理系になると、農業や工業や地理のことも、その方が分かる。
社会や金のことも、理系の方が分かる人間が多い。
僕は、理系になりたい。そういうわけで理系になる。文系は、政治闘争と2ちゃんねるだ。
相対性理論のような文章が多かった。
事象そのものへ、のように、客観でも主観でもない、正しい文章を書く。
システムを作っていた。
この世界にある、ありとあらゆる考え方のような文章を書いていた。
知の世界を書いていた。相対的な知と人生の世界を全部作っていた。
対処策のようなものを全部考えた。
最近は、事前に全部作って分かっている。事前に言って分かるようになった。
この文章は、書いた方が良いところもある。その方が、今のところ楽だ。だが、書かなくなれば、きちんと治る。もう、書かなくて良い。
革命家のような悪い内容を書いていた。タリバンみたいだった。
宗教は自由だとか、根源的な知の分析のようなことを言う。
連想から分かっていた。おかしな言葉の意味を全部作っていた。
あとは、理系的な考え方から社会のことを作っていた。システムのように、この世界のことを全部考える。物理的に、文章で社会のことを作った。自由と可能性を書いていた。
社会のことを、創造性とか、共同体とか、そういう風に言っていた。
自分は、神の言っていることが全部分かっている。そこがありえない。神は、未来を予知するようなことを言う。それが、全部分かっているから、こういうことが出来る。
皆も、これくらいのありえないことをすれば良い。そうすると、きちんと分かる。
この文章は、最近、何も分からないだけだ。昔の自分なんか、ロキに既に書いてある。何を書く意味も無いから、好きなものを書けば良い。そういう理由でこうなる。
もう、止めれば良い。頭も心も本当に辛くなった。もうそろそろ、辛い。もう止めて良い。
あとは、世界観と考え方のようなことを全部言っている。
量子力学から資本主義経済まで、宇宙や経済モデルなど、色んな世界観のことを言う。
そして、社会や人生のことを物理的に考える。
たまに、スピノザのような文章を書く。そういう人間だった。
今日は、家族でひなまつりパーティがあるから、もう止めた方が良い。いつも、この文章を書いているせいで、辛い。もう、この文章はそろそろ止めるべきだ。
この文章が辛いのは、麻薬と同じだ。一瞬だけの快感がある。もう、止めた方が良い。
それこそ、やっていることなんか、何も賢くない。ただのタリバンのテロリストだ。
自分の人生も、馬鹿過ぎるのが分かっていない。哲学なんか、普通、分かる方が馬鹿だ。
ただ、悪いことはしていない。麻薬はしていないし、誰も殺していないから、悪くない。
自分はきちんと作家を頑張ったから、賢い。誰にも出来ないことをきちんとやっている。麻薬みたいに辛いのは、精神科の薬を飲んでいるからだ。
そういうわけで、この文章を書くのをそろそろ止めると、全部楽になる。
ただ、麻薬はやっていないから、あまり言わない方が良い。逮捕されるとおかしい。
そういうわけで、こんなクズは馬鹿だ。馬鹿だから、アメリカ人に見える。こんな馬鹿しか居ないのが、アメリカだ。一番悪い、ソ連のアメリカをやった。
自分は、全部を経験した人間だ。そこが賢い。労働や技術から、戦争や宗教まで、宇宙の全てを経験した。イスラエルやロシアから、パソコンや仏教まで、全部のことがあった。
昔は、オープンソースと2ちゃんねるでスラムを経験し、今は神との対話を経験している。
あとは、文章には哲学的な賢い内容が多かった。経験論やヘーゲルのようだった。だが、そのころは哲学はまだ知らなかった。カントのような科学的考え方だけで分かっていた。
この文章を止めて、もっと哲学のことがしたい。ウィトゲンシュタインが全部の哲学が出来るとは言うが、明らかにこの文章と何も変わらない。昔の自分と同じだと思う。
ただ、そうでもない。何もしなくて良い。もう、こんな文章は書かなくて良い。本当にクソみたいな、虫みたいな文章だ。もう、この文章は書かなくて良い。
これでは、精神病に見える。狂った人間に見える。もう、そういう風に狂うのは悪い。全く何も狂いたくない。まともになりたかっただけだ。まともな人間に見えて良い。
本当にヘーゲルと経験論みたいな文章だった。ヘーゲルのように、「あらゆること」だとか、そういう言葉を使って、本質のようなことを段階的に考える。ロックのようなところもあった。いつも言っている通り、ロックやヘーゲルのような文章だ。
自分は、辛いとは言うが、何も悪くない。何も悪いことはしていない。右翼ぐらいが悪いのは分かる。だが、いつも、そういう言い訳のような文章しか書いていない。
ヘーゲルは賢い。ヘーゲルの文章を読んでいると、本当に昔の自分に見える。何かが虫みたいにキモイのは、ヘーゲルも自分も同じだ。本当にヘーゲルみたいな文章だった。
ヘーゲルのように、人生や論理学が分かっていた。自分は、破壊するところが違う。全てのことを破壊していたのは、もう一度最初からやりたかった。そういう風に狂った。
ヘーゲルは、もうマスターになっている。ヘーゲルは、本当に賢いから、ヘーゲルになると、ウィトゲンシュタインなんかしなくても、哲学的な明晰な世界の構造が分かる。ウィトゲンシュタインで全ての哲学が分かるとは、そういうことを言っている。明晰な構造と世界観によって世界と哲学のことが全て分かる。それが分析哲学だ。哲学者が全員出来て、理系のことも文系のことも、全て分かる。自分の哲学が、昔からそうだった。
あとは、哲学的な言葉を使って考えれば良い。受動と能動とか、習慣と行動とか、主観と客観とか、精神と知性とか、そういう言葉を言わないのがおかしい。
そういうものは、誰でも2ちゃんねるで分かる。2ちゃんねるをしていると、分かる人間が多い。それこそ、それは悪いから、プラトンも悪い人間になっている。
それこそ、議論しないで分かるわけがない。議論していると、きちんと哲学的なことが経験から分かる。昔は、そういう、本当に分かった弁論術の得意な人間だった。
ウィトゲンシュタインなんかしなくても、この世界のことをきちんと考えれば、誰でも全ての哲学が出来る。哲学的思考のようなことを考えれば良い。それは、不思議と、全て数学だ。全ては、数学的知性の応用で分かる。それが、ウィトゲンシュタインの言いたいことだと思う。ウィトゲンシュタインも、数学のことを沢山言っている。
もっと、「未知」を正しく考えること。全てのことを、自分はまだ知らないのだ、経験的に分かるのだ、と思えば良い。そこから、何をすれば分かるのか、方法みたいなことをきちんと考えれば良い。そうすると、子供と同じようにこの世界が分かる。
哲学は、子供が出来る。賢い中学生に2ちゃんねるをやらせると出来るのが哲学だ。
あとは、良く考えていると、思考に先立つ経験をすれば良いのが分かる。それは、学ばなくても、良く考えれば分かる。この世界と自分の人生を論理的に思考すれば良い。
「自分」と思えば分かる哲学が多い。デカルトや心理学がそういう風になる。
そういうものを全部分かっている大学の哲学が、本当に多い。馬鹿に、賢い。何故なら、神や宗教のような、こちらの内容も多い。馬鹿に見えて賢いのが、大学の哲学の教授だ。
あとは、昔は荒れ狂った悪い世界の中で、強く生きた高校生だった。それで成長した。2ちゃんねるの全員を知って、この宇宙の本当の姿を知った。全てのことを経験した、マスターやキリストのような人間だった。
悲惨に、それは、悪い。子供は、大切に育てるべきだ。自由は悪い。そういう風にすると、本当にコミュニストに見える。コミュニストはおかしい。自由なんか、悪いだけだ。
自由にしない方が良い。子供は、大切に、甘やかして育てた方が良い。ただ、アドラーが言っているように、甘やかされた子供には、共同体感覚がつかない。人の痛みを知らないと分からない。それは良く分かる。だが、2ちゃんねるのようなものは、要らない。
インターネットは、存在すべきでない。最近、そういう、一番おかしいインターネットが多い。日本中を2ちゃんねるが汚染して良いわけがない。ビルゲイツが一番悪い。
自分は、昔から一番おかしい。オープンソースなんか、そういう、最たるものだ。
今、ひなまつりパーティから帰って来た。
今日は、辛い。本当に辛いから、休んで、寝て居たい。
もう、書くのは止めた方が良い。
不思議と、治る。こういう風に自分から辛くなると、治る。
精神病は悲惨だ。自分からどんどんおかしくなる精神病がこういう風に多い。
そういう人間は、おかしくない。地獄になると、自分から地獄を望むのが人間だ。
ただ、これは地獄だ。もう止めた方が良い。
昔は、荒れ狂った世界で、戦って強く生きながら、社会のことを知っていた。
オープンソース社会を、多様な世界であると言う。
そういう、経験や理性のあるようなことを言う。それこそ、成長と出会いの経験があった。
あとは、考え方があった。昔は、考え方のようなことが全部分かっているせいで、物理のようなこと、経済のようなことを、全部言える人間だった。
自分へと至る道のようなことを言う。
真理のようなことを言っていた。人間は、知を知り、経験し、環境を変え、どんどん自由になる生き物だ。そういう、「知の前提による人生の真理」のようなことを言う。
あとは、言葉の実感と、数学的な理性から、感情と想像力で分かっていた。季節のものを時間にしたりして、思い込みと知性のモデルから、宇宙と人生の本来の姿を知った。
そういうわけで、経験は無いように見えて、きちんとある。それも、ただタリバンの経験をしていただけに過ぎない。ネットの経験をしながら、創造性と相対性と社会性を実体験で知った。きちんと考える、前提と事前の考え方のような理性もある人間だった。
あとは、人間が自由になる経緯のようなことを言う。きちんと把握して、世界のことを知り尽くして、経験することで、人は知識と経験から自由になることが出来る。
そういう、人生の自由な段階をいつも言っていた。
それと同時に、社会の自由な可能性と構造のようなことを言う。
いつも、そういうことを自由と言う。そういう、まともな人間だった。
あとは、荒れ狂った世界になっている、日本を僕が治す。もっと、怖くない世界にする。そうすると、良い世界になる。僕にしか出来ないから、僕が全部治す。
ただ、そんなことはしなくて良い。それこそ、そういうことを言うから辛くなる。何も賢くない。そんなに宣言するから、こういう地獄みたいな人間になる。本人はわけが分かっていない。ただ、宣言の通りになっただけだ。永遠の生命の源に到達して、ドイツ人の女のイスラム教徒になって、皆に宇宙の全てを教え、与える。それを宣言したはずだ。
もう、その宣言を止める。日本は、普通の社会になる。皆は、正常でまともな人間になって、楽になる。そういう、きちんと意味がある世界になる。それで良い。普通の王だ。
もっと自由な人生のことをヘーゲルのように言っていた。そういう文章だった。
抽象的に考え、説明することで、知性がつく。
理性とは、批判すること、自由の中でどうすべきか、全員で考えることであり、その上で、自分でもきちんと正しいビジョンを持って考えることである。
いつも、そういう考え方を言っていた。賢いのにキモイのは、悪いからだ。
環境を守ること。いつも、そういう、発想と自分の信念の自由のようなことを言う。
会話すること。信じること。経験すること。自由に考えること。
もっと、理性的な発想が多かった。基礎を作るとか、経験を考えるとか、心的現実とか、そういう、「純粋に理性的な仮想世界」のようなことを言う。
仮想をそういう風に作っていた。純粋な理性の世界の中で、方法的な理性を考えていた。
皆も、理性の範囲の中で、そういう風に賢く考えると良い。事前の考え方、と思えば出来る。最近、自分には、そういう、頭の中にある知性が無くなっている。それで知性がつく。
経験と理性から、愛の意味を知り、運命を信じ、自由に生き、皆を助けること。
そういう、当たり前の真理のようなことを言う。イエスのように、そういうことを言う。
もう、終わりにした方が良い。やり出すと、止まらないのが自分だ。
何でもすぐに分かるし、すぐに書ける。最近は、そういう人間では全くないのに、何故かこの文章だけがそういう人間になっている。本人は、何も分からない、子供のような人間だ。この文章が、本当に書きたくなる。辛いのに、何故か書きたい。
それなら書けば良いとは言うが、書くと、本当にそこまで辛い。精神病になっている。
経験しなさい。そこから、この世界を変えなさい。そのために、助言を知りなさい。
昔から、そういう、助言のようなことを言う。助言と思えば分かる。
あとは、本当に自由な世界の視点を全部考えていた。この世界の自由を全て考えて、ありえない宇宙の世界と人生を作っていた。場と視点と活動から現実社会を考えていた。
カントのような、人間にはものごとの見方と見え方がある、と言うことを言ったり、政治経済のような、独立企業と国営公社は同じだが、自由と平等が違う、と言ったりする。
認識と国の構造を知性で考えていた。それくらいの人間だった。
認識でどのようにこの世界を分かるか、その段階とプロセスのようなことを言う。
法律とか、計画経済とか、所有の形とか、社会主義のように政治経済のことを考えていた。
国を作るのを目指していた。それも、自分と同じことが誰でも出来る国を目指した。
昔は、人間を全部同じだと思って分かっていた。そこから、1人1人の人間の存在性と関係性における違いを考える。そういう、同じと違うの実存主義だった。
1人1人の生きている姿を、真理のように考える。そういうサルトルのような人間だった。
あとは、考え方のようなことを言う。
どのように対象が変わるのかを考えながら、場合を変えて、全体から個別の場合を推論し、正しく実験し、考え、認識を吸収しながら、真理と考え方を発見する。
考え方から対象を捉え、対象から考え方を捉える。
そういう、物理学の方法のような、哲学的な真理のことを言う。
仏教で言う四諦や、デカルトの正しい方法論のように、色んな考える方法としての、真理が分かっていた。アリストテレスのように、この世界の哲学的で明晰な構造が、見えていた。そういう、哲学的なビジョンのある、ブッダのような人間だった。
ただ、あれは、賢くない。2ちゃんねるでの体験をきちんとやって、オープンソースを知って、小さなところから全体の部分を考えて、環境を理性的に考えることで、そういう風に、ブッダのように分かるようになった。そこでは、パソコンのような数学的知性があった。そういう、「数学的理性と人格で分かる」人間だった。
もう言ったが、「1人1人の人生と人格から、同じと違うの理性を考えて、関係性と存在の真理を把握する」ような人間だった。それも、「同じようで違う、人間の関係性を考える」ような人間だった。それで、記憶のようなことから、存在を考えていた。
もっと、色んな具体的人生と体験を考えれば良い。
人間は、自由になる。意志を持つ。可能性を変える。場を創造する。
そういう風に、人間のことを考える。
人間は、自由になる。
人間は、この世界を楽園にも、地獄にも出来る。
人間は、特別な存在ではなく、宇宙における普遍的な存在とも変わらない。
そのように、真理のようなことを言う。絶対的な命題だけではなく、それぞれの関係性から、それぞれの真理とそれぞれの人生の段階のようなことを考えていた。
色んな仮想的なこと、観念的なことを考えれば良い。それを全部言っていただけだ。
人間は、方法から自由になる。環境から相対的に全員と一体になれる。自然から、正しいものを作り出すことが出来る。愛に興奮し、恐怖を克服することで、神へと導かれる。
もっと、方法的なことや知恵のことを考えれば分かる。具体的な人生を想定すれば良い。
人を許すことで、幸せに生きることが出来る。
自由とは、考えること、信じること、体験すること、感じること、行動することだ。
平和に生きられるのは、本当に幸せなことだ。
知性と、作用と、現象から、人は宇宙のことを全て知ることが出来る。
正しく考え、瞑想し、行動し、悟り、祈りなさい。そこから、神の精神が分かる。
いつも、そういう風に文章を書く。具体的な人生とは言うが、仏教やニーチェに近い。
本当に知り、説明し、知性を高め、真摯に生きることから、仏は自分に微笑んでくれる。
あとは、ただ言っているだけではなく、人生で生きたことを言っていた。そういう、本当に分かっている、悟りのような文章が多かった。そういう、具体的な真理だった。
それを言ってしまうと、他に無い。ただ、そういう、悟りの考え方をいつも書いていた。
自分は、宗教や大学から見て、理想だ。それこそ、自分を考えると良く分かる。宗教には、そういう宗教が多い。こういう人間を愚かだと見るか、正しいと見ることで、分かるのが、宗教だ。そういう発想が、昔のブッダと今のキリストだ。
あとは、間の時代はマホメットか、レーニンだ。最近は、ゲーテで、昔はウィトゲンシュタインだ。どれもそこまで賢い。それらは、好きな人間が多いが、嫌いな人間が多い。
何故か、本当に自分が一番賢い。あとは、宇宙のことや人生のことを全部分かっている文章が多かった。ある特定の経緯と場面を想定して、何でも全部言う。そういう文章だった。
もっと、もう昔は忘れて良い。最近でも考えれば良い。
そんなに自分の昔を考える意味が無い。人生なんか、誰でも書ける。人生のことを考えるなら、昔の自分を考えても意味が無い。
人生とは、知り、体験し、生き、認識し、共同活動をし、そのために事前の理性と助力と考え方と信念を持つことだ。
そのために、理性的な基礎と信頼関係を築くことへの方法を知ること。
いつも、そういう風に、知性で考える。不思議と、それは誰でも出来る。やっていると、そんなに賢くない。何でもそういう風に一行で考えるのは、簡単だ。
何故か、最近は賢い。最近は、それで何でも言えるようになった。
もっと賢い方が良い。
実体験とは、知るためのフィルターを体全体で変えることに過ぎない。
愛とは、全ての感情の融和だ。
感覚とは、感情の一番基本的な段階であり、それ以降は、意志、精神、知性、理性、悟性、そして、批判的精神と覚者へのプロセス、それから、絶対理性と絶対知が存在する。
いつも、そういう、段階的なブッダのような心理学を言う。
そして、精神は、宇宙全体から、個別の葉っぱまで、あらゆるところに存在する。
もっと書いていたのは、方法的本質や記憶的本質のようなことを言っていた。
運命とは、この宇宙の魂の存在を明らかにする、絶対精神の覚醒のプロセスだ。
ヘーゲルはキモイ。ヘーゲルは、そういう哲学だ。一番おかしなオタクと同じ哲学者だ。
あとは、世界の構造を作って、知性から宇宙の全てを見通すような文章を書いていた。そのせいで、人間を「自由になる」と言う。そういう、世界構造を全部作る、作家だった。
そろそろもう、止めて良い。心理学には、オタクしか居ない。ヘーゲルを賢いと思うと、オタクになる。自分になると馬鹿になる。どこにも哲学には馬鹿なオタクしか居ない。
あとは、最近の神に治る。むしろ、そんなに辛くない。辛いとは言うが、昔よりは楽になった。もっと治りたいと言うから、こうなる。もうそろそろ、これ以上治さない方が治る。
あとは、歴史や政治経済には、悪い人間が多い。右翼が多い。見るからに悪いやくざの右翼ばかり多い。政治経済なんかしなくて良い。誰もが、政治家になりたいからやる。
もっと、理系のことが知りたい。理系には普通の人間が多い。不思議と、理系をやっていると、そんなに普通ではないのに、「普通」になる人間が多い。それが、理系だ。
自分は、経済学者になれば良い。皆それが良いと言う。それなら、きちんと大人としてこの社会で生きられるように見える。難しくは無い。もうなっているように見える。
あとは、方法を知れば出来る。昔は、そういう、方法を考えて、出来るようになる知性で、1つ1つ分かっていた。認識の方法とは、そういうことを言っている。
人間は、方法を知るだけの生き物だ。
そして、世界構造の一部として、方法を考えていた。人間は、全て、ほとんどのことは方法を覚えるだけで出来る。ほとんどの努力は方法であり、数学すら方法だが、一割ぐらい、閃きと悟りの部分がある。だが、自分の場合、ほとんどの部分を閃きで書いている。
そういう、「直観」のような考え方が出来る。昔は、そういう、理性的観念と真理的行動をいつも書いていた。そういう、本質から直観出来る、とか言ったことを言う。
今日は、理性の日になった。理性には、もっと良く考えると、深層の下層レイヤーがある。レイヤーとフィルターから、この世界を本当に知ることが出来る。それは、カントの言う、「仮象」や「様相」のようなものに近い。
自分は、もっと賢くなりたい。それこそ、哲学はそんなにしなくて良い。ネットも要らない。何か、大きなことをすれば良い。それこそ、ネットも哲学も賢くない。だが、この世界に居る人間たちは、馬鹿では無い。皆賢いし、何も変わらない。見ていると、哲学者なんか、どれも同じだ。誰もが同じように考えて、同じように生きている。そこから色んなことが分かる。それこそ哲学はデカルトやカントで誰でも出来る。「自己」を良く考えて、理性批判すれば良い。それが、そのままヘーゲルのようになる。それは、本当に多い。
本当に、「全てを自由にする世界構造の創造と知性」が多かった。そういう文章だった。
今日も辛いが、仕方ない。この文章を本当に書きたくなる。ただ、そんなに完璧なものは目指さない方が良い。思いついたことを全部書いているが、そのせいで、何も出来なくなっている。何もしていないだけだ。もっと、自分を自由にして、統制せず、楽にした方が良い。自分の好きなようにして、楽に生きれば良い。そうすると、それが一番楽になって、賢くなる。神になりたいと、こういう、戦争みたいな人間になる。
人間の仮象と様相を考えること。カントではない。もっと正しい哲学を自分で作れば良い。
僕は、間違い探しが得意だ。新聞の間違い探しを、すぐに見つける。今すぐに見つけた。
世界の構造みたいなものを、いつも作っていた。
ドイツを都会で、ロシアを村だと思えば良い。ロシアには、シベリアの悲惨な原野の中の村しかない。村の集団だ。ひるがえして、アメリカは大都会だ。映画館などのテーマパーク的なものが多い。だが、ホームレスも多い。どちらも悪い。ドイツやフランスには、洒落た町並みが多い。カップルが手を繋いで歩いている。そういう発想がヨーロッパだ。そういうわけで、ロシアが悲惨だ。
もう、覚えていないが、昔は人生や体験のような、哲学的発想が多かった。
もっと、哲学を知れば分かる。そういうものが、自力で全て分かった。そういう、ブッダのような引き篭もりの高校生だった。もっと、当たり前に考えていると分かる。
スピノザとキルケゴールに近い。シェリングやフィヒテのようでもある。ヘーゲルやヒュームにも見える。そういう、哲学的発想が、明晰な構造から分かる人間だった。
それこそ、哲学的な人生体験の知恵を全部分かって、それだけで終わった。本当に、手に取るようにそういう知恵が分かっていた。
むしろ、分からない方が良い。それは、分からない方がまともな人間だ。
オープンソースもあったが、色んな人間を吸収して、その人間たちがそういうことを分かった。そして、人生と新世界の体験をして、実感と推論から分かっていた。そういう、体験と推論から哲学が分かる、人生と世界開拓の人間だった。
自分の前に道は無い。自分の後に道は出来る。恐怖は行動によって克服出来る。思考に先立つ経験をする。ソクラテス1000人分のような人間だった。そういうことを、きちんと正しく分かる、哲学者のような人間だった。ソクラテスと思えば良い。正しい認識は、自分の中から生まれる。昔から、ソクラテスになると、そういう風にきちんと分かる。
あとは、極右は止めた方が良い。一番悪い。父親も、極右が嫌いだ。最近、父親は、安倍と北朝鮮が嫌いなだけの馬鹿になっている。自分は、安倍はそんなに嫌いではないが、自分が見ても安倍と北朝鮮は悪い。右翼と左翼がどちらも悪く見えるのが父親だ。
もっと、ロックとヤスパースのようなソクラテスだと思えば良い。経験論をすれば分かるように見える。ロックとヒュームの巻の世界の名著をこの前買ったから、読んだ方が良い。原著だから難しいとは言うが、ロックとヒュームをやっていると、そこらへんの昔考えた内容が分かる。ソクラテスのように、また、ある意味フッサールのように、この世界と人生を関係の構造にして、この世界の哲学を全て分かっていた。哲学的な知恵が全部分かるだけではなく、自然科学や社会科学も作って、人生経験もある、宇宙の真理が全部分かった人間だった。経験的な方法から、人間の理由や世界モデルも分かっていた。
こういう馬鹿は、居ないように見えて多い。不思議と、普通は、これの通りになるのが、2ちゃんねるだ。こういう哲学者が多い。昔のドイツには、2ちゃんねるのような社交場や、大学が多いのだと思う。色んな人間と議論をしていると、こういう人間になる。古代ギリシャには、そのような酒場が多かった。それがアテネ(古代名はアテナイ)だ。
あとは、王になりたかった。世界を救う王になった。自分にしか出来ないと信じて、この世界を支配して、導いていた。長く苦しい戦いだったが、そろそろ終わりそうだ。
この世界を支配して、全てを実現可能にし、全てを解決する。
本当に、昔から自分はそういう王だ。オープンソースの王が、全世界の王に変わった。
そろそろ、もう、王を止める。神が見ても、それが良い。もう、全て書き残した。
KOKIAが言っているが、自分となら、何か残せるように見える。そういうKOKIAをいつも聴いている。そうすると、両想いには見えるが、それでは他の女に悪い。歌手とニートでは、釣り合わない。作家だから釣り合うとは言うが、それで結婚はしない。
それこそ、AAAもそういうことを言う。自分はアイドルの神だから、それで良い。神だから、誰も悪いとは言わない。あとは、宇多田ヒカルだって、君しか見えていないと言っている。自分が一番モテている。だが、そうでもない。キモイ、ニキビ顔の知的障害なのが、皆分かっていない。賢くてカッコいい人間だと思っている。そのままで良い。
アイドルの自分はどうでも良い。自分は、世界を救う、導く王だ。自分を信じると、この文章のような、まともな知性のある賢い人間になる。そういう、理想の人間像を作りたかったように見える。どうでも良い。世界を救うために、この世界を支配した。それは、神が見て、まだ終わっていない。まだ何もしていない。まだ始まったばかりだ。
もう終わりにしたいとは言うが、まだ早い。まだ何も治っていない。一度、この文章を書くのを止めて、それで支配すると良いだろう。そうすると、きちんと世界が治る。
あとは、神とは言うが、「だろう」調で自分に話しかけているだけで、自分に自分が話しているだけだ。ただの多重人格のような症状が出ているだけだ。そういうわけで、神なんか居ない。皆、神が自分に見える。こういう人間だから、これで良く見える。ユダヤ人も、自分のことを御業と言っている。だが、ユダヤ人は自分は嫌いだ。嫌いだから、姦淫を悪いことにした。自分はそういう馬鹿にしか見えない。
そうでもない。姦淫なんか、誰でも悪く見える。ユダヤ人と自分なら、自分の方が良い。ユダヤ人なんか、何も賢くない。自分の方が賢い。それで良く見える。
そういうわけで、自分はイスラエルの王だ。ただの日本の新しい作家だ。革命家には見えないが、革命家のような経験が多かった。それを王だと言っている。イスラエルとは、神と対話出来るのを言っている。新しい預言者だ。誰でも分かるのは、そんなものは神なわけがない。神は独裁者だ。独裁者が、きちんと全部自分に良くしているだけだ。昔から、キリストも好きだが、これも好きなのがドイツ人だ。何故か、ユダヤ人がこれが嫌いなのが、馬鹿に見えるだけだ。ユダヤ人は、弱くてキモイように見える。自分が嫌いになると、そういう、昔の自分になる。それすら自分のせいで決まっている。好きになると、こちらの勇敢な王になる。
何故か、昔の方がユダヤ人にしか見えない。今がドイツ人だ。ドイツ人は、本当にそこまでの馬鹿に見える。ユダヤ人は、まともで正常な人間が多い。ユダヤ人は賢い。
もう終わりだ。この世界を支配する、最後の王が自分だ。その王を、そろそろ止める。
あとは、宣言とは、この文章のことを言っている。
ドイツ人になりたいなら、これで良いからこうなる。その後に決めた、アジア人になりたいのも、取り消した方が良い。ドイツ人のままで、アジア人になっている。そういうところが、辛いのにこういう風になる。もっと、「取り消す」のを許した方が良い。
そういうわけで、インド人や中国人も終わった。アフリカの黒人にはなりたくない。
それこそ、ここまでがアジア人だ。
あとは、ドイツ人の女のイスラム教徒を止めて、インド人の何かの宗教の教徒ももう止めた方が良い。賢い人間になりたいなら、人種にしない方が良い。
スーパーヒーローも、天才科学者も止めた方が良い。そういう発想は、馬鹿だ。
もっと良いものになりたいなら、何か宣言すれば良い。それは、もう書かなくて良い。
昔は、これでインターネットをしていただけの、子供だ。一体感が味わえるのが好きだった。共感を信じていた。コミュニティのようなものを作りたかった。オープンソースが好きだったのは、共有と創造性が友愛のように良く見えた。
こういう人間は、鳩山由紀夫みたいに多い。鳩山も、普通の良い人間だ。最近、色々とお騒がせ発言をしている。左翼と言うよりは、騙しているだけだが、そんなに悪い人間では無い。本当に、良い人間だ。2ちゃんねるが詐欺師と言っていたが、それらは馬鹿だ。
あとは、もう何も無い。最近は、戦争のような体験が多かっただけだ。誰でも、「生命の根源に到達する」と宣言する人間がこうなる。あまり居ない。哲学者には、こういう人間が多い。皆も宣言すれば良い。そうすると、すぐに出来る。すぐに終わるようで、いつまでも続くのが、この戦いだ。皆もすると良いだろう。これがプレアデス星人だ。
もう終わった。自分はただのクズだ。これでは、本当にジャップにしか見えない。
日本は、島国だから、国境と言う概念が希薄なのかもしれない。普通、どこの国も、戦争で勝って領土を獲得する。最近、日本は、平和ボケになっている。右翼にも、戦争の悲惨さと言う意識が少ない。もっと、平和国家になるべきなのに、分からない。国民がデモや暴動を起こすことも少ない。隣国に対する差別感情は、何故か低いのが日本人だ。
それらは、否定的な面でもあるが、肯定的な面もある。平和で、誰をもを自分の国民と同じように思いやる、「親切で優しい日本人の精神」が生まれた。治安の良い、和の島国魂、島国根性が生まれた。そういう、賢い日本人が多い。
外国人が見て、日本人は、むしろ、賢く見える。科学技術のレベルが高いし、経済的にも強いから、特に、外国の科学者や資本家からは、高く評価されているのが日本だ。
そういうものは、全て、国境という概念が少ない、島国の地形から来ているところがある。自分は、そう思う。ただ、国境だけの問題ではないのは分かる。鎖国をいつまでもして、アジアのために戦争して、自国のために経済発展するのは、「自立力」のようなものがある。他の国に頼らず、自国の国民の力で、一致団結して頑張る。日本人はそう言う点が賢い。
あとは、むしろ、まともな日本人になりたい。理系の賢い人間になりたい。ドイツ人より、もっとアジア人や黒人のような、「普通でない賢くて違う、独特な人種」になりたい。
日本人は、後先のことを考えず、賢明ではないところがある。明治維新は遅れて、江戸時代がいつまでも続いた。戦後は、ただのバブルだった。日本的会社経営は、今では民営化として、自由にばかり傾いて、コスト削減と競争の問題で、国を滅ぼしている。
だが、日本は、賢明なところも少なくない。明治維新は賢明だったし、太平洋戦争は、負けるとは言うが、強かった。アジア人による白人への反抗として、先駆的なところがあった。日本人は、愚かではない。武士のようなところはあるが、賢明で知性のある民族だ。
それこそ、日本は、基礎の土台が賢い。皆きちんと働いて、一致団結をする。白人には真似出来ない。中国人は、何も働いていない。日本人は本当に勤勉な民族だ。
あとは、僕は日本人は嫌いだ。好きだとは言うが、いつも嫌いだ。自分でも良く分からないが、何故かいつも嫌いだ。自分の国だから、好きな方が良いと思う。
普通と違う賢い人種になりたいなら、日本人で良い。そういう人種は、多く見えて、日本人ぐらいしか居ない。アジア人も黒人も、ドイツ人と何も変わらない。
日本人には、本当に賢くて普通な人間が多い。だが、今の日本人でなくて良い。今の日本人は馬鹿だ。昔の日本人が良い。明治の頃は、本当に賢い人間が多かった。それが良い。
あとは、これで経緯みたいなことを全部言っていた。人生の経緯を全部言う。結構賢かったのが、そういう、自分の中のニーチェだ。いつも、本当に賢かった。
だが、あれを賢かったと思うと、キモイ。本当に、キモイ人間だった。キモイ文章だ。
あとは、自分はもう終わりだ。日本人になって、そのままで黒人になる。それで、新しい経済学者になる。本当にそうなると思う。日本人と黒人は同じだ。日本語は、誰でも黒人の言語に見える。不思議と、島だと思うと、本当に同じに見える。
ドイツ人のムスリム(イスラム教徒のことをムスリムと言う)から、インド人の中国人が終わった。あとは日本人の黒人しか居ない。ロシア人やユダヤ人は間の時代に多かった。
今から、心理学者になる。いつも、その心理学者が好きだった。ここらへんから未来のことを言っている。それを神だと言っていたのが、いつもの自分だ。ただ、神ではない。神とは、昔のスターリンのような、ロシア人のことを言っている。あれは強かった。
あとは、人種や思想や学問で決めるのは、止めた方が良い。もっと、何かの賢い宣言をすれば良い。生命の根源とか、社会の長とか、そういうことを言えば良い。そうすると、偉大なことがしたい。もっと偉大なことを、いくらでもしたい。それが自分だ。
日本人の黒人になると、歌舞伎役者や舞妓さんのようなありえない民族になる。
あとは、分散した共同体を作るとか、科学を基礎から作って全ての専門を知るとか、ありえない左翼や科学者のような発想が多かった。昔から、左翼の科学者が自分だ。
ただ、僕はトランプは嫌いだ。サンダースが勝てば良いと思う。アメリカは、そろそろ社会主義をするべきだ。富を平等に分配するようになれば、良くなる。きちんと変わる。
アメリカは、最近、右のトランプと左のサンダースの、両極になっていると思う。それこそ、どちらかがアメリカを良い国に変えてくれる。皆は、それを期待している。
サンダースは日本を勤勉な国民だと、テレビで言っていた。良い大統領になるだろう。
足が治った。治る意味が無い、もう治らなくて良い、と思えば治る。もう治らない。
ロボットとは言うが、考えているだけだ。
高みへと昇って行けば分かる。自由な行動から考えれば良い。行動を、作用のようなものだと考えれば分かる。それ以上は、積み重ねて、言葉を作って、説明のモデルを作れば良い。客観視のようなものから分かる。そういう風にすると、昔の自分が出来る。
その人の立場に立って、視野を広げて、良く考えること。
アメリカ大統領選は、トランプが勝つと思う。ただ、あれも悪くは無い。ただの右翼だ。メキシコが嫌いなように見える。メキシコが悪い。
あとは、もっと人と人との関係性から、意味のようなものを考えれば良い。そうすると、論理的な思考が出来るようになる。それこそ、環境を考えれば良い。認識の確実性のようなことが、経験から分かって来る。視野を広げながら、全体を見て考えれば良い。
あとは、日本語の言葉の意味や影響力を考えていた。
日本人になると、昔の自分になる。何故か、幼稚園の頃の自分になる。それこそ、一番居ない人間になる。何故か、自分は昔から、そういう「居ない人間」だ。普通の人間には、こういう人間が多い。そういうわけで、日本人の居ない人間に戻る。
最近、良く寝ているから、そんなに寝なくて良い。それこそ、本当に昼間ぐらいまで寝ている。それが毎日続いている。おかしいから、もっと起きていた方が良い。
昔は知性があった。もっと、知性をつけた方が良い。知性をいくらでもつければ良い。ただ、要らない知性をそんなにつけるのはおかしい。自分は、それが分かっていない。昔から、基礎を作って、ありえないほど知性をつける。一番おかしいから、こういう風に狂う。
基盤から決まりを考えていた。ピアノは五線譜から鍵盤を弾くとか、電車は線路の上を走るとか、そういう、決まりや方法の関係のようなことを言う。
それで、想像力のようなことを言っていた。
自分は、このまま、進化する。足や歯が治る。二酸化炭素を吸うようになる。
肉体が無いものになるのか、人間で無いものになるのかは、分からない。
ただ、肉体が生まれる前には、この宇宙に存在したのが、僕の魂だ。そこから、もう一度、宇宙へと帰るだけだ。それもそれで、悪くは無い、天使の生命存在だ。