今日は英会話教室に行ってきた。
考え方のモデルや、抽象的なモデル、生きる知恵のモデル、応用のモデルを作っていた。
汎用的な応用可能性を考えていた。例えば、車の部品は、車にしかならないが、鉄やアルミなどの汎用的なものは、色んなものになれる。そういうことを、応用可能性とか、決定と可能性とか言って、汎用的な応用性を考えていた。
自分の、人間的な「なる」の可能性から、そういうことを考えた。
自分にも可能性がある。人間的な可能性の発揮が、体験であり、経験である。
あとは、見方とか、独立とか、言っていた。
そういう、「この世界にある全ての考え方」のようなことを言う。そういう文章だった。
昔の自分にあったものを、全部書いて詰め込んでいた。
民主主義の選挙は、その政党だから受かるだけだ。そういうわけで、民主主義とは言うが、民主主義になっていないところがある。比例代表のように、最初から政党で選べば良い。今、不倫で若い議員が問題になっているが、「何でこんな人間が受かっているのだろう」と思うことも多い。選挙は、あまり意味が無い。共産党でも、きちんと共産党の内部や幹部が決めている。自民党と何も変わらない。
共産党にも良い点はある。国が二分されたりしなくなる。選挙をしない代り、皆で同じ政府を選ぶ。そうすると、アメリカのように、国が分裂したりしない、良い国になる。
ただ、明らかに民主主義の方が良い。国に従うしかない、盲目的な国で良いわけがない。
頂点になるか、平等になるか、包括するか、自由になるか、のような、考え方のような文章をいつも書いていた。神か悪魔の二元論か、自由に選択出来る神を選ぶか、など。神も、1人の方が良いと言うのは、誰か1人に統一して、分裂が起きないようにするためだ。そういうわけで、統一と平等が理想だ。自由は悪魔だ。自由には、あまり良い点が無い。
ただ、僕は自由が好きだ。自由は、人間的で、英知がある。それこそ、人間はそれぞれ違うし、間違えることもあるし、色んな世界が存在するべきだ。自由が一番良い。
左翼は馬鹿だから、独裁者の平等になる。独裁者1人を皆で賛美するのが平等だ。
右翼の方が良い。左翼はキモイ。右翼は、自由にして、それぞれをきちんと独立させて、それぞれを競わせて、強くする。そういう、大らかな心を持って、自由にするのが右翼だ。
本当に、右翼の方が良い。左翼はおかしい。ユダヤも悪い。聖書が一番おかしいから、左翼がそういう風になる。ただ、聖書のようにしているだけだ。
日本は、村のようなコミュニティを取り戻すべきだ。テレビで専門家がいつも言っている。日本は、村のような地域の繋がりが希薄になっている。それをもっと改善した方が良い。
生物とは、遺伝子における、変化可能な、エネルギーの貯蓄の構造体だ。
その時にしか分からないことを全部言っていた。
見方を変えるために、自分を変える。昔は、そういう風に分かっていた。
モデルは、遺伝子のようなものや変化のようなことを考えていた。
昔は、遺伝子をモデルにしていたぐらいしかしていない。
社会の変化可能な自然な可能性をモデルにしていた。
あとは、客観視のようなことが多かった。
相手になったつもりで、相手の見ている世界を考える。
そういう風に考えて分かっていた。
もっと、考え方のことについて知りたい。
ユング心理学も良いが、生物学の考え方のようなものを知っても良いと思う。
数学や物理にも考え方は多い。
あとは、言語学の階層構造や自由順序のようなものを良く考えていた。
デカルト的に意味を増やすのを考えていた。
自分は、発想があるのは良いが、基本的なことを知らないから、基本的なことを知った方が良い。何も知らないのに考えても意味が無い。
昔は、皆と同じになって、実感して分かっていた。科学や人生のことを分かっていた。
「こっくりさん」のような神との対話を止めれば良い。それですぐに治る。
足の精神が治った。
数字は、判断するために使っているだけだ。もう、数字を忘れて良い。
自由な中で理想を実現したかった。
昔は、一人、行動的に実践しながら、世界を変えることを考えていた。
アドラーが言うように、現実は、体験する人の数だけある。
もう、世界を治さなくて良い。それから、辛くなった方が治る。
だが、それはもう良い。そろそろ、この世界が治って、自分も楽になる。
論理学的に世界を分かって、論理学と考え方を書いていた。
色々と、カントと良く似ている。カントの言っていることと良く似た文章を書いていた。
あとは、色んな方法を使って考えていた。そういうことをいつも言っていた。
昔は、根源的な意識で分かっていた。
自分の自由に出来ることから分かっていた。
最近、色々あって、自分の自由に出来ることが怖くなった。
世界を壊滅させるのは、止めた方が良い。いつも壊滅している。
もっと、きちんと導けば、良い国になる。もっときちんとした方が良い。
支配しないのがおかしい。支配して良くすれば良い。「支配ではない支配」をすれば良い。何もしないのがありえないだけだ。もっと、それぞれが協力して、可能性の中で何か大切なものを発見出来るようにすれば良い。皆が発見するために、探せるようにすれば良い。
皆には、本当に自分のことを大切にして、信じて、幸せになってほしい。
それこそ、自分の教訓は、もっと自分のことを大切にすれば良かった。
皆には、同じ失敗をしないように、自分のことをもっと大切にしてほしいと思う。
法律は、決め過ぎるのも、自由にしすぎるのも、良くない。自由にした中で、必要に応じて、それぞれの場合と将来的な状況を良く考えながら、作る。法律とは、経験である。
いつも、そういうことを言っていた。自由な社会の中で、制度を経験的に作るべきだ。
日本人が英語が出来ない理由は、最後に「だよね」や「ですます」のようなものを付けないからだと思う。英語には、そういう、感情表現のようなものは無い。意味と事実を的確に述べるだけだ。そういう理由で、日本人はキモイ。日本人がおかしいだけだ。
自分は、自由に生きているのが悪い。そのせいでおかしくなった。怖いものに支配されると治る。当たり前なのに、分からない人間が多い。もっと、支配されれば良い。
学校か、仕事か、あるいはテレビやネットでも良い。何かに支配されると、すぐに治る。
支配されて、影響を受ければ良い。影響は、多ければ多いほど賢くなる。そういうわけで、支配される右翼は、賢い人間になる。解放する左翼の方が馬鹿になる。
子供が賢いのは、親に支配されているからだ。支配されるもののない大人は悲惨だ。そういう、自由な大人の方が馬鹿になる。自由は辛い。サルトルは、自由を刑であると言った。
色んな影響を受けていると、昔が出来る。それも、世界観や常識的なものから、人格や論理的なものへと影響を受ければ良い。そういう人間は、日本に一番多い。
何が正しい生き方か、それは影響を受けることで見えて来る。
1人の人を1000日働かせるより、1000人の人を1日働かせた方が、時間が節約出来る。
昔は、自分が分かることを全部詰め込んだ文章を書いていた。
読むだけで、最後まで全部分かる。そういう、人生の文章だった。
昔の自分は、一度消え去った。
だが、あれは、全ての知と真理を大切だと思う、建設的で向上的な、賢い人間だった。
足の精神は、そこまで辛くなると、死ぬ。それで楽になるだろう。
昔は、行動的な人間でもあったし、心理学のような思慮深さや視野の広さもあった。
実践的に発想を分かっていた。独創的な、パソコンのような発想があった。
昔は、洞察力と勇敢さがあった。最近、臆病になって、見えなくなっている。
認識の確かさを正しく分析する、分析力があった。
最近は、賢くない。何もしないのがおかしい。
英語なんか、しても出来ない。マシなことを何もしないのがおかしい。
自由な秩序、決まり、ルール、参加から、環境や基盤を作る。
昔は、そういう、基盤的な環境論が多かった。
そこから、この社会を作っていた。師弟制度のようなものを作っていた。