日記に戻る | 2016年2月の日記に戻る

=2016-02-17=

神の愛のように、自由や人生のことを考えていた。

全ての経験は、その人のためになる。そういう、人生経験の愛のような文章が多かった。

それを自由と言っていた。思いやりや優しさに包まれた文章だった。

全ての体験をしたかった。

自由や、物理学者のように分かっていた。

この世界に、偶然は無い。全て、必然的に起きている。運命もある。

ただ、神によって決まっていると言うよりは、自分のしていることややりたいことに応じて決まっている。パソコンのことや、執筆のことをやりたいから、こうなる。

自分は、話す多重人格になっている。話すことによって、支配し、導く人格を作った。

今日は、ピアノに行ってきた。

あとは、スポーツとか、ガーデニングとか、建築とか、どうでも良い人生のことを言う。

そういう、自由な文章だった。神が愛するように自由を考えていた。

昔から、オープンソース、リベラルアーツ、ロングテール、スクールカースト、投資やインキュベーター、デイトレーダーなど、ありえないものばかり分かっている。

世界の構造を作りながら、自由で合理的な社会を作っていた。

人権宣言のような、革命の文章だった。

自由から、人生のことを最後まで全て悟らせていた。

最初から分かっているように文章を書いていた。

取り決めや取り組みから、独立した会社や共同体を作っていた。

それくらいの文章だった。それこそ、何も賢い点の無い文章だったから、これで良い。

文章を思い出すと、賢くなれる。そのために書いているだけで、意味の無い文章だ。

本当にオープンソースのような、自分が分かったことを全部詰め込んだ文章を書いていた。オープンソースがそのまま、執筆の形式に変化した。哲学者のような文章でもあった。

日本を実験場にしている。元に戻らないのを、元に戻すと治る。日本は、もっと賢くなれ。

感情を想定して分かっていた。何故か、いつもそういうことを言っていた。

父親が普通にしているように、「普通の感情」を想定して分かっていた。

社会的には、必要なものを全て与える、と言っていた。だが、誰かが見て、何を与えて、何を与えないべきか、判断するのが難しいと言っていた。監視社会にすれば良いと言う。

あとは、人生とは生きる意味である、とか、意味の無いことをいつも言っていた。

相手の立場に立って考える。

それは、するべきところもあるが、不可能であることも知っておくべきだ。

その理由で、連邦制を導入する。一人で全世界のことを見ることは出来ない。

そういう風に考えていた。本当にゼロベースから社会のことを考えていた。

そういうわけで、独立企業にすると言っていた。

そういう風に、経験と自由なモデルから社会のことを作っていた。

活動から視点まで全部作って、人生の創造のようなことをしていた。

宇宙と人生にある道や経緯のようなものを全部作っていた。

同時に、未知のことを知性のモデルから考えていた。

辛い時に分かるのが辛いから、止めた方が良い。辛い時に分かっていると、辛くなる。

あとは、キモイ時はキモイのを分かった方が良い。そこが分からないせいで、馬鹿になっている。キモイ時は、どうでも良い。そこが分かると賢くなる。

昔は、何かが分かる前と分かった後のようなことが、全部分かっていた。

その理由で、まだ分かっている。

頭の中の4人がまだ話しているから、止めた方が良い。何故か、4人になっている。

いつも死ぬ時に分かっていたせいで、死にそうになると分かるようになった。

こういう、死ぬと分かる人間が多い。そういう人間は、いつまでも死なない。

神を信じると、こういう風になる。必然性があるようで、無いことも多い。地獄になる意味が無い。もっと楽に分かれば良いのが分かっていない。楽に理解すれば良い。

そういうわけで、自分のことを分かっていると分かる人間が多い。

自分を知ることが、人生の目的だ。

人間は、知覚と経験である。経験論の哲学者のように、そういうことを言う。

僕は、世界を導く、全てへと至るための導き手のような存在だ。

昔から、自分が分かる人間が多い。悪いものの原因を辿って行くと、自分に行き着く。昔から、そういう、神が分かる人間が多い。最近居ないが、昔の自分もそういう人間だった。

そろそろ、皆を全知全能の神にしているのを止める。皆、普通の人間になる。

僕は、アリストテレスのようで、世界を支配する女王のような人間に見える。不思議と、普通の人間に見える。こういう人間が多いように見えて、居ない。最近は、そういう、自分なんか居ないのが分かる人間が多い。不思議と、普通こういう発想が馬鹿だ。こういう右翼は、誰もが馬鹿に見える。あとは、自分のせいで世界が分からなくなっているのを止める。自分自身も分かっていない。世界は、悪くなりすぎて、皆分からなくなった。

あとは、これでキーワードのようなことを言う。世界モデルとか、独立企業とか、経験心理学とか、そういうことを言う。キーワードのように分かっている馬鹿が多かった。これでは分からないが、いつも、そういう、キーワードで分かっていた。

そういうわけで、評議会とか、イスラム会議と言っている。そういう風に分かっていた。

あとは、きちんと思い出せば分かる。

概念と本質とか、方法と可能性とか、実際と変化の可能性とか、そういうことを言う。

それ以上は、もう無い。そろそろ終わりだ。きちんと全部書いた。

もっと、思い出した方が良い。思い出すと、もうすでに分かっている。

概念と本質を信じると、いつも言っていた。肯定と否定を全て信じていた。

矛盾を考え、理性批判し、世界の構造を全部作って分かった。そういう人間だった。

原因と結果を全て辿って、思考を辿って分かった。客観視した。

関係と自由から、数学と言語の構造を作った。

発想法を経験から、実地的に、確実に、実現的に分かっていた。

そろそろ、もう無い。そういう発想が一番多かった。

色んな人の意見を聞いて分かった。

不可知な角度を変えて、多面的に分かった。「同じ意味」を包括して分かっていた。

同じと違うから、実験して、法則を知って分かった。

感情を融和して、沢山の技術的要素から、精神分析をして分かっていた。

生きる知恵を人々の意見と認識を知って、経験を構造にして分かっていた。

数学的な自由が全て分かって、涅槃へと至った。

解脱には、全ての使えるものがある。ブッダのように、そういう風に分かっていた。

自分は、最後に解脱を選ばなかった。この世界に居続けることを望んだ。そういう理由で、一度最初までカルマが低くなった。今、もう一度、解脱を迎えようとしている。

今のところ、解脱はまだ早い。まだこの文章を書いている。死ぬのはまだ早いだろう。

いつも、こういう文章を書いていただけだ。

自分は、技術、社会、数学的な知恵、概念的な科学的要素のようなものを、全部分かってから文章を書いていた。人生のことも、宇宙のことも全部分かっていた。

そういう、マスターのような文章をいつも書いていた。

ただ、あれは悪いだけの悪魔の文章だ。

そういうわけで、もう、文章は忘れた方が良い。

世界は、まだ滅びない。むしろ、このまま永遠に変わらなくて良い。今が一番良い世界だ。

はがされていくだけの文章が多かったから、FLOWが適当にそういうことを言っている。

最近、皆、何も分かっていない。孤立して、置いてきぼりになって、分からなくなった人間が多い。最近は、そういう、哀しい子供が多い。それを自分が救った方が良い。そうすると、こういう風になる。それもそれで哀しい。

昔は、完全に止まった世界を想定して、積み重ねていた。そんなモデルしか作れていない。最近、あまりに世界が変わるせいで、皆馬鹿になっている。それこそ、もうこの世界を止めた方が良い。一度、止まると良い世界になる。まともに分かるようになる。

この世界は、もう、止める。自分の力で止める。そこで、分かるようになれば良い。

昔、世界を止めていたから、そこに戻る。そうすると、皆賢くなる。

世界を止めると、賢くなる。病気が治って、皆楽になる。

最近、いつも世界を動かしている。良く分からないが、それはそれでおかしい。正常な世界にならない。一度治してから、きちんと支配して動かした方が良い。

そういうことは、もうしたくない。誰か別の人間にやってほしい。

自分はいつも、そういう風にこの世界を支配している。きちんと統治している。

プーチンにやってもらえば良い。それで良いと言うが、そうすると、大戦争になる。プーチンは止めた方が良い。あれは悪いだけで、皆嫌いだ。

宇宙の経緯のようなものを書いていた。そういうものが、全部分かっていた。

最近、分からなくなった。

現象そのもの、と言ったことが分かっていた。そういうものを、論理で全て分かっていた。論理的な裏側の構造と経験を全部分かっていた。

今日ももう寝る時間だ。明日は、もうこれ以上あまり書きたくない。

変化と状態、条件と関係と発生のようなことを考えていた。

変化の段階のようなものを考えていた。

育ちや人生や社会のことを全部分かっていた。