環境への適応を考えていた。
環境があるのとないのでは何が違うのかとか、環境を作り出すとか、そういう「適応による知」を考えていた。
例えば、テレビを見ながら考えるのと、テレビを見ずに考えるのでは、違う。
自由な行動と知性を積み重ねた。
みんなは、思い通りに生きれば良い。
自分は、右翼の方が楽なのが分かっていない。右翼を書くと楽になる。
明らかに、北朝鮮なんか、死ねば良いだけだ。その方が楽だ。
ソ連は間違っている。ソ連は止めた方が良い。
ただ、僕は政治家は嫌いだ。
国が強くなると、国は栄える。安倍は間違っていない。
プラットフォームや説明を書いて、成り立たせていた。
右翼になると、病気が治る。従って戦うと、治る。
遡って人生を書いていた。最後から最初に戻った。
支配者は、自由な方が良い。それぞれの自由を尊重するだけでなく、自由なことをやるべきだ。
当たり前のことから、一つ一つ確かめて、探っていく。小さなことから分かる。
自分は、勝つのが楽しいのが分かっていない。勝ち負けは楽しい。
一度失敗して、もうチャンスがないのは悪い。再チャレンジ出来るべきだ。
動物が死ぬと、他の動物が食べる。生態系は良く出来ている。
右脳を使って、社会や環境のことを、想像力で予測しなさい。
ドイツは病気になっている。日本は狂っている。アメリカは馬鹿になっている。
そういうものは、自分が治すと、治る。
安倍を上手く利用すると勝てる。逆に言えば、安倍は利用されている。
右翼の勝利だ。そろそろ、勝利宣言が出来る。
右翼は、アメリカや日本から、イギリスやロシアまで、全世界で勝利した。
ただ、僕は右翼は嫌いだ。右翼にやってほしいわけではなく、自分が治りたいだけだ。
人種差別は悪いから、差別はしない方が良い。
むしろ、この世界をきちんと直した方が良い。最近、全く意味が無い世界になっている。
意味が無いだけなら良いが、世界がおかしいせいで、何も分からなくなっている。
もう少し良い世界にするためには、「統一した判断基準」のようなものを作る必要がある。
「誰が見ても明らかに、馬鹿なものは馬鹿」だと言えるようにしないと、悪い。
2ちゃんねるやLinuxは悪い。そういう、悪いものが、良いわけがないのに、誰も言えない。
一度信じた愛は、間違っていない。特に、僕の場合については、そう言える。
僕を愛した人々には悪かったが、逆に、僕はみんなのことはあまり愛していなかった。
本当に愛していたから、反発したのかもしれない。
最初から、本当に正しい愛ではなかったのかもしれない。
ただ、この愛も、何かの形で正しかった。正しい愛だったのだ。
日本は終わりだ。もう、世界の終わりのような世界になる。
ただ、明らかに悪いものを、悪いと言えば良い。明らかに、自分が一番悪い。そして、全て悪い。
自分を悪いと言えないと、世界のことも悪いと言えない。
ただ、明らかにそんなに悪くないものが多い。それらは良いように見えて、普通、悪い。
そろそろ、みんなを騙す恋愛は終わる。何故か、嫌いになりたくない人間が多いが、それには感謝する。
怒らなくて良い。みんなを怒らせたいのも、僕の仕業だからだ。
見ていると、テレビや新聞などの、マスコミが悪い。特に、テレビが悪い。
ネットも悪いが、ネットは普通の人間が見ている範囲で言うと、あまり悪いものはない。
テレビが一番悪い。
ただ、テレビは明らかに必要だ。
政治家と学者が悪い。特に、経済学者が悪い。何も出来ないからだ。
ただ、経済学者は、賢いから、悪くない。
そういうわけで、真面目に考えると、悪いものは何もない。パソコンは新しいのが良いと言う。
テレビは悪くない。テレビ番組なんか、誰が作っても同じになる。
それに、普通は、遠隔地の人間たちが見える。テレビが一番賢い。
電話とテレビは、馬鹿に見えて、いざと言う時に使えなくなると、一番困る。
テレビで岩手や北海道の大雨の後の状況をやっているが、いざとなった時に困るのは「持病の薬」だ。
薬が切れると、それで病気で苦しくなってしまう。
あとは、電気や水が無くなると、電話も出来なくなる。テレビも見られなくなる。
そういう孤立した時に、誰も何も分からない。見捨てられてしまったようにしか見えない。
文章は、自然に改善を積み重ねて、共有することによって発展するとか、「自然な発展を全部書いていた。
岩手のニュースを見ていると、こういうことが本当に起きるのが、ありえないと思う。
いざとなった時にどうするか、国や役所にきちんと対策と周知徹底をしてほしい。
それは、国民の意識を高めることにも繋がってくる。
今の日本は、色んなインフラに依存する社会になっているが、そういう「いざとなった時」の対策が足りない。
景気や経済発展より、そういう環境保護や気象災害への対策を、これからしていかないといけないと思った。
景気や経済成長と、環境保護や気象災害への対策は、相反するところがある。
それから、格差を無くして、社会保障(特に子育て)を頑張った方が良い。あまりに格差が酷い。
格差が酷過ぎて、子供や若者などの未来ある人間が、おかしくなっている。
軍事の問題は、戦争に戦争で、仕返しする意味が無い。
何か、殺されるから人を殺すと言う方法ではなく、別の方法で勝てば良いと思う。長い間恨むとか、すれば良い。
戦争で勝った国は、世界中みんなでいじめる。そういう風にすれば、何か良くなるかもしれない。
ただ、国が強くなるのは、ある意味、悪くない。強くなれば、繁栄する。滅ぼして繁栄すると、賢い国になる。
何故か、右翼になると、国民全員が、賢い人間になる。
あとは、経緯を書いて、あらゆる全ての社会のような文章を作っていた。
そういうことが、分かる人間が賢い。
そういうわけで、ウィトゲンシュタインのような賢い人間が、ただ賢いだけだ。
自分は、馬鹿だ。自分は、馬鹿になったせいで普通の人間が分かった。普通の人間は、こういう風に馬鹿が多い。
ウィトゲンシュタインが賢いと言うよりは、まともな人間が賢い。
まともな人間は、ただ子供から変わっていない。
最近は、子供になった人間が多い。むしろ、もっと「馬鹿で良い」と思えば大人になる。
最近の自分は、何でも怖くなった。普通怖いものが全部怖い。それは、その方が良いからそういう風になる。
外国人視点で日本人を書くのは止めた方が良い。和服は身動きが取れないのは、誰も言わない。
むしろ、左翼も悪い。きちんと日本のことを愛した方が良い。
もう少し、昔を思い出せば分かる。
昔は、社会の成り立ちと世界モデル、意識と精神の因果性、共有、自然環境、自由意志のようなものを考えた。
ただ、ネットを見ながら、そういうものを、「心の中での表層」として分かっていた。
あとは、みんなのことを知って、会話と実体験から、「自分なりに人間のことを知る」ことで分かった。
最近、賢くない。馬鹿になったせいで、昔の自分のことすら分かっていない。
自分は、何もせず、放っておけば、そのうち知性が戻って、まともな人間になる。
これが馬鹿なのは、そういうところがまともな人間より、馬鹿だからだ。
ただ、これはまともだ。正常な人間の、正常な頭脳として、「思い出して振り返ること」で分かっている。
そういうところがまともなせいで、病気が書くだけで治るようになった。
あとは、左翼は本当に辛い。もっと、右翼のようになった方が良い。
昔は、反応と作用から法則を分かって、心の因果性で全員に共通する認識と行動を把握していた。
そういう想像力は、Linuxと自分の物理でついた。世界一、想像力がある、マスターのような馬鹿だった。
あとは、自由な社会のようなものを作っていた。ものから世界まで、全てを説明して分かっていた。
あとは、仮想と現実、理想と現実のようなことから、「何でも出来るこの世界の王」になっていた。
理想と実際を知ることで、どんな社会を作れるか、のようなことをいつも書いていた。
意識は自在であるとか、認識は法則的であるとか、方法を作ることで新発見が出来るとか、手段を与えることで社会はみんなの手で作ることが出来るとか、「ヘーゲルやマルクスを発展させたような、独自の自由な哲学」を作っていた。
ある意味、プラグマティズムや功利主義と良く似ている。マルクス主義の逆だ。
最近は、面白い夢を良く見る。昔は適当なキャラクターだったのが、最近は個性と人格のある、「いつもの友人」のようなキャラクターになった。未来世界から、革命による勝利など、本当にソ連のような夢を見る。見ていると、本当に楽しい。Linuxのようなコンピュータ技術も良く出てくるし、剣道部も多いが、本当にあらゆる地域をあらゆる能力を持って旅をする。戦いではないのだが、ありえないほど偉大なことをして、問題を完全に解決し、沢山のことを達成する。本当に、僕は夢の世界が好きだ。
昔は、理系のように賢かった。賢く哲学や数学の考え方を分かっていた。
自分独自の数学と物理を作って、あらゆる全てを解明し、構造を利用していた。
分かるものしか分かっていないが、それで全て分かった。
最近は、文系すぎる、馬鹿な人間になっている。
それは、むしろ、昔が賢いなら、昔のようにやれば良い。
2ちゃんねるをするとか、理系になるとか、地獄に堕ちるとかは、間違っている。しなくて良い。
ただ、考えて、普通の行動をすれば良い。真面目に考えると、そういう馬鹿なものは無い方が分かる。
パソコンなんか要らない。ただの赤ちゃんのオモチャがパソコンだ。
自分は、一つのことを信じて、正しいことにして、他のことを全部否定するのが悪い。
もっと、最初から疑って、自分の自我を出せば良い。
疑うこと。その一つを正しいと思わないこと。嘘は信じなくて良い。そんなに嘘を信じるのはおかしい。
自分は、もっと理想や善良さがあって、美しくて清らかな文章を書きたい。
政治のような内容は、止めた方が良い。見ていると、自分が見てもキモい。こんな文章で良いわけがない。
僕が思うに、ブログなんか読んでいる人間は少ない。
自分の空き時間を使って他人のブログを読む、と言う行動自体が、普通ない。
書く人間より、読んでいる人間の方が少ないような気がする。
そういうわけで、アクセスなんか、無いのが普通だと思った方が良い。
ただ、色んなところで見ていると、はてなブログは比較的読まれる割合が高いらしい。
それは、はてなブックマークの影響がある。ブックマークに登録されると、爆発的にアクセスが増える。
自分は、もっと読まれたいとは思うけれど、そんなにアクセスが稼げるようには思わない、と言ったところだ。
キモいのは、何が悪いのか。それは、悪いことやおかしいことを平然と言うのが悪い。
あるいは、そんなに賢くないことを賢いように言ったり、賢いことを賢くないように言ったりするのがキモい。
そういうわけで、良いものは良い方が良い。
どこかの歌が言っていたが、好きなものを好きである、ときちんと言えるような人間が良い。
自分で「そうでしかない」と思っているが、それは間違っていることがある。
そういうものは、普通、「思い込み」と言う。思い込めば思い込むほど、キモくなるのかもしれない。
パソコンが悪い、政治家が悪い、とか、「悪いものは悪い」ことばかり言っている。
悪いものなんか無視して、良いものを言えば良い。自分の好きなものを書けば良いのだと思う。
それから、自分の独断や、確信的間違いは止めた方が良いかもしれない。
決め付けるのも悪いかもしれない。そういうものに、「かもしれない」とつければ良いだろう。
批判ばかりして、真剣に考えない人間は、おかしい。そうだろうと思う。
何も決めつけない方が良い。もっと、真剣に考えた方が良いと思う。
要は、言葉遣いまで全部きちんと考えれば、すぐに良い言葉遣いになる。
きちんと適切な言葉遣いをすれば、分かるようになる。
「本当にその言葉遣いが正しいのか」を考えれば良い。
自分で全部やるのではなく、みんなにやってもらえば良いのかもしれないね。
そういう風に、話す言葉遣いをすると、良い文章になるかもしれないよ。
考えた通り、全部言って、網羅する、とか、そういう風にするのが悪いのだ。
そんなに話し言葉にしない方が良いかもしれない。普通の「男」のような言葉遣いをすれば良いのだ。
良く考えると、自分に「宣告」する言葉遣いになっているのだ。
子供に見えるのは、子供しか書いていないからなのだ。そういう風に、「のだ」をつければ話し言葉になる。
ただ、「のだ」は結構キモい。天才バカボンに見える。
僕は、こう見えて助け合いが好きだ。全体主義が好きなのは、助け合いたいからだ。
ただ、僕は、昔から民主主義は個人主義が好きだ。共同体を作る、と言う意味では、無政府主義に近い。
ただ、そういう自由な思想を、最近嫌いになった。
そういうことを言いたいなら、批判したり、貶したりしない方が良い。「けなす」のはおかしい。
けなしても良いものを、けなさなければ良い。
要は、何かを「否定」するのがキモい。
自分は、もう少し、肯定的に信じた方が良い。
信じる、信じない、ではなく、信じ方が間違っている。
この世界のあらゆるものを、何が良いのかをきちんと知って、信じれば分かる。
むしろ、自分が分かっている内容だけでは、それがあまりにもちっぽけすぎて、捉えることすら出来なかった。
自分なんか、何も分かっていないのだ。
人間は、人間の出来る範囲で、出来ることは何でも出来る。
当たり前のことを言っているように見えて、人間の出来ることはどんどん広がっていく。
そのうち、社会を全部全く違うものに出来るだろう。
自分は、ロシアを倒した。
ただ、僕はロシアは嫌いではない。温暖化で気候が急激に暑くなった時は、シベリアに移住すれば良い。
勝つこと。勝てば良い。自分は、勝てば良いのが分かっていない。
本当に自分を信じること。
本当に勝つこと。
本当に勝てば、日本が良くなる。滅びるのが終わって、楽になる。
もっと、みんなが理解出来ないことを分かれば良い。自分だけが、自分が分かるように書く。
ウィトゲンシュタインが言うように、自分のことを理解出来ない、と言うことが、言語的な自分が存在していることの証明なのである。ウィトゲンシュタインは、覚えていないから、本当は何を言っていたのかは、分からない。
ただ、そのように、「自分にしか分からない」中で分かる人間は、賢い人間になる。
最近は、全部、誰にでも分かるように書くが、それはそれで、何も伝わらない。
ものとは、存在するか、意志を持つか、精神を持つか、仮想的な世界で他者と共有するかだ。
そういう、「完全な宇宙の定義」のような文章を書いていた。
要は、感じれば良い。最近は、感じるだけで分かるようになった。
感じない方が良いのかもしれないが、そういう時は、肯定的なことの方を正しいと思った方が良い。
日本や中国が経済規模で世界で上位に上がることが出来たのは、外国人が誰も読めない「漢字」の文化圏だったことがあるかもしれない。ある意味、国際公用語の英語のようでもある、と言えるかもしれない。中国でのビジネスをするためには、「漢字」を学ぶ必要性がある。そこで、中国人が優位に立てる、1つの「独自の言語圏」を作ったと言える。