日記に戻る | 2016年2月の日記に戻る

=2016-02-20=

自由、経験、理性のようなことを分かっていた。

もう、昔が思い出せる。

環境への適応から、自在な意識を分かっていた。

支配したくなかった。支配と言うことに対して、拒否感があった。それこそ、世界が自分によって支配されるのを好まなかった。この文章は、そこから書いている。

そういう理由で、自由と言っている。

平和とは、自由から愛が生まれることである。そういうことを言う。

自由な段階を、意志と関係から書いていた。

場と経験、個人と集団、相対性とシステム、主体性と共同体の可能性のようなことを言う。

環境やコミュニティでの関わり合いや、行動と判断力から、人生の段階を言う。

もう、いつもの文章は書かなくて良い。もっと新しい違う文章を書けば良い。

自分は、常に休んでいるのが悪い。休んでいるから、辛くなる。それで辛くなった。

自分が狂っているのは、ロボット人間になりたくないからだ。おかしいのはAndroidだ。

人間は、楽になると辛くなる。楽になると、辛くても楽だ。

そろそろ治った。足の精神がのた打ち回っているのが治る。おかしな機械になっている。

常に休んでいるのを止めると、それだけで楽になる。常に休むのが一番辛い。

文章は、見せつける、と思えば分かる。そういう、押しつけがましい文章を書いていた。

自由とは、創造性と共有を知り、影響力を知り、手段を与え、体験を与えることだ。

欲求は、正しく理解することで、平静な心へと変わる。

もっと、一行から段階的に人生を書く、と思えば良い。そういう文章が多かった。

平和とは、創造性を知ることだ。

愛とは、活動の中で、自由にし、平等にし、解放し、経験する、その感情の融和だ。

言語とは、それぞれの本当に言いたいこと、主張したいことを知るための、言葉遣いだ。

経験から自然な可能性を知ること。そこから、制度を作ること。

そういう、経験的な知と理解の段階のようなことを言っている文章が一番多かった。

経験から、愛を知り、手段を知り、影響力を知り、自分の本当に思っている夢の実現のために努力し、制度を変え、改革し、世界を変えること。

そういう、「自分の人生」を普遍的に考える、そういう文章が多かった。

あとは、社会のことを経験や可能性だと言っていた。それくらいの文章だった。

愛し、敵対し、意見し、従うことが、全てだ。

自由な中で、戦い、考え、信じること、その中で起きた様々な結果とプロセスを残すことが、人生の目的と意味である。

いつも、そういう風に、一行で人生と社会のことを作って書いていた。

社会とは意見と秩序であり、平和とは、意見の凝縮と1つの秩序への決定である。

そういうことを言っていた。モデルにしたりして、考えていた。

社会は、自由、愛、平等から、平和になるべきだ。

もっと、一行だと思えば分かる。

一行で、論理学、経済学、技術、知恵、経緯、人生のようなことをいつも言っていた。

全ては、時代を知ることである。

全ては、言語を知ることである。

全ては、秩序を知ることである。

全ては、平和を築くことである。

そのような文章が多かった。

一行を並べながら、段階的に人生のようなものを書いていた。

もっと、緊張感と緊迫感を持って書けば分かる。文章だけになれば良い。

はみ出そうとしないこと。

自由とは、平和、運命、自然、平等、人生、愛、普通、異常、克服、治癒である。

平和とは、そのことが本当に良いことであると、信じることだ。

あなたは、愛であり、自由であり、平和だ。

どうでも良いが、そういう文章を書いていたはずだ。

今の文章は、内容が無いのがおかしい。いつもは、もっと内容があった。

経験から、自然、運命、価値観を知り、作り出すことが出来る。

もっと、全員によって作り出すこと。社会も、価値観も、全部作り出すことが出来る。

それは、経験的に行うことが出来る。それも、1人ではなく、共同的に行える。

いつも、そういう、知性のあることを言う。そういう人間だった。

皆の手で作り出し、皆の手で変えられるようにすること。

あとは、社会の価値観的なモデルとか、心理学のような文章が多かった。

全ては、平和と自由のために、経験し、その経験から生まれたものを還元することだ。

可能態と現実態のような文章が多い。潜在的な可能性と具体的な現実化を考えていた。

あとは、具体的な発想、社会、人生を作っていた。

自分は、今あるものを分かれば分かるのが分かっていない。今ないものは、分からない。そんなに過去にあったものを思い出しても意味が無い。現実に今あるものから分かる。

そうすると、テレビは悪い。何故か、そういう、悪いものでしか分からない。

人間は、環境、言葉遣い、国民性、システム、習慣などに支配されている。昔は、そういう、「自然に支配される」のを良く考えていた。

支配と自由を考えながら、自由に支配と環境を変えて、比較して分かっていた。

あとは、おかしな意識で分かっていた。

反省しながら、実感でこの世界のことを分かっていた。

不思議と、本当にそれくらいしか書いていない。環境、言葉遣い、国民性、システム、習慣のようなものを、環境における支配と自由にして、経緯のようなものを書いていた。

そろそろ、もう無い。あとは、もっと詳しく分析する、実存主義のような哲学が多かった。

昔から、色んな「支配される」を考える。それで自由と言っていた。

昔は、場と視点を比較して、集団の環境と個人の自由を照らし合わせて考えていた。

そして、ITの知識があった。それは、ネットが好きだっただけだ。

もう、そろそろ何も無い。そろそろ、昔の自分は分かったから、もう良い。

ネットのフリーソフトを使いながら、Linuxになっただけだ。それだけの人間が昔だ。

自分が引き篭もりになった体験で分かっていた。

自由な感性、経験、理性、行動、変化、知性、方法、可能性を積み重ねて分かっていた。

何かがキモイのは、本当にキモイ人間だから、仕方ない。

それこそ、昔の自分も、いつもの文章も、もう良い。何も賢くないのに賢くなった。

ものごとにおける対処の方法と理性から、知性のようなものを作っていた。

知性で全部分かった。知性の元に存在する、経験や現実のようなことも分かっていた。そういう風に、知性で裏側のことや未知のことを全て分かっていた。

もう、昔は分かった。もう良い。昔の自分は本当に、もう良い。

あとは、国を作っている馬鹿が多かった。

宗教は、イスラム教にするべきだ。それは、聖書も経典に1つに数えられているし、イエスは預言者の1人になっているからだ。

だが、それでは、おかしなテロの世界になるかもしれない。イスラム教は悪い。

真面目に考えて、キリスト教にするしかない。弱者の幻想とは言うが、普遍的な価値観がある。そういうわけで、宗教はキリスト教にしかならない。

そして、真面目に民主主義と社会主義を比較したり、公用語をドイツ語にすると言ったりしていた。もっと真面目に国家を作っている文章は多かった。

何かを決めるための、メソッド的な方法論のようなことをいつも言っていた。

これで、時間を考えている馬鹿が多かった。

自分が、昔の時代のどこかの国の国民だったとしたら、どうなるか考えると良い。イスラム教徒だったとしたら、ペルシア帝国のゾロアスター教徒だったとしたら、もっと古代の神話を信じている部族だったとしたら、のようなことを考える。

一番悪いのは、今の時代イスラム教徒だが、昔はユダヤ人だった。それこそ、それはおかしい民族ではない。他の国に本当に勝ちたい民族が、それらだ。

アメリカ人だったとしたら、ロシア人だったとしたら、何を思うか。もっと具体的に、マイクロソフトの社員だったとしたら、オープンソースのボランティアだったとしたら、のように考えても良い。そういう風に考えることで、人間の真実の見方が見えて来る。

あとは、環境と環境を比較して、感情をモデルにして分かっていた。そういう、「支配」が分かる人間だった。それで、支配されるのが一番嫌いだった。

あとは、僕はユダヤ人は嫌いではない。それこそ、ユダヤ人は何も悪くない。僕はユダヤ人は好きだ。むしろ、どちらかと言うと、ドイツ人が嫌いだ。そうでもない。ドイツ人も好きだ。日本人が嫌いなのかもしれないが、日本や日本人は好きだ。

最近は、「言語化」と言う発想が多い。全て言葉にして、対話して考える。

昔は、哲学的な知恵のようなものが分かっていた。最近、分かっていない。

もっと知恵を分かった方が良い。

それは、思い出しても分からない。人々が言っていることを聞けば良い。

何か、1つ嫌いな方が良い。僕は、マイクロソフトが嫌いだ。それで、きちんと賢くなる。戦えば良い。そういうものと戦っていると、賢くなる。クズとは言うが、クズはまともだ。

ただ、僕は最近オープンソースもあまり好きではない。

ストールマンは、共有すれば、自分の自由に、好きなようにソフトウェアが改善出来ると言う。そして、当然の権利であると主張して、ソフトウェアを自分で作っている。ストールマンは、誰も賛同しないなら、自分が作るから、ありえない。きちんと自分で作ったものをGPLにしているだけだから、悪くない。

だが、ストールマンの自由はおかしい。おかしなことを当然だと主張するようになると、人間は狂う。それこそ、ストールマンは狂っている。2ちゃんねるは、ストールマンのせいで狂っている。分からなくなっている。

僕は、Wikipediaも昔から好きだし、特にKDE 4が好きだ。本当に美しいデスクトップ環境になっているのが、KDE 4だ。それに、GNOME 3もあると、本当に賢く見える。

ストールマンは、分からなくて良い。あれは、何も分からないのが賢い人間だ。

Linuxの話をしていると、人間は分からなくなる。その代り、賢くなる。そういうわけで、オープンソースのことをしていると賢くなる人間が、本当に多い。分からなくなると、賢くなるのが人間だ。そういう人間が一番2ちゃんねるにも多い。

Linuxの賢い点は、Androidが勝っている。それで良く見える。

Androidは、僕はあまり好きではない。ロボット人間は嫌いだ。だが、Androidが勝てば良いようにしか見えない。スマホが勝つと、Linuxの勝利だ。

パソコンやITのせいで、本当につまらない世界になった。ITは要らない。

昔の文章は、認知的な考え方から世界の可能性まで、全部書いていただけだ。

そして、自分の人生を詰め込んでいた。

見ても、そういう文章だ。あまり賢くなかった。本当に馬鹿な文章だ。

だが、本当にイスラムみたいに全部のことを分かっている。

そして、共有や独立の自由を言う。

国家の考え方は、網羅のようなことを言う。

発想を言いながら、心理学のようなことを言う。

それくらいの馬鹿な文章だ。あとは、弁証法のようなことを言っていた。

ストールマンが嫌いな人間が多いが、Linuxが好きなら、好きな方が良い。ほとんどの部分を書いたのは、ストールマンだ。トーバルズも好きな方が良い。当たり前だ。

だが、ストールマンはキモすぎる。顔がキモイ。本当に廃人になっている。Linuxはそういうところがありえない。GTK+もキモイせいで、Linuxは一番キモく見える。

文章は、純粋に経験や段階を書いていた。「本当に純粋に文章を書く」と言う発想が多かった。主観や客観を無くして、「事象そのものへ」のように文章を書く。その通り、1つの経験論であり、1つの現象学のような文章だった。

昔から、Linuxはコマンドが多い。ソースコードとコマンドのマニュアルを比較して考えると良く分かる。開発サイトにも簡単にアクセス出来ると良い。そういうサイトを作りたかっただけだ。2ちゃんねるのWikiにしたせいで、影響力を確保することも出来た。

ストールマンは、技術力が高い。本当のUNIXのプログラマよりも高いと思う。だが、そんなことを言っても意味が無い。あれは、思想家で、政治家だから、仕方ない。

あとは、環境、国、心理学、マスター、自由、人生のようなことを言う。

簡単に国や組織を作って、ロシアのような国を作っていた。

地球を認識で全部作っていた。

不思議と、それくらいの方が分かる。あとは、言語や表現や数学のようなことを言う。

弁証法のように、論理学的なことを言う。本当に、それくらいを、きちんと詳細に、前後関係を把握して、対応関係のようなものを書いていた。

大量に多いのは、説明と定義だ。それらを、世界観を作りながら、1つ1つ作っていた。

自由みたいなことを言って、世界を支配する。そして、システムのようなことを言う。

人生を書いていたのは、狂っているだけだ。どんどん分からなくなっていっただけだ。

それも、おかしくは無い。もう一度最初からしたかっただけだ。

文章を思い出すのも、これくらいで終わりだ。あとは、自分を治すだけの科学や、世界を救う戦いのような、現実のことを思い出せば分かる。

皆に会って、一言でも話したかった。全てを終わらせるのは、まだ早い。自分が世界を終わらせていく理由を、皆に言いたかった。最後まで、何も言えなかった。ここまでを受け入れるのだけが怖かった。本当に、地獄のような試練だった。

あとは、社会主義のようなことを言う。本当にそれくらいの文章だった。

昔は、人間に法則があるのが分かっていた。そういうところが分かる人間だった。

不思議と、Linuxのことをやっていると、本当に狂って分からなくなる。だが、賢くなる。Linuxは悪くは無いが、おかしく分からなくなる。

こういう風に話すと、本当にドイツ語に見える。ドイツ語は、さらに賢くて、助動詞、定冠詞と不定冠詞、前置詞、接続詞から話す、知性のある言語だ。そういう風に知性があるのは、ドイツ語だけだ。英語をやりたいから、こういう風になる。

自分は、自分の時間を持った方が良い。私的な時間が無いのはおかしい。

昔は、スラムを経験したのが賢かった。

だが、それが悪い。最近、そのスラムが怖くなっている。

それを克服すれば良い。スラムを怖くないと思えば良い。

何故か、日本とスラムが同じだ。日本がスラムになっている。

スラムはキモイが、昔からそういう風にスラムの経験で賢かった。

ネットのせいで、日本はスラムになっている。

自分のせいでもある。皆を自分にして良いわけがない。

そこが分かると治る。日本はスラムだ。

あとは、ドイツは一番違う国だと言っていたが、ドイツはまともに良い国だ。

一番良い国をアメリカとは言うが、アメリカは悲惨な国だ。

明らかに、一番良い国は、日本だ。日本での生活は本当に快適だ。

自分は、誰でも普通にこういう人間なのが分かっていない。

誰でも普通にこうなる。もっと別のことを考えれば良い。

それこそ、治してもこうなるだけだ。治せば治すほど、こういう馬鹿な人間になる。

賢い人間は、きちんと進歩する人間が多い。進歩が無いのは悲惨だ。

それは、進歩するようなことをしないのが悪い。だが、普通、しない。

おかしいところを、おかしいままで良いと思うと、楽になる。これはおかしくは無い。

それこそ、この世界なんか、おかしくて良い。

自分をコントロールしないのがおかしいだけだ。常に悟っていれば良い。

全部流れに身を任せるのが間違っている。もっと主体的に自立して行動すれば良い。

神が悪いように見える。対話とは言うが、ただ受け入れているだけだ。

あとは、人生を最後まで書いたり、マスターや神のような文章を書いたりしていた。

結論だけを全て書く、ありえない文章だった。

昔の自分は、2ちゃんねるが賢かっただけだから、2ちゃんねるをやれば良い。

最近、出来た人間が多い。ツイッターをやっていると、こういう人間になる。

むしろ、オープンソースに戻るのはつまらない。まだ、この文章を書いていた方が良い。

引き篭もりが出来ることは限られている。ネットと作文と放送大学ぐらいしか出来ない。英語とピアノが良いのは分かる。もっと英語をやりたい。

この文章は、辛いとは言うが、まだ楽しいから仕方ない。本当に書いた方が良い。

2ちゃんねるには、本当に沢山の人間が集まる。昔は、それだけが賢かった。

最近、ネットはしない。たまに検索ぐらいしかしなくなった。コミュニティは欲しくない。

ただ、オープンソースは、もう一度何かしようと思っている。

自分は、昔から良い人間だ。いつも良い人間に見える。

悪いことを何もしないし、悪いことを何も言わない。

最近、きちんとこの文章を頑張っている。

右翼を悪いとは言うが、いつも反省している。むしろ、左翼だから、これで良い。

自分は、乙女のような良い人間に見えるのが、この文章の女だ。

あとは、発想みたいなことを書いていた。そういう文章だった。

共同体を作っていた。

自分は、全部分かっている自覚が無い。何故か、昔全部分かっている。

この話を止めれば、すぐに分かる。

もう一度、そういう、分かったことを分かった方が良い。

昔は、2ちゃんねるのせいで、そういうことを全部分かっていた。本当に分かっている。

良く似た哲学者がヒュームだ。昔の自分と同じだ。

心や精神や意識のことが、細部まで、深層まで分かっていた。反応と思考を考えていた。

そのせいで、精神がおかしくなった。

精神科の薬で治る。薬で治すと、すぐに精神が治る。薬で治るのを受け入れれば治る。

場の意識で分かっていた。色んな地域の場所に行ったりして、意識で分かっていた。

根源的な意識で場を分かっていた。

昔は、理系的な分析を書いていた。理系のように、世界のことを分析していた。

統制された、ロボットのような文章だった。その統制をもう止めた方が良い。

社会のこと、人生のこと、生活のことが、きちんと分かっていた。最近、そういうものが良く分かっていない。昔は、モデルとは言うが、実地的な社会と経験が分かっていた。

そういうわけで、昔は人生の実地的な知恵の文章を書いていた。

何も疑問に思わないのはおかしい。何でも、「何故」と考えるべきだ。

昔は、何故と考えて、名前をつけて、一通り全部の理由を考えて分かっていた。

名前だけではない、名前の無い実在の真理を考えて、どう出来るのかを分かっていた。

何でも「何故」と考えること。そこから道が開けるだろう。

昔は、一通り全部の「何故」を考えただけだ。

あとは、全部の経緯のように考えて分かっていた。全ての時間と歴史を整理していた。

言葉にして、表現しないと、人間は分からない。

皆をロボットにしているから、足はおかしい。実際になっていなくても、ロボットにしている時点で、意識がおかしくなっている。そういう、精神と行動の因果性を考えれば分かる。昔の自分は、いつもそういう風に、色んなことの法則や因果性と、罪や有用性のようなものを考えて分かっていた。因果応報とは言うが、法則は相対的だ。

神は自分のことを「普通」だと言っていたが、本当に一番普通だから言っている。

足は、小手先の変化では治らない。全部変えるしかない。

解放なんかしても、治ったりはしない。そこが分からない人間が多い。

いつまでも解放しても、治らない。むしろ、解放しない方が治る。きちんとつけるとは言うが、つけても治らない。そういう風に「治すための方法」を永遠に考えていると、永遠に治らない。そういうものは、考えない方が治る。全部変えてしまえば良い。

要は、方法では無く、目的を考えれば良い。セカオワが言っている。

永遠に治すだけをやっているのがおかしい。もっと別のことをすれば良い。

最近、こういう風に一人だけで分かるようになったが、昔は、もっと色んな人間の意見や認識を吸収して、自分の中にある考え方と、人々の発想を融和させて、照らし合わせて分かっていた。本当に、ネットの知性や知識と自分の感情や考え方で分かっていた。