自分は、宗教や神を信じるせいで、分からなくなっている。
科学を信じれば分かる。
きちんと科学的に考えれば、哲学なんか、誰でも出来る。
宗教を信じるのは、科学的に考えるのを終えてからにすべきだ。
昔は、みんなとの共同体験から、普通の人間が何を考えるか、ロボットのように仮象の世界を分かっていた。
会社とは、作り出されるものだ。
ものも、星も、人間の科学より、昔からある。科学とは全く違うものが、宇宙だ。
昔、哲学なんか、していない。ヘーゲルは、普通、意識や歴史を「精神の諸相」であると言うだけだ。
昔、哲学なんか、出来ていない。あまり哲学なんかする意味がない。
人間は、残るもののせいで分からない。残るものを全部消した方が良い。
自分は、空間認識が出来ていない。そこが出来るためには、言語的な脳を殺す必要がある。
昔は、全部、精神的に出来るようにしていた。
だが、そこがおかしい。「精神的に出来る」と言う発想が何かおかしい。何をしているのか考えれば治る。
機械なんか、動くだけだ。ものは、ものから作る。全ては、精神と言うよりは、状態だ。
そういうわけで、哲学なんか、馬鹿の方が出来る。完全に科学的に考えていると、哲学は誰でも出来る。
昔は、抑圧も多かったが、ダイナミックに世界が変わる時代だった。
苦しみも多かったが、喜びや希望も多かった。僕も、悲しいことを他人と共有して、世界の変化を信じていた。
そういう時代が好きだったから、そういう時代に戻した方が良い。
最近は、なぜか、みんな何も出来なくなった。みんな、馬鹿になっている。一度、全てを消した方が良い。
政治家や政党は、政治思想や信念ではなく、目指す国の形で集まり、分かれるべきだと思う。
自民党は「強い国を目指す党」にして、民進党は「優しい国を目指す党」にする。
他にも、「国際平和を目指す党」や、「世界に勝つことを目指す党」などを作る。
その方が、分かりやすい。
現状では、自由と民主主義が好きな人間が自民党に入れるが、それは何も選んでいないに等しい。
社会主義の党なんか、選ぶ人間は居ない。政党政治は民主主義的でない。
正しい認識を得ていくプロセスとか、本質からモデルを経験的に作るプロセスとか、そういうことを書いていた。
ヘーゲルは、「全ての変革や批判は、それの下にある基盤的概念(たとえば元あったルールや古い制度)がある」と考える。ヘーゲルは、そこが賢いのが普通だ。自分は、ヘーゲルなんか、全く分かっていない。青少年の成長なんか、ヘーゲルは考えていない。自分の青春がヘーゲルの精神の成長と合致しただけだ。
ニュースでヨーロッパにファシズムや極右勢力の拡大の動きをやっていたが、僕が思うに、「思想的に正しい(と思う人が居る)のであれば、何をしても良い(何をしても間違いではない)」と考えることが危険なのだと思う。
むしろ、神を信じた方が良い。
神は、昔の引き篭もりの自分をドイツ人だと言っている。それ以降のことは言っていない。中学生ぐらいまでがフランス人に見える。ここらへんは全部ドイツ人に見える。むしろ、昔の方がはるかに賢かった。
愛を信じた方が良いだろう。
平等な愛が良いように見える。
ある意味、悪魔のような知性がつくと、分かるように見えて、永遠に分からなくなる。
自分も同じだ。そういう、ドイツが悪い。ドイツは、昔から、永遠に分からなくなる病気になる。
もう一度フランス人に戻るしかない。
そういうわけで、14歳以降、28歳以前がドイツ人だ。
不思議と、こうなる人間が多い。きちんと、辛い環境を頑張った人間がこうなる。本当に良かっただけだ。
幸福ではなかったが、自分の出来ること、出来ないことを良く知っている人間だった。
昔は、愛と信じることと思い出すことで、みんなの意識を分かっていた。
みんなを支配して、一つの流れにするのが悪い。
アメーバは、分裂して、アンモナイトになる。
最初の言葉で分かっている。それを遡っている。