多い方が良いだろうか?そうではない。無駄が無くて、賢い方が良い。
友達をつれていくなら、親友の1人だけにするべきだ。
自由だと思えば良い。
全ては、経験に基づく、自由な合意であり、それぞれの行為の積み重ねである。
全ては、社会の自由な創造と変化の支配である。
そういう風に、自由を書いていた。それぞれがすることの、発生と関係を考えていた。
心と社会を解明して、何でも分かるようになっていた。
みんな、最近になっているから、もう一度昔になった方が良い。
最近の自分に、良い点なんかない。王が良かったように見えて、ただ悪い支配者をやっただけだ。
昔になりなさい。そして、そのまま、自分の力で、強く生きなさい。
神を信じるな。平等を信じるな。社会主義を信じるな。
自由とは全く違う、自分なりの新しい思想家になれ。ネットを見ながら、全員への慈愛の精神を持て。
自由は全員に許されている。あなただけが自由になるべきではない。
奴隷のように働くことも、時に良い結果を生み出すことがある。状況次第では、奴隷になるのも賢い。
コンピュータのことを知って、精神分析のように、まともに自分のことを考えて、人生的な愛を知りなさい。
日本は、最近、何も無くなっている。本当に何もない。
全員の発想と認識を知り、吸収することから、独自の発想が生まれる。
発想は、自分で書いて作ることが出来る。だが、ある意味、一人だけで全員の発想を吸収し、包括出来る。
コミュニケーションをするのは良いが、成長しすぎると、逆に、何もしなくても分かるようになる。
横断的な考え方と経験で、社会のことを相対的に貫いて、感情を知りなさい。
認識を疑いなさい。当たり前のことや常識を疑って、経験と理性から、「それは何が違うのか」を知りなさい。
経験的な認識と知のあり方から、人生の真実の姿を知りなさい。
そこから、感情や心を、相対的な場の一部として、考えることが出来る。
普通の人間や、普通の認識を疑いなさい。
ある意味、人間が言語で考えている世界は、本当の世界と捉え方が違う。
赤ん坊のように、先入観無く、この世界の真実を知って、それがそうである姿に驚きなさい。
同時に、洞察し、推測し、仮説を立てなさい。
パソコンのシステムや、芸術などの「新しい発想」を自分で立てることで、世界の可能性に気付く。
そして、愛の大切さ、本当に肯定し、同時に否定することの大切さを知りなさい。
愛とは、真実のさらに奥深くにある、真実の全てを生成(ジェネレーション)する感情のことだ。
それだけが唯一の解答ではない。もっと沢山の解答はあるが、現実は一つしかない。解答が一つしかない、と言うのは錯覚だが、現実が一つしかない、自分が一人しか居ない、みんなはみんなしか居ない、と言うのは真実だ。
みんなが参加出来るように、変えられるように、独立しやすいようにしなさい。
そして、この世界をどのように変えられるかの方法や様式を積み重ねなさい。
自由にして、協力しやすくするのは、ある意味、単純な真理だ。そこから、考え方が生まれる。
経験可能にすること、そして、そこではそれぞれを自由にすること。それで、個人個人が考えるようになる。
啓発するための最も良い手段は、少年時代につまらない馬鹿な体験をいくらでもすることだ。
独立だけをしやすくしても意味がない。
常に助言が得られ、考える機会があり、情報や社会の全員と触れ合えるべきだ。
全ては、誰でも自由に変えられる。だが、そのためには正しく考えなければならない。
ただし、最初に、全てのことは出来る可能性がある、と言うことを知っておくべきだ。
確信しなさい。確信とは、それが本当に正しい、と言うことを脳に刻み込んで、死ぬまで分かるようにすることだ。
全ては、人間の可能性の発揮であり、未知の領域は自由である、と考えなさい。
政府や政治家は、本来存在すべきでない。必要最低限の小さな政府にするべきだ。社会主義は狂っている。
権力など、政治家が国民みんなを倒しているだけだ。本来、王の権力は不要だ。
全てのことを、全員で変えられるようにしなさい。
実行する、決断するのは一人で良い。
だが、考える、把握する、知る、築くのは、全員で議論し、全員で考えるべきだ。
一人で考えるより、全員で考えるべきだ。そういう人間が、一人賢くなる。
許し続けることで、未来は開拓出来る。そして、本当に後悔することで、真実の愛を実現出来る。
後悔が悪いとは言うが、後悔するようなことをするのが悪いだけで、反省し、後悔することは、魂の感情だ。
平和にする、と言うことは、自由にする、と言うことでしか、成り立たない。
たまに全体像へと帰って、常にスタートラインであるつもりで努力し、挑戦と反省を繰り返しなさい。
人間を変えるより、環境を変えなさい。環境が違えば、全ての自由が違ってくるだろう。
可能性の中の環境を変えなさい。あらゆる想定の中での実現を、具体的な環境から考えて、知りなさい。
経験から、認識は変わってくる。それを、インターネットの中で、体験的に知りなさい。
みんなの発想を、自分の発想のように考え、逆に、自分のことを、みんなのことのように、尊重しなさい。
みんなを自分のことのように、吸収しなさい。
感情で、宇宙の場の意識を知りなさい。あらゆる経験を、「何がその経験の元になっているか」考えなさい。
積み重ねから、数学的知性と気付きや説明の科学を作って、体験と行動から知性をつけなさい。
発想と行動から、知性を知り、知性の構造を作って、「世界観的な哲学」を作りなさい。ニーチェになりなさい。
自由とは、その経験を愛することだ。全員を自分のことのように愛することだ。
馬鹿は、何かを勘違いしている。ありのままに生きていれば、勘違いはすぐになくなる。
仏教の教えを知りなさい。それが、一番正しい人間の生きる道だ。
命令せず、同じ立場で議論することで、相手のことを知ると言う、「特別な体験」が出来るようになる。
あなたはわたしであり、わたしはあなたなのだ。
「見なす」ことで意味を知りながら、間違った見なし方には拒絶を覚えなさい。
滅びなくするためには、勘違いを無くす必要がある。
だが、そのためには、勘違いや未熟を全部吸収する必要がある。
成熟、と言う言葉は、未熟を全て経験する、と言う言葉と、同じだ。
社会を知る、と言うことは、社会を作る、と言うことであり、社会を救う、と言うことだ。
本当に、その人のための社会を、誰がどのようにして作るのか、から、自由と言う意味を知りなさい。
自由とは、誰かを積極的に助けるために、その状況で自分に何が許されているいるか、と言うことだ。
積極的な手助けにおける許可と制限、それが自由の本当の意味なのだ。
自分の意見を強く持ちなさい。
希望のために、この世界は本当に変えられるのだ、と言うことを、絶望と抑圧の中で確信しなさい。
「永遠」と言う言葉は悪い。「常に」や「いつでも」と言う言葉を使うべきだ。
方法とは、知ること、変えること、作ること、与えることを許されている、と言うことだ。
学習しなさい。そして、学習とは何なのか、意識と法則から考えなさい。
その学習がどんな経験となるのか、それが何を意味しているのか、何が可能となるのか、自由に考えなさい。
その経験から、何が可能となるのかを考えて、宇宙の可能性と因果性を知りなさい。
正しく愛し合う方法を、本当は誰も知らない。
築くことを無視して、対処療法をしても、良くならない。
原因を発生させる、その前提としての原因を考えなさい。
愛とは、信じないことだ。信じることが愛に見えて、愛を信じてはいけない。
全てを失った時、心の中に残るものは、希望だ。
時間を考えなさい。時間の中で、どのようにこの世界が経過してきたのかを、実感で考えなさい。
人間関係は、築くことの出来るチャンスと初期投資であるとして、相手のことを信頼しなさい。
負けても、失っても、馬鹿になっても、滅びても、希望を大切にしなさい。
チャンスはいつでもある。だが、知っておくべきことを全て知ることは、意外と難しい。
昔なんか、知っておくべきことを全て知っただけだ。
前提と人生と経験を全て知って、そこから「どのように思考すれば良いか」が分かっていた。
正しいものの見方とは、共通性と経験から、先入観無く、新しい世界観で知る、と言うことだ。
本当に正しい考え方を知るためには、全員の愛と、全員の考え方を知る必要がある。
全員の考え方を知ることで、正しい考え方を知ることが出来る。
いつも、そういうことを言っていたのが、文章だ。
物理は、勉強するより、自分の手で考え方を実践した方が良い。哲学と同じだ。
自分の思う「正しい行動や行為」を実践し、そこから、成熟した経験を培いなさい。
疑うことを中心にするより、信じることを中心にして、疑い、信じなさい。
自分に出来ることはたくさんある。それを前提に、目的を持って行動しなさい。
社会を知ることで、自分の「現在地点」を知ることが出来る。
ゲームのようなことも、ある意味、馬鹿になったつもりで楽しみなさい。馬鹿な知性は賢い。
馬鹿は馬鹿ではない。馬鹿な環境に居る馬鹿もある意味一番正しい。それが分かる人間が分かる。
ある意味、自分も同じ環境に居れば、同じ馬鹿になるだろう。
自分の居る環境を自分で選ぶこと。それが、正しい哲学者の行動原理だ。
いつでも、全体像を確かに見て、忘れないようにしなさい。
人間とは、人間が決めるものだ。
心のコントロールの方法を学びなさい。
拒否することを学びなさい。
自分が狂っているのは、昔より最近になりたいのがおかしい。そこが間違っている。
2ちゃんねるがキモいのは分かるが、まともに考えて、昔が人間の理想だ。最近は辛いだけだ。
世界を全て知って、自由、平等、愛、行動、成長、人生、経験を知りなさい。
社会を良く疑うことで、もっと社会のことが分かる。その社会が何故その社会になるのかが分かる。
普遍的な他人の視点や立場に立って、「相手」から自分のことを疑いなさい。
正しいと思えることは正しいのだと、「普遍的心理」と「人生的な心の経験法則」から考えなさい。
心の中で、判断し、融和する、「宇宙的心」を持ちなさい。
誰の見ていないところにも、存在はある。宇宙は、人間の思っているより、多い。
視点を捉えなさい。そして、「視点を可能にする」ことから知りなさい。
あとは、考えれば良い。契機のようなこと、「そこにある、その行為と現象そのもの」を考える。
真実を知り、青春を知り、真実の愛を知り、運命を知りなさい。
そして、知性をつけ、事実と比較し、全ての観念の想起を知りなさい。
自分は、「仕方ない」と思えば良いのが分かっていない。そこに抵抗している。
仕方ない。過去のことは過去のことだ。もう、神の愛なんか、信じなくて良い。
自分は、昔の方が本当に良かったのが分かっていない。
全ての状況は、想定出来ないものだ。
一度作ったものも、あとで再考し、変えられるようにしなければならない。
馬鹿を悪いと言うが、悪くない。馬鹿を馬鹿にした、周りの環境、上に居る無責任な人間が悪い。
救ってほしいなら、自分から救いなさい。
他人を救うだけではなく、鏡に映った自分を救いなさい。
意識から社会と歴史の可能性を知り、信じて気付くことで分かりなさい。
相手の優しさから、その時出来るはずだったことまで、信じること、気付くことで分かりなさい。
同時に、「そうならば、どうであるか」を考えなさい。
そのための条件と、それによって何が可能となるかを考えなさい。何でも出来るようになれば良い。
何によって何が可能となるか、日本語と思考から考えなさい。
何のために何が出来て、関係的事象から、何によって何が生まれ得るか、を考えなさい。
昔は、社会や場がどういう風に生まれていくかを、経験と意識から分かっていた。
どんな「想定的状態」があるかを、良く考えていた。
歴史の必然のような、必然的変化のようなことを良く考えていた。
物理は、それがどのように振る舞うかは分かっているが、その正体が何なのかは分かっていない。
だから、太陽や太陽エネルギーが、地球の生命とは違う形で、生きていたり、何かをしたりしている可能性はある。
光が、意志や目的を持って人間と接する可能性も、無いわけではない。
それに、天国はあるかもしれない。夢の世界があるくらいだから、天国もあるだろう。それも、現実より良い世界だ。
病気が治らないなら、光に治してもらうと良い。光は、何でも出来る。