最近の日記に戻る | 2016年9月の日記に戻る

=2016-09-21=

自分は、宗教や神を信じるせいで、分からなくなっている。

科学を信じれば分かる。

きちんと科学的に考えれば、哲学なんか、誰でも出来る。

宗教を信じるのは、科学的に考えるのを終えてからにすべきだ。

昔は、みんなとの共同体験から、普通の人間が何を考えるか、ロボットのように仮象の世界を分かっていた。

会社とは、作り出されるものだ。

ものも、星も、人間の科学より、昔からある。科学とは全く違うものが、宇宙だ。

昔、哲学なんか、していない。ヘーゲルは、普通、意識や歴史を「精神の諸相」であると言うだけだ。

昔、哲学なんか、出来ていない。あまり哲学なんかする意味がない。

人間は、残るもののせいで分からない。残るものを全部消した方が良い。

自分は、空間認識が出来ていない。そこが出来るためには、言語的な脳を殺す必要がある。

昔は、全部、精神的に出来るようにしていた。

だが、そこがおかしい。「精神的に出来る」と言う発想が何かおかしい。何をしているのか考えれば治る。

機械なんか、動くだけだ。ものは、ものから作る。全ては、精神と言うよりは、状態だ。

そういうわけで、哲学なんか、馬鹿の方が出来る。完全に科学的に考えていると、哲学は誰でも出来る。

昔は、抑圧も多かったが、ダイナミックに世界が変わる時代だった。

苦しみも多かったが、喜びや希望も多かった。僕も、悲しいことを他人と共有して、世界の変化を信じていた。

そういう時代が好きだったから、そういう時代に戻した方が良い。

最近は、なぜか、みんな何も出来なくなった。みんな、馬鹿になっている。一度、全てを消した方が良い。

政治家や政党は、政治思想や信念ではなく、目指す国の形で集まり、分かれるべきだと思う。

自民党は「強い国を目指す党」にして、民進党は「優しい国を目指す党」にする。

他にも、「国際平和を目指す党」や、「世界に勝つことを目指す党」などを作る。

その方が、分かりやすい。

現状では、自由と民主主義が好きな人間が自民党に入れるが、それは何も選んでいないに等しい。

社会主義の党なんか、選ぶ人間は居ない。政党政治は民主主義的でない。

正しい認識を得ていくプロセスとか、本質からモデルを経験的に作るプロセスとか、そういうことを書いていた。

ヘーゲルは、「全ての変革や批判は、それの下にある基盤的概念(たとえば元あったルールや古い制度)がある」と考える。ヘーゲルは、そこが賢いのが普通だ。自分は、ヘーゲルなんか、全く分かっていない。青少年の成長なんか、ヘーゲルは考えていない。自分の青春がヘーゲルの精神の成長と合致しただけだ。

ニュースでヨーロッパにファシズムや極右勢力の拡大の動きをやっていたが、僕が思うに、「思想的に正しい(と思う人が居る)のであれば、何をしても良い(何をしても間違いではない)」と考えることが危険なのだと思う。

むしろ、神を信じた方が良い。

神は、昔の引き篭もりの自分をドイツ人だと言っている。それ以降のことは言っていない。中学生ぐらいまでがフランス人に見える。ここらへんは全部ドイツ人に見える。むしろ、昔の方がはるかに賢かった。

愛を信じた方が良いだろう。

平等な愛が良いように見える。

ある意味、悪魔のような知性がつくと、分かるように見えて、永遠に分からなくなる。

自分も同じだ。そういう、ドイツが悪い。ドイツは、昔から、永遠に分からなくなる病気になる。

もう一度フランス人に戻るしかない。

そういうわけで、14歳以降、28歳以前がドイツ人だ。

不思議と、こうなる人間が多い。きちんと、辛い環境を頑張った人間がこうなる。本当に良かっただけだ。

幸福ではなかったが、自分の出来ること、出来ないことを良く知っている人間だった。

昔は、愛と信じることと思い出すことで、みんなの意識を分かっていた。

みんなを支配して、一つの流れにするのが悪い。

アメーバは、分裂して、アンモナイトになる。

最初の言葉で分かっている。それを遡っている。