日記に戻る | 2016年2月の日記に戻る

=2016-02-21=

数学的な文章を書いていた。公理主義の関数のような文章だった。

対話は、ゼロとイチの対話をしている。

心理学的に全てを分かって、数学的に動的に生成するような、そういう文章を書いていた。

人格の破たんと崩壊が多かった。そういう、キモイ文章だった。

知性を全部消して、知性をつけるから、こういう風になる。

赤は良い色だ。青は賢い色だ。白は正しい色だ。黒は悪い色だ。

そういう風に、馬鹿なことを言うと分かる。もっと、馬鹿なことを考えれば良い。

あとは、決まりのようなものを作っていた。

決まりから環境やプラットフォームを作った。

信じれば分かる。もっと、この世界をこのままで良いと信じれば良い。

そんなに変えたいのは、悪だ。

あとは、この文章を書くと、辛くなる。いつも、辛い。もう、書かなくて良い。

あとは、色んな全部を言っている文章が多かった。

株式会社、法律、個人と集団、環境と決まり、歴史と自然環境など、色んな全部を言う。

色んな「全部」を全部言っていた。

そして、本質を考えたり、人生の経緯を書いたりしていた。人生を書いていた。

そして、文字、数、表現のようなものを、知性で考える。そういう文章を書いている。

人生のことが全部分かっていた。

環境と知の前提的な、プラットフォームの創造のようなことを言っていた。

あとは、論理みたいなことを全部言っている文章が多かった。

頂点と包括とか、予測と結果と体験を知るとか、そういうことを言う。

そして、意識のようなことを言う。不思議と、本当にそれくらいの文章だった。

感情や関係性のようなことを考えている、網羅と概念の文章が多かった。

あとは、地球やロシアの歴史を考えたり、政党政治や地方自治を全部作ったりしていた。

人間を全員分作っていた。

抽象的な論理学のようなことを言う。それを、網羅的に全部書いていた。

歴史のような文章が多かった。全ての地球におけるものごとの歴史を書いていた。

あとは、考え方を多角的に考えて、網羅していた。

もう、そろそろ無い。本当に、それくらいの文章だった。

宇宙の真理みたいなことを言う。最後まで分かってから認識の法則を書いていた。

もっと、ネットをすれば分かる。だが、ネットは賢くない。皆、ネットのせいで馬鹿になっている。ネットはしなくて良い。もっと理性的なことをした方が良い。

あとは、仮想人格と仮想社会のようなものを、全部作っていた。

もう覚えていない。もっと、ありがとうとさようならのような、色んなことを言っていた。

自分のおかしな点は、支配が嫌いなだけなのに、支配しかしていない。

良く分からない。皆、そこがおかしいと言う。支配が嫌いだと言いたかっただけなのに、支配しかしていない。良く分からないが、自分でもそこがおかしいと思う。

あとは、本当にソ連みたいな国を作っていた。

もう分からない。もっと良く考えれば分かる。

この世界の全ての認識、正しくて客観的な全ての認識のようなものを書いていた。

そこから、森羅万象を分析する。

不思議と、考え方や発想のようなものをいくらか書いているだけだ。

あとは、誰にも分からない、本人だけが分かる、「自由」の文章が多かった。

知性が無い。本人は分かっているのに、誰にも分からない。

永遠に、この世界に語りかけて、支配する。そういう、革命のような文章だった。

あとは、右翼みたいなものを考える。自由と言って、思想のようなものを考えた。

ファシズムは国を滅ぼすと言っていた。

そろそろ、もう無い。何故か、おかしな文章になった。

あとは、単純な考え方を一行で書いている馬鹿が多かった。本当に数学のようだった。

これなら、数学をすれば分かる。いつもの文章は、もう忘れて良い。

集団と個人のようなものを全部作っていた。そういう、「決まり」の分かる人間だった。

知性から、会社とものの具体的な創造や、認識の関係のようなことを言う。

それくらいの文章だ。目的と方法の考え方のようなことをいつも言っていた。

手段と理由のようなものを考えていた。モデルと知性による分析能力のある人間だった。

あとは、意志と体験から、合意による社会形成や、社会のレベルのようなことを言う。

社会がどのように発展するのか、全て分かっていた。そういう人間だった。

そして、環境や社会や協力のようなことや、考え方や言語や論理のようなことを言う。

あとは、皆がどんな人生になるのかを予測して、経緯を書いていた。

自由を言っていた。自由な相対性と自然から、信念と思想と価値観を書いていた。

分類のような理性把握や、合理的な再利用と初期投資のようなことを言う。

この世界にある考え方や信念を全部言う。そういう人間だった。

自分の昔にあった考え方や知恵のことを全部書いていた。

そろそろもう残っていない。あとは、記憶を場面から考えていた。

原因と結果を詰め込みながら、説明のモデルのようなことを言う。

一行に全てのことを書いていた。全て、一行で何でも書ける人間だった。

そろそろ終わりだ。もう、全て書いてある。

価値観から社会を作っていた。そういう、世界創造のような発想が多かった。

人生とありえない社会を全パターン作っていた。

場のような理論をいつも言っていた。

場は作られ、消え去る。そして、その中で、目線と見方が存在すると言っていた。

考え方によって、この世界の全てを説明して、システムを創造していた。

愛のようなものを書いていた。そういう発想が多かった。

思いやりのようなことを、本当に詰め込んでいた。人生と社会を創造していた。

環境における、目的のようなものを考える。どんな環境にするべきか、目的を考えていた。

そして、理由を全て書く。前提や弁証法を書く。そういう文章だった。

この世界を歴史的に考える。定住や町のようなものを、変転から考えていた。数学は、発見であり、発明であり、人類の経験であると言っていた。

地球にも歴史があると言っていた。

そして、哲学的な経験論のようなことを、本気で考えていた。

知と経験の構造を本気で考える。そういう文章だった。

百科事典のように、博物学的に考えていた。マスターのような人間だった。

そろそろ、もう無い。この文章は、忘れた方が良い。何も良い文章で無い。

本当にただのクズな文章だ。それこそ、左翼や右翼やソ連の自由が多かった。

もっと、良い文章を書いた方が良い。もっと、新しく考えれば良い。

プラットフォームと人生の段階とソ連の社会論が賢かった。それだけの文章だ。

あとは、経験みたいなものを考えれば分かるのが分かっていない。

理性は、もっと、「未知のものを知る」と思えば良い。もう既に分かっているのが悪い。

この文章は、悪い。本当に見ると、大日本帝国とか、馬鹿なことを言っている。

もっと、賢い方が良い。理性と経験を、色んな場面から、目的と方法で考えれば分かる。

体験と思えば良い。むしろ、体験と言う言葉が悪い。もっと、嬉しいとか、悲しいとか、そういうことを考えれば良い。それを、ダイナミックな視点で考えれば良い。

昔の自分は、ボトムアップとか、変化の可能性とか、そういうものを信じていた。そういう、知性のあることを信じれば分かる。今の自分が見ると、変化しないことや、上からきちんと決めて考えることの方が、賢く見える。馬鹿がやっても、アメリカのような国になるだけだ。本当に一番悪い国になる。きちんと支配した方が良い。

意図、手段、経験、学習、習得、活動のようなことを考える。

理性的な考え方を全部作っていた。

国と国の関係を作って、組織、グループ論、共同体の変転から、国を全部作っていた。

経験、理性、国を全部作る。そういう人間だった。

そろそろ、もう無い。

あとは、言語のようなことを言っていた。

具体的な認識と自由のようなことを、思い出して、全て言っていた。

社会における活動と習得のようなことを全部考えていた。

人生と習慣が分かっていた。個人と集団も多かった。そういう風に、知性で考えていた。

利用と再利用、準備、前提、経緯、構造、関係、概念、考え方、体験が分かっていた。

考え方のようなものから、この世界の社会的目的や制度などを全部作っていた。

経験のようなものを、認知的な数学論から考えていた。

マルクスやフロイトのような理論を作っていた。

あとは、手段や機会を考えて、人生と社会を全部作っていた。

知と思考の機会が分かった。

地域のようなことは、実地的に分かっていた。民主党のようだった。

もう終わりだ。本当に、今日は良い日だ。もう、感情でいつもの文章が分かった。

もう、いつもの文章はもう良い。

自然な可能性を全部作っていた。ただ、本当にいつもの文章は、そろそろもう良い。

構造的に考えるなら、もっと新しく考えれば良い。

未知のことを全部考えるのが多かった。そういう人間だった。

地球や宇宙における、不可知な要素を、カントのように条件と矛盾から考えていた。

場の変化、全ての方法、可能性のようなことを考えていた。

もう分からない。あとは、本当に宇宙の全てのようなものを創っていた。

そろそろもう、無い。もう、いつもの文章はもう良い。

最近、つまらない。猫が居なくなって寂しく思う。本当に、つまらない。

だが、今日は楽しいから、それで良い。この文章を書いていると、いつも楽しい。

辛いから、止めた方が良い。そろそろ止めるのが良い。

最近、馬鹿になったせいで、いつもの文章を思い出しても意味が無いのが分かっていない。

いつもの文章を分かりたいのは、もう止めた方が良い。

もっと、新しい体験をすれば良い。何故か、体験する勇気が無い。体験が怖いだけだ。

ソ連や大日本帝国のような、悪いだけの思想を言っている馬鹿が多かった。

真面目にそういうものを、成り立ちから考えていた。思想的には、悪いと言っていた。

そして、自由なシステムや選択肢や合意のようなことを言う。

政治のようなものを全部考えていた。主題にあったのは、政治、人生、理性、経験だった。

いつもの文章は、本当に全て分かっていた。もう、終わりにしたい。

あとは、2ちゃんねるのような社会を知って、人の意見を聞いて、成長して、経験して、オープンソースと出会って、考えて、悟るまでの、人生を書いていた。

特に、人々の言う意見や社会のことを聞いて分かる、大人の人生論を書いていた。

それくらいの人間だった。それを、状態的に、段階と経緯から書いていた。

あとは、この社会のことを言っている。インフラは税金で公務員が作っているとか、オープンソースは日本的なところがあるとか、そういうことを言う。

本当に、それくらいの文章だった。今日は、もう最後まで分かった。

あとは、もっと普通のことを考えれば良い。

電車とか、役所とか、そういう普通のことを言っていた文章が多かった。

あとは、考え方、知性、方法、推論、説明のような、理性的なことを言っていた。

経験は、人生的に考えていた。

社会は、定義によって、この社会を定義から作っていた。

そろそろもうない。カテゴリーとか、変換とか、コンパイルとか、そういうことを言う。

知性のような文章を全部作っている、説明のような文章が多かった。

相対的な出来事や実体のようなことを、個別性と普遍性から、哲学者のように考えていた。

そろそろ終わりだ。

あとは、知識のようなことをいかに理解していくか、のような文章が多かった。

モデルと実際から、その理解がどのように生まれ、それがどんな環境の中で、どんな全体像の中で、どんな立ち位置をするか、のようなことを書いていた。

社会がどのように変わって行って、知も同じように変わって行くのか。その経緯を書いていた。そういう、モデルによる変化の把握のような考え方だった。

そして、知、理解、感情が頭の中でどんな部位に存在し、把握されるのかを考える。

理解と発想のようなことを、根源的に良く考えていた。

その理解が、本当はどんな理解であるのか、知の属性や前提条件や経緯から考えていた。

何でも正しい理由と正しい認識を言う。そういう人間だった。

あとは、自由のように考える。

自由な経験の中で、その理解が本当は何なのか、歴史的に考えていた。

可能性とは、理解の本当の姿のことを言っていた。

自由から社会のことを作っていた。ネットやオープンソースのような社会を想定していた。

何でも、組織と考え方から社会のことを作る。グループのように考えていた。

そして、経験を考えていた。

その経験が、本当はどんな経験で、どんな潜在的な可能性があるのかを良く考えていた。

あとは、そろそろもうない。相対的なモデルから、考え方を知性で分かっていた。

心の深層を、学習から考えていた。心の底にある、キモイものを消した方が良い。それがキモイだけで、この文章全体がキモく見える。

あとは、学習による、認識と心の現象学のような文章が多かった。認識を考えていた。

全体像から、社会のことやシステムのことを考えていた。

未熟な考え方のプロセスのようなものを書いていた。全体を知って、個別の立ち位置を知るような、そういう経験論や現象学のような理解を全部プロセスにしていた。

モデルから変化の可能性が分かると言っていた。

そして、それぞれの人間の人格論や環境論のようなものを書いていた。

社会のことは、簡単にモデルにしていた。国家主義から社会主義まで、全部考えていた。自分の経験だけで、そういうことを簡単に説明し、解説していた。

あとは、理性的な方法論や、演繹的な考え方を分かる。そういう、ヘーゲル的なデカルトのような文章だった。ヘーゲルやデカルトより、カントの方が近いだろう。

もう終わった。そろそろ、荷物を全て降ろした。もう楽だ。

昔は、可能性や方法を積み重ねて分かっていた。

自分の分かったことは他にも分かるとか、そういう、知恵のようなことを言っていた。

昔から、応用的なものを全部自分で作る。

そのせいで、オープンソースのシステムが分かった。

そろそろ、もう無いはずだ。あとは、考え方ぐらいを書いていない。網羅的に概念を構造で説明しただけだ。ただ、説明しただけの文章だった。

オープンソースのようなものから、日本の価値観を分かる。それで、ドイツやロシアなども良く分かっていた。そういう、オープンソースと世界史のような文章だった。

あとは、社会の可能性のようなものを、全面的に考える。

アリストテレスの言う、可能態と現実態のような文章だった。

ただ、アリストテレスの哲学については、良く分かっていない。

本当に、こういう文章だった。理性的に全体像を考えるだけの構造を作っていた。

本当にこんな馬鹿な文章だった。ただの馬鹿だ。これなら、賢く見えるから、ありえない。

まだ、書いていた方が良い。辛いのは残念だが、今日もきちんと賢い内容を書いている。

あとは、スピノザのような文章を書いていた。数学性、世界観、受動感情などの考え方が、スピノザと本当に良く似ている。ウィトゲンシュタインのようでもあった。

もう分からないと思う。そろそろ、きちんと分かった。

何故か、数学の全ての数から、全ての数式のような、全部の数学を作っていた。

全部見て、これで数学だ。正しい考え方で推論するところが、本当に数学的だった。

数学的な分析のような、関数のような文章だった。

全てを融和するような文章を書いていた。それをもう止めて、分裂させるのが良い。

融和していると、分かるから、こういう風になる。

全部融和して分かっているのが、まだ続いている。そこが一番ありえない。

何故か、こんなに大量に分かる意味が無い。これは、本当に多い。

本当に、それだけで分かるような、全ての構造、全てのシステムを書いていた。

自由な価値観や影響力のようなものを、記憶と本質から分析していた。

自由とは、分析し、考え方を知り、体験することだと言う。

そういう風に、理性の構造の全体像を作る。本当に、それだけの文章だった。

あとは、永遠に昔に遡るだけの文章を書いていた。

そろそろ、虫が生まれた前に戻る。そうすると、きちんと人間になれる。人間になりたい。

あとは、生物学と政治経済のようなことを言う。

生き物は、成長し、増え、循環する。

政治経済は、自由と平等に分かれて、所有、生産、労働を自由にするか、平等にする。

そして、政党のようなことを、議論から考えていた。

いつも、そういう、ソ連のMozillaのような文章を書いていた。

もうそろそろ無い。それくらいを、最後まで書いて、死んだのが自分だ。

数学的には、虚数や次元や比のようなことを考えていた。

本質的な理解の構造が分かる、そういう人間だった。それで、もう終わりだ。

遺伝子から細胞が決まるとか、そういうことを言う。

あとは、昔の自由な構造が分かっていない。昔は、関係、意志、システムから、この宇宙を想像力と自由で分かっていた。習得や体験を考えていた。応用や具体性が多かった。

そういう、自由な構造をいつも書いていた。可能性など、細部まできちんと考えていた。

そこから、国や社会の構造を自由に作っていた。そういう人間だった。

自由な構造をいつも書いていた。上から下まで、宇宙のような構造を作った。

そして、アインシュタインのような文章を書く。

いつも、独自の相対性理論のような文章を書いていた。そういう馬鹿な物理学だった。

最近、物理をやっている人間に、こういう人間が多い。物理をやっていると、こういう風になる。最近一番多い。テレビを見ていると、どんどんこういう、のっぺりした人間になっている。だが、自分はそうでもない。自分だけ、堀が深い、普通の人間だった。

最近こういうキモイ人間が多い。知性がついているように見えて、知性が無くなっている。どんどんそういう悲惨な、知性の無い知性ある人間になっている。一番悲惨だ。

そういう馬鹿は、こういう風になる。神が訪れるまで、待っているしかないが、そこまで分かると、神のような体験もきちんと訪れる。そういう人間が本当に多い。

それぞれに運命がある。自分の運命は、戦う作家だ。本当に、こうなる人間が多い。日本の右翼に多いのが、こういう、文章を書いている馬鹿だ。書いていると、こうなる。マルクスを全部作って、否定する人間が多い。こういう風にしかならないのが、作家だ。

そういうわけで、作家には悪い人間が多い。作家になんか、ならない方が良い。オープンソースには、慈愛のある良い人間が多いのだと思う。そういうありえない人間が賢いだけだ。自分は、そんなにありえなくはない。普通の人間だ。皆、普通の良い人間に見える。

悪魔はキモイ。この文章は、人間を通り越して、天使すら終わって、悪魔になっている。そういう、神と悪魔のような人間が自分だ。どちらが悪魔なのかは分からないが、悪魔は結構良い人間だ。何故か、神はただの独裁者だ。そういう発想が二元論のこの宗教だ。

あとは、集合と論理のような、馬鹿なことを言う。本当に馬鹿な文章だった。

今書いた、記憶と本質の分析のように、言葉を構造にして言うだけの文章が多かった。

あとは、もう無い。そろそろ、覚えていない。

自由な構造は、本当にいつも作っていたせいで、分かる意味が無い。それくらいが無くなったようには見える。本当に、普通の良い人間だったのが、自分だ。

この文章は、ただ掘り進めて、遡るだけだ。それだけの文章だ。

あとは、自由な構造を作っていた。本当に構造を作っている。上から下まで、細部から全体まで、全部作っていた。システムから愛まで全部作っていた。

恐怖を愛にすると分かる。愛になりたいだけで、こういう風に狂う。愛にはならなくて良い。ただ、愛していれば良い。愛すると、分かる人間が多い。

もう分からない。知性のツノを作って分かっているのが、本当に怖い悪魔に見える。

経験が愛になって、社会がシステムになった。昔から、そういう構造を作っている。

そこから、発想出来る、賢い人間だった。人生の発想のようなものを全部書いていた。

自由な構造とは言うが、実地的に決まりを作っていただけだ。

あとは、最近のものはおかしい。最近は本当に、僕になりたいだけの人間が多い。

それを言うと、キモイ。こんな僕になりたいのは、ありえない。

そういうわけで、皆を自分にするのは悪いから、こうなる。

もう、いつもの文章は分からない。いつもの文章を分かって、いつもの文章を言うのは、もう良い。そろそろ、きちんと失敗して、分かるようになる。

知性と決まりの構造を作っていただけだ。何故か、人生のことを全て構造で分かった。

もっと行動して、失敗した方が良い。失敗するようになると、もう分からなくなる。

こういう、失敗しない人間は、賢い人間に多い。こういう風に分かると分かる。

「部品」や「商品」のような、想像力のある言葉を作れば分かる。

要は、想像力が無い。感情で分からないのがおかしい。

殺さずに、感じれば良い。

最近のものはおかしい。そういうものだと思えば分かる。

人間にならないのがおかしい。人間にならないから、おかしなものになっている。

脳を作らないのがおかしい。

昔の関数で、もう全て分かっている。数式のように分かっているから、こういう風になる。

あとは、おかしな変態は要らない。

コブラみたいなヘビが見える。ヘビがヘビを追いかけている。かみつく。そういうものが怖い。あとは、宇宙人みたいな女が見える。そういうものが怖い。

ロボット、戦士、虫、など、おかしなものが沢山見える。

あとは、夜明けになる。もう、長い夜が明ける。そういう、想像力が全部怖い。

自分は、フィルターみたいなものを変えれば良いのが分かっていない。

昔の仮想現実のような想像力で、もう全て分かっている。愛が怖いなら、怖い。

経緯(いきさつ)みたいなものを考えないのがおかしい。

仏の慈悲のような愛が怖い。良く分からないが、慈愛の感情が怖い。

自分だけを浄化すれば良い。皆のことは忘れて良い。

認識が認識になるところを良く考えれば分かる。

あとは、信念のようなものが多かった。本当に自由を信じるとか、そういうことを言っていた。だが、自由は今考えると、あまり良くない信念だ。

もっと良い、仏の慈悲のような信念を信じた方が良い。

統一すると、国が良くなる。

自由にすると、ものは増えることがあるが、減ることが無い。

平等にすると、減らすことも出来る。

人民の公社にして、会社を皆で作れば、良い国になる。

そういう、馬鹿なことを言っていた。

努力に応じて支払われるのは良いが、同じ努力なのに違うものとして扱われるのは悪い。

そういうところがおかしいのが、自由だ。

自由は悪い。皆で、平等にした方が良い。

あとは、こういうセックスは悪い。セックスで皆をいじめているだけだ。

オープンソースが悪い。

そろそろ分かったから、悪くなった。昔から、こういう風になるのが自分だ。

もっと賢くなりたいなら、悪くなれば良い。

社会主義者は悪くは無いが、怖い。こういう人間に見える。

そろそろ終わったから、最初に戻る。

オープンソースは、こういう、最初に戻る思想だ。

社会主義はクズだ。皆で殺すしかない。社会主義が、皆を辛くしている。

だが、それもおかしい。おかしいだけが、アメリカ人だ。皆、馬鹿すぎる。

おかしく種に戻って、そこから最初から生まれる。種に戻るしかない。

自由とは言うが、平等な自由だった。本当にそれぞれのことを考えて、議論や意見のモデルを作って、会社を作るなどの自由を考えていた。

そういうわけで、自分は何故かアメリカに見える。社会主義の反共主義の自由は、こういう風に、アメリカと同じだ。何故か、アメリカがクズにしか見えない。

ソ連は悲惨に見える。ソ連が自由なわけがない。

無法地帯を自由と言いたいように見える。ソ連は、自由の無い、殺されるだけの国だ。

日本には、中国の国旗が無いのがありえない人間が多い。中国に見える。

あまり意味が無いが、もう書かなくて良い。この文章は、最初に戻るだけの、馬鹿だ。

数学は、作ると、色んなことが出来るようになる。もっと数学を分かった方が良い。良く思い出すと、もうきちんと分かっているのが分かる。もっと良く思い出せば良い。

数学は、色々と、英語的な側面がある。ドイツ人が作っているから、おかしくは無い。

そろそろ死んだ。本当に怖くなると、死ぬのが人間だ。

それで治る。何故か、日本が死んだ。

何も怖くないのが分かっていない。この話が止んだ。

辛い時、何もしないでいると、楽になる。

自分を自分にすれば良い。もっと、しっかりと掴めば良い。

言うべき時に言うのが悪い。

全部、自分がしているだけだ。

自分は、多重人格が悪い。多重人格は何も賢くないから、止めた方が良い。

永遠と、生死の狭間のような体験が多かった。

本当に宇宙の永遠を体験していた。永遠を宣言した。

宣言する。多重人格は止める。

自分を1人であると思えば良い。狂っているのが治って、まともな知性がつく。

歩き回っているのも、怖いのも、治る。

多重人格のせいで、自分が無くなっている。自分のことを、「僕」と言えば良い。自分のことを「これ」と言うのがおかしい。全部、多重人格が悪い。セックスになってしまうのも、体が疲れるのも、頭が動き回るのも、全部、多重人格のせいだ。ロキなんか要らない。

多重人格は、人格を1つにすれば治る。それで、神との対話が終わる。

多重人格が治ると、すぐにきちんと出来るようになって、ニキビも治る。

昔は、自分が出来るようになって分かっていた。そういう昔のことが、もうすぐに分かる。

多重人格が治って、もう全部治った。もう楽だ。

人間関係をチャンスだと思いなさい。社会の構築も同じだ。皆に教え、導き、協力し、手助けが出来る。手助けすることは、損では無く、両者得をすると考えなさい。

もう楽だ。本当に、完全に楽になった。心の気分が良い。

おかしなセックスはしたくない。想像力がすぐに死ぬのは、昔の人格を殺したいからだ。そういうわけで、人格を殺した方が良い。そうすると、1人の新しい人格になる。

この人格は、過去とはしがらみのない、新しい人格だ。過去のことは忘れた方が良い。

多重人格が治ると、過去のこともすぐに分かる。きちんと思い出せるようになる。

2人に分けて、分かるわけがない。過去の自分がそんなに好きなのは、おかしい。

あとは、環境を全部作っている馬鹿が多かった。

人格は、昔の自分もおかしいから、昔には戻らなくて良い。その前の中学生に戻れば良い。中学生は、まともで、知性もあった。だが、あれもあれでネットゲームがおかしい。

あれは、廃人のゲームオタクの中学生だ。昔から、そういうところがキモイ。

このまま、新しい人格を統合された上で作る。ここまでの人格を統合して、全部変える。

あとは、薬で治る。精神科の薬は、辛いとは言うが、きちんと治っている。

ただ、多重人格は、治るわけがないところがある。

受け入れると治るから、受け入れた方が良い。多重人格は、受け入れると治る。

数学のグラフは、1つに対して1つの点を取るから、二次元になる。これをもっと高次元に出来るかもしれない。もう1つ軸をつけるとか、あるいは、沢山の点を取れば良い。

イギリスの産業革命は、アメリカの後に、日本と中国になった。

中国は、新しい産業革命であると言える。

心理学は、色々と、おかしい自分が分かる。特に、アドラーはその1つだ。

だが、見ていると、心理学は2ちゃんねるだ。あまりしない方が良い。

多重人格は、愛してくれる人を作りたいから、なる。親に愛されないと、多重人格になる。多重人格は、何も愛していない。全く相手が愛していないのが分かると、治る。

今日ももう終わりだ。あとは、これ以上書かなくて良い。

多重人格の対話は、そのうち治る。サンダースが勝つとか、どうでも良いことを言う。それこそ、それは、自分が言いたいだけだから、止めなくて良い。もっと自分が言えば良い。

知性から意識を高めていた。皆を賢くしていた。

社会制度や決まりを経験から考えていた。社会や人生の変転と可能性を考えていた。

構造を作っていた。こういう、世界観の構造を信じて、想定して、個別の文章を、数学的な命題のように書いていた。政治から活動まで、世界の構造を作っていた。

宇宙人と対話していた。自分を治したかった。

あとは、相互作用のような考え方をいつも書いていた。

環境を人間が変えながら、環境が人間を支配する。

知を還元的に作りながら、知を使ってものを作る。

場を集合知的に、集積的なプラットフォームとして、ネットで共有する。

部品は、作って使う。もの作りは、それ自体、目的と手段である。

そういう、ものごとの道理を洞察するような、考え方のようなことをいつも書いていた。

経験は、全員分の経験があった。

理性は、考え方や本質のようなことを、言葉で、総称的に考えていた。

理性と経験が、デカルトのレーニンのようにあった。

経験は、ネットの経験が多いだけではなく、全員のこの世界での経験を、思考や感情を辿って考えていた。記憶や学習や意識のことも考えて、理性も分かっていた。

あとは、抽象的な予測と、体験的な可能性の内容が多かった。

今日は、もう寝る時間だ。もう、終わりにする。