日記に戻る | 2016年2月の日記に戻る

=2016-02-04=

コマンドは、UNIXやPHPがやっているように、環境中心的にして、環境的に振り分けるようにすると、賢い。

時間や空間は、環境的に考えられる。三次元の現象は、環境的に捉えることが出来る。

パソコンなんか、振り分けるだけだ。もっと、そこを改善すると、OSを改良出来る。

環境的に捉えると言うよりは、縦横無尽に、色んな角度から考える、などと言える。

生命は、個別の生物機械の、全体での融和であり、システムである。

もっと分析的に考えれば良い。そういう風に書いていただけだ。

個別化と集団と言う発想が多かった。あとは、構造的で関係的な変化を分かっていた。

あとは、方法と概念を考えれば良い。生み出す、作り出すと言う発想から、自立的に生み出される、自らを構築する、と言う発想が分かる。いつも、そういう考え方を書いていた。

モデルから分かっていると、社会や自然のことが気づきと意味と論理から分かる。

生命は、人間には作れない、高度なシステムだ。

生命は、皆兄弟だ。人間と同じだ。

もっと、モデルから考え方を分かれば良い。環境のことを個別化と全体から分かる。

社会は、もっと、かわりばんこにするのを、高度化するようにすれば良い。

本来の社会は、共産主義社会では無く、もっと賢い、宇宙人のようなものになるべきだ。

普通のことを信じずに、疑って分かると分かる。

常識、純粋な経験、純粋理性は、間違っている。

本当に確かなこと以外、信じない方が良い。

自分の経験を信じずに、思い込みを排して、疑って考える。そこから、真実が分かる。

具体的には分からない。もっと、形式的に疑うことを覚えた方が良い。

植物も生まれ変わる。そういうものは、モデルにすると分かる。

認識するのが怖いだけだ。見て見ないフリをするのはおかしい。

パブリックなことと、プライベートなことは、分けて考えるべきだ。

まともな人間には、分からない。

単純な経験を、もっと確かな経験から分かる。もっと根源的な経験から分かれば良い。

神は、正しいことを言っているつもりだ。正しくないし、神なわけがない。

全部、正しいことを言っていると思っている。

あとは、昔は、大切なものを守って分かっていた。そういう風に、悪い人間を否定すれば分かる。こういう、信じる人間はおかしい。疑う人間になった方が良い。

神を信じるのが一番馬鹿なのが分かっていない。神は自分を馬鹿にしているだけだ。

皆のことは、治さない方が良い。治して昔にするせいで、皆あまりに辛くなっている。自分のことも、治さない方が良い。治すと言う発想がおかしい。治すせいで馬鹿になった。

パソコンは、オープンソースやHTMLのように、半強制的に、だが、同時に、自由かつ自然に、公開し、共有するようにすれば良い。

強制的、とは言うが、自由だ。昔は、そういう、自由なままで強制的に共有し、公開する、と言う発想が多かった。それを、環境と基盤と秩序で分かっていた。

もっと、環境を作り出す、と思えば良い。昔は、そういう発想が多かった。

あとは、地上の歴史を考えたり、回想したりして、人間の自然な発展を分かっていた。

自由が好きだったのは、皆を自由にしながら、秩序ある基盤を作るのが好きだった。

経験は、何でも自分のためになると思っていた。そういうことをいつも言っていた。

皆、辛くなって、つまらなくなっている。旅行なんか、楽しいわけがない。最近、旅行が楽しい人間は、居ない。自分のせいでもあるが、パソコンのせいだ。

一度、世界を馬鹿にした方が良い。この世界が馬鹿になると、楽になる。楽しくなる。

皆を、馬鹿にする。昔から、そういう馬鹿が自分だ。それで、楽しい世界に治る。

馬鹿は、楽だ。馬鹿になると、最初に戻って、楽になる。それで賢くなる。

昔は、馬鹿になって、馬鹿を全部分かりながら考えていた。それが一番賢い。

もっと、楽になれば良い。馬鹿にはならなくて良い。馬鹿になりながら、自分の力で楽になれば良い。昔は楽しかったし、楽だった。それは、馬鹿だったからだ。

最近は、テレビとネットが悪い。皆おかしく馬鹿になっている。怖いものが多い。

あとは、昔から、そういうものを分かって、その通り感覚で思い出して分かる。それは、分かっても分かっていないだけだ。そういう、「そのまま分かる」ことが多かった。

昔は、環境を支配して分かっていた。今、環境がおかしくなっているから、変えた方が良い。環境は、クソみたいになっている。一度、浄化した方が良い。

環境は、もっと、他者のことを思いやれば良い。

環境は、自分から自立して、独立し、離脱し、それぞれの意志と判断で決めれば良い。

自由に経験するのは良いが、それはもう止めた方が良い。皆、支配者になった方が良い。

昔は、理性的に分かる力があった。方法的に分かる方法や、理性的な世界観、相互作用と本質の対応関係のようなことを言う。構造と関係、構成員と個別性と集合を考えていた。

方法的に考えていた。思い出して、次元を変えて、批判的に分かっていた。

理由のことを良く分析したりして、心理学のように分かっていた。精神分析をしていた。

ネットの体験から、数学的に考える力がついた。会話を良く聞いて、理性的に経験を考えていた。人間は、環境によって違うが、そんなに違わない。誰もが同じだ。

ただ、違う世界で生きているから、違うだけだ。昔は、そういうところが分かっていた。

経験と環境の意識から、人間がどのような人間になるか考えていた。経験を辿って、可能性と思考を辿って考えていた。誰もが同じだと言う仮定が賢かった。

昔の時代を考えたり、環境から意志の伝達を考えたり、協力を仮定して、可能性を高めて分かったりしていた。人間がどのように意志を伝達するか、そこでの環境と経験を考えた。

今日は、英会話教室があるが、あまり行きたくない。不思議と、金を沢山払ったから、行くしかない。止めるわけにいかない。辛い。本当に、英会話教室になんか行きたくない。英語なんか、出来るわけがない。だが、それは誰にも言わない。普通に行く。仕方ない。

ただ、ピアノにも行きたくないところがあるが、そうすると、意味の無い狂った人間になる。何もしていないと、狂うのが人間だ。ただ、何もしないのが一番楽だ。

物理的な、質量、力、重力などは、感覚と直観から分かる。社会のことや人間のことも、同様に、直観から分かる。昔はそういう人間だった。直観から裏の構造を分かった。

つまらないのが英会話教室だ。学校は、悪いから、行かない方が良い。普通、試験を頑張ったりしない。生徒なんか、何もしないだけで、学校は悪い、しか居ない。学校は悪い。

昔は、歴史的、社会的、構造的、共生的な、問題の解決のようなことを考えていた。

認識から、心の問題を考えて、治すことが出来る。認識を考えていると、どんな学習が悪いのか、それはどんな経験から生まれているのかが分かる。心理学をきちんと考えると、哲学が出来る。心理的な問題が、どんな経験と学習から生まれているのかが分かる。同時に、環境的、社会的に、心理と問題がどのように発生し、変転するのかが分かる。

今日は、辛い。今日も書いているのがありえない。全く意味の無い地獄になっている。意味のあることを何もしないのがおかしい。意味の無いことを、意味が無い、と思うのが間違っている。意味の無いことも、きちんとしなければ悪い。その理由で、こういう風に、意味の無い「書く」を永遠にするようになる。間違っていない。意味の無いことをきちんとすれば賢いし、それが正常だ。書くのを止める方がおかしい。地獄になっているのは、書くのを意味が無いと思うからだ。もっとまともに文章を書けば治る。

あとは、自分の人生から皆の人生を分かっていた。延長線上を分かっていた。昔は、そういう、人生で分かった人間だ。最近も、人生を中心に書いている。

不思議と、英会話教室には行った方が良い。そういう、意味が無いことを、意味があることに変えた方が良い。この世界、そんなに意味のあることは無い。意味があると思えば良い。英語の勉強なんか、最近いつもしている。そのうち本当に話せるようになると思えば良い。

何でも意味があると思わないのがおかしい。昔は、本当に、全てのことに意味があると思っていた。そういう人間が分かる。英語が一番意味がある。オープンソースにも意味があった。賢い人間になる人間が多い。出来なくても、賢くなると思えば良い。

非科学的だとは言うが、時間は超越出来る。時間は関係なく、未来にある存在のことも、人間は分かる。ほとんど最初から全部決まっている。音楽を聴いていると、正しい。

今日はつまらない。何もしたくなくなった。意味が無いと思うのは悪いが、本当に全てに意味が無い。楽になりたい。地獄が嫌いだ。それで、楽になるわけがない。

学校や教育のようなことを良く考えていた。

お金の価値は欲しがる量で決まると言うが、そういう風に、相対的に考えれば分かる。

オープンソースのように、社会を相対的、自然的、流動的に分かる。昔から、そういう社会モデルを作っている。良く分からない。覚えていない。

そういう、社会形成、自然発生、価値観、可能性の、人間と社会の真理のモデルを作った。経験から人間のことを考えて、存在と生成現象のモデルを作っていた。

何故か、賢かった。ネットを見て、オープンソースをして、そういうモデルを作った。社会のことは全部知っていたし、自由なモデルから経験的に全部分かっていた。

今から英会話教室だ。つまらないとは言うが、気分転換が出来る。だが、何かが怖い。

何かが何かになるのを分かっていた。

記憶と成長から、意志を分かって、宇宙の概念を分かっていた。

自分は、ブッダより賢い。それは無い。ブッダの方が賢いと思う。

本当に、円安などのような、相対的に価値観が決まるモデルを、いつも作っていた。

人間の真理のモデルを考えていた。経験による信念や世界モデルを作っていた。

英会話教室に行ってきた。結構、行くと楽しいのが英会話教室だ。

経験と哲学的理性から、方法、説明、意識、可能性、経済モデル、論理学、数学的知の創造、感覚と関係による物理学、などを考えていた。

歴史と哲学の勉強をしたい。いくらか経済学のこともしたい。歴史は、イギリス史とフランス史をやる。それらが一番色んなことをしている。イギリスの市民革命とフランス革命などを知る。ドイツ史は、しなくて良い。宗教改革ぐらいしか起きていない。現代史は、すでにいくらか知っている。もうすでに知っている知識で十分だ。哲学は、デカルト、カント、ヘーゲルをする。出来れば、ロックとヒューム、あるいは、フッサールなどもすれば良い。それは、悪くは無い。経済学は、こういう風にしたから、それで良い。高校の政治経済をたまに読む。心理学や数学は、普通の人間ぐらい知っていれば良い。

数学の証明と推論は、デカルトで分かる。基礎の構造を作って全部の科学を作っていたのは、カントで出来る。デカルトとカントには、分かる人間が多い。

ドイツ史で良くは見える。むしろ、ロシア史で良く見える。それもそんなに悪くは無い。

既にイギリス史の流れが良く分かっているから、イギリス史からやるととっかかりが良い。フランスは、無理にしなくて良い。哲学も、これ以上しなくても、これくらいで分かる。

ただ、外国の歴史も、哲学者も、もう十分なのが分かっていない。

日本史と政治経済をすれば良い。むしろ、本当にその方が良いから、そういうことになる。日本史と政治経済と、仏教の勉強がしたい。それで日本のことなんか誰でも分かる。

日本史をキモイとは言うが、イギリス史やフランス史の方がさらにキモイ。

歴史をしないなら、しなくて良い。政治経済と仏教をすれば良い。

テレビで、アドラー心理学のことをやっている。母親が録画したのを見ている。

あまり分かっていないが、意味づけを変えれば未来は変えられるとか、人生は経験的な原因や目的で決まっている(原因論と目的論)などと言っている。

昔は、哲学的な思考によって、そういうものを考えていたことが多かった。

ただ、この番組は、良く見ていない。いくらか断片を見たに過ぎない。

アドラーのことは、全く何も分かっていない。フロイトが言うことも混じっている。

昔は、行動して分かっていた。情熱的な行動と衝動を作用にして、環境における行動と作用を分かっていた。環境への適応で分かっていた。

最近、何もしていない。行動すれば良い。それも、人生的な、自分のしたいことを単純にすれば良い。人生の中で、何がしたいとか、欲しいとか、望まないのがおかしい。

昔は、そういう、行動と望みのようなことを、学習的な理論で分かっていた。

そのまま、経験論のように、経験の原因から感情、知性、目的が生まれるのを考えていた。

いつも、そういうことを書いていた。本当にそういう文章が多かった。心理学的な欲求と経験と場の可能性と関係のようなものを、いつも構造にして書いていた。

心理学を構造的に作って、場や記憶を考える。場の意識と精神が分かる人間だった。昔から、人間の場所を歴史と精神で考える。ヘーゲルのようで、全く違う独自の経験的な心理学だった。ネットと引き篭もりの経験から分かっていた。

皆のことを、離れて見ること。近づいたり、離れたりしながら、実感や直観や感覚と、理性批判で考える。時に理性を信じ、時に感性を信じ、時に数学的実証を信じる。

そういう、神のようなマスターのような人間だった。理性と精神のバランスが取れていた。経験論で、合理論で、観念論で、他の全ての考え方を包括していた。科学的方法、認識の方法論、哲学的考え方のモデル化、数学的知の創造、経験の可能性が分かっていた。

いつも、そういう、経験の可能性を分かっていた。どこで何を経験するか、そこから、実際のどんな社会を作ることが出来るか。それは、どんな社会的意義を持っているか。そういうことを考えて、宇宙人のように地球の未来とビジョンを分かっていた。

知識には何も無い。自分で考えるしかない。昔は、考える機会を己の経験で分かっていた。

哲学には、本質的自己のモデル化のようなものが必要だと思う。「本質的自己」のようなものから、「自己と世界精神の関連性」のようなものが見えて来る。

それは、デカルトと言うよりは、世界モデルの経験に近い。経験から、自分が何であって、どういう存在になれるのか、自分はどんな存在を包括しているのかが分かる。

そういうわけで、デカルトと言うより、ヤスパースなどに近いことを言っている。

自分が何で出来ているか、考える。知、経験、環境から出来ている。

そこから、他人のことも分かる。他人と自分の違いは、経験、人格、記憶である。

もっと、自由にこの社会のことを考える。

そこでは、意志と成り立ちからこの世界を考える。社会的目的、合理性、可能性、包括などを考えられる。そういうことを言いたかったのが、いつもの文章だ。

そして、社会の中で人間がどのように生きるのか、生きているのか、人間には何が出来るのか、から、手段や潜在性によって、世界を変えられるのが分かる。

本当の真実は、理由、数学的正しさ、影響力、論理の積み重ねに存在する。

知とは影響力であり、学者とは大学的な権威の王である。そういうことを言っていた。

もっと良く考えれば良い。それ以上は、自由な意志から考えると良く分かる。

社会のことは、自由と平等から考える。全員によって選ぶべきだとする考え方は、共同体で皆で決めるのと変わらない。手法的な部分が違うだけだと言える。

手段とは言うが、世界を変えたかっただけだ。機会とは言うが、分かったことを教えたかっただけだ。考えるべき部分は、自由に考えれば良い。昔なんか、それだけだ。

社会は、共同体、可能性、意志、合理化、体験から変えられる。

もっと、沢山の体験と創造性のある社会にするべきだ。

マスターになるためには、体験の自由を信じることだ。

この世界にある全ての体験から、全ての創造性が生まれる。

体験を共有し、それぞれが体験するために、助言を与えるべきだ。

統一と可能性は、体験を増やすように築かれなくてはならない。

そういうことを言う。価値観とか、自然とか、理由とか、分析的なことを言っていた。

体験から、この世界は何でも変えられるのが分かる。

体験とは言うが、体験は精神であり、可能性の発揮である。

もっと、自由に考えれば良い。あとは、場の可能性のようなことを言っていた。

体験から、可能性が分かる。自然な社会の変化の可能性と、人生の自由な可能性が分かる。

体験から、世界モデルが生まれる。知性、自然な考え方、認識、発想、人生が吸収出来る。

平和とは、体験における、希望の共有である。

あとは、知性のようなことを言っていた。不思議と、それくらいしか言っていない。

体験とは、認識から生まれる自由な観念であり、それは思い出すこと、信じること、希望すること、意見すること、思考すること、共有すること、成り立たせることである。

体験とは、意味を知り、共有し、具体的に構築するための手順を知ることである。

哲学は、自分と社会の関係、知と人生の関係、社会の具体的な構築を考えれば出来る。

あとは、哲学的な思考をすること。正しく考えれば良い。それは出来る人間が多い。

そして、ネットで活動し、経験し、全員と全部の社会を知る。

馬鹿で良い。個人の自由を積み重ねて、共同体の自由を知る。その「個人の自由」を沢山知っている間、賢い。個人の自由における、人間関係や環境の実現が賢かった。

そういうわけで、哲学は「自己」を良く考えると出来る。昔からそういう学問だ。

今ここに居る自分と、この社会の普通のこと、個人のこと、環境のこと、社会のことを考えれば良い。それで、経験すると分かる。パソコンは、寂しさを打ち消すだけだ。

もっと、この世界に居る自分の意味について、考えれば良い。それは、不思議と、ネットを見ていると、答えのようなものも分かることが出来る。知と体験を共有する。

社会のことは、ネットの経験から、どのように築けば良いか、適当に見えて来る。

もっと、平和な世界にするための希望や自由を考える。そういう、救世主のようになった人間が、最近一番多い。賢い人間は、救世主になる。そのまま、神になる。

昔は、自己を考えただけだ。

社会のことは、人生経験をとにかくたくさんして分かっていた。手段、価値観、意識、理想、オープンソース、社会の可能性、発想、正しい社会が、経験で分かった。

そして、社会のモデルを作って、意識で分かるようになった。

あれは、共産主義者だ。賢いどころか、地球を破壊したいだけだ。

むしろ、あれは、アメリカ人だ。共産主義者は、むしろ、最近のこちらだ。ただの馬鹿だ。

社会の理想、人間の理想、人生の理想などが、活動的に分かっていた。

あとは、知と認識のことが分かっていた。知を、裏の構造や知が生まれてくる前提を考えて、どんな知がどんな心から生まれるか、どんな認識がどんな知になるか、分かっていた。そういうものをモデルと言っていた。知性とモデルで、ヒュームのように分かっていた。

自分で考え方を作っていた。

プログラムのように、設計を考える。ピアノの鍵盤は、同じものの組み合わせであり、そこにはオクターブの理論が基礎になっている。そういう風に考え方のモデルを考える。

あとは、人生のことが全部分かっていた。理性と経験から分かっていた。全てのことを、正しい考え方で分かっていた。未知のことは全て分かる人間だった。

ただ、そんなに賢くない。ネット依存症で、おかしな廃人のようで、おかしな統制された、兵隊のような人間だ。蛮族の兵隊のような人間だった。

そういう、自分のおかしい習性や習慣から、人間のことを全部分かっていた。そういう、ありえない、異様な意識の人間だった。心理学のせいでそういう風になった。何でも正しく考えて、治る人間だった。人間は、分かると治る。逆に、治ると分かる。

戦いと支配で分かる、おかしなネットの馬鹿だった。ただ、ネットの経験があるせいで、この社会のことを手段と必要性と有用性から分かっていた。有用性と功利主義の、この社会をどうするべきか、の理想のようなものを、具体的に経験と意識で全部分かっていた。

あとは、人生的、自覚的、意識的に考えれば良い。そうすると、キルケゴールのような、実存の段階が分かって来る。美、倫理、宗教の段階になる。昔は、俯瞰的に分かっていた。

知は、積み重ねて視点を広げれば分かる。そういう文章が多かった。

そして、その人の視点に立つこと。特に、子供の視点に立つことが有用だ。

もう、そろそろ終わった。この文章は、子供のような文章だ。今の自分が子供だ。

経験は、大人になりながら、他の人間が何を考えているのかを知って、その上で、自分が今まで知らなかったこと、未知だったことから、気づいて分かる。同じ発想、意図、本質、概念も、そこから分かって来る。そういうものを経験と言う。

そういうわけで、いくらでも恥をかいて成長すれば良い。そのために、匿名の掲示板が一番良い。だが、それはおかしいところがある。すぐにその後に馬鹿になった。

知らないことから、考える機会を知り、全体像を知り、世界の変化と改革の思想を知り、人生の思想を知り、理想の実現を知り、宇宙の真理を知り、共同体の自由を知り、理性的な宗教である、理神論、唯物論、功利主義を知る。そういう、ヘーゲルのような、「知らないことを知って行く段階とその人生の経験」をいつも書いていた。そういう文章だった。

普通のものは、視点を変えれば分かるものが多い。出来事とものを、関係、構造、目的、視点、数学的理性の部分化や個別化と集合から分かっていた。

何が同じで、何が違うのか、そういう風に、考えていた。

もっと正しい考え方をするためには、イコールのようなものをきちんと考えれば良い。

それこそ、経験論的な帰納的、演繹的考え方のせいで、本当に何でもすぐに分かる。発想のパターンから正しい考え方で答えを導くことで、全てが意識と経験で分かっていた。

何でも自由に分かっていた。

あとは、生き方と信念のようなことを言っていた。

自由に生きること。

正しく経験すること。

皆のことを好きで居ると同時に、信じすぎないこと。

全てのことを、すっきりと理解出来るまで、何度でも考え、試し、体験すること。

繰り返しから、自由が生まれる。

知らないことは、時に、知っていることより賢いことがある。それは、知っていることと知らないことを比較することで、良く分かる。

相対的な理由には、理由なんか無いことも含めて、理由には意味の無いことがある。

社会には、考えられていないことや、当たり前に間違っていることが多い。馬鹿の方が賢い人間より賢いことがある。

知性を高めることは、馬鹿になって分からなくなることより、劣っていることがある。

自由とは、人の生き方を知ることだが、それは誤解し、誇張し、喪失することである。

知性とは、何も知らないゼロの状態に戻って、全てのことをゼロとイチにすることだ。

平等に生きることが、全てのことを正しく治すことと、等しい。

あとは、町、地域、歴史などの、環境的なことをいつも書いていた。

実感から分かっていた。

音楽は、キマグレンが一番良い。聴いていると、楽だ。

テレビは、怖いから、見なくて良い。本当に、自分のことが嫌いなのだと思う。

あとは、人間のことを想定し、相手の立場と視点に立って考えていた。

皆、僕のことを忘れなさい。それも、記憶喪失のように、完全に忘れれば良い。

あとは、普通の世界になる。不思議と、それでテレビが治る。自分を覚えていると、怖い。

あとは、知性があった。知性から、この世界と同じものを全部作っていた。本当に、知性から全部作った。あれは、それだけの人間だ。

基礎の考え方は、実存的なものだった。可能性の発揮とハイデガーが言っているのは、馬鹿になっている。ハイデガーは、2ちゃんねるだ。そういうものが基本にあった。

もう、覚えていない。皆が忘れると、自分も皆のことを忘れる。覚えていると、覚えているから、ありえない。そういうわけで、昔の時代のことは忘れた方が良い。

狂っているのは、時代が悪い。時代が狂っている。そこが分からない人間が多い。

自分は分かっていない。今、本当に自分が多い。皆はきちんと生きているし、皆は自分のことが分かっている人間が多い。皆、自分のことを神だと言っている。だが、残念なことに、自分は神ではない。ゲーテのような普通の人間だ。神は神だ。いつもの対話が神だ。

ハイデガーもおかしくは無い。自分も、社会も、可能性に過ぎない。それは、可能性ばかり考えているから、そういうことを言う。

もう、すでに知っているのが悪いから、一度記憶を消した方が良い。何か、可能性だと思うなら、それは、他人の言っていることだから分からないだけで、自分で言って実感すれば分かる。昔は、そういうところが賢い人間だった。

あるものは同じだし、人間はそんなに変わっていない。時代と社会だけが大幅に変わっている。だが、問題はそんなに無い。

日本の右翼、アメリカの大統領選、北朝鮮のミサイル、中国やロシアの軍事的情勢を見ていると、世界は本当に大戦争に向かっている。イスラムを排除する動きが、今からヨーロッパで始まるだろう。シリア内戦やイスラム国の問題もある。

だが、それでも、世界は滅びない。人類は存続する。

むしろ、こんな風になるのがおかしい。皆の合意の力で平和にならないのがおかしい。移民を悪いとは言うが、先進国が平和なだけで、後進国が辛いのが、当たり前なのに白人は分かっていない。あたかも、移民が全ての元凶であることにしている。

戦争は、何故か、したい人間が多い。そういうわけで、日本は勝つ国だ。北朝鮮は負ける国だ。そのうち、北朝鮮は日本の属国になるだろう。馬鹿な戦争をするかもしれない。

分からない。神が見ると、フランス人とドイツ人だ。典型的な白人の馬鹿だ。

アメリカの大統領選挙でトランプが勝って、ヨーロッパからイスラムとの戦争が始まる。フランスのオランドが、戦争状態にあるとすでに言っている。日本は、北朝鮮に負ける。全部東京の技術を奪われて、滅びる。刃向う日本人は、強制収容所送りになる。

英語は、不思議と、もうユメタンはしなくて良い。ユメタンは、ユメタン方式でしか覚えないから、ユメタン方式をすれば良い。だが、今から英会話教室に行って、英会話教室の教師が言っていることを、全部覚えれば良い。アメリカにはそれしか居ない。言っていることを全部覚えないと、出来ない。不思議と、これくらいでそうなる。そろそろ出来る。

最近、いつも判断基準で分かっているが、判断基準は賢くない。これでは、分からない。判断基準なんか、忘れて、きちんと学校の勉強をした方が良い。

勉強は、英会話教室へ行って、本を読むだけだ。それできちんとしている。

英語は、本当にもう出来る。最近、英会話教室の教師の言っていることが良く分かるようになった。そのまま、聞き取りながら覚えれば良い。それですぐに話せる。

単語帳は要らない。英会話教室で覚えれば良い。それも、教科書では無く、普通の話から覚えれば良い。そういうわけで、英会話教室には出来る人間が多い。そろそろ話が分かる。

歴史の本は、むしろ、最後まで読みたいとは言うが、読まなくて良い。イギリス史の本でも読めば良い。むしろ、国はフランスと日本にした方が良い。それは当たり前だ。

英語は、ネットラジオを聴けば良い。TuneInというラジオのアプリをiPodに入れている。

あとは、昔は、2ちゃんねるで哲学が出来ただけだ。本当に、色んなことを知って、経験して、考えた。何もかも、ネットで全てのことが出来た。ネットは悪くない。

あとは、考え方で分かると分かる。何のために作っているか、何を使って作っているか、などを考える。手順で考えれば良い。そういう、まともな考え方が分かっていない。

経験的な未知を知れば良い。経験の先に何があるか、予想しながら、自分の目で確かめる。そういう考え方が、昔多かった。いきものがかりが同じことを言っている。

自分で自分の道を作る。そういうところを言葉で表現すると、良く分かる。正しく表現すると、分かるものだ。表現とは、分かるための手段だ。そういうことを分かっていた。

昔、2ちゃんねるでパソコンの技術や世界のことを知っていたのが、不思議と、一番賢かった。「世界」のようなものが分かっていた。その「世界」で、全てのことが分かった。哲学者で、王で、経営者で、救世主のような人間になった。

今、ラジオを聴いている。そろそろ、それで出来るかもしれない。

自分は、アメリカ人の普遍的な理解のようなものが分かっていない。日本人は、普通、日本人の普遍的な理解をして分かる。そういう、普遍的な理解が外国語に必要だ。外国人が、日本語が出来ても日本のことが分からないのは、普遍的な理解が無いからだ。

アメリカ人の普遍的な理解を得るためには、感情的、感覚的なことを分かるしかない。

昔は、経験論的に頭を作って分かっていた。判断基準のように分かった。

最近は、全部分かっている。ありえない体験をした。

もう、全部分かったから、分かる部分が死ぬ。そのまま、日本語が分かるようになる。

不思議と、日本語が死んで、知性が無くなった。そのまま英語に変わる。

あとは、経緯を良く知れば、分かる。歴史にもパソコンにもそういう人間が多い。昔は、経緯を良く考えて、融和的に分かっていた。

日本語は、もう十分分かった。思弁哲学をして、そこまで文章を書いた。

そういうわけで、アルツハイマーは赤ちゃんになっている。新しい英語の子供になる。

昔は、他人が良いと思うのではなく、自分が良いと思ったものが良いとか、そういう風に分かっていた。そういう、自分の経験から知恵が分かる人間だった。

まともに感情を信じて分かっていた。感情を考えた。まともな人間だった。

おかしいまま、放っておいたから、おかしくなったのが精神だ。それが分かると治る。

日本語が悪い。日本語はこういう風になる。壊れると治らない。一度作り直した方が良い。

経験から考えていた。

感覚を自由に考えていた。頭がハッピーな人間だった。

子供が子供を怖いのは、親が違うせいで、全く違うからだ。馬鹿な子供が一番怖い。

昔は、環境から自由になって分かっていた。いじめが起きるのは、環境が違うからだと思っていた。それで、環境を辿って考えて、何でも支配出来る人間になった。

あれは、ネットが普通だと思うのが間違っている。ネットには、何も分からない。こんな人間しか居ない。普通、こちらのような人間が賢い。賢い人間が分かっていなかった。

同じ環境に居るように見えて、それぞれの経験は違う。敵とは言うが、相手から見ると、その通りおかしな人間に見える。自分から見ると普通だ。そこから、環境を辿って分かっていた。いじめは、それで全て無くなると思っていた。