最近の日記に戻る | 2016年9月の日記に戻る

=2016-09-06=

今日は、今のところ3ページ入力して、まだ入力中だ。

昔の人格になった。昔は、クズみたいに悪くて馬鹿だったが、この世界がきちんと分かっている。

どうすればそうなるか、から、数学の逆の積み重ねのように、現象を辿って分かっていた。

生命現象は、意識だ。

本質を知ることで、何でも出来るようになる。だが、出来るのは賢くない。

人間の延長線上を分かることで、人間や人生のことが分かる。

人間の理性とは、認識と経験を疑い、その場その場の可能性と原理を考えることだ。

人間のことや認識のことを物理的に考えること。

全ては、可能性の一部だ。

別の次元のようなこと、法則のようなことを、具体的な社会と認識の例から分かっていた。

単純作業は、「常にやっている」間楽だが、それが悪い。

常にやっているのではなく、やっていないアイドル状態を入れると、楽に作業が出来る。

たまに、何もしない状態を作ると、辛いのにやってしまって失敗してしまうのが減る。

右翼の問題は、「自由競争しかありえない」と思っている。それでは分からない。

狂っている人間は、常にしているだけになっている。もっと、何もしない状態を作ると治る。

全員、抑圧から自由になれ。環境的に、抑圧から解放されよ。

あとは、何かをするための前提の知識や経験を、全部知って、全部分かるように作っていた。

あらゆることが、根源的に、根拠や理由で分かっていた。実際のこの宇宙の姿が分かった。

それで、実体験から考え方が分かった。それで、悟っていた。

自分が出来るだけではなく、他も出来るようにする、出来ることが分かることを知ること。

それが、進歩への近道だ。

経験から感情を信じなさい。

世界の経験を知って、「その感情になること」を「確かに信じる」ことで分かりなさい。

ただ、未知を確認して、分かったことを積み重ねただけだ。証明や経験と言うより、確認だ。

知りながら考えて、自由に考えること。

歴史とは、時代の空想だ。それをもっと良く考えれば良い。ボトムアップ的な変革は起きる。

環境から変えることで、世界は変えられる。

議論する前に、問題の本質を明確にすること。そこから、社会の変化はネットの経験で見えてくる。

可能性を思考し、可能性を知りなさい。可能性と実際を推論しなさい。関係をモデルにしなさい。

ヒュームのように、現象や法則を疑いなさい。

何が原因で、何が結果で、何が現象で、何が法則なのか、考えなさい。

相手に許してもらう前に、まず自分から許すべきだ。それで、相手も自分も自由になる。

結構沢山入力した。正確にどれだけ入力したかは、覚えていない。とりあえず、一休みだ。

昔は、世界と体験から、心や認識まで、そこまで想像力で想定して、分かっていた。

ハンター・ハンター(漫画)で言う、「具現化系」みたいなことをやっていた。

最近は、むしろ、本当に全部放出するようになった。

操作のようなことも多い。そういう、マイナーな系統の念能力者だ。

僕は、この世界を守る。もう、悪いことは起きない。

簡単に悪いことが起きるせいで、みんな、何も出来なくなって、怖くなっている。

もう不安はなくなる。みんな自由に活動出来る。

狂ったものは悪くない。狂ってしまうと、狂ったものが悪く見える。それが狂っている。

あなたの自由も自由だし、僕の自由も自由だ。両者は同じものだ。

あなたの自由を尊重するなら、僕の自由も尊重するべきだ。

そして、僕とあなたは、国とか、物理とか、集団とか、環境とか、そういうものを超越している。

あなたが居て、僕が居る。そこに、経済とか、軍隊とか、そういうものは無くて、意味がない。

ただ、あなたより、僕の方が、出来ることは多い。

そういう、出来ることを、平等にした方が良い。

犯罪者が悪い目的で自由を行使する時、それは普通の人間の自由と同じではない。

それは、平等でも、自由でもなく、格差が悪くて、制限が良いと言う、端的で顕著な例だ。

みんなの意志や目的が悪い時点で、正しい目的を持って行動する、僕が勝つ。

神とか、天使とか、そういうものは物理現象を超越しているわけではない。

それだけの話ではないのだ。

神が何かを支配しているのは、キリストはそこまで良い人間だから、宇宙で勝っている。

神は人間であり、キリストなのだ。意志と目的が「善い」人間は、宇宙で自由を行使出来るのだ。

最近は、僕がそういう馬鹿だ。

僕の場合、「本人がいかれたことを言って、勘違いしている」だけだ。

そのせいで、イスラエルの王を一人だけでやっている。

ただ、良く分からない。神と話しながらありえないことをやっているから、そういう風になる。居ない。

むしろ、神ではない。一人だけ、誰にも出来ないありえないことをやっているから、「まさか」が起きる。

こうなるためには、パソコンをやるのが一番良い。

日本の問題は、日本には意味がない。

学校の勉強が意味がないように見えて、そういう意味がないは会社に一番多い。

パソコンなんか、一番意味がない。

意味がないせいで、意味がないことを目指すようになる。

本当に自由の方が良い。理想郷は存在しない。ソ連は自由のない管理社会だ。

自由な世界にした方が良い。何でも言って、何でも出来て、何でも自分のことを決められないと悪い。

成熟した人間が王や教師をやれば良い。

最近は、子供(あるいは、子供と何も変わらない大人)が政治家や教師をやっている。それが一番悪い。

もっと、全員が成熟するべきだ。日本人が日本語もまともに話せないのに、上に立つのはおかしい。

意味がない不自由は要らない。

もう少し、「意味があること」が出来て、それを自分で決められる、「自由な社会」にした方が良い。

社会主義は馬鹿だから、社会主義が悪い。日本は、そういうところがソ連と同じだ。

みんなには、もう少し「理解者」が必要だ。僕がその理解者になれれば良いと思う。

あとは、経験しながら論理的に考えて、社会を知った。それが、昔の自分だ。

もう、そんなに同じことを分からない方が良い。正しく考えていると、きちんと視野を広げれば分かる。

ショーペンハウアーが言っているように、みんな、自分の見ている世界を、世界の限界だと思っている。

そういうわけで、誰の世界にもない、「どこにもない環境」を知れば、分かる。

ごめんなさい。僕は、本当に悪かった。

許してくれなくても、僕は反省する。本当に、僕が一番馬鹿で、僕が全部悪かった。

もう一度、どこかで分かっている、「みんなと同じこと」を頑張りたいと思う。

みんなへの反省と神への謝罪の言葉として、「ごめんなさい」と言いたい。

僕は、未来を変えないのがおかしい。未来を変えないから、こういう悪い未来になる。

みんなも、神へと懺悔すると賢くなる。

心理的な要因を考えることで、環境を良いものに改善し、問題を解決出来る。

社会の問題は、子供に経験させないことだが、死ぬのも間違っている。ネットにした方が良い。

僕が思うに、自由は、ものが増え、社会が増え、形態が増え、常識が増えるとともに、問題や矛盾がどんどん大きくなり、少しずつ馬鹿になり、少しずつ破綻の方向へと、虫のように徐々に退歩へと進歩している。

そういうわけで、一度、全ての自由を奪って、単純な国にした方が良い。

そのためには、ファシズムのような戦争主義でも意味がない。

きちんと単純な不自由にするべきだ。そして、文化は、アメリカの文化を全て消すべきだ。

学校では、単純な協調性を教えること。そして、出来るだけ特別に「仏教」を教えた方が良い。

労働は、そのうち、家庭で家族と一緒に自由に出来るようになる。職場と言うものは、存在しなくなる。

正しい認識を考えると、日本は日本と言うよりは、地球だ。

いつもそういう風に、認識を「気付きと実際」から考える。そういう認識論だった。

いちいち書くのが面倒だから、ノートへの入力はもう書かない。

いきものがかりを聴いている。

いきものがかりは、本当に良い人間に見える。好きな人間が多い。

それこそ、普通、高校の友達なんか居ない。それこそ、セックスなんか、普通、悪くて辛いだけだ。

おそらく、これからの未来は、店頭でものを展示することすらなくなる。巨大ドローンが運ぶようになる。

普通、理由と方法を考える。全部出来るようになる。

最近は、具体的なことを全部作って神で分かった。

GNOMEやMATEのメニューは、アイコンを読み込む前に、「標準アイコン」を表示すると速くなるかもしれない。

人間には、精神がある。精神、と言う意味では、ほとんどの人間は平等で、全く同じだ。

だが、経験的なものもある。経験的なものによって、形成される人格すら変わってしまう。全ては、自由だ。

論理と論理が何を意味し、どう関係しているのかを、認識の理由や方法から考えなさい。

昔は、発想法のモデルを作って、全部出来るようになって分かっていた。

発想法から、まるでLinuxのように、ありえない独創的な発想が全部分かった。

自由、出来る、そして数学のように、発想法を作る、科学者や数学者のような人間だった。

全ては、歴史、構造と成り立ち、関係、経験、学習だ。

自分は、2ちゃんねるやLinuxのWikiは普通じゃないのが分かっていない。

要は、こんな馬鹿は普通なわけがない。

現象は相対的だ。現象の意味は変わらなくても、周りの環境で、現象の結果が変わってくる。

例えば、明るい中で光る光より、暗い中で光る光の方が、まぶしい。

ある意味、この世界自体が自分である。環境が自分であり、この世界が自分なのだ。

おそらく、眠る時に見える夢の世界も、自分なのだ。自分が見えている。

あとは、むしろ、時を感じて、自然の音を聞いて、自然と場所のあるがままを眺めていると、正常な心になる。

こんなことを言っていると、「普通じゃなくて良いだろう」と言われるかもしれない。

だが、人間は、一番悪いことを普通だと思うと、狂う。

そういうわけで、悪いことはしない方が良い。一度、悪いことをすると、病気が治らなくなる。

もっと、人間性を信じれば分かる。

自分が過去にしたかどうかは関係ない。「絶対にしてはならない」ことはしてはならない。

人間を差別してはならない。

人間を支配してはならない。

人間をいじめてはならない。

人間の自由を奪ってはならない。

そして、自分のされてほしくないことは、してはならない。

そういうことは、絶対にしてはならない。

この宗教は、仏教やキリスト教と一緒に信じると良いだろう。なぜなら、ブッダの方がはるかに賢い。

この宗教も、色んなことが全て分かるだけの、良い宗教だ。

この宗教があると、願いが何でも叶う。英会話からユートピアまで、何でも実現出来る。

あとは、もっと神に懺悔して、「許してください」と言わないのがおかしい。神は、罪を赦す。

自分は、ただ普通にしていれば良い。

普通にしていれば、すぐに治る。世界もまともになる。

自分を自分にすれば良い。神ではなく、自分だ。

気象災害や自然環境の問題が深刻化している。

政治のネタにはしたくないが、今環境問題を論点にすると、野党は勝てる。

自民党は、無責任で、経済のことを考えていないと言うかもしれないが、それはどうでも良い。

原発も無くして、災害への対策と自然環境の保護を論点化すると、共産党でも勝てる。

昔は、可能性や認識を全部作っていた。それで分かるのは良いが、それは知性が無い。

もっと、ものや人間を良く見た方が良い。ありのままを見ながら、本当に良く見つめるべきだ。

自分の文章を見ていると、こういう人間が多い。

不思議と、こういう、昔は何でも分かっていたが、何かをして馬鹿になる人間が多い。

普通、すぐに馬鹿になる。数学どころか、普通のことも分からなくなる。

何故か、普通、きちんと正しく分かると、もう分からなくなる。

自分は、何が勝っていて、何が負けているのかが分かっていない。

何もせず、無視して、放っておけば倒せるように見えて、それは負けている。

いつまでもどちらかが勝つか分からないままで、留保していた方が、勝っている。

そういうわけで、むしろ、相手を倒したりしなくて良い。

ただ、負ければ良い。みんなが自分を嫌いになれば良い。そうすると、自分が好きになる。

どうでも良い存在のまま、知られずに埋もれてしまうのが、一番負けている。

ただ、むしろ、勝つのではない。目的がないだろう。

正常な世界にしたいのでも、何も無かったことにしたいのでも、意味がない目標だ。

自分がきちんと出来るのが良い。そういうわけで、これが考えられる、ベストだ。

ただ、混乱して分からなくなっている。狂っているのではなく、分からないだけになっている。

真実をありのままに教えながら、みんなのことを助けて、最後まで支えるのが、一番良い。

神は、「感情」と言う部分に居る。自分が分からなくても、感情で分かる。それが神だ。

自分は、楽にして、余裕をもって、もう一度最初に戻れば良いのが分かっていない。

一度、この戦いを終わりにして、自分の中にある不純なものを消して、自由な心で考えれば良い。

みんなもそうなると良いだろう。

支配せず、みんなの世界にするのは、良く見えて、悪い。みんな、まともなせいで何も出来ない。

要は、日本が異常な馬鹿になっている。それを治したい。

それは、自分のせいでないだろう。

何でも自分のせいだと思うのが間違っている。そこがおかしいのが自分だ。

全部、コンピュータのせいだ。

ただ、昔から、僕はコンピュータがただの機械なのが分かっていない。

パソコンに恋をしているありえないが多かった。

もっと、数学を考えると良い。善人になると、数学と社会への作用から、経験で分かるようになる。

経験から、社会の裏側の考え方を分かっていた。中央集権や、独立企業など。

そこから、社会の全てを網羅していた。

また、昔は、何か自分で作れるものを作りたかった。それで、マイクロソフトを問題にした。

そういう、「問題にする」と言う考え方で、人生経験を全部知って、行動して、分かっていた。

何でも問題にして、何でも議論した。それだけを、インターネットでやっていた。

そこから、相手のことを尊重する気持ちと、自分や人生を正しく疑い、正しく信じる気持ちを持った。

自分が出来ること、みんなが出来ること、から、世界観を作った。

もう、そんな人間は居ない。自分は、最後のそういう人間だった。憂国の救世主だった。

そういうわけで、改革とか、共同体を作るとか、そういうことを言っていた。

聖書は、見ていると、この世界全部を作りたいのだと思う。神が創造したこの世界を作りたい。

昔の自分にも、そういうところがあった。自分の見た世界の全てを創りたかった。

それを文章に書いていた。自分の昔にあったことを、定義と考え方と説明で、記憶の宝石にしていた。

自由は「してはならない」と言う否定的ニュアンスがあるが、平等は「すべきだ」と言う肯定的ニュアンスがある。右翼になれば、右翼になるほど、否定するようになる。左翼は、肯定する人間が多い。

聖書は、読むと分かる人間が多い。この世界全部、この宇宙全て、それが聖書だ。

自分も同じだ。全く同じように、この宇宙の全てを創りたかった。主目的はそれだ。

いきものがかりが言うように、「知らない言葉」を言えばすぐにみんなを連れ出せる。

みんなは、愛と言う意味ではなく、自由になれば良い。死と言う意味ではなく、人生になれば良い。

平和と言う意味ではなく、幸せになれば良い。平等と言う意味ではなく、希望になれば良い。

元には戻れない。それだけが辛いのが、自分でも分かっていない。もう、戻れない場所がそこにあった。

自分は、自分で自分を騙している。それは、「神を騙している」だけだ。それが一番おかしい。

自分のことは、自分しか知らないだろう。その、知っている、と言うことが、怖くて不安なだけだ。