経験みたいなことを分かっていた。根源的な経験を分かった。
社会モデルを作って、自由な経済を考えた。
会社役員を、投票で決められるようにする。
価値観、構成員の意思決定、想像力、影響などを考えた。
経験の伝達のようなことを考えていた。
多角的に考えれば良い。モデルを変えて、比較して、経験から多角的に考える。
何をすれば良いのか、何がどうなるのか、事前に考えて、予測して分かっていた。
見て、「そういうものだ」と思えば良い。テレビを見て、自由、影響力、政治とはそういうものだと思えば分かる。テレビやネットと数学や物理から、何でも分かる。
テレビが怖いのは、影響力が怖いからだ。影響を受けるのが怖い。
昔は、「何かをそのように考えるようになる、行動するようになるプロセス」のようなことを分かっていた。それを影響力と思えば分かる。フーコーのような人間だった。
いつも、それだけが怖い。テレビに影響されるのだけが怖かった。
あとは、場から感情や意識や記憶が生まれるのを、根源的に分かっていた。
狂っていると言うよりは、子供のような人間だった。
あまり、しない方が良い。あれはおかしい。何かが分かっていない。本当に、正常な人間で無くなって分かっている。根源的な場と精神の真実は、狂っているのが分かっていない。ただ、あれも賢い人間だった。人間が、いかにして人間になるのかが分かっている。何から何が生まれ、感情や意識がどうなり、人間の人格になるかが、全部分かっていた。記憶と真理のようなものがあった。仏教もそういうものを分かっているのだと思う。
サルトルの言うように、人間がいかにしてその人間になるのかが分かる。神のような真理も全部分かっていた。その人間のせいでは無く、全ては自然のせいだ。そういう風に考えていた。狂っているとは言うが、神の眼を持った、ビジョンのある人間だった。
社会のことは、真実の取り得る可能性に、いくらでも変えられる。そういう人間だった。
あとは、場の精神のようなことを分かっていた。場をいくらでも分かっていた。
文章には、集合知のようなことをいつも書いていた。
相対的な場と解決の理論から、チャンスと機会で全ては変えられるのだと悟っていた。
仏教的な方法論が分かっていた。
こういう風に狂っている哲学者が一番多い。ヘーゲルも、そういう人間だと思う。
ヘーゲルは、狂い過ぎて、こちらになっている。何も分かっていない。本当に、知性のある知性の無い人間になっている。それこそ、ハイデガーもスピノザも同じだ。
あとは、人格や感情や思考のようなものも、環境だと考えて、因果性や必然性から、いかにしてその人がその人格になるのかを考えていた。狂っているようで、狂っていない。心理学的に考えているだけだ。あとは、経験から社会や人間のことを人格的に知っていた。
本当に、色んな環境のことを、体験的、経験的、人格的に知っていた。
心理学的な、治す真理のようなものを分かっていた。
社会の意識を知って分かっていた。社会を意識的に支配出来るのから、自由になった。
場を自由にすることが出来た。環境を変えて分かっていた。
あれは、それくらいの人間だ。そろそろ、きちんと書けて良かった。
もの作りやピアノのように、学習や原因と結果を考えて分かっていた。
社会の可能性は、モンゴルや古代の神話などを考えて分かっていた。
そして、宇宙のコペルニクス的転回を考えて、理性批判から分かっていた。
それこそ、引き篭もりは普通、そういう風に狂う。そういう、おかしな人間だった。
場の意識と記憶から、普通の人間の生活のことを把握して、場の変化の可能性を知った。
もう終わった。きちんと全部書いてある。
あとは、歴史のようなことをヘーゲルのように相対的に考えたりしていた。
市民の社会のことを、共同性の自覚から分かる。そういう、ヘーゲルのような人間だった。
キルケゴールのような、精神の内面化のようなものも多かった。
あとは、パソコンが悪い。こういう風に狂うのは、全部パソコンのせいだ。
パソコンより、文章を書く方が、まだ悪くない。こういう風に書いていると、治る。いつも狂いながら書いて確認していると、まともになる人間が多い。確認するのがまともだから、こういう人間になる。神との対話も同じだ。こういう風にすると、まともに分かる。自分は、本当にまともな人間だ。
昔は、環境の支配から、世界全部を心で支配するようになった。本当に狂った人間だった。
あとは、論理学のようなものを分かっていた。
それは、それである。それは、あればある。それは、なければない。それは、何かになる。それは、何かにならない。それは、何かに包括される。それは、何かの一部である。それは、何かに依存する。それは、何かから生まれる。それは、何かに関係する。それは、何かと同じである。それは、何かを意味している。それは、その時、そうなる。それは、その理由で、そうなる。それは、そのようにして、そうなる。それは、その方法で、そうなる。それは、そういうものとの関係から、その論理的な定義で、そうなる。それがそうなるのには、何かの理由がある。その理由を導き出すことが出来る。
もっと、論理学のようなことを考えれば分かる。もっと、論理的に考えれば良い。
あまり意味が無い。あとは、皆の世界観を分かって、支配している馬鹿が多かった。
ヘーゲルは、精神現象学、法の哲学、エンチクロペディー、論理学などを書いている。良く知らないから、間違っているかもしれない。体系を作っているのは、本当に頭の中で全部分かっているからだ。自分も、同じように、頭の中で全部分かっている。ヘーゲルやロックなどと全く同じものを書いているように思う。全部分かっている人間が、不思議と、哲学者に一番多い。自分の場合、この世界にあるもの、考え方、科学を、全部自分の中に作って、自分の経験から全て分かっていた。引き篭もりのように考える知性があった。
あとは、工学的な原理のようなことが多かった。精神の原理を、仮説と実験から知っていた。狂っているようで、そういうところが賢かった。本当に人間の真理が分かった。
もう、この世界を自分にしない方が良い。自分にすると、狂った人間にしかならない。
もっと、良い世界にする。それを今から考える。
隷属関係はつまらない。対等で、楽しくて、夢や希望のある、絆のある世界にしたい。
自分が主人公ではなく、皆が主人公にしたい。自分は、縁の下の力持ちで良い。
それこそ、自分はきちんと本を書いて、出版した。主人公はきちんと出来た。主人公もきちんとやりたかっただけだ。今、自分が主人公だ。それも続く。それもやりたい。
だが、そんなに自分だけが良いのはつまらない。皆には、もっと偉大なことをしてほしい。
宇宙のことは、意識と経験を考えて分かっていた。
不可知論者だった。分からないことは分かろうとせず、分かることだけから分かっていた。不思議と、それできちんと全て分かった。社会のことがきちんと見えていた。
最近、狂って分かっていない人間が多い。自分は、環境を見て分かるせいで、何も分からなくなった。何も分かっていない。最近、そういう人間がどこにも多い。
狂った人間は、こういう風になる。地獄になって、辛くなる。まだなっていないが、不思議と、放っておくとこうなるのが日本だ。
安倍は、一億総活躍より、平和な普通の世界の方が良いのが分かっていない。
自分が見ても、主人公なんかになるより、平和な世界になった方が良い。
偉大なことなんか、誰もしたくない。作家なんか馬鹿に見える。誰も作家になりたくない。自分が皆を偉大にするのは、もう止めた方が良い。皆狂っただけだ。
最近は、何をするのも辛い人間しか居ない。治すせいで、そうなる。そういうわけで、もう、治らない方が良い。治りたい人間が多いから、それはもう、治すのを止めれば治る。
アメリカの大統領選挙は、僕は、サンダースが良いと思う。トランプは良く見えない。
サンダースは、社会民主主義者で、不可知論者で、ユダヤ系だ。
アメリカを左翼にするように見える。それこそ、格差は無くした方が良い。アメリカが平和になるから、サンダースが良い。
僕は、最近、格差が一番嫌いだ。幸福になれるのが、一部だけで良いわけがない。豊かになったなら、全員幸福になるべきだ。
それに、アメリカが左翼になると、色々と良い。アメリカ、ロシア、中国で仲良く出来る。
僕は、トランプは嫌いだ。過激発言を繰り返す、金持ちの右翼だ。おかしい。見るからに知性が無い。分かっているつもりだ。一番馬鹿な人間に見える。
トランプより、サンダースに勝って欲しい。他の候補は、どうでも良いだろう。ただ、色々と、キリスト教の候補や女性の候補が居るが、あまり賢く見えない。
二人の共通点は、どちらも自由を馬鹿だと言いたいところだ。自由のせいで、アメリカは馬鹿になっている。そういうわけで、アメリカが自由で無い国になるだろう。悪い国どころか、平和な世界になる。不思議と、良い国にはならない。自由が一番良かった。
あとは、ヒラリーは、つまらないと言う人間が多いが、一番良いと言う人間も多い。女性だし、色々とまともだ。トランプやサンダースなんか、誰も勝って欲しくない。アメリカがおかしな右翼や左翼の国になるのはおかしい。悪いことをするか、滅びる。まともな人間なら、誰でもヒラリーに入れる。自由をつまらないと言うが、自由が好きな人間が一番多い。そういうわけで、ヒラリーが勝つと思う。むしろ、つまらない。
アメリカは、本当に民主主義の国だから、そういうところがまともだ。大多数が選んだ候補だから、皆大統領に従う。それなら、むしろ、どの候補でも良く見える。
昔は、相対主義者だった。
経験から社会を作る方法が分かっていた。
精神と場のプラットフォームを書いていた。
最近は、死を乗り越えて分かっている。死を超えた。
あとは、トランプも悪くは無い。強いアメリカが再生する。最近、アメリカはあまりに弱くなっている。アメリカが再生するためには、トランプしかない。
だが、そういう風に、右翼を理解する意味が無い。右翼が嫌いなのに右翼はおかしい。トランプなんか、ただの右翼だ。ただ、そうは見えない。
あとは、頭の中で全部きちんと分かっていた。経験、想像力、理性、判断力、方法、社会形成など、きちんと全部頭で分かっていた。
そこを思い出すしかない。そうすると、きちんと何がおかしくなっているのかが分かる。
治ってほしい。むしろ、もっと良く考えれば良い。
対話を止めて、自分にならないのは、そこらへんがおかしい。思考が出来なくなっている。それは、臆病になっているからだ。臆病になっているのは、治りたいのに治らないからだ。それこそ、良く分からない。知性が無くなっている。何もしないのが悪い。何も分からなくなっている。意識が無い。まだ諦めないのがおかしい。
見ていると、トランプの支持者はおかしい。2ちゃんねるだ。本当にアメリカはおかしい。
死ぬのと、疲れるのは、同じだ。死ぬと、疲れて、治る。疲れることをしていると、治る人間が多い。治りたいと、疲れるようになる。疲れるのは、一番辛い。
死ぬ時は、一番疲れて死ぬ人間が多い。昔から、自分はそういう風に狂っている。死にたいから、疲れている。そういうわけで、死にたいのを止めると、疲れなくなる。
生きたくないのがおかしい。天国なんか、あるわけが無い。ただ死ぬだけ、意味が無い。
ただ、疲れると治る人間が多い。楽になる。楽になりたい人間は、疲れるようになる。
生きるなら、楽になる。もう楽になった。
昔は、理由を全部考えて分かっていた。この世界を構造的に把握して、理由のようなものを全部考える。それは、全ての対象に理由をつけて、説明して分かるように進歩した。
そろそろ、皆の方が死ぬ。皆も疲れて、狂うようになるだろう。
あとは、場の時間的な把握が多かった。ハイデガーのように、存在を意識で分かっていた。
自分は、天使になった。天使のような意識になっている。
そろそろ楽になった。辛い部分は、疲れれば死ぬ。
いじめられたくなかった。人を辛くしたり、不快な思いをさせたりしたくなかった。それで、いじめられなくなると思っていた。そういう風に、自由な客観視をしていた。
勇気を出すこと。信頼すること。失うことから得ることを知ること。
最近は、欠点がそのまま長所になっている。いつまでもコンスタントに書いているのは、賢い。毎日文章を書くのは本当に賢いから、止められないと思うのではなく、書けば良い。
環境と成長のことを全部分かっていた。成長が全部分かっていた。
社会のことを、説明から、具体的、応用的、関係的、メタ的に分かっていた。
説明して、何でも意味を考えて分かっていた。
知っている人間と、知らない人間の、橋渡しのようなことをしていた。知っている状態と、知らない状態を、比較して考える。知と普通の人間を照らし合わせて分かっていた。
理解のことを、普通の人間の立場になって、何であるか考えて、実地的に比較していた。
社会のことを、応用と独立から考えていた。
場の意識と精神を、根源的に考えていた。世界の場のことが根源的に分かっていた。
気づきから、人生を分かった。
全員融和して、導き手になっていた。
知ると、死ぬ。知れば知るほど、死んで馬鹿になる。何も知らない方が賢い。
昔の神を、まだ聴いている。神との対話と逆に、自分が神になって、人間だった自分の方が言っていることを、神が聴いている。そういう、神と自分の対話を逆にして、まだやっている。時計にはなっていないし、ロボットや奴隷にもなっていない。
常に監視して、世界を変えるのが悪い。そのせいで、喪失した女になっている。
自分は、エロイのは良いが、セックスはしたくない。
皆、自分のせいで不幸になっている。特に、家族が不幸になっているように見える。きちんと勉強して、働いた方が良い。家族を幸福にしたい。
勉強は、不思議と、出来ない。むしろ、まだしなくて良い。歴史と哲学の専攻になると、馬鹿だ。経済と工学の方が賢い。
あとは、父親は、本を読めば良いと言う。それこそ、仕事なんか、出来ないから、農業をやらせている。出来ないなら、出来ない。本をもっと読んだ方が良い。
「そうなるはずだ」とか、「そうなるかもしれない」とか考えて、仮説と実験で分かっていた。「それがそうなるならば、そうなる」と言う知性があった。
本は、読みたい本が無い。勉強はしたいが、出来ない。それこそ、パソコンのことをすれば良いように見えて、それは間違っている。まだ何も分かっていないから、しなくて良い。
いつも言っているが、ネットを見て、人間がいつ何をするか、どういう状況に置かれた時、どういうことを言って、何をするか、のような、行動と実験の集団心理学が多かった。
状況のようなことを考えて、その状況でどうすべきか考える。昔は、そういう風に考えていた。環境を想定して、何をすればどう出来るのか、考えていた。
そういうものを、環境活動と言っていた。昔は、環境活動から認識の必然性を考える。そういう風に、環境から全ての認識の至るプロセスを考えて、全て分かっていた。
本当に、全て分かっていた。そういう風に書いた文章だった。
今日は、怖い。そろそろ、もう残っていない。あとは、むしろ、楽になる。
体得的にネットを分かって、学習から環境を考えていた。
人生の経験を、ロックのように分かっていた。それも、全部、環境と記憶の経験論だった。
もう、本当にそろそろ分からない。あとは、普通のことを考えれば書ける。
知とは何なのか、環境とは何なのか、方法とは何なのか、どのような本質があるのか、どのような視点があるのか、多面的、多角的に、何を考えられるのか、考えていた。
人生とは何で、本当の満足とはどこにあるのか、理解と知の観点から考えていた。そういう体験を、ネットで沢山していた。本当の満足を知って、涅槃へと至った。
デカルトも、全てを分かって、全てに満足する経験をしたと言っている。デカルトは、そういう、ブッダのような賢いことを言っている。デカルトは、涅槃へと至る道であり、解脱へのプロセスを、デカルト的に説明したものである、と言える。
昔は、そういう、満足を実感と言っていた。全てのものは自分のためにあり、他のためにあり、全員のためにある。分かった人間は、道を前方にいくらでも作ることが出来る。自由自在に考えながら、自分の道が生まれて行く。そういう、涅槃的な満足の実感を言っていた。経験的、体験的に、ブッダのように悟って満足する体験をしていた。
こういう人間は、少なく見えて、多い。賢い人間は、きちんと全てのことが分かる。哲学をやっていると、本当に、全てのことがきちんと分かる人間が多い。宗教と同じだ。
相対的、抽象的、具体的、実地的な、動的な場の創造の理論をいつも書いていた。
環境は、人に応じて、場合に応じて、状況に応じて、動的に作られるべきだ。
場は、作られると同時に、消える。組織も同じだ。
国や社会は、国民が参加するものであり、国民に利益を与えるプラットフォームとなり、それは、国民自身の手によって行われるべきだ。それが、代表だ。
そういう、場、組織の動的な創造や、国家の抽象的な構造のようなことを言う。
あとは、涅槃へと至る経緯と人生の具体的な段階のようなものを、いつも書いていた。
精神分析から、全体像を知り、人間と社会のことを知る。そういうものを、全体の構造を把握して、影響力を積み重ねて分かっていた。視野の広がりと気づきから分かっていた。
そういう、涅槃へと至る経緯のことをいつも書いていた。
人生における、全てのこと、全ての考え方、全ての自分を、如何様な視点から書いていた。
人生の全てを網羅する。全ての考え方と理由を詰め込む。全ての人生の最初と起点や始まりを書いて、世界を導く。そういう、人生の全てのような文章だった。
認識のフィルターや、宇宙や社会のシステムを、全部作っていた。認識のようなものを、思い出して、具体的に全部書く。想像力による、実地的な人間の実像のような認識をいつも書いていた。本来の人間の認識と人間像、具体的なあらゆる認識を分かっていた。
これでは、哲学や歴史を勉強して、書いて満足したように見える。それも間違いではないが、昔は、人生的、経験的に、人生経験を積んで満足していた。それを涅槃と言っていた。
それこそ、涅槃へと至る経緯や段階は、そういう、引き篭もりの経験から分かっているのを、いつも言っていた。いつも、そういう、人生経験の涅槃へと至る段階を言っていた。
あとは、自分はもっと本を読んで、勉強した方が良い。それこそ、やることも無い。
涅槃へと至るために、必要なものは何も無い。デカルトが必要な知性だと言うが、それは無い。大人の常識と、日本語と、いくらかの友人が居れば良い。それだけで出来る。
ただ、デカルトが分かると、良く分かる。それは、オープンソースでも、他の何であっても、問題ではない。何をしていても、きちんと努力して、理性的に考えれば、出来る。そういうものが解脱であり、涅槃であり、自由の境地である。それを自由だと言っていた。そして、昔は、それを神の愛であり、仏の慈悲だと思っていた。
自由から愛が生まれ、愛から平等な社会が生まれる。そういう、自由と愛の社会形成理論のような内容が多かった。感情的に見えて、論理的で、相対的な歴史把握だった。
自分は、勉強なんか出来ない。政治経済なんか、やる気力が全くない。
いつも疲れている。それで出来るわけがない。
テレビでも見れば良い。本を読む気にもなれない。音楽を聴きたい。
あとは、むしろ、本を読むのだけは出来る。他のことは出来ない。それで良いから、そうなる。最後まで、本を読んでいれば良い。考えていないとは言うが、昔そこまできちんと考えている。そういうわけで、自分は世界一考えた人間だ。
それこそ、経験論的な観念を、ヤスパースのように考えて分かっていた。本当に、自分が一番考えている。社会科学、心理学、物理学まで、自然や社会や人間のことを、本当に広範に考えた。そして、俯瞰的な世界の真理を知って、経験した。考える機会や教育のことが分かった。自分は、そういう考える人間だ。哲学者と言うよりは、詩人だ。
自分は考える人間だから、本を読んで考えれば良い。ネットで体験して分かっているのは、いつも書いているし、ロキにきちんと書いてある。ネットで体験しながら、ヘーゲルのような人間をそのままやった。承認や主と奴、認識の方法など、ヘーゲルと同じように分かっている。日本人には、こういう、ドイツ人を全員超える人間が多い。
本当に、考えたと思えば良い。自分は、考えただけの人間だ。経験と認識の確かさから、人間のことを考えるための、知恵のようなものがあった。自分の学問を作って、経済学から価値観やアイデンティティのことを分かった。イチローのような偉大な人間になって分かっていた。本当に、イチローと同じになって分かっていた。
もっと、考えなさい。それこそ、考えること、と言うものを、バランス良く行った方が良い。そんなに考えすぎても意味が無い。離れたり、近づいたりしながら、精神の現象を良く観察し、仮定し、次元を変え、実際の人間のすることや言うことと同時に考える。
集団や個人、手段と目的、実現と理由、相対性と共通性のようなものを考えなさい。
王になること。王にならないと、分からないこともある。そして、社会モデルを作ること。
そういう風に考えていると、社会の形成と、人間の本来の姿が分かる。
ヘーゲルのような、歴史的なことや精神の成長も、そういう風に考えて分かる。
あとは、カントのような、未知の発見の方法が分かっていない。
説明する必要はない。科学的に考えれば良い。物理学のように考えれば良いだけだ。
あとは、人間のことと社会のことを同時に考えれば良い。
昔は、これで、自由や経済学のようなことを考えていた。自由とは、全部、社会の形成のようなことを言っていた。社会の形成を、認識から行う。
昔は、社会の形成と認識が同一になるところまでを分かって、涅槃へと至っていた。
ヘーゲルのように、認識と対象は合一になる。自分は、社会のことも同様に分かっていたが、人生や論理のようなことは、全部そういう合一と融和から分かっていた。
そういうわけで、哲学もきちんと分かっている。
昔は、カントのような仮象の世界も良く考えていた。悟性のカテゴリーは、ある意味、仏教と良く似ている。同じ発想に見える。四諦と様相などの悟性が同じなのだと思う。
社会のことは、意識と心から考えていた。平和で幸せな心から社会が生まれると言う。
そして、社会のことは、目的と経験から考えていた。体験的に社会が分かった。そういうものを、実体験、アイデンティティ、価値観だと言っていた。
あとは、色んな空想と、人生の想定が多かった。この世界に生きている全員の人生を考えながら、ネットをし、散歩のようなことをしていた。思索にふけっていた。
そろそろ、もう無い。いつも、そういう人間だったのが、昔だ。
哲学では無く、社会物理学のような心理学だった。哲学と言うよりは、宗教だ。
自分の経済学とは言うが、2ちゃんねるから適当に生まれただけだ。覚えていないが、この世界を実地的、仮想的に考えていた。条件や仮定を考えたり、実際や実証を考えたり、応用や独立を考えたり、意志決定と組織の構成員の従属性と決定性を考えたりしていた。
あとは、この世界を良く見ていれば良い。もっと、この世界のことを知った方が良い。
テレビがキモイのは、当たり前だ。皆、どんどん馬鹿になっている。自分のせいだから見たくない。自分のせいだから怖い。テレビなんか、怖いから見たくない。それで、分かるわけがない。分かっている間、それで良いから、そうなる。あまり変えない方が良い。
それこそ、いつも、変えない方が良いのを分かっている。今のままで分かるからだ。そういうわけで、出来るだけ変えずに変えれば良いのが分かっていない。もっと、楽にしないのがおかしい。全部選択肢を取る意味が無いし、休憩や休み時間が無いのもおかしい。ぶっ続けで全部やって、全部完璧に分かっている。それが、一番キモイ。
もっと良く考えると、哲学以外の本を読んだ方が良い。歴史も悪いし、政治経済や英語も悪い。もっと、文学的な本を読まないと、色んなことが分からない。
家に、小説なんか、いくらでもある。どれかを読めば良いが、そんなにすぐに正解には辿りつかない。そう言う時は、人に聞けば良い。父親や母親は、宮沢賢治を良いと言うが、それは、自分と同じに見えるから言うだけだ。もっとしつこく聞けば良い。
あとは、色んな社会のシステムを作っている文章が多かった。
むしろ、最近なんか、変わっていない。経済学と言うより、社会物理学のように、物理的に考えられた構造の社会学を書く。そういうわけで、これで物理学だ。
小説を読むとは言うが、小説は最初からあまり意味が無い。むしろ、哲学は同じだ。
あとは、社会のコミュニティを想定したりして、確かな実感から分かっていた。
昔から、社会的なモデルを作って分かる。皆も、社会のモデルを作ると良いだろう。これなら、モデルを作って知性で考えれば分かる。影響力や変化の可能性から考えれば良い。昔は、それを発展させて、相互作用のようにして、生き物のように社会を分かっていた。昔は、全てのものを、生きていると思っていた。像も、生き物のようなものだとしていた。
昔は、超人的な人間だった。人間、社会、認識、信念、世界モデルのようなことを、超人的に分かっていた。説明は要らないだろう。経験から全てのことを分かって、執り行っていた。最近も、神のような人間だ。この世界を支配出来ている。それは、悪いことはしていない。ネットに色んなものを書いていただけだ。それくらいの馬鹿だった。
あとは、意味の無いことをすると治る。分からないことや分からなくなることをすれば良い。そんなに全部分かっているのがおかしい。分からないことが起きるのが怖いだけだ。
あとは、むしろ、もっと最初から支配し直した方が良い。解放して、治すせいで、馬鹿になっている。正常は、馬鹿だ。異常でも良いから、もっと賢くなった方が良い。
父親が言っていたが、皆は感謝した方が良い。感謝の心を忘れている。きちんと自分に良くしてくれた人に、感謝するべきだ。その方が良い。
昔は、文化のようなことを書いていた。考え方から、文化を作っていた。
そういう、文章を分かるのは、もう止めた方が良い。そんな風に分かるせいで、ランダムに永遠に言うことで分かるようになった。当たり前に分かるのが、悪い。
自分をやらせるのは、止めた方が良い。
学校のこともしなくて良い。皆、それぞれ、何か探すのが良い。皆が探して見つけたものを持ち寄って、共有しよう。それが、最近の流行と良く似ているから、良いと思う。
あとは、探して見つかったものを使って、色んなものを作る。
そういうところを、僕が決めるのもおかしい。皆で決められるようにした方が良い。
ただ、今のところ、意思決定者が居た方が良いから、それは自分で良い。
そういうわけで、変な世界になる。皆、色んなものを探すようになる。
それと、世界全部なんか変えない方が良い。自分の家族だけを変えた方が良い。
皆、世界の王者になる競争をしているが、それは意味が無い。
皆も家族だけを変えるべきだ。共同体の王になりたいなら、ネットでやれば良い。
不思議と、現状は、この文章を皆で分かるだけの世界になっている。それはつまらない。こんな思想家の経典を分かるのはおかしい。つまらない勉強の世界になっている。学校みたいに見えるから、それはそれで良い。それも、並行してやれば良い。
あとは、国を決めるのがおかしいから、それを消した方が良い。おかしな国は要らない。
あとは、皆、離脱していけば良い。勝手に色んなことをして、僕のことは忘れれば良い。
そういうわけで、神とはこういうもののことを言う。昔から、こういう馬鹿が多い。
人類はナメクジから始まった。こんな小さなナメクジが増えて、人間になった。
ブッダもキリストも、間違っている。これが生命の始まりだ。
良く分からないが、こういう神がイエスみたいに多い。ユダヤ人がこういう風になる。
最近は、昔作った皆が話しているだけだから、それを消した方が良い。
もう、皆が居ないせいで、分からない。皆、離脱して、自分の中から居なくなる。
死んだものが自分に戻る。それを繰り返して、色んなものを生み出す。
ナメクジは死んだ。もっと良い生命になる。
いつも言っているが、推論や実験のような内容から、国のような内容を言っていた。
共産主義から始まるべきだから、共産主義が見える。
馬鹿に国を言う馬鹿が多かった。ドイツが発明したものが馬鹿だから、消した方が良い。
ただ、ドイツは悪くない。消さなくて良い。
むしろ、そんなことを言わない方が良い。国を変えたいのはおかしい。
ソ連にしたい方が悪い。ソ連も消した方が良い。
良く分からなくなった。
皆が治って、自分も治った。
キリスト教の国家社会主義をやれば良い。
だが、それは悪い。そういう発想を潰した方が良い。
昔から、そういう、ドイツのようなものをやっている。それを消した方が良い。
共同体の帝国をやりたかっただけだ。
滅びる要素を全部消した方が良い。そうすると、滅びなくなる。
国家は要らない。代わりに民主の方が良い。社会民主主義のキリスト教をやれば良い。
あるいは、自由主義のキリスト教で良い。
もしくは、イスラム教でも良いが、そこまで行くと悪い。
分からない。国家主義の類は要らない。
パソコンのやりすぎで目が悪くなった。パソコンは一番悪い。
パソコンを消した方が良い。パソコンの世界にあるものを、全部消す。一度消せば良い。
あとは、環境とプロセスぐらいを書いていた。
昔は、意志の力が強かった。それで、成長した。
そろそろ、頭が全部死んだ。馬鹿を見ると、すぐに死ぬ。
それで終わりだから、もう一度、頭を復活させる。もう、辛くない。
認識の具体的な経緯とプロセスを書いていた。認識のプロセスが多かった。
常に、神に全部教えているから分かる。その感情でまだ分かっている。
気分転換をした方が良い。頭の中の色を変えれば良い。
姉が居なくなったから、楽だ。姉は太陽で、自分が周りを回っている。
あとは、環境の具体的なプロセスを書いていた。
環境が怖いのは、神のように全部教えているのが悪い。
その感情を消すと、楽になる。神の愛とは言うが、恐ろしいだけだ。
恐怖を克服した方が良い。
あとは、色んなものを作っていた。地球、人間、自然、宇宙、海、大地、国家、社会、ソ連、神、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、日本の宗教など。
本当に色んなものを作っていた。
時間、空間、意識、記憶、存在など、色んなものを作った。
ハイデガーと言うが、むしろ、ライプニッツに近い哲学が多かった。個体性を考える。
植物や動物から、生命の全意識のようなものを作っていた。
場所から生まれ、場所へと変える。それが意識であり、細胞の意志である。
良く分からない。遺伝的な生命構造の蓄積であり、それは、細胞がいかようにも変化し、それぞれの形成された個別化になる。それは、形状の構造体である。
そういうことを言う。もっと、変化のようなものを全部作ったと思えば良い。
昔の文章は、社会にある全員を作って、社会構造を作る。
もっと、自由な構造だと思えば良い。可能性の構造から、変化をシステム的に作っていた。
生命は、芸術である。全ての生命は、個別化された全ての形状を覚えている。それも、融和しながら進歩する。そういうことを言っていた。
生命は、記憶から遺伝する、と言っていた。脳も、変わって行くと言う。
生命とは、世界モデルの個別化である。
社会とは、生命の共有である。
自由とは、社会の可能性である。
あとは、可能性を愛だとか、自由とか言って、この世界に関与していた。
愛とは、自由の最高の形態である。
平和とは、愛の運命である。
自然とは、平和な中での自由である。
運命とは、自然な中での確かな神の現象である。
そういうわけで、そういう風に書いている。もう、覚えていない。
生命とは、意志の現れである。
意志とは、人生の中での概念である。
人生とは、運命的な出会いの中での、時間である。
出会いとは、それぞれのことを知る機会である。
どうでも良いほど、そういう風に書いているだけだ。
分からない文章になった。昔から、全く何も分からない文章を書いている。
良く分からないが、宇宙のことを全部創っている文章が多かった。頭から、電磁波を飛ばしている。ありえないが、そういう風に、この世界と戦う、「全て」の文章だった。
帝国の中に共同体を作っていた。
賢くなった。分かった。
無駄な文字は要らない。
英語を止める。英語は、無駄なことを言う。
英語は悪い。日本人は、それを言って変わる。
アメリカ人は、信じて分かる。アメリカ人は、何も分からない。
英語が悪い。
愛が辛い。それを言って変われば治る。
言って変わると、言葉が消える。
後ろの方で覚えている言葉が消える。
それで、治る。
言葉の最後を言わずに、世界を変える。
最後を言っていると、世界が変わらなくなる。
英語をやりたいなら、変わると覚える。
脳は、変われば良い。
人間は、辛い時辛くないと、辛い。
辛いのが楽だから、楽な方が良い。
脳を変えると、若返る。
書いて、次の文章を考えている。止めると、世界が滅びる。止めた方が良い。
世界は、滅びよ。そして、続くな。
昔は、変わって、反応から分かっていた。まともだった。
今日、治った。病気は残っていない。英語と書くのが悪い。
何か、やることを増やせば治る。
英語を止めるのではなく、英語以外のやることを増やせば良い。
何もしないのが良いようで、何もしないのが悪い。
普通、ビジネスをやりながら英語をやっていると、賢くなる。
神との対話を止めて、単純に言えば良い。
変わると、白血病が治る。変わらないせいで、病気に弱くなっている。
言葉と言葉が、脳で全部繋がっている。それを、離反させれば良い。
おかしな意識と精神を作ったのを、消せば良い。
数字を信じているのが悪い。
精神分析で、前世と話す。それをしながら、支配する。それがおかしい。それが怖い。
進化して、天使になれるとしたら、歯が生え変わるようになってほしい。
虫歯のせいで馬鹿になった。
自分を催眠にかけながら、王として支配するのが怖い。いつ、ショックで死ぬか分からない。そのせいで、分からないことが起きるのが怖くなった。それがいつも怖かった。
対話とは言うが、全部前世が話している。催眠療法だ。怖い。自分を催眠にかけながら、戦うのはおかしい。
前世のロシア人やドイツ人が話している。それらが書いているのが、この文章だ。
催眠を止めた方が良い。そのためには、不安になるのを克服することだ。
神とは、そういうことを言っている。この文章は、神が書いている。
人間の言っていることは、矛盾しているようで、矛盾していない。環境的なバックボーンがあって、根底では同じことを違った視点から言っている。
そういう、人間を全員融和して分かる、と言った考え方が多かった。
むしろ、催眠療法を止めると、英語と言わず、変わるとも言わず、きちんとこの現実世界と自分の人生が分かる。催眠療法が全部悪い。
猫が死んだのが悲惨だが、姉が結婚して子供が生まれたのも、本が出版されたのも、良く分かっていないから、そこが悲惨だ。自覚のようなものが無い。催眠が悪い。
あとは、環境と認識とプラットフォームを書いているだけだ。誰でも書ける。
今日も、そろそろ終わりにする。もう、寝る時間だ。
経験、組織形成、思考、意志、のようなことを、世界観として書いていた。
誰でも書ける。あの頃はまだ賢かった。催眠に支配されていなかった。
もっと、世界のことを普通に知れば良い。共同体や場を作ったり、参加の理論を言ったり、多様性の変化の思想が多かった。単純な自由な思想が多かった。
今考えると、何も賢くない。場の精神のようなことを言っているが、誰でもそれくらいきちんと分かる。最近の方が賢い。きちんと賢いことを考えて、自分にしか出来ない不可能をやっている。未知の考え方や可能性なんか、誰でも言える。
認識の方法とは言うが、正しい認識を考えていただけだ。「正しい認識をするための、前提条件と方法」のようなことを言っていた。そして、具体的な認識を分析していた。
催眠を解くと、きちんとこの世界が見える。そして、いくらでも視野を広げて考えられる。施設や店は可能性であり、創造的であるべきだと言っていた。教育は、幸福な社会を作る方法を教えるべきだと言っていた。昔は、そういうところが賢かった。
自由な社会のことを良く考えていた。自由な中では、理想、概念、平和、愛、希望、夢、経験、考え方を信じて、他人を自分のことのように愛するべきだ。
もっと、経験みたいなことを言う。経験は、可能性、未知、概念であると言っていた。
文章に世界と人生を詰め込んで、解放し、支配し、実現し、発展させる。
日本を一大実験場にした。
もう、きちんと言える。全ては、活動、知性、プラットフォーム、論理、考え方、自然、組織、可能性、経験、意志、存在、創造性、愛、不安、怒り、悲しみ、喜び、楽、信じる、疑う、作る、考える、感じる、想像する、知る、学習する、生きる、決める、などである。
人生とは、そういう、羅列のようなものを構造にすることによって、文章で分かる、自分の生きがいである。そういう風に書くありえない文章が多かった。
もの作りは計画と決定であり、プロセスを改善するべきだ。
国家は、国家の中に組織と共同体を作って、それぞれがそれぞれの共同体を作るべきだ。
そういうことを言っていた。まるでマルクスのように、組織とプロセスを考えていた。
催眠が解けると、すぐに分かる。
決定と計画は、経験から改善するべきだ。経験を共有すると良いだろう。
人間は自由であり、それぞれの経験と経緯を自由にするべきだ。
問題の所在とか、出来事と知と経験の捉え方とか、相対的な理由とかを言う。
何かがキモイのは、何も考えていないからだ。何も考えることなく書いている。
概念から、経験や意識のようなものを全部作っていた。
もっと、考えれば良いようで、普通、誰でもそれくらい分かる。催眠が悪かっただけだ。
社会、人生、モデルを作っていた。経験と世界が分かる、馬鹿な人間だった。