昔は、偉大な人生を生きた。そういう偉大な人生をいつも書いていた。
永遠の神の革命をしていた。神の御業をしていた。まるでユダヤだ。
偉大な人生とは言うが、引き篭もりの普通の人生だった。
経験と理性で全て分かった。
オープンソースと2ちゃんねるで、スラムから救世主になった。
世界を救いたかった。ネットの下層の社会から全てを知った。そういう人間だった。
人生の全てを、哲学のように分かっていた。あらゆる全てのことを思考で考えていた。
経験は、本当に全ての経験をしていた。全ての労働のようなことをしていた。
抽象性から社会実現まで、全部正しく分かっていた。
デカルトやカントやヘーゲルのようだった。
いつもの文章は、分裂と変化を書いているだけで、知性の無い何も分かっていない文章だ。
それこそ、最近は賢い。永遠の戦いが、神になって、ソ連になって、ドイツになって、哲学になって、歴史になった。自分を治しながら、全ての行動をし、全てを知って行く。
本当に、最近は賢い。昔の偉大な人生が、ただの馬鹿に見える。
あとは、統制されているのが悪いだけだ。
辛いとは言うが、治るのが辛いだけで、何も辛くない。
統制は悪い。もっと、気分を変えたり、何か別のことをやったりしていると治る。
そんなに同じことをやり続けていると、こういう風になる。
ものの実現と研究を考えていた。ものと社会の創造と具体的なプロセスを考えていた。
まず、行動すること。積極的に行動すること。
基盤やシステムのような考え方が多かった。
物理学や心理学を作っていた。構造を自分で作ることで、色んな自分の科学を作った。
昔は、世界を救いたかった。ユダヤの精神を分かっている。
永遠に成長して、成長と経験から永遠の愛を分かる。そういう、メシアのような人間だ。
最近の戦いと支配のせいで、メシアなのは、もっと決定づけられる。
それこそ、イスラエルの支配者のような支配をやった。
最近、皆、賢い人生が終わって、不安になっている。
これが好きになっても、嫌いになっても不安になる。居なくなったりはしないから、皆どんどん狂っておかしくなっている。
もっと、一度全てを経験して、完全に治れば良い。だが、それでは、辛いだけだ。
皆、最近、本当にそういう風に辛くなっている。
一度、全てのことを悟って、楽になれば良い。この世界に、神や仏が居るのを分かれば良い。最近、そういうものが、皆、無明と暗闇になって、分からなくなっている。
聖書も、光あるうちに歩けと言っているが、そういう風に、もっと光があれば良い。
僕が光を作る。その光によって、皆きちんと分かるようになる。
この文章を光と言ってもおかしくは無いが、もっと光のようなものを作れば賢い。
愛を絶対的に信じなさい。それが良い。相対的に考えていると、分からなくなる。
自分の支配に従うより、立ち向かいなさい。全員で協力して、悪い神を倒すべきだ。
昔は、ネットを上手く使って分かっていた。環境や人間を知って、思考や感情や行動を照らし合わせるなど、ネットで心理学や社会学を作っていた。
賢くは無かったが、情熱的な良い人間だった。
最近は、悪い。悪いだけの戦いをして、永遠の神の対話が続いている。
だが、頑張ったのは最近だ。本当に、世界一この世界のことを考えて、努力した。悪い神は頑張るように見える。それに、こちらの方がさらに良い人間だ。
昔が仏で、最近が菩薩だと思えば良い。地獄を低いとは言うが、地獄と言うより、もっと違う、おかしなものに見える。名前をつけるとしたら「賢明な愚か者」と言う名前が良い。
自分は、そういう人間だ。昔がドイツ人で、今がユダヤ人だ。
昔から、自分で考え方と科学を作る。
むしろ、これで日本人だから、仕方ない。日本人はユダヤ人と何も変わらない。日本人の方が、さらに上だ。そういう風に見える。日本人が一番まともなようにしか見えない。
それこそ、科学者には見えない。宗教家に見えるが、昔から自分が一番科学者だ。
仏教で言う縁起のように、この世の全てに理由がある。
愚か者は破滅へ向かい、神の道を選ぶものは、永遠の栄光を手にする。
だが、物理学も矛盾はしない。むしろ、物理学を作って、物理的に考えなければ、何も分からない。キリスト教と物理学は、そんなに矛盾するものではない。
それこそ、神の栄光を知りたいため、神が創ったこの宇宙の美しさを証明したいため、といって物理学をやっていた人間が、昔の物理学者に多かった。
それは、自分と同じに見える。スピノザも、神と数学を融和するような文章を書いている。
ただ、物理学はしなくて良い。物理学では、この宇宙は分からない。科学ではこの宇宙の謎は全て分からない。トマス・アクィナスが言っているように、科学や哲学では、最後までは進めない。宗教へと至る必要がある。
それこそ、科学で全ては分からないのは、自分が一番良く分かる。未来なんか、簡単に予知出来る。そういう人間が宗教に多い。占星術は、分かった人間が作った。当たらないとは言うが、ありえないことが分かっているだけ、たまに良く当たる。
そういうわけで、宗教や占いも、間違いではない。古代の日本はそういう世界だ。
自分は、哲学と歴史だけすれば良い。そんなに全ては出来ない。デカルトと日本史をやっていればそれで良い。経済学や心理学はするように見えるが、数学もすれば良い。
ただ、宗教なんか、嘘を信じているだけには見える。絶対的な神で抑圧するのはおかしい。それに、物理学で全て分かるように見える。それこそ、こんなことを言う自分だが、昔から、自分は宗教や聖なるものより、科学や正しい理性と実験の方が好きだ。それなら、科学が好きな方が良い。そういうわけで、昔から哲学が好きなのが自分だ。それこそ、宗教と哲学は似たようなものだが、宗教は信じるだけだ。哲学は考える。自分は、昔が哲学で、今が宗教だ。それらをすれば良い。歴史なんか、しなくて良い。現代史は、そのうち読むから、放っておけば良い。それこそ、昔から自分が一番物理だ。心と社会の物理学者だ。
昔から、「人間の物理学」のような内容が多い。
そういう、人間の物理学を書いている文章が一番多かった。
もう止めて良い。今日は、宗教の日になった。
もう、これ以上あまり書かなくても、誰でも分かる。もう良い。
昔は、自由みたいなことを全部言っている。自然発生、環境、参加、基盤の構築、社会の変化、協力、国家の制度、組織、モデルのような、自由なことを全部言っている。
それで、心理学、生物学、哲学、歴史、物理学、数学、経済学、政治学のような、森羅万象の科学を言っている。
あとは、人生や人間のことを考えている。
そういう、自由と森羅万象の科学と人生のことを言っている。そういう文章だった。
もう終わりにする。今、世界史の現代史を読んでいるが、世界史はつまらない。
大学は出来ない。放送大学の卒業なんか、明らかに出来るわけがない。
本を読んで、教養を身に着けた方が良い。教養が欲しいだけだから、本を読めば良い。世界史やユング心理学を読んで、ウィトゲンシュタインをすれば良い。それで分かる。
あとは、環境やプラットフォームや社会の段階のようなことを言っていた。
意識のレベルや、言語、弁証法と論理学のようなことを言う。ヘーゲルのような人間だった。経験から知が生まれるとか、そういう、経験論のような内容が多かった。
何故か、自分は、プラグマティズムをすると分かるかもしれない。そこらへんの哲学が自分と全く同じように考えている。現代の功利主義と思えば良い。
ヘーゲルではないが、精神の現象学が多かった。ハイデガーやユングなどに近いと思う。
もっと、哲学がしたいなら、難しい本を読むしかない。分からないように見えて、きちんと頑張って読めば分かる。それこそ、ベーメは馬鹿では無い。神がきちんと分かっている。
あとは、社会主義のモデルを作っていた。全員公務員とは言うが、全員政府は悪くない。全員を政府の公務員にして、社会所有にすれば、何でも出来る。
だが、ソ連は悪い。人権を無視した悪いことをする。そういう、全体主義のような「出来る」は間違っている。実現力とは言うが、実現力は自由だ。金と選挙で、相対的に、自然発生のようにすれば、実現力がある。そういう、プラットフォームのような、民主主義の実現力を信じた方が良い。金で戦っていると、本当に何でも出来る。その方が良い。
そういう、自然な助け合いを環境と言っていた。それで、世界モデルやプロセスの自由を言う。それで、公務員と会社員の違いのようなものを考えていた。それで、町や都市のようなことを段階的に考えていた。それで、社会制度のようなものを全部作っていた。
もう、終わりだ。社会主義は、本当に、すぐに破たんする。金のような自然な自由にした方が良い。そうすると、EUのような、共同体の連合に出来る。そういう、相対的な政府の帝国にした方が良い。パソコンは、グーグルやオープンソースが勝った方が良い。そういうものが賢い。環境もそれぞれが作る。友情や友愛をそれぞれがきちんと守る。統一より多様性だ。そういう風にしていると、きちんと良い環境をそれぞれが作るようになる。
それに、そんなに悪い人間は居ない。きちんと良い境遇を与えれば、誰でも良い人間になる。悪い人間を居なくすることから始めるべきだ。昔は、そこまで分かって自由と言っていた。あれは賢くない。自由を平等だと勘違いしているのが、あの馬鹿な自由だ。
そういう、「全て分かった自由」のようなことを言っている。
経緯や可能性のようなことも具体的に全部分かっている。マスターの段階のようなことを言う。あれは、そういうところが意味が無い。何故なら、悪い。皆を馬鹿にする。
それこそ、きちんと良い人間にならないのは、何かがおかしい。昔は、環境的な要因だと思っていた。環境的なものをきちんと改善すれば、それぞれが良い人間になって、良いことをするようになって、良い環境を作るようになる。昔は、そういう風に自由を分かっていた。本当に自由の方が良い。きちんと決まりをそれぞれが賢く作れば、賢い世界になる。競い合って、発想し合って、協力し合って、高め合えば良い。
だが、今考えると、それは自由よりソ連に近い。自由は、組織になって戦うだけだ。平等なコミュニストの方が、そういう人間が多い。自由は、普通、そういう平等が嫌いだ。誰もが、そういうものが馬鹿に見える。そういうわけで、最近が右翼で、昔が左翼だ。
おかしくは無い。左翼は卒業して右翼になる人間が多い。東京都知事にも、そういう人間が多かったはずだ。石原慎太郎だけではなく、猪瀬直樹もそういう人間だ。ただ、詳しくは知らない。猪瀬は昔左翼だったと父親が言っていた。それらのことは、あまり言わない方が良いと思う。本当に右翼だから、怖い。こういうコミュニストを殺したいだけだ。
そういうわけで、平等な可能性と自然発生が好きだった。そういうものを、普通共同体と言うし、自由は平和では無く、平等が平和だ。
それこそ、右翼と左翼なんか、何も変わらないからこれで良い。ソ連が一番全体主義で、構造的な実現力だ。相対性なんか無い。革命家の絶対国家をやっている。本当におかしい。
むしろ、これなら右翼で良く見えるのが自分だ。帝国の戦争の平等の自由をやれば良い。石原みたいな右翼が喜ぶだろう。あれは、作家で戦争がしたくなっただけだ。自分と何も変わらない。戦うのを賢いと思っている。日本を強くしたい。強くすれば、馬鹿が治るように見える。そういうところは、自分もある意味悪くないと思う。強い国が賢い。そういう人間も多い。自由は強くなりたい人間しか居ない。
石原は馬鹿では無い。あれは、芥川賞作家だ。本当に自分より賢い人間だ。ただ、良く知らないから、間違っているかもしれない。間違っていると申し訳ない。
あとは、インターネットの相対的な知性が多かった。
何故か、2ちゃんねるのようなインターネットをしていると、相対的な知性と知恵がつく。完全に相対的な世界が、そういう馬鹿だ。
2ちゃんねるはクズとは言うが、馬鹿では無い。昔から、哲学やキリスト教やドイツの方が馬鹿だ。日本のネットは馬鹿では無い。明らかに、実名より匿名の方が良い。見分けがつかないとは言うが、その方が自由なことを言える。そういう匿名の自由は、きちんと実地的に人間のことが分かる。馬鹿は2ちゃんねるで良い。
あとは、無政府主義の完全な自由とか、社会民主主義の福祉国家とか、ロシアの自然科学とか、国語、算数、理科、社会とか、そういう、ロシアみたいなことを言う。
パソコンのシステムのように、経済学や政治学の思想を考える。そういう人間だった。
明らかに、この文章は悪いだけだ。もっと良い文章を書いて、自分もきちんと賞を取った方が良い。それなら賢く見える。これで偉大な小説が書けないのはおかしい。
ストーリーが出来ないように見えるが、ストーリーはあまり問題ではない。ただありえない物語にすれば良いだけだ。何も読まず、発想もしないのがさらに問題だ。
あとは、グループによる組織論を作ったり、人生や社会のマスターのような段階を書いたりしている。それくらいの文章だ。
不思議と、本当に、これくらいしか書いていない。自然な発生と国家の構造を考える。そこから、存在や認識の確実性や、因果性や心の現象学を作っていた。
もっと、人生だと思えば良い。今日は、自由と構造の社会論の日にも見える。
あとは、具体的な社会や、説明学的な人生のようなことを言う。
また、論理学や心理学の段階を書いている。そういう風に世界を相対的な構造にした。
また、この社会のことを言っている。活動のようなことを全部考えて、当てて、この世界とそっくり同じものを作る。そういう、考え方と文章による世界創造をやっていた。
何故か、神に見える。そういう神が、昔の自分の文章だ。
むしろ、右翼は悪すぎるから、止めた方が良い。左翼はまともに賢い。左翼の方が良い。
そういう、右翼に悪いことを言うと、頭が辛くなる。右翼は辛い。あまり言わない方が良い。自分は、きちんと右翼の王をやっている。自分をいじめても意味が無い。
あとは、いじめのようなものは、ユダヤが悪い。ユダヤ人がいじめている。
ソ連は自由では無い。不自由にする代わり、皆の評議会で決める。皆で決める良い国だ。
あとは、右翼を悪いとは言うが、右翼はきちんと責任感を持って統治している。
自分が勝ちたいだけの右翼は多い。
自分がいつも頑張っている。頑張って世界を統治しているから、自分が王だ。
王は右翼の方が良い。戦争で勝たないと悪い。そういうわけで、こういう、王が右翼になる作家が多い。右翼は悪くは無い。書いて、考えて、判断していると、こうなる。
それに、明らかにユダヤ教の聖書は悪い。一番悪い民族に見える。そのせいで、ユダヤ人が嫌いな人間があまりに増えた。ユダヤ人が悪いだけだ。
ただ、僕はユダヤ人は嫌いではない。メシアと天国と救済と裁きの思想は、僕は一番好きだ。自分のような賢い人間を、メシアと言いたいように見える。弱者でも、信じれば天国に行ける。こんな引き篭もりのニートでも、天国ではゲイツより上になれる。キリスト教は、そういう宗教だ。嫌いな人間が居ない。誰もがイエスの通り信じるせいで、誰でもそういうドイツの思想が好きになる。それで、戦争をするドイツは、神は悪いとは言わない。昔から、イエスや神を信じて戦う。そういう国だから、こういう人間になる。戦う人間を賢いと言う。それなら、右翼で良いからこうなる。死なない戦いをするのは、賢明だ。
あとは、僕はこれでも仏教が好きだ。僕は仏教徒だ。これで仏教をすれば良い。仏教をしていると、昔の自分も、今の自分も、どちらも出来る。仏教は、昔みたいな人間を正しいと言う。最近みたいな人間は、煩悩に見える。それこそ、最近の自分のような発想も多い。いつも、こういう人間を典型的な馬鹿と言って、真理を教えることで救っている。こういう人間は、宗教が分かっているように見えて、分かっていない。きちんと真理を知らないから、こういう馬鹿になる。仏教をきちんと知れば分かる。
ただ、昔のような、分かっている馬鹿は、何も教えなくても分かる。それは、仏教が一番良く分かっている。ああいう馬鹿は、賢く見えて、何も分かっていない。経験が無いせいで賢いだけだから、こういう風に、馬鹿な経験をするとすぐに馬鹿になる。
仏教を信じた方が良い。それできちんと救われる。キリスト教は悪い。ただの馬鹿な人間になる。キリスト教から見ると、最近のこちらの方が正しい。馬鹿な人間の方が良い。こちらには愛があるし、罪も経験している代り、きちんと偉大な神になっている。キリスト教は、こちらのユダヤの方が好きだ。昔の人間を、破滅への道へ至る愚かな悪魔だといつも言っている。キリスト教は、昔を悪魔だと言って、こちらを御業と言っている。
どうでも良いから、どちらも信じれば良い。どちらも信じていると、イスラム教やゾロアスター教もあって良いようには見える。そんな馬鹿は要らないから、イスラム教を殺せば良い。だが、それは悪い。自分は、これでも、イスラム教の王だから、仕方ない。スルタンみたいな人間だ。マホメットのような戦いしかしていない。タリバンの神を作りたかっただけだ。自分はイスラムだから、イスラム教徒もきちんと愛している。
世界は、そろそろ、神々の黄昏になる。北欧神話だ。今日は宗教と自由の日になった。
昔みたいにきちんと考えて、経験して、悟っていると、きちんと分かるのが仏教だ。
最近は、タリバンの戦いをしたのがイスラム教で、神との対話をしたのがキリスト教だ。
こういう発想が宗教だ。心理学や哲学が出来るのは、宗教が好きだからだ。
だが、昔は物理学者だ。今日は、そういう視点でものごとを考えた。
いつも、そういう風に、視点を変えて、多角的に分かっている。そのせいで全部分かった。視点を変えるのが、最近高度に進歩している。推論を出来ないと言うとおかしい。いつも、この文章を書いて推論しているだけだ。昔は、推論から知恵のようなことが全部分かっていた。分からないのは、人間的な人間で無いからだ。もっと人間的になれば良い。
あとは、宗教がそんなに好きなのは止めた方が良い。本当にオウムに見える。犯罪者を赦したり、法律より神の教えが絶対だと教えたりするせいで、宗教は悪いことをする。死んでも天国に行けると教えるせいで、どんどんタリバンになって死んで行く。
宗教なんか、信じない方がまともだ。宗教は悪いから、止めた方が良い。まだ、正しい方法を教えている物理学の方がマシだ。物理学的に考えると、宗教より、哲学の方が出来る人間が多い。そういう人間が昔の自分だ。あれは、正しい物理学者だった。
最近は、戦いの経験が多い。何も間違えず、世界を支配し、導き、宣言し、対話する。
上に神が居るから、こんな馬鹿が王になっても悪くない。正当性があるように見える。
キリスト教が、こちらを神にした。こちらを神にして、昔を悪魔にすると、ユダヤ教の正当性があるし、つじつまが合う。それに、これが一番良い人間だ。皆を賢くする。
キリスト教が見ると、昔が悪魔で、今が天使に見える。
ただ、そうでもない。仏教が見ると、昔が覚者で、今が地獄だ。地獄は低い。地獄は、一番悪い人間が地獄になるように見える。輪廻転生とは、いつもの自分のことを言っている。天使がミミズになるように見えた。仏教はそこまで昔の自分が好きだ。
あとは、どうでも良い。宗教なんか要らない。ユダヤ人が見ると、本当にこういう人間が神に見えて、誰もが神が嫌いだ。神は独裁者に見える。ただ、それで神が好きなありえない集団がユダヤ人だ。神をこういう人間で無いことにしたい。一神教にして、偶像崇拝や姦淫を悪いことにしたのは、自分が嫌いだからだ。御業と言っているのは、そこらへんは好きだから言っている。ユダヤ人は、そういう風に、宗教できちんと分かっている。
ただ、自分なんか、悪いだけだ。イスラムに見える。イスラム教は、自分を一番怖い神にした。そうすると、良く分かる。神は信じないものに復讐する。そういう、怖い宗教にした。そのせいで、誰もが信じて殺すようになった。イスラム教徒はおかしい。本当に悪魔のような宗教に見える。自分が悪いせいで、悪魔のような宗教がそういう風に増えた。
まだ物理学の方がマシだ。それこそ、物理学には、教えが無い代り、正しい。仏教を同時に信じている日本人が多い。仏教は、物理学的なところがある。放送大学の教授が昔言っていたように、仏教と物理学は、良く似ている。
自分はこれで物理学者だ。ニュートンのような人間だった。この世界が全員全部分かっている。今日は宗教の日になったが、僕は宗教のような悪は一番嫌いだ。ただ、神は好きだ。
僕は、物理学が好きだ。親も物理学者だし、昔は相対的で物理的に考えることで宇宙と哲学的真理と人間の法則や理由を分かっていたし、最近の文章も物理学のようなことを言う。
本当に、宗教にこういう人間が多い。幸福の科学は、きちんと科学的に考えている集団だ。それこそ、宗教はキモイ。本当に悪い集団に見えるから、宗教は止めた方が良い。
もっと、良い人間になりたい。右翼は明らかに悪い。何もしないからこういう風になる。
物理は、普通、学校に行かないと出来ない。昔の自分は、学校で教わった内容を、経験から再度分かって、吸収していた。カントのように科学的に考えて分かっていた。
だが、自分は高校には行かなかった。それは、親が物理学者(正しくは科学館の学芸員)で、学校に行かなくても分かるぐらい、秀才だったからだ。
それは、間違っている。皆は学校に行った方が良い。ただ、ネットは、皆から見ると悪くない。ネットでの経験で教育の正当性が分かる人間や、カントのように考える人間は少ないが、誰でもこういう風に、自分のことは自分が分かる。
そういう、「自分を知る」と言う発想は、昔に多かった。それから、「社会的道理を知る」と言う発想が多かった。アドラーやマルクスのように、そういうことを考える。アドラーの劣等感や共同体感覚、マルクスの疎外や歴史の必然などは、そういう風に、自分のことを知り、世界の正しい姿と実際の姿を考える中で、生まれた。
あとは、これで、沢山思考をしたのが多かった。本当に、思弁哲学のように思考をしていた。科学的に考えて、「同じ思考をする」ことで分かっていた。
皆も、経験をしながら思考すると良い。ネットを見ながら体験することで、ユング心理学のようなことも分かる。共に経験するとか、現象学とか、事象そのものへ、とか、そういう、心理学的な知恵の世界が、2ちゃんねるで分かる。
あとは、むしろ、今日は宗教だけのキモイ日だ。宗教は、良いわけが無い。ただ、全員に都合の良いことを教えて、騙しているだけだ。仏教はそういうところが少ないのが好きな人間が多いが、キリスト教は騙しているだけで、悪そのものなのに、善だ。
それこそ、キリスト教なら、騙しても良いように見える。騙しても、善なように見える。キリスト教でない宗教は、ありえない人間が多い。キリスト教で無いと、悪く見える。自分を無神論者と高らかに言う日本人は、ありえない。皆を殺す国に見えるのが日本だ。
ただ、日本は本当に良い国だ。神はあまり信じていないが、もっと良い「和の精神」を信じている。協調の精神を信じている。そういう発想が好きな人間が多い。
それに、日本人にもドイツ人が多い。心胸の法則や、徳の騎士のような、ヘーゲル哲学は、日本人なら誰でもその通りになる。ヘーゲルは、不良の精神の成長が分かっている。日本人とドイツ人なんか、何も変わらない。平等な方が良い。ヘーゲルのことを日本人が分かるぐらい、日本人とドイツ人は同じだ。本当に同じだから、こういう風に馬鹿が多い。
ただ、外国人が見ていると、日本人ぐらいが違うように見える。日本人は本当に違う。キモイとは言うが、それこそ、ラーメンを箸で食べる。外国人には出来ない。箸の持ち方が分からないし、音を立てて食べるのはおかしく見える。日本人は本当にありえない。
あとは、マルクスは知らなかったが、マルクス的な社会の道理のようなことを、良く言う。制度から生産手段と共有を考えて、実存的な世界観から、歴史の必然を考える。
そういう、マルクスの舞台裏のような、世界観のような文章だった。
いつも、そこを思い出したいだけだ。それは、自由で、世界を変えるために行動する、と思えば分かる。「世界を変える自由なマルクス哲学の舞台裏」がそういう風に多かった。
何故か、誰でもそういう風に分かる。「自由な社会の道理」のようなものが多かった。
本当に、それくらいしか書いていない。
最近、僕は米ソは嫌いだ。日本やドイツの方が好きだ。当たり前だ。
昔は、オープンソース経済のような文章が多かった。オープンソースのように、この世界をモデルにして、いかにして自由な人生を作れるか、を考える。社会の自由は、そういう風に、オープンソースのような、本当に自由な人生と社会をどう作れるか、を考えていた。
それくらいの文章だった。マルクスとオープンソースと自由から世界を分かっていた。
マルクスは止めた方が良い。共産党の馬鹿に見える。悪い人間には見えないが、ペテンに見える。これでマルクスやソ連が好きなのがありえない。これなら、右翼で良い。
ただ、自分は本当にマルクスとオープンソースが好きだ。
あとは、もう何も無い。最初からやり直した方が良い。
不思議と、この文章には知性が無い。もっと知性で考えていると、いつものように分かる。知性で考える人間が多いから、そこが分かっていない。想像力も論理力も無いのがありえない。誰でも、知性と想像力と論理力で分かる。哲学はそういう人間が出来る。
ただ、機械やロボットのような人間になっているから、人間的な人間になった方が良い。それは、グーグルやこの世界が悪い。最近、何もかもロボットになっている。この時代の日本が好きなのがおかしい。最近は、神のグーグルが支配するロボット人間の世界だ。
あとは、何も無い。良く分かった。
組織や制度を自由な可能性の構造から作っていた。そして、決まりの部分を多角的に考える。どのようにすれば自由な社会が実現出来るか、成り立たせて考える。そこから、発想法のように、想像力でこの世界の全員の人生と活動を作っていた。宇宙を創造した。
あとは、神との対話のような、あるいは、ニーチェのような、分かっている文章が多かった。人は、本当に全てが終わって、もう死んで良い時に死ぬ。そして、自分のする体験を、自分のカルマと学習したい内容に応じて、決めて生まれてくる。そういう、神のような宇宙のことをいつも分かっていた。生まれ変わるとか、知っていることを体験するとか、そういうことを言う。人間の人生は、自分の言っている言葉で決まる。馬鹿なことを言う人間は、馬鹿な人生になる。自分は、そういう風になった。最近、きちんと賢いことを言うせいで、本当に賢い人間になった。こういう人間が多い。ただ、人種差別が悪いし、皆を支配して分かるのが悪い。ただ、それは悪くない。支配されると、楽になる。皆、楽になった人間が多い。支配者は居ると、楽な栄えた世界になる。支配者の居ない、ソ連は滅びる。天皇やスルタンのような、絶対的な君主や指導者は、居た方が良い。
あとは、選挙と試験とか、決まりを皆で作る自由とか、自然と人工とか、そういう、考え方のようなことを言っていた。それで、自由な社会のことを分析していた。
そういう、「自由な構造による考え方の分析」が多かった。
もう、自分の社会科は全て書いた。社会科は、もう止めた方が良い。社会は、そのまま、政治に結びつく。政治のことは、もう言わない方が良い。
もっと、もの、理性、心を考えた方が良い。心と理性から、もののことを考える。記憶のようなものが、本当は何であるか、とか、そういうことを言う文章が多かった。
地球の角度の共有が地域であるとか、そういうことを言う。そういう、理科や心理学や倫理のようなことを考えた方が良い。本当に、理系の方が賢い。
社会のことは忘れた方が良い。社会は賢くない。政治闘争にしか見えない。一番悪い。そんなに自分だけ勝ちたいのはおかしい。皆、他人のことを何も考えていない。そういう、知性のある意見のようなことは、むしろ、理系の方が分かる。当たり前だ。
熱や力や光などを、数学的な言葉だと思えば良い。そういうものは、エネルギーと言う。
もっと、数学や物理のようなことを分かるためには、社会的なことを忘れるのが良い。
手段や機会なんか、普通ない。決まりは、普通、数学的な決まりしかない。
あとは、心理学はそれで出来る。そういう風に出来る人間が多い。
社会科なんか、馬鹿だから、しない方が良い。池上彰の中国の分かる番組をテレビでやっているが、社会主義は悪すぎる。色々と、本当に悪い。
あとは、昔は、共同体を作るとか、左翼的なことが多かったが、昔から自分は右翼だ。
ドイツを正義の国、フランスを愛の国、イスラエルを聖書の国、ソ連を共産主義の国と言うが、もっと馬鹿なことばかり言っている。そういう差別は本当に悪いから、殺すべきだ。
もっと、社会ではない、地球のことや、宇宙のこと、論理のこと、もののこと、理性のこと、考え方のこと、などを分かった方が良い。
オープンソースだと思えば、分かるところもある。哲学や歴史は、もうしなくて良い。
数学がいきなりは出来ない。姉が言っていたが、数学は物理が出来る人間が出来る。学校に行きたいなら、行かなくて良い。学校では出来ない。
姉を参考にすると分かる。ああいう人間が出来るのが数学だ。姉はプログラマだが、ああいう、馬鹿な人間が出来る。天才のように、馬鹿を馬鹿にする。歴史なんか嫌いだ。ゲームしかしていない。そういう、きちんと賢い人間が出来るのが数学だ。
姉も、父親も、家族は皆理系の天才だ。母親は教師だ。自分だけ駄目なのが悲惨だ。
数学的に考えない時点でおかしい。現象を見るだけで、見る以外何もしないのも悪い。きちんとこういう風に、方法で考えれば分かる。哲学が分かるのに出来ないのはおかしい。
宇宙に、地球は1つしかない。今と言う時間は、今、この時、1つしかない。自分も1人しか居ないし、あなたはあなたしか居ない。そういう風に考えないと、分からない。
生命は、ものだ。脳が生きているに過ぎない。生命を自由とは言うが、ものを食べる時点で、完全に自由にはなれない。人間は、それぞれ、知っていることなどの記憶が多い。
そういう風に考えれば良い。記憶を良く考えると分かる。言語なんか、記憶に過ぎない。意志があるとは言うが、本当に自由な意志なんか、持てるわけがない。全ては、環境的な要因に左右されている。だが、本当に環境から独立した意志を持つことは、出来るかもしれない。そういう風に、きちんと記憶から理性を考えれば良い。
社会的なことは要らない。むしろ、社会的なことにも、数学的なことや理性的なことは多い。ヘーゲルが社会科が分かるのは、本当に理性的に考えるからだ。論理的に考えている。
もっと、そういう風に考えれば良い。理性のようなことから、地球や宇宙のことを分かる。
もっと、モデルや構造から分かると分かる人間が多い。全体の構造から、個別の問題を推論して考える。それぞれが何の構造に対応するのかを考える。普通、それが賢い。
もっと良く考えること。全ては、そこから始まる。良く考えないと、分からない。
あとは、パソコンは要らない。パソコンは賢くない。
遺伝子も、生命の根幹である細胞も、人間には作れない。万能細胞を作ったとは言うが、結構賢いようには見えるが、どうやって作ったのか、知った方が良い。
そういうものを、何も知らない。それで、科学者と言えるわけがない。
昔の哲学は、2ちゃんねるの哲学だ。インターネットで分かっただけだ。オープンソースが賢かったと言うが、あれはクズだ。エロイ女になりたいのはおかしい。あれは馬鹿だ。
もっと、色んなことを自由から分かっていると分かる。自由とは、論理性と言う言葉に置き換えても良い。論理的に考えると、分かる人間が多い。自分を自由だと思って、それぞれの自由を知る。そこに、色んな論理的なことがある。
子供なら、そういう風に分かる。そういう風に分からないのがおかしい。関数など、数学的なことを思わないのがおかしい。そういう、数学的な理解の人格がある人間が、一番多い。ヘーゲルや学校のせいで、そういう人間になるのが、普通の人間だ。
意識で考えれば分かる。それぞれの人間の人格を、数のようなものだと思えば良い。そういう風にすると、世界観が分かる。言語のことも、数のようなものだと考えれば良い。
関係と考え方と思うと、理系のことも、文系のことも良く分かる。
普通、関係をきちんと考える。そこで、考え方のようなことが多い。
社会科なら、憲法や主権在民を考える。理系なら、何だろうか?重力とか、エネルギーとか、そういうものだと思う。そういうものは、全部、関係と考え方の連鎖になっている。個別の関係と、普遍的な考え方がある。そういう風に考えると、宇宙の構造が見えて来る。それらは、法則と言う言葉に言いかえられる。そういう、法則を発見するために、1つ1つの事例を調査して、自分の力で研究し、考えれば良い。オープンソースを分かっていると、本当にそういう法則や方法のことが良く分かる。
パソコンは、動く時は動くし、動かない時は動かない。それは、必然的なプログラミング能力とコードにかかっている。コードが動くなら動く。動かないなら動かない。動かないのを、動くように直すと、動くようになる。そういう発想が工学だ。また、機械にも、生命にも、動力源のようなものが多い。石油か、炭水化物など。理科の最初の考え方だ。
常に起きている宇宙という現象と、その中でのそれぞれの場合を、シェリングなどは世界精神と言った。だが、そうでは無く、きちんと個別の存在だと思えば良い。
ものはものであり、原子すら、現象である。そういうことを言っている文章が多かった。
今日は、宗教の日に見えて、社会科から理科に変わった日だ。
もっと、理科のことを考えれば良い。
父親は、特に、発電機や顕微鏡に詳しいが、気象学や交通のことも良く知っている。
昔から、父親は工作も機械も出来るし、パソコンのことも良く知っている。パソコンは姉が出来る。そこらへんから分かれば良いように見える。
宇宙のことでも知れば良い。太陽などの図鑑があった。家には、そういう、父親や母親の百科事典が置いてある。そこらへんを見れば良い。
良く考えると、平等なんか、働かないだけだ。誰もが、働かないだけに見える。
池上彰が、中国は改革開放と生産責任制で発展したと言っていた。(良く覚えていないから、間違っているかもしれない。事実上の一党独裁だと言っていた。)
それこそ、そんなことは理系でも分かる。理系の方が分かる人間が多い。
文系は悲惨だ。これで分かるわけがない。知性のようなことが何も分かっていない。
ただ、知性なんか、ただの構造に過ぎない。そういうことを言う人間が多い。
つまらないほど、日本が言う、「日本が賢い」とか、「日本が良い国だ」とか言うのはおかしい。良い国なわけがない。石油国のアラブ諸国も、負けないぐらい良い国だ。日本はおかしい。良い国なわけがない。どこが良い国なのか、良く分からない。金があるのを言っているように見える。技術力なんか、普通アメリカやイギリスの方が高い。
日本は、何も良い国に見えない。そういうことを言う外国人が多い。顔が丸くて、毛の濃い、猿みたいな人種に見える。食べ物も不味い。中国と同じ文字を使う。東京はシンガポールに見える。良く分からないのが日本だ。全く良い国ではない。戦争がしたい右翼の国に見える。天皇と言う宗教が悲惨だ。仏教を信じているのは誰も知らない。知っている人間は、ドラゴンボールを見て、サムライのような文化を分かっている馬鹿が多い。
どうでも良い。不思議と、ソ連は賢いと言う。アジア人はソ連が好きなように見える。それこそ、中国はまだ社会主義をやっているのが悲惨だ。アジアに社会主義がまだ残っているから、日本もまだ冷戦をやっているようにしか見えない。日本は悲惨に見える。
それこそ、世界史をやっていると、日本は右翼の国にしか見えない。ヨーロッパになりたいアジアの国に見える。イスラムと同じだ。そういう国にしか見えない。
そろそろ、社会科は止めた方が良い。もっとマシなことをした方が良い。パソコンは賢くないが、ドイツよりはマシだ。パソコンでもやれば良い。
きちんと数学的に分からないと、何も分からない。昔は、そういう、数学的な想像力があった。パターンから現象を分かっていた。哲学のことは、実体験をモデルにして、自由な発想をしながら、人間を関係と構造で考えて分かっていた。ネットで良く分かった。
日本は、文化が良いと言う人間が多い。キモイとは言うが、中国の文化はカッコいい。それを言う人間が多い。日本人も、ドイツの文化がカッコいいと言う。
最近は、ヨーロッパでも分断が起きている。ナショナリズムがどんどん台頭している。自分のせいなところがある。この文章のせいで、右翼が良く見える。それこそ、フランスの自由はそろそろもう終わった。アメリカなんか賢くない。そういう馬鹿が、トランプみたいに、本当に増えている。右翼が賢いわけがない。トランプはおかしい。
感覚や感情のような、心理現象みたいなことを作っている文章が一番多かった。
テレビでドイツの極右を見ている。メルケルをイスラム教の方へ向いた人間だと言って、メルケルやめろと叫んでいる。おかしくは無い。それこそ、イスラム教の難民にそんなに税金を払うのはおかしい。本当に、自分が見てもそれは思う。難民なんか要らない。
EUが悲惨になっている。不思議と、ドレスデンは東ドイツの地域なのに、右翼が多いように見える。詳しいことは知らないし、番組もそんなに良く見ていないが、EUは悲惨だ。
宗教、哲学、歴史、経済など、文系の科目を消して、理系だけにすると、本当にこの世界が良く分かる。それこそ、普通、理系しか分からない子供しか居ない。文系は、誰も覚えない。姉が文系なんか、何も一つも知らない。それで良いのが普通だ。
ただ、明らかに働いている姉の方が分かっている。自分なんか、何も分かっていない。
あとは、関係と構造のようなことを言う。人間や社会を、認識から生まれる関係のオーケストラだと言っていたし、物理学的な構造は全部書いていた。あれは、自分の考えた構造と関係を全部書いて、世界観を作って、モデルを成り立たせるだけの人間だった。
そろそろ、理系と思えば分かる。文系の知識は、要らない人間が多い。理系の知識は、あると分かる人間が多い。化学式など、理系の知識は本当に欲しい人間が多い。
誰でも賢いから、理科が分からない人間は馬鹿に見える。不思議と、文系なんか、あっても何も分からない。誰もが馬鹿な知識に見えるのが文系だ。
ただ、そうでもない。知識と言った時、普通それは文系のことを言う。テレビのクイズ番組でも、無意味に文系の知識を競い合う。ただ、文系は本当に馬鹿だ。知識の内容を見ても、いざこざと争いと自分勝手な金や競争や政治のことが多い。皆、強欲すぎると言う。
仲良く出来ず、争うだけ。それぞれの違いを脱却出来ず、右翼と左翼に分かれる。それが文系だから、文系は止めた方が良い。哲学や心理学は、賢く見えて、2ちゃんねるだ。
もう、何も無い。理系をしたいとは言うが、テレビを見ていると、地学が良いように思った。家に本は無いが、父親が何か持っているかもしれない。地学をすると良いかもしれない。それに、生物学も良いと思う。物理や化学の知識は、無いと何も分からない。だが、いつか買った数学のシリーズの本は、読んでも何も分からない。それこそ、理系は出来ないだろう。外国語をやれば良いように見える。自分は、昔から外国語がしたかった。言葉の人間だから、それで良いように見える。むしろ、文学で良く見える。文学で成功したのに、文学をしないのがおかしい。きちんとイギリス文学やフランス文学でもすれば良い。
理系はきちんと知って考えれば良いから、簡単だ。簡単だから、自分でも出来る。
あとは、物質のようなことを言っていた。
特性から、どのように関係するか、どのように変化するか、のようなことを言う。
それで、理解や発想のようなことを言って、社会はどんな社会になるかを考えていた。
あとは、自分がどう出来るのか、何が出来るのか、変えられるのか、考えていた。
社会の中で、何をどう出来るように出来るのか、変えられるように出来るのか、考えた。
そういう、自然な中で変化がどのように可能になるか、考えた人間だった。
科学や教育の正当性も、そういうものだと思えば分かる。昔は、それだけの人間だ。
成長から、この世界のあり様を全て分かっていた。そういう人間だった。
いつも、そういうことを言っている。そういう、成長と経験と人生の経緯のようなことを言っていた。どれもそういうことを言っている。そういう文章だった。
社会の可能性とか、方法によって何が発見出来るのかとか、知の前提、実験、成長、体験とか、そういうことをいつも言っている。そういう文章だった。
あとは、機会みたいなことを言っている。もっと、自由なことを沢山言っていた。本質のようなことから、全てを可能にする。そういう、可能にする文章が多かった。
方法から可能性と自然のようなものを作っていた。「自然な歴史がどのように展開するか」のようなことを言う。「環境がいかに変化していくか」のようなことを言っていた。
そういうわけで、「成長の中で、どんな人生と社会のあり様が分かるか」のようなことを言っている。ほとんどそれしか言っていない。そういう文章だった。
あとは、経緯を全部書いて、全部体験していた。
自由な表現力や判断力のようなことを言う。そういう能力や知性のような文章が多かった。
自分は、精神と意識をすぐに治せば良いのが分かっていない。何か、具体的な体験をすればすぐに治る。そういう、治るのが怖い。治ると、死ぬ。
それこそ、皆が自分になっているのを止めれば良い。皆になっているのを止める。そうすると、皆、死んで行く。それは悪いから、殺さなくて良い。もっと、正常な精神になれば良い。そのためには、きちんと何か1つのことをすれば良い。
あとは、勇気や決断のような内容が多かった。兵士のようで、スターリンのようだった。