日記に戻る | 2016年2月の日記に戻る

=2016-02-29=

発想法のモデルを作っていた。モデルから色んな人間や社会のことを発想していた。

そんなに分かるより、分からない方が良い。人間は、分からない方が分かる。

ものとものとの関係を考えていた。そこから、モデルと段階で分かっていた。

細胞と生命と生態系や、自由と社会と人生のようなことを、段階で分かっていた。

「この世界にある全ての関係」のようなことを考えていた。本質的に多様な視点で考えた。

社会とは集団の集合で、ものを作るためには、組織と方法が必要だ。

自分は、カントだけが必要なのが分かる。カントだけで、何でも分かるし、出来る。

あとは、科学的に考えて分かっていた。実験や推論のような、科学的理性があった。

帰納的、演繹的な、新発見の方法と考え方を書いていた。

自然を信じていた。神なんか居ないといつも言っていた。

神は嫌いだった。何故か、神が居た。こういう、神が起きる人間は、ドイツ人に多い。

ドイツ人は賢くない。哲学は馬鹿だし、キリスト教は死んでから強者に勝てるだけの宗教だ。政治的に見ても、フランスは世界中を奴隷にして、ドイツはユダヤ人を虐殺している。日本人の方がはるかに賢い。仏教も賢いし、治安や国民性も良い。国民レベルが高い。

日本は、経済力と技術力がある。アメリカと中国に次ぐ経済大国だし、技術力は高い。

日本が一番良い。僕は日本が好きだ。むしろ、キリスト教なんか嫌いだ。

ただ、それはおかしい。自分は、キリスト教徒で、神を信じている、作家の芸術家だ。

それは、どうでも良い。むしろ、神なんかどうでも良い。自分を神だと言いたいだけだ。

ただ、ドイツも馬鹿では無い。キリスト教は、罪と裁き、終末と救済の宗教だ。誰もが善人になるせいで、本当に良い人間が多い。哲学は、そこまで賢い賢者がたくさんいる。ブッダ一人が賢いだけの、武士が強い国、戦争で強かった国なんか、キモイだけだ。

日本は、文化的に劣っている。中国過ぎる。ヨーロッパは美しいし、賢い。

ただ、そうでもない。見ていると、日本とドイツなんか同じだ。何も変わらない。

昔はドイツの方が賢かった。今では、日本の方が賢い。日本には、そういう人間が多い。

昔はドイツの科学力が優れていたが、最近はそういうものはアメリカだ。ヨーロッパなんか、もう時代遅れだ。何も賢くない。技術力のある日本の方が賢く見える。

あとは、自由みたいなことを全部言っていた。そういう、自由な文章を書いていた。

日本は、民主主義の出来ないアホな国だ。日本が民主主義をすると、首相がコロコロ替わる。そこまでの馬鹿しか出来ない。最近は、民主主義の右翼をやっている。ファシズムには見えないが、もう、戦争に戻って滅びるのが日本だ。

だが、日本の賢い点は多い。何故か、借金がたくさんあるのに、円はまだ信用されている。いつギリシャのように破たんするか分からないのに、円はまだ信用度が高い。

そうでもない。僕は、そういう、経済のニュースのことは分からない。だが、ギリシャが一番悲惨なのは、テレビを見ていると分かる。EUはクズだ。ギリシャを弱い者いじめしているだけだ。ギリシャ人は、これから、財政が破たんして、滅びて死んで行く。EUが悪い。

見ていると、本当にヨーロッパの方が馬鹿だ。まさに、米ソは賢い。ロシアが今、大国復活をしているし、アメリカは、没落しながらも、これも大国復活を目指している。

ただ、日本には、そういう問題は少ない。平和だ。何もしなくても、どんどん豊かになる国だ。日本には、貧乏人が居ない。上層も下層も少なくて、自分のような中間層が多い。

悪いとは言うが、自分はニートだが、家族に金があるから、仕事をするより、きちんと大学を勉強した方が良い。そうすると、結構これで良い。きちんと本を読んでいるから、賢い。それこそ、自分はこのまま作家になれば良い。仕事のようなことは、父親と一緒に農業をやっているし、学校は英会話教室やピアノに行っている。自分が一番恵まれている。

イスラムの難民がドイツに行っているが、本当に悲惨だ。ドイツ人の右翼が、追い返せといつも言っている。日本に来るかもしれないから、怖い。

自分は、本当に良い境遇にある。辛い地獄になったとは言うが、それは、逆に、きちんと作家になっただけだ。皆と違うのは、個性だと思えば良い。そうすると良く見える。

地獄とは言うが、たまに文章を書くのが辛いだけで、今日はあまり辛くない。昨日は辛かった。それこそ、毎日同じなだけで、何も辛くなくなる。同じを生きたいだけだ。

あとは、治すのが悪い。治すせいで、治らない。治さない方が良い。

それこそ、ロボットは悪くない。ロボットは、分かる学習をしているだけだ。ロボットのまま、楽にすれば楽だ。そういうわけで、ロボットのままで良いと思うと、治る。

今日は辛くない。そこが良い。むしろ、きちんと賢い日は辛くないのが自分だ。

見ていると、アメリカなんか、何も強くない。馬鹿な国に見える。

それこそ、見ていると、アメリカは本当に没落して、馬鹿な国になっている。

米ソは、文化が怖い。文化的に滅びている。アメリカの音楽を聴いていると、ありえない。あんな滅びた音楽が好きなのはおかしい。クラシックが悲惨だ。バッハが悲惨に見える。

もう、止めて良い。今日で終わりだ。これ以上、書く方がおかしい。

もう、「分からなくて良い」と思えば分かる。そうすると、この世界の構造がきちんと分かる。いつも、そういう、「世界の関係の構造」を書いていただけだ。

普通、悲惨なのはシリア人だ。内戦で、生きられるわけがない。どんどん死んでいる。

良く分からないが、エボラは収束したらしい。アフリカは、エボラが悲惨だ。

日本が一番良い。本当に、日本が一番楽だ。何も滅びていない。東日本大震災が悲惨だが、生き残った我々が見ると、政治的課題が多いだけで、日本は悪くない。

あとは、ソ連は、シベリアで村を生きている。そういうわけで、日本だけ一番良い国だ。

そういう、人種を考えるのは悪いが、現代をきちんと考えるなら、地理でもすれば良い。ニュースはきちんと見た方が良い。政治経済と歴史もきちんとした方が良い。

あとは、自分はもう何もしない。もう、しなくて良い。この文章も、もう書かなくて良い。

あとは、社会のことや、人生のことを、具体的に作っている文章が多かった。

何でも、具体的なことを全部考えて、法則にする。そういう文章だった。

国を考えるのは、もう止めた方が良い。国のせいで、分かっていない。哲学も悪い。哲学を勉強したいのも止めた方が良い。勉強しても、哲学なんか分からない。

それこそ、きちんとこの世界を何か考えれば良い。国や哲学では分からない。普通に考えれば分かる。賢い発想をすれば良いだけだ。誰でもそこが出来るから、自分が一番馬鹿だ。賢い人間に、こういう、分からない人間が多い。一度哲学を分かってしまうと、普通のことが分からなくなる。哲学は、知性の無い、一番劣った学問だ。ただ、それこそ、哲学者は優れた人間だから、哲学で分かる人間がこういう風に多い。

もう、止めた方が良い。あとは、自分は仏教と政治経済のことがやりたい。それが一番日本のことが分かる。日本史のこともやりたい。ドイツは馬鹿だから、忘れた方が良い。

あとは、社会経験から、心理的な社会の構築の方法などを分かっていた。

そういう、経験のようなことを言う。

「あなた」に対する問いかけ、のようなものが多かった。あなたは、自由になるべきだと言う。今思うと、自由を止めるべきだ、と言った方が良い。

あとは、知性のようなものを作って分かっていた。デカルトのように知性を作る。それを、パターンだと言っていた。そして、想像力で把握して、把握から自由になって分かっていた。連想のように、表現で分かっていた。

人間は、正しく一つのことを言い表すと分かる。そういう生命が、人間だ。

引き篭もりが、何もしないのはおかしい。何もしないせいで、何も出来なくなった。そろそろ、何かした方が良い。分からないなら、ネットでも良いが、ネットはしたくない。

何もしていないだけだ。

不思議と、これなら、きちんと文章の内容が多いように見える。昔は、もっと、はっきり、くっきりと世界と人間のことが分かっていた。

社会の経験から、色んな社会の段階的な仮想レイヤーのようなものが、昔から分かっている。それを書いていただけだ。そういう、「社会のレベル」のようなものを書いている。

ほとんどそれしかしていない。

もっと、経験して、色んなことをすれば良い。そうすると分かる。これで、色んなことをして、色んな人の話を聞いて、経験すれば分かる。だが、それは昔だから、要らない。

哲学は、こうなる人間が多い。何も考えなくても分かるせいで、考えなくなって、分からなくなる。哲学者が見て、悲惨だ。哲学者は、逆に、そこまで考えるようになって、分からなくなる。何も分からないのが、哲学、哲学者だ。

誰でも、色んなことをしていると、哲学的なことなんか、誰でも分かる。哲学は馬鹿にしか見えない。当たり前のことを言っているように見える。不思議と、こういうことを言っている。自分の人生みたいなことを言いたいのが、哲学者だ。

もっと、考えれば良い。自分は、最近、考える方法が分かっていない。当たり前のことを、この世界を見て考えれば良い。

世界を変えたい、衝動のような情熱が無いのがおかしい。それでは分からない。世界を変えたい人間なら、誰でも考える。そういう、情熱のようなものを持った方が良い。

そうすると、むしろ、世界全体を平等に幸せにしたい。だが、色んなところにいる、悲惨な人間も救いたい。それなら、平等で良い。そういう発想が平等だ。

自由は嫌いだ。ただの2ちゃんねるの右翼が自由だ。僕は、自由な右翼が一番嫌いだ。こういう人間が多い。自分と同じものが嫌いなだけだ。昔から、右翼とソ連が一番嫌いだったが、そういう、右翼のコミュニストだった。昔からそれが自分だ。

そういうわけで、自分とは逆で、色々と共通点のある、平等が好きだ。

ただ、平等は馬鹿だ。中国は、自由だから儲かっているだけで、平等なら、誰も働かない。自由の方が賢い。そういうわけで、日本が一番好きだ。そういう風に、自分の親が好きだ。

あとは、手段と意図を考えて、自分の経験と社会を照らし合わせて、全ての根拠と実現手段を考えて、出来るようになっていた。同時に、皆も出来るようにしていた。

何をすれば皆が分かって、出来るようになるか、ネットの具体例で分かっていた。

そこから、全部を可能にする、可能性を高める、意識と論理性の自由の文章を書いていた。

また、自然な可能性のある場を作って、ソ連のような共同体の国家を作っていた。

理想の世界を作る方法が分かる人間だった。それも、心理的に分かっていた。

そういう人間だった。何故か、あまり賢くない。典型的な、自由なキリストだ。

もう分からない。そろそろ、誰でも出来る。女に見えて良いが、これでも自分は男だ。

昔は、社会的レイヤーのようなものを、心理的に考えていた。想定して分かっていた。

言語的に、思考と経験から考えていた。影響力を考えていた。

また、数学的な理性があった。何でも、数学的な仮定と結論を分かる。そこから、関係とプロセスのようなものを分かっていた。自分の物理から、社会や心のことを分かった。

もっと、もの作りと社会のことを知れば分かる。昔から、そういう人間が自分だ。

人間のことを考えた方が良い。これで哲学は出来ない。昔、完全に終わっているのが哲学だ。本当に、日本のことを知った方が良い。あるいは、数学のことを知れば良い。

理系になって、日本の仏教や政治経済のことを知る。それが一番良い。

ただ、僕は、心理学が好きだ。心理学は、自分に一番合っている。治すのをおかしいとは言うが、最近の自分は、心と精神を治したいだけだ。ユング心理学は、仏教と似ている。

あとは、昔から心理学が多い。フロー現象や機能別心理学など、本当に色んな心理学と同じことを、自分で全部考えて作っていた。昔から、精神分析や認知行動療法の、基礎のようなことを自分で作って、応用して、仏教のように分かっている。

それこそ、自分は心理学が好きだ。自分を黒人の心理学者の右翼と言っているのは、総合してそういう馬鹿に見える。いつも心理学者だ。最近は、本気で自分を治すようになった。

自分は世界を支配している。それを、徐々に止めていけば良い。統制なんかしなくて良い。この世界を、少しずつ解放させること。それで、日本や世界の皆もきちんと楽になる。

人民を解放する。それで終わりだ。あとは、皆が考えれば良い。

最近、自分に会いたいと言う人間が多いが、それは、こういう風に、神との対話をすれば良い。対話によって、きちんと自分に会える。自分は、そこまで全知全能だ。

本当に、自分が一番全能だ。それこそ、数学なんか、オープンソースのせいで、本気で昔出来ているから、しなくて良い。日本のことをすれば良いとは言うが、むしろ、そろそろ休憩した方が良い。休んだ方が良い。これで、ロングランだ。そろそろ、楽だ。

あとは、神の経験を忘れた方が良い。神の戦争は、意味が無い。

昔から、自分の経験を良く考えて、自分の人生と気づきから、この世界を疑えば分かる。そういう風にすると、きちんと哲学が出来る。不思議と、それだけで出来る。認識をきちんと疑って、自己のことを考えると出来る人間が多い。神のせいで、それが分からなくなっている。神はおかしい。最終戦争は、オウムのようなカルトしか言わない。こうなる。

ハルマゲドンとは、これのことを言っている。ただ、良く知らない。間違っているかもしれないと言うよりは、本当に良く知らないから、分からない。キリスト教の終末だ。

あとは、仮定と結論のようなことを考えて、条件法を考えれば良い。そういう、基本的な数学的理性が無い。そこを良く考えれば分かる。数学的に考えると「分かる」知性がつく。そういう、「分かる知性」で分かる人間が多い。自分には、それが無い。そこがおかしい。これで分かるわけがない。本当に、そういう、悟る知性が無くなっている。

不思議と、数学が出来ない人間には、こういう人間が多い。

きちんと数学的に分かるようになると、知性がついて、分かるようになる。

昔は、自分も分かる知性があった。知性は昔あったから、必要ないからこうなる。もっと違った、自由な言葉の知性がついた。それで良いと思う。

だが、知性が無いのはおかしい。「正しいこと」を考えないのがおかしいのだと思う。状況や現実を見て、分析し、理解する知性が無い。何も理解しないから、こういう風になる。

昔は、そういう分析能力があった。洞察力とビジョンのある、経験から知性で分かる、賢い人間だった。そういう人間は、勉強なんかしなくても、哲学者が分かる人間が多い。昔の自分がそういう馬鹿だった。最近、何も分からないのは、おかしい。

むしろ、自由が悪いからこういう風になる。自由は、もう終わったから、しない。

そういう、知性みたいな文章が多かった。誰が見ても、それくらいの文章だ。

今の自分の状況を、「状況」だと考えれば良い。時間的なものをカットして、時間を短くして考えれば良い。そうすると、馬鹿が治る。馬鹿は、そういう、知性のある言葉の分析法が分かっていない。状況を状況だと思わないから分からない。普通の人間の方が賢い。

スパンがそんなに長いのが悪い。毎日同じことをしていると、こういう風になる。

そういうわけで、状況における分析のような、知性のことを言っている文章が多かった。社会的なことも、そういう、自由な知性から考えていた。組織と会社を作って、可能性から実現する、そういう、知性のある文章だった。色んなものを作っていた。

自分は、書くだけで分かるから、知性が要らないだけだ。外務大臣の岸田文雄みたいに、賢い人間は、こういう、知性の無い人間が多い。もう、既に分かっている。知性が無い方が分かるから、知性が無くなる。知性が無い賢い人間が、こういう風に多い。

本当に自分は色んなものを作る。可能性から発想して、実現方法を書く。会社、法則、経済システム、宇宙の原理、人間の人格、人生、自由な思想、科学など。本当に全ての森羅万象を作っていた。何でもかんでも作るせいで、何も分からないのに分かるようになった。

ただ、あれは賢かった。表現や、アラビア語など、ありえないものも多かった。

あとは、知覚や理性のことを考えて、「心理的なマスターへ至る道」のようなことを書いていた。人間の知覚や理性から、経緯や人生まで、心理学的な精神現象学を作っていた。ヘーゲルと何も変わらない。人生のことが、最後まで生きてから書いているせいで、簡単に全部分かる、神のような人間だった。天使になった男に出て来る、レイフに近いと思う。

あとは、神のようなことを言う。宇宙の原理とシステムが概念的、経験的に分かっていた。

あとは、哲学者が言うような、哲学的な方法を、自分の理性的に考える経験から分かっていた。科学的な考え方や心理学的な心の現象の捉え方を分かっていた。

最近、哲学を知りながら、色んな理性的方法のことを経験的に分かっているが、昔はもっと理性的、実践的に分かっていた。

それこそ、馬鹿はしない方が良いのが、いつも分かっていない。哲学も経済学も、ただ何も分からなくなっただけだから、しない方が良い。

もっと文章を読めば良いとは言うが、それも悪い。皆が馬鹿なせいで、馬鹿になる。

この文章を書くのが良い。これくらいを書いたせいで、書くだけで何でも分かる。

一番生産的に見える。ただ、生産的でないのは分かる。もっと建設的に、頭の中に色んなものを作れば良いのが分かっていない。「頭の中に理性を作る」と言う発想をした方が良い。

それをすると、ヒュームのようになる。本当に賢い人間になる。

ネットは、良かっただけだ。色んな人間のことを知って、色んなことが分かった。ネットはあった方が良い。自分の今があるのは、全部ネットのおかげだ。

ただ、ネットは嫌いだ。ここまで馬鹿になって、地獄になったのは、ネットが悪いだけだ。

ネットなんか、無い方が良い。矛盾しているようで、それは、きちんと変えれば良い。

最近、ネットを変えたい人間が一番多い。すぐに変わるだろう。右翼を禁止すれば良い。ただ、そうすると、自分が悲惨なだけだ。こんな右翼は、自分が見ても悪い。

自分は、悪いならすぐに止めれば良いのが分かっていない。そういうわけで、右翼は嫌いだ。昔は、そういう風に分かる人間だった。自分の「悪いことをした経験」から、「何が悪いのか」を分かって、成長していた。悪いものは全部悪いが、人々が悪いのは、あまり悪くない。悪いのは、分からないだけ、仕方ないが、悪いものは悪い。自分は、昔から、そういう、「悪いことを全部一度して、反省して分かる」人間だ。自由がそういう馬鹿だ。

善悪のことをきちんと分かると良く分かる。

人種差別は悪い。テレビを見ていると、皆差別が嫌いだ。差別が悪いのは、「個人の自由な努力に意味が無い」からだ。そういうわけで、自由と差別が逆だから、差別は普通自由が嫌いだ。最近、差別主義者が、トランプなどのせいで、また増えている。何故か、「出身の国や環境に人間が左右されるのは当たり前」だと考えるのが右翼だ。右翼は間違っていない。右翼は正義だ。だが、自由の方が、明らかに、理想だ。能力に意味があってほしい自由のせいで、「自由に意味の無い左翼」も嫌いな人間が多い。左翼は、きちんと働かないし、頑張っても損をするだけだ。そういうわけで、右翼と左翼と、まともな自由な人間が、最近戦っている。たまに左翼が良く見える。「平等で平和な福祉国家」は良く見える。最近のアメリカの大統領選挙は、そういう思想の激しいぶつかり合いになっている。ただ、純粋にそういうものが違うだけで、戦争にはなっていない。それこそ、論争はしているようで、そんなにしていない。しなくても、ネットがいくらでも言っているせいで、意味が無い。

あとは、もう良い。もっと、単純に考えれば分かる。自由は、「自分の人生が全部肯定される」と言う良さがある。平等や右翼には、戒律や規則ばかり多い。自分が何も出来ない。

最近、皆自由が好きだ。自由と言っていると、現代の日本に見える。この文章はあまりに昔の戦前の朝日新聞みたいな日本に見えるが、自分は昔から自由だ。

それこそ、トランプは金持ちで、安倍は世襲だ。全く、人間の努力と言うものが分かっていない。努力をした人間が見て、自由が良いとは言うが、それも違う。むしろ、本当に平等の方が良い。どこにでも、何も悪くないのに悲惨な人間ばかり多いし、金儲けなんか、悪いだけだ。金儲けをそんなに頑張るのはおかしい。会社で出来る人間なんか、意味が無い。ただ、左翼は多く見えて、少ない。それこそ、豊かさを享受している人間は、誰でも右翼に入れる。右翼が嫌いでも、右翼に入れる人間が多い。サンダースが勝つわけがない。トランプが勝つのは、サンダースが馬鹿なわけでも、トランプが良いだけでもなく、ただ、豊かな中間層が多いからだ。サンダースは悪くないが、誰でも右翼にしか入れない。

昔は、科学的な知性もあったし、方法も経験していたし、自分で物理学や生物学を全部作っていた。最近、そういうものが無い。宗教家の政治家になっている。昔の方が賢かった。昔は哲学者のように知性があった。

宗教なんか、クズなのが分からない。宗教はアヘンだ。宗教なんか、しない方が良い。

やることが無いから、世界史の本の続きを読むことにする。次は現代史だ。今、アヘン貿易とアヘン戦争のところを読んでいる。清とイギリスの戦争で、どんどんアジアがイギリスやフランスの植民地になって行く。あまり覚えていない。何か違うかもしれない。

昔から、人間なんか、違うより同じの方が良い。違うだけ、辛い。それこそ、皆が平等の方が、良く見える子供が多い。全部同じにすると、楽になる。個性の学習環境は、辛い。馬鹿が悲惨だが、馬鹿しか居ない。そういうわけで、子供が見ても平等の方が良い。だが、自由を教えるせいで、子供にも自由しか居ない。自由もそういう風に洗脳しているが、平等なんか同じだ。学校は洗脳組織だから、信じない方が良い。その方が正常になる。

いつまでも学校を信じていると、こういう哲学者や宗教家になってしまう。右翼はそういう風に多い。自分も、学校の呪縛からまだ逃れられていない。大学は右翼だ。

ただ、学校は良いから仕方ない。頑張っても、これくらいが分かるだけ、とは言うが、もっと全部分かっている馬鹿が本当に多い。それは、賢い人間になる。馬鹿には見えない。むしろ、そういう、「大学で賢い人間になる」と言う神話は、疑わしいし、嘘に見えるところもある。学歴の低い、中卒のような人間に賢い人間が何故か多い。自分が一番分かる。馬鹿の方が、基本的なことがきちんと分かる人間が多い。自分だけではなく、斎藤一人もそういう人間だと思う。テレビに出ている芸人も、良い大学を出ている方が馬鹿が多い。

学校なんかきちんと出るよりも、自分の自由に生きた方が良い。昔から、そういう、高村光太郎が言うような自由が好きだ。高村光太郎は、本当に自分と良く似た顔をしている。

ただ、斎藤が賢いのは、作家なだけではなく、実業家で、仕事が出来るからだ。実業家だから、金の儲け方が良く分かっている。良く分かっているから、失敗しなかった。失敗すると悲惨だ。それこそ、田中角栄も小学校しか出ていない。建設会社の社長だったはずだ。良く知らないから、経歴が間違っているかもしれない。間違っていると申し訳ない。

自分は、中学校で不登校になったから、中学校すらまともに出ていない。それは、馬鹿では無い。賢い道を選んだのが自分だ。きちんと、パソコンのことを知って賢くなった。あとで作家になったから、何も悪くない。今ニートとは言うが、作家で成功して良かった。

ただ、自分なんかニートだ。最近は、きちんと勉強もしている。理想の大学生みたいになっているから、あとは生涯かけて勉強すれば良い。そして、きちんと作家になれば良い。

それが良い。タレントの伊集院光なんか、高校中退なのに本を読んでいる。賢い。

あとは、ネットの知識みたいなものを書いていない。昔は、ネットで色んなものを見て、その知識で分かっていた。X51.ORGのようなものを見たり、2ちゃんねるを見たりして分かっていた。そういうものを、博物学や博物館のように文章に書いていた。

主な内容は、それくらいだ。それくらいをいつも書いていた。

自由な世界の関係性は、本当にそれくらいをいつも書いている。関係のことが全部分かっているせいで、何でも書ける。宇宙を理性的な概念と全体像のモデルで分かっていた。

宇宙のシステムを作る。

昔は、そういうモデルを実地的な経験から、積み重ねて、自由を分析して考えていた。

あとは、何もしなくて良い。もう、何も残っていない。

皆は、むしろ、高校ぐらい行った方が良い。今になって後悔しているのは、本当に科学的な論理的思考能力が無くなった。それを後悔している。自分はそういうことをあまり言わないが、反面教師だと思って、学校で自由に勉強すれば良い。自分が何を考えたのか、この文章で誰でも全部分かるせいで、学校を辞める意味が無い。学校は良い環境だ。仲間が出来るし、きちんと授業の内容が賢い。皆には、学校にきちんと行って欲しいと思う。

学校に行かないのは、悪くは無い。自由な時間が出来るせいで、誰でもこういう人間になる。こういう発想が、神だ。古代の賢い人間は、こういう、神を信じて分かる人間が多い。これでは、古代人だ。中世の頃の神を信じる哲学者になった。

自分は、親も会社の出社拒否を経験している。親と同じになった。それこそ、子供を育てる時、誰でも、自分と同じになるのは、受け入れる。そのように育てる人間が多い。そういうわけで、自分も親と同じになっただけだ。それも、もっと早くそれを経験したかった。

皆は、きちんと親の言うことを聞いて、学校に行くべきだ。

自分の親は、その後、大学に行って、中学校の理科の教師になって、博物館の学芸員になった。元は、電気企業の社員だった。親の方が賢いようで、自分はきちんと作家になっている。姉はプログラマだが、姉にはそういう経験は無かった。

そういうわけで、自分もきちんと父親の子供だ。

僕は、最近、トランプはそんなに嫌いではない。見るからにアホな顔をしているが、良い娘を持っているし、色々と、人間を国で判断して追い出すのは、悪いと思わない。ムスリムや南米人は悪いように見える。トランプはそんなに悪くない。滅びたりはしない。

あとは、自由と思えば分かる。自由から社会のことが分かる。だが、自由は悪い。ヒラリーやサンダースは、自由と平等の左翼だ。悪くは無い。自由は本当に、理想の良い思想だ。

あとは、昔は、自由にしているだけだ。ただ、単純に自由にしている。

ネットで自由なことをしている。精神分析のようなことをして、ブッダのように悟りを開いていた。昔は、そういう人間だった。

学校の勉強なんか、本当に、しなくて良い。論理的な思考能力は、昔あったし、無い方が賢い。論理的思考能力は、キモイと言う高校生が多い。何かがおかしくキモイ人間になる。

もっと、皆と同じなのを止めて、殻を壊して、脱却して考えれば良い。昔の自分には、そういう体験が多かった。そのせいで、ネットが好きになった。ネットは悪くない。

あとは、僕はトランプや安倍は嫌いだ。本当に、最近、自由も嫌いになった。自由はつまらない。何もかも自由になって、何も良くなっていない。パソコンのせいで滅びたように栄えている。「滅びながら栄える自由」と言う発想が日本だ。滅びていない。栄えている。そこが本当にありえない。パソコンのせいで、テレビもおかしくなった。馬鹿すぎるように見えて、賢くなっている。本当に、自分のせいで、賢いパソコンの世界になった。

パソコンはおかしい。皆パソコンが嫌いだが、無くしても意味が無い。パソコンは便利だ。姉夫婦はプログラマだし、父親もネットオークションが好きだが、僕はパソコンは嫌いだ。

おそらく、パソコンが嫌いになった時点で、論理的思考能力が無くなった。

もっと、昔と同じことをすれば良い。それできちんと分かる。だが、オープンソース活動はしたくない。オープンソースは、何も賢くない。ただ、やっていると賢くなる。

そういうわけで、一番悪いものに見えて、良いものが多い。それが分からないのが人間だ。

あとは、昔は本当に論理的な思考能力のような文章を書いていた。

要は、そこまで分かったから分からない。分からなくても分かる。

無い方が良いものは、無い方が良い。それこそ、論理的な思考が出来ない人間は、子供みたいなまともな人間になる。その方がまともな人間は多い。

皆に教えてもらえば良いように見えて、論理的だと思うものを分かっていると分かる。

ものには、材料と作る手段が必要だ。知識があると、色んなことが深く分かる。

要は、そういうことを何もしないから分からない。それが正しい。

いつも、そういう、「世界にある論理的なものごとの構造」を全部分かっていた。一行で言ってしまうと、そういうことをいつも書いている。「社会の論理構造」を良く書いていた。

むしろ、パソコンのことをした方が良い。数学が出来る人間は、機械やゲームやパソコンのことが分かる人間が多い。今の時代、ネット全盛期だ。パソコンをしない方がおかしい。パソコンをやっていると、論理的な思考能力が分かる。当たり前だ。それがいつもの自分だ。自分に戻りたいなら、パソコンをやるしかない。だが、それはおかしいだろう。

そういう、「明らかにおかしいこと」が分からないと分からない。そういうものから分かる人間が多い。そんなに全部一度に分かっても意味が無い。

今日はあまり辛くない。それこそ、辛い経験のせいで、どんどん楽になっている。このまま書くのが良い。そうすると、今まで辛かったせいで、もう辛くない。書く人間が多い。おかしいぐらい馬鹿なのが、そういう、書く自分だ。書くのはもう止めた方が良い。

あとは、社会の構築法のようなことを言っていた。単純に、「組織になる」と言う。会社を作るとか、取り決めを決めるとか、具体的な発想をするとか、全部作っていた。

国家も同じだ。国籍を共有するとか、宗教を自由にするとか、選挙を試験にするとか、共同体を多様にするとか、独立しやすくするとか、そういうことを言う。

社会や国家のようなことを、自由に考える。自然科学も、同様に自由に考えていた。

あとは、環境や場のようなことを言っていた。

記憶における発想を実存的に考えていた。ロボットのように頭脳を分かっていた。

自由に経験していた。その自由な経験を書いて、社会を作ると言っていた。

自分は、言葉の意味通り、経験すれば良い。一度経験すれば分かる。

理性は、「状態」だと思えば分かる。そこから、何をどうすればどうなるのか、決まりと対応関係のように分かれば良い。それを、条件的に考える能力が、論理だ。

理性的な関係を全部書いていた。プラットフォームのようなものを作る。自由から物質、店、施設、歴史、町、文化などを、価値観や関係から書いていた。

自分は、実体験を考えると良く分かる。要は、不思議と、こういう人間が多い。何故か、こういう人間に賢い人間が一番多い。

中学時代成績が良かったのは、早いだけで賢いからだ。中学時代、既に受験が出来ている。高校時代、まともな大人の技術者が出来ている。あとは、戦士のようになって、神になった。神との対話は、自分のこういう人生のことを「神のような人生だ」と言いたいだけだ。

あとは、本当に心理学が誰よりも分かっていた。悟る体験のようなことをいつもしていた。誰よりも賢いのは、本当にオープンソースのおかげだ。昔はそれで、天才になった。

状態から考えると、何をどういう風にすれば優れたものが出来るのかが分かる。

そういう文章を書いていた。それを「社会的な提案や意見」だと言っている。

あとは、考え方のようなものを考えている。良く、意味を考えて、分析すれば分かる。

見方を変えるとか、意見を集めるとか、議論に参加しやすくするとか、頂点と包括のどちらも良いとか、一体と独立は同じだとか、そういうことを言う。

そういうものは、この世界を見て、思考して、良く「意味」を考えて分かっていた。

もっと、そのことの意味を考えること。それをすると、きちんとこの世界の事象から考え方が分かる。そういう人間には、洞察力がある。賢い人間は、そういう人間が多い。

昔から、意味が無いほど洞察力がある。そういう人間が自分だ。いつも、そういう、洞察力のような文章を書いていた。

第一に、世界モデルを作って、知性を構造化する。

第二に、世界を知って、独立性と影響力を考える。

第三に、世界を正しい世界にするために、必要な発想と手段を考える。

第四に、発想法を作って、あらゆる発想をする。

第五に、人生を自由に生きて、経験と想像力から知識を得て、一人の覚者になる。

いつも、そういう段階を言う。そういう、段階だけを言う人間だった。

どのように考えるべきとか、どのように行動するべきとか、そういうことを言う。

本当に、そういうことを言っている。そういう、知性の段階のような文章が多かった。

昔の馬鹿は、昔の時代だと思えば分かる。あれは、小泉の時代の、自由な左翼の救世主だ。あの時代、あんな馬鹿しか居ない。あれは、時代の影響を強烈に受けた人間だった。何故か、あれは賢い人間だった。この世界を救うために、頑張って考えていた。

それで、終わりだ。最近は、こういう風にすれば良くなる。何もしなくても、支配して、これくらいを意見すれば良い。そして、王自ら戦って、経験する。そういう王が居ると、こういう風にきちんと賢い世界になる。まさにそれがドイツだ。

自分は、日本とドイツが好きだ。ソ連やアメリカも、嫌いではない。嫌いなのは、イギリスやフランスだ。昔はフランスが好きだったが、イギリスはいつも嫌いだ。

もう、止めて良い。そろそろ終わりに見える。

この文章を止めると、世界が滅びる。だが、そんなに滅びないと思う。普通に存続する。最近は、自分を分かる人間は少なくなった。音楽なども、既に次の世代に移っている。

最近は、まともに右翼が増えている。日本の政治家も馬鹿だ。右翼が右翼と戦っている。日本には、まともに民主主義が出来ない。欧米の価値観は分からない。ただ、金や技術はある。昔から、そういう、本当に必要なところがきちんと作れるのが、日本人だ。

認識の法則や真理のようなことや、体得や影響力のようなことをいつも書いていた。

自分は、自分がまともに失業者なのが分かっていない。働いた方が良い。金が無いのに、働かないのがおかしい。大学なんか、出来ないし、本を読めば良い。それで良い。

最近、人材不足とは言うが、競争のせいで、低賃金で働かされる。学歴が低いせいで、何も無いだろう。一応、これでも、高校を卒業させてもらったおかげで、学歴は高卒だ。

大学の勉強は、きちんとしないと悪い。きちんと卒業した方が良い。

昔の文章は、本当に知性をどういう風に使うか、のようなことを書いている。

不思議と、ヘーゲルと思えば分かる。ベーコン的な帰納法と思っても良い。

何故、それがあるのかを考える。

何がそこにある可能性があるのかを考える。

それが、どのような状態で、どんな場合の中で存在しているのかを考える。

自分の認識から、それをそれと認識する。

それを、記憶と判断基準の中で識別する。

そこから、法則を見出す。

そして、経験し、見方を変えることで、意識の中にそれを吸収する。

社会的な意味と目的を知って、それを作り出し、分配する方法を考える。

心理学的な見地から、そのことがそこにある人間的な意味を知る。

マスターとなって、それがどうしてそうなるのかを、宗教的に考える。

そして、発見から論述して、それを書き表し、国として維持する。

そういうことを全部分かっていた。昔の知性の段階とは違うが、そういう風に多かった。

あとは、どのようにすればそれが体得出来るかとか、社会的にそれをどのように作り出すことが出来るか、のようなことを言う。

そして、世界観のようなことを言う。「この世界は、自由から生まれ、自由を作り出している」とか、そういう、世界観のようなことを言っていた。

もっと、賢くなりたい。そういう人間が自分だ。

もうそろそろ、文章を思い出すのは終わりだ。本当はそういうことを言いたかった。

文章や文系の科学以外のことを書いた方が良い。大学ももう良い。本も読まなくて良い。

もっと、面白いことを何か言えば良いように見える。

僕は、最近、新聞の四コマが好きだ。いつもスヌーピーが好きだが、最近は、新聞の四コマをたまにいつも見ている。新聞では、犬の漫画をやっているが、スヌーピーではない。

何か、自分の好きなもののことを言えば良いが、そうすると、音楽が好きだ。

ポルノグラフィティ、ケミストリー、嵐、宇多田ヒカル、FLOW、KOKIAが好きだった。最近は、AAAとキマグレンを聴くようになった。

セカオワは、YouTubeで聴いていた。公式の動画だから、見ても悪くは無い。

あとは、むしろ、もう無い。最近、皆ともっと対話したいといつも思っている。

あなたは、何をしていますか?

あなたは、何を考えていますか?

あなたは、どんな人生を生きていますか?

あなたは、何を望み、何を拒否しますか?

自分に出来ることが、何かあれば幸いです。

無くても、それはそれで、一緒に何か出来たら良いですね。

そういうことを、一言でも何か会話したかったが、それは出来なかった。

もっと、自分のことを大切にした方が良い。それが分かっていない。

あとは、自分は天使になるように見えて、仏に近い存在になる。

自分は、昔から、ガブリエルだ。

何故か、意味が無いほど、最近のこの世界は馬鹿だ。自分のせいで馬鹿になっている。

そういう馬鹿な世界を、自分なりに変えて見たい。

自由を止めて、賢明さを信じなさい。

愚かな平等は終わりにしなさい。

指導者を、もっと皆で賢い人間にしなさい。選ぶだけではなく、今の指導者を助けなさい。

テレビではなく、自分の意見と知見を持って、自分の力で判断しなさい。

右翼のような人間に騙されてはいけない。

右翼が何かしてくれるように見えても、相手を疑いなさい。

左翼は間違っている。知識を盾にして、批判しながら、皆を騙している。左翼は詐欺師だ。

それこそ、もうそれはもう良い。右翼の方が悪い。

もう終わりにする。そろそろ、左翼が勝つべきだ。それこそ、政治闘争はもう止める。

論理的に考えるためには、「可能性を想定する」ことが大切だ。

昔は、そういうことが分かっていた。色んな可能性を想定して考えれば、論理的になる。

父親に、論理的な思考力が無いのを相談した。

父親は、ナンプレや将棋をやれば良いと言う。

何故か、オセロでは父親より強いのが自分だ。

昔から、オセロの本質のようなものが、こういう風に分かっている。

何故か、新聞の間違い探しは、自分が一番得意だ。

可能性を想定すると、自分にも沢山の潜在的な可能性がある。

そういうことを、サルトルのように、色んな条件と可能性から、人間がどのようになって行くか、のように考えていた。実存は本質に先立つ。

ただ、哲学なんかしなくて良い。哲学は、普通、それくらいの学問だ。

文章を書きながら、可能性を考える。この世界をどのように変えられるのかを考えながら、「自分がローマ法王になったとしたら」のようなことを考える。

可能性とは、そういうものだ。そういうわけで、可能性を昔から良く考えていた。

町並みなども変えられると思う。人生の経験から、そういうものがどのように出来るのか、気づきながら、考えていた。気づきから説明して、視野を広げて、思い込みや先入観を無くして考える。そういうわけで、実存主義と現象学は、人生と可能性を考えるだけだ。

あとは、この社会がどのように出来るのか、環境をどのように変えられるのか、どんなコミュニティや協力関係を築けるのか、自分をどう変えられるのか、関係と可能性を考える。

マルクスは、そういうものだ。マルクスも、きちんとこの世界の関係を全部考えただけだ。

もっと、賢くなりたい。それこそ、自分は、空想的社会主義と同じだ。むしろ、これで科学的社会主義には見える。それらは何も賢くない。自分は、もうそれらは嫌いだ。

もっと自由な社会にするなら、どんな社会に出来るのかを、可能性を想定して考えれば良い。そうすると、モデルよりもっと高度な、経験の実現が分かる。いつも、そういう、「経験の実現」のようなことを言っていた。経験からものごとが実現出来る。

もっと良く考えたい。むしろ、あとは人間の経験を考えて終わりだ。そこを可能性を想定して考えると、本当にブッダみたいに分かる。論理的に考えられる人間は、そういう風になる人間が多い。ブッダが見ても、ブッダは誰でもなれる。ブッダになりたい人間が一番多いだけではなく、人間は必然的にブッダになる。ブッダ本人は、そこが分かる。何故か、まるで昔の自分を書いているようだ。自分のことを、必然的にそれになる、と思って分かっていた。そういう、「解脱への必然的プロセスとしての自分の人生」のようなことをいつも分かっていた。昔は、そういう人間だった。

もっと、色んなことを考えたい。むしろ、あとは、2ちゃんねるなんか、要らない。あれは、可能性のことを自力で考えやすくするための、麻薬のような掲示板だ。だから、哲学があればそれで良い。分かってからカントをしていると、分かる人間が多い。ヘーゲルみたいな人生になる人間は、論理的な思考能力がある。普通、カントの通りになる。

普通、こういう馬鹿は、相対性と自然発生の可能性が好きだ。これで神や社会主義が好きな人間も多い。宇宙の実際の姿を知りたい人間が多い。

宇宙のことを本当に知りたかった。それなら、これで良いように見える。

あとは、もう止めて良い。今日は、いつもの理性をもっと高めているだけの日だ。

これで存在を考えないのがおかしい。時間や場所、総合的な「場」のようなものから、存在や像を考えていた。そういう風に考えていると、絶対精神と超越的存在が分かる。

昔から、こういう、自分の未来のことが、そういう風に分かる。「超越」とは、ここらへんの自分がなっている可能性のことを言っている。

ハイデガーは、そういう風に、「存在になる可能性」のようなことを考えている。良く知らないから、分からない。見ていると、そういうものを考えたいのかもしれない。

もっと考えると、それはサルトルになって、ヘーゲルになる。社会的な存在の取り得る状態のようなものをサルトルで分かって、それが絶対精神へ至る覚醒となることを、ヘーゲルで分かる。そのまま、マルクスのように社会的目的を創造し、構築するようになる。

見ていると、それら哲学者は、おかしい。オタクより馬鹿だ。オタクの方がまだ面白い。それらは、不思議と、馬鹿なことをやっているだけで、そういうものになる。

昔は、「社会的な存在の取り得る可能性」のようなことが多かった。それが、ヒュームのように、「自然法則の真理と捉え方の発見」となった。それが、ヘーゲルのような、「絶対知」へと至る。昔から、そういう風に分かっている。サルトルとヒュームの二大柱だが、サルトルには見えない。昔から、自分はそういう風に分かるだけだ。

哲学はキモイ。むしろ、分かる人間が居ない。それこそ、シェリングのような「世界精神」は、そこで1つの大きな柱を成している。それこそ、フィヒテのような「超自我」も多い。

悲惨に、それくらい誰でも分かる。分かるとは言うが、書ける人間が居ない。

もっと良く考えれば良い。自分は、そろそろきちんと哲学者が出来て来ている。ここ数日の内容は、本当にそこまで賢くなっている。新しい時代のゲーテだ。自分は賢い。

これで、意味を考えると良く分かる。フーコーが言っているように、知は権力だ。良く知らないが、知によって人々が支配されているのを言いたいのだと思う。そういうわけで、そういう風に、何が何を支配しているか、決定しているのか、のような視点から、意味を考えれば良い。そうすると、存在は、ただ1つ、それだけが存在していて、誰かがそれを決めているのが分かる。そういう発想が、対自と即自のような概念だ。

あとは、これで自己を考えると分かる。デカルトの「我思う、故に我あり」だけではなく、ヘーゲルも「自己意識」のようなことを考えている。実存主義では、「事実どう存在しているか」から、存在の自己のあり様のようなことを考える。中島みゆきが言っているように、人はその人の知らないものだけで出来ている。そういう、「誰が何を知っているのか」と「自分はどのように形成されているのか」のようなことは、物理的に見ても賢い。

あとは、数学的で論理的な正しさを考えれば良い。正しいことが、何故正しいのか。何を持って正しいと言えるのか。そういうものから、ヒュームのように観念を考えられる。

昔は、この世界の未来の可能性のようなことが、ビジョンから沢山分かっていた。

最近、それは覚えていない。最近は、国で考えるようになった。

世界は、むしろ、イスラム国が核兵器を持って、アメリカに落とすかもしれない。

日本なんか、原子力発電の技術があるから、持とうと思えば持てる。

だが、それは悪い。僕は、本当に核兵器を無くす方法を考えていた。もっと、民主主義と資本主義の力で無くせないか、そういうことを考えていた。

社会の可能性は、オープンソースのようなものから考えられる。それぞれを自由な個別のモデルとして、全体としてどんな社会が実現可能か考える。そういう文章だった。

むしろ、それならソ連で良い。ソ連にすると、核兵器が無くなる。ソ連にするしかない。

だが、当のソ連が、核兵器でアメリカに勝とうとしている。ロシアは核大国だし、北朝鮮もいつも核開発をやっている。それこそ、右翼は日本も持つべきだと言うが、それは無い。日本は、平和国家として、反核兵器の旗を高く掲げるべきだと思う。

それこそ、憲法9条も、あった方が良い。外交に生かせと言っている人間が多い。それこそ、アメリカと強固に協力するメリットより、戦争に巻き込まれるデメリットの方が多い。憲法改正は愚かだ。すぐに、戦争になって、皆死んで行く。アメリカなんか、いつも戦争している。本当にシリア内戦(内戦だから、違うとは言う)のようになった時、誰が責任を取るのか、分からないし、一度戦争になったら、引き返すことは出来ない。

むしろ、まともな国なんか、まともに見えない。賢い平和な国の方が良く見える。まともな国は、賢くない。むしろ、日本なんか、日本である時点でまともでない。仏教をキリスト教に変えてまともにする意味が無い。それくらいの馬鹿な問題が、憲法改正だ。

あとは、この世界を何でも変えられると言っていた。未来のビジョンのようなものが見えていた。2ちゃんねるで適当に経験して、そういう風になった。

もっと、賢くなりたい。本当に、ネットが悪いから、ネットを消した方が良い。僕はスマホが嫌いだ。メールなんか、全くしない。そういう人間が自分だ。

ただ、テレビを見ていると、自動運転車は良いと思う。自動運転タクシーで、自分のような足が悪い人間が、楽が出来る。それこそ、僕はグーグルは嫌いではない。昔からグーグルが好きだ。ただ、Androidは嫌いだ。人間をロボットにするのが一番怖かった。

あとは、自己のことを考えれば良い。ネットを見ながら自己を考える。哲学者には、こういう人間が多い。デカルトのように考えることで、哲学が出来るだろう。昔の自分も、基本的に自己を考えて、この世界を環境だと思っていた。それで、状態分析をしていた。

そういう風に、認識の確かさを考えていた。

昔は、社会が取り得る可能性、しか考えていない。そういうものを全部吸収して、この世界にある場と視点を全部考えて、構造的な世界観を作っていた。

人生の段階も、そういうことを書いていた。

記憶、意識、言語、思考、感情、知性の関係を考えて、「いつ何を考えるか」を考えていた。

人生は、改革、古代復興、啓蒙、自由、理想社会、のようなことを段階的に考えていた。

あとは、環境の変化と違いのようなことを考えていた。古代の神話を考えたり、場の可能性を考えたりして、本来の宇宙と人間と社会を考えたり、違う社会の可能性を考えていた。

人生やそれぞれの世界観のことがそこから分かっていた。

哲学的なこの世界の世界観を考える人間だった。

そろそろ終わりにする。明日は、スーパー・チューズデーだったはずだ。アメリカの大統領選挙は、これで大きな局面を迎えると、テレビで言っていたか、言っていなかったかだ。アメリカのことは、良く知らないから分からない。確か、沢山の州で選挙が行われる。

そういうわけで、サンダースに勝って欲しいが、おそらくトランプが勝つと思う。

トランプが勝つと、何かが起きると思う。新聞などの権威が、トランプを抑え込もうとするのではないかと思う。ただ、トランプは何かやるだろう。イスラムと全面対決だ。

ただ、僕は、トランプは嫌いではない。見ていると、アホな人間に見えるが、普通だ。

トランプもトランプで、好きなようにやれば良いように見える。本人の好きにすれば良いし、アメリカ人も、アメリカ人の好きなように決めれば良い。

ただ、むしろ、僕はトランプは一番嫌いだ。明らかにサンダースの方が良いと思う。

ただ、それはアメリカ人が決めることだ。

昔は、時代や教育のことを考えていた。激動の時代もあれば、平穏な時代もある。今の時代の問題に対する回答を、歴史が与えてくれる。今の変わりゆく世界から、古代のような時代、そして未来における可能性のようなものを全部書いていた。

あとは、予測していた。社会のことを意識で予測する。

そういうことを言う文章が一番多かった。

何故か、そういう風に、歴史の時代のことを全部創造していた。全部作っていた。それこそ、神のようにそういう歴史を創っていた。共産主義のように、そういうものを作る。そういう、ロシアみたいな歴史家だった。あとは、むしろ、共産主義者は悪い。本当に悪い人間が多い。それこそ、アメリカも悪いのが普通だから、仕方ない。普通、日本が良い。そういう、右翼と左翼の政治は、もう良い。意味が無い。

もっと人間のことを考えた方が良い。

人間なんか、基本的に生活しているだけだ。ただ、知覚や関係や人生経験から、「何かを感じ取り、知り、分かる」ことは出来る。それが、知であり、経験であり、社会であり、実現である。いつも、そういう、「人生と知覚経験の中で何を感じ取り、知るか」のような文章が多かった。ロックは、そこを考えた哲学者だ。誰でも、そういう風に、「分かり得ること、分かり得ないことの境界線」を分かると分かる。思い込み、習慣、場、経験を考えた。

あとは、心の声が多かった。むしろ、既にロボットははるかに昔に終わったのが分かっていない。心の声は、すぐに神になった。神は、色んな人間に替わる。ケネディからスターリンまで、本当に色んな人間と対話した。相手はしていない。それが神だ。

心理学は、人間の集合意識、社会における意識の関係、社会構築、自然発生、その方法、個人と集団の意識と衝動、学習と認識と行動と心の関係、心の現象学と観念を考えた。

民主主義は、民意に委ねる思想だ。戦争なんか、すべきではない。自由な国民の意見を突き付けて、戦争へと向かうのを止めさせるべきだ。

そういう、デモは、何も悪くない。戦争の方が悪い。民主主義は、永遠に平和であれ。

あとは、全部出来るようにする自由が多かった。社会制度やシステムのようなものを、自分や皆が参加したのを想定して、自由に出来るようにする。そこから、国としての組織のあり方や、どんな国のモデルにするべきか、のようなことを分かっていた。

自由な行動から、何をいつどのようにすべきかを分かる。そういう人間だった。

ただ、1人の王が全部を解決するのは、悪くない。矛盾していない。安倍を見ても、キムジョンウンを見ても、最近は、何でも変えられるぐらい賢い指導者しか居ない。小さな世界から知ることで、全ての社会、全ての環境を経験して、その範囲を超えて、広大な範囲で沢山の環境を解決出来るようになる。それが王だ。それが、ダビデだ。

1つ1つ解決して叶えて行くと、全部の問題を解決出来る。昔から自分はそういう馬鹿だ。「全部が解決出来ると言う確信」が多かった。そういう確信で分かっていた。

あとは、これで経験している馬鹿が多かった。いくらでも経験していた。

自分は、そんなに自分のことを正しいと思うのがおかしい。自分を疑わないのはおかしい。自分の理解を間違っていると思わないのがおかしい。

自分なんか、何も正しくない。皆も正しくない。そういう風に考えれば良い。

戦争は、どちらも悪い。殺す相手も、殺す自分も悪い。

何とか戦争を無くせないか。それが、憲法9条だ。

ただ、9条はおかしいと言う人間も多いから、良く分からない。どちらの勢力も多い。

もっと色んなことをおかしいと思えば良い。昔は、それをもっと発展させて、「おかしいとは言うが、ある意味ではおかしいし、ある意味では必然的だ」と考えていた。そして、「おかしいものはおかしいが、ある意味、それも自由で、それも良いとも言える」と言った。それぞれの価値観が交錯する中で、「本当に何が良いのか」を考えて、「それは、良いとも悪いとも言える」と言うことにして、本当に正しい世界を、沢山の可能性から、沢山のアプローチで分かっていた。そういう、「全部正しくて、全部自由」と言う人間だった。

そろそろ終わりにする。今日は、一番賢い日だ。

明日も、きちんと書いた方が良い。書かないとおかしい。

色々と、むしろ、仕事がしたい。もっと色んな文章を書きたい。

それから、結婚はしない方が良い。自分はもう既に馬鹿になっている。結婚生活なんか出来ない。止めた方が良い。ただ、賢くなってからすれば良いと思う。

賢くならないようには見えない。放っておけば賢くなるのが良く分かる。

知的障害はこういう風になっている。認知症もこういう風になる。不思議と、虫歯が多いだけで馬鹿になる。それこそ、それは、治らないから、死ぬしかない。

それこそ、自分の女なんか、この文章で良い。この文章が女だ。名前でも付ければ良い。日本人の名前を付けた方が良いだろう。リサと言う名前が良いと思う。

方法から対応関係を考えたり、場面の変化を考えたりする。

自然な考えがどのように考え方から生まれるか、のようなことを言っていた。

発想、環境、心の現象学、自然発生を考える。サルトルのように考えていた。

賢い人間だった。色んな理性的な観念と発想と考えの関係が、全部分かっていた。